エレイソン・コメンツ 第337回 (2013年12月28日)
枢機卿(すうききょう)ビィユーが文字(もじ)と教会史(きょうかいし)の主要(しゅよう)な7(なな)つの時代(じだい)との関連性(かんれんせい)を立証(りっしょう)している,単(たん)にアジアの7つの教会(あじあの ななつの きょうかい)の各(かく)名称(めいしょう)( "names" )(エレイソン・コメンツ第336回を参照〈さんしょう〉)( " (cf. “Comments” # 336) " )だけでなく,それら各教会(かく きょうかい)に当(あ)てられた7つの文字(ななつの もじ)の中身(なかみ)に( "contents" )基(もと)づくものです(ヨハネの黙示録〈もくしろく〉第2章および第3章)( "It is not only by the names of the seven Churches of Asia (cf. “Comments”# ) but also by the contents of the seven Letters addressed to them (Apoc. II and III) that Cardinal Billot establishes the connection between the Letters and seven main periods of Church history. " ).ここでとくに興味(きょうみ)をひくのは私たちの現代(げんだい),第5の背教の時代(はいきょうの じだい)に符節(ふせつ)するサルデスSardis( 新約聖書・ヨハネの黙示録:第3章1-6節 Apoc. III, 1-6 )の教会に当てられた文字(もじ)です( "Especially interesting in this respect is the Letter to the church of Sardis (Apoc. III, 1-6) which would correspond to our own Age, the fifth, the Age of Apostasy. " ).ビィユーはサルデスの有名(ゆうめい)な支配者(しはいしゃ)クロイソスにまつわる富(とみ),贅沢(ぜいたく),物質的繁栄(ぶっしつてき はんえい)を想起(そうき)した後(あと)で,つぎのように書(か)いています:-- ( "After evoking the wealth, luxury and material prosperity associated with Croesus, famous ruler of Sardis, Billot writes:-- " )
「人々(ひとびと)が想像(そうぞう)するように,この教会(きょうかい)は精神的衰退(せいしんてき すいたい)の状態(じょうたい)にあるように見(み)えます( " “As one might expect, this church seems to be in a state of spiritual decline." ).背教(はいきょう)や脱落(だつらく)がはびこっていますが( "Apostasy and falling away are on all sides, …" ),多数の人々(たすうの ひとびと)が宗教(しゅうきょう)を見捨(みす)てる一方(いっぽう)で( "… but while the majority of souls abandon religion, …" ),少数の人々(しょうすうの ひとびと)はキリスト(きりすと)への忠誠(ちゅうせい)を守り続(まもり つづ)けています( "… there are a few who remain faithful to Christ." ).天使は 「サルデスには衣(ころも)を汚して(けがして)いない名前(名目=人)(なまえ〈めいもく=ひと〉)がいくつかある(=サルデスであなたの中にも衣を汚していない少数の人〈しょうすうの ひと〉がいる.)」 が: 「汝(なんじ)は名前(=名目)で生きて(なまえ〈めいもく=ひと〉で いきて)いようと,実体では死んで(じったいでは しんで)いる!」 と告(つ)げます( "The angel says, ‘Thou hast a few names in Sardis which have not defiled their garments.’ But: ‘Thou hast the name of being alive: and thou art dead !’ " ). 名目(実体のない)(めいもく〈じったいのない〉)( "The name (but not the reality) …" )だけの生活(せいかつ),知識(ちしき),自由(じゆう),文明(ぶんめい),進歩(しんぽ)があっても( "… of life, knowledge, freedom, civilization, progress; …" ),命の光明(いのちの こうみょう),すなわち我が主(わが しゅ)イエズス・キリストを拒(こば)んだため,暗黒と死の影(あんこくと しの かげ)に坐(ざ)しているというわけです( "… and thou art dead, sitting in darkness and the shadow of death, because the light of life, which is Our Lord Jesus Christ, has been rejected." )(訳注後記1). かくして,天使(てんし)はサルデスの司教(しきょう)に 「目を見開き(めを みひらき),残りし者(のこりし もの),死(し)をいとわぬ者(もの)を助け強めよ(たすけ つよめよ)(=警戒して〈けいかい して〉,死(し)にかけている残りの者(のこりの もの)を強(つよ)めよ」 と告(つ)げます ( "Hence the bishop of Sardis is told, ‘Be watchful and strengthen the things that remain, which are ready to die.’ " ). とりわけ,司教は聖なる使徒(せいなる しと)たちのあらゆる伝統(でんとう)を忠実に守り(ちゅうじつに まもり),彼(かれ)らが教会の父たち(きょうかいの ちちたち)(=教父たち〈きょうふ たち〉)( "the Church Fathers" )のために守(まも)ってきた意味(いみ)から,言い訳(いいわけ)したり,深く理解(ふかく りかい)したふりをして,逸脱(いつだつ)しないよう勧告(かんこく)され: ( "And he is above all recommended to cleave unfailingly to all the traditions of the holy Apostles, without in the least way departing from the meaning they held for the Church Fathers, with the excuse or under the appearance of a deeper understanding: …" ) 「それゆえ,汝(なんじ)は自(みずか)らが受け入(うけい)れ,聞(き)いたことを心に留め(こころに とどめ),そして観察(かんさつ)し,罪の償い(つみの つぐない)をせよ」 と告(つ)げられます( " ‘Have in mind therefore what thou hast received and heard: and observe, and do penance.’ " ).これで第5の時代(じだい)のことは終(お)わりです.次に続く(つぎに つづく)のはもう少(すこ)し喜(よろこ)ばしいことでしょう.」( "So much for the Fifth Age. But what follows is a little more rejoicing.” " ) そこで,(ビイユー)枢機卿(すうききょう)は話(はなし)を第6,第7の時代(じだい)に進(すす)めます.( "And the Cardinal goes on to the Sixth and Seventh Ages. " )
エレイソン・コメンツの読者(どくしゃ)のなかで,私たちの時代(わたしたちの じだい)とのからみで ヨハネ黙示録 (もくしろく) 第3章 ( "Apocalypse III" ) の初(はじ)めの6節を読(よ)んだことがない方(かた)は,一度お読み(いちど およみ)になれば今の時(いまの とき)にその個所(かしょ)を読(よ)むのは興味深い(きょうみ ぶかい)ことだと感(かん)じるでしょう( "Readers who have never read the first six verses of Apocalypse III in connection with our own times should be interested to do so." ).両者(りょうしゃ)の関連性(かんれんせい)は驚(おどろ)くばかりで,決(けっ)して偶然の一致(ぐうぜんのいっち)ではありません( "The connection is remarkable, and not co-incidental." ).
なぜ驚(おどろ)くばかりかと言(い)えば,「残りし者(のこりし もの),死(し)をいとわぬ者(もの)を助け強(たすけ つよ)めよ(=警戒して〈けいかい して〉,死〈し〉にかけている残りの者〈のこりの もの〉を強〈つよ〉めよ)」 ( " “Strengthen the things that remain, which are ready to die” " ) は,カトリック教(きょう)をプロテスタント主義(しゅぎ)から救(すく)った反宗教改革(はん しゅうきょう かいかく)に( " to the Counter-reformation saving Catholicism from Protestantism" ),フランス革命(かくめい)から生き残った教会(いき のこった きょうかい)を救(すく)った反自由主義の教皇(はん じゆうしゅぎの きょうこう)たちに( "to the anti-liberal Popes saving what remained of the Church from the French Revolution" ),バチカン第二公会議(だいに こうかいぎ)から伝統(でんとう)を救(すく)ったルフェーブル大司教(だいしきょう)(および他の方々〈ほかの かたがた〉たち)に( "to Archbishop Lefebvre (and others) rescuing Tradition from Vatican II" ),そして今や聖ピオ十世会が自由主義に陥(おちい)るのを救(すく)おうと戦(たたか)っている抵抗運動(ていこう うんどう)に( " and now to a Resistance battling to save what can be saved from his Society collapsing into liberalism." ),そのままあてはまるからです( "It is remarkable because “Strengthen the things that remain, which are ready to die” corresponds exactly to the Counter-reformation saving Catholicism from Protestantism, to the anti-liberal Popes saving what remained of the Church from the French Revolution, to Archbishop Lefebvre (and others) rescuing Tradition from Vatican II, and now to a Resistance battling to save what can be saved from his Society collapsing into liberalism." ). 必(かなら)ずやカトリック教徒(きょうと)たちはこのような展望(てんぼう)から勇気を得る(ゆうきを える)でしょう(=勇気を得るに違〈ちが〉いありません)( "Surely Catholics may take heart from this perspective, …" ),すなわち,長く続いた(ながく つづいた)希望の持てない(きぼうの もてない)ような後方守備行動(こうほう しゅび こうどう)( "long and seemingly hopeless rearguard action" )(訳注・遠い過去〈とおい かこ〉にカトリック教会に生(しょう)じていらい今日に至る(こんにちに いたる)までカトリック教徒がずっと引き継(ひきつ)いできた〈 "comes from a distant past" 〉希望の持てないような後方守備行動) が,本当(ほんとう)に (=現実的〈げんじつてき〉に) 遠い過去(とおい かこ)から抜け出して(ぬけだして) 最終的(さいしゅうてき)に勝利する未来(しょうりする みらい)に移(うつ)るのだ ( "and does fit into an ultimately triumphant future." )という展望(てんぼう)から勇気(ゆうき)づけられるでしょう ( "… that their long and seemingly hopeless rearguard action comes from a distant past and does fit into an ultimately triumphant future." ). これこそが,私たちにヨハネ黙示録(もくしろく)が与(あた)えられた所以(ゆえん)です ( "That is why we were given the book of the Apocalypse." ).
上(うえ)に述(の)べた両者(りょうしゃ)の関連性(かんれんせい)は決(けっ)して偶然の一致(ぐうぜんのいっち)ではありません( "Nor is the connection co-incidental." ) .私たちの主イエズス・キリスト( "Our Lord" )は彼の使徒(しと)( "Apostles" )たちに対し,彼の霊(れい),聖霊(せいれい)( "his Spirit, the Holy Ghost" )は彼らおよび彼らの後継者(こうけいしゃ)と共(とも)にあり,時代(じだい)を下(くだ)って彼らが知る必要(しる ひつよう)のあることだけを啓示(けいじ)するだろうと約束(やくそく)されました(新約聖書・ヨハネ聖福音書:第16章12-14節〈 "Jn. XVI, 12-14" 〉)( "Our Lord promised his Apostles (Jn. XVI, 12-14) that his Spirit, the Holy Ghost, would be with them and with their successors down the ages to reveal to them what they would only then need to know." ).尊者(そんしゃ)ホルツハウザーがアジアの7つの教会(ななつの きょうかい)を表す文字(あらわす もじ)に秘(ひ)められた7つの時代(ななつの じだい)を理解(りかい)したのは,30年戦争(30ねん せんそう(1618-1648年)がドイツを荒廃(こうはい)させているときのことでした( "It was only when the Thirty Years War (1618-1648) was ravaging Germany that the Venerable Holzhauser was given his understanding of the Seven Ages hidden within the Letters to the seven churches of Asia." ).同(おな)じように,ロシア革命(かくめい)が勃発(ぼっぱつ)しようとしている時(とき),私たちは聖母(せいぼ)がファティマで,最後(さいご)は聖母自(みずか)らの汚(けが)れなき(=純潔〈じゅんけつ〉な)御心(みこころ)( "her Immaculate Heart" )が勝利(しょうり)を収(おさ)めると保証(ほしょう)してくださることを必要(ひつよう)としました( "Similarly it was only when the Russian Revolution was just about to break out that we needed Our Lady to assure us at Fatima that in the end her Immaculate Heart would triumph." ).教会(きょうかい)が今(いま)まさしく輝(かがや)きを失(うしな)おうとしているのは事実(じじつ)です (最近〈さいきん〉ブラジルで白衣〈はくい〉をまとった聖職者が執り行った(せいしょくしゃが とりおこなった)公(おおやけ)のミサの画像(がぞう)をインターネット上でご覧(らん)になってください)( "True, the Church is right now being eclipsed (see on the Internet the film-clips of the public Mass celebrated recently in Brazil by the churchman in white), …" ).だが,私たちが自由主義者(じゆうしゅぎ しゃ)になる必要性(ひつよう せい)もなければ,それを正当化(せいとう か)する何もの(なにもの)も存在(そんざい)しません( "… but there is still no need or justification for us to become liberals." ).
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
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第2パラグラフの訳注1:
(説明)
命の光である主イエズス・キリストに属(ぞく)していない人は,暗闇(くらやみ)の中に生きており,自分がどこへ行くのかを知らない.
新約聖書(しんやくせいしょ)の参照(さんしょう)
ヨハネの第一の手紙,第一章
FIRST EPISTLE OF ST. JOHN THE APOSTLE, CHAPTER I
PREMIÈRE ÉPÎTRE DE SAINT JEAN, CHAPITRE PREMIER
EPISTOLA BEATI IOANNIS APOSTOLI PRIMA, CAPUT I
『神は光であって,すこしのやみもない.』(5節)
『主が光のうちにましますように,私たちも光のうちを歩んでいるなら,私たちは互いに一致し,み子イエズスの血は私たちの罪をすべて清める.』(7節)
『罪がないと言うなら,それは自分を偽っているのであって,真理は私たちの中にはない.
自分の罪を告白するなら,真実な正しい神は私たちの罪をゆるし,すべての不義を清めてくださる.』(9節)
ヨハネの第一の手紙,第二章
FIRST EPISTLE OF ST. JOHN THE APOSTLE, CHAPTER II
PREMIÈRE ÉPÎTRE DE SAINT JEAN, CHAPITRE II
EPISTOLA BEATI IOANNIS APOSTOLI PRIMA, CAPUT II
『みことばを守る者はその人の内に神の愛が全(まっと)うされ,それによって私たちは主の中にいることがわかる.
また,主の中にいると言う者は,自分も主が歩まれたように歩まねばならぬ.』(5節)
『兄弟を愛する人は光にとどまる者であって,彼はつまずく恐れがない.兄弟を憎む人はやみの中にいてやみを歩み,やみに目をくらまされて自分がどこに行くかも知らない.』(11節)
『小さな子らよ,最後の時である.あなたたちは反キリストが来ると聞いていたが,今や多くの反キリストが現れた.これによって私たちは最後の時が来たことを知る.』(18節)
ヨハネの第一の手紙,第5章
FIRST EPISTLE OF ST. JOHN THE APOSTLE, CHAPTER V
PREMIÈRE ÉPÎTRE DE SAINT JEAN, CHAPITRE V
EPISTOLA BEATI IOANNIS APOSTOLI PRIMA, CAPUT V
『イエズスがキリスト(=救世主・メシア〈=メサイア〉)であることを信じる者は,神から生まれた者である.生んだお方を愛する人々は,また神から生まれた者をも愛する.
神を愛してそのおきてを行えば,それによって私たちが神の子らを愛していることがわかる.
神への愛はそのおきてを守ることにあるが,そのおきてはむずかしいものではない.
神から生まれた者は世に勝つ.世に勝つ勝利はすなわち私たちの信仰である(4節).
イエズスが神の子であると信じる者のほかにだれが世に勝てるであろうか.
水と血によって来られたのはイエズス・キリストである.ただ水だけでなく,水と血によってである.それを証明するのは霊である.霊は真理だからである.
実に証明するものは三つある.(天においては御父とみことばと聖霊であり,この三つは一致する.
地において証明するのは三つ),霊と水と血である.この三つは一致する.
私たちが人間の証明を受け入れるなら,神の証明はそれにまさっている.神の証明とはそのみ子についてのことである.
神の子を信じる者は,自分のうちに神の証明をもち,神を信じない者は神を偽(いつわ)り者とする.神がそのみ子についてされた証明を信じないからである.
その証明とは神が私たちに永遠の命を与えられたこと,その命がみ子にあることである(11節).
み子をもつものは命を有し,み子をもたぬ者は命をもたぬ(12節).
私が以上のことを神の子の名を信じるあなたたちに書いたのは,あなたたちに永遠の命があることを知らせるためであった.
私たちはみ旨に従って願うことを神が必ず聞き入れたもうと確信している.
そして,神がすべての願いを聞き入れたもうことを知るなら,また願ったことが受け入れられることもわかる.
自分の兄弟が死に至らぬ罪を犯しているのを見たなら,彼のために祈れ.そうすれば命が帰るだろう.これは死に至らぬ罪を犯す人々のために言ったことである.死に至る罪がある.私はこれについて祈れとは言わぬ.
すべての不義は罪である.しかし死に至らぬ罪がある.
神から生まれた人はすべて罪を犯さないと私たちは知っている.神から生まれたお方がその人を守られるから,悪者はその人に触れることができない.
私たちが神から出た者であり,世がすべての悪者の配下にあることも私たちは知っている.
また神のみ子がすでに来られ真実のお方を知るための知恵を私たちに授けられたことも知っている.私たちはそのみ子イエズス・キリストによって真実のお方のうちにいる.それは真実の神であって,永遠の命である(20節).
小さな子らよ,偶像を警戒せよ.』
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1・ 訳注の追加を続けます.
2・ ヨハネの黙示録の続きを追加掲載いたします.
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2013年12月31日火曜日
2013年12月25日水曜日
336 ビィユー I 12/21
エレイソン・コメンツ 第336回 (2013年12月21日)
私はここ数年(すうねん),尊者(そんしゃ)バーソロミュー・ホルツハウザー( "the Venerable Bartholomew Holzhauser" )のヨハネの黙示録(もくしろく)に関する評論(ひょうろん)を基(もと)に教会(きょうかい)の7つの時代(じだい)について講義(こうぎ)をしてきました( "For years I have been giving a conference on the Seven Ages of the Church, based on the Venerable Bartholomew Holzhauser’s Commentary on the book of the Apocalypse." ).ホルツハウザーは1600年代(ねんだい)前半(ぜんはん)に活躍(かつやく)したドイツ人司祭(しさい)で,評論をひらめきによって書き記した(かきしるした)と述(の)べています( "Holzhauser, a German priest of the first half of the 1600’s, said that he wrote it under inspiration." ).私の講義は好評(こうひょう)ですが,それはとりわけ私が現代(げんだい)の狂気(きょうき)を教会史の中(きょうかいしの なか)の似通(にかよ)ったパターンに当(あ)てはめて話(はな)すからでしょう( "The conference has been popular, especially because it fits the craziness of our age into a harmonious pattern of the history of the Church." ).ただ,私がこれまでホルツハウザーについて気(き)づかなかったことがあります( "What I had not realized, however, …" ).ある著名(ちょめい)な古典的神学者(こてんてき しんがくしゃ)が彼のビジョンを共有(きょうゆう)しているという事実(じじつ)です( "… is that Holzhauser’s vision is shared by a famous classical theologian, …" ).このことは,ホルツハウザーを単なる預言者(よげんしゃ)とか「幻影信奉者」(げんえい しんぽうしゃ)( "apparitionist" )と片(かた)づけるのを難(むずか)しくしています( "… making it more difficult to dismiss Holzhauser as a mere visionary or “apparitionist”. " ).
枢機卿(すうききょう)ルイ・ビィユー( "Cardinal Louis Billot" )(1846-1931)は古典的(こてんてき)な自著(じちょ)「キリストの教会(きょうかい)に関(かん)する論文(ろんぶん)」( "Treatise on the Church of Christ" )第1巻の終章(しゅうしょう)で,ホルツハウザーが説(と)いた教会史(きょうかい し)の主要(しゅよう)な7時代(ななじだい)とヨハネの黙示録第2,第3章を構成(こうせい)するアジアの7つ(ななつ)の教会に当(あ)てはめた7つ(ななつ)の文字(もじ)( "seven Letters to the seven churches of Asia" )との間(あいだ)の符節(ふせつ)( "correspondence" )についてかなり詳細(しょうさい)に説明(せつめい)しています( "It is in an Epilogue to the first volume of his classic Treatise on the Church of Christ that Cardinal Louis Billot (1846-1931) lays out in some detail the correspondence affirmed by Holzhauser between seven main periods of Church history and the seven Letters to the seven churches of Asia that make up Chapters II and III of the book of the Apocalypse." ).ビィユーの終章(しゅうしょう)はホルツハウザーに一切(いっさい)触(ふ)れていませんが,両者の間(りょうしゃの あいだ)に関連性(かんれん せい)がなかったと見(み)るのは難(むずか)しいでしょう( "Billot’s Epilogue never mentions Holzhauser, but it is difficult to imagine that there is no connection. " ).ビィユーはその符節(ふせつ)について,空想(くうそう)やひらめきからでなく,7つ(ななつ)の教会のギリシア名(ぎりしあ めい)から説き起(ときお)こしています( "However, Billot takes care to start out the correspondence not from any vision or inspiration, but from the Greek names of the seven churches." ).この名称(めいしょう)は教会発展の歴史(きょうかい はってんの れきし)を表(あらわ)すのにふさわしいものですが,そのことは見事(みごと)な偶然(ぐうぜん)というか,より的確(てきかく)には神意(しんい)のなせる業(わざ),すなわち神キリストの証(あか)しそのものです!( "The suitability of these names to the Church’s evolving history is either a remarkable coincidence, or more likely a trace of Providence at work – God, the Master of History ! " )
ビィユーは Ephesus (エフェゾ)( ヨハネの黙示録:第2章1-7節)はギリシア語で「出発」(しゅっぱつ)( "starting out" )を意味(いみ)すると言います( "Thus Billot says that Ephesus (Apoc. II, 1-7) signifies in Greek a “starting out”, …" ).これは,まさしく教会(きょうかい)の始(はじ)まりである「使徒の時代」(しとの じだい)(紀元33-70年)( "the Apostolic Age" )を的確(てきかく)に表(あらわ)しています( "… obviously suitable to the Apostolic Age (33-70 AD) with which the Church began." ).Smyrna (スミルナ)(ヨハネの黙示録:第2章8-11節)は第二の教会の名称(めいしょう)で,それは "myrrh" (訳注・「ミルラ」= 香水や香〈こうすいや こう〉を作〈つく〉るのに用(もち)いる樹脂〈じゅし〉)を意味し,教会第2の時代( "the Second Age" )(紀元70-313年)の情熱と苦難(じょうねつ と くなん),すなわち殉教の時代(じゅんきょうの じだい)に符節(ふせつ)します( "Smyrna (Apoc.II, 8-11) names the second church and means “myrrh”, corresponding to the passion and sufferings of the Church’s Second Age (70-313 AD), that of the Martyrs. " ). Pergamus (ペルガモ) (ヨハネの黙示録:第2章12-17節)は文学(ぶんがく)で有名(ゆうめい)な都市(とし)でした( "Pergamus (Apoc. II, 12-17) was a city famous for literature, …" ).したがって, "pergamum" は物を書き記す材料(ものを かきあらわす ざいりょう)を意味するようになり( "… so that “pergamum” came to mean material on which to write, …" ),教会第3の時代,つまり博士の時代(はかせ〈はくし〉の じだい)( "the Church's Third Age, that of the Doctors" )(紀元313-800年)に属(ぞく)する偉大な教会著述者の一団(いだいな ちょじゅつしゃ のいちだん)と符節します( "… corresponding to the cluster of great Church writers belonging to the Church’s Third Age, that of the Doctors (313-800)." ). Thyatira (ティアティラ) は次の時代の教会(つぎの じだいの きょうかい)( ヨハネの黙示録:第2章18-29節)の名称(めいしょう)で,「勝利の輝き」(しょうりの かがやき)( "splendour of triumph" )を意味します( "Thyatira names the next church (Apoc. II, 18-29), and means “splendour of triumph”, …" ).これはシャルルマーニュ大帝(たいてい)(742-814年)( "Charlemagne (742-814) " )からフランス革命(かくめい)(1789年)に至(いた)るまでのカトリック教会の1千年(いっせんねん)の勝利(しょうり)に符節します( "… corresponding to the 1,000-year triumph of the Catholic Church, reaching from Charlemagne (742-814) to the French Revolution (1789). " ).
この1千年(いっせんねん)はクロビス( "Clovis" )の改宗(かいしゅう)(496年)前後からプロテスタント主義(しゅぎ)の台頭(たいとう)(1517年)までと見(み)ることもできます( "These thousand years might also be reckoned from around the conversion of Clovis (496) to the outbreak of Protestantism (1517). " ).しかし,キリスト教世界(きりすと きょう せかい)の没落(ぼつらく)の始(はじ)まりを宗教改革(しゅうきょう かいかく)と見るかフランス革命(かくめい)と見(み)るか,ここでは触(ふ)れません( "But whether one marks the decline of Christendom from the Reformation or the Revolution, …" ).いずれにせよ,第5の教会( ヨハネの黙示録:第3章1-6節)の名称(めいしょう)である Sardis (サルデス)は,現代(げんだい)を特徴(とくちょう)づける金(かね),物質的繁栄(ぶっしつてき はんえい),精神的衰退(せいしんてき すいたい)を想起(そうき)させる大金持ち(おおがねもち)クロイソスが支配(しはい)した都(みやこ)でした( "… in any case Sardis, naming the fifth church (Apoc. III, 1-6), was the city of Croesus, a fabulously rich man, evoking an abundance of money, material prosperity and spiritual decadence, such as characterize modern times." ).確(たし)かに, Sardis の教会(きょうかい)に対(たい)する警告(けいこく)は私たち自身(じしん)の現代(げんだい)に完全(かんぜん)に符節(ふせつ)します.この点についてはビィユーに関(かん)する次回以降(じかい いこう)のエレイソン・コメンツで触(ふ)れることにします( "Indeed the warnings to the church of Sardis correspond perfectly to our own age today, as we shall see with Billot in further “Comments”. " ).
私たちは第6の教会,すなわち Philadelphia (フィラデルフィア)(ヨハネの黙示録:第3章7-13節)の教会以降(いこう),はっきりと将来(しょうらい)に足を踏み入れる(あしを ふみいれる)ことになります( "We move clearly into the future with the sixth church, that of Philadelphia (Apoc.III, 7-13), …" ).これは,「兄弟(きょうだい)」( " “brotherhood” (- adelphia) " ) への「愛(あい)」( " “love” (Phil-) " ) を意味します ( "… meaning “love” (Phil-) of “brotherhood” (- adelphia). " ). ビィユー枢機卿(すうききょう)はこの名称(めいしょう)を教会の最後の大勝利(きょうかいの さいごの だいしょうり)に符節させています( "Cardinal Billot has this name correspond to a last great triumph of the Church, …" ).それはとりわけ聖パウロが預言(よげん)したユダヤ人の改宗(かいしゅう)(新約聖書・ローマ人への手紙:第11章12節)によって,またユダヤ人の異邦人(いほうじん=非〈ひ〉ユダヤ人)( "the Gentiles" )との和解(わかい)により,キリストの下(もと)でようやく兄弟(きょうだい)となる( エフェゾ人への手紙:第2章14-16節)という預言によって,象徴(しょうちょう)されています( "… marked notably by the conversion of the Jews as prophesied by St Paul (Rom.XI, 12), and by their reconciliation with the Gentiles, brothers at last in Christ (Eph.II, 14-16). " ).
だが, Philadelphia の教会は苦難(くなん)がやがて到来(とうらい)すると警告(けいこく)を受(う)けます( ヨハネの黙示録:第3章10節)( "But the church of Philadelphia is warned that tribulation is coming (Apoc.III, 10), …" ).これは最後の第7教会,すなわち Laodicea (ラオディキア)( ヨハネの黙示録:第3章14-22節)の教会と符節(ふせつ)します( "… which corresponds to the seventh and last Age of the Church, that of Laodicea (Apoc. III, 14-22), …" ).この名称(めいしょう)は人々(ひとびと)( "the peoples (laon) " )の審判(しんぱん)( "judgment (dike) " )に由来(ゆらい)するものです( "… named from judgment (dike) of the peoples (laon). " ).これは教会にとって最後(さいご)でもっとも恐(おそ)ろしい試練の時代(しれんの じだい)となるでしょう( "It will be the Age of the last and most terrible trial of the Church, …" ).反キリスト教徒の迫害(はんきりすと きょうとの はくがい)( "… the persecution of the Antichrist, …" )に続(つづ)いて,生を受けた(せいを うけた)あらゆる霊魂(れいこん),すなわちすべての人々に対する最後の審判(さいごの しんぱん)( "General Judgment" )がくだされる時(とき)となるでしょう( "… followed by the General Judgment of all souls that will ever have lived, and so of all peoples. " ).
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
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ヨハネの黙示録
第1章
1 イエズス・キリストの啓示(けいじ).これはすみやかに起こるであろうことをそのしもべたちに示すために神が*キリストにまかせ,キリストはまたその天使を送ってしもベヨハネに告げられたものである.
2 ヨハネは自分の見たことをすべて神のみことばとして,*イエズス・キリストの証(あかし)として証言する.
3 この預言のことばを読み,それを聞いてここに記されたことを守る人は幸せである.*時は近づいているからである.
4 ヨハネより,*アジアにある七(なな)つの教会に.*今在(あ)り,かつて在り, 後に来られる者から,またその玉座(ぎょくざ)の前にいる七つの霊から,
5 また,忠実な証人(ちゅうじつな しょうにん),*死者の中から最初に生まれた者,地上の王の君(きみ)であるイエズス・キリストから,あなたたちに恩寵(おんちょう)と平和があるように.私たちを愛し,その御血(おんち)によって私たちを罪(つみ)から洗い清(あらいきよ)め,
6 その父なる神のために私たちを*司祭の王国の民(たみ)とされたお方に代々に光栄(こうえい)と権能(けんのう)あれ.アメン.
7 イエズスは雲に乗って下られる.すべての目はそれを見るであろう.彼を刺し貫(さしぬ)いた人々も見るであろう.*地上のすべての民は,そのために嘆(なげ)くであろう.そのとおりである.アメン.
8 今在(あ)り,かつて在り,後に来られる主なる全能の神は,「私は*アルファでありオメガである」と仰(おお)せられる.
9 あなたたちの兄弟として,イエズスとの一致(いっち)のうちに患難(かんなん)とみ国と忍耐(にんたい)をともにしている私ヨハネは,神のみことばとイエズスの証明のために*パトモスという島にいたが,
10 *主日(しゅじつ)に脱魂状態(だっこん じょうたい)になり,その後でらっぱのような犬声を聞いた.
11 その声は「おまえの幻(まぼろし)を書き記(かきしる)し,エフェゾ,スミルナ,ペルガモ,ティアティラ,サルデス,フィラデルフィア,ラオディキアにある七つの教会に送れ」と言った.
12 そう話した声の方を見ようとして後を振り返ると,七つの金の燭台(しょくだい)があった.
13 燭台の間に*人の子のような者が見えた.彼は長い服を着て,金の帯を胸にしめ,
14 頭と髪の毛は純白(じゅんぱく)の羊毛(ようもう)のように雪(ゆき)のように白(しろ)く,目は燃(も)える炎(ほのお)のようであった.
15 足は炉(ろ)で精練(せいれん)された尊(とうと)い青銅(せいどう)のようであり,声は大水の音のようであった.
16 右の手に七つの星をもち,口から*両刃(もろは)の鋭い剣(するどい けん)が出,顔は照(て)りわたる太陽のようであった.
17 *それを見たとき,私は死んだようにその足もとに倒(たお)れた.すると彼は右の手を私の上に置いて言われた,「恐れるな.*私は初(はじ)めであり終(お)わりであり,
18 生(い)きている者である.私はかつて死んだが,代々(よよ)限(かぎ)りなく生きる.私は死と黄泉(よみ)のかぎを持っている.
19 だから,おまえの見たこと,今あること,後に起こることを書き記(しる)せ.
20 私の右の手に見た七つの金の燭台(しょくだい)の奥義(おくぎ)は次のとおりである.七つの星は七つの*教会の天使であり,七つの燭台は七つの教会である.
(注釈)
前書き(1・1-8)
1 イエズスは天のことを啓示(けいじ)される者である(ヨハネ聖福音書 1:18,5:20,7:16 )
2 イエズス・キリストが証明された神のみことばのこと.
3 キリストの来臨(らいりん).
4 現在の小アジアの南西部.
* 脱出の書(出エジプト記)3:14 参照.
5 最初に復活(ふっかつ)した者.
6 すべての信徒は司祭と一致(いっち)し,神に賛美(さんび)の犠(いけにえ)を捧(ささ)げるからである.
7 黙示録では,「地上の民」とは神の愛を受け入れない人々である.
8 万物の初めと終わり.
幻(まぼろし)の始まり(1・9-20)
9 使徒としてここに監禁(かんきん)されていた.バトモスはエフェゾに近い島である.ローマ人はここを島流(しまなが)しの地としていた.
10 日曜日のこと.教会史上「主日(しゅじつ)」と記されたのは,これが初めてである.
13 ダニエル 7・13,10・6.キリストのこと.
15 不明なことばである.黄金(おうごん)と青銅(せいどう)の合金(ごうきん)であろうか.
16 神のみことばの鋭(するど)さを表(あらわ)す.
17 ダニエルの書 8・18,エゼキエルの書 2・1,イザヤの書 44・6 参照.
* イザヤ 44・6 は,ヤベについてこう言っている.キリストは神と等(ひと)しく,すべての権限をもっている.
20 各教会は一位(いちい)ずつの天使に守護(しゅご)されている.また天使は,ラテン教会の説によると,各教会のかしらのかたどりである.
* * *
引き続き,ヨハネの黙示録・第2章,第3章を追加掲載いたします.
* * *
私はここ数年(すうねん),尊者(そんしゃ)バーソロミュー・ホルツハウザー( "the Venerable Bartholomew Holzhauser" )のヨハネの黙示録(もくしろく)に関する評論(ひょうろん)を基(もと)に教会(きょうかい)の7つの時代(じだい)について講義(こうぎ)をしてきました( "For years I have been giving a conference on the Seven Ages of the Church, based on the Venerable Bartholomew Holzhauser’s Commentary on the book of the Apocalypse." ).ホルツハウザーは1600年代(ねんだい)前半(ぜんはん)に活躍(かつやく)したドイツ人司祭(しさい)で,評論をひらめきによって書き記した(かきしるした)と述(の)べています( "Holzhauser, a German priest of the first half of the 1600’s, said that he wrote it under inspiration." ).私の講義は好評(こうひょう)ですが,それはとりわけ私が現代(げんだい)の狂気(きょうき)を教会史の中(きょうかいしの なか)の似通(にかよ)ったパターンに当(あ)てはめて話(はな)すからでしょう( "The conference has been popular, especially because it fits the craziness of our age into a harmonious pattern of the history of the Church." ).ただ,私がこれまでホルツハウザーについて気(き)づかなかったことがあります( "What I had not realized, however, …" ).ある著名(ちょめい)な古典的神学者(こてんてき しんがくしゃ)が彼のビジョンを共有(きょうゆう)しているという事実(じじつ)です( "… is that Holzhauser’s vision is shared by a famous classical theologian, …" ).このことは,ホルツハウザーを単なる預言者(よげんしゃ)とか「幻影信奉者」(げんえい しんぽうしゃ)( "apparitionist" )と片(かた)づけるのを難(むずか)しくしています( "… making it more difficult to dismiss Holzhauser as a mere visionary or “apparitionist”. " ).
