エレイソン・コメンツ 第377回 (2014年10月4日)
The Recusant (反抗者〈はんこうしゃ〉)(www.The Recusant.com) (訳注・=英国〈えいこく〉のカトリック教〈かとりっく きょう〉月刊誌名〈げっかんし めい〉)の先月(9月)号(せんげつ〈くがつ〉ごう)にルフェーブル大司教の最後のインタビューの英語翻訳(るふぇーぶる だいしきょうの さいごの いんたびゅーの えいご ほんやく)が掲載(けいさい)されています.このインタビューは大司教が1991年3月(せん きゅうひゃく きゅうじゅう いちねん さんがつ)に亡くなる直前(なくなる ちょくぜん),フランス語で出版(ふらんすごで しゅっぱん)されたものです(Fideliter #79)(機関誌フィデリテ 〈きかんし ふぃでりて〉第79号〈だい ななじゅうきゅう ごう〉)(訳注・ "Fideliter" =「真の信仰に忠実に留まる(まことの しんこうに ちゅうじつに とどまる)」「誠実である(せいじつで ある)」という意味合い〈いみあい〉)( "In last month's issue of The Recusant (www.The Recusant.com) is a translation into English of Archbishop Lefebvre's last interview, published in French (Fideliter #79) shortly before his death in March of 1991." ).ルフェーブル大司教について書かれたものは読む度に気持ちをすっきりさせてくれます(るふぇーぶる だいしきょうに ついて かかれたものは よむたびに きもちを すっきり させて くれます)( "He is always refreshing to read." ).彼は明快(かれは めいかい)です.それは彼がカトリックの基本的原則に基づいて考える(かとりっくの きほん げんそくに もとづいて かんがえる)からです( "He is clear, because he thinks from basic Catholic principles." ).彼は透明(かれは とうめい)です.それは彼に隠すものが何もない(かくす ものが なにも ない)からです( "He is transparent, because he has nothing to hide." ).彼は曖昧(あいまい)ではありません.なぜなら,彼には私たちの主イエズス・キリストの教会(わたくしたちの しゅいえずす・きりすとの きょうかい)を悪魔の第二バチカン公会議に妥協(あくまの だいに ばちかん こうかいぎに だきょう)させるつもりがないからです( "He is unambiguous, because he is not trying to compromise Our Lord's Church with Satan's Vatican II." ).聖ピオ十世会(せい ぴお じゅっせい かい)(SSPX)はルフェーブル大司教の死後(しご),数年経つ(すうねん たつ)と彼が示した方向と違う方向へ進む(かれが しめした ほうこうと ちがう ほうこうへ すすむ)ことになります.だが,大司教をインタビューした担当者の質問事項を読む(たんとうしゃの しつもんじこうを よむ)と, Fideliter の読者層(どくしゃそう)がこの時(とき)すでに SSPX がたどることになる方向を選(えら)ぼうとしているのが分(わ)かります( "But notice how the interviewer's questions indicate that the readership of Fideliter was naturally inclining to take the direction which the Society of St Pius X would begin to take a few years after the Archbishop's death." ).以下(いか)にインタビューでの質疑応答の抜粋(しつぎ おうとうの ばっすい)を要約して紹介(ようやく して しょうかい)します:-- ( "Here is a selection of the questions and answers, somewhat abbreviated:-- " )
問: あなたがローマ(=ローマ教皇庁)(ろーま きょうこう ちょう)にあと一歩(いっぽ),歩み寄り(あゆみより)ができないのはなぜですか? 私(わたくし)たちは教皇(=ローマ教皇)が「あなたをいつでも受け入れる用意(うけいれるようい)がある」と聞(き)いています.
( "Q: Why can you not make one last approach to Rome ? We hear the Pope is “ready to receive you”. " )
答: それは絶対に不可能(ぜったいに ふかのう)です.その理由(りゆう)は,公会議派の教会(こうかいぎはの きょうかい)を導く諸原則(みちびく しょげんそく)がカトリック教の教理(かとりっくきょうの きょうり)に益々公然と反して(ますます こうぜんと はんして)きているからです( "A: That is absolutely impossible, because the principles which now guide the Conciliar church are more and more openly contrary to Catholic doctrine." ).例(たと)えば,ラッツィンガー枢機卿(らっつぃんがー すうききょう)( "Cardinal Ratzinger" )は最近(さいきん)になって,歴代教皇(れきだい きょうこう)たちが19-20世紀(じゅうきゅう から にじゅっ せいき)に記(しる)した偉大(いだい)な反モダニスト(反近現代主義)文書(はん もだにすと〈はんきんげんだいしゅぎ〉ぶんしょ)( "anti-modernist documents" )は当時(とうじ)大いに役立った(おおいに やくだった)が,今日(こんにち)では時代遅れ(じだい おくれ)になっていると述(の)べました( "For instance Cardinal Ratzinger recently said that the Popes' great anti-modernist documents of the 19th and 20th centuries rendered a great service in their day, but are now outdated." ).そして,ヨハネ・パウロ2世(よはね・ぱうろ にせい)は かつてないほどエキュメニカル(えきゅめにかる)です(1990年時点〈せん きゅうひゃく きゅうじゅうねん じてん〉)( "And John-Paul II is more ecumenical than ever (1990). " ).「そのような指導層(しどうそう)とともに働く合意(はたらくごうい)をするなどまったく想像(そうぞう)もできません.」( " “It is absolutely inconceivable that we can agree to work with such a hierarchy.”" )
問: ローマの状況(じょうきょう)は1988年(せん きゅうひゃく はちじゅうはち ねん)の交渉の時に比べ(こうしょうの ときに くらべ)一段と悪化(いちだんと あっか)したのでしょうか?( "Q; Has the situation in Rome deteriorated even since the negotiations of 1988 ? " )
答: その通(とお)りです!「私たちは何(なん)らかの合意(ごうい)をする可能性(かのうせい)について考(かんが)えるまでしばらく様子(ようす)を見(み)なければならないでしょう.( "A: Oh yes ! “We will have to wait some time before considering the prospect of making an agreement. …" )ローマがこの事態を打開する可能性(じたいを だかいする かのうせい)はないようですから,私はこの状況を救いうるのは神のみ(じょうきょうを すくいうる のは かみ のみ)だと信じています.」( "… For my part I believe that God alone can save the situation, as humanly we see no possibility of Rome straightening things out.” " )
問: だが,何も譲歩(じょうほ)しないでローマと合意(ごうい)した伝統派の人(でんとうはの ひと)たちがいます.( "Q: But there are Traditionalists who have made an agreement with Rome while conceding nothing. " )