枢機卿(すうききょう)ルイ・ビィユー( "Cardinal Louis Billot" )(1846-1931)は古典的(こてんてき)な自著(じちょ)「キリストの教会(きょうかい)に関(かん)する論文(ろんぶん)」( "Treatise on the Church of Christ" )第1巻の終章(しゅうしょう)で,ホルツハウザーが説(と)いた教会史(きょうかい し)の主要(しゅよう)な7時代(ななじだい)とヨハネの黙示録第2,第3章を構成(こうせい)するアジアの7つ(ななつ)の教会に当(あ)てはめた7つ(ななつ)の文字(もじ)( "seven Letters to the seven churches of Asia" )との間(あいだ)の符節(ふせつ)( "correspondence" )についてかなり詳細(しょうさい)に説明(せつめい)しています( "It is in an Epilogue to the first volume of his classic Treatise on the Church of Christ that Cardinal Louis Billot (1846-1931) lays out in some detail the correspondence affirmed by Holzhauser between seven main periods of Church history and the seven Letters to the seven churches of Asia that make up Chapters II and III of the book of the Apocalypse." ).ビィユーの終章(しゅうしょう)はホルツハウザーに一切(いっさい)触(ふ)れていませんが,両者の間(りょうしゃの あいだ)に関連性(かんれん せい)がなかったと見(み)るのは難(むずか)しいでしょう( "Billot’s Epilogue never mentions Holzhauser, but it is difficult to imagine that there is no connection. " ).ビィユーはその符節(ふせつ)について,空想(くうそう)やひらめきからでなく,7つ(ななつ)の教会のギリシア名(ぎりしあ めい)から説き起(ときお)こしています( "However, Billot takes care to start out the correspondence not from any vision or inspiration, but from the Greek names of the seven churches." ).この名称(めいしょう)は教会発展の歴史(きょうかい はってんの れきし)を表(あらわ)すのにふさわしいものですが,そのことは見事(みごと)な偶然(ぐうぜん)というか,より的確(てきかく)には神意(しんい)のなせる業(わざ),すなわち神キリストの証(あか)しそのものです!( "The suitability of these names to the Church’s evolving history is either a remarkable coincidence, or more likely a trace of Providence at work – God, the Master of History ! " )
ビィユーは Ephesus (エフェゾ)( ヨハネの黙示録:第2章1-7節)はギリシア語で「出発」(しゅっぱつ)( "starting out" )を意味(いみ)すると言います( "Thus Billot says that Ephesus (Apoc. II, 1-7) signifies in Greek a “starting out”, …" ).これは,まさしく教会(きょうかい)の始(はじ)まりである「使徒の時代」(しとの じだい)(紀元33-70年)( "the Apostolic Age" )を的確(てきかく)に表(あらわ)しています( "… obviously suitable to the Apostolic Age (33-70 AD) with which the Church began." ).Smyrna (スミルナ)(ヨハネの黙示録:第2章8-11節)は第二の教会の名称(めいしょう)で,それは "myrrh" (訳注・「ミルラ」= 香水や香〈こうすいや こう〉を作〈つく〉るのに用(もち)いる樹脂〈じゅし〉)を意味し,教会第2の時代( "the Second Age" )(紀元70-313年)の情熱と苦難(じょうねつ と くなん),すなわち殉教の時代(じゅんきょうの じだい)に符節(ふせつ)します( "Smyrna (Apoc.II, 8-11) names the second church and means “myrrh”, corresponding to the passion and sufferings of the Church’s Second Age (70-313 AD), that of the Martyrs. " ). Pergamus (ペルガモ) (ヨハネの黙示録:第2章12-17節)は文学(ぶんがく)で有名(ゆうめい)な都市(とし)でした( "Pergamus (Apoc. II, 12-17) was a city famous for literature, …" ).したがって, "pergamum" は物を書き記す材料(ものを かきあらわす ざいりょう)を意味するようになり( "… so that “pergamum” came to mean material on which to write, …" ),教会第3の時代,つまり博士の時代(はかせ〈はくし〉の じだい)( "the Church's Third Age, that of the Doctors" )(紀元313-800年)に属(ぞく)する偉大な教会著述者の一団(いだいな ちょじゅつしゃ のいちだん)と符節します( "… corresponding to the cluster of great Church writers belonging to the Church’s Third Age, that of the Doctors (313-800)." ). Thyatira (ティアティラ) は次の時代の教会(つぎの じだいの きょうかい)( ヨハネの黙示録:第2章18-29節)の名称(めいしょう)で,「勝利の輝き」(しょうりの かがやき)( "splendour of triumph" )を意味します( "Thyatira names the next church (Apoc. II, 18-29), and means “splendour of triumph”, …" ).これはシャルルマーニュ大帝(たいてい)(742-814年)( "Charlemagne (742-814) " )からフランス革命(かくめい)(1789年)に至(いた)るまでのカトリック教会の1千年(いっせんねん)の勝利(しょうり)に符節します( "… corresponding to the 1,000-year triumph of the Catholic Church, reaching from Charlemagne (742-814) to the French Revolution (1789). " ).
この1千年(いっせんねん)はクロビス( "Clovis" )の改宗(かいしゅう)(496年)前後からプロテスタント主義(しゅぎ)の台頭(たいとう)(1517年)までと見(み)ることもできます( "These thousand years might also be reckoned from around the conversion of Clovis (496) to the outbreak of Protestantism (1517). " ).しかし,キリスト教世界(きりすと きょう せかい)の没落(ぼつらく)の始(はじ)まりを宗教改革(しゅうきょう かいかく)と見るかフランス革命(かくめい)と見(み)るか,ここでは触(ふ)れません( "But whether one marks the decline of Christendom from the Reformation or the Revolution, …" ).いずれにせよ,第5の教会( ヨハネの黙示録:第3章1-6節)の名称(めいしょう)である Sardis (サルデス)は,現代(げんだい)を特徴(とくちょう)づける金(かね),物質的繁栄(ぶっしつてき はんえい),精神的衰退(せいしんてき すいたい)を想起(そうき)させる大金持ち(おおがねもち)クロイソスが支配(しはい)した都(みやこ)でした( "… in any case Sardis, naming the fifth church (Apoc. III, 1-6), was the city of Croesus, a fabulously rich man, evoking an abundance of money, material prosperity and spiritual decadence, such as characterize modern times." ).確(たし)かに, Sardis の教会(きょうかい)に対(たい)する警告(けいこく)は私たち自身(じしん)の現代(げんだい)に完全(かんぜん)に符節(ふせつ)します.この点についてはビィユーに関(かん)する次回以降(じかい いこう)のエレイソン・コメンツで触(ふ)れることにします( "Indeed the warnings to the church of Sardis correspond perfectly to our own age today, as we shall see with Billot in further “Comments”. " ).
私たちは第6の教会,すなわち Philadelphia (フィラデルフィア)(ヨハネの黙示録:第3章7-13節)の教会以降(いこう),はっきりと将来(しょうらい)に足を踏み入れる(あしを ふみいれる)ことになります( "We move clearly into the future with the sixth church, that of Philadelphia (Apoc.III, 7-13), …" ).これは,「兄弟(きょうだい)」( " “brotherhood” (- adelphia) " ) への「愛(あい)」( " “love” (Phil-) " ) を意味します ( "… meaning “love” (Phil-) of “brotherhood” (- adelphia). " ). ビィユー枢機卿(すうききょう)はこの名称(めいしょう)を教会の最後の大勝利(きょうかいの さいごの だいしょうり)に符節させています( "Cardinal Billot has this name correspond to a last great triumph of the Church, …" ).それはとりわけ聖パウロが預言(よげん)したユダヤ人の改宗(かいしゅう)(新約聖書・ローマ人への手紙:第11章12節)によって,またユダヤ人の異邦人(いほうじん=非〈ひ〉ユダヤ人)( "the Gentiles" )との和解(わかい)により,キリストの下(もと)でようやく兄弟(きょうだい)となる( エフェゾ人への手紙:第2章14-16節)という預言によって,象徴(しょうちょう)されています( "… marked notably by the conversion of the Jews as prophesied by St Paul (Rom.XI, 12), and by their reconciliation with the Gentiles, brothers at last in Christ (Eph.II, 14-16). " ).
だが, Philadelphia の教会は苦難(くなん)がやがて到来(とうらい)すると警告(けいこく)を受(う)けます( ヨハネの黙示録:第3章10節)( "But the church of Philadelphia is warned that tribulation is coming (Apoc.III, 10), …" ).これは最後の第7教会,すなわち Laodicea (ラオディキア)( ヨハネの黙示録:第3章14-22節)の教会と符節(ふせつ)します( "… which corresponds to the seventh and last Age of the Church, that of Laodicea (Apoc. III, 14-22), …" ).この名称(めいしょう)は人々(ひとびと)( "the peoples (laon) " )の審判(しんぱん)( "judgment (dike) " )に由来(ゆらい)するものです( "… named from judgment (dike) of the peoples (laon). " ).これは教会にとって最後(さいご)でもっとも恐(おそ)ろしい試練の時代(しれんの じだい)となるでしょう( "It will be the Age of the last and most terrible trial of the Church, …" ).反キリスト教徒の迫害(はんきりすと きょうとの はくがい)( "… the persecution of the Antichrist, …" )に続(つづ)いて,生を受けた(せいを うけた)あらゆる霊魂(れいこん),すなわちすべての人々に対する最後の審判(さいごの しんぱん)( "General Judgment" )がくだされる時(とき)となるでしょう( "… followed by the General Judgment of all souls that will ever have lived, and so of all peoples. " ).
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
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ヨハネの黙示録
第1章
1 イエズス・キリストの啓示(けいじ).これはすみやかに起こるであろうことをそのしもべたちに示すために神が*キリストにまかせ,キリストはまたその天使を送ってしもベヨハネに告げられたものである.
2 ヨハネは自分の見たことをすべて神のみことばとして,*イエズス・キリストの証(あかし)として証言する.
3 この預言のことばを読み,それを聞いてここに記されたことを守る人は幸せである.*時は近づいているからである.
4 ヨハネより,*アジアにある七(なな)つの教会に.*今在(あ)り,かつて在り, 後に来られる者から,またその玉座(ぎょくざ)の前にいる七つの霊から,
5 また,忠実な証人(ちゅうじつな しょうにん),*死者の中から最初に生まれた者,地上の王の君(きみ)であるイエズス・キリストから,あなたたちに恩寵(おんちょう)と平和があるように.私たちを愛し,その御血(おんち)によって私たちを罪(つみ)から洗い清(あらいきよ)め,
6 その父なる神のために私たちを*司祭の王国の民(たみ)とされたお方に代々に光栄(こうえい)と権能(けんのう)あれ.アメン.
7 イエズスは雲に乗って下られる.すべての目はそれを見るであろう.彼を刺し貫(さしぬ)いた人々も見るであろう.*地上のすべての民は,そのために嘆(なげ)くであろう.そのとおりである.アメン.
8 今在(あ)り,かつて在り,後に来られる主なる全能の神は,「私は*アルファでありオメガである」と仰(おお)せられる.
9 あなたたちの兄弟として,イエズスとの一致(いっち)のうちに患難(かんなん)とみ国と忍耐(にんたい)をともにしている私ヨハネは,神のみことばとイエズスの証明のために*パトモスという島にいたが,
10 *主日(しゅじつ)に脱魂状態(だっこん じょうたい)になり,その後でらっぱのような犬声を聞いた.
11 その声は「おまえの幻(まぼろし)を書き記(かきしる)し,エフェゾ,スミルナ,ペルガモ,ティアティラ,サルデス,フィラデルフィア,ラオディキアにある七つの教会に送れ」と言った.
12 そう話した声の方を見ようとして後を振り返ると,七つの金の燭台(しょくだい)があった.
13 燭台の間に*人の子のような者が見えた.彼は長い服を着て,金の帯を胸にしめ,
14 頭と髪の毛は純白(じゅんぱく)の羊毛(ようもう)のように雪(ゆき)のように白(しろ)く,目は燃(も)える炎(ほのお)のようであった.
15 足は炉(ろ)で精練(せいれん)された尊(とうと)い青銅(せいどう)のようであり,声は大水の音のようであった.
16 右の手に七つの星をもち,口から*両刃(もろは)の鋭い剣(するどい けん)が出,顔は照(て)りわたる太陽のようであった.
17 *それを見たとき,私は死んだようにその足もとに倒(たお)れた.すると彼は右の手を私の上に置いて言われた,「恐れるな.*私は初(はじ)めであり終(お)わりであり,
18 生(い)きている者である.私はかつて死んだが,代々(よよ)限(かぎ)りなく生きる.私は死と黄泉(よみ)のかぎを持っている.
19 だから,おまえの見たこと,今あること,後に起こることを書き記(しる)せ.
20 私の右の手に見た七つの金の燭台(しょくだい)の奥義(おくぎ)は次のとおりである.七つの星は七つの*教会の天使であり,七つの燭台は七つの教会である.
(注釈)
前書き(1・1-8)
1 イエズスは天のことを啓示(けいじ)される者である(ヨハネ聖福音書 1:18,5:20,7:16 )
2 イエズス・キリストが証明された神のみことばのこと.
3 キリストの来臨(らいりん).
4 現在の小アジアの南西部.
* 脱出の書(出エジプト記)3:14 参照.
5 最初に復活(ふっかつ)した者.
6 すべての信徒は司祭と一致(いっち)し,神に賛美(さんび)の犠(いけにえ)を捧(ささ)げるからである.
7 黙示録では,「地上の民」とは神の愛を受け入れない人々である.
8 万物の初めと終わり.
幻(まぼろし)の始まり(1・9-20)
9 使徒としてここに監禁(かんきん)されていた.バトモスはエフェゾに近い島である.ローマ人はここを島流(しまなが)しの地としていた.
10 日曜日のこと.教会史上「主日(しゅじつ)」と記されたのは,これが初めてである.
13 ダニエル 7・13,10・6.キリストのこと.
15 不明なことばである.黄金(おうごん)と青銅(せいどう)の合金(ごうきん)であろうか.
16 神のみことばの鋭(するど)さを表(あらわ)す.
17 ダニエルの書 8・18,エゼキエルの書 2・1,イザヤの書 44・6 参照.
* イザヤ 44・6 は,ヤベについてこう言っている.キリストは神と等(ひと)しく,すべての権限をもっている.
20 各教会は一位(いちい)ずつの天使に守護(しゅご)されている.また天使は,ラテン教会の説によると,各教会のかしらのかたどりである.
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引き続き,ヨハネの黙示録・第2章,第3章を追加掲載いたします.
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2013年12月24日火曜日
335 リユ神父 II 12/14
エレイソン・コメンツ 第335回 (2013年12月14日)
10月6日パリで行われたリユ神父( "Fr Olivier Rioult" )のインタビュー(エレイソン・コメンツ第333回を参照)から,もう一つ別の問題について引用(いんよう)させていただきます( "Let me quote Fr Olivier Rioult from his October 6 interview in Paris (cf. EC 333) on another question, …" ).いまカトリック教抵抗運動(ていこう うんどう)の内部(ないぶ)でしきりに論争(ろんそう)の対象(たいしょう)となっている問題(もんだい) - すなわち組織(そしき)に関(かん)する問題です( "… much disputed within today's Catholic Resistance – the question of organization." ).リユ神父はインタビューで(以下〈いか〉の二つの質問〈しつもん〉について)どう考えるか問(と)われています.すなわち,世界的な組織(せかいてきな そしき)を新(あら)たに作(つく)るのが可能(かのう)と考(かんが)えるか( "… whether he thought it was possible to set up a new worldwide organization, …" ),それとも長年(ながねん)のあいだ教皇空位論者(きょうこう くうい ろんじゃ)たちを結(むす)びつけてきたような一種(いっしゅ)のゆるい自由(じゆう)な組織(そしき)の方が良いと考えるか( "… or would he rather opt for some kind of free association such as has grouped together sedevacantists for a number of years ? " ),を問われています( "Fr Rioult was asked whether he thought it was possible to set up a new worldwide organization, or would he rather opt for some kind of free association such as has grouped together sedevacantists for a number of years ? " ).以下は質問に対する彼の答えです.今回は彼自身かれ じしん)の言葉をそのまま引用します:-- ( "Here is his answer, this time in his very own words:-- " )
(引用はじまり)
「私は今後(こんご)数か月(すうかげつ)のあいだに,抵抗運動内(ていこう うんどう ない)のほかのカトリック信徒との友情(ゆうじょう)をベースにした幅広い組織(はばひろい そしき)を設立(せつりつ)するかもしれません( "In the months to come I may be setting up a broad kind of association based on friendship with other Catholics in the Resistance, …" ).その際,彼らが教皇空位論者(きょうこう くうい しゅぎ しゃ)であるかどうかは問(とい)ません( "… whether or not they are sedevacantists, …" ).私にとって,教皇空位論は一つの意見(いけん)にしかすぎません ( "… sedevacantism being for me an opinion." ).ただし,いまのところ,そのような組織を立ち上げるには機が熟(き が じゅく)していません( "But the situation is not ripe here and now for such an association." ).いずれにせよ,カトリック教徒なら誰でも私たちの仲間(なかま)です( "In any case whatever is Catholic is ours." ).カトリック教徒として振る舞い(ふるまい),教会内に君臨(くんりん)する近代主義(きんだいしゅぎ)に抵抗(ていこう)する人たちであれば,私たちは誰とでも共(とも)に行動(こうどう)します( "So any Catholics ready to operate as Catholics and to resist the modernism reigning supreme within the Church, we will work with." ).したがって,私の答えは同じ共通(きょうつう)の善(ぜん):すなわちカトリック教会の信仰(しんこう)と礼拝(れいはい),(訳注・全人類に普遍〈ふへん〉の唯一のカトリック教会の)信仰の擁護(ようご)を分かち合う(わかちあう)幅広い(はばひろい)組織(そしき)であればイエス "yes" です ( "Therefore yes, to a broad kind of association sharing the same common good: the Faith and worship of the Catholic Church, the defence of the Faith." ).この共通の善を持つなら私たちの周(まわ)りのあらゆるグループ同士(どうし)のあいだに友情(ゆうじょう)を作り出だせます( "Having this same common good can create friendship amongst all our groups." ).」
「私たちが終末の時(しゅうまつの とき)に近(ちか)づけば近づくほど,より多くのカトリック教徒は原理原則(げんり げんそく)でなく実践的(じっせん てき)に無政府主義者(むせいふ しゅぎしゃ)にならざるをえないだろうと私は考えます( " "I think that the closer we come to the end times, the more Catholics will have to be anarchists, not in principle but in practice." ).私が言いたいのは,カトリック教徒はあらゆる権力者(けんりょくしゃ)に逆(さか)らわざるをえないだろうということです( "By which I mean, they will have to be against all the powers that be, …" ).なぜなら,権力者は自然の秩序に反して行動するため,中和させ,弱らせ,倒さなければならないからです( "… because these will all have been neutralized, undermined or subverted, operating contrary to the natural order." ).だがら,カトリック教徒は教会(きょうかい),国家(こっか)を問(と)わずあらゆる権力者に抵抗(ていこう)せざるをえないでしょう( "Hence, in practice, Catholics will have to stand up to them all, in Church or State... " ).そうしなければ,カトリック教徒はフリーメーソンの影響(えいきょう)( "Masonic influence" )で歪(ゆが)められ,結局は現世の君主(げんせのくんしゅ)(=この世の君〈きみ〉"the Prince of this world" )に仕(つか)えることになるからです( "… because they will all be twisted out of shape, under Masonic influence... serving in any case the Prince of this world." )(訳注後記1).そういうわけで,私はより世界的な組織を作るのは極めて難しいと考えます( "So I think it will be very difficult to create any more worldwide structures." ).フランス人のドミニコ会司祭ロジェ・カルメル神父( "Fr Roger Calmel" )は物事(ものごと)について明確な考え(めいか くな かんがえ)を持った人物(もった じんぶつ)でした( "The French Dominican priest, Fr Roger Calmel, had a clear view of things." ).彼は1970年にすでに,組織内(そしきない)で自然(しぜん)に指導者の地位(しどうしゃの ちい)につく人たちは自らの職務(みずからの しょくむ)がその組織内で輝(かがや)くようにし( "As far back as 1970 he said that the natural leaders in any given place will have to make their ministry shine out in that one place, …" ),他(た)の組織の指導者たちと友情以上(ゆうじょう いじょう)の絆(きずな)で結(むす)びつきあわなければならないと述(の)べています( "… being tied by bonds of no more than friendship to the leaders in any other place." ) .」
「彼は1970年,フランスの定期刊行物(ていき かんこうぶつ)「Itineraires (イティネレール)〈旅程〈りょてい〉〉」誌(し) "Itineraires"(149号)で次のように書いています( " "In 1970, in the French periodical "Itineraires" (#149), he wrote: …" ).『信仰を守る戦いは,きっちりとした世界的な組織(せかいてきな そしき)に入ることを拒(こば)む小(ちい)さなグループでなされなければならない( " "The fight for the Faith will have to be fought by little groups refusing to enter into any structured or universal organizations." ).そのようなさまざまなグループ,たとえば小さな学校(がっこう)( "a small school" ),粗末(そまつ)な女子修道会(じょし しゅうどうかい)( "a humble convent" ),祈祷集会(きとう しゅうかい)( "a prayer group" ),キリスト教徒(きょうと)の家族たちの集会(しゅうかい)( "a gathering of Christian families" ),巡礼(じゅんれい)の準備(じゅんび)・手配(てはい)をする集会でも( "… or the organizing of a pilgrimage, …" ),その権威(けんい)が本物(ほんもの)であり,誰(だれ)からも受け入れ(うけいれ)られていれば十分(じゅうぶん)である( "… the authority is real and accepted by everybody... " )( "Within these various groups, such as a small school, a humble convent, a prayer group, a gathering of Christian families or the organizing of a pilgrimage, the authority is real and accepted by everybody... " )….必要(ひつよう)なことは,個々(ここ)のカトリック教徒が自らの恩寵(おんちょう)の限界(げんかい)まで到達(とうたつ)し( "each Catholic to reach as far as his grace" ),権威者(けんいしゃ)が自(みずか)ら確実(かくじつ)に率(ひき)いる小さな領域(ちいさな りょういき)に身を置き(みを おき)( "… and authority will carry him in the little sphere which is certainly his to lead" ),自分を強要(きょうよう)するような大きな行政組織(ぎょうせい そしき)を上に持たず(うえに もたず),自らの職務(みずからの しょくむ)を果たす(はたす)ことである( "and which he will take charge of without having over him any grand administrative structures to make him do so" )( "All that is needed is for each Catholic to reach as far as his grace and authority will carry him in the little sphere which is certainly his to lead, and which he will take charge of without having over him any grand administrative structures to make him do so'. " " ).』」
(引用終わり)
もし,カルメル神父が1970年当時(とうじ)の状況(じょうきょう)に照(て)らして上記(じょうき)のことを書(か)いたとすれば,彼はあまりにも先(さき)を見通(みとお)していたと言う人(いう ひと)がいるかもしれません( "If Fr. Calmel wrote that in 1970 for the circumstances of 1970, one might say either that he was seeing too far ahead, …" ).あるいは,人はルフェーブル大司教( "Archbishop Lefebvre" )が SSPX ( = "the Society of St Pius X" = 聖ピオ10世会)を創設(そうせつ)することにより,1970年にはまだ他にできることがあったことを実証(じっしょう)したと言うかもしれません( "… or that Archbishop Lefebvre proved by organizing the Society of St Pius X what could still be done in 1970. " ).だが,私はカルメル神父が長い目(ながい め)で見て正(ただ)しかったと考えます( "But I do think that Fr. Calmel was right in the long run." ). SSPX に昨年(さくねん)起(お)きたことを見て,人は同会が砂に埋もれる(すなに うもれる)宿命(しゅくめい)にあったと言うかもしれません( "One might say, watching what happened to the Society last year, that it was bound to run into the sand." ).ルフェーブル大司教は教皇聖ピオ10世と同じように,驚くばかりの(カトリック教)延命工作(えんめい こうさく)をなされました( "Archbishop Lefebvre, like Pope St Pius X, conducted a marvelous rearguard action, …" ).同教皇より70年遅れて誕生したルフェーブル大司教がなされたことは,その分だけ少ないということなどなかったと人々は注目しています( "… but one notes how much less the Archbishop could achieve, coming70 years later than the Pope, …" ).私たちは大司教から40年遅れての誕生です( "… and now we are 40 years on from the Archbishop." ).破滅(はめつ)に向かう世界にあって,カルメル神父の預言の実現(よげんの じつげん)をいつまでも遅(おく)らせることはできません( "In a world marching to its ruin the realization of Fr. Calmel’s prophecy could not be indefinitely delayed. " ). 親愛なる読者の皆さん,私たちが私たちの主 "Our Lord" と共にとどまることを望(のぞ)むなら,気を引き締めて(きを ひきしめて)奮い立つ(ふるいたつ)以外(いがい)に選択(せんたく)はありません( "Dear readers, if we wish to stay with Our Lord, we have no choice but to gird our loins." ).私はカルメル神父もリユ神父も共に正しいと考えます( "In my opinion, Fr Calmel and Fr Rioult are right." ).神の御母(かみの おんはは),キリストを信じる私たちすべての最大の御助け(さいだいの おんたすけ)となられる方よ( "Help of Christians" ),お助け下さい!( "Mother of God, Help of Christians, help !" )(訳注)
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第3パラグラフの訳注1
「この世の君〈きみ〉」 "the Prince of this world" について:
・サタン=悪魔〈あくま〉のこと.
・神(万物の創造主〈ばんぶつの そうぞうしゅ〉)に反逆〈はんぎゃく〉したサタン〈悪魔〉(被造物〈ひぞうぶつ〉)は,天から地(=現世)に落とされた.
・現世は堕落〈だらく〉した悪魔の支配下にある.
・悪魔は,唯一の真の創造主たる神の被造物たる全人類のうち,神を認めない人間の上に,現世における君主として君臨(くんりん)し,その支配(しはい)を及(およ)ぼしている.
・地上の人間が作り出したものはすべて,この世の君たるサタン(悪魔)の支配下にある.
・悪魔の代名詞は,「権力」「能力」「美」( Power )であり,これらにより悪魔は人間を惑(まど)わす.
* * *
第6パラグラフの訳注
「聖マリアの連禱(祷)(れんとう)」 "Litaniæ Laurentanæ Beatæ Mariæ Virginis" からの引用:
「キリスト信者の助け」
"Auxílium christianórum" (Latinæ)
"Help of Christians" (English)
"Secours des chrétiens" (Français)
→ 聖マリアの称号の一つ
聖マリアは
・主(キリスト)の御降誕ミサ聖祭(クリスマス= Christmas = Christ+mass )で
・最もお側(傍)近くに留まられ(もっとも おそば ちかくに とどまられ)
・キリストを信じる私たちの最大の御助け(さいだいの おんたすけ)となられる方( "Help of Christians" )
* * *
10月6日パリで行われたリユ神父( "Fr Olivier Rioult" )のインタビュー(エレイソン・コメンツ第333回を参照)から,もう一つ別の問題について引用(いんよう)させていただきます( "Let me quote Fr Olivier Rioult from his October 6 interview in Paris (cf. EC 333) on another question, …" ).いまカトリック教抵抗運動(ていこう うんどう)の内部(ないぶ)でしきりに論争(ろんそう)の対象(たいしょう)となっている問題(もんだい) - すなわち組織(そしき)に関(かん)する問題です( "… much disputed within today's Catholic Resistance – the question of organization." ).リユ神父はインタビューで(以下〈いか〉の二つの質問〈しつもん〉について)どう考えるか問(と)われています.すなわち,世界的な組織(せかいてきな そしき)を新(あら)たに作(つく)るのが可能(かのう)と考(かんが)えるか( "… whether he thought it was possible to set up a new worldwide organization, …" ),それとも長年(ながねん)のあいだ教皇空位論者(きょうこう くうい ろんじゃ)たちを結(むす)びつけてきたような一種(いっしゅ)のゆるい自由(じゆう)な組織(そしき)の方が良いと考えるか( "… or would he rather opt for some kind of free association such as has grouped together sedevacantists for a number of years ? " ),を問われています( "Fr Rioult was asked whether he thought it was possible to set up a new worldwide organization, or would he rather opt for some kind of free association such as has grouped together sedevacantists for a number of years ? " ).以下は質問に対する彼の答えです.今回は彼自身かれ じしん)の言葉をそのまま引用します:-- ( "Here is his answer, this time in his very own words:-- " )
(引用はじまり)
「私は今後(こんご)数か月(すうかげつ)のあいだに,抵抗運動内(ていこう うんどう ない)のほかのカトリック信徒との友情(ゆうじょう)をベースにした幅広い組織(はばひろい そしき)を設立(せつりつ)するかもしれません( "In the months to come I may be setting up a broad kind of association based on friendship with other Catholics in the Resistance, …" ).その際,彼らが教皇空位論者(きょうこう くうい しゅぎ しゃ)であるかどうかは問(とい)ません( "… whether or not they are sedevacantists, …" ).私にとって,教皇空位論は一つの意見(いけん)にしかすぎません ( "… sedevacantism being for me an opinion." ).ただし,いまのところ,そのような組織を立ち上げるには機が熟(き が じゅく)していません( "But the situation is not ripe here and now for such an association." ).いずれにせよ,カトリック教徒なら誰でも私たちの仲間(なかま)です( "In any case whatever is Catholic is ours." ).カトリック教徒として振る舞い(ふるまい),教会内に君臨(くんりん)する近代主義(きんだいしゅぎ)に抵抗(ていこう)する人たちであれば,私たちは誰とでも共(とも)に行動(こうどう)します( "So any Catholics ready to operate as Catholics and to resist the modernism reigning supreme within the Church, we will work with." ).したがって,私の答えは同じ共通(きょうつう)の善(ぜん):すなわちカトリック教会の信仰(しんこう)と礼拝(れいはい),(訳注・全人類に普遍〈ふへん〉の唯一のカトリック教会の)信仰の擁護(ようご)を分かち合う(わかちあう)幅広い(はばひろい)組織(そしき)であればイエス "yes" です ( "Therefore yes, to a broad kind of association sharing the same common good: the Faith and worship of the Catholic Church, the defence of the Faith." ).この共通の善を持つなら私たちの周(まわ)りのあらゆるグループ同士(どうし)のあいだに友情(ゆうじょう)を作り出だせます( "Having this same common good can create friendship amongst all our groups." ).」
「私たちが終末の時(しゅうまつの とき)に近(ちか)づけば近づくほど,より多くのカトリック教徒は原理原則(げんり げんそく)でなく実践的(じっせん てき)に無政府主義者(むせいふ しゅぎしゃ)にならざるをえないだろうと私は考えます( " "I think that the closer we come to the end times, the more Catholics will have to be anarchists, not in principle but in practice." ).私が言いたいのは,カトリック教徒はあらゆる権力者(けんりょくしゃ)に逆(さか)らわざるをえないだろうということです( "By which I mean, they will have to be against all the powers that be, …" ).なぜなら,権力者は自然の秩序に反して行動するため,中和させ,弱らせ,倒さなければならないからです( "… because these will all have been neutralized, undermined or subverted, operating contrary to the natural order." ).だがら,カトリック教徒は教会(きょうかい),国家(こっか)を問(と)わずあらゆる権力者に抵抗(ていこう)せざるをえないでしょう( "Hence, in practice, Catholics will have to stand up to them all, in Church or State... " ).そうしなければ,カトリック教徒はフリーメーソンの影響(えいきょう)( "Masonic influence" )で歪(ゆが)められ,結局は現世の君主(げんせのくんしゅ)(=この世の君〈きみ〉"the Prince of this world" )に仕(つか)えることになるからです( "… because they will all be twisted out of shape, under Masonic influence... serving in any case the Prince of this world." )(訳注後記1).そういうわけで,私はより世界的な組織を作るのは極めて難しいと考えます( "So I think it will be very difficult to create any more worldwide structures." ).フランス人のドミニコ会司祭ロジェ・カルメル神父( "Fr Roger Calmel" )は物事(ものごと)について明確な考え(めいか くな かんがえ)を持った人物(もった じんぶつ)でした( "The French Dominican priest, Fr Roger Calmel, had a clear view of things." ).彼は1970年にすでに,組織内(そしきない)で自然(しぜん)に指導者の地位(しどうしゃの ちい)につく人たちは自らの職務(みずからの しょくむ)がその組織内で輝(かがや)くようにし( "As far back as 1970 he said that the natural leaders in any given place will have to make their ministry shine out in that one place, …" ),他(た)の組織の指導者たちと友情以上(ゆうじょう いじょう)の絆(きずな)で結(むす)びつきあわなければならないと述(の)べています( "… being tied by bonds of no more than friendship to the leaders in any other place." ) .」
「彼は1970年,フランスの定期刊行物(ていき かんこうぶつ)「Itineraires (イティネレール)〈旅程〈りょてい〉〉」誌(し) "Itineraires"(149号)で次のように書いています( " "In 1970, in the French periodical "Itineraires" (#149), he wrote: …" ).『信仰を守る戦いは,きっちりとした世界的な組織(せかいてきな そしき)に入ることを拒(こば)む小(ちい)さなグループでなされなければならない( " "The fight for the Faith will have to be fought by little groups refusing to enter into any structured or universal organizations." ).そのようなさまざまなグループ,たとえば小さな学校(がっこう)( "a small school" ),粗末(そまつ)な女子修道会(じょし しゅうどうかい)( "a humble convent" ),祈祷集会(きとう しゅうかい)( "a prayer group" ),キリスト教徒(きょうと)の家族たちの集会(しゅうかい)( "a gathering of Christian families" ),巡礼(じゅんれい)の準備(じゅんび)・手配(てはい)をする集会でも( "… or the organizing of a pilgrimage, …" ),その権威(けんい)が本物(ほんもの)であり,誰(だれ)からも受け入れ(うけいれ)られていれば十分(じゅうぶん)である( "… the authority is real and accepted by everybody... " )( "Within these various groups, such as a small school, a humble convent, a prayer group, a gathering of Christian families or the organizing of a pilgrimage, the authority is real and accepted by everybody... " )….必要(ひつよう)なことは,個々(ここ)のカトリック教徒が自らの恩寵(おんちょう)の限界(げんかい)まで到達(とうたつ)し( "each Catholic to reach as far as his grace" ),権威者(けんいしゃ)が自(みずか)ら確実(かくじつ)に率(ひき)いる小さな領域(ちいさな りょういき)に身を置き(みを おき)( "… and authority will carry him in the little sphere which is certainly his to lead" ),自分を強要(きょうよう)するような大きな行政組織(ぎょうせい そしき)を上に持たず(うえに もたず),自らの職務(みずからの しょくむ)を果たす(はたす)ことである( "and which he will take charge of without having over him any grand administrative structures to make him do so" )( "All that is needed is for each Catholic to reach as far as his grace and authority will carry him in the little sphere which is certainly his to lead, and which he will take charge of without having over him any grand administrative structures to make him do so'. " " ).』」
(引用終わり)
もし,カルメル神父が1970年当時(とうじ)の状況(じょうきょう)に照(て)らして上記(じょうき)のことを書(か)いたとすれば,彼はあまりにも先(さき)を見通(みとお)していたと言う人(いう ひと)がいるかもしれません( "If Fr. Calmel wrote that in 1970 for the circumstances of 1970, one might say either that he was seeing too far ahead, …" ).あるいは,人はルフェーブル大司教( "Archbishop Lefebvre" )が SSPX ( = "the Society of St Pius X" = 聖ピオ10世会)を創設(そうせつ)することにより,1970年にはまだ他にできることがあったことを実証(じっしょう)したと言うかもしれません( "… or that Archbishop Lefebvre proved by organizing the Society of St Pius X what could still be done in 1970. " ).だが,私はカルメル神父が長い目(ながい め)で見て正(ただ)しかったと考えます( "But I do think that Fr. Calmel was right in the long run." ). SSPX に昨年(さくねん)起(お)きたことを見て,人は同会が砂に埋もれる(すなに うもれる)宿命(しゅくめい)にあったと言うかもしれません( "One might say, watching what happened to the Society last year, that it was bound to run into the sand." ).ルフェーブル大司教は教皇聖ピオ10世と同じように,驚くばかりの(カトリック教)延命工作(えんめい こうさく)をなされました( "Archbishop Lefebvre, like Pope St Pius X, conducted a marvelous rearguard action, …" ).同教皇より70年遅れて誕生したルフェーブル大司教がなされたことは,その分だけ少ないということなどなかったと人々は注目しています( "… but one notes how much less the Archbishop could achieve, coming70 years later than the Pope, …" ).私たちは大司教から40年遅れての誕生です( "… and now we are 40 years on from the Archbishop." ).破滅(はめつ)に向かう世界にあって,カルメル神父の預言の実現(よげんの じつげん)をいつまでも遅(おく)らせることはできません( "In a world marching to its ruin the realization of Fr. Calmel’s prophecy could not be indefinitely delayed. " ). 親愛なる読者の皆さん,私たちが私たちの主 "Our Lord" と共にとどまることを望(のぞ)むなら,気を引き締めて(きを ひきしめて)奮い立つ(ふるいたつ)以外(いがい)に選択(せんたく)はありません( "Dear readers, if we wish to stay with Our Lord, we have no choice but to gird our loins." ).私はカルメル神父もリユ神父も共に正しいと考えます( "In my opinion, Fr Calmel and Fr Rioult are right." ).神の御母(かみの おんはは),キリストを信じる私たちすべての最大の御助け(さいだいの おんたすけ)となられる方よ( "Help of Christians" ),お助け下さい!( "Mother of God, Help of Christians, help !" )(訳注)
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
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第3パラグラフの訳注1
「この世の君〈きみ〉」 "the Prince of this world" について:
・サタン=悪魔〈あくま〉のこと.
・神(万物の創造主〈ばんぶつの そうぞうしゅ〉)に反逆〈はんぎゃく〉したサタン〈悪魔〉(被造物〈ひぞうぶつ〉)は,天から地(=現世)に落とされた.
・現世は堕落〈だらく〉した悪魔の支配下にある.
・悪魔は,唯一の真の創造主たる神の被造物たる全人類のうち,神を認めない人間の上に,現世における君主として君臨(くんりん)し,その支配(しはい)を及(およ)ぼしている.
・地上の人間が作り出したものはすべて,この世の君たるサタン(悪魔)の支配下にある.
・悪魔の代名詞は,「権力」「能力」「美」( Power )であり,これらにより悪魔は人間を惑(まど)わす.
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第6パラグラフの訳注
「聖マリアの連禱(祷)(れんとう)」 "Litaniæ Laurentanæ Beatæ Mariæ Virginis" からの引用:
「キリスト信者の助け」
"Auxílium christianórum" (Latinæ)
"Help of Christians" (English)
"Secours des chrétiens" (Français)
→ 聖マリアの称号の一つ
聖マリアは
・主(キリスト)の御降誕ミサ聖祭(クリスマス= Christmas = Christ+mass )で
・最もお側(傍)近くに留まられ(もっとも おそば ちかくに とどまられ)
・キリストを信じる私たちの最大の御助け(さいだいの おんたすけ)となられる方( "Help of Christians" )
* * *
ラベル:
Itineraires,
カルメル神父,
キリスト信者の助けなる聖マリア,
フリーメーソン,
リユ神父,
ルフェーブル大司教,
神の御母聖マリア,
聖ピオ10世
2013年12月14日土曜日
334 大西洋にまたがる抵抗運動 12/7
エレイソン・コメンツ 第334回 (2013年12月7日)
私は晩秋(ばんしゅう)の旅行期間中(りょこう きかん ちゅう),カナダ,米国,メキシコのカトリック教抵抗運動(ていこう うんどう)の拠点(きょてん)を見てきましたが( "From a late autumn journey I made through centres of Catholic Resistance in Canada, the United States and Mexico, …" ),抵抗運動は参加者(さんかしゃ)の人数では弱(よわ)いものの信仰心(しんこうしん)では強く,間違(まちが)いなく将来(しょうらい)は有望(ゆうぼう)であるとの印象(いんしょう)を受(う)けました( "… it seems as though the Resistance may be weak in numbers but it is strong in the Faith, which means that it certainly has a future." ).信心深(しんじんぶか)い人々の物語(ものがたり)が再び(ふたたび)繰り返(くりかえ)されようとしています( "Once more the story of a faithful remnant is being repeated." ).神にとって価値(かち)あることは質(しつ)であり量(りょう)ではありません( "With God it is quality and not quantity that counts." ).
かつてカナダで最(もっと)もカトリック教が強い州(つよい しゅう)だったケベックは,第二バチカン公会議により大きな打撃(だげき)を受けました( "Québec, once the most Catholic province of Canada, was devastated by Vatican II, …" ).しかし,公会議後,聖ピオ十世会( "the Soceity of St Pius X" = SSPX )がモントリオールとケベック市近郊のレビ( "Levis" )に重要)じゅうよう)な伝統派(でんとうは)の拠点(きょてん)を設立(せつりつ)しました( "… but after the Council the Society of St Pius X built up important Traditional centres in Montreal and in Lévis, near the city of Québec." ).いまレビでは,信仰(しんこう)の厚(あつ)い人たちは SSPX 内部の新教会( "the Newchurch" )に向(む)かう危険(きけん)な変化(へんか)に気づいているため,伝統派が二つに分裂(ぶんれつ)しつつあります( "In Lévis now the Traditionalists are being divided, as souls strong in the Faith pick up on the Society’s dangerous change of course towards the Newchurch." ).伝統派の分裂は大いに恥(は)ずべきことですが( "The split amongst Traditionalists is a great shame, …" ),信仰が第一であり( "…but the Faith must come first, …" ),人々は抵抗運動に加わる恩寵(おんちょう)を授(さず)けられていると分(わ)かっています( "… as souls can see that are being given the grace to join the Resistance. " ).この分裂には新教会にはない将来があります( "It has the future that the Newchurch has not." ).
米国(べいこく)での抵抗運動にとって大(おお)いに興味(きょうみ)ある点(てん)はケンタッキー州(しゅう)でジョゼフ・ファイファー神父( "Fr Joseph Pfeiffer" )が進(すす)めている神学校計画(しんがっこう けいかく)です( "A major interest for the future of the Resistance in the USA is Fr Joseph Pfeiffer’s seminary initiative in Kentucky, …" ).私が11月に同州を訪れた時点(じてん)では,この計画で神学校が6校設立(せつりつ)されていました( "… which had six seminarians when I passed through in early November." ).私はファイファー神父が今日の常軌を逸した状況(こんにちの じょうきを いっした じょうきょう)に対処(たいしょ)するため,これまでとは違う形(ちがう かたち)の司祭養成(しさい ようせい)を考えている事実(じじつ)に感心(かんしん)しました( "I admire the fact that Fr Pfeiffer is envisaging a different kind of priestly formation for today’s insane circumstances." ).新世界秩序(しんせかい ちつじょ)( "the New World Order" )に真剣(しんけん)に反対する「反逆者(はんぎゃくしゃ)( "rebels" )」を受け入れる(うけいれる)インターン施設(しせつ)が全米各地(ぜんべ いかくち)に用意(ようい)されており( "Since internment camps have been prepared all over the USA for any “rebels” who will seriously oppose the New World Order, …" ),将来(しょうらい)の司祭たちに児童用(じどうよう)に書(か)かれた公教要理(こうきょう ようり)と聖書の歴史(せいしょの れきし)を心(こころ)で学(まな)ばせるというファイファー神父の考え方が私にはよく理解(りかい)できました( "… it makes sense to me to be thinking of making future priests learn by heart a catechism and a Bible history, as written for children ! " ).というのも,これまでの SSPX の古典的な神学校は果(は)たして抵抗運動の必要性(ひつようせい)を十分(じゅうぶん)に理解(りかい)できるほどの強い信仰心(つよい しんこうしん)を持った司祭を多(おお)く生み出(うみだ)してきた(have … produced)でしょうか?( "For have the Society’s classical seminaries produced many priests strong enough in the Faith to see the need for Resistance ? " )(訳注後記1). 第二バチカン公会議直後(ちょくご)と同じように,いまどれほど多くの「善良な」( "good" )司祭たちがただ単に皆で一緒に従っている(ただ たんに みなで いっしょに したがっている)だけ(の状態〈じょうたい〉)であることでしょう( "As after Vatican II, how many “good” priests are just following along." ).
私はテキサス州で,現在(げんざい) アメリカン・フリー・プレス ( "the American Free Press" )と名を変えた, スポットライト 新聞( "the Spotlight newspaper" )の下(もと)に結集(けっしゅう)し,自国を反愛国者(はん あいこくしゃ)たちから守(まも)ろうとしている,右派(うは)の愛国者たちの会合(かいごう)に出席(しゅっせき)し話をしました( "In Texas I addressed a meeting of right-wing patriots who have for many years rallied around the Spotlight newspaper, now the American Free Press, to defend their country from anti-patriots." ).彼らはすべてがカトリック教徒というわけではありませんが( "By no means all of them are Catholics, …" ),米国の政治(せいじ)に深刻な問題(しんこくな もんだい)があることを良く理解(よく りかい)しています( "… but they do grasp that there is a serious problem in their nation’s politics." ).いずれにせよ,彼らは私の主張論拠(しゅちょう ろんきょ)(=論点〈ろんてん〉)すなわち政治は宗教(しゅうきょう)もしくは宗教の欠如(しゅうきょうの けつじょ)から生まれた単(たん)なるスピルオーバー( "spill-over" )にすぎないという論拠,そして問題(もんだ+い)の唯一の解決(ゆいいつの かいけつ)はカトリック教に戻(もど)ることだという論拠を注意深(ちゅういぶか)く聴(き)いてくれました( "In any case they listened attentively to the argument that politics are merely a spill-over from religion, or from its lack, and that the only solution is a return to Catholicism." ).
メキシコ北部(ほくぶ)では,チリ "Chile" から来た元 SSPX司祭のレネ・トリンカード神父( "Fr René Trincado" )がいくつかの抵抗運動の教会を開き活況(かつきょう)を呈(てい)していました( "In northern Mexico a former SSPX priest from Chile, Fr René Trincado, is building up thriving Resistance chapels …" ).私はチワワとサルティリョ( "Chihuahua and Saltillo" )にある彼の教会を訪(たず)ねました( "… which I visited in Chihuahua and Saltillo, …" ).まもなくグアダラハラ( "Guadalajara" )にも抵抗運動の一大拠点(いちだい きょてん)ができるようです( "… and it looks as though another major Resistance centre will soon emerge in Guadalajara, …" ).ここは1920年代にクリステロ( "the Curisteros" )の有名なカトリック教徒反乱(はんらん)の中心地となった大都市です( "… a major city which was at the centre of the famous Catholic uprising of the Cristeros in the 1920’s." ).事実,抵抗運動は世界中(せかいじゅう)で組織化(そしきか)されずに自然発生(しぜんはっせい)しつつある伝統派カトリック教徒たちの反乱なのです( "In fact the Resistance is an unorganised and spontaneous uprising of Traditional Catholics all over the world." ). SSPX の上層部(じょうそうぶ)が押(お)しつけている主流派教会(しゅりゅうは きょうかい)への方向転換(ほうこう てんかん)に対し,彼らの信仰感覚(しんこう かんかく)(=本物〈ほんもの〉の信仰のセンス)( "sense of the Faith" )が本能的(ほんのうてき)に反応(はんのう)( "reacting instinctively" )しているのです( "Their sense of the Faith is reacting instinctively to the change of direction towards the mainstream Church being imposed from the top of the Society." ).新教会 "Newchurch" へ戻ろうとする結束(けっそく)は信仰の自殺( "suicide of the Faith" )のための結束です( "Unity in a return to that Newchurch is unity in suicide of the Faith." ).
私は最後(さいご)にメキシコ・シティーを訪(おとず)れました( "My last stop was Mexico City, …" ).1521年に起きたエルナン・コルテス( "Hernan Cortes" )の有名(ゆうめい)なメキシコ軍事征服(ぐんじ せいふく)の舞台(ぶたい)だったところです( "… scene of Hernan Cortes’ famous military conquest of Mexico in 1521. " ).これよりもっと有名なのが,聖母マリアがこの10年後,グアダルーペでの御出現( "apparitions in Guadalupe" )により同国を霊的〈れいてき〉)に征服(せいふく)された奇跡(きせき)です( "Even more deserving of fame is Our Lady’s miraculous spiritual conquest of the land by her apparitions in Guadalupe ten years later, …" ).聖母マリアはこれによりメキシコに真新(まあたら)しいカトリック教国家を創り出(つくりだ)されました( "… creating a brand-new Catholic country." ).今日に至(こんにちに いた)るまで,彼女ゆかりの聖地は毎年数百万人の巡礼者(じゅんれいしゃ)を惹(ひ)きつけています( "To this day her shrine attracts millions of pilgrims, …" ).そして,同じく信仰の本能(ほんのう)( "… the same instinct of the Faith" )がもうひとりの元 SSPX 司祭,ウーゴ・ルイス神父( "Fr Hugo Ruiz" )に,間違(まちが)いなく抵抗運動の重要拠点(きょてん)となる場所(ばしょ)を彼の祖国(そこく)メキシコの首都(しゅと)に設立(せつりつ)させようとしています( "… and it is the same instinct of the Faith that is enabling another former SSPX priest, Fr Hugo Ruiz, to begin building up what will surely become an important Resistance centre in his nation’s capital city. " ).
手短(てみじか)に言えば,世界は大混乱(だいこんらん)に陥(おちい)りつつあるかもしれませんし, SSPX 主流派はその没落(ぼつらく)を阻止(そし)する努力を諦(あきら)めているのかもしれませんが( "In brief, the world may be plunging into chaos and the mainstream SSPX may be giving up on the effort to resist that plunge, …" ),僅かに残った人々(わずかにのこったひとびと,=真の信仰 "the Faith" に留(とど)まっている僅かな人々)( "a remnant of souls" )は何が起(お)きつつあるのか実感(じっかん)しており( "… but a remnant of souls are realizing what is happening, …" ),彼らは信仰を失わない(しんこうを うしなわない)ようにしようと行動(こうどう)を起こしています( "… and they are taking action to preserve the Faith." ).信仰は地下(ちか)に潜(もぐ)らなければならないかもしれませんが,途絶(とだ)えることはありません( "It may have to go into hiding, but it will not die." ).
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第3パラグラフの訳注1:
(意訳と説明)
・SSPX の古典的な神学校における真の信仰心が弱体化(じゃくたいか)してきたところへ,
・第二バチカン公会議の影響(えいきょう)で,
・抵抗運動〈ていこう うんどう〉の意義(いぎ)
・必要性(ひつようせい)
・重要性(じゅうようせい)を十分に理解〈りかい〉しにくくなり,
・抵抗運動を将来〈しょうらい〉に引き継〈ひきつ〉いでいけるほどに強い信仰心を持った司祭たちを生み出しにくくなっている.
* * *
神の御言葉(新約聖書)からの引用(いんよう):
ローマ人への手紙:第8章13節
Epistle of Saint Paul the Apostle to the Romans VIII, 13
Épître de Saint Paul aux Romains VIII, 13
Epistola Beati Pauli Apostoli ad Romanos VIII, 13
『あなたたちが,肉に従って生きるなら死に定められており,霊によって体(からだ)の行いを殺すならあなたたちは生きる.』
"For if you live according to the flesh, you shall die: but if by the Spirit you mortify the deeds of the flesh, you shall live."
"Car si c’est selon la chair que vous vivez, vous mourrez ; mais si par l’esprit vous mortifiez les œuvres de la chair, vous vivez."
"Si enim secundum carnem vixeritis, moriemini : si autem spiritu facta carnis mortificaveritis, vivetis."
* * *
訳注を追補いたします.
・使徒聖パウロのローマ人への手紙:第8章
・使徒聖パウロのエフェゾ人への手紙:第6章
* * *
私は晩秋(ばんしゅう)の旅行期間中(りょこう きかん ちゅう),カナダ,米国,メキシコのカトリック教抵抗運動(ていこう うんどう)の拠点(きょてん)を見てきましたが( "From a late autumn journey I made through centres of Catholic Resistance in Canada, the United States and Mexico, …" ),抵抗運動は参加者(さんかしゃ)の人数では弱(よわ)いものの信仰心(しんこうしん)では強く,間違(まちが)いなく将来(しょうらい)は有望(ゆうぼう)であるとの印象(いんしょう)を受(う)けました( "… it seems as though the Resistance may be weak in numbers but it is strong in the Faith, which means that it certainly has a future." ).信心深(しんじんぶか)い人々の物語(ものがたり)が再び(ふたたび)繰り返(くりかえ)されようとしています( "Once more the story of a faithful remnant is being repeated." ).神にとって価値(かち)あることは質(しつ)であり量(りょう)ではありません( "With God it is quality and not quantity that counts." ).
かつてカナダで最(もっと)もカトリック教が強い州(つよい しゅう)だったケベックは,第二バチカン公会議により大きな打撃(だげき)を受けました( "Québec, once the most Catholic province of Canada, was devastated by Vatican II, …" ).しかし,公会議後,聖ピオ十世会( "the Soceity of St Pius X" = SSPX )がモントリオールとケベック市近郊のレビ( "Levis" )に重要)じゅうよう)な伝統派(でんとうは)の拠点(きょてん)を設立(せつりつ)しました( "… but after the Council the Society of St Pius X built up important Traditional centres in Montreal and in Lévis, near the city of Québec." ).いまレビでは,信仰(しんこう)の厚(あつ)い人たちは SSPX 内部の新教会( "the Newchurch" )に向(む)かう危険(きけん)な変化(へんか)に気づいているため,伝統派が二つに分裂(ぶんれつ)しつつあります( "In Lévis now the Traditionalists are being divided, as souls strong in the Faith pick up on the Society’s dangerous change of course towards the Newchurch." ).伝統派の分裂は大いに恥(は)ずべきことですが( "The split amongst Traditionalists is a great shame, …" ),信仰が第一であり( "…but the Faith must come first, …" ),人々は抵抗運動に加わる恩寵(おんちょう)を授(さず)けられていると分(わ)かっています( "… as souls can see that are being given the grace to join the Resistance. " ).この分裂には新教会にはない将来があります( "It has the future that the Newchurch has not." ).
米国(べいこく)での抵抗運動にとって大(おお)いに興味(きょうみ)ある点(てん)はケンタッキー州(しゅう)でジョゼフ・ファイファー神父( "Fr Joseph Pfeiffer" )が進(すす)めている神学校計画(しんがっこう けいかく)です( "A major interest for the future of the Resistance in the USA is Fr Joseph Pfeiffer’s seminary initiative in Kentucky, …" ).私が11月に同州を訪れた時点(じてん)では,この計画で神学校が6校設立(せつりつ)されていました( "… which had six seminarians when I passed through in early November." ).私はファイファー神父が今日の常軌を逸した状況(こんにちの じょうきを いっした じょうきょう)に対処(たいしょ)するため,これまでとは違う形(ちがう かたち)の司祭養成(しさい ようせい)を考えている事実(じじつ)に感心(かんしん)しました( "I admire the fact that Fr Pfeiffer is envisaging a different kind of priestly formation for today’s insane circumstances." ).新世界秩序(しんせかい ちつじょ)( "the New World Order" )に真剣(しんけん)に反対する「反逆者(はんぎゃくしゃ)( "rebels" )」を受け入れる(うけいれる)インターン施設(しせつ)が全米各地(ぜんべ いかくち)に用意(ようい)されており( "Since internment camps have been prepared all over the USA for any “rebels” who will seriously oppose the New World Order, …" ),将来(しょうらい)の司祭たちに児童用(じどうよう)に書(か)かれた公教要理(こうきょう ようり)と聖書の歴史(せいしょの れきし)を心(こころ)で学(まな)ばせるというファイファー神父の考え方が私にはよく理解(りかい)できました( "… it makes sense to me to be thinking of making future priests learn by heart a catechism and a Bible history, as written for children ! " ).というのも,これまでの SSPX の古典的な神学校は果(は)たして抵抗運動の必要性(ひつようせい)を十分(じゅうぶん)に理解(りかい)できるほどの強い信仰心(つよい しんこうしん)を持った司祭を多(おお)く生み出(うみだ)してきた(have … produced)でしょうか?( "For have the Society’s classical seminaries produced many priests strong enough in the Faith to see the need for Resistance ? " )(訳注後記1). 第二バチカン公会議直後(ちょくご)と同じように,いまどれほど多くの「善良な」( "good" )司祭たちがただ単に皆で一緒に従っている(ただ たんに みなで いっしょに したがっている)だけ(の状態〈じょうたい〉)であることでしょう( "As after Vatican II, how many “good” priests are just following along." ).
私はテキサス州で,現在(げんざい) アメリカン・フリー・プレス ( "the American Free Press" )と名を変えた, スポットライト 新聞( "the Spotlight newspaper" )の下(もと)に結集(けっしゅう)し,自国を反愛国者(はん あいこくしゃ)たちから守(まも)ろうとしている,右派(うは)の愛国者たちの会合(かいごう)に出席(しゅっせき)し話をしました( "In Texas I addressed a meeting of right-wing patriots who have for many years rallied around the Spotlight newspaper, now the American Free Press, to defend their country from anti-patriots." ).彼らはすべてがカトリック教徒というわけではありませんが( "By no means all of them are Catholics, …" ),米国の政治(せいじ)に深刻な問題(しんこくな もんだい)があることを良く理解(よく りかい)しています( "… but they do grasp that there is a serious problem in their nation’s politics." ).いずれにせよ,彼らは私の主張論拠(しゅちょう ろんきょ)(=論点〈ろんてん〉)すなわち政治は宗教(しゅうきょう)もしくは宗教の欠如(しゅうきょうの けつじょ)から生まれた単(たん)なるスピルオーバー( "spill-over" )にすぎないという論拠,そして問題(もんだ+い)の唯一の解決(ゆいいつの かいけつ)はカトリック教に戻(もど)ることだという論拠を注意深(ちゅういぶか)く聴(き)いてくれました( "In any case they listened attentively to the argument that politics are merely a spill-over from religion, or from its lack, and that the only solution is a return to Catholicism." ).
メキシコ北部(ほくぶ)では,チリ "Chile" から来た元 SSPX司祭のレネ・トリンカード神父( "Fr René Trincado" )がいくつかの抵抗運動の教会を開き活況(かつきょう)を呈(てい)していました( "In northern Mexico a former SSPX priest from Chile, Fr René Trincado, is building up thriving Resistance chapels …" ).私はチワワとサルティリョ( "Chihuahua and Saltillo" )にある彼の教会を訪(たず)ねました( "… which I visited in Chihuahua and Saltillo, …" ).まもなくグアダラハラ( "Guadalajara" )にも抵抗運動の一大拠点(いちだい きょてん)ができるようです( "… and it looks as though another major Resistance centre will soon emerge in Guadalajara, …" ).ここは1920年代にクリステロ( "the Curisteros" )の有名なカトリック教徒反乱(はんらん)の中心地となった大都市です( "… a major city which was at the centre of the famous Catholic uprising of the Cristeros in the 1920’s." ).事実,抵抗運動は世界中(せかいじゅう)で組織化(そしきか)されずに自然発生(しぜんはっせい)しつつある伝統派カトリック教徒たちの反乱なのです( "In fact the Resistance is an unorganised and spontaneous uprising of Traditional Catholics all over the world." ). SSPX の上層部(じょうそうぶ)が押(お)しつけている主流派教会(しゅりゅうは きょうかい)への方向転換(ほうこう てんかん)に対し,彼らの信仰感覚(しんこう かんかく)(=本物〈ほんもの〉の信仰のセンス)( "sense of the Faith" )が本能的(ほんのうてき)に反応(はんのう)( "reacting instinctively" )しているのです( "Their sense of the Faith is reacting instinctively to the change of direction towards the mainstream Church being imposed from the top of the Society." ).新教会 "Newchurch" へ戻ろうとする結束(けっそく)は信仰の自殺( "suicide of the Faith" )のための結束です( "Unity in a return to that Newchurch is unity in suicide of the Faith." ).
私は最後(さいご)にメキシコ・シティーを訪(おとず)れました( "My last stop was Mexico City, …" ).1521年に起きたエルナン・コルテス( "Hernan Cortes" )の有名(ゆうめい)なメキシコ軍事征服(ぐんじ せいふく)の舞台(ぶたい)だったところです( "… scene of Hernan Cortes’ famous military conquest of Mexico in 1521. " ).これよりもっと有名なのが,聖母マリアがこの10年後,グアダルーペでの御出現( "apparitions in Guadalupe" )により同国を霊的〈れいてき〉)に征服(せいふく)された奇跡(きせき)です( "Even more deserving of fame is Our Lady’s miraculous spiritual conquest of the land by her apparitions in Guadalupe ten years later, …" ).聖母マリアはこれによりメキシコに真新(まあたら)しいカトリック教国家を創り出(つくりだ)されました( "… creating a brand-new Catholic country." ).今日に至(こんにちに いた)るまで,彼女ゆかりの聖地は毎年数百万人の巡礼者(じゅんれいしゃ)を惹(ひ)きつけています( "To this day her shrine attracts millions of pilgrims, …" ).そして,同じく信仰の本能(ほんのう)( "… the same instinct of the Faith" )がもうひとりの元 SSPX 司祭,ウーゴ・ルイス神父( "Fr Hugo Ruiz" )に,間違(まちが)いなく抵抗運動の重要拠点(きょてん)となる場所(ばしょ)を彼の祖国(そこく)メキシコの首都(しゅと)に設立(せつりつ)させようとしています( "… and it is the same instinct of the Faith that is enabling another former SSPX priest, Fr Hugo Ruiz, to begin building up what will surely become an important Resistance centre in his nation’s capital city. " ).
手短(てみじか)に言えば,世界は大混乱(だいこんらん)に陥(おちい)りつつあるかもしれませんし, SSPX 主流派はその没落(ぼつらく)を阻止(そし)する努力を諦(あきら)めているのかもしれませんが( "In brief, the world may be plunging into chaos and the mainstream SSPX may be giving up on the effort to resist that plunge, …" ),僅かに残った人々(わずかにのこったひとびと,=真の信仰 "the Faith" に留(とど)まっている僅かな人々)( "a remnant of souls" )は何が起(お)きつつあるのか実感(じっかん)しており( "… but a remnant of souls are realizing what is happening, …" ),彼らは信仰を失わない(しんこうを うしなわない)ようにしようと行動(こうどう)を起こしています( "… and they are taking action to preserve the Faith." ).信仰は地下(ちか)に潜(もぐ)らなければならないかもしれませんが,途絶(とだ)えることはありません( "It may have to go into hiding, but it will not die." ).
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
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第3パラグラフの訳注1:
(意訳と説明)
・SSPX の古典的な神学校における真の信仰心が弱体化(じゃくたいか)してきたところへ,
・第二バチカン公会議の影響(えいきょう)で,
・抵抗運動〈ていこう うんどう〉の意義(いぎ)
・必要性(ひつようせい)
・重要性(じゅうようせい)を十分に理解〈りかい〉しにくくなり,
・抵抗運動を将来〈しょうらい〉に引き継〈ひきつ〉いでいけるほどに強い信仰心を持った司祭たちを生み出しにくくなっている.
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神の御言葉(新約聖書)からの引用(いんよう):
ローマ人への手紙:第8章13節
Epistle of Saint Paul the Apostle to the Romans VIII, 13
Épître de Saint Paul aux Romains VIII, 13
Epistola Beati Pauli Apostoli ad Romanos VIII, 13
『あなたたちが,肉に従って生きるなら死に定められており,霊によって体(からだ)の行いを殺すならあなたたちは生きる.』
"For if you live according to the flesh, you shall die: but if by the Spirit you mortify the deeds of the flesh, you shall live."
"Car si c’est selon la chair que vous vivez, vous mourrez ; mais si par l’esprit vous mortifiez les œuvres de la chair, vous vivez."
"Si enim secundum carnem vixeritis, moriemini : si autem spiritu facta carnis mortificaveritis, vivetis."
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訳注を追補いたします.
・使徒聖パウロのローマ人への手紙:第8章
・使徒聖パウロのエフェゾ人への手紙:第6章
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2013年11月30日土曜日
333 リユ神父 I 11/30
エレイソン・コメンツ 第333回 (2013年11月30日)
聖ピオ十世会( "the Soceity of St Pius X" = SSPX )の指導者たちがカトリック教理への理解(りかい)を失(うしな)い,その後(ご)ルフェーブル大司教 ( "Archbishop Lefebvre" )の労力(ろうりょく)を裏切(うらぎ)ったことが昨年3月以降(さくねん さんがつ いこう)はっきりしたというのに,同会の司祭たちの間(あいだ)で反乱(はんらん)が起(お)きなかったのはなぜでしょうか?( "Why was there not an uprising amongst priests of the Society of St Pius X when their leaders' loss of grip on Catholic doctrine and subsequent betrayal of Archbishop Lefebvre's work became absolutely clear from March of last year onwards ? " )フランスでの「抵抗運動(ていこう うんどう)」の先駆者であるオリビエ・リユ神父( "Fr. Olivier Rioult" )が先月(せんげつ)のインタビューで,この疑問(ぎもん)に対(たい)する適切(てきせつ)な答(こた)えをいくつか示(しめ)しました.このインタビューは pelagiusasturiensis.wordpress.com. からフランス語でアクセスできます.( "Fr. Olivier Rioult, trail-blazer of the "Resistance" in France, gave several good reasons last month in an interview accessible in French on pelagiusasturiensis.wordpress.com. " ).以下の要約(ようやく)は私がインタビュー原文から翻案(ほんあん)したものです:-- ( "The following summary is freely adapted from the original text:-- " )
(要約)
根本的(こんぽんてき)には原罪(げんざい)( "original sin" )です( "Basically, original sin: " ) : 1970年代,80年代の最初の伝統復帰運動(でんとう ふっき うんどう)が信仰(しんこう)の本質的要素(ほんしつてき ようそ)の存続(そんぞく)を保証(ほしょう)するのに成功(せいこう)したとたん( "Once the original fight for Tradition in the 1970's and '80's had succeeded in guaranteeing the survival of the essentials of the Faith, …" ),伝統主義者(でんとうしゅぎしゃ)たちは自分たちの果(は)たした栄光(えいこう)に胡坐(あぐら)をかき,居心地(いごこち)の良い居留地(きょりゅうち)( "enclaves" )での生活(せいかつ)を楽(たの)しむようになりました( "…Traditionalists sat back on their laurels to enjoy their cosy enclaves, …" ).そして彼らは快適(かいてき)な日常業務(にちじょう ぎょうむ)にすっかり定着(ていちゃく)してしまい( "…and they settled into a comfortable routine …" ),いまではそれを失(うしな)いたくないようです( "…which they are now reluctant to lose. " ).彼らは(カトリック)信仰 ( "the Faith" ) のために戦(たたか)う精神(せいしん)を失(うしな)っています( "They have lost the spirit of fighting for the Faith." ).
第2は,その原罪の典型的な姿(てんけいてきな すがた)といえる自由主義(じゆうしゅぎ)( "liberalism" )です( "Secondly, that particular form of original sin which is liberalism: " ) : 過去10年間, SSPX 指導者たちは自由主義,誤(あやま)り,うぬぼれに対する戦(たたか)いを弱(よわ)めようと率先(そっせん)してきました( "Over the last ten years Society leaders have given the lead in weakening the fight against liberalism, error and immodesty." ).だが,流(なが)れに逆(さか)らうのを止(や)めるのは下流(かりゅう)に流されるということです( "But to cease swimming against the current is to drift backwards, …" ).そして多数(たすう)の SSPX の司祭たちは - 決してすべてではありませんが - 自(みずか)らの信念(しんねん)や説教(せっきょう)する能力(のうりょく)を弱(よわ)めてしまいました( "… and a number of SSPX priests -- by no means all -- have grown weaker in their convictions and their preaching." ).
第3は行動主義( "activism" )です( "Thirdly, activism: " ): 一部の同僚(どうりょう)たちは司祭としての職務(しょくむ)に忙(いそが)しく駆(か)けずりまわるようになり( "some colleagues can also let themselves be run off their feet by their priestly tasks, …" ),本を読み勉強(ほんをよみ べんきょう)しようとする時間(じかん)も意欲(いよく)もなくしています( "…leaving themselves no time or inclination to read or study." ).彼らは単(たん)なる管理者(かんりしゃ)や伝達者(でんたつしゃ)になってしまい( "Turning into mere administrators and communicators, …" ),信念や説教の能力を低下させています( "…they weaken their convictions and preaching." ).