答: それは間違った見方(まちがった みかた)です.彼らはローマに反対(はんたい)する自らの能力(みずからの のうりょく)を捨て去って(すて さって)しまったのです( "A: That is false. They have given up their ability to oppose Rome." ).彼らは恩恵を与え(おんけいを あたえ)られたので黙(だま)っていなければならないのです( "They must remain silent, given the favours they have been granted." ).彼らは徐々に堕落し続け(じょじょに だらくしつづけ),やがて第二バチカン公会議の間違いを容認(だいに ばちかん こうかいぎの まちがいを ようにん)することになるでしょう( "Then they begin to slide ever so slowly, until they end up admitting the errors of Vatican II." ).「これはとても危険な状況(きけんな じょうきょう)です.」ローマが譲歩(じょうほ)するのは,伝統派の人々(でんとうはの ひとびと)が SSPX から離れ(せいぴおじゅっせいかい から はなれ)ローマに従う(ろーまに したがう)ようにさせるためです.( " “It's a very dangerous situation.” Such concessions by Rome are meant only to get Traditionalists to break with the SSPX and submit to Rome." )
問: あなたはそのような伝統派の人(でんとうはの ひと)たちは「裏切った(うらぎった)」のだと言(い)われますが,少し厳しすぎる(すこし きびし すぎる)のではないでしょうか? ( "Q: You say that such Traditionalists have “betrayed”. Isn't that a bit harsh ? " )
答: そんなことはありません! たとえば,ジェラール師(じぇらーる し)(ドン・ジェラール〈どん・じぇらーる〉)( “Dom Gérard” )は私(わたくし)や, SSPX とその各支部(かく しぶ),それに後援者(こうえんしゃ)たちを利用(りよう)しました( "A: Not at all ! For instance Dom Gérard made use of me, of the SSPX and its chapels and benefactors, …" ).そしていまや突然(とつぜん)私たちを見捨て(わたくしたちを みすて)て信仰の破壊者(しんこうの はかいしゃ)たちに加(くわ)わりました( "… and now they suddenly abandon us and join with the destroyers of the Faith." ).彼らは信仰のための闘いを諦めた(かれらは しんこうの ための たたかいを あきらめた)のです( "They have abandoned the fight for the Faith.." )..彼らはもはやローマを非難(ろーまを ひなん)することなどできません( "They can no longer attack Rome." ).彼らは教理の問題(きょうりの もんだい)などなにも理解(りかい)していません( "They have understood nothing of the doctrinal question." ).伝統(でんとう)のためと信(しん)じて彼らに加(くわ)わり,公会議派ローマ(こうかいぎは ろーま)までついて行(い)った若者(わかもの)たちのことを考(かんが)えると不愉快(ふゆかい)です( "It is awful to think of the youngsters who joined them for the sake of Tradition and are now following them to Conciliar Rome." ).
問: ローマ側(ろーま がわ)についた伝統派の人々と仲良く(なかよく)し,彼らのミサ聖祭(みさせいさい)に加(くわ)わるのは危険(きけん)でしょうか? ( "Q: Is there a danger in remaining friends with Traditionalists who have gone over to Rome, and in attending their Masses ? " )
答: はい,それは危険です.なぜなら,ミサ聖祭ではミサ聖祭が行(おこな)われるだけではありません.説教(せっきょう)もあります
( "A: Yes, because at Mass there is not only the Mass but there is also the sermon, …" ).ミサ聖祭が始まる前後(はじまる ぜんご)の雰囲気,環境,会話(ふんいき,かんきょう,かいわ)など諸々の要素(もろもろの ようそ)があります( "… the atmosphere, the surroundings, the conversations before and after Mass, and so on. " ).そのひとつひとつが少(すこ)しずつあなたの考え方を変える(かんがえかたを かえる)のです( "All of these things make you little by little change your ideas." ).彼らの行うミサ聖祭(かれらの おこなう みさ せいさい)には曖昧な風潮(あいまいな ふうちょう)が見(み)られます( "There is a climate of ambiguity." ).バチカンに従い(ばちかんに したがい),最終的(さいしゅう てき)には公会議に従属(こうかいぎに じゅうぞく)するといった雰囲気(ふんいき)があり( "One is in an atmosphere submissive to the Vatican, subject ultimately to the Council, …" ),結局(けっきょく)はエキュメニカル(えきゅめにかる)になってしまいます( "… so one ends up by becoming ecumenical." ).
問: ヨハネ・パウロ2世(よはね・ぱうろ にせい)はとても人気(にんき)があります.彼はあらゆるキリスト教徒(きりすと きょうと)を団結(だんけつ)させたいと望(のぞ)んでいます.( "Q; John-Paul II is very popular. He wants to unite all Christians." )
答: だが,それはどのような団結(だんけつ)なのでしょうか? 霊魂(れいこん)が受け入れ(うけいれ)なければならない信仰(しんこう),改宗が求められる信仰(かいしゅうが もとめられる しんこう)の下(もと)での団結ではありません( "A: But in what unity ? No longer in the Faith which a soul must accept, and which calls for conversion." ).教会(きょうかい)は階層的社会(かいそうてき しゃかい)( “a hierarchical society” )から「交流団体」(「こうりゅうだんたい」)( “communion” )に変形(へんけい)してしまいました( "The Church has been distorted, from being a hierarchical society into being a “communion”." ).何を目的(なにを もくてき)に交流(こうりゅう)するのでしょう? 信仰でないのは確(たし)かです( "Communion in what ? Not in the Faith." ).カトリック信徒が群れ(むれ)をなして信仰を離れ(しんこうを はなれ)ていると聞(き)きますが,なんら不思議(ふしぎ)なことではありません. (次週へ続く〈じしゅうへ つづく〉)( "No wonder one hears that Catholics are leaving the Faith in droves. (to be continued) " )
キリエ・エレイソン.
ルフェーブル大司教は
(るふぇーぶる だいしきょうは)
決して妥協(けっして だきょう)
しませんでした.
( "Archbishop Lefebvre
would never compromise. " )
彼を賢明(かれをけんめい)にしたのは
カトリック教教理への忠誠
(かとりっくきょう きょうりへの
ちゅうせい)でした.