第4はフェレー司教の策略(さくりゃく)です( "Fourthly, Bishop Fellay's trickery: " ): これまで何年ものあいだ,彼の訳(わけ)のわからない言葉が,先見の明(せんけんのめい)があるのに自分の言うことを聞いてもらえない少数(しょうすう)の人たち以外(いがい)のすべての人々を欺(あざむ)いてきました( "for years his double-talk deceived everybody except a small minority of clear-sighted souls who could absolutely not get a hearing." ).あの3月の「 "Cor Unum" 」(訳注・ラテン語で「ひとつの心〈こころ〉」の意)( "the March "Cor Unum" " )と3人の司教たち(の質問状〈しつもんじょう〉)に対(たい)して彼が返(かえ)した4月14日付け返書(へんしょ)で彼の化けの皮(ばけのかわ)が剥(は)がれたばかりです( "Only last year did his mask come off with the March "Cor Unum" and with his reply of April 14 to the three bishops." ).それまで彼は(カトリック教)伝統主義者の大半(たいはん)を眠(ねむ)らせたままにしてきました(彼はいままた同じことをしようとしています)( "The great majority of Traditionalists he had put to sleep (as he is now doing again)." ).
第5は未知(みち)のものへの恐怖(きょうふ)です( "Fifthly, fear of the unknown: " ): あなたの周(まわ)りの世界全体(せかい ぜんたい)が気が狂(きがくる)ったように変(か)わる中で( "when the whole world around you is going mad, …" ),正気の居留地(しょうきの きょりゅうち)( "an enclave of sanity" )を見つけたとたん( "…and you find an enclave of sanity, …" ),その居留地(きょりゅうち)も同(おな)じように狂(くる)いだしたとしたら( "…and then that enclave also begins to go mad, …" ),現実(げんじつ)に直面(ちょくめん)し幻想(げんそう)に走(はし)らないためには並外(なみはず)れた強い性格(つよい せいかく)が求(もと)められます( "…it requires unusual strength of character to face up to the reality and not prefer some illusion or other, …" ).しかも,幻想はいたるところに溢(あふ)れています( "… and of illusions there are plenty ! " ) ! こうなると,多くの司祭たちは死ぬ思い(しぬ おもい)をするような決断(けつだん)( "crucifying decisions" )を求(もと)められるドラマを生き抜(いきぬ)いているのだと気づく(きづく)のですが( "Thus many priests realize that they are living through a drama calling for some crucifying decisions, …" ),彼らは未知(みち)のものに飛び込(とびこ)んで行(ゆ)く勇気(ゆうき)を欠(か)いています( "… but they lack the necessary fortitude to launch into the unknown." ).
そして,最後(さいご)だが軽視(けいし)できないことは,お粗末(おそまつ)な指導者( "bad leaders" )です( "And last but not least, bad leaders: " ): もちろん,教会主流派内部(きょうかい しゅりゅうは ないぶ)( "within the mainstream Church" )と同じように SSPX 内部にもリベラル派(は)は常(つね)に存在(そんざい)してきました( "… of course there have always been liberals within the SSPX as within the mainstream Church, …" ).指導者(しどうしゃ)たちがしっかりしてさえいれば( "… but for as long as the leaders hold firm, …" ),そういう連中(れんちゅう)を抑え込(おさえこ)むのは可能(かのう)です( "… these can be held in check." ).だが,教会主流派の中でも(教皇)ヨハネ23世( "John XXIII" )や(教皇)パウロ6世( "Paul VI" )がリベラリズム(=自由主義〈じゆうしゅぎ〉)を支持(しじ)したため( "However, when in the mainstream Church John XXIII and Paul VI favoured their liberalism, …" ),それによる結果(けっか)は津波(つなみ)のように広(ひろ)がりました( "… the result was a tidal wave, …" ).いまや, SSPX 指導者たちはリベラル派に転向(てんこう)しているわけですから( "… and now that SSPX leaders have turned liberal, …" ),同会内にはリベラリズムが急速(きゅうそく)に広(ひろ)がっています( "… liberalism is sweeping through the Society …" ).このようなことは賢明(けんめい)な指導者,真(まこと・しん)の指導者の下(もと)では決(けっ)して起きなかったでしょう( "… as it would never have done under good leaders, true leaders." ).
(要約終わり)
リユ神父が挙げた理由(あげた りゆう)はすべて当(あ)たっています( "These reasons given by Fr Rioult are all true, …" ).だが,そのいずれも「世界に対する(せかいに たいする)私たちの勝利(わたしたちの しょうり)」(〈新約聖書〉使徒聖ヨハネの第一の手紙5章4節〈 "I Jn. V, 4" 〉)(訳注後記1)という信仰以上に強い(しんこう いじょうに つよい)ものではありません( "… but none of them are stronger than that Faith which is "our victory over the world" (I Jn.V, 4). " ).まさに,理由のすべては司祭たち自身の強い信仰の欠如(けつじょ)に帰(き)すると言えるでしょう( "Indeed one might say that all the reasons come down to the lack of a strong enough Faith on the part of the priests, …" ).なぜなら,彼らは現世の人々(げんせの ひとびと)すべての真実(しんじつ)に対する掌握(どうあく)が緩(ゆる)んでしまった世界(せかい)に生(い)きているからです( "… because they are living in a world in which the grip on Truth of every soul alive has been loosened, …" ).真実(しんじつ)が真実でないとすれば,どうして信仰が真実のものになりうるでしょうか?( "… and if Truth is not true, how can Faith be true ? " )
では,今日(こんにち)の気違(きちが)いじみた状況下(じょうきょうか)で私たちは真実を理解する能力を高める(しんじつを りかいする のうりょくを たかめる)ことがどうしても必要(ひつよう)ですが,その最も簡単な方法(もっとも かんたんな ほうほう)は何(なん)でしょうか?( "Then what is the simplest way to strengthen one's grip on Truth, as we absolutely need to do in today’s crazy circumstances ? " ) 私の意見(わたしの いけん)では:-- ( "In my opinion:-- " )
「目を覚まして祈れ,目を覚まして祈れ,
ロザリオの15玄義を日々(ひび)」
( "Watch and pray, watch and pray,
Fiftheen Mysteries evey day" ) (訳注後記2)
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第8パラグラフの訳注1
「世界に対する私たちの勝利」について:
新約聖書・使徒聖ヨハネの第一の手紙:第5章4節
EPISTOLA BEATI IOANNIS APOSTOLI PRIMA V, 4
THE FIRST EPISTLE OF ST. JOHN THE APOSTLE V, 4
PREMIÈRE ÉPÎTRE DE SAINT JEAN V, 4 Foi victorieuse du monde.
『神から生まれた者は世に勝つ.世に勝つ勝利はすなわち私たちの信仰である.』
"Quoniam omne quod natum est ex Deo, vincit mundum : et hæc est victoria, quæ vincit mundum, fides nostra."
"For whatsoever is born of God, overcometh the world: and this is the victory which overcometh the world, our faith."
"Parce que tous ceux qui sont nés de Dieu triomphent du monde ; et la victoire qui triomphe du monde, c’est notre foi."
* * *
第10パラグラフの訳注2
「目を覚まして祈れ」について:
(めを さまして いのれ)=警戒〈けいかい〉して祈れ
* * *
「ロザリオの15玄義」について:
「公教会祈祷文(こうきょうかい きとうぶん)」より抜粋(ばっすい).
「ロザリオの祈(いのり)」
ロザリオの祈りは救世主(きゅうせいしゅ)と聖マリアの主な喜(よろこ)び,苦(くる)しみ,栄(さか)えの玄義(げんぎ)を黙想(もくそう)しながら天使祝詞(てんししゅくし)百五十回を唱(とな)える祈りである.
天使祝詞十回が一連(いちれん)で,五連が一環(いっかん)となり三環で終(おわ)る.一連毎(ごと)に一玄義を黙想するからロザリオの十五玄義(じゅうご げんぎ)といわれる.
… 一般に各連(かくれん)の唱え方は黙想する玄義を始(はじ)めに唱え,大珠(だいじゅ)では主祷文(しゅとうぶん),小珠(しょうしゅ)では天使祝詞各一回宛(かく いっかい ずつ)を唱え,終りに栄唱(えいしょう)を唱える.
* * *
聖ピオ十世会( "the Soceity of St Pius X" = SSPX )の指導者たちがカトリック教理への理解(りかい)を失(うしな)い,その後(ご)ルフェーブル大司教 ( "Archbishop Lefebvre" )の労力(ろうりょく)を裏切(うらぎ)ったことが昨年3月以降(さくねん さんがつ いこう)はっきりしたというのに,同会の司祭たちの間(あいだ)で反乱(はんらん)が起(お)きなかったのはなぜでしょうか?( "Why was there not an uprising amongst priests of the Society of St Pius X when their leaders' loss of grip on Catholic doctrine and subsequent betrayal of Archbishop Lefebvre's work became absolutely clear from March of last year onwards ? " )フランスでの「抵抗運動(ていこう うんどう)」の先駆者であるオリビエ・リユ神父( "Fr. Olivier Rioult" )が先月(せんげつ)のインタビューで,この疑問(ぎもん)に対(たい)する適切(てきせつ)な答(こた)えをいくつか示(しめ)しました.このインタビューは pelagiusasturiensis.wordpress.com. からフランス語でアクセスできます.( "Fr. Olivier Rioult, trail-blazer of the "Resistance" in France, gave several good reasons last month in an interview accessible in French on pelagiusasturiensis.wordpress.com. " ).以下の要約(ようやく)は私がインタビュー原文から翻案(ほんあん)したものです:-- ( "The following summary is freely adapted from the original text:-- " )
(要約)
根本的(こんぽんてき)には原罪(げんざい)( "original sin" )です( "Basically, original sin: " ) : 1970年代,80年代の最初の伝統復帰運動(でんとう ふっき うんどう)が信仰(しんこう)の本質的要素(ほんしつてき ようそ)の存続(そんぞく)を保証(ほしょう)するのに成功(せいこう)したとたん( "Once the original fight for Tradition in the 1970's and '80's had succeeded in guaranteeing the survival of the essentials of the Faith, …" ),伝統主義者(でんとうしゅぎしゃ)たちは自分たちの果(は)たした栄光(えいこう)に胡坐(あぐら)をかき,居心地(いごこち)の良い居留地(きょりゅうち)( "enclaves" )での生活(せいかつ)を楽(たの)しむようになりました( "…Traditionalists sat back on their laurels to enjoy their cosy enclaves, …" ).そして彼らは快適(かいてき)な日常業務(にちじょう ぎょうむ)にすっかり定着(ていちゃく)してしまい( "…and they settled into a comfortable routine …" ),いまではそれを失(うしな)いたくないようです( "…which they are now reluctant to lose. " ).彼らは(カトリック)信仰 ( "the Faith" ) のために戦(たたか)う精神(せいしん)を失(うしな)っています( "They have lost the spirit of fighting for the Faith." ).
第2は,その原罪の典型的な姿(てんけいてきな すがた)といえる自由主義(じゆうしゅぎ)( "liberalism" )です( "Secondly, that particular form of original sin which is liberalism: " ) : 過去10年間, SSPX 指導者たちは自由主義,誤(あやま)り,うぬぼれに対する戦(たたか)いを弱(よわ)めようと率先(そっせん)してきました( "Over the last ten years Society leaders have given the lead in weakening the fight against liberalism, error and immodesty." ).だが,流(なが)れに逆(さか)らうのを止(や)めるのは下流(かりゅう)に流されるということです( "But to cease swimming against the current is to drift backwards, …" ).そして多数(たすう)の SSPX の司祭たちは - 決してすべてではありませんが - 自(みずか)らの信念(しんねん)や説教(せっきょう)する能力(のうりょく)を弱(よわ)めてしまいました( "… and a number of SSPX priests -- by no means all -- have grown weaker in their convictions and their preaching." ).
第3は行動主義( "activism" )です( "Thirdly, activism: " ): 一部の同僚(どうりょう)たちは司祭としての職務(しょくむ)に忙(いそが)しく駆(か)けずりまわるようになり( "some colleagues can also let themselves be run off their feet by their priestly tasks, …" ),本を読み勉強(ほんをよみ べんきょう)しようとする時間(じかん)も意欲(いよく)もなくしています( "…leaving themselves no time or inclination to read or study." ).彼らは単(たん)なる管理者(かんりしゃ)や伝達者(でんたつしゃ)になってしまい( "Turning into mere administrators and communicators, …" ),信念や説教の能力を低下させています( "…they weaken their convictions and preaching." ).
第4はフェレー司教の策略(さくりゃく)です( "Fourthly, Bishop Fellay's trickery: " ): これまで何年ものあいだ,彼の訳(わけ)のわからない言葉が,先見の明(せんけんのめい)があるのに自分の言うことを聞いてもらえない少数(しょうすう)の人たち以外(いがい)のすべての人々を欺(あざむ)いてきました( "for years his double-talk deceived everybody except a small minority of clear-sighted souls who could absolutely not get a hearing." ).あの3月の「 "Cor Unum" 」(訳注・ラテン語で「ひとつの心〈こころ〉」の意)( "the March "Cor Unum" " )と3人の司教たち(の質問状〈しつもんじょう〉)に対(たい)して彼が返(かえ)した4月14日付け返書(へんしょ)で彼の化けの皮(ばけのかわ)が剥(は)がれたばかりです( "Only last year did his mask come off with the March "Cor Unum" and with his reply of April 14 to the three bishops." ).それまで彼は(カトリック教)伝統主義者の大半(たいはん)を眠(ねむ)らせたままにしてきました(彼はいままた同じことをしようとしています)( "The great majority of Traditionalists he had put to sleep (as he is now doing again)." ).
第5は未知(みち)のものへの恐怖(きょうふ)です( "Fifthly, fear of the unknown: " ): あなたの周(まわ)りの世界全体(せかい ぜんたい)が気が狂(きがくる)ったように変(か)わる中で( "when the whole world around you is going mad, …" ),正気の居留地(しょうきの きょりゅうち)( "an enclave of sanity" )を見つけたとたん( "…and you find an enclave of sanity, …" ),その居留地(きょりゅうち)も同(おな)じように狂(くる)いだしたとしたら( "…and then that enclave also begins to go mad, …" ),現実(げんじつ)に直面(ちょくめん)し幻想(げんそう)に走(はし)らないためには並外(なみはず)れた強い性格(つよい せいかく)が求(もと)められます( "…it requires unusual strength of character to face up to the reality and not prefer some illusion or other, …" ).しかも,幻想はいたるところに溢(あふ)れています( "… and of illusions there are plenty ! " ) ! こうなると,多くの司祭たちは死ぬ思い(しぬ おもい)をするような決断(けつだん)( "crucifying decisions" )を求(もと)められるドラマを生き抜(いきぬ)いているのだと気づく(きづく)のですが( "Thus many priests realize that they are living through a drama calling for some crucifying decisions, …" ),彼らは未知(みち)のものに飛び込(とびこ)んで行(ゆ)く勇気(ゆうき)を欠(か)いています( "… but they lack the necessary fortitude to launch into the unknown." ).
そして,最後(さいご)だが軽視(けいし)できないことは,お粗末(おそまつ)な指導者( "bad leaders" )です( "And last but not least, bad leaders: " ): もちろん,教会主流派内部(きょうかい しゅりゅうは ないぶ)( "within the mainstream Church" )と同じように SSPX 内部にもリベラル派(は)は常(つね)に存在(そんざい)してきました( "… of course there have always been liberals within the SSPX as within the mainstream Church, …" ).指導者(しどうしゃ)たちがしっかりしてさえいれば( "… but for as long as the leaders hold firm, …" ),そういう連中(れんちゅう)を抑え込(おさえこ)むのは可能(かのう)です( "… these can be held in check." ).だが,教会主流派の中でも(教皇)ヨハネ23世( "John XXIII" )や(教皇)パウロ6世( "Paul VI" )がリベラリズム(=自由主義〈じゆうしゅぎ〉)を支持(しじ)したため( "However, when in the mainstream Church John XXIII and Paul VI favoured their liberalism, …" ),それによる結果(けっか)は津波(つなみ)のように広(ひろ)がりました( "… the result was a tidal wave, …" ).いまや, SSPX 指導者たちはリベラル派に転向(てんこう)しているわけですから( "… and now that SSPX leaders have turned liberal, …" ),同会内にはリベラリズムが急速(きゅうそく)に広(ひろ)がっています( "… liberalism is sweeping through the Society …" ).このようなことは賢明(けんめい)な指導者,真(まこと・しん)の指導者の下(もと)では決(けっ)して起きなかったでしょう( "… as it would never have done under good leaders, true leaders." ).
(要約終わり)
リユ神父が挙げた理由(あげた りゆう)はすべて当(あ)たっています( "These reasons given by Fr Rioult are all true, …" ).だが,そのいずれも「世界に対する(せかいに たいする)私たちの勝利(わたしたちの しょうり)」(〈新約聖書〉使徒聖ヨハネの第一の手紙5章4節〈 "I Jn. V, 4" 〉)(訳注後記1)という信仰以上に強い(しんこう いじょうに つよい)ものではありません( "… but none of them are stronger than that Faith which is "our victory over the world" (I Jn.V, 4). " ).まさに,理由のすべては司祭たち自身の強い信仰の欠如(けつじょ)に帰(き)すると言えるでしょう( "Indeed one might say that all the reasons come down to the lack of a strong enough Faith on the part of the priests, …" ).なぜなら,彼らは現世の人々(げんせの ひとびと)すべての真実(しんじつ)に対する掌握(どうあく)が緩(ゆる)んでしまった世界(せかい)に生(い)きているからです( "… because they are living in a world in which the grip on Truth of every soul alive has been loosened, …" ).真実(しんじつ)が真実でないとすれば,どうして信仰が真実のものになりうるでしょうか?( "… and if Truth is not true, how can Faith be true ? " )
では,今日(こんにち)の気違(きちが)いじみた状況下(じょうきょうか)で私たちは真実を理解する能力を高める(しんじつを りかいする のうりょくを たかめる)ことがどうしても必要(ひつよう)ですが,その最も簡単な方法(もっとも かんたんな ほうほう)は何(なん)でしょうか?( "Then what is the simplest way to strengthen one's grip on Truth, as we absolutely need to do in today’s crazy circumstances ? " ) 私の意見(わたしの いけん)では:-- ( "In my opinion:-- " )
「目を覚まして祈れ,目を覚まして祈れ,
ロザリオの15玄義を日々(ひび)」
( "Watch and pray, watch and pray,
Fiftheen Mysteries evey day" ) (訳注後記2)
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
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第8パラグラフの訳注1
「世界に対する私たちの勝利」について:
新約聖書・使徒聖ヨハネの第一の手紙:第5章4節
EPISTOLA BEATI IOANNIS APOSTOLI PRIMA V, 4
THE FIRST EPISTLE OF ST. JOHN THE APOSTLE V, 4
PREMIÈRE ÉPÎTRE DE SAINT JEAN V, 4 Foi victorieuse du monde.
『神から生まれた者は世に勝つ.世に勝つ勝利はすなわち私たちの信仰である.』
"Quoniam omne quod natum est ex Deo, vincit mundum : et hæc est victoria, quæ vincit mundum, fides nostra."
"For whatsoever is born of God, overcometh the world: and this is the victory which overcometh the world, our faith."
"Parce que tous ceux qui sont nés de Dieu triomphent du monde ; et la victoire qui triomphe du monde, c’est notre foi."
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第10パラグラフの訳注2
「目を覚まして祈れ」について:
(めを さまして いのれ)=警戒〈けいかい〉して祈れ
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「ロザリオの15玄義」について:
「公教会祈祷文(こうきょうかい きとうぶん)」より抜粋(ばっすい).
「ロザリオの祈(いのり)」
ロザリオの祈りは救世主(きゅうせいしゅ)と聖マリアの主な喜(よろこ)び,苦(くる)しみ,栄(さか)えの玄義(げんぎ)を黙想(もくそう)しながら天使祝詞(てんししゅくし)百五十回を唱(とな)える祈りである.
天使祝詞十回が一連(いちれん)で,五連が一環(いっかん)となり三環で終(おわ)る.一連毎(ごと)に一玄義を黙想するからロザリオの十五玄義(じゅうご げんぎ)といわれる.
… 一般に各連(かくれん)の唱え方は黙想する玄義を始(はじ)めに唱え,大珠(だいじゅ)では主祷文(しゅとうぶん),小珠(しょうしゅ)では天使祝詞各一回宛(かく いっかい ずつ)を唱え,終りに栄唱(えいしょう)を唱える.
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2013年11月26日火曜日
332 信仰が第一 11/23
エイソン・コメンツ 第332回 (2013年11月23日)
ルフェーブル大司教(だいしきょう)(1905-1991年)が聴く耳(きく みみ)を持(も)つカトリック教徒に教(おし)えた最大の教訓(さいだいの きょうくん)は,信仰(しんこう)は従順(じゅうじゅん)より高位(こうい)だということです( "The great lesson taught by Archbishop Lefebvre (1905-1991) to Catholics who had ears to hear was that the Faith is higher than obedience." ).その後,私たちが学(まな)んだ悲しい教訓(かなしい きょうくん)は従順が信仰より高位だと評価(ひょうか)され続(つづ)けていることです( "The sad lesson we have learned since is that obedience keeps on being rated higher than the Faith." ). (私は)これまで今日(こんにち)の教会,世界,聖ピオ十世会( "the Soceity of St Pius X" = SSPX )に見られる混乱状況(こんらん じょうきょう)が基本(きほん)に立ち戻(たちもど)って欲(ほ)しいとの願(ねが)いに駆(か)られて,このエレイソン・コメンツを書いてきましたが( "These “Comments”, driven continually by today’s confusion in Church, world and Society of St Pius X to get back to basics, …" ),その中(なか)で,信仰が第一(しんこうが だいいち)である理由(りゆう)を説明(せつめい)しようと何度(なんど)も試(こころ)みてきました( "… have often attempted to explain why the Faith must come first." ).
ここでは,ある高名(こうめい)な SSPX の司祭が最近私宛(あ)てに送ってくださったEメールを例(れい)として取り上(とりあ)げます( "Take for instance the arguments of an honourable SSPX priest who recently sent me an e-mail, …" ).彼は私が SSPX の現状(げんじょう)を間違(まちが)って評価(ひょうか)していると非難(ひなん)しています( "… accusing me of wrongly assessing the present state of the SSPX. " ).彼によると,私が新協会(しんきょうかい)( "the Newsociety" )と呼(よ)ぶものに対して抵抗(ていこう)しているのは( "My resistance to the – as I call it – Newsociety is, he says, …" )(1)あまりにも個人的(こじんてき)な動機(どうき)に根差(ねざ)している( " 1) too personally motivated, …" ),(2)教会の利益優先(りえき ゆうせん)を忘(わす)れている( " 2) forgetting the good of the Church, …" ),(3)私が以前(いぜん)に取(と)っていた立場(たちば)と矛盾(むじゅん)している( " 3) inconsistent with positions I have taken before, …" ),(4)カトリック教の現実味(げんじつみ)を欠(か)いている( " 4) lacking Catholic realism, …,(5)教会の無謬性(むびゅうせい)に反(はん)している( " 5) against Church indefectibility, …" )(訳注後記1),(6)人(ひと)それぞれが教皇のあるべき姿(すがた)を抱(いだ)くよう勧(すす)めている( " 6) for each man being his own Pope, …" ),(7)教会の現代主義的(げんだいしゅぎてき)ビジョンを擁護(ようご)している( " 7) for a modernist vision of the Church, …" )(訳注後記2),(8)プロテスタント的である( " 8) Protestant, …" ),(9)ローマ教皇庁との結束(けっそく)に反対(はんたい)している,そして最後(さいご)に( " 9) against union with Rome, and finally …" )(10)人々の霊魂(れいこん)を教会から引き離(ひきはな)している,というのです( " 10) pushing souls away from the Church. " ).
さて,私はルフェーブル大司教ではありませんし,大司教のふりをするつもりもありません( "Now, I am no Archbishop Lefebvre, and I do not pretend to be, …" ).だが,私の( SSPX の)同僚(どうりょう)は,この批判(ひはん)すべて(3番目を除〈のぞ〉き)を30年前ローマの公式教会当局者に抵抗したルフェーブル大司教に対して向けていることになるのをお気づきなのでしょうか?( "… but does my colleague realize that all of these arguments (except the third) he could have applied thirty years ago to the Archbishop’s resistance to the official Church authorities in Rome ? " ) 当時ルフェーブル大司教が抵抗したのは( "Yet the Archbishop’s resistance was …" )(1)信仰を擁護(ようご)する緊急(きんきゅう)の必要性(ひつようせい)に駆(か)られたため( "1) motivated only by the urgent need to defend the Faith, …" ),(2)普遍的教会(ふへんてき きょうかい)( "the Universal Church" )のために行(おこな)った( " 2) for the good of the Universal Church, …" ),(4)完全に現実的(かんぜんに げんじつてき)な方法(ほうほう)だった(大司教が設立した SSPX でのカトリック教の成果(せいか)がそれを実証〈じっしょう〉している)( "4) in a completely realistic way (as the Catholic fruits of his Society proved), …" ),(5)大司教の抵抗こそが,教会の無謬性〈むびゅうせい〉に対し,その反証(はんしょう)ではなく,それを立証(りっしょう)するものとなっている,( "… 5) not disproving but proving, by his very resistance, the Church’s indefectibility, …" )(訳注後記3) (6)あらゆる時代(じだい)の教会(きょうかい)( "the Church of all time" )( "6) for the Church of all time being the measure of the Popes, …" )が歴代教皇(れきだい きょうこう)のあるべき姿(すがた)の基準(きじゅん)である(訳注後記4),(7)新近代主義(しん きんだいしゅぎ)のあらゆる狂気(きょうき)に反対している( "7) against all craziness of neo-modernism, …" ),(8)近代主義(きんだい しゅぎ)によるプロテスタント主義(しゅぎ)の再生(さいせい)に反対している( "8) against modernism’s renewal of Protestantism, …" ),(9)ローマ教皇庁との結束(けっそく)につねに賛成してきた,そして最後に( "9) for union with the Catholic Rome of all time, and finally …" )(10)多くの真(まこと・しん)のカトリック教徒の霊魂(れいこん)が信仰を失(うしな)わず守り続(まもりつづ)けるよう手助(てだす)けしてきた - というのが事実(じじつ)です( "10) helping many truly Catholic souls to keep the Faith instead of losing it." ).
当時(とうじ),なにがルフェーブル大司教の抵抗(ていこう)を正当化(せいとうか)したのでしょうか?( "And what justified the Archbishop’s resistance back then ? " ) 当時,大司教が外見ではそう見えたかもしれないルーター "Luther" のような反逆者(はんぎゃくしゃ)ではなく,真のカトリック教徒,教会の偉大(いだい)な僕(しもべ)だったことを証明したのは何だったのでしょうか?( "What proved then that he was not, despite the appearances, a rebel like Luther, but truly Catholic, and a great servant of the Church? " )それは,彼の教理(きょうり),教理,教理です!( "His doctrine, his doctrine, his doctrine ! " ) ルーターはカトリック教の多くの教えを否定(ひてい)しましたが,ルフェーブル大司教はそのすべてを肯定(こうてい)しました( "Whereas Luther denied a mass of Catholic teachings, the Archbishop affirmed every one of them." ).大司教が,恐(おそ)るべき近代主義(きんだいしゅぎ)の諸々(もろもろ)の誤(あやま)りを繰り返し(くりかえし)取り入れることで教理を徹底的(てっていてき)に台無し(だいなし)にした歴代(れきだい)の公会議派教皇や教会当局者たちに反対し抵抗の姿勢(しせい)を取ったのは(カトリック)信仰の教理(しんこう の きょうり)の名の下(な の もと)に行(おこな)ったことです( "It was in the name of the doctrine of the Faith that the Archbishop took his stand against the Conciliar Popes and Church authorities who were radically undermining that doctrine by renewing and adopting the dreadful errors of modernism." ) .
では現在(げんざい),なにが SSPX 指導部に対する抵抗を正当化しているのでしょうか?( "So what justifies now a certain resistance to the leadership of the SSPX ? " )抵抗者たちこそが SSPX の忠実な僕(ちゅうじつな しもべ)だと言えるのはどうしてでしょうか?( "How can those who resist claim to be the truest servants of the SSPX ? " ) それは,教理(きょうり),教理,教理です!( "Doctrine, doctrine, doctrine ! " ) 2012年4月中旬に SSPX が発表した宣言(せんげん)は,同会の上層部(じょうそうぶ)が持つ恐(おそ)るべき教理上の欠陥(きょうりじょうの けっかん)を証明(しょうめい)しています( "The mid-April Declaration of 2012 was proof of an appalling doctrinal deficiency at the top of the SSPX, …" ).宣言自体(じたい)は撤回(てっかい)されましたが( "… and while the Declaration was withdrawn, …" ),その中身は例(たと)えば「きわめて微妙(びみょう)」との理由(りゆう)で撤回されるどころか,むしろ擁護(ようご)さえされています!( "… its contents have not been retracted but even defended, as being for instance “too subtle” ! " ) それに,2012年7月14日,2013年6月27日に発表された SSPX の公式文書(こうしき ぶんしょ)は,同宣言がもたらした損害(そんがい)をきちんと清算(せいさん)していません( "Nor have the official SSPX documents of July 14, 2012 or June 27, 2013 properly undone the damage. " ).このことは, SSPX 本部の運営方針(うんえい ほうしん)がなにも変(か)わっていないことを証明しています( "The proof is that the governing policy of SSPX HQ has not changed. " ).親愛なる同僚(しんあいなる どうりょう)にお伝(つた)えします( "Dear colleague" ).あなたの SSPX は見かけの従順(じゅうじゅん)より信仰を大事にする考えに基(もと)づいて設立されました( "Dear colleague, your own Society was founded on putting Faith before apparent obedience, …" ).それなのに今,あなたは信仰より見かけの従順を大事にすることで SSPX を擁護しようとお望みなのでしょうか?( "… and now you want to defend that Society by putting apparent obedience to the Society before the Faith ? " ) SSPXの諸文書を検討(けんとう)し,その行動(こうどう)を観察(かんさつ)してください!( "Study the documents, and watch the actions ! " )
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
追記:エレイソン・コメンツ( EC )第100回直後からだったとおもいますが,どなたか EC のスペイン語,フランス語訳全編(ぜんぺん)をお持ちの方がいらっしゃるでしょうか? もしおられたらご連絡(れんらく)ください. ( "P.S. Meanwhile does anybody have a complete set of Spanish or French translations of this “Commentary” from when they began to appear, in the early EC 100’s ? Please let us know." )
* * *
第2パラグラフの訳注1
・「無謬性(むびゅうせい)」=あやまり〈=謬り=誤り〉のないこと.
・「謬り〈=誤り〉」の意味は,「正〈ただ〉しくないこと」・「失敗〈しっぱい〉・「正しくない行為〈こうい〉」
第2パラグラフの訳注2
・「擁護(ようご)」=危害〈きがい〉・破壊〈はかい〉を加えようとするものから,かばいまもる〈庇い護る〉こと.
第3パラグラフの訳注3
「教会の無謬性(きょうかいのむびゅうせい)」につき,証拠しょうこ)を挙(あ)げてそれを否定〈ひてい〉した〈=反証〈はんしょう〉〉のではなくて,〈「教会の無謬性」〈すなわち,「教会に誤(あやま)りがないこと」につき〉,証拠〈しょうこ〉を挙〈あ〉げてその正〈ただ〉しさを明〈あき〉らかにした〈=立証〈りっしょう〉〉.
第3パラグラフの訳注4
神がそうであられるように,永遠に変わることのない真実(しんじつ)・唯一(ゆいいつ)・永遠不変(えいえん)の教会が,歴代教皇のあるべき姿の基準(きじゅん)である, 「わたしは道であり,真理であり,命である.わたしによらなければ誰も父のみもとに行くことはできない.」
* * *
(説明)
・良心は個人的に問われるもの.「良心の声に従わなかった」ことを他人のせいにはできない.神の裁(さば)きの時には,人間は誰でも,自分一人で責任を取らされることになる.たとえ真の神を心で信仰していないとしても,不正義を行った人は,正しくお裁きになる神から罰を被(こうむ)ることになる.
・人間は肉体と霊魂を有するが,同じく肉体をとられ地上で人間としての生涯(しょうがい)を過ごされた霊たる神(=三位一体〈さんみいったい〉の神の第二の位格〈ペルソナ Persona 〉=イエズス・キリスト)を通(つう)じなければ,霊であられる永遠の神(私たちの天の御父)の御国に入(はい)ることはできない.
・人間は,地上では肉体上の事しかわからないが,この地上に生きている間に,「人間は,目に見えない正しい神の霊から創造され,この世に生まれてきた」ということを知って,それを信じなければならない.
・もしそれを信じることができなければ,その人の霊魂は,創造主たる神の正義も愛も命も信じられない,ということになり,地上で肉体が死ねば,その霊魂は天の御父たる永遠の神の御国に入る祝福を得ることができない.万物の創造主たる神の正義(せいぎ)に従(したが)うことを拒否(きょひ)したのだから当然の成り行き(とうぜんのなりゆき)である.
・不完全で無知(ふかんぜんで むち)な人間の限界(げんかい)ある価値観(かちかん)で,「なにも知らなくても,なにもわからなくても,なるようになる」と簡単(かんたん)に思って済(す)ませるのは間違(まちが)いで, ①「神の正義(かみの せいぎ)」と「人間の正義(にんげんの せいぎ)」とでは全(まった)く異(こと)なるということを,人生(じんせい)の様々(さまざま)な出来事(できごと)・体験(たいけん)を通(つう)じて知り,学ぶ(しり・まなぶ)必要(ひつよう)がある.
②そのために,霊魂は肉体をとって生まれ,不完全(ふかんぜん)で不足(ふそく)だらけのこの地上で,喜び・悲しみ(よろこび・かなしみ)・希望・失望(きぼう・しつぼう)を体験し,そうして神の正義・慈愛(かみの せいぎ・じあい)を実感(じっかん)する.
③人間以外の神の被造物(=神に創造された大宇宙・自然界の諸存在〈鉱物・動植物〉)は,全て神の摂理(かみの せつり)のもと,神の御心のままに存在している.
・人間だけが神に与えられた自由意志によって,その自由意志を神の御心に沿(そ)って使用せずに,神に逆(さか)らい自(みずか)らの我欲(がよく)を満(み)たすために暴走(ぼうそう)している.
・神の摂理(=真理・正義)に従った宇宙・自然界の法則が乱(みだ)されれば,その反作用(はんさよう)(=反発)を招(まね)いて,宇宙・自然界で大災害(だいさいがい)が起こるのは自明の理(じめいの り)である.
・人間の生命(にんげんの せいめい)は神が完全に管理(かんり)しておられ,人間がそれを支配(しはい)したり管理することはできない.人間が人間の生命を支配し管理すれば,必ず自(みずか)らの身に全能者たる神の呪(のろ)いを招(まね)く. ・真の神に逆(さか)らってこの世を支配しようとする者は,神の摂理に逆らうことで必然的に自(みずか)らの心身に神の呪(のろ)いと災(わざわ)いを招(まね)くことになる.
・神が人間を罰(ばっ)するというより,人間の罪深い行い(つみふかい おこない)が神のお定(さだ)めになった宇宙や自然界の摂理の法則に反するので,わが身に跳ね返(はねかえ)って自分を害(がい)する結果(けっか)に終(お)わる.
・そして,癒(いや)されることのない罪の意識(つみの いしき)が烙印(らくいん)のように押(お)され,身も心も,真の幸福(まことの こうふく)とは永遠に無縁(えいえんに むえん)となる.
④「神の正義」は「神の慈愛(じあい)」と一体(いったい)であり,弱者(じゃくしゃ)に対する慈悲の心(じひの こころ)よりも我欲(がよく)を優先(ゆうせん)する人は,この地上を去ってから天の慈悲深い(じひ ふかい)神の御国には決して入れない.
⑤この世で,自分に不都合(ふつごう)な人間を殺しても,神には絶対に勝てない.この世は「霊魂の試験場」であり,この世で他者を負かして我欲を果たす者は,弱者を庇(かば)われる憐れみ深い神の怒りを買い,必ず神から報復(復讐)(ほうふく・ふくしゅう)されることになる.
・復讐は,人間がするものではなく,神が完全に正しく一寸の手抜かり(いっすんの てぬかり)もなく果(は)たされる.
・真の神の遣(つか)いと預言(神の御子イエズス・キリスト・教会の聖なる伝承〈聖伝〉・聖書)を通じて神の報復(かみの ほうふく)の完全さ,その恐ろしさを知るので,カトリック教会では「罪びとの悔悛(かいしゅん)のため神の憐(あわ)れみを請(こ)う」.
・人間の中で見栄(みば)えの良い人が天国に入るのではない
(ヨハネ聖福音書:第1章を参照)
第1章12節
『みことば(=神の御子イエズス・キリスト)は世にあり,世はみことばによって創(つく)られたが,世はそれを認めなかった.
みことばはご自分の家(ごじぶんの いえ)に来(こ)られたが,その人々は受け入れなかった.
しかし,その方を受け入れた人々にはみな神の子となれる力(ちから)を授(さず)けた.
そのみ名を信じるすべての人たち,彼らは,血統(ちすじ)ではなく,肉体の意志(いし)ではなく,人の意志ではなく,ただ神によって生まれた人々である.』
* * *
ルフェーブル大司教(だいしきょう)(1905-1991年)が聴く耳(きく みみ)を持(も)つカトリック教徒に教(おし)えた最大の教訓(さいだいの きょうくん)は,信仰(しんこう)は従順(じゅうじゅん)より高位(こうい)だということです( "The great lesson taught by Archbishop Lefebvre (1905-1991) to Catholics who had ears to hear was that the Faith is higher than obedience." ).その後,私たちが学(まな)んだ悲しい教訓(かなしい きょうくん)は従順が信仰より高位だと評価(ひょうか)され続(つづ)けていることです( "The sad lesson we have learned since is that obedience keeps on being rated higher than the Faith." ). (私は)これまで今日(こんにち)の教会,世界,聖ピオ十世会( "the Soceity of St Pius X" = SSPX )に見られる混乱状況(こんらん じょうきょう)が基本(きほん)に立ち戻(たちもど)って欲(ほ)しいとの願(ねが)いに駆(か)られて,このエレイソン・コメンツを書いてきましたが( "These “Comments”, driven continually by today’s confusion in Church, world and Society of St Pius X to get back to basics, …" ),その中(なか)で,信仰が第一(しんこうが だいいち)である理由(りゆう)を説明(せつめい)しようと何度(なんど)も試(こころ)みてきました( "… have often attempted to explain why the Faith must come first." ).
ここでは,ある高名(こうめい)な SSPX の司祭が最近私宛(あ)てに送ってくださったEメールを例(れい)として取り上(とりあ)げます( "Take for instance the arguments of an honourable SSPX priest who recently sent me an e-mail, …" ).彼は私が SSPX の現状(げんじょう)を間違(まちが)って評価(ひょうか)していると非難(ひなん)しています( "… accusing me of wrongly assessing the present state of the SSPX. " ).彼によると,私が新協会(しんきょうかい)( "the Newsociety" )と呼(よ)ぶものに対して抵抗(ていこう)しているのは( "My resistance to the – as I call it – Newsociety is, he says, …" )(1)あまりにも個人的(こじんてき)な動機(どうき)に根差(ねざ)している( " 1) too personally motivated, …" ),(2)教会の利益優先(りえき ゆうせん)を忘(わす)れている( " 2) forgetting the good of the Church, …" ),(3)私が以前(いぜん)に取(と)っていた立場(たちば)と矛盾(むじゅん)している( " 3) inconsistent with positions I have taken before, …" ),(4)カトリック教の現実味(げんじつみ)を欠(か)いている( " 4) lacking Catholic realism, …,(5)教会の無謬性(むびゅうせい)に反(はん)している( " 5) against Church indefectibility, …" )(訳注後記1),(6)人(ひと)それぞれが教皇のあるべき姿(すがた)を抱(いだ)くよう勧(すす)めている( " 6) for each man being his own Pope, …" ),(7)教会の現代主義的(げんだいしゅぎてき)ビジョンを擁護(ようご)している( " 7) for a modernist vision of the Church, …" )(訳注後記2),(8)プロテスタント的である( " 8) Protestant, …" ),(9)ローマ教皇庁との結束(けっそく)に反対(はんたい)している,そして最後(さいご)に( " 9) against union with Rome, and finally …" )(10)人々の霊魂(れいこん)を教会から引き離(ひきはな)している,というのです( " 10) pushing souls away from the Church. " ).
さて,私はルフェーブル大司教ではありませんし,大司教のふりをするつもりもありません( "Now, I am no Archbishop Lefebvre, and I do not pretend to be, …" ).だが,私の( SSPX の)同僚(どうりょう)は,この批判(ひはん)すべて(3番目を除〈のぞ〉き)を30年前ローマの公式教会当局者に抵抗したルフェーブル大司教に対して向けていることになるのをお気づきなのでしょうか?( "… but does my colleague realize that all of these arguments (except the third) he could have applied thirty years ago to the Archbishop’s resistance to the official Church authorities in Rome ? " ) 当時ルフェーブル大司教が抵抗したのは( "Yet the Archbishop’s resistance was …" )(1)信仰を擁護(ようご)する緊急(きんきゅう)の必要性(ひつようせい)に駆(か)られたため( "1) motivated only by the urgent need to defend the Faith, …" ),(2)普遍的教会(ふへんてき きょうかい)( "the Universal Church" )のために行(おこな)った( " 2) for the good of the Universal Church, …" ),(4)完全に現実的(かんぜんに げんじつてき)な方法(ほうほう)だった(大司教が設立した SSPX でのカトリック教の成果(せいか)がそれを実証〈じっしょう〉している)( "4) in a completely realistic way (as the Catholic fruits of his Society proved), …" ),(5)大司教の抵抗こそが,教会の無謬性〈むびゅうせい〉に対し,その反証(はんしょう)ではなく,それを立証(りっしょう)するものとなっている,( "… 5) not disproving but proving, by his very resistance, the Church’s indefectibility, …" )(訳注後記3) (6)あらゆる時代(じだい)の教会(きょうかい)( "the Church of all time" )( "6) for the Church of all time being the measure of the Popes, …" )が歴代教皇(れきだい きょうこう)のあるべき姿(すがた)の基準(きじゅん)である(訳注後記4),(7)新近代主義(しん きんだいしゅぎ)のあらゆる狂気(きょうき)に反対している( "7) against all craziness of neo-modernism, …" ),(8)近代主義(きんだい しゅぎ)によるプロテスタント主義(しゅぎ)の再生(さいせい)に反対している( "8) against modernism’s renewal of Protestantism, …" ),(9)ローマ教皇庁との結束(けっそく)につねに賛成してきた,そして最後に( "9) for union with the Catholic Rome of all time, and finally …" )(10)多くの真(まこと・しん)のカトリック教徒の霊魂(れいこん)が信仰を失(うしな)わず守り続(まもりつづ)けるよう手助(てだす)けしてきた - というのが事実(じじつ)です( "10) helping many truly Catholic souls to keep the Faith instead of losing it." ).
当時(とうじ),なにがルフェーブル大司教の抵抗(ていこう)を正当化(せいとうか)したのでしょうか?( "And what justified the Archbishop’s resistance back then ? " ) 当時,大司教が外見ではそう見えたかもしれないルーター "Luther" のような反逆者(はんぎゃくしゃ)ではなく,真のカトリック教徒,教会の偉大(いだい)な僕(しもべ)だったことを証明したのは何だったのでしょうか?( "What proved then that he was not, despite the appearances, a rebel like Luther, but truly Catholic, and a great servant of the Church? " )それは,彼の教理(きょうり),教理,教理です!( "His doctrine, his doctrine, his doctrine ! " ) ルーターはカトリック教の多くの教えを否定(ひてい)しましたが,ルフェーブル大司教はそのすべてを肯定(こうてい)しました( "Whereas Luther denied a mass of Catholic teachings, the Archbishop affirmed every one of them." ).大司教が,恐(おそ)るべき近代主義(きんだいしゅぎ)の諸々(もろもろ)の誤(あやま)りを繰り返し(くりかえし)取り入れることで教理を徹底的(てっていてき)に台無し(だいなし)にした歴代(れきだい)の公会議派教皇や教会当局者たちに反対し抵抗の姿勢(しせい)を取ったのは(カトリック)信仰の教理(しんこう の きょうり)の名の下(な の もと)に行(おこな)ったことです( "It was in the name of the doctrine of the Faith that the Archbishop took his stand against the Conciliar Popes and Church authorities who were radically undermining that doctrine by renewing and adopting the dreadful errors of modernism." ) .
では現在(げんざい),なにが SSPX 指導部に対する抵抗を正当化しているのでしょうか?( "So what justifies now a certain resistance to the leadership of the SSPX ? " )抵抗者たちこそが SSPX の忠実な僕(ちゅうじつな しもべ)だと言えるのはどうしてでしょうか?( "How can those who resist claim to be the truest servants of the SSPX ? " ) それは,教理(きょうり),教理,教理です!( "Doctrine, doctrine, doctrine ! " ) 2012年4月中旬に SSPX が発表した宣言(せんげん)は,同会の上層部(じょうそうぶ)が持つ恐(おそ)るべき教理上の欠陥(きょうりじょうの けっかん)を証明(しょうめい)しています( "The mid-April Declaration of 2012 was proof of an appalling doctrinal deficiency at the top of the SSPX, …" ).宣言自体(じたい)は撤回(てっかい)されましたが( "… and while the Declaration was withdrawn, …" ),その中身は例(たと)えば「きわめて微妙(びみょう)」との理由(りゆう)で撤回されるどころか,むしろ擁護(ようご)さえされています!( "… its contents have not been retracted but even defended, as being for instance “too subtle” ! " ) それに,2012年7月14日,2013年6月27日に発表された SSPX の公式文書(こうしき ぶんしょ)は,同宣言がもたらした損害(そんがい)をきちんと清算(せいさん)していません( "Nor have the official SSPX documents of July 14, 2012 or June 27, 2013 properly undone the damage. " ).このことは, SSPX 本部の運営方針(うんえい ほうしん)がなにも変(か)わっていないことを証明しています( "The proof is that the governing policy of SSPX HQ has not changed. " ).親愛なる同僚(しんあいなる どうりょう)にお伝(つた)えします( "Dear colleague" ).あなたの SSPX は見かけの従順(じゅうじゅん)より信仰を大事にする考えに基(もと)づいて設立されました( "Dear colleague, your own Society was founded on putting Faith before apparent obedience, …" ).それなのに今,あなたは信仰より見かけの従順を大事にすることで SSPX を擁護しようとお望みなのでしょうか?( "… and now you want to defend that Society by putting apparent obedience to the Society before the Faith ? " ) SSPXの諸文書を検討(けんとう)し,その行動(こうどう)を観察(かんさつ)してください!( "Study the documents, and watch the actions ! " )
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
追記:エレイソン・コメンツ( EC )第100回直後からだったとおもいますが,どなたか EC のスペイン語,フランス語訳全編(ぜんぺん)をお持ちの方がいらっしゃるでしょうか? もしおられたらご連絡(れんらく)ください. ( "P.S. Meanwhile does anybody have a complete set of Spanish or French translations of this “Commentary” from when they began to appear, in the early EC 100’s ? Please let us know." )
* * *
第2パラグラフの訳注1
・「無謬性(むびゅうせい)」=あやまり〈=謬り=誤り〉のないこと.
・「謬り〈=誤り〉」の意味は,「正〈ただ〉しくないこと」・「失敗〈しっぱい〉・「正しくない行為〈こうい〉」
第2パラグラフの訳注2
・「擁護(ようご)」=危害〈きがい〉・破壊〈はかい〉を加えようとするものから,かばいまもる〈庇い護る〉こと.
第3パラグラフの訳注3
「教会の無謬性(きょうかいのむびゅうせい)」につき,証拠しょうこ)を挙(あ)げてそれを否定〈ひてい〉した〈=反証〈はんしょう〉〉のではなくて,〈「教会の無謬性」〈すなわち,「教会に誤(あやま)りがないこと」につき〉,証拠〈しょうこ〉を挙〈あ〉げてその正〈ただ〉しさを明〈あき〉らかにした〈=立証〈りっしょう〉〉.
第3パラグラフの訳注4
神がそうであられるように,永遠に変わることのない真実(しんじつ)・唯一(ゆいいつ)・永遠不変(えいえん)の教会が,歴代教皇のあるべき姿の基準(きじゅん)である, 「わたしは道であり,真理であり,命である.わたしによらなければ誰も父のみもとに行くことはできない.」
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(説明)
・良心は個人的に問われるもの.「良心の声に従わなかった」ことを他人のせいにはできない.神の裁(さば)きの時には,人間は誰でも,自分一人で責任を取らされることになる.たとえ真の神を心で信仰していないとしても,不正義を行った人は,正しくお裁きになる神から罰を被(こうむ)ることになる.
・人間は肉体と霊魂を有するが,同じく肉体をとられ地上で人間としての生涯(しょうがい)を過ごされた霊たる神(=三位一体〈さんみいったい〉の神の第二の位格〈ペルソナ Persona 〉=イエズス・キリスト)を通(つう)じなければ,霊であられる永遠の神(私たちの天の御父)の御国に入(はい)ることはできない.
・人間は,地上では肉体上の事しかわからないが,この地上に生きている間に,「人間は,目に見えない正しい神の霊から創造され,この世に生まれてきた」ということを知って,それを信じなければならない.
・もしそれを信じることができなければ,その人の霊魂は,創造主たる神の正義も愛も命も信じられない,ということになり,地上で肉体が死ねば,その霊魂は天の御父たる永遠の神の御国に入る祝福を得ることができない.万物の創造主たる神の正義(せいぎ)に従(したが)うことを拒否(きょひ)したのだから当然の成り行き(とうぜんのなりゆき)である.
・不完全で無知(ふかんぜんで むち)な人間の限界(げんかい)ある価値観(かちかん)で,「なにも知らなくても,なにもわからなくても,なるようになる」と簡単(かんたん)に思って済(す)ませるのは間違(まちが)いで, ①「神の正義(かみの せいぎ)」と「人間の正義(にんげんの せいぎ)」とでは全(まった)く異(こと)なるということを,人生(じんせい)の様々(さまざま)な出来事(できごと)・体験(たいけん)を通(つう)じて知り,学ぶ(しり・まなぶ)必要(ひつよう)がある.
②そのために,霊魂は肉体をとって生まれ,不完全(ふかんぜん)で不足(ふそく)だらけのこの地上で,喜び・悲しみ(よろこび・かなしみ)・希望・失望(きぼう・しつぼう)を体験し,そうして神の正義・慈愛(かみの せいぎ・じあい)を実感(じっかん)する.
③人間以外の神の被造物(=神に創造された大宇宙・自然界の諸存在〈鉱物・動植物〉)は,全て神の摂理(かみの せつり)のもと,神の御心のままに存在している.
・人間だけが神に与えられた自由意志によって,その自由意志を神の御心に沿(そ)って使用せずに,神に逆(さか)らい自(みずか)らの我欲(がよく)を満(み)たすために暴走(ぼうそう)している.
・神の摂理(=真理・正義)に従った宇宙・自然界の法則が乱(みだ)されれば,その反作用(はんさよう)(=反発)を招(まね)いて,宇宙・自然界で大災害(だいさいがい)が起こるのは自明の理(じめいの り)である.
・人間の生命(にんげんの せいめい)は神が完全に管理(かんり)しておられ,人間がそれを支配(しはい)したり管理することはできない.人間が人間の生命を支配し管理すれば,必ず自(みずか)らの身に全能者たる神の呪(のろ)いを招(まね)く. ・真の神に逆(さか)らってこの世を支配しようとする者は,神の摂理に逆らうことで必然的に自(みずか)らの心身に神の呪(のろ)いと災(わざわ)いを招(まね)くことになる.
・神が人間を罰(ばっ)するというより,人間の罪深い行い(つみふかい おこない)が神のお定(さだ)めになった宇宙や自然界の摂理の法則に反するので,わが身に跳ね返(はねかえ)って自分を害(がい)する結果(けっか)に終(お)わる.
・そして,癒(いや)されることのない罪の意識(つみの いしき)が烙印(らくいん)のように押(お)され,身も心も,真の幸福(まことの こうふく)とは永遠に無縁(えいえんに むえん)となる.
④「神の正義」は「神の慈愛(じあい)」と一体(いったい)であり,弱者(じゃくしゃ)に対する慈悲の心(じひの こころ)よりも我欲(がよく)を優先(ゆうせん)する人は,この地上を去ってから天の慈悲深い(じひ ふかい)神の御国には決して入れない.
⑤この世で,自分に不都合(ふつごう)な人間を殺しても,神には絶対に勝てない.この世は「霊魂の試験場」であり,この世で他者を負かして我欲を果たす者は,弱者を庇(かば)われる憐れみ深い神の怒りを買い,必ず神から報復(復讐)(ほうふく・ふくしゅう)されることになる.
・復讐は,人間がするものではなく,神が完全に正しく一寸の手抜かり(いっすんの てぬかり)もなく果(は)たされる.
・真の神の遣(つか)いと預言(神の御子イエズス・キリスト・教会の聖なる伝承〈聖伝〉・聖書)を通じて神の報復(かみの ほうふく)の完全さ,その恐ろしさを知るので,カトリック教会では「罪びとの悔悛(かいしゅん)のため神の憐(あわ)れみを請(こ)う」.
・人間の中で見栄(みば)えの良い人が天国に入るのではない
(ヨハネ聖福音書:第1章を参照)
第1章12節
『みことば(=神の御子イエズス・キリスト)は世にあり,世はみことばによって創(つく)られたが,世はそれを認めなかった.
みことばはご自分の家(ごじぶんの いえ)に来(こ)られたが,その人々は受け入れなかった.
しかし,その方を受け入れた人々にはみな神の子となれる力(ちから)を授(さず)けた.
そのみ名を信じるすべての人たち,彼らは,血統(ちすじ)ではなく,肉体の意志(いし)ではなく,人の意志ではなく,ただ神によって生まれた人々である.』
* * *
2013年11月17日日曜日
331 明日のリーダーたち 11/16
エレイソン・コメンツ 第331回 (2013年11月16日)
超自然的(ちょうしぜん てき)なカトリック信徒たちといえども経済問題(けいざい もんだい)をくだらないことと蔑(さげす)むわけにはいきませんが,それには二つのきちんとした理由(りゆう)があります( "There are two good reasons why not even supernatural Catholics should scorn economic questions." ).まず個人的(こじんてき)には,彼らは家計(かけい)を立てるため経済分野(けいざい ぶんや)の常識(じょうしき)を持つ必要(ひつよう)があります( "Individually, to run their own household they need common sense in this domain, …" ).だが今日この常識はひどく軽視(けいし)されています( "… now heavily discounted. " ).社会的(しゃかいてき)には,彼らは自分たちの周(まわ)りで何が起きているかについて多少は把握(はあく)しておく必要があります( "And socially, they need some grasp of what is going on in the society around them, …" ).なぜなら,あらゆる霊魂(れいこん)が地獄(じごく)に堕(お)ちるようたくらんでいる反キリスト的新世界秩序( "the anti-Christian New World Order=NWO" )の意識的(いしきてき)もしくは無意識的(むいしき てき)な代理人(だいりにん)によって真実(しんじつ)がひどく捻じ曲(ねじま)げられているからです( "… because that truth is heavily distorted by the conscious or unconscious agents of the anti-Christian New World Order (NWO), which aims to make all souls finish in Hell. " ).
エレイソン・コメンツの読者(どくしゃ)たちはカトリック信徒(しんと)たちに対(たい)し,米国人(べいこくじん)の評論家(ひょうろんか)ポール・クレイグ・ロバーツ博士(はかせ)( "Dr. Paul Craig Roberts" )の説く常識(じょうしき),真実(しんじつ)に耳を傾(かたむ)けるよう一度ならず再三(さいさん)勧(すす)めてきました( "More than once readers here have had recommended to them the common sense and truth of an American commentator, Dr Paul Craig Roberts." ).彼が最近(さいきん)の論文(ろんぶん)で述べているところによれば( "He has recently written an article arguing that,…" )米国政府の本当の危機はさんざん話題になった機能停止(きのう ていし)( "shutdown" )ではなく( "… the real crisis in the USA government is not its shutdown, being then much talked about, …" ),収入が少なすぎるのに支出が多すぎるため,予算(よさん)を均衡(きんこう)させる能力(のうりょく)を恒常的(こうじょうてき)に失(うしな)っていることにあるということです( "… but its constant underlying inability to balance its budget, because of too little income and too much expenditure." ).彼は過小収入(かしょう しゅうにゅう)の原因(げんいん)はなんとか自立(じりつ)できる社会保障(しゃかい ほしょう)の費用負担(ひよう ふたん)などではなく( "The too little income he attributes not to the expense of Social Security, which pays its way, …" ),米国が数十年にわたり製造業(せいぞうぎょう)を低賃金(てい ちんぎん)の外国(がいこく))に外注(がい ちゅう)してきたため( "… but to decades of out-shoring America’s manufacturing to foreign lands with cheap labour, …" ),米国の消費者(しょうひしゃ)が貧(まず)しくなり,その結果(けっか)税収入(ぜい しゅうにゅう)が極度(きょくど)に落ち込(おちこん)んだためだと述べています( "… which has so impoverished American consumers that tax revenues have severely dropped." ).彼はまた過剰支出(かじょう ししゅつ」の原因は,相次(あいつ)ぐ外国での戦争(せんそう)のため湯水(ゆみず)のように出て行った経費(けいひ)だと言っています( "Too much expenditure he attributes to the draining cost of one foreign war after another." ).したがって,彼は米国政府(べいこく せいふ)が危機(きき)を本当に解決(かいけつ)したければ失(うしな)われた仕事を自国に取り戻し(とりもどし),対外戦争(たいがい せんそう)を止(や)めなければならないと診断(しんだん)しています( "So he diagnoses that for the American government to solve its real crisis, the jobs must be brought home and the foreign wars stopped." ).だが,「そうした政策(せいさく)には強力(きょうりょく)に組織化(そしきか)された利害共有者(りがい きょうゆうしゃ)たち( "powerful organized interests" )が反対(はんたい)するため,議会(ぎかい)はそのいずれも実施(じっし)することはありません.」( "But “powerful organized interests oppose any such measures, and so Congress will do neither.” " )
事実(じじつ),ロバーツ博士は「自分の意見(いけん)では,技術(ぎじゅつ)の馬鹿(ばか)げた使い方(つかい かた)が環境(かんきょう)を使い果(つかい は)たしているため,米国経済は今の形(かたち)では救(すく)いようがない」と付言(ふげん)しています( "In fact Dr Roberts adds that in his opinion the American economy cannot be salvaged in its present form because unwise use of technology is exhausting the environment. " ).その上,経済学者たちには「独自(どくじ)の発想(はっそう)を持つ能力(のうりょく)がなく」,さらに「選ばれた議員たちは自分の選挙運動(せんきょ うんどう)の費用(ひよう)を出してくれる私的利害共有者たち( "private interests" )に頼り切(たよりき)っている」ため,「現時点で最も起きそうな予測(よそく)は破たん(はたん)しかないようだ」と述べています( "Moreover economists being “incapable of original thought” and “elected representatives being dependent on the private interests that finance their election campaigns”, then “at this time collapse seems the most likely forecast.” " ).そして,彼はもし米国が進むべき進路(しんろ)を示すリーダーたちが現れれば,廃墟(はいきょ)のなかからなにかもっと賢明(けんめい)なものが生まれるだろう,と言います( "And there will only come something more intelligent from the ruins, he says, if there will be leaders to show the way. " ).
ロバーツ博士はこのように暗(くら)い見通(みとお)しを描(えが)いていますが,彼の説(と)く常識と真実(じょうしき と しんじつ)は注目(ちゅうもく)に値(あたい)します( "The Doctor paints a dark picture, but its common sense and truth must be heeded." ).その常識とは,予算の大問題は収入の大幅増(おおはばぞう)もしくは経費(けいひ)の大幅削減(おおはば さくげん),あるいはその双方(そうほう)によって解決(かいけつ)すべきということです( "The common sense is that a major budget problem must be solved by a major increase in revenue or by a major cut in costs, or both." ).負債(ふさい)をさらに大きく増(ふ)やすことでは解決できません( "It cannot be solved by going into ever more colossal debt." ).博士が言う真実の一つは,常識を持たない経済学者(けいざい がくしゃ)たちの愚(おろ)かさです( "One truth he mentions is the foolishness of economists without common sense, …" ).たとえば,製造業(せいぞうぎょう)の仕事(しごと)は時代遅(じだい おく)れなので,外注(がいちゅう)に出してしかるべきといった彼らの言い分(いいぶん)です( "… for example their pretence that manufacturing jobs, being outmoded, might just as well be out-sourced." ).もう一つの真実は,米国を対外戦争に向かわせる「組織化された利害共有者(りがい きょうゆうしゃ)」と建前上(たてまえじょう)の民主的(みんしゅてき)な選挙(せんきょ)を支配(しはい)する「私的(してき)利害共有者たち」の存在(そんざい)です( "Another truth is the power of the “organized interests” that push for foreign wars, and of the “private interests” that control the supposedly democratic elections." ).
だが,こうした利害共有者たちが米国経済を破たん(はたん)に追い込(おいこ)む動機(どうき)は一体(いったい)何(なん)でしょうか?( "But what motive can these interests have for wishing to drive the United States economy into collapse ? " ) NWOの代理人たちは,国家的同一性(こっかてき どういつせい)や誇(ほこ)り( "any national identity and pride" )を多少でも持つ米国やほかの西側諸国をぶち壊(こわ)し,NWOに吸収(きゅうしゅう)され易(やす)いようにするため懸命(けんめい)に働(はたら)いています( "Agents of the NWO are working hard to break down the United Sates and all Western nations with any national identity or pride, so that they will let themselves be the more easily absorbed into the NWO..経済学者たちは経済学派の中で愚か者扱い(おろかもの あつかい)され,選(えら)ばれた議員(ぎいん)たちは気前(きまえ)のいい報酬(ほうしゅう)を得(え)て自国を負債(ふさい)に陥(おとしい)れるようになります( "Economists will be made dumb in the Schools of Economics, and elected representatives will be handsomely paid to enmesh their countries in debt, …" ).なぜなら,聖書(せいしょ)には負債者(ふさいしゃ)は債権者の僕(しもべ)ないしは奴隷(どれい)になると書いてあります( "… because Scripture says that the debtor makes himself servant, or slave, of the creditor. " ).このようにして,西側の諸政府が抱(かか)える問題は意図的(いとてき)に解決不能(かいけつ ふのう)とされ,奴隷(どれい)にされた国民の気を第三(3)次世界大戦(せかい たいせん)でそらせようとする誘惑(ゆうわく)がしまいには抑(おさ)えがたいようになるでしょう( "Thus the problem of Western governments is being made deliberately so insoluble that the temptation to distract the enslaved peoples with World War III will eventually become irresistible. " ).そうした誘惑は最近シリア侵攻(しんこう)の一件でなんとか抑え込(おさえこ)まれたばかりではないですか?( "Was it not only just resisted in the recent push for the attack on Syria ? " )カトリック信徒のみなさん,ロバーツ博士がいま存在して欲しいと願う指導者(しどうしゃ)たちに,明日(あす)あなたたち自身(じしん)がならなければなりません( "Catholics, you are going to have to be tomorrow those leaders that Dr Roberts hopes for today." ).あなたたちだけが全体像(ぜんたいぞう)をつかんでいるのです.学(まな)び,そして祈(いの)ってください.( "Only you have the complete picture. Study and pray." )
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
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超自然的(ちょうしぜん てき)なカトリック信徒たちといえども経済問題(けいざい もんだい)をくだらないことと蔑(さげす)むわけにはいきませんが,それには二つのきちんとした理由(りゆう)があります( "There are two good reasons why not even supernatural Catholics should scorn economic questions." ).まず個人的(こじんてき)には,彼らは家計(かけい)を立てるため経済分野(けいざい ぶんや)の常識(じょうしき)を持つ必要(ひつよう)があります( "Individually, to run their own household they need common sense in this domain, …" ).だが今日この常識はひどく軽視(けいし)されています( "… now heavily discounted. " ).社会的(しゃかいてき)には,彼らは自分たちの周(まわ)りで何が起きているかについて多少は把握(はあく)しておく必要があります( "And socially, they need some grasp of what is going on in the society around them, …" ).なぜなら,あらゆる霊魂(れいこん)が地獄(じごく)に堕(お)ちるようたくらんでいる反キリスト的新世界秩序( "the anti-Christian New World Order=NWO" )の意識的(いしきてき)もしくは無意識的(むいしき てき)な代理人(だいりにん)によって真実(しんじつ)がひどく捻じ曲(ねじま)げられているからです( "… because that truth is heavily distorted by the conscious or unconscious agents of the anti-Christian New World Order (NWO), which aims to make all souls finish in Hell. " ).
エレイソン・コメンツの読者(どくしゃ)たちはカトリック信徒(しんと)たちに対(たい)し,米国人(べいこくじん)の評論家(ひょうろんか)ポール・クレイグ・ロバーツ博士(はかせ)( "Dr. Paul Craig Roberts" )の説く常識(じょうしき),真実(しんじつ)に耳を傾(かたむ)けるよう一度ならず再三(さいさん)勧(すす)めてきました( "More than once readers here have had recommended to them the common sense and truth of an American commentator, Dr Paul Craig Roberts." ).彼が最近(さいきん)の論文(ろんぶん)で述べているところによれば( "He has recently written an article arguing that,…" )米国政府の本当の危機はさんざん話題になった機能停止(きのう ていし)( "shutdown" )ではなく( "… the real crisis in the USA government is not its shutdown, being then much talked about, …" ),収入が少なすぎるのに支出が多すぎるため,予算(よさん)を均衡(きんこう)させる能力(のうりょく)を恒常的(こうじょうてき)に失(うしな)っていることにあるということです( "… but its constant underlying inability to balance its budget, because of too little income and too much expenditure." ).彼は過小収入(かしょう しゅうにゅう)の原因(げんいん)はなんとか自立(じりつ)できる社会保障(しゃかい ほしょう)の費用負担(ひよう ふたん)などではなく( "The too little income he attributes not to the expense of Social Security, which pays its way, …" ),米国が数十年にわたり製造業(せいぞうぎょう)を低賃金(てい ちんぎん)の外国(がいこく))に外注(がい ちゅう)してきたため( "… but to decades of out-shoring America’s manufacturing to foreign lands with cheap labour, …" ),米国の消費者(しょうひしゃ)が貧(まず)しくなり,その結果(けっか)税収入(ぜい しゅうにゅう)が極度(きょくど)に落ち込(おちこん)んだためだと述べています( "… which has so impoverished American consumers that tax revenues have severely dropped." ).彼はまた過剰支出(かじょう ししゅつ」の原因は,相次(あいつ)ぐ外国での戦争(せんそう)のため湯水(ゆみず)のように出て行った経費(けいひ)だと言っています( "Too much expenditure he attributes to the draining cost of one foreign war after another." ).したがって,彼は米国政府(べいこく せいふ)が危機(きき)を本当に解決(かいけつ)したければ失(うしな)われた仕事を自国に取り戻し(とりもどし),対外戦争(たいがい せんそう)を止(や)めなければならないと診断(しんだん)しています( "So he diagnoses that for the American government to solve its real crisis, the jobs must be brought home and the foreign wars stopped." ).だが,「そうした政策(せいさく)には強力(きょうりょく)に組織化(そしきか)された利害共有者(りがい きょうゆうしゃ)たち( "powerful organized interests" )が反対(はんたい)するため,議会(ぎかい)はそのいずれも実施(じっし)することはありません.」( "But “powerful organized interests oppose any such measures, and so Congress will do neither.” " )
事実(じじつ),ロバーツ博士は「自分の意見(いけん)では,技術(ぎじゅつ)の馬鹿(ばか)げた使い方(つかい かた)が環境(かんきょう)を使い果(つかい は)たしているため,米国経済は今の形(かたち)では救(すく)いようがない」と付言(ふげん)しています( "In fact Dr Roberts adds that in his opinion the American economy cannot be salvaged in its present form because unwise use of technology is exhausting the environment. " ).その上,経済学者たちには「独自(どくじ)の発想(はっそう)を持つ能力(のうりょく)がなく」,さらに「選ばれた議員たちは自分の選挙運動(せんきょ うんどう)の費用(ひよう)を出してくれる私的利害共有者たち( "private interests" )に頼り切(たよりき)っている」ため,「現時点で最も起きそうな予測(よそく)は破たん(はたん)しかないようだ」と述べています( "Moreover economists being “incapable of original thought” and “elected representatives being dependent on the private interests that finance their election campaigns”, then “at this time collapse seems the most likely forecast.” " ).そして,彼はもし米国が進むべき進路(しんろ)を示すリーダーたちが現れれば,廃墟(はいきょ)のなかからなにかもっと賢明(けんめい)なものが生まれるだろう,と言います( "And there will only come something more intelligent from the ruins, he says, if there will be leaders to show the way. " ).