( "Cleaving to Catholic doctrine
made him wise. " )
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
(注:本投稿記事〈第377回エレイソン・コメンツ〉は2014年10月26日23:16時に公開されました.)
2014年10月4日土曜日
2012年3月31日土曜日
246 重大な危機 3/31
エレイソン・コメンツ 第246回 (2012年3月31日)
聖ピオ十世会の司祭たちの中には,(訳注・カトリック)教会権威当局( “the Church authorities” )と教義上の合意なしでも( “without a doctrinal agreement” )なんらかの実務的な合意をまとめるべきだ( “…seek a practical agreement” )という誘惑に再びかられている方がいるようです.ここ数年間,聖ピオ十世会総長であるフェレイ司教( “Bishop Fellay as the Society’s Superior General” )はそうした考えを拒(こば)んできました.ところが,同司教は2月2日に米国のウィノナで( “in Winona” )説教された際,ローマ教皇庁(以下,「ローマ」)は聖ピオ十世会をありのまま受け容れる考えであり,「同会のあらゆる要求を…実務的なレベルで」満たす用意があると述べられました.これはローマも同じ考えに傾いているのではないかということです( “…it does look as though Rome is holding out the same temptation once more.” ).
しかし,ローマから届いた最新のニュースは次のようなものです.バチカンが聖ピオ十世会に思わせぶりな態度をとっているのでないとすれば( “…unless the Vatican is playing games with the SSPX,…” ),同当局は3月16日,昨年9月14日付けでバチカンが出した教理前文( “Doctrinal Preamble” )に対するフェレイ司教のことし1月の回答は「教皇庁と聖ピオ十世会との対立の根底に横たわる教理上の問題を乗り越えるには不十分である」と公表しました.その上で,バチカンは聖ピオ十世会に対し一カ月以内に「苦痛を伴う測り知れない結果」を避けるためその方針を修正するよう求めました( “…to correct itself and avoid “a rupture of painful and incalculable consequences.”” ).
だが,もしローマが突然方針を変更して聖ピオ十世会に公会議と新しいミサを受け入れるよう求めなくなったとしたらどうでしょうか? ローマが唐突に「よろしい.私たちは十分考えてみました.あなたたちが望むようにローマに戻ってきなさい.あなたたちが公会議を好きなだけ批判し,独自にトレントミサを祝う自由は与えます.とにかく戻りなさい! 」 と言ったらどうなるでしょうか?( “What if Rome were suddenly to say, “Alright. We have thought about it. Come back into the Church as you ask. We will give you freedom to criticize the Council as much as you like, and freedom to celebrate the Tridentine Mass exclusively. But do come in !”” ) それはローマによるきわめて狡猾(こうかつ)な企(たくら)みということでしょう.というのは,聖ピオ十世会が一貫性を捨ててありがた迷惑だという態度をとらないかぎり,そのようなローマの申し出を拒めるわけがないからです.(訳注・直訳=それはローマ側の非常に狡猾な企みかもしれません.なぜならどうして聖ピオ十世会がいかにも矛盾した全く恩知らずな団体であるかのように人目に映ることなくして,ローマのそのような申し出を拒絶することができるものでしょうか?) ( “It might be a very cunning move on the part of Rome, because how could the Society refuse such an offer without seeming inconsistent and downright ungrateful ?” ) だが,聖ピオ十世会としては自らの存続にかかわる苦痛を考えれば申し出を拒まざるをえないでしょう.( “Yet on pain of survival it would have to refuse.” )存続にかかわる苦痛とはずいぶんきつい言葉です( “On pain of survival ? Strong words.” ).だが,この問題についてルフェーブル大司教は次のように述べておられます.
1988年5月5日,ルフェーブル大司教は当時のラッツィンガー枢機卿( “then Cardinal Ratzinger” )との間でローマと聖ピオ十世会の実務的合意に関する議定書(草案)( “the protocol (provisional draft) of a practical Rome-Society agreement” )に署名しました.翌5月6日,同大司教は(仮)署名を取り消しました.そして6月13日つぎのように言われました.「5月5日の議定書を認めれば私たち(聖ピオ十世会)は間もなく死に絶えることになったでしょう.私たちは1年と続かなかったでしょう.いま現在,聖ピオ十世会は結束しています.だがその議定書を認めれば,私たちは彼ら(ローマ)と接触を持たざるをえなくなり,聖ピオ十世会で内部分裂が起きたでしょう.あらゆることが分裂の原因になったでしょう(強調は筆者が加えたもの).( “As of now the Society is united, but with that Protocol we would have had to make contacts with them, there would have been division within the Society, everything would have been a cause of division” (emphasis added).” ). (議定書を認めれば)私たちはローマと結びつくわけですから,新たな志願者たち( “new vocations” )が続々と遣(つか)わされ私たちの修道会に流れ込んだでしょう.だがそのような志願者たちはみな私たちがローマと対立することなど認めないでしょう――これも私たちの分裂につながるでしょう( ““New vocations might have flowed our way because we were united with Rome, but such vocations would have tolerated no disagreement with Rome – which means division.” ). 実際には,志願者たちは私たちのもとへ赴任(ふにん)するかどうか自ら選んで決めています.」(これは世界各地の聖ピオ十世会の神学校でいまだに行われている実態です.( “As it is, vocations sift themselves before they reach us” (which is still true in Society seminaries).” ))(訳注後記)
そのような分裂が起きるのは何故でしょうか? (相いれない志願者たち “Warring vocations” の存在は無数にある原因のひとつに過ぎないでしょう.) 明白な理由は,5月5日の議定書によると,実務的合意は神の宗教と人間の宗教との間に存在する際立った教義上の不一致の上に成り立っているのがはっきりしているからです( “Clearly, because the May 5 Protocol would have meant a practical agreement resting upon a radical doctrinal disagreement between the religion of God and the religion of man.” ).ルフェーブル大司教は「彼ら(ローマ)は私たちを公会議の方へ引き込もうとしています.ところが私たちは彼らとの間に注意深く距離を置き,聖ピオ十世会と(カトリック教の)伝統を守ろうとしています.」( “They are pulling us over to the Council...whereas on our side we are saving the Society and Tradition by carefully keeping our distance from them” )(強調は筆者)と述べています.ではルフェーブル大司教がそもそもローマとの実務的合意を求めたのは何故でしょうか? 大司教は次のように説明されています.「私たちは公式の教会( “the official Church” )内で伝統が保たれるよう誠実に努めました.だが,それは不可能だと分かりました.彼らは悪い方向以外には何ら変わっていません.」( “We made an honest effort to keep Tradition going within the official Church. It turned out to be impossible. They have not changed, except for the worse.” )
彼らは果たして1988年当時に比べ変わったでしょうか? 多くの人々は彼らがもっと悪い方向へ変わっただけだと考えるでしょう.