ロバーツ博士はこのように暗(くら)い見通(みとお)しを描(えが)いていますが,彼の説(と)く常識と真実(じょうしき と しんじつ)は注目(ちゅうもく)に値(あたい)します( "The Doctor paints a dark picture, but its common sense and truth must be heeded." ).その常識とは,予算の大問題は収入の大幅増(おおはばぞう)もしくは経費(けいひ)の大幅削減(おおはば さくげん),あるいはその双方(そうほう)によって解決(かいけつ)すべきということです( "The common sense is that a major budget problem must be solved by a major increase in revenue or by a major cut in costs, or both." ).負債(ふさい)をさらに大きく増(ふ)やすことでは解決できません( "It cannot be solved by going into ever more colossal debt." ).博士が言う真実の一つは,常識を持たない経済学者(けいざい がくしゃ)たちの愚(おろ)かさです( "One truth he mentions is the foolishness of economists without common sense, …" ).たとえば,製造業(せいぞうぎょう)の仕事(しごと)は時代遅(じだい おく)れなので,外注(がいちゅう)に出してしかるべきといった彼らの言い分(いいぶん)です( "… for example their pretence that manufacturing jobs, being outmoded, might just as well be out-sourced." ).もう一つの真実は,米国を対外戦争に向かわせる「組織化された利害共有者(りがい きょうゆうしゃ)」と建前上(たてまえじょう)の民主的(みんしゅてき)な選挙(せんきょ)を支配(しはい)する「私的(してき)利害共有者たち」の存在(そんざい)です( "Another truth is the power of the “organized interests” that push for foreign wars, and of the “private interests” that control the supposedly democratic elections." ).
だが,こうした利害共有者たちが米国経済を破たん(はたん)に追い込(おいこ)む動機(どうき)は一体(いったい)何(なん)でしょうか?( "But what motive can these interests have for wishing to drive the United States economy into collapse ? " ) NWOの代理人たちは,国家的同一性(こっかてき どういつせい)や誇(ほこ)り( "any national identity and pride" )を多少でも持つ米国やほかの西側諸国をぶち壊(こわ)し,NWOに吸収(きゅうしゅう)され易(やす)いようにするため懸命(けんめい)に働(はたら)いています( "Agents of the NWO are working hard to break down the United Sates and all Western nations with any national identity or pride, so that they will let themselves be the more easily absorbed into the NWO..経済学者たちは経済学派の中で愚か者扱い(おろかもの あつかい)され,選(えら)ばれた議員(ぎいん)たちは気前(きまえ)のいい報酬(ほうしゅう)を得(え)て自国を負債(ふさい)に陥(おとしい)れるようになります( "Economists will be made dumb in the Schools of Economics, and elected representatives will be handsomely paid to enmesh their countries in debt, …" ).なぜなら,聖書(せいしょ)には負債者(ふさいしゃ)は債権者の僕(しもべ)ないしは奴隷(どれい)になると書いてあります( "… because Scripture says that the debtor makes himself servant, or slave, of the creditor. " ).このようにして,西側の諸政府が抱(かか)える問題は意図的(いとてき)に解決不能(かいけつ ふのう)とされ,奴隷(どれい)にされた国民の気を第三(3)次世界大戦(せかい たいせん)でそらせようとする誘惑(ゆうわく)がしまいには抑(おさ)えがたいようになるでしょう( "Thus the problem of Western governments is being made deliberately so insoluble that the temptation to distract the enslaved peoples with World War III will eventually become irresistible. " ).そうした誘惑は最近シリア侵攻(しんこう)の一件でなんとか抑え込(おさえこ)まれたばかりではないですか?( "Was it not only just resisted in the recent push for the attack on Syria ? " )カトリック信徒のみなさん,ロバーツ博士がいま存在して欲しいと願う指導者(しどうしゃ)たちに,明日(あす)あなたたち自身(じしん)がならなければなりません( "Catholics, you are going to have to be tomorrow those leaders that Dr Roberts hopes for today." ).あなたたちだけが全体像(ぜんたいぞう)をつかんでいるのです.学(まな)び,そして祈(いの)ってください.( "Only you have the complete picture. Study and pray." )
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
ラベル:
ポール・クレイグ・ロバーツ博士,
経済危機,
差し迫る懲罰,
常識,
新世界秩序 "The New World Order",
真実,
世界経済,
第三次世界大戦
2013年11月12日火曜日
330 ファティマ異論 11/9
エレイソン・コメンツ 第330回 (2013年11月9日)
20世紀初(はじ)めに,神は確(たし)かに二つの大きな光明(こうみょう)を現代世界(げんだい せかい)に与(あた)えられました:( "At the outset of the 20th century surely God gave to the modern world two great lights: " ) すなわち,ひとつは,理論(りろん)に関(かん)するもので,1907年に教皇ピオ10世を通(とお)して主観主義(しゅかん しゅぎ)の主要(しゅよう)な誤(あやま)りを咎(とが)めるために出された Encyclical Pascendi (回勅〈かいちょく〉パッシェンディ)です(訳注・フルタイトル: Pascendi Dominici Gregis 「主の群れを牧(ぼく)せよ」)( "for theory, through Pius X, the Encyclical Pascendi in 1907, to denounce the key error of subjectivism; …" ) (訳注後記1). もうひとつは,実践(じっせん)に関するもので,1917年に神の御母(かみの おんはは)(=聖母マリア)を通(とお)して共産主義(きょうさん しゅぎ)という恐(おそ)ろしい災難(さいなん)に対する治療薬(ちりょうやく)として出された(訳注・聖母マリアの)ファティマ御出現(ごしゅつげん)です ( "… for practice, through his Mother, the apparitions of Fatima in 1917, to provide a remedy for the monstrous plague of Communism." )(訳注後記2). だが,悪魔(あくま)は Pascendi から人々の注意(ちゅうい)を逸(そ)らし,ファティマの信憑性(しんぴょうせい)を貶(おとし)めようと,あれこれ異論(いろん)を持ち出(もちだ)します( "But the Devil deflects attention from Pascendi, and raises a series of objections to discredit Fatima." ).主な異論の中から以下に何点か示します:-- ( "Here are a few of the main objections:-- " )
* 聖母マリアが20世紀後半に第三次世界大戦が始まると言われたとするファティマ秘密の3番目 (訳注・=「第3の秘密」) についてのオッタビアーニ枢機卿(すうききょう)の解釈(かいしゃく)を私たちはどうして真剣(しんけん)に受け取れるだろうか? 2000年はすでに来て過ぎ去(すぎさ)ってしまったが,第三次世界大戦など起(お)きなかった. ( * How can we take seriously Cardinal Ottaviani’s version of the third part of the Fatima Secret when supposedly Our Lady says there that a third World war will start in the latter part of the 20th century ? The year 2000 has come and gone, and there has been no third World War.) ファティマ秘密の第2と第3には興味深(きょうみ ぶか)い類似点(るいじてん)があります ( "There is an interesting parallel here between the second and third parts of the Secret of Fatima." ). 第2の部分で聖母マリアは次期(じき)教皇(きょうこう)の時代(じだい)に第一次世界大戦よりひどい戦争(せんそう)が始まると言われました.当時の次期教皇とはピオ11世のことです ( "In the second part Our Lady said that a worse war than WW I would start under the reign of the next Pope, which was Pius XI." ). だが,ピオ11世は1939年春に亡くなられ,第二次世界大戦が布告(ふこく)されたのは同年秋(あき)で,その時点ではピオ12世が教皇でした( "Yet Pius XI died in the spring of 1939 and WW II was only declared in the autumn when Pius XII was Pope. " ). 聖母マリアが暦(こよみ)を間違(まちが)われたのでしょうか? そうではありません.聖母マリアは外見(がいけん)でなく現実(げんじつ)を基準(きじゅん)に話(はな)されただけです ( "Did Our Lady get her calendar wrong ? No, she was simply going by the reality instead of by the appearances." ). 現実に第二次世界大戦が始まったのは1938年です.この年,スターリンはヒトラーとの間(あいだ)に条約(じょうやく)を結(むす)ぶ決定(けってい)をしようとしていました.彼はヒトラーが西部戦線(せいぶ せんせん)で開戦(かいせん)するよう仕向(しむ)けるのが目的(もくてき)でした ( "In reality WW II started in 1938 when Stalin was deciding to make a pact with Hitler so as to liberate Hitler to make war on his western front." ). 2000年5月の神学校長(しんがっこうちょう)の書簡(しょかん)(eleisonkommentar.blogspot,comに掲載〈けいさい〉)に,この第二次世界大戦の本当の始まり(ほんとうの はじまり)についての興味(きょうみ)をそそる話がありますのでお読みください ( "See in the May, 2000, Rector’s Letter (on eleisonkommentar.blogspot,com) the whole fascinating story of this real start to WW II." )(訳注後記3). ところで,オッタビアーニ枢機卿(すうききょう)(訳注後記4) による「第3の秘密」の解釈の真偽(しんぎ)がどうあれ,第三次世界大戦は1991年の最初のイラク侵攻(しんこう)により2000年以前に始まったというのが実態(じったい)ではないでしょうか? ( "Now whether or not the Ottaviani version is or is not the true “Third Secret”, may the reality not be that WW III began in the Middle East before the year 2000, for instance with the first invasion of Iraq in 1991 ? " ) 物事(ものごと)はすべて外見通(がいけんどお)りとは限(かぎ)りません( "Things are not always how they appear." ).
*第二次世界大戦ではドレスデン,東京,長崎に対しぞっとするような空襲が行われた.ここで新しいこととは何か? ( * In WW II we saw horrific bombings of Dresden, Tokyo, Nagasaki. What will be new here ? ) 第二次世界大戦中の死者数合計(ししゃすう ごうけい)は数億(すうおく)という中(なか)から,普通は約6,600万人と見なされています( "Total WW II deaths are reckoned usually at some 66 million, in the tens of millions." ).聖母マリアが,ファティマだけでなく,ほかでも発せられた諸々(もろもろ)の警告(けいこく)を正(ただ)しく読(よ)めば( "If one reads rightly several warnings of Our Lady, and not only in Fatima, …" ),第二次世界大戦と(訳注・人類による「神と神の掟(おきて)に対する反逆(はんぎゃく)」という重い罪〈おもい つみ〉に対する)神の懲罰(ちょうばつ)による犠牲者数(ぎせいしゃ すう)は数千億(すうせんおく)とみられ,百倍(ひゃくばい)を超(こ)えます( "… casualties from WW III and the Chastisement will be reckoned in the thousands of millions. Of the order of 100 times worse." ).
*だが,私たちの時代に見られる精神的懲罰(せいしんてきちょうばつ)よりひどい物質的懲罰(ぶっしつてきちょうばつ)などあるだろうか? ( * But what material Chastisement could be worse than the spiritual chastisement of our own days? ) まさしく,アダムとイブの原罪(げんざい)以降(いこう)では,第二バチカン公会議が人類史上(じんるい しじょう)で最悪(さいあく)の災難(さいなん)です( "True, next after the Fall of Adam and Eve, Vatican II was the worst disaster in all the history of mankind." ).ただし,多数(たすう)の人々(ひとびと)はそれを大いなる解放(おおいなる かいほう)と見ています ( "Yet the mass of men see it as a great liberation." ). 棒(ぼう)や石(いし)で打(う)たれれば骨が折(ほねがお)れてしまうが,言葉(ことば)が私を傷(きず)つけることはない」というのは古(ふる)くからある諺(ことわざ)です ( " “Sticks and stones will break my bones, but words will never hurt me,” is the old saying." ). 精神的懲罰(せいしんてき ちょうばつ)そのものは,より大きな意味(いみ)をもつでしょうが,われわれ人間を分(わ)からせるのは物質的(ぶっしつてき)なものです (マテオ聖福音書9章6節,およびヨハネ聖福音書20償27節を参照)( "Spiritual punishments are in themselves much greater, but it takes material things for us men to understand (cf. Mt. IX, 6, and Jn. XX, 27)." )(訳注後記5).
*ファティマの聖母はもし教皇が何らかの奉献を執り行えば平和の時期が来ると約束された.歴代の教皇たちはそうした奉献を何度か執り行ったが,私たちに平和をもたらしていない. ( *Our Lady of Fatima promised a period of peace if the Pope performed a certain consecration. Popes since then have performed several such consecrations, but we have had no peace. ) たしかに,聖母マリアのお告げに従った奉献(ほうけん)( "consecration" )が何度か行(おこな)われてきましたが,彼女が求(もと)めた通(とお)りの奉献はまだ実現(じつげん)していません: ( "True, there have been several consecrations inspired no doubt by Our Lady of Fatima, but never yet exactly as she required: … " ) 聖母マリアがお求めになったのは,教皇(ご自身の手)により,ロシアを,彼女(=聖母マリア)の汚れなき御心(けがれなき みこころ)( "Immaculate Heart" )に,全世界の司教たちが一体(いったい)となって(=ローマ司教たる教皇を含〈ふく〉む)世界中のカトリック司教たちが一致団結〈いっちだんけつ〉して)奉献(ほうけん)することです( "… by the Pope, of Russia, to her Immaculate Heart, in union with all the bishops of the world." ).これまでは,常(つね)にこの4条件(じょうけん)のどれかが欠(か)けていました( "One or other of these four conditions has always been lacking." ).
*ファティマの聖母は「諸国(しょこく)が滅(ほろ)ぼされる」,「平和の時期(へいわの じき)が来る(くる)」と私たちに告(つ)げられた.私たちは第二次世界大戦で諸国が滅びて,平和の時期が1950年代に訪(おとず)れたのを目撃(もくげき)した.聖母の預言(せいぼの よげん)は実際(じっさい)に起(お)きた. ( *Our Lady of Fatima told us of “nations being annihilated” and of “a period of peace”. We saw nations annihilated in WW II, and a period of peace in the 1950’s. Her prophecies have happened. ) 第二次世界大戦以降,どの国々が滅びたままになっているでしょうか?( "What nations have remained annihilated since WW II, …" ) そして,1950年代の冷戦期間中(れいせん きかん ちゅう)に世界がどれほど平和だったというのでしょうか?( "… and just how much peace was there in the Cold War of the 1950’s ? " ) ファティマの聖母はすでに起(お)きたことよりもっと大きな出来事(できごと)について話(はな)されたのです( "Our Lady of Fatima spoke of far greater events than have yet happened." ).
イエズスの聖心(みこころ)よ,私たちに御慈悲(ごじひ)をお与(あた)えください(=われらを憐れみ給え〈われらを あわれみたまえ〉)( "Sacred Heart of Jesus, have mercy upon us." ). (聖母)マリアの汚れなき御心(けがれなき みこころ)よ,どうぞ私たちのために神に取り成して(とりなして)ください.( "Immaculate Heart of Mary, intercede for us." = マリアの汚れなき御心よ,われらのために祈り給え.) (訳注後記6)
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
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訳注を追補いたします.
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20世紀初(はじ)めに,神は確(たし)かに二つの大きな光明(こうみょう)を現代世界(げんだい せかい)に与(あた)えられました:( "At the outset of the 20th century surely God gave to the modern world two great lights: " ) すなわち,ひとつは,理論(りろん)に関(かん)するもので,1907年に教皇ピオ10世を通(とお)して主観主義(しゅかん しゅぎ)の主要(しゅよう)な誤(あやま)りを咎(とが)めるために出された Encyclical Pascendi (回勅〈かいちょく〉パッシェンディ)です(訳注・フルタイトル: Pascendi Dominici Gregis 「主の群れを牧(ぼく)せよ」)( "for theory, through Pius X, the Encyclical Pascendi in 1907, to denounce the key error of subjectivism; …" ) (訳注後記1). もうひとつは,実践(じっせん)に関するもので,1917年に神の御母(かみの おんはは)(=聖母マリア)を通(とお)して共産主義(きょうさん しゅぎ)という恐(おそ)ろしい災難(さいなん)に対する治療薬(ちりょうやく)として出された(訳注・聖母マリアの)ファティマ御出現(ごしゅつげん)です ( "… for practice, through his Mother, the apparitions of Fatima in 1917, to provide a remedy for the monstrous plague of Communism." )(訳注後記2). だが,悪魔(あくま)は Pascendi から人々の注意(ちゅうい)を逸(そ)らし,ファティマの信憑性(しんぴょうせい)を貶(おとし)めようと,あれこれ異論(いろん)を持ち出(もちだ)します( "But the Devil deflects attention from Pascendi, and raises a series of objections to discredit Fatima." ).主な異論の中から以下に何点か示します:-- ( "Here are a few of the main objections:-- " )
* 聖母マリアが20世紀後半に第三次世界大戦が始まると言われたとするファティマ秘密の3番目 (訳注・=「第3の秘密」) についてのオッタビアーニ枢機卿(すうききょう)の解釈(かいしゃく)を私たちはどうして真剣(しんけん)に受け取れるだろうか? 2000年はすでに来て過ぎ去(すぎさ)ってしまったが,第三次世界大戦など起(お)きなかった. ( * How can we take seriously Cardinal Ottaviani’s version of the third part of the Fatima Secret when supposedly Our Lady says there that a third World war will start in the latter part of the 20th century ? The year 2000 has come and gone, and there has been no third World War.) ファティマ秘密の第2と第3には興味深(きょうみ ぶか)い類似点(るいじてん)があります ( "There is an interesting parallel here between the second and third parts of the Secret of Fatima." ). 第2の部分で聖母マリアは次期(じき)教皇(きょうこう)の時代(じだい)に第一次世界大戦よりひどい戦争(せんそう)が始まると言われました.当時の次期教皇とはピオ11世のことです ( "In the second part Our Lady said that a worse war than WW I would start under the reign of the next Pope, which was Pius XI." ). だが,ピオ11世は1939年春に亡くなられ,第二次世界大戦が布告(ふこく)されたのは同年秋(あき)で,その時点ではピオ12世が教皇でした( "Yet Pius XI died in the spring of 1939 and WW II was only declared in the autumn when Pius XII was Pope. " ). 聖母マリアが暦(こよみ)を間違(まちが)われたのでしょうか? そうではありません.聖母マリアは外見(がいけん)でなく現実(げんじつ)を基準(きじゅん)に話(はな)されただけです ( "Did Our Lady get her calendar wrong ? No, she was simply going by the reality instead of by the appearances." ). 現実に第二次世界大戦が始まったのは1938年です.この年,スターリンはヒトラーとの間(あいだ)に条約(じょうやく)を結(むす)ぶ決定(けってい)をしようとしていました.彼はヒトラーが西部戦線(せいぶ せんせん)で開戦(かいせん)するよう仕向(しむ)けるのが目的(もくてき)でした ( "In reality WW II started in 1938 when Stalin was deciding to make a pact with Hitler so as to liberate Hitler to make war on his western front." ). 2000年5月の神学校長(しんがっこうちょう)の書簡(しょかん)(eleisonkommentar.blogspot,comに掲載〈けいさい〉)に,この第二次世界大戦の本当の始まり(ほんとうの はじまり)についての興味(きょうみ)をそそる話がありますのでお読みください ( "See in the May, 2000, Rector’s Letter (on eleisonkommentar.blogspot,com) the whole fascinating story of this real start to WW II." )(訳注後記3). ところで,オッタビアーニ枢機卿(すうききょう)(訳注後記4) による「第3の秘密」の解釈の真偽(しんぎ)がどうあれ,第三次世界大戦は1991年の最初のイラク侵攻(しんこう)により2000年以前に始まったというのが実態(じったい)ではないでしょうか? ( "Now whether or not the Ottaviani version is or is not the true “Third Secret”, may the reality not be that WW III began in the Middle East before the year 2000, for instance with the first invasion of Iraq in 1991 ? " ) 物事(ものごと)はすべて外見通(がいけんどお)りとは限(かぎ)りません( "Things are not always how they appear." ).
*第二次世界大戦ではドレスデン,東京,長崎に対しぞっとするような空襲が行われた.ここで新しいこととは何か? ( * In WW II we saw horrific bombings of Dresden, Tokyo, Nagasaki. What will be new here ? ) 第二次世界大戦中の死者数合計(ししゃすう ごうけい)は数億(すうおく)という中(なか)から,普通は約6,600万人と見なされています( "Total WW II deaths are reckoned usually at some 66 million, in the tens of millions." ).聖母マリアが,ファティマだけでなく,ほかでも発せられた諸々(もろもろ)の警告(けいこく)を正(ただ)しく読(よ)めば( "If one reads rightly several warnings of Our Lady, and not only in Fatima, …" ),第二次世界大戦と(訳注・人類による「神と神の掟(おきて)に対する反逆(はんぎゃく)」という重い罪〈おもい つみ〉に対する)神の懲罰(ちょうばつ)による犠牲者数(ぎせいしゃ すう)は数千億(すうせんおく)とみられ,百倍(ひゃくばい)を超(こ)えます( "… casualties from WW III and the Chastisement will be reckoned in the thousands of millions. Of the order of 100 times worse." ).
*だが,私たちの時代に見られる精神的懲罰(せいしんてきちょうばつ)よりひどい物質的懲罰(ぶっしつてきちょうばつ)などあるだろうか? ( * But what material Chastisement could be worse than the spiritual chastisement of our own days? ) まさしく,アダムとイブの原罪(げんざい)以降(いこう)では,第二バチカン公会議が人類史上(じんるい しじょう)で最悪(さいあく)の災難(さいなん)です( "True, next after the Fall of Adam and Eve, Vatican II was the worst disaster in all the history of mankind." ).ただし,多数(たすう)の人々(ひとびと)はそれを大いなる解放(おおいなる かいほう)と見ています ( "Yet the mass of men see it as a great liberation." ). 棒(ぼう)や石(いし)で打(う)たれれば骨が折(ほねがお)れてしまうが,言葉(ことば)が私を傷(きず)つけることはない」というのは古(ふる)くからある諺(ことわざ)です ( " “Sticks and stones will break my bones, but words will never hurt me,” is the old saying." ). 精神的懲罰(せいしんてき ちょうばつ)そのものは,より大きな意味(いみ)をもつでしょうが,われわれ人間を分(わ)からせるのは物質的(ぶっしつてき)なものです (マテオ聖福音書9章6節,およびヨハネ聖福音書20償27節を参照)( "Spiritual punishments are in themselves much greater, but it takes material things for us men to understand (cf. Mt. IX, 6, and Jn. XX, 27)." )(訳注後記5).
*ファティマの聖母はもし教皇が何らかの奉献を執り行えば平和の時期が来ると約束された.歴代の教皇たちはそうした奉献を何度か執り行ったが,私たちに平和をもたらしていない. ( *Our Lady of Fatima promised a period of peace if the Pope performed a certain consecration. Popes since then have performed several such consecrations, but we have had no peace. ) たしかに,聖母マリアのお告げに従った奉献(ほうけん)( "consecration" )が何度か行(おこな)われてきましたが,彼女が求(もと)めた通(とお)りの奉献はまだ実現(じつげん)していません: ( "True, there have been several consecrations inspired no doubt by Our Lady of Fatima, but never yet exactly as she required: … " ) 聖母マリアがお求めになったのは,教皇(ご自身の手)により,ロシアを,彼女(=聖母マリア)の汚れなき御心(けがれなき みこころ)( "Immaculate Heart" )に,全世界の司教たちが一体(いったい)となって(=ローマ司教たる教皇を含〈ふく〉む)世界中のカトリック司教たちが一致団結〈いっちだんけつ〉して)奉献(ほうけん)することです( "… by the Pope, of Russia, to her Immaculate Heart, in union with all the bishops of the world." ).これまでは,常(つね)にこの4条件(じょうけん)のどれかが欠(か)けていました( "One or other of these four conditions has always been lacking." ).
*ファティマの聖母は「諸国(しょこく)が滅(ほろ)ぼされる」,「平和の時期(へいわの じき)が来る(くる)」と私たちに告(つ)げられた.私たちは第二次世界大戦で諸国が滅びて,平和の時期が1950年代に訪(おとず)れたのを目撃(もくげき)した.聖母の預言(せいぼの よげん)は実際(じっさい)に起(お)きた. ( *Our Lady of Fatima told us of “nations being annihilated” and of “a period of peace”. We saw nations annihilated in WW II, and a period of peace in the 1950’s. Her prophecies have happened. ) 第二次世界大戦以降,どの国々が滅びたままになっているでしょうか?( "What nations have remained annihilated since WW II, …" ) そして,1950年代の冷戦期間中(れいせん きかん ちゅう)に世界がどれほど平和だったというのでしょうか?( "… and just how much peace was there in the Cold War of the 1950’s ? " ) ファティマの聖母はすでに起(お)きたことよりもっと大きな出来事(できごと)について話(はな)されたのです( "Our Lady of Fatima spoke of far greater events than have yet happened." ).
イエズスの聖心(みこころ)よ,私たちに御慈悲(ごじひ)をお与(あた)えください(=われらを憐れみ給え〈われらを あわれみたまえ〉)( "Sacred Heart of Jesus, have mercy upon us." ). (聖母)マリアの汚れなき御心(けがれなき みこころ)よ,どうぞ私たちのために神に取り成して(とりなして)ください.( "Immaculate Heart of Mary, intercede for us." = マリアの汚れなき御心よ,われらのために祈り給え.) (訳注後記6)
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
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訳注を追補いたします.
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ラベル:
オッタビアーニ枢機卿,
ピオ11世,
ピオ12世,
ファティマの聖母,
神学校長の書簡,
第3の秘密,
第三次世界大戦,
第二バチカン公会議,
第二次世界大戦
2013年11月3日日曜日
329 ご支援ください 11/2
エレイソン・コメンツ 第329回 (2013年11月2日)
過去(かこ)20年間,私は聖ピオ十世会( "the Society of St Pius X" = SSPX )がいずれ破(は)たんするかもしれないと定期的(ていきてき)に言い続(いいつづ)けてきました.私の同僚(どうりょう)たちは,私がそういうことを言うのを決して好(この)みませんでした.また,一部の人たちの考えとは正反対(せいはんたい)に,私自身はそういうことを言って楽しいと思(おも)ったこともありません.だが, SSPX は確かに破たんしそうになっています.一読者が最近私にある引用文(いんようぶん)を送ってくださいました.その引用は私が1984年に授品式(じゅひんしき)(訳注後記1)でおこなった説教(せっきょう)から抜き出(ぬきだ)したものです.むろん私は自分が説教で述(の)べたことなどすっかり忘(わす)れていました(以下は私の説教の内容(ないよう)です):--
「教会の始まり(きょうかいの はじまり)には,戦(たたか)うイエズス・キリストは従者(じゅうしゃ)たちをカタコンブとそこでの迫害(はくがい)から表(おもて)の場(ば)に導き出(みちびき だ)しました( " “At the beginning of the Church Militant Jesus Christ led his followers through the catacombs and persecution out into the open, …" ).教会の終わり(きょうかいの おわり)には,戦(たたか)うイエズス・キリストは従者(じゅうしゃ)たちを表の場(おもての ば)のテントでの迫害(はくがい)から再(ふたた)びカタコンブへ導(みちび)くでしょう( "… and at the end of the Church Militant He may well lead them from the tent in the open field through persecution back to the catacombs. " ).もし,それが起(お)きて私たちがカタコンブへ着(つ)いたとしても,私たちの多(おお)くにとっては,そこで SSPX と共(とも)にというのでなく, SSPX なしでやっていくことになるかもしれません(…)( "… If it comes to that, and if we make it to the catacombs, for many of us it will certainly not have been without the Society but back in the catacombs we may have to do without the Society (…). " ). 親愛(しんあい)なる神学生(しんがくせい)の皆(みな)さん! 私は折に触れて(おりにふれて)告(つ)げるでしょう (…)( "Dear seminarians ! Regularly I tell them (…) that …" ) 全世界(ぜんせかい)が皆さんに敵対(てきたい)していること; 全世界がたちまち破滅(はめつ)すること; SSPX はあっけなく滅(ほろ)びること; 将来(しょうらい)は真っ暗(まっくら)で,たとえいま暗闇(くらやみ)でなくても先行(さきゆ)きは悲観的(ひかんてき)であることを( "… the whole world is against them; that the whole world is going to hell in a hand-basket; that the Society of St. Pius X could easily perish; that the future is dark and where there is no gloom it is full of doom. " ). 皆さんお分(わ)かりでしょうか,私は確信(かくしん)します.もし私の恐ろしい予感(おそろしい よかん)が実際(じっさい)に起(お)きたら,神学生の皆さんたちはきっと驚(おどろ)いて喜(よろこ)ぶことになるだろう,と! ( "Do you know, I do believe that if any of my dire forebodings actually came true, seminarians would be pleasantly surprised !” " )」
私がいま SSPX に対(たい)する「抵抗運動(ていこう うんどう)」の中(なか)になにを見(み)ているとお考(かんが)えでしょうか? ( "And what do I think I see now in the “Resistance” ?" ) それは,第二バチカン公会議の廃墟から現れ出た伝統派の生存者たち( "the remnant of Traditionalists" )の中から,喜び溢れるカトリック教徒が苦しみ悶え(くるしみ もだ)えながらも着実(ちゃくじつ)に出現(しゅつげん)することです( "The painful but steady emergence of the joyful remnant of Catholics from the remnant of Traditionalists who emerged from the ruins of Vatican II." ). SSPX の機構(きこう)や神学校(しんがっこう)に取って代(とって か)わるものを創り出(つくり だ)す必要性(ひつよう せい)について私をその気(き)にさせる材料(ざいりょう)はまだ何(なに)もありません( "Nothing yet persuades me of the need for a structure or a seminary to replace those of the SSPX, …" ).だが,抵抗運動の歴史(れきし)はまだ始(はじ)まったばかりの段階(だんかい)です( "… but these are early days in the history of the Resistance." ).私がいま必要(ひつよう)と考(かんが)えるのはイングランドに抵抗運動の活動拠点(かつどう きょてん)を持(も)つことです.欧州(=ヨーロッパ)大陸(たいりく)からもロンドン近郊(きんこう)の諸空港(しょ くうこう)からもあまり離(はな)れていないところに抵抗運動の結束(けっそく)を固(かた)めるのに役立(やくだ)つ家屋(かおく)を持(も)ち ( "What I do think is needed is a base of Resistance operations in England, not far from the Continent nor from London airports, bricks and mortar to lend some solidity to the Resistance, …" ),たとえば司祭(しさい)たちがなんのプレッシャーも受けずに最低でも2,3日そこで過(す)ごし,今日(こんにち)の使徒的宣教 "apostolate" の職務(しょくむ)にともなう現実(げんじつ)の諸々の困難(もろもろの こんなん)から立ち直(たち なお)れるようにしたいのです( "… and to provide, for instance, a refuge where priests can recuperate for at least a few days, under no kind of pressure, from the real hardships of today’s apostolate." ).
家屋(かおく)の選定(せんてい)はすでに終(お)わっており,物件(ぶっけん)は実在(じつざい)しています( "The house has been chosen, it does exist, …." ).私たちはその購入(こうにゅう)について合意(ごうい)し,支払(しはら)いに充(あ)てる寄付金(きふきん)が集(あつ)まりだしています( "… we have agreed to buy, and donations are coming in, …." ).だが,11月末(まつ・すえ)までに4万ポンド,12月中旬(ちゅうじゅん)までにさらに36万ポンドが必要です( "… but we do now need both £40,000 by the end of November and another £360,000 by mid-December. ." ).私はあれこれ約束(やくそく)ごとをするのは好(この)みませんが( "I do not like making promises, …." ),神の御助(おん たす)けを得(え)て,この先(さき)数年(すうねん)なにが起きても,カトリック信仰の擁護(ようご)を捨て去(すてさ)ることはないとお約束(やくそく)できます( "… but with the help of God I think I can promise not to abandon the defence of the Faith, whatever form that defence may take over the next several years. ." ).どうかご支援(しえん)ください( "Please help, ….そして明日(あす)になれば通貨価値(つうか かち)が暴落(ぼうらく)するかもしれない兆(きざ)しが見(み)える今日(こんにち),( "… and in today’s shadow of tomorrow’s collapse of currencies, …." ),天国(てんごく)が保証(ほしょう)する素晴(すば)らしい投資(とうし)をなさることをぜひお考(かんが)えください( "… do think of making a heavenly investment guaranteed by the whole host of Heaven. " ).ご寄付くださる皆様(みなさま)すべての方々(かたがた)の上(うえ)に神の御祝福(かみの おんしゅくふく)をお祈(いの)りします( "Bless you for any and all donations." ).ご寄付の支払方法(しはらい ほうほう)についての詳細(しょうさい)を以下(いか)にもう一度示(しめ)します.
キリエ・エレイソン.
リチャード・N・ウィリアムソン司教
* いずれの通貨建て(つうか だて)でも,クレジットカードまたはデビットカードで振り込(ふりこ)まれる少額(しょうがく)の寄付金(きふきん)( "… small credit- or debit-card contributions" )は世界中(せかいじゅう)のどこからでも PayPal 経由(けいゆ)で私たちの手元(てもと)に簡単(かんたん)に届(とど)きます.( www.paypal.com/sendmoneyにアクセスし
buildingfund@stmarcelinitiative.com宛(あ)てにお送りください).
( " * In ANY CURRENCY small credit- or debit-card contributions from anywhere in the world can easily reach us via PayPal. ( Go to www.paypal.com/sendmoney and send the contribution to buildingfund@stmarcelinitiative.com ) " ).
***
* 英国ポンド建てで銀行手形(ぎんこうてがた,"banker’s draft" )もしくは小切手(こぎって,"checks" )により寄付される方は St Marcel Initiative, P.O. Box 423, Deal CT 14 4BF, England 宛てにお送りください.
( " * Contributions in POUNDS STERLING by banker’s draft or check should be made out and sent to the St Marcel Initiative, P.O. Box 423, Deal CT 14 4BF, England. " ).
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* 米(べい)ドル建て銀行手形もしくは小切手による寄付も St Marcel Initiative に宛て, 9051 Watson Rd., Suite 279, Crestwood, MO 63126, USA へお送りください(米国からの寄付はしばらくして税金控除〈ぜいきん こうじょ〉の対象〈たいしょう〉となります).
( " * Banker’s drafts or checks in US DOLLARS should likewise be made out to St Marcel Initiative and sent to 9051 Watson Rd., Suite 279, Crestwood, MO 63126, USA (the US contributions will soon be tax-deductible). " ).