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
訳注:
新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第13,14章
THE HOLY GOSPEL OF JESUS CHRIST, ACCORDING TO ST. JOHN CHAPTERS XIII & XIV
第13章
最後の晩餐,洗足
『過ぎ越しの祭りの前に,イエズスは*¹この世から父のもとに移る時が来たのを知り,この世にいるご自分の人々を愛し,*²彼らに限りなく愛を示された.
*³食事の時に,*⁴悪魔は早くもイスカリオトのシモンの子ユダの心に,イエズスをわたそうという考えを入れた.
父が自分の手に万物をゆだね,自分は神から出て神に帰ることを知っておられたイエズスは,食卓から立ち上がって上衣を脱ぎ,手ぬぐいをとって腰にまとい,それからたらいに水を入れ,*⁵弟子たちの足を洗い,まとった手ぬぐいでこれをふき始められた.
シモン・ペトロの番になると,「主よ,あなたが私の足をお洗いになるのですか」と聞いた.イエズスが,「私のすることを,あなたは今は知らぬが,後にわかるだろう」と答えられると,ペトロは,「いいえ,けっして私の足を洗わないでください」と言った.イエズスは,「もしあなたを洗わないなら,あなたは私と何のかかわりもなくなる」と答えられた.シモン・ペトロは,「主よ,では,足ばかりでなく手も頭も」と言った.
するとイエズスは,「すでに体を洗った者は、(*⁶足のほか)洗う必要がない,その人は全身清いからである.あなたたちも清い,だがみながそうではない」と言われた.イエズスは自分をわたす者がだれかを知っておられたから,全部が清くはないと言われたのである.
彼らの足を洗い,上衣をとってふたたび食卓につかれたとき,イエズスは言われた,「あなたたちには私のしたことがわかったか.あなたたちは私を先生または主と言う.それは正しい,そのとおりである.
*⁷私は主または先生であるのに,あなたたちの足を洗ったのであるから,あなたたちも互いに足を洗い合わねばならぬ.私のしたとおりするようにと私は模範を示した.
まことにまことに私は言う.奴隷は主人よりも偉大ではない.遣(つか)わされた人は遣わす人よりも偉大ではない.このことを知っていて行うなら,あなたたちは幸せである.
しかしこれは,あなたたちみなについて言ったのではない.私は自分がだれを選んだかを知っている.だが聖書に〈*⁸私のパンを食べる者が,私に向かってかかとをあげた〉とあることは実現されねばならぬ.
今から,*⁹そのことの起こる前に私はこう言う.そのことが起こるとき,私が何者であるかをあなたたちに信じさせるためである.まことにまことに私は言う.私の遣わす人々を受け入れる者は私を受け入れ,私を受け入れる者は私を遣わされたお方を受け入れる」.』
(注釈)
第2部イエズスの受難と死去(13章1節-19章42節)
最後の晩餐(ばんさん),洗足(せんぞく)(13・1-20)
*¹ あるユダヤ人は,過ぎ越し(脱出12・11以下)ということばを,紅海を渡った時のことに言い合わせて,「渡る」の意味に用いていた.
キリストは,罪の奴隷であるこの世から,約束の地なる父のもとに渡られるのである.
*² はじめてヨハネはここで,イエズスの死を人類への愛の死としてとりあげる.最後の時のために隠しておいた秘密を打ち明けるように思える.
*³ この食事の時に定められた聖体も,無限の愛のしるしの一つである.
*⁴ 受難という事件には不可見の世界が働いている.人間の背後には,闇(やみ)の力なる悪魔が働いている(12・31,13・27,16・11,ヨハネの黙示録12・3,17,13・2,ルカ聖福音書22・3,コリント人への手紙〈第一〉2・8).
*⁵ イエズスのこの行いは奴隷の仕事であった.
*⁶ 後の書き入れと思われているこのことばは,主な写本にのっている.
*⁷ イエズスの弟子たちは,謙遜な奉仕をしなければならぬ.
*⁸ 詩篇41・10.ユダの裏切りの預言.
*⁹ ユダの裏切りとイエズスの死は,弟子たちの信仰を固めるにちがいない.
それは,イエズスの上知(じょうち)と聖書の真実とを語っているからである.
***
裏切り者を示す
『イエズスはこう話してから,心中憂いながら,「まことにまことに私は言う.あなたたちの一人が私をわたすだろう」と宣言された.弟子たちは,だれのことを言われるのかわからなかったので,互いに顔を見合わせていた.
*¹イエズスの愛しておられた弟子の一人がそのみ胸によりそって席についていた.シモン・ペトロはその人に合図して,「だれのことを言われるのか尋(たず)ねてくれ」と聞いた.彼がみ胸によりそったまま,「主よ,それはだれですか」と言うと,イエズスは「私がいま浸(ひた)す一口の*²食べ物を与える者がそれだ」と答えられた.そして一片を浸してシモン・イスカリオトの子ユダに与えられた.この一片を受けてのち悪魔はユダに入った.
イエズスは,「おまえのしようとしていることを早くせよ」と言われたが,席についていた者はだれ一人,なぜこう言われたかがわからなかった.ある人々は,ユダが財布を預かっていたから,「祭りにいるものを買え」と言われたか,あるいは貧しい人に何か施しをさせるためであろうと思った.ユダはその一片を受けてすぐ出ていった.時は夜だった.』
新しいおきて
『*³彼が出ていってからイエズスは言われた,「今や人の子は光栄を受けた.人の子によって神が光栄を受けたもうた.神が子によって光栄を受けたもうたのなら,また神はご自分によって子に光栄を与えられるだろう,直ちに光栄を与えられるだろう.
小さな子らよ,私はもうしばらくの閻あなたたちとともにいる.その後,あなたたちは私をたずね求めるだろう.先に私は,*⁴ユダヤ人に〈あなたたちは私の行く所に来られぬ〉と言ったが,今あなたたちにもそう言う.
私は*⁵新しいおきてを与える.あなたたちは互いに愛し合え.私があなたたちを愛したように,あなたたちも互いに愛し合え.互いに愛し合うなら,それによって人はみな,あなたたちが私の弟子であることを認めるだろう」.』
ペトロの否みの預言
『すると,シモン・ペトロが,「主よ,あなたはどこへおいでになるのですか」と聞いた.イエズスは,「私の行く所に,あなたは今はついてこられぬが,*⁶後に来るだろう」と答えられた.
ペトロが,「主よ,なぜ今ついていけないのですか.私はあなたのために命も捨てます」と言ったが,イエズスは「あなたは私のために命を捨てるというのか.まことにまことに私は言う.雄鶏(おんどり)が時を告げるまでにあなたは三度私を否むだろう」と言われた.』
(注釈)
第2部イエズスの受難と死去(13章1節-19章42節)
裏切り者を示す(13・21-30)
*¹ 使徒ヨハネのことである.
*² この食べ物は聖体のことではない.しかし,13・2,18と6・64,70との比較によって,聖体の制定とユダの裏切りとの問に何か関係のあることを示している(ルカ22・21).
新しいおきて(13・31-35)
*³ ユダはサタンに勧められて去った.今や受難の始まりである.
イエズスは,自分の勝利がすでに決定したように話される.
*⁴ イエズスの光栄は,その出発と関連する.
ユダヤ人にとって,もう別れは決定的であるが,弟子たちにとっては一時的な別れである.
*⁵ イエズスの愛をもとにした新しいおきて.
イエズスの死と復活とによって開かれる新時代のしるしでもある.
ペトロの否みの預言(13・36-38)
*⁶ ペトロの殉教(じゅんきょう)の暗示である.
* * *
第14章
弟子らを慰める
『「心を騒がせることはない.神を信じそして私をも信じよ.
*¹私の父の家には住みかが多い,もしそうでなければあなたたちに知らせていただろう.私はあなたたちのために場所を準備しに行く.そして,*²行って場所を準備したら,あなたたちをともに連れていくために帰ってくる.私のいる所にあなたたちも来(こ)させたいからである.
私がどこに行くかはあなたたちがその道を知っている」と言われると,トマが,「主よ,私たちはあなたがどこに行かれるかを知りません.どうしてその道がわかりましょう」と言った.
するとイエズスは言われた,「*³私は道であり,真理であり,命である.私によらずにはだれ一人父のみもとには行けない.私を知れば私の父も知るだろう.だがあなたたちは父を知っている,すでに父を見たのだ」.
フィリッポは,「主よ,私たちに父をお見せください.それだけで十分です」と言った.
イエズスは言われた,「フィリッポ,私はこんなに長くあなたたちとともにいたのに,まだ私を知らないのか.私を見た人は父を見た.それなのに,どうして〈父をお見せください〉と言うのか.*⁴私が父におり,父が私にましますことをあなたは信じないのか.
私が話していることばは,自分で話しているのではなく,私にまします父がそのみ業(わざ)を行っておられる.
私を信じよ,私は父におり,父は私にまします.せめてそれを私の業によって信じよ.』
聖霊の約束
『まことにまことに私は言う.*⁵私を信じる者は,私のするようなことを行うであろう.そればかりか,もっと偉大なことを行うだろう,私は父のもとに行くからである.
あなたたちが私の名によって願い求めることはすべてかなえられ,父が子において光栄を受けたもうように私が計らう.あなたたちが私の名によって何かを願い求めるなら,私が計らおう.
あなたたちは*⁶私を愛するなら私のおきてを守るだろう.そして私は父に願おう.そうすれば,父はほかの弁護者をあなたたちに与え,永遠にともにいさせてくださる.それは真理の霊である.
世はそれを見もせず知りもしないので,それを受け入れない.
しかしあなたたちは霊を知っている.霊はあなたたちとともに住んで,あなたたちの中にいますからである.
私はあなたたちを孤児にしてはおかない,ふたたび帰ってくる.
*⁷もう少しすれば,世は私を見なくなる.
しかしあなたたちは私を見るだろう.それは私が生き,あなたたちも生きるからである.*⁸その日には,私が父におり,あなたたちが私におり,私があなたたちにいることを知るだろう.
私のおきてを保ちそれを守る者こそ私を愛する者である.私を愛する者は父にも愛され,私もその人を愛して自分を現す」.
*⁹イスカリオトでないユダが,「主よ,この世にではなくて私たちに,あなたがご自分を現されるのはなぜでしょうか」と聞くと,
イエズスは言われた,「私を愛する者は私のことばを守る.また父もその者を愛される.そして私たちはその人のところに行ってそこに住む.私を愛さない人は私のことばを守らぬ.
あなたたちが聞いているのは私のことばではなく,私を遣(つか)わされた父のみことばである.
私はあなたたちとともにいる間にそのことを話した.だが,弁護者すなわち父が私の名によって送りたもう聖霊は,すべてを教え,あなたたちの心に私の話したことをみな思い出させてくださるだろう.』
弟子たちに平和を残す
『私はあなたたちに平和を残し,私の平和を与える.私はこの世が与えるようにしてそれを与えるのではない.心配することはない,恐れることはない.
〈私は去ってまた帰ってくる〉と私が言ったのをあなたたちは聞いた.もし私を愛しているなら,私が父のもとに行くのを喜んでくれるはずである.*¹⁰父は私よりも偉大なお方だからである.
私はことが起こるとき信じるようにと,ことが起こる前にこうあなたたちに話しておいた.*¹¹この世のかしらが来るから,私はもう長くあなたたちと話し合わぬ.彼は私に対して何もできぬが,私が父を愛しており,父の命令のままに行っていることを,この世は知らねばならぬ.
立て,ここを出よう」.』
(注釈)
弟子らを慰める(14・1-11)
*¹ イエズスはその死をもって天の門を開きに行かれる.その後帰って弟子らを天国に導かれるであろう.
*² 教会の希望は,このキリストの約束の上に立っている
(〈新約聖書〉ティモテオへの手紙〈第一〉4・16以下,コリント人への手紙〈第一〉4・5,11・26,16・22,黙示22・17,20,ヨハネの手紙〈第一〉2・28).
*³ イエズスは,御父のことを啓示する「道」であり(1・18,12・45,114・9),御父が喜ばれる霊の宗教を教える「真理」であり(4・23以下),また,
永遠の命が,み子に宿る御父のことを知るところにあるという意味で,「命」である(17・3).
*⁴ イエズスは父との同等を宣言された.
み子は御父におられ,御父はみ子においでになることを知るのは信仰である.