***
* ユーロ建て寄付は,小切手を “Institut Culturel St Benoit” 宛てにし, ICSB, BP 60232, F78002 Versailles Cedex, France へお送りください.
( " * In EUROS, checks made out to “Institut Culturel St Benoît” should be posted to ICSB, BP 60232, F78002 Versailles Cedex, France. " ).
ユーロ建て寄付金について,フランス国内(こくない)からの場合は, RIB - 20041 01012 6704 141J033 09 へ,フランス国外(こくがい)からの場合は, the International Bank Account Number IBAN - FR85 2004 1010 1267 0414 1J03 309 へ, BIC – PSSTFRPPSCE を書き加える(かきくわえる)ことで,電信送金(でんしん そうきん)が可能(かのう)です.
( "Euros can also be sent by wire transfer from inside France to RIB - 20041 01012 6704 149J033 09; from outside France to the International Bank Account Number IBAN - FR85 2004 1010 1267 0414 9J03 309, with BIC – PSSTFRPPSCE" ).
***
*その他の電信送金の場合は,buildingfund@dinoscopus.org へEメールで詳細(しょうさい)をお問い合わせ(おといあわせ)ください.米国内(べいこくない)からの場合は,www.stmarcelinitiative.com. の "e-check/bank wire" をご利用いただければ便利(べんり)です.
( " * For other bank wire transfers, please write to us for details at buildingfund@dinoscopus.org , or, in the USA, use the convenient “e-check/bank wire” form at www.stmarcelinitiative.com. ).
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第1パラグラフの訳注1:
「授品式〈じゅひんしき〉」( = "ordinatio" )と「叙階式」(=「聖別式」)( = "consecratio" )について.
・カトリック司教(しきょう)が男子修道士に司祭の品級の秘蹟を授ける式(しさいの ひんきゅうの ひせきを さずける しき)の呼称(こしょう).
・現在,司教に叙(じょ)する場合も司祭に叙する場合も総じて「叙階式〈じょかいしき〉」と呼(よ)ばれるが,
・かつての日本においては伝統的(にほんに おいては でんとう てき)に,前者のみを,「叙階式」(=「聖別式」)( = "consecratio" )と呼称した.
・司祭の品級の秘蹟を授ける式については,「授品式」と呼称した.
* * *
過去(かこ)20年間,私は聖ピオ十世会( "the Society of St Pius X" = SSPX )がいずれ破(は)たんするかもしれないと定期的(ていきてき)に言い続(いいつづ)けてきました.私の同僚(どうりょう)たちは,私がそういうことを言うのを決して好(この)みませんでした.また,一部の人たちの考えとは正反対(せいはんたい)に,私自身はそういうことを言って楽しいと思(おも)ったこともありません.だが, SSPX は確かに破たんしそうになっています.一読者が最近私にある引用文(いんようぶん)を送ってくださいました.その引用は私が1984年に授品式(じゅひんしき)(訳注後記1)でおこなった説教(せっきょう)から抜き出(ぬきだ)したものです.むろん私は自分が説教で述(の)べたことなどすっかり忘(わす)れていました(以下は私の説教の内容(ないよう)です):--
「教会の始まり(きょうかいの はじまり)には,戦(たたか)うイエズス・キリストは従者(じゅうしゃ)たちをカタコンブとそこでの迫害(はくがい)から表(おもて)の場(ば)に導き出(みちびき だ)しました( " “At the beginning of the Church Militant Jesus Christ led his followers through the catacombs and persecution out into the open, …" ).教会の終わり(きょうかいの おわり)には,戦(たたか)うイエズス・キリストは従者(じゅうしゃ)たちを表の場(おもての ば)のテントでの迫害(はくがい)から再(ふたた)びカタコンブへ導(みちび)くでしょう( "… and at the end of the Church Militant He may well lead them from the tent in the open field through persecution back to the catacombs. " ).もし,それが起(お)きて私たちがカタコンブへ着(つ)いたとしても,私たちの多(おお)くにとっては,そこで SSPX と共(とも)にというのでなく, SSPX なしでやっていくことになるかもしれません(…)( "… If it comes to that, and if we make it to the catacombs, for many of us it will certainly not have been without the Society but back in the catacombs we may have to do without the Society (…). " ). 親愛(しんあい)なる神学生(しんがくせい)の皆(みな)さん! 私は折に触れて(おりにふれて)告(つ)げるでしょう (…)( "Dear seminarians ! Regularly I tell them (…) that …" ) 全世界(ぜんせかい)が皆さんに敵対(てきたい)していること; 全世界がたちまち破滅(はめつ)すること; SSPX はあっけなく滅(ほろ)びること; 将来(しょうらい)は真っ暗(まっくら)で,たとえいま暗闇(くらやみ)でなくても先行(さきゆ)きは悲観的(ひかんてき)であることを( "… the whole world is against them; that the whole world is going to hell in a hand-basket; that the Society of St. Pius X could easily perish; that the future is dark and where there is no gloom it is full of doom. " ). 皆さんお分(わ)かりでしょうか,私は確信(かくしん)します.もし私の恐ろしい予感(おそろしい よかん)が実際(じっさい)に起(お)きたら,神学生の皆さんたちはきっと驚(おどろ)いて喜(よろこ)ぶことになるだろう,と! ( "Do you know, I do believe that if any of my dire forebodings actually came true, seminarians would be pleasantly surprised !” " )」
私がいま SSPX に対(たい)する「抵抗運動(ていこう うんどう)」の中(なか)になにを見(み)ているとお考(かんが)えでしょうか? ( "And what do I think I see now in the “Resistance” ?" ) それは,第二バチカン公会議の廃墟から現れ出た伝統派の生存者たち( "the remnant of Traditionalists" )の中から,喜び溢れるカトリック教徒が苦しみ悶え(くるしみ もだ)えながらも着実(ちゃくじつ)に出現(しゅつげん)することです( "The painful but steady emergence of the joyful remnant of Catholics from the remnant of Traditionalists who emerged from the ruins of Vatican II." ). SSPX の機構(きこう)や神学校(しんがっこう)に取って代(とって か)わるものを創り出(つくり だ)す必要性(ひつよう せい)について私をその気(き)にさせる材料(ざいりょう)はまだ何(なに)もありません( "Nothing yet persuades me of the need for a structure or a seminary to replace those of the SSPX, …" ).だが,抵抗運動の歴史(れきし)はまだ始(はじ)まったばかりの段階(だんかい)です( "… but these are early days in the history of the Resistance." ).私がいま必要(ひつよう)と考(かんが)えるのはイングランドに抵抗運動の活動拠点(かつどう きょてん)を持(も)つことです.欧州(=ヨーロッパ)大陸(たいりく)からもロンドン近郊(きんこう)の諸空港(しょ くうこう)からもあまり離(はな)れていないところに抵抗運動の結束(けっそく)を固(かた)めるのに役立(やくだ)つ家屋(かおく)を持(も)ち ( "What I do think is needed is a base of Resistance operations in England, not far from the Continent nor from London airports, bricks and mortar to lend some solidity to the Resistance, …" ),たとえば司祭(しさい)たちがなんのプレッシャーも受けずに最低でも2,3日そこで過(す)ごし,今日(こんにち)の使徒的宣教 "apostolate" の職務(しょくむ)にともなう現実(げんじつ)の諸々の困難(もろもろの こんなん)から立ち直(たち なお)れるようにしたいのです( "… and to provide, for instance, a refuge where priests can recuperate for at least a few days, under no kind of pressure, from the real hardships of today’s apostolate." ).
家屋(かおく)の選定(せんてい)はすでに終(お)わっており,物件(ぶっけん)は実在(じつざい)しています( "The house has been chosen, it does exist, …." ).私たちはその購入(こうにゅう)について合意(ごうい)し,支払(しはら)いに充(あ)てる寄付金(きふきん)が集(あつ)まりだしています( "… we have agreed to buy, and donations are coming in, …." ).だが,11月末(まつ・すえ)までに4万ポンド,12月中旬(ちゅうじゅん)までにさらに36万ポンドが必要です( "… but we do now need both £40,000 by the end of November and another £360,000 by mid-December. ." ).私はあれこれ約束(やくそく)ごとをするのは好(この)みませんが( "I do not like making promises, …." ),神の御助(おん たす)けを得(え)て,この先(さき)数年(すうねん)なにが起きても,カトリック信仰の擁護(ようご)を捨て去(すてさ)ることはないとお約束(やくそく)できます( "… but with the help of God I think I can promise not to abandon the defence of the Faith, whatever form that defence may take over the next several years. ." ).どうかご支援(しえん)ください( "Please help, ….そして明日(あす)になれば通貨価値(つうか かち)が暴落(ぼうらく)するかもしれない兆(きざ)しが見(み)える今日(こんにち),( "… and in today’s shadow of tomorrow’s collapse of currencies, …." ),天国(てんごく)が保証(ほしょう)する素晴(すば)らしい投資(とうし)をなさることをぜひお考(かんが)えください( "… do think of making a heavenly investment guaranteed by the whole host of Heaven. " ).ご寄付くださる皆様(みなさま)すべての方々(かたがた)の上(うえ)に神の御祝福(かみの おんしゅくふく)をお祈(いの)りします( "Bless you for any and all donations." ).ご寄付の支払方法(しはらい ほうほう)についての詳細(しょうさい)を以下(いか)にもう一度示(しめ)します.
キリエ・エレイソン.
リチャード・N・ウィリアムソン司教
* いずれの通貨建て(つうか だて)でも,クレジットカードまたはデビットカードで振り込(ふりこ)まれる少額(しょうがく)の寄付金(きふきん)( "… small credit- or debit-card contributions" )は世界中(せかいじゅう)のどこからでも PayPal 経由(けいゆ)で私たちの手元(てもと)に簡単(かんたん)に届(とど)きます.( www.paypal.com/sendmoneyにアクセスし
buildingfund@stmarcelinitiative.com宛(あ)てにお送りください).
( " * In ANY CURRENCY small credit- or debit-card contributions from anywhere in the world can easily reach us via PayPal. ( Go to www.paypal.com/sendmoney and send the contribution to buildingfund@stmarcelinitiative.com ) " ).
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* 英国ポンド建てで銀行手形(ぎんこうてがた,"banker’s draft" )もしくは小切手(こぎって,"checks" )により寄付される方は St Marcel Initiative, P.O. Box 423, Deal CT 14 4BF, England 宛てにお送りください.
( " * Contributions in POUNDS STERLING by banker’s draft or check should be made out and sent to the St Marcel Initiative, P.O. Box 423, Deal CT 14 4BF, England. " ).
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* 米(べい)ドル建て銀行手形もしくは小切手による寄付も St Marcel Initiative に宛て, 9051 Watson Rd., Suite 279, Crestwood, MO 63126, USA へお送りください(米国からの寄付はしばらくして税金控除〈ぜいきん こうじょ〉の対象〈たいしょう〉となります).
( " * Banker’s drafts or checks in US DOLLARS should likewise be made out to St Marcel Initiative and sent to 9051 Watson Rd., Suite 279, Crestwood, MO 63126, USA (the US contributions will soon be tax-deductible). " ).
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* ユーロ建て寄付は,小切手を “Institut Culturel St Benoit” 宛てにし, ICSB, BP 60232, F78002 Versailles Cedex, France へお送りください.
( " * In EUROS, checks made out to “Institut Culturel St Benoît” should be posted to ICSB, BP 60232, F78002 Versailles Cedex, France. " ).
ユーロ建て寄付金について,フランス国内(こくない)からの場合は, RIB - 20041 01012 6704 141J033 09 へ,フランス国外(こくがい)からの場合は, the International Bank Account Number IBAN - FR85 2004 1010 1267 0414 1J03 309 へ, BIC – PSSTFRPPSCE を書き加える(かきくわえる)ことで,電信送金(でんしん そうきん)が可能(かのう)です.
( "Euros can also be sent by wire transfer from inside France to RIB - 20041 01012 6704 149J033 09; from outside France to the International Bank Account Number IBAN - FR85 2004 1010 1267 0414 9J03 309, with BIC – PSSTFRPPSCE" ).
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*その他の電信送金の場合は,buildingfund@dinoscopus.org へEメールで詳細(しょうさい)をお問い合わせ(おといあわせ)ください.米国内(べいこくない)からの場合は,www.stmarcelinitiative.com. の "e-check/bank wire" をご利用いただければ便利(べんり)です.
( " * For other bank wire transfers, please write to us for details at buildingfund@dinoscopus.org , or, in the USA, use the convenient “e-check/bank wire” form at www.stmarcelinitiative.com. ).
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第1パラグラフの訳注1:
「授品式〈じゅひんしき〉」( = "ordinatio" )と「叙階式」(=「聖別式」)( = "consecratio" )について.
・カトリック司教(しきょう)が男子修道士に司祭の品級の秘蹟を授ける式(しさいの ひんきゅうの ひせきを さずける しき)の呼称(こしょう).
・現在,司教に叙(じょ)する場合も司祭に叙する場合も総じて「叙階式〈じょかいしき〉」と呼(よ)ばれるが,
・かつての日本においては伝統的(にほんに おいては でんとう てき)に,前者のみを,「叙階式」(=「聖別式」)( = "consecratio" )と呼称した.
・司祭の品級の秘蹟を授ける式については,「授品式」と呼称した.
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2013年10月29日火曜日
328 衰退する聖ピオ十世会(SSPX) 10/26
エレイソン・コメンツ 第328回 (2013年10月26日)
聖ピオ十世会( "the Society of St Pius X" = SSPX )がカトリック信仰を守ってきた輝(かがや)かしい40年に今日(こんにち)の状況下(じょうきょうか)で終止符(しゅうしふ)が打(う)たれようとしているのはなぜでしょうか ( "… why in today’s circumstances an end is now threatening the 40 glorious years of the defence of the Faith by the Society of St Pius X." ),神の栄光(かみの えいこう)のため,そして霊魂の救済(れいこんの きゅうさい)のため,その原因の究明(げんいんの きゅうめい)は避(さ)けて通(とお)れません( "For the glory of God and for the salvation of souls it is essential to diagnose …" ).この点(てん)で,最近(さいきん)書(か)かれた一本の記事(いっぽんの きじ)と一通の書簡(いっつうの しょかん)が役立(やくだ)つかもしれません:( "An article and a letter recently written may help in this respect: …" ).記事(きじ)は SSPX の衰退(すいたい)を分析(ぶんせき)したもので,書簡は SSPX の再興(さいこう)に一縷(いちる)の望(のぞ)みをかけたものです( "… an article analyzing the Society’s fall, and a letter with a note of hope as to how it may rise again." ).
記事はフランス語で書かれており,インターネットに掲載(けいさい)されています( " “Un Évêque se lève” "〈=「一司教立ち上がる」の意〉をご覧ください)( ( "The article appeared in French on the Internet (see “Un Évêque se lève”)." ).記事の著者(ちょしゃ)は,現代の教育(げんだいの きょういく)における空想的理想主義(くうそうてき りそうしゅぎ)を現代の政治(せいじ)における同じく非現実的空想(ひげんじつてき くうそう)に対比(たいひ)した一冊の著書(いっさつの ちょしょ)を読んだ後(よんだ あと)で( "After reading a book on utopianism in modern education which compares it to the same unrealistic dreaming in modern politics, the article’s author …" ),六段階(ろく だんかい)のパターンが SSPX にも当てはまると気づいたそうです( "… found that the same pattern in six stages could be applied to the SSPX." ).はじめに,そのパターンとは次のようなものです:( "Firstly, the pattern: " )1 人間の性質(にんげんの せいしつ)をとがめることなく,折り合(おりあ)って行くべき既定事実(きてい じじつ)として受け止(うけと)めることを拒否(きょひ)すること( "1 A refusal of human nature as a given to be worked with, and not against." ).2 子供・大人をまったく新(あら)たに作り直す(つくり なおす)という空想を抱(いだ)くこと( "2 A dream of fabricating the child/man completely anew." ).3 家庭・社会(かてい・しゃかい)の自然な仕組み(しぜんなしくみ)を排除(はいじょ)すること( "3 The exclusion of natural structures of family/society." ).4 子供(こども)をまったく新しい社会を産み出す(うみだす)ように改造(かいぞう)すること( "4 The total re-fashioning of the child to generate a perfect new society." ).5 当初の意図(とうしょの いと)が良(よ)くても,これによって生(しょう)じる結果は惨憺(さんたん)たるものになる ( "5 The disastrous results, despite all the initial good intentions " ) -- 6 無知(むち)でひねくれた児童(じどう)が育(そだ)ち,社会は信仰(しんこう)を捨(す)て,神に戦(たたか)いを挑(いど)むようになる ( " -- 6 Ignorant and perverse children, and a society apostatising and making war on God." ).
次に,このパターンを SSPX に当(あ)てはめます( "Secondly, the application to the SSPX: " ).1 カトリック教会の未曽有の危機という現実(みぞうの きき という げんじつ)を受け止(うけと)めることを拒否(きょひ)する( "1 Refusal of the reality of the unprecedented crisis in the Church. " ).2 第二バチカン公会議派教会と伝統派との間の和解(わかい)を夢見(ゆめみ)る( "2 Dream of fabricating a reconciliation between the Conciliar Church and Tradition..3 指導者(しどうしゃ)と導(みちび)かれる者( "leaders and led" )との間(あいだ)の自然な交流(しぜんな こうりゅう)を排除(はいじょ)する( "3 Exclusion of natural interaction between leaders and led. " ).4 そのような夢(ゆめ)を押し付(おしつ)けるためカトリック教の権威(けんい)を完全(かんぜん)に作り変(つくりか)える( "4 Total re-fashioning of Catholic authority to impose the dream." ).5 意図(いと)は敬虔(けいけん)なものであっても, SSPX のスターリン化(か)という惨憺(さんたん)たる結果(けっか)に終(お)わる -- 教育(きょういく),政治(せいじ), あるいはSSPX においてでさえ,夢見(ゆめみ)る者が変(か)わりようのない現実(げんじつ)に直面(ちょくめん)すると自分の持てる限(もてる かぎ)りの権力(けんりょく)を行使(こうし)して,その現実を押(お)しつぶそうとする -- こうなると,彼が抱く夢(いだく ゆめ)にはうんざりしたくなる( "5 Disastrous resulting Stalinization of the SSPX, despite all pious intentions -- in education, politics or the SSPX, when the dreamer confronts unyielding reality, he is liable to use all the force he has at his disposal to crush the reality -- his dream is so much more lovely. " ).6 闘争心(とうそうしん)を失(うしな)い,それが信仰(しんこう)の完全喪失(かんぜん そうしつ)につながる( " 6 Loss of fighting spirit, liable to lead to entire loss of Faith." ).
上述(じょうじゅつ)の書簡(しょかん)は私の手元(てもと)にEメールで届いたものです( "The letter, reaching me by e-mail, …" ).内容(ないよう)は記事の分析(きじの ぶんせき)と同じようなものですが( "… follows the same general line of analysis, …" ),書簡は SSPX に一縷(いちる)の望(のぞ)みをかけています( "… but adds a note of hope." ).教皇フランシスコもフェレー司教もご承知(しょうち)のような人物ですから(二人とも夢想家〈むそうか〉だと付〈つ〉け加えます)( "Pope Francis and Bishop Fellay being who they are (both utopians, one might add), …" ),書簡の筆者はローマ教皇庁と SSPX との間になんらかの合意(ごうい)が生(う)まれるのは必至(ひっし)で,それに反対(はんたい)する者は潰(つぶ)されるだろうと考えます( "… the letter-writer thinks that a Rome-SSPX agreement is bound to come, and resistance to it will be crushed. " ).その結果, SSPX が崩壊(ほうかい)するとすれば( "If the SSPX thus falls, …" ),それは同会が一般信徒(いっぱん しんと)を過小評価(かしょう ひょうか)し,彼らの力(ちから)を借りて(かりて)王君(おうくん)キリストの社会統治(しゃかいとうち)( "the Social Reign of Christ the King" )をこの世の中に打ち立(うちた)てようとしなかったからだと,彼は考えています( "… he thinks it will have been by its under-estimating of the laity and by its under-employing of them to help establish in society the Social Reign of Christ the King. " ).彼はさらに, SSPX はもう一度(いちど)一般信徒(いっぱん しんと)とともに,その(=王キリストの)統治実現(とうち じつげん)に向(む)けて努力(どりょく)するということを再開・続行(さいかい・ぞっこう)すべきで(訳注・同会の今後の展望〈てんぼう〉の道を切り拓〈きりひら〉いてゆくためには)唯一つ(ただひとつ)その努力あるのみであり( "The SSPX need only pick up again with the laity to work for that Reign, …" ),そうすれば -- この部分(ぶぶん)が彼の望(のぞ)みを示(しめ)しています -- ( " …and -- here is the hopeful note --…" ) この数年間(すうねんかん),新秩序(しん ちつじょ)( "Novus Ordo" ), Ecclesia Dei (=「神の教会」の意)(訳注・"Ecclesia Dei" はヨハネ・パウロ2世が1988年に発令〈はつれい〉した使徒的書簡:自発教令(しとてきしょかん:じはつきょうれい)"Ecclesia Dei" のこと,またはローマ教皇庁・教理省の一委員会」のこと),Fransiscanns of the Immaculate (=「無原罪〈むげんざい〉の聖母のフランシスコ会修道士たち」の意)などといったものに悩(なや)まされながらも信仰を持ち続けてきたあらゆるカトリック教徒を再結集(さいけっしゅう)し強化(きょうか)することになるだろう( "… it will rally and strengthen all kinds of Catholics who have kept the Faith despite all they have suffered in recent years, coming from the Novus Ordo, from Ecclesia Dei, from Fransiscans of the Immaculate, or wherever." )と書いています.筆者は「 SSPX は同会に忠実(ちゅうじつ)な者(もの)たちの行動(こうどう)によって大混乱(だいこんらん)に陥(おちい)ることはないだろうし,むしろ逆(ぎゃく)の方向(ほうこう)に向(む)かうだろう」と結論(けつろん)づけています( "…Thus, concludes the letter-writer, “the SSPX by the action of those remaining faithful to it will not sink into chaos, quite the opposite.” " ).
私としては,聖職権主義(一般信徒の軽視)(せいしょくけん しゅぎ〈いっぱんしんとのけいし〉)が SSPX の抱える問題(かかえる もんだい)の一面(いちめん)であることに同意(どうい)しますが,それが問題の根源(こんげん)だとは考(かんが)えません( "For myself, while I agree that clericalism ( undervaluing the laity ) has been one aspect of the problem of the SSPX, I do not think that it has been the root of the problem." ).根源はむしろ,世界中で神より人間に目を向けている実態(じったい)(旧約聖書エレミアの書・第17章5,7節 "Jer. XVII, 5, 7" を参照)(訳注後記1)と,その結果(けっか)として客観的(きゃっかんてき)な虚実(きょじつ),客観的な正悪(せいあく)の区別(くべつ)が失(うしな)われていることにあると考えます.こうした堕落(だらく)はなにも SSPX だけに限(かぎ)ったことではありません( "I think that the root has rather been today’s universal turning to man instead of God (cf. Jer. XVII, 5,7), a falling away by no means confined to the SSPX, with the consequent loss of objective truth and falsehood, objective right and wrong. " ).だが,私は将来(しょうらい)いつの日(ひ)か新教会と真実の教会(=伝統的公教会〈カトリック教会〉)( "the Newchurch and the Church" )の隅々(すみずみ)から真(まこと・しん)のカトリック教徒たちが集(あつ)まり,新しい同盟(どうめい)( "a new alliance" )を結成(けっせい)して( "… a new alliance being forged at some time in the future, …" ),カトリック教信仰を前進(ぜんしん)させることになるだろう( "…to carry forward the Catholic Faith…" )(新約聖書マテオ聖福音書・第19章30節 "Mt. XIX, 30" を参照)という筆者(ひっしゃ)の展望(てんぼう)には全面的(ぜんめんてき)に賛同(さんどう)します( "However, I do agree with the letter-writer’s vision of a new alliance being forged at some time in the future, of true Catholics from all corners of the Newchurch and the Church, to carry forward the Catholic Faith (cf.Mt.XIX, 30)." )(訳注後記2). SSPX が現在の諸問題(げんざいの しょもんだい)を振り払(ふりはら)い,その同盟の中で,主導的(しゅどうてき)な,というより,少(すこ)しでもましで,つつましやかな役割を果たす(やくわりを はたす)ようになることを,祈(いの)ります( "May the SSPX shake off its present problems to play a leading part, or, better, a humble part, in that alliance." ).
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
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第5パラグラフの訳注1
旧約聖書エレミアの書・第17章5,7節 "Jer. XVII, 5, 7" (太字+下線部分)
神への信頼(17・5-8)
『*5 (主はおおせられる.)
「人によりたのみ,
肉を自分の腕とし,
その心を主から遠ざける者はのろわれる.
6 彼は,荒れ地のあざみのように,
よいものがきても,それを見ず,
荒野(あれの)の焼けた土地に,
人気のない塩地(しおち)に住んでいる.
*7 主によりたのむ者は幸せである.
主は,彼の希望となられる.
8 彼は,水のほとりに植えた木のように,
その根を川床(かわとこ)にのばし,
暑(あつ)さのときも恐(おそ)れなく,
その葉は緑のまま,
日照り(ひでり)の年も衰(おとろ)えず,
実を結び続(むすびつづ)ける.』
(注釈)
神への信頼(17・5-8)
ここは,知恵(ちえ)のことばを集めたものである.
* * *
第5パラグラフの訳注2
新約聖書マテオ聖福音書・第19章30節 "Mt. XIX, 30" (太字+下線部分)
第19章
結婚と独身(19・1-12)
『イエズスはこう話しおえてガリラヤを去り,*1 ヨルダンの向こうユダヤの地方に行かれた.
大ぜいの人々がついてきたので,その場でかれらを治された.
そのときファリサイ人が来て,イエズスを試みようとして,「何か理由があったら,人は自分の妻(つま)を去らせてよいのですか」と言った.
イエズスは答えられた,「あなたたちは読まなかったのか.はじめにすべてをつくられたお方が*4 人を男と女につくり,〈*5 そこで人は父母を離れてその妻と合い,二人は一体となる〉と言われたことを.*6 もう二人ではなく一体である.人は神が合わせられたものを離してはならぬ」.*7 彼らは「それならなぜモーゼは離縁状を書いて去らせよと命じたのですか」と尋(たず)ねた.「あなたたちの性質が強情(ごうじょう)だから,モーゼは妻を去らすことを許したのだ.だがはじめからそうではなかった.私は言う.同棲(どうせい)の場合は別だが,妻を去らせて他の女と結婚すると,その人は姦通者(かんつうしゃ)である」と答えられた.弟子たちはイエズスに,「妻に対する夫の立場が仰せのとおりなら,男は妻をめとらないほうがましです」と言った.そこで弟子たちに言われた,「みなにこのことばがわかるとは限らぬ.ただそれをわかる恵みを受けた者にだけわかる.つまり母の胎から去勢者として生まれた人があれば,他人の手で去勢された人もあり,また天の国のために自ら去勢した人もある.これを理解できるものは理解せよ」.』
(注釈)
結婚と独身(19・1-12) 〈旧約聖書〉
*1ペレアのこと.
*4創世の書1・27参照.
*5-6創世の書2・24参照.
*6 結婚の不解消性がはっきりと主張されている.
*7 第二法の書24・1参照.
* * *
イエズスと子供(19・13-15)
『そのとき,按手(あんしゅ)して祈ってくださいと言って,人々が子どもを連れてきたが,弟子たちはそれを押しとどめた.イエズスは,「子どものするようにさせておけ.私のところに来るのを止めるな.天の国を受けるのはこのような者たちである」と言われ,彼らに按手してからここを去られた.』
* * *
金持ちの若者(19・16-22)
『そのときある人が近づいて,「よき師よ,永遠の命(えいえんのいのち)を受けるために,私はどんなよいことをすればよいのでしょうか」と尋(たず)ねた.イエズスは,「なぜ私に,よいことについて尋ねるのか.*17 よいお方はただ一人である.命を受けたいのならおきてを守れ」と答えられた.その人が「どのおきてを」と言うと,イエズスは「〈殺すな〉〈姦淫するな〉〈盗むな〉〈偽証するな〉〈父母を敬え〉そして〈隣人(りんじん)を自分のように愛せよ〉これである」と答えられた.若者が「私は(小さい時から)それをみな守ってきました.その他に足りないことがあるでしょうか」と言ったので,イエズスは「もし完全になりたいなら,持ち物を売りに行き,貧しい人々に施(ほどこ)しをせよ.そうすれば天に宝を積(つ)む.それから私についてくるがよい」と言われた.このみことばを聞いて,若者は悲しそうに去っていった.彼は大金持(おおがねも)ちだったからである.』
(注釈)
金持ちの若者(19・16-22)
*17神のこと.
*18〈旧約〉脱出の書20・12-16,第二法の書5・16-20.
ファリサイ人,律法学士は,律法の六一三条を数えていたから,そのうちのどれを守ればよいかと若者は聞いた.
*19〈旧約〉レビの書19・18参照.
* * *
弟子らの受ける報い(19・23-30)
『*23 イエズスは弟子たちに言われた,「まことに私はいう.金持ちは天の国に入(はい)りにくい.*24 またいう.金持ちが天の国に入るよりは,らくだが針の穴(はりのあな)を通るほうがやさしい」.弟子たちはこれを聞いて大いに驚(おどろ)き,「すると救われるのはどんな人ですか」と言った.イエズスは彼らをじっと見つめて,「それは人間にはできないことだ.だが神にできないことはない」と言われた.そのときペトロは言った,「ごらんのとおり,私たちはすべてを捨ててあなたに従(したが)いました.私たちは何を受けるでしょうか」.イエズスは答えられた,「まことに私は言う.世が改(あらた)まり,人の子(=イエズス)がその栄光の座につくとき,私に従ったあなたたちも十二の座につき,*28 イスラエルの十二族をさばくであろう.また,私の名のために,家,兄弟,姉妹,父,母,子,田畑を捨てる者は,その百倍のものを受け,永遠の命を受け継ぐ(うけつぐ).*30 だが先の者が後になり,後の者が先になることがある.』
(注釈)
弟子らの受ける報(むく)い(19・23-30)
*23-24 実際の貧(まず)しさは,完徳(かんとく)の理想(りそう)であって,単に勧(すす)めである(マテオ聖福音書5・3).
しかし心の貧しさはイエズスの弟子となりたい者への命令である.それゆえ富に執着(しゅうちゃく)する者は救われない.富はそのものとして悪いのではないが,悪い人間の手に富がゆだねられる時,災(わざわ)いの元となり,善い人間の手にわたれば,善業(ぜんぎょう)と功徳(くどく)の手段(しゅだん)となる.
*28 「イスラエルの十二族をさばく」
旧約聖書の用語で「さばく」は支配するという意味である.
「十二族」は新しいイスラエル,すなわち「教会」のことである.
* * *
聖ピオ十世会( "the Society of St Pius X" = SSPX )がカトリック信仰を守ってきた輝(かがや)かしい40年に今日(こんにち)の状況下(じょうきょうか)で終止符(しゅうしふ)が打(う)たれようとしているのはなぜでしょうか ( "… why in today’s circumstances an end is now threatening the 40 glorious years of the defence of the Faith by the Society of St Pius X." ),神の栄光(かみの えいこう)のため,そして霊魂の救済(れいこんの きゅうさい)のため,その原因の究明(げんいんの きゅうめい)は避(さ)けて通(とお)れません( "For the glory of God and for the salvation of souls it is essential to diagnose …" ).この点(てん)で,最近(さいきん)書(か)かれた一本の記事(いっぽんの きじ)と一通の書簡(いっつうの しょかん)が役立(やくだ)つかもしれません:( "An article and a letter recently written may help in this respect: …" ).記事(きじ)は SSPX の衰退(すいたい)を分析(ぶんせき)したもので,書簡は SSPX の再興(さいこう)に一縷(いちる)の望(のぞ)みをかけたものです( "… an article analyzing the Society’s fall, and a letter with a note of hope as to how it may rise again." ).
記事はフランス語で書かれており,インターネットに掲載(けいさい)されています( " “Un Évêque se lève” "〈=「一司教立ち上がる」の意〉をご覧ください)( ( "The article appeared in French on the Internet (see “Un Évêque se lève”)." ).記事の著者(ちょしゃ)は,現代の教育(げんだいの きょういく)における空想的理想主義(くうそうてき りそうしゅぎ)を現代の政治(せいじ)における同じく非現実的空想(ひげんじつてき くうそう)に対比(たいひ)した一冊の著書(いっさつの ちょしょ)を読んだ後(よんだ あと)で( "After reading a book on utopianism in modern education which compares it to the same unrealistic dreaming in modern politics, the article’s author …" ),六段階(ろく だんかい)のパターンが SSPX にも当てはまると気づいたそうです( "… found that the same pattern in six stages could be applied to the SSPX." ).はじめに,そのパターンとは次のようなものです:( "Firstly, the pattern: " )1 人間の性質(にんげんの せいしつ)をとがめることなく,折り合(おりあ)って行くべき既定事実(きてい じじつ)として受け止(うけと)めることを拒否(きょひ)すること( "1 A refusal of human nature as a given to be worked with, and not against." ).2 子供・大人をまったく新(あら)たに作り直す(つくり なおす)という空想を抱(いだ)くこと( "2 A dream of fabricating the child/man completely anew." ).3 家庭・社会(かてい・しゃかい)の自然な仕組み(しぜんなしくみ)を排除(はいじょ)すること( "3 The exclusion of natural structures of family/society." ).4 子供(こども)をまったく新しい社会を産み出す(うみだす)ように改造(かいぞう)すること( "4 The total re-fashioning of the child to generate a perfect new society." ).5 当初の意図(とうしょの いと)が良(よ)くても,これによって生(しょう)じる結果は惨憺(さんたん)たるものになる ( "5 The disastrous results, despite all the initial good intentions " ) -- 6 無知(むち)でひねくれた児童(じどう)が育(そだ)ち,社会は信仰(しんこう)を捨(す)て,神に戦(たたか)いを挑(いど)むようになる ( " -- 6 Ignorant and perverse children, and a society apostatising and making war on God." ).