聖霊の約束(14・12-26)
*⁵ 奇跡をしるしとする救いの使命は,弟子たちに受け継(つ)がれる.
弟子たちは,キリストが送る聖霊によって特能を受ける(7・39,16・7).
*⁶ イエズスは,神と同様に愛され服従されるお方である.その権威を示された.
*⁷ 世間は,一度亡くなられたイエズスを忘れ去ってしまうだろうが,しかし弟子たちは,復活したキリストを霊的に見て,信仰によってそれを見続ける(20・29).
*⁸ 「その日」はイエズスの復活に続く日々のことをいう.
*⁹ ヤコボの兄弟のユダ(ルカ聖福音書6・16,使徒1・13),タダイ(マテオ聖福音書10・3,マルコ聖福音書3・18)と同じ人.
弟子たちに平和を残す(14・27-31)
*¹⁰ 神として父と平等であるが,人間としてイエズスは父の下にある.
*¹¹ この世のかしらは悪魔である.悪魔はけっしてイエズスの命に手をかけることができない,もしイエズスが自(みずか)ら死を迎(むか)えなかったならば.
* * *
以下の聖書のみことばを,後から追加掲載いたします.
新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第19章25-27節.
* * *
聖ピオ十世会の司祭たちの中には,(訳注・カトリック)教会権威当局( “the Church authorities” )と教義上の合意なしでも( “without a doctrinal agreement” )なんらかの実務的な合意をまとめるべきだ( “…seek a practical agreement” )という誘惑に再びかられている方がいるようです.ここ数年間,聖ピオ十世会総長であるフェレイ司教( “Bishop Fellay as the Society’s Superior General” )はそうした考えを拒(こば)んできました.ところが,同司教は2月2日に米国のウィノナで( “in Winona” )説教された際,ローマ教皇庁(以下,「ローマ」)は聖ピオ十世会をありのまま受け容れる考えであり,「同会のあらゆる要求を…実務的なレベルで」満たす用意があると述べられました.これはローマも同じ考えに傾いているのではないかということです( “…it does look as though Rome is holding out the same temptation once more.” ).
しかし,ローマから届いた最新のニュースは次のようなものです.バチカンが聖ピオ十世会に思わせぶりな態度をとっているのでないとすれば( “…unless the Vatican is playing games with the SSPX,…” ),同当局は3月16日,昨年9月14日付けでバチカンが出した教理前文( “Doctrinal Preamble” )に対するフェレイ司教のことし1月の回答は「教皇庁と聖ピオ十世会との対立の根底に横たわる教理上の問題を乗り越えるには不十分である」と公表しました.その上で,バチカンは聖ピオ十世会に対し一カ月以内に「苦痛を伴う測り知れない結果」を避けるためその方針を修正するよう求めました( “…to correct itself and avoid “a rupture of painful and incalculable consequences.”” ).
だが,もしローマが突然方針を変更して聖ピオ十世会に公会議と新しいミサを受け入れるよう求めなくなったとしたらどうでしょうか? ローマが唐突に「よろしい.私たちは十分考えてみました.あなたたちが望むようにローマに戻ってきなさい.あなたたちが公会議を好きなだけ批判し,独自にトレントミサを祝う自由は与えます.とにかく戻りなさい! 」 と言ったらどうなるでしょうか?( “What if Rome were suddenly to say, “Alright. We have thought about it. Come back into the Church as you ask. We will give you freedom to criticize the Council as much as you like, and freedom to celebrate the Tridentine Mass exclusively. But do come in !”” ) それはローマによるきわめて狡猾(こうかつ)な企(たくら)みということでしょう.というのは,聖ピオ十世会が一貫性を捨ててありがた迷惑だという態度をとらないかぎり,そのようなローマの申し出を拒めるわけがないからです.(訳注・直訳=それはローマ側の非常に狡猾な企みかもしれません.なぜならどうして聖ピオ十世会がいかにも矛盾した全く恩知らずな団体であるかのように人目に映ることなくして,ローマのそのような申し出を拒絶することができるものでしょうか?) ( “It might be a very cunning move on the part of Rome, because how could the Society refuse such an offer without seeming inconsistent and downright ungrateful ?” ) だが,聖ピオ十世会としては自らの存続にかかわる苦痛を考えれば申し出を拒まざるをえないでしょう.( “Yet on pain of survival it would have to refuse.” )存続にかかわる苦痛とはずいぶんきつい言葉です( “On pain of survival ? Strong words.” ).だが,この問題についてルフェーブル大司教は次のように述べておられます.
1988年5月5日,ルフェーブル大司教は当時のラッツィンガー枢機卿( “then Cardinal Ratzinger” )との間でローマと聖ピオ十世会の実務的合意に関する議定書(草案)( “the protocol (provisional draft) of a practical Rome-Society agreement” )に署名しました.翌5月6日,同大司教は(仮)署名を取り消しました.そして6月13日つぎのように言われました.「5月5日の議定書を認めれば私たち(聖ピオ十世会)は間もなく死に絶えることになったでしょう.私たちは1年と続かなかったでしょう.いま現在,聖ピオ十世会は結束しています.だがその議定書を認めれば,私たちは彼ら(ローマ)と接触を持たざるをえなくなり,聖ピオ十世会で内部分裂が起きたでしょう.あらゆることが分裂の原因になったでしょう(強調は筆者が加えたもの).( “As of now the Society is united, but with that Protocol we would have had to make contacts with them, there would have been division within the Society, everything would have been a cause of division” (emphasis added).” ). (議定書を認めれば)私たちはローマと結びつくわけですから,新たな志願者たち( “new vocations” )が続々と遣(つか)わされ私たちの修道会に流れ込んだでしょう.だがそのような志願者たちはみな私たちがローマと対立することなど認めないでしょう――これも私たちの分裂につながるでしょう( ““New vocations might have flowed our way because we were united with Rome, but such vocations would have tolerated no disagreement with Rome – which means division.” ). 実際には,志願者たちは私たちのもとへ赴任(ふにん)するかどうか自ら選んで決めています.」(これは世界各地の聖ピオ十世会の神学校でいまだに行われている実態です.( “As it is, vocations sift themselves before they reach us” (which is still true in Society seminaries).” ))(訳注後記)
そのような分裂が起きるのは何故でしょうか? (相いれない志願者たち “Warring vocations” の存在は無数にある原因のひとつに過ぎないでしょう.) 明白な理由は,5月5日の議定書によると,実務的合意は神の宗教と人間の宗教との間に存在する際立った教義上の不一致の上に成り立っているのがはっきりしているからです( “Clearly, because the May 5 Protocol would have meant a practical agreement resting upon a radical doctrinal disagreement between the religion of God and the religion of man.” ).ルフェーブル大司教は「彼ら(ローマ)は私たちを公会議の方へ引き込もうとしています.ところが私たちは彼らとの間に注意深く距離を置き,聖ピオ十世会と(カトリック教の)伝統を守ろうとしています.」( “They are pulling us over to the Council...whereas on our side we are saving the Society and Tradition by carefully keeping our distance from them” )(強調は筆者)と述べています.ではルフェーブル大司教がそもそもローマとの実務的合意を求めたのは何故でしょうか? 大司教は次のように説明されています.「私たちは公式の教会( “the official Church” )内で伝統が保たれるよう誠実に努めました.だが,それは不可能だと分かりました.彼らは悪い方向以外には何ら変わっていません.」( “We made an honest effort to keep Tradition going within the official Church. It turned out to be impossible. They have not changed, except for the worse.” )
彼らは果たして1988年当時に比べ変わったでしょうか? 多くの人々は彼らがもっと悪い方向へ変わっただけだと考えるでしょう.
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
訳注:
新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第13,14章
THE HOLY GOSPEL OF JESUS CHRIST, ACCORDING TO ST. JOHN CHAPTERS XIII & XIV
第13章
最後の晩餐,洗足
『過ぎ越しの祭りの前に,イエズスは*¹この世から父のもとに移る時が来たのを知り,この世にいるご自分の人々を愛し,*²彼らに限りなく愛を示された.
*³食事の時に,*⁴悪魔は早くもイスカリオトのシモンの子ユダの心に,イエズスをわたそうという考えを入れた.
父が自分の手に万物をゆだね,自分は神から出て神に帰ることを知っておられたイエズスは,食卓から立ち上がって上衣を脱ぎ,手ぬぐいをとって腰にまとい,それからたらいに水を入れ,*⁵弟子たちの足を洗い,まとった手ぬぐいでこれをふき始められた.
シモン・ペトロの番になると,「主よ,あなたが私の足をお洗いになるのですか」と聞いた.イエズスが,「私のすることを,あなたは今は知らぬが,後にわかるだろう」と答えられると,ペトロは,「いいえ,けっして私の足を洗わないでください」と言った.イエズスは,「もしあなたを洗わないなら,あなたは私と何のかかわりもなくなる」と答えられた.シモン・ペトロは,「主よ,では,足ばかりでなく手も頭も」と言った.
するとイエズスは,「すでに体を洗った者は、(*⁶足のほか)洗う必要がない,その人は全身清いからである.あなたたちも清い,だがみながそうではない」と言われた.イエズスは自分をわたす者がだれかを知っておられたから,全部が清くはないと言われたのである.
彼らの足を洗い,上衣をとってふたたび食卓につかれたとき,イエズスは言われた,「あなたたちには私のしたことがわかったか.あなたたちは私を先生または主と言う.それは正しい,そのとおりである.
*⁷私は主または先生であるのに,あなたたちの足を洗ったのであるから,あなたたちも互いに足を洗い合わねばならぬ.私のしたとおりするようにと私は模範を示した.
まことにまことに私は言う.奴隷は主人よりも偉大ではない.遣(つか)わされた人は遣わす人よりも偉大ではない.このことを知っていて行うなら,あなたたちは幸せである.
しかしこれは,あなたたちみなについて言ったのではない.私は自分がだれを選んだかを知っている.だが聖書に〈*⁸私のパンを食べる者が,私に向かってかかとをあげた〉とあることは実現されねばならぬ.
今から,*⁹そのことの起こる前に私はこう言う.そのことが起こるとき,私が何者であるかをあなたたちに信じさせるためである.まことにまことに私は言う.私の遣わす人々を受け入れる者は私を受け入れ,私を受け入れる者は私を遣わされたお方を受け入れる」.』
(注釈)
第2部イエズスの受難と死去(13章1節-19章42節)
最後の晩餐(ばんさん),洗足(せんぞく)(13・1-20)
*¹ あるユダヤ人は,過ぎ越し(脱出12・11以下)ということばを,紅海を渡った時のことに言い合わせて,「渡る」の意味に用いていた.
キリストは,罪の奴隷であるこの世から,約束の地なる父のもとに渡られるのである.
*² はじめてヨハネはここで,イエズスの死を人類への愛の死としてとりあげる.最後の時のために隠しておいた秘密を打ち明けるように思える.
*³ この食事の時に定められた聖体も,無限の愛のしるしの一つである.
*⁴ 受難という事件には不可見の世界が働いている.人間の背後には,闇(やみ)の力なる悪魔が働いている(12・31,13・27,16・11,ヨハネの黙示録12・3,17,13・2,ルカ聖福音書22・3,コリント人への手紙〈第一〉2・8).
*⁵ イエズスのこの行いは奴隷の仕事であった.
*⁶ 後の書き入れと思われているこのことばは,主な写本にのっている.
*⁷ イエズスの弟子たちは,謙遜な奉仕をしなければならぬ.
*⁸ 詩篇41・10.ユダの裏切りの預言.
*⁹ ユダの裏切りとイエズスの死は,弟子たちの信仰を固めるにちがいない.
それは,イエズスの上知(じょうち)と聖書の真実とを語っているからである.
***
裏切り者を示す
『イエズスはこう話してから,心中憂いながら,「まことにまことに私は言う.あなたたちの一人が私をわたすだろう」と宣言された.弟子たちは,だれのことを言われるのかわからなかったので,互いに顔を見合わせていた.
*¹イエズスの愛しておられた弟子の一人がそのみ胸によりそって席についていた.シモン・ペトロはその人に合図して,「だれのことを言われるのか尋(たず)ねてくれ」と聞いた.彼がみ胸によりそったまま,「主よ,それはだれですか」と言うと,イエズスは「私がいま浸(ひた)す一口の*²食べ物を与える者がそれだ」と答えられた.そして一片を浸してシモン・イスカリオトの子ユダに与えられた.この一片を受けてのち悪魔はユダに入った.