次に,このパターンを SSPX に当(あ)てはめます( "Secondly, the application to the SSPX: " ).1 カトリック教会の未曽有の危機という現実(みぞうの きき という げんじつ)を受け止(うけと)めることを拒否(きょひ)する( "1 Refusal of the reality of the unprecedented crisis in the Church. " ).2 第二バチカン公会議派教会と伝統派との間の和解(わかい)を夢見(ゆめみ)る( "2 Dream of fabricating a reconciliation between the Conciliar Church and Tradition..3 指導者(しどうしゃ)と導(みちび)かれる者( "leaders and led" )との間(あいだ)の自然な交流(しぜんな こうりゅう)を排除(はいじょ)する( "3 Exclusion of natural interaction between leaders and led. " ).4 そのような夢(ゆめ)を押し付(おしつ)けるためカトリック教の権威(けんい)を完全(かんぜん)に作り変(つくりか)える( "4 Total re-fashioning of Catholic authority to impose the dream." ).5 意図(いと)は敬虔(けいけん)なものであっても, SSPX のスターリン化(か)という惨憺(さんたん)たる結果(けっか)に終(お)わる -- 教育(きょういく),政治(せいじ), あるいはSSPX においてでさえ,夢見(ゆめみ)る者が変(か)わりようのない現実(げんじつ)に直面(ちょくめん)すると自分の持てる限(もてる かぎ)りの権力(けんりょく)を行使(こうし)して,その現実を押(お)しつぶそうとする -- こうなると,彼が抱く夢(いだく ゆめ)にはうんざりしたくなる( "5 Disastrous resulting Stalinization of the SSPX, despite all pious intentions -- in education, politics or the SSPX, when the dreamer confronts unyielding reality, he is liable to use all the force he has at his disposal to crush the reality -- his dream is so much more lovely. " ).6 闘争心(とうそうしん)を失(うしな)い,それが信仰(しんこう)の完全喪失(かんぜん そうしつ)につながる( " 6 Loss of fighting spirit, liable to lead to entire loss of Faith." ).
上述(じょうじゅつ)の書簡(しょかん)は私の手元(てもと)にEメールで届いたものです( "The letter, reaching me by e-mail, …" ).内容(ないよう)は記事の分析(きじの ぶんせき)と同じようなものですが( "… follows the same general line of analysis, …" ),書簡は SSPX に一縷(いちる)の望(のぞ)みをかけています( "… but adds a note of hope." ).教皇フランシスコもフェレー司教もご承知(しょうち)のような人物ですから(二人とも夢想家〈むそうか〉だと付〈つ〉け加えます)( "Pope Francis and Bishop Fellay being who they are (both utopians, one might add), …" ),書簡の筆者はローマ教皇庁と SSPX との間になんらかの合意(ごうい)が生(う)まれるのは必至(ひっし)で,それに反対(はんたい)する者は潰(つぶ)されるだろうと考えます( "… the letter-writer thinks that a Rome-SSPX agreement is bound to come, and resistance to it will be crushed. " ).その結果, SSPX が崩壊(ほうかい)するとすれば( "If the SSPX thus falls, …" ),それは同会が一般信徒(いっぱん しんと)を過小評価(かしょう ひょうか)し,彼らの力(ちから)を借りて(かりて)王君(おうくん)キリストの社会統治(しゃかいとうち)( "the Social Reign of Christ the King" )をこの世の中に打ち立(うちた)てようとしなかったからだと,彼は考えています( "… he thinks it will have been by its under-estimating of the laity and by its under-employing of them to help establish in society the Social Reign of Christ the King. " ).彼はさらに, SSPX はもう一度(いちど)一般信徒(いっぱん しんと)とともに,その(=王キリストの)統治実現(とうち じつげん)に向(む)けて努力(どりょく)するということを再開・続行(さいかい・ぞっこう)すべきで(訳注・同会の今後の展望〈てんぼう〉の道を切り拓〈きりひら〉いてゆくためには)唯一つ(ただひとつ)その努力あるのみであり( "The SSPX need only pick up again with the laity to work for that Reign, …" ),そうすれば -- この部分(ぶぶん)が彼の望(のぞ)みを示(しめ)しています -- ( " …and -- here is the hopeful note --…" ) この数年間(すうねんかん),新秩序(しん ちつじょ)( "Novus Ordo" ), Ecclesia Dei (=「神の教会」の意)(訳注・"Ecclesia Dei" はヨハネ・パウロ2世が1988年に発令〈はつれい〉した使徒的書簡:自発教令(しとてきしょかん:じはつきょうれい)"Ecclesia Dei" のこと,またはローマ教皇庁・教理省の一委員会」のこと),Fransiscanns of the Immaculate (=「無原罪〈むげんざい〉の聖母のフランシスコ会修道士たち」の意)などといったものに悩(なや)まされながらも信仰を持ち続けてきたあらゆるカトリック教徒を再結集(さいけっしゅう)し強化(きょうか)することになるだろう( "… it will rally and strengthen all kinds of Catholics who have kept the Faith despite all they have suffered in recent years, coming from the Novus Ordo, from Ecclesia Dei, from Fransiscans of the Immaculate, or wherever." )と書いています.筆者は「 SSPX は同会に忠実(ちゅうじつ)な者(もの)たちの行動(こうどう)によって大混乱(だいこんらん)に陥(おちい)ることはないだろうし,むしろ逆(ぎゃく)の方向(ほうこう)に向(む)かうだろう」と結論(けつろん)づけています( "…Thus, concludes the letter-writer, “the SSPX by the action of those remaining faithful to it will not sink into chaos, quite the opposite.” " ).
私としては,聖職権主義(一般信徒の軽視)(せいしょくけん しゅぎ〈いっぱんしんとのけいし〉)が SSPX の抱える問題(かかえる もんだい)の一面(いちめん)であることに同意(どうい)しますが,それが問題の根源(こんげん)だとは考(かんが)えません( "For myself, while I agree that clericalism ( undervaluing the laity ) has been one aspect of the problem of the SSPX, I do not think that it has been the root of the problem." ).根源はむしろ,世界中で神より人間に目を向けている実態(じったい)(旧約聖書エレミアの書・第17章5,7節 "Jer. XVII, 5, 7" を参照)(訳注後記1)と,その結果(けっか)として客観的(きゃっかんてき)な虚実(きょじつ),客観的な正悪(せいあく)の区別(くべつ)が失(うしな)われていることにあると考えます.こうした堕落(だらく)はなにも SSPX だけに限(かぎ)ったことではありません( "I think that the root has rather been today’s universal turning to man instead of God (cf. Jer. XVII, 5,7), a falling away by no means confined to the SSPX, with the consequent loss of objective truth and falsehood, objective right and wrong. " ).だが,私は将来(しょうらい)いつの日(ひ)か新教会と真実の教会(=伝統的公教会〈カトリック教会〉)( "the Newchurch and the Church" )の隅々(すみずみ)から真(まこと・しん)のカトリック教徒たちが集(あつ)まり,新しい同盟(どうめい)( "a new alliance" )を結成(けっせい)して( "… a new alliance being forged at some time in the future, …" ),カトリック教信仰を前進(ぜんしん)させることになるだろう( "…to carry forward the Catholic Faith…" )(新約聖書マテオ聖福音書・第19章30節 "Mt. XIX, 30" を参照)という筆者(ひっしゃ)の展望(てんぼう)には全面的(ぜんめんてき)に賛同(さんどう)します( "However, I do agree with the letter-writer’s vision of a new alliance being forged at some time in the future, of true Catholics from all corners of the Newchurch and the Church, to carry forward the Catholic Faith (cf.Mt.XIX, 30)." )(訳注後記2). SSPX が現在の諸問題(げんざいの しょもんだい)を振り払(ふりはら)い,その同盟の中で,主導的(しゅどうてき)な,というより,少(すこ)しでもましで,つつましやかな役割を果たす(やくわりを はたす)ようになることを,祈(いの)ります( "May the SSPX shake off its present problems to play a leading part, or, better, a humble part, in that alliance." ).
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第5パラグラフの訳注1
旧約聖書エレミアの書・第17章5,7節 "Jer. XVII, 5, 7" (太字+下線部分)
神への信頼(17・5-8)
『*5 (主はおおせられる.)
「人によりたのみ,
肉を自分の腕とし,
その心を主から遠ざける者はのろわれる.
6 彼は,荒れ地のあざみのように,
よいものがきても,それを見ず,
荒野(あれの)の焼けた土地に,
人気のない塩地(しおち)に住んでいる.
*7 主によりたのむ者は幸せである.
主は,彼の希望となられる.
8 彼は,水のほとりに植えた木のように,
その根を川床(かわとこ)にのばし,
暑(あつ)さのときも恐(おそ)れなく,
その葉は緑のまま,
日照り(ひでり)の年も衰(おとろ)えず,
実を結び続(むすびつづ)ける.』
(注釈)
神への信頼(17・5-8)
ここは,知恵(ちえ)のことばを集めたものである.
* * *
第5パラグラフの訳注2
新約聖書マテオ聖福音書・第19章30節 "Mt. XIX, 30" (太字+下線部分)
第19章
結婚と独身(19・1-12)
『イエズスはこう話しおえてガリラヤを去り,*1 ヨルダンの向こうユダヤの地方に行かれた.
大ぜいの人々がついてきたので,その場でかれらを治された.
そのときファリサイ人が来て,イエズスを試みようとして,「何か理由があったら,人は自分の妻(つま)を去らせてよいのですか」と言った.
イエズスは答えられた,「あなたたちは読まなかったのか.はじめにすべてをつくられたお方が*4 人を男と女につくり,〈*5 そこで人は父母を離れてその妻と合い,二人は一体となる〉と言われたことを.*6 もう二人ではなく一体である.人は神が合わせられたものを離してはならぬ」.*7 彼らは「それならなぜモーゼは離縁状を書いて去らせよと命じたのですか」と尋(たず)ねた.「あなたたちの性質が強情(ごうじょう)だから,モーゼは妻を去らすことを許したのだ.だがはじめからそうではなかった.私は言う.同棲(どうせい)の場合は別だが,妻を去らせて他の女と結婚すると,その人は姦通者(かんつうしゃ)である」と答えられた.弟子たちはイエズスに,「妻に対する夫の立場が仰せのとおりなら,男は妻をめとらないほうがましです」と言った.そこで弟子たちに言われた,「みなにこのことばがわかるとは限らぬ.ただそれをわかる恵みを受けた者にだけわかる.つまり母の胎から去勢者として生まれた人があれば,他人の手で去勢された人もあり,また天の国のために自ら去勢した人もある.これを理解できるものは理解せよ」.』
(注釈)
結婚と独身(19・1-12) 〈旧約聖書〉
*1ペレアのこと.
*4創世の書1・27参照.
*5-6創世の書2・24参照.
*6 結婚の不解消性がはっきりと主張されている.
*7 第二法の書24・1参照.
* * *
イエズスと子供(19・13-15)
『そのとき,按手(あんしゅ)して祈ってくださいと言って,人々が子どもを連れてきたが,弟子たちはそれを押しとどめた.イエズスは,「子どものするようにさせておけ.私のところに来るのを止めるな.天の国を受けるのはこのような者たちである」と言われ,彼らに按手してからここを去られた.』
* * *
金持ちの若者(19・16-22)
『そのときある人が近づいて,「よき師よ,永遠の命(えいえんのいのち)を受けるために,私はどんなよいことをすればよいのでしょうか」と尋(たず)ねた.イエズスは,「なぜ私に,よいことについて尋ねるのか.*17 よいお方はただ一人である.命を受けたいのならおきてを守れ」と答えられた.その人が「どのおきてを」と言うと,イエズスは「〈殺すな〉〈姦淫するな〉〈盗むな〉〈偽証するな〉〈父母を敬え〉そして〈隣人(りんじん)を自分のように愛せよ〉これである」と答えられた.若者が「私は(小さい時から)それをみな守ってきました.その他に足りないことがあるでしょうか」と言ったので,イエズスは「もし完全になりたいなら,持ち物を売りに行き,貧しい人々に施(ほどこ)しをせよ.そうすれば天に宝を積(つ)む.それから私についてくるがよい」と言われた.このみことばを聞いて,若者は悲しそうに去っていった.彼は大金持(おおがねも)ちだったからである.』
(注釈)
金持ちの若者(19・16-22)
*17神のこと.
*18〈旧約〉脱出の書20・12-16,第二法の書5・16-20.
ファリサイ人,律法学士は,律法の六一三条を数えていたから,そのうちのどれを守ればよいかと若者は聞いた.
*19〈旧約〉レビの書19・18参照.
* * *
弟子らの受ける報い(19・23-30)
『*23 イエズスは弟子たちに言われた,「まことに私はいう.金持ちは天の国に入(はい)りにくい.*24 またいう.金持ちが天の国に入るよりは,らくだが針の穴(はりのあな)を通るほうがやさしい」.弟子たちはこれを聞いて大いに驚(おどろ)き,「すると救われるのはどんな人ですか」と言った.イエズスは彼らをじっと見つめて,「それは人間にはできないことだ.だが神にできないことはない」と言われた.そのときペトロは言った,「ごらんのとおり,私たちはすべてを捨ててあなたに従(したが)いました.私たちは何を受けるでしょうか」.イエズスは答えられた,「まことに私は言う.世が改(あらた)まり,人の子(=イエズス)がその栄光の座につくとき,私に従ったあなたたちも十二の座につき,*28 イスラエルの十二族をさばくであろう.また,私の名のために,家,兄弟,姉妹,父,母,子,田畑を捨てる者は,その百倍のものを受け,永遠の命を受け継ぐ(うけつぐ).*30 だが先の者が後になり,後の者が先になることがある.』
(注釈)
弟子らの受ける報(むく)い(19・23-30)
*23-24 実際の貧(まず)しさは,完徳(かんとく)の理想(りそう)であって,単に勧(すす)めである(マテオ聖福音書5・3).
しかし心の貧しさはイエズスの弟子となりたい者への命令である.それゆえ富に執着(しゅうちゃく)する者は救われない.富はそのものとして悪いのではないが,悪い人間の手に富がゆだねられる時,災(わざわ)いの元となり,善い人間の手にわたれば,善業(ぜんぎょう)と功徳(くどく)の手段(しゅだん)となる.
*28 「イスラエルの十二族をさばく」
旧約聖書の用語で「さばく」は支配するという意味である.
「十二族」は新しいイスラエル,すなわち「教会」のことである.
* * *
2013年10月25日金曜日
327 神を信じないフランシスコ 10/19
エレイソン・コメンツ 第327回 (2013年10月19日)
カトリック教信仰の本当の意味を心にとどめ続けている信徒たちは,いまペトロ(=教皇)の座についている人物の言動に呆(あき)れ果てています( "Catholics who retain any real sense of their faith are being scandalized by the words and deeds of the man presently seated on the Chair of Peter." ).彼がその座にいるのはカトリック教会にわずかに残されているものを破壊するためではないかと疑(うたが)いたくなるほどです( "One almost wonders if he was put there to destroy what remains of the Catholic Church." ).彼は第二バチカン公会議から生まれた実の子(じつのこ)のように,神から離(はな)れ人間の方に向かって進んでいます( "Like a true child of Vatican II, he is turning away from God towards man." ).それを示す例として,教皇フランシスコが9月24日あるイタリアの新聞の無神論者の編集者とのインタビューで行った11のキーポイントとなる発言(はつげん)の中から最初の9か所(私が選び出したものではありません)をご紹介します( "Here for example are the first nine of eleven key quotes extracted (not by me) from an interview given by Francis on September 24 to the atheist editor of an Italian newspaper." ).
引用(いんよう)のうち 2 から 5 までは教会にかかわるものです(私が要約したものです):( "Quotes 2 to 5 concern the Church (I summarize): 2 教会の運営管理(うんえい かんり)はもっと横割(よこ わ)りでなければならず,縦割(たて わ)りを減(へ)らさなくてはならない.( "2 The Church administration must be more horizontal, less vertical." ) 3 ローマ教皇庁は利己的過ぎる(りこてき すぎる).教皇庁はもっと人々に近づかなければならない. ( "3 The Roman Curia is too self-serving. It must go out to the people." ) 4 教皇はお世辞(せじ)をいうご機嫌取(きげん と)りに取り囲(とりかこ)まれた王様(おうさま)であることを止(や)めなければならない.( "4 The Pope must no longer be a king surrounded by flattering courtiers." ) 5 あまりにも多くの司祭たちは利己的で,キリスト教にとって障害(しょうがい)となっている.( "5 Too many priests are self-serving, and obstacles to Christianity." ) この一連(いちれん)の発言は,公式教会からどう行動すべきか指図(さしず)されるのを好(この)ましいと感(かん)じたことのない現代(げんだい)の民主的大衆(みんしゅてき たいしゅう)を喜(よろこ)ばせるに違(ちが)いありませんが( "Now quotes like these will obviously please a modern democratic public that has never liked being told by the official Church what to do, …" ),それは果(は)たして教皇フランシスコ就任前(しゅうにん まえ)の1,900年間にわたり霊魂の救済(れいこんの きゅうさい)のため教会機構(きょうかい きこう)を維持し続(いじ しつづ)けてきた無数の歴代教皇 "Popes",歴世(れきせい)の教皇庁 "Curias",代々(世々〈よよ〉)の管理当局 "Administrations",司祭たち "Priests" に対し公明正大(こうめい せいだい)と言えるでしょうか?( "… but are these quotes fair or just towards the countless Popes, Curias, Administrations and Priests that went before Francis for 1900 years to maintain the structure of the Church for the salvation of souls ? " ) 逆(ぎゃく)に言えば,教皇フランシスコは退任後(たいにん ご)も教会機構が機能(きのう)し続け,霊魂が救済され続けるようにできるのでしょうか?( "Will Francis on the contrary leave any structure still standing, any souls saved, behind him ? " )
引用の 1 と 6 は世界に関するものです:( "Quotes 1 and 6 concern the world: " ) 1 私が見守(みまも)るあいだ,教会が政治(せいじ)に口(くち)を挟(はさ)むことはないだろう.( "1 On my watch the Church will stay out of politics." ) これは民主的な人々が自(みずか)ら地獄(じごく)に身を投(みを な)げるまま放置(ほうち)しようということでしょうか?( "To leave democratic men to throw themselves into Hell ? " ) 6 今日,世界が直面(ちょくめん)する二つの最悪(さいあく)の問題は若者(わかもの)の失業(しつぎょう)と老齢者(ろうれいしゃ)の孤独(こどく)である. ( "6 The world’s two worst problems today are the unemployment of the young and the loneliness of the old." ) この二つが現実の人的(じんてき)問題であることは確(たし)かですが,これはどうして起(お)きたのでしょうか?( "Now these are two real human problems of today, but why ? " ) 教皇フランシスコのような聖職者(せいしょく しゃ)たちがまさしく政治を政治屋たちに任(まか)せきり,若者たちの前にお金(かね)をばらまいたからではないのでしょうか?( "Is it not because churchmen like Francis leave, precisely, politics to the politicians, putting money in front of young people ? " ) 彼のような聖職者たちが家族(かぞく)を結束(けっそく)させ,家族が老人の面倒(めんどう)を見るという教会規範(きはん)の執行(しっこう)を拒(こば)んだからではないのでしょうか?( "And because churchmen like him refuse to enforce those Church laws which, by holding the family together, help it to look after old people ? " )
引用の 7 から 9 までは宗教に関するものです:( "Quotes 7 to 9 concern religion: " ) 9 イエズスは私たちに互(たが)いを愛するという唯一(ただ ひと)つの救済手段(きゅうさい しゅだん)を賜(たまわ)った ( "9 Jesus gave us only one way of salvation, love of one another." ). しかし,神を愛(あい)さない隣人〈りんじん〉への愛を優先(ゆうせん)させることは隣人への憎(にく)しみに変(か)わります ( "But love of neighbour without love of God coming first turns into hatred of neighbour, …" ).その例は共産主義(きょうさん しゅぎ)です( "… for example Communism." ). 7a 「人々の改宗(かいしゅう)は無意味(むいみ)である ( "7a Converting people makes no sense." ). だがもし,現代(げんだい)で実際に起きて(じっさいに おきて)いるように,(訳注・世界のあらゆる)人々(ひとびと)が,神とその神聖な御子(=神の御子)( "God and in his Divine Son," ),イエズス・キリスト( "Jesus Christ" )を信じることなしには誰一人(だれひとり)決(けっ)して天国にたどり着(つ)くことができない(訳注・ということが真実である)とすれば,それ(=改宗)は非常(ひじょう)に理に適った(りに かなった)人生で最(もっと)も深い意味(ふかい いみ)をもつものです!( "It makes the greatest of sense, if, as is the case, nobody can get to Heaven without believing in God and in his Divine Son, Jesus Christ ! " )(訳注後記1) 7 b 私たちはすべて共(とも)に交(ま)じり合い,善 (ぜん)( "the Good" ) に向(む)かって互いに進(すす)まなければならない.( "7b "We must all mix together and move one another to the Good." " ) だが,私たちが共に向かう対象(たいしょう)は神でなければなりません( "But we must all move one another towards God." ) 善とは他に何があるのでしょうか?( "What else is the Good ? " ). 教皇フランシスコが神を口にしないとすれば誰が神を信じるでしょうか?( "If Francis will not mention God, who will believe in God ? " )
引用 8 は最も憂慮(ゆうりょ)すべきものです. 8a 「私は神を信じるが,それはカトリック教の神ではない.カトリック教の神など存在しない」 ( "8a “I believe in God, not in a Catholic God, there is no Catholic God.” " ). これは極(きわ)めて人の心(ひとの こころ)を惑(まど)わす発言(はつげん)です ( "This is gravely misleading." ). 神が人類(じんるい)すべてにとっての神であることは事実(じじつ)です ( "True, God is the God of all men, …" ). が,神は人類すべてのために一つの宗教(しゅうきょう),唯一(ゆいいつ)の宗教を起(お)こされました ( "… but he instituted for all men one religion, and one religion only, …" ). それがカトリック宗教(=公教〈こうきょう〉) ( "… and that is the Catholic religion. " )です. したがって,カトリック教 "Catholicism" の(教える)神が唯一の真の神(ゆいいつの まことの かみ)です ( "Thus the God of Catholicism is the one and only true God." ).(訳注後記2) 8b 「イエズスは彼自身の顕現(けんげん)であり,私の師(し)であり,私の牧者(ぼくしゃ)であるが,しかし御父(おんちち)なる神,アッバが光であり創造主である」( 8b "“Jesus is his incanation, my teacher and my pastor, but God the Father, Abba, is the light and the Creator.” " ).これも極(きわ)めて人の心を惑(まど)わす言葉(ことば)です ( "Also gravely misleading." ). 発言の中にある 「しかし」 ( "but" ) は,イエズスが創造主(そうぞうしゅ)でないことを示唆(しさ)するのではないでしょうか?( "Does not that “but” suggest that Jesus is not the Creator ? " ) 教皇フランシスコはイエズスを単(たん)なる人間以上の存在と信じているのでしょうか?( "Does Francis believe that Jesus is anything more than just a man ? " ) 8c 「人は誰でも善悪について自分なりの考えを持っており,自分の考えにしたがって善(ぜん)を追(お)い悪(あく)と戦(たたか)う選択(せんたく)をしなければならない」 ( "8c “Everyone has his own idea of good and evil and must choose to follow the good and fight evil as he conceives them.” " ). これは少しも誤解(ごかい)を招(まね)くような発言ではありません ( "This is not misleading at all." ). これは,あらゆる客観的倫理観(きゃっかんてき りんりかん)の否定(ひてい),カトリック教倫理観の全原則(ぜん げんそく)の否定です ( "This is the denial of all objective morality, the denial of all principles of Catholic morality." ). すべての人々に好きなように行動しなさいという誘(いざな)いです ( "This is an invitation to all men to do as they like." ). この言葉があらゆる外見(がいけん)から見てカトリック教の教皇である人物から発(はっ)せられたのは,まったくの狂気(きょうき)としか言いようがありません ( "Coming from the man who is to all appearances the Catholic Pope, it is sheer insanity." ).
教皇フランシスコは自分の言いたいことを現代人に分かってもらうように努(つと)めているのだと言うかもしれません( "Pope Francis may plead that he is trying to get through to modern man, …" ).だが,神を信じない人に分(わ)かってもらうのは,溺(おぼ)れている人を助(たす)けようとしてロープを川岸(かわぎし)に結(むす)びつけずに危険(きけん)な川に飛び込(とびこ)むようなものです( "… but to get through to him without God is just like jumping into a dangerous river to help a drowning man without a rope tied to the bank. " ).共に溺れ死んでしまうだけです( "One will only drown with him. " ).教皇聖下(せいか),あなたは人を助けるどころか,溺死(できし)させようとしています!( "Your Holiness, you are not helping but drowning ! " )
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
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訳注を追加掲載いたします.
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カトリック教信仰の本当の意味を心にとどめ続けている信徒たちは,いまペトロ(=教皇)の座についている人物の言動に呆(あき)れ果てています( "Catholics who retain any real sense of their faith are being scandalized by the words and deeds of the man presently seated on the Chair of Peter." ).彼がその座にいるのはカトリック教会にわずかに残されているものを破壊するためではないかと疑(うたが)いたくなるほどです( "One almost wonders if he was put there to destroy what remains of the Catholic Church." ).彼は第二バチカン公会議から生まれた実の子(じつのこ)のように,神から離(はな)れ人間の方に向かって進んでいます( "Like a true child of Vatican II, he is turning away from God towards man." ).それを示す例として,教皇フランシスコが9月24日あるイタリアの新聞の無神論者の編集者とのインタビューで行った11のキーポイントとなる発言(はつげん)の中から最初の9か所(私が選び出したものではありません)をご紹介します( "Here for example are the first nine of eleven key quotes extracted (not by me) from an interview given by Francis on September 24 to the atheist editor of an Italian newspaper." ).
引用(いんよう)のうち 2 から 5 までは教会にかかわるものです(私が要約したものです):( "Quotes 2 to 5 concern the Church (I summarize): 2 教会の運営管理(うんえい かんり)はもっと横割(よこ わ)りでなければならず,縦割(たて わ)りを減(へ)らさなくてはならない.( "2 The Church administration must be more horizontal, less vertical." ) 3 ローマ教皇庁は利己的過ぎる(りこてき すぎる).教皇庁はもっと人々に近づかなければならない. ( "3 The Roman Curia is too self-serving. It must go out to the people." ) 4 教皇はお世辞(せじ)をいうご機嫌取(きげん と)りに取り囲(とりかこ)まれた王様(おうさま)であることを止(や)めなければならない.( "4 The Pope must no longer be a king surrounded by flattering courtiers." ) 5 あまりにも多くの司祭たちは利己的で,キリスト教にとって障害(しょうがい)となっている.( "5 Too many priests are self-serving, and obstacles to Christianity." ) この一連(いちれん)の発言は,公式教会からどう行動すべきか指図(さしず)されるのを好(この)ましいと感(かん)じたことのない現代(げんだい)の民主的大衆(みんしゅてき たいしゅう)を喜(よろこ)ばせるに違(ちが)いありませんが( "Now quotes like these will obviously please a modern democratic public that has never liked being told by the official Church what to do, …" ),それは果(は)たして教皇フランシスコ就任前(しゅうにん まえ)の1,900年間にわたり霊魂の救済(れいこんの きゅうさい)のため教会機構(きょうかい きこう)を維持し続(いじ しつづ)けてきた無数の歴代教皇 "Popes",歴世(れきせい)の教皇庁 "Curias",代々(世々〈よよ〉)の管理当局 "Administrations",司祭たち "Priests" に対し公明正大(こうめい せいだい)と言えるでしょうか?( "… but are these quotes fair or just towards the countless Popes, Curias, Administrations and Priests that went before Francis for 1900 years to maintain the structure of the Church for the salvation of souls ? " ) 逆(ぎゃく)に言えば,教皇フランシスコは退任後(たいにん ご)も教会機構が機能(きのう)し続け,霊魂が救済され続けるようにできるのでしょうか?( "Will Francis on the contrary leave any structure still standing, any souls saved, behind him ? " )
引用の 1 と 6 は世界に関するものです:( "Quotes 1 and 6 concern the world: " ) 1 私が見守(みまも)るあいだ,教会が政治(せいじ)に口(くち)を挟(はさ)むことはないだろう.( "1 On my watch the Church will stay out of politics." ) これは民主的な人々が自(みずか)ら地獄(じごく)に身を投(みを な)げるまま放置(ほうち)しようということでしょうか?( "To leave democratic men to throw themselves into Hell ? " ) 6 今日,世界が直面(ちょくめん)する二つの最悪(さいあく)の問題は若者(わかもの)の失業(しつぎょう)と老齢者(ろうれいしゃ)の孤独(こどく)である. ( "6 The world’s two worst problems today are the unemployment of the young and the loneliness of the old." ) この二つが現実の人的(じんてき)問題であることは確(たし)かですが,これはどうして起(お)きたのでしょうか?( "Now these are two real human problems of today, but why ? " ) 教皇フランシスコのような聖職者(せいしょく しゃ)たちがまさしく政治を政治屋たちに任(まか)せきり,若者たちの前にお金(かね)をばらまいたからではないのでしょうか?( "Is it not because churchmen like Francis leave, precisely, politics to the politicians, putting money in front of young people ? " ) 彼のような聖職者たちが家族(かぞく)を結束(けっそく)させ,家族が老人の面倒(めんどう)を見るという教会規範(きはん)の執行(しっこう)を拒(こば)んだからではないのでしょうか?( "And because churchmen like him refuse to enforce those Church laws which, by holding the family together, help it to look after old people ? " )
引用の 7 から 9 までは宗教に関するものです:( "Quotes 7 to 9 concern religion: " ) 9 イエズスは私たちに互(たが)いを愛するという唯一(ただ ひと)つの救済手段(きゅうさい しゅだん)を賜(たまわ)った ( "9 Jesus gave us only one way of salvation, love of one another." ). しかし,神を愛(あい)さない隣人〈りんじん〉への愛を優先(ゆうせん)させることは隣人への憎(にく)しみに変(か)わります ( "But love of neighbour without love of God coming first turns into hatred of neighbour, …" ).その例は共産主義(きょうさん しゅぎ)です( "… for example Communism." ). 7a 「人々の改宗(かいしゅう)は無意味(むいみ)である ( "7a Converting people makes no sense." ). だがもし,現代(げんだい)で実際に起きて(じっさいに おきて)いるように,(訳注・世界のあらゆる)人々(ひとびと)が,神とその神聖な御子(=神の御子)( "God and in his Divine Son," ),イエズス・キリスト( "Jesus Christ" )を信じることなしには誰一人(だれひとり)決(けっ)して天国にたどり着(つ)くことができない(訳注・ということが真実である)とすれば,それ(=改宗)は非常(ひじょう)に理に適った(りに かなった)人生で最(もっと)も深い意味(ふかい いみ)をもつものです!( "It makes the greatest of sense, if, as is the case, nobody can get to Heaven without believing in God and in his Divine Son, Jesus Christ ! " )(訳注後記1) 7 b 私たちはすべて共(とも)に交(ま)じり合い,善 (ぜん)( "the Good" ) に向(む)かって互いに進(すす)まなければならない.( "7b "We must all mix together and move one another to the Good." " ) だが,私たちが共に向かう対象(たいしょう)は神でなければなりません( "But we must all move one another towards God." ) 善とは他に何があるのでしょうか?( "What else is the Good ? " ). 教皇フランシスコが神を口にしないとすれば誰が神を信じるでしょうか?( "If Francis will not mention God, who will believe in God ? " )
引用 8 は最も憂慮(ゆうりょ)すべきものです. 8a 「私は神を信じるが,それはカトリック教の神ではない.カトリック教の神など存在しない」 ( "8a “I believe in God, not in a Catholic God, there is no Catholic God.” " ). これは極(きわ)めて人の心(ひとの こころ)を惑(まど)わす発言(はつげん)です ( "This is gravely misleading." ). 神が人類(じんるい)すべてにとっての神であることは事実(じじつ)です ( "True, God is the God of all men, …" ). が,神は人類すべてのために一つの宗教(しゅうきょう),唯一(ゆいいつ)の宗教を起(お)こされました ( "… but he instituted for all men one religion, and one religion only, …" ). それがカトリック宗教(=公教〈こうきょう〉) ( "… and that is the Catholic religion. " )です. したがって,カトリック教 "Catholicism" の(教える)神が唯一の真の神(ゆいいつの まことの かみ)です ( "Thus the God of Catholicism is the one and only true God." ).(訳注後記2) 8b 「イエズスは彼自身の顕現(けんげん)であり,私の師(し)であり,私の牧者(ぼくしゃ)であるが,しかし御父(おんちち)なる神,アッバが光であり創造主である」( 8b "“Jesus is his incanation, my teacher and my pastor, but God the Father, Abba, is the light and the Creator.” " ).これも極(きわ)めて人の心を惑(まど)わす言葉(ことば)です ( "Also gravely misleading." ). 発言の中にある 「しかし」 ( "but" ) は,イエズスが創造主(そうぞうしゅ)でないことを示唆(しさ)するのではないでしょうか?( "Does not that “but” suggest that Jesus is not the Creator ? " ) 教皇フランシスコはイエズスを単(たん)なる人間以上の存在と信じているのでしょうか?( "Does Francis believe that Jesus is anything more than just a man ? " ) 8c 「人は誰でも善悪について自分なりの考えを持っており,自分の考えにしたがって善(ぜん)を追(お)い悪(あく)と戦(たたか)う選択(せんたく)をしなければならない」 ( "8c “Everyone has his own idea of good and evil and must choose to follow the good and fight evil as he conceives them.” " ). これは少しも誤解(ごかい)を招(まね)くような発言ではありません ( "This is not misleading at all." ). これは,あらゆる客観的倫理観(きゃっかんてき りんりかん)の否定(ひてい),カトリック教倫理観の全原則(ぜん げんそく)の否定です ( "This is the denial of all objective morality, the denial of all principles of Catholic morality." ). すべての人々に好きなように行動しなさいという誘(いざな)いです ( "This is an invitation to all men to do as they like." ). この言葉があらゆる外見(がいけん)から見てカトリック教の教皇である人物から発(はっ)せられたのは,まったくの狂気(きょうき)としか言いようがありません ( "Coming from the man who is to all appearances the Catholic Pope, it is sheer insanity." ).
教皇フランシスコは自分の言いたいことを現代人に分かってもらうように努(つと)めているのだと言うかもしれません( "Pope Francis may plead that he is trying to get through to modern man, …" ).だが,神を信じない人に分(わ)かってもらうのは,溺(おぼ)れている人を助(たす)けようとしてロープを川岸(かわぎし)に結(むす)びつけずに危険(きけん)な川に飛び込(とびこ)むようなものです( "… but to get through to him without God is just like jumping into a dangerous river to help a drowning man without a rope tied to the bank. " ).共に溺れ死んでしまうだけです( "One will only drown with him. " ).教皇聖下(せいか),あなたは人を助けるどころか,溺死(できし)させようとしています!( "Your Holiness, you are not helping but drowning ! " )
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
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訳注を追加掲載いたします.
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