イエズスは,「おまえのしようとしていることを早くせよ」と言われたが,席についていた者はだれ一人,なぜこう言われたかがわからなかった.ある人々は,ユダが財布を預かっていたから,「祭りにいるものを買え」と言われたか,あるいは貧しい人に何か施しをさせるためであろうと思った.ユダはその一片を受けてすぐ出ていった.時は夜だった.』
新しいおきて
『*³彼が出ていってからイエズスは言われた,「今や人の子は光栄を受けた.人の子によって神が光栄を受けたもうた.神が子によって光栄を受けたもうたのなら,また神はご自分によって子に光栄を与えられるだろう,直ちに光栄を与えられるだろう.
小さな子らよ,私はもうしばらくの閻あなたたちとともにいる.その後,あなたたちは私をたずね求めるだろう.先に私は,*⁴ユダヤ人に〈あなたたちは私の行く所に来られぬ〉と言ったが,今あなたたちにもそう言う.
私は*⁵新しいおきてを与える.あなたたちは互いに愛し合え.私があなたたちを愛したように,あなたたちも互いに愛し合え.互いに愛し合うなら,それによって人はみな,あなたたちが私の弟子であることを認めるだろう」.』
ペトロの否みの預言
『すると,シモン・ペトロが,「主よ,あなたはどこへおいでになるのですか」と聞いた.イエズスは,「私の行く所に,あなたは今はついてこられぬが,*⁶後に来るだろう」と答えられた.
ペトロが,「主よ,なぜ今ついていけないのですか.私はあなたのために命も捨てます」と言ったが,イエズスは「あなたは私のために命を捨てるというのか.まことにまことに私は言う.雄鶏(おんどり)が時を告げるまでにあなたは三度私を否むだろう」と言われた.』
(注釈)
第2部イエズスの受難と死去(13章1節-19章42節)
裏切り者を示す(13・21-30)
*¹ 使徒ヨハネのことである.
*² この食べ物は聖体のことではない.しかし,13・2,18と6・64,70との比較によって,聖体の制定とユダの裏切りとの問に何か関係のあることを示している(ルカ22・21).
新しいおきて(13・31-35)
*³ ユダはサタンに勧められて去った.今や受難の始まりである.
イエズスは,自分の勝利がすでに決定したように話される.
*⁴ イエズスの光栄は,その出発と関連する.
ユダヤ人にとって,もう別れは決定的であるが,弟子たちにとっては一時的な別れである.
*⁵ イエズスの愛をもとにした新しいおきて.
イエズスの死と復活とによって開かれる新時代のしるしでもある.
ペトロの否みの預言(13・36-38)
*⁶ ペトロの殉教(じゅんきょう)の暗示である.
* * *
第14章
弟子らを慰める
『「心を騒がせることはない.神を信じそして私をも信じよ.
*¹私の父の家には住みかが多い,もしそうでなければあなたたちに知らせていただろう.私はあなたたちのために場所を準備しに行く.そして,*²行って場所を準備したら,あなたたちをともに連れていくために帰ってくる.私のいる所にあなたたちも来(こ)させたいからである.
私がどこに行くかはあなたたちがその道を知っている」と言われると,トマが,「主よ,私たちはあなたがどこに行かれるかを知りません.どうしてその道がわかりましょう」と言った.
するとイエズスは言われた,「*³私は道であり,真理であり,命である.私によらずにはだれ一人父のみもとには行けない.私を知れば私の父も知るだろう.だがあなたたちは父を知っている,すでに父を見たのだ」.
フィリッポは,「主よ,私たちに父をお見せください.それだけで十分です」と言った.
イエズスは言われた,「フィリッポ,私はこんなに長くあなたたちとともにいたのに,まだ私を知らないのか.私を見た人は父を見た.それなのに,どうして〈父をお見せください〉と言うのか.*⁴私が父におり,父が私にましますことをあなたは信じないのか.
私が話していることばは,自分で話しているのではなく,私にまします父がそのみ業(わざ)を行っておられる.
私を信じよ,私は父におり,父は私にまします.せめてそれを私の業によって信じよ.』
聖霊の約束
『まことにまことに私は言う.*⁵私を信じる者は,私のするようなことを行うであろう.そればかりか,もっと偉大なことを行うだろう,私は父のもとに行くからである.
あなたたちが私の名によって願い求めることはすべてかなえられ,父が子において光栄を受けたもうように私が計らう.あなたたちが私の名によって何かを願い求めるなら,私が計らおう.
あなたたちは*⁶私を愛するなら私のおきてを守るだろう.そして私は父に願おう.そうすれば,父はほかの弁護者をあなたたちに与え,永遠にともにいさせてくださる.それは真理の霊である.
世はそれを見もせず知りもしないので,それを受け入れない.
しかしあなたたちは霊を知っている.霊はあなたたちとともに住んで,あなたたちの中にいますからである.
私はあなたたちを孤児にしてはおかない,ふたたび帰ってくる.
*⁷もう少しすれば,世は私を見なくなる.
しかしあなたたちは私を見るだろう.それは私が生き,あなたたちも生きるからである.*⁸その日には,私が父におり,あなたたちが私におり,私があなたたちにいることを知るだろう.
私のおきてを保ちそれを守る者こそ私を愛する者である.私を愛する者は父にも愛され,私もその人を愛して自分を現す」.
*⁹イスカリオトでないユダが,「主よ,この世にではなくて私たちに,あなたがご自分を現されるのはなぜでしょうか」と聞くと,
イエズスは言われた,「私を愛する者は私のことばを守る.また父もその者を愛される.そして私たちはその人のところに行ってそこに住む.私を愛さない人は私のことばを守らぬ.
あなたたちが聞いているのは私のことばではなく,私を遣(つか)わされた父のみことばである.
私はあなたたちとともにいる間にそのことを話した.だが,弁護者すなわち父が私の名によって送りたもう聖霊は,すべてを教え,あなたたちの心に私の話したことをみな思い出させてくださるだろう.』
弟子たちに平和を残す
『私はあなたたちに平和を残し,私の平和を与える.私はこの世が与えるようにしてそれを与えるのではない.心配することはない,恐れることはない.
〈私は去ってまた帰ってくる〉と私が言ったのをあなたたちは聞いた.もし私を愛しているなら,私が父のもとに行くのを喜んでくれるはずである.*¹⁰父は私よりも偉大なお方だからである.
私はことが起こるとき信じるようにと,ことが起こる前にこうあなたたちに話しておいた.*¹¹この世のかしらが来るから,私はもう長くあなたたちと話し合わぬ.彼は私に対して何もできぬが,私が父を愛しており,父の命令のままに行っていることを,この世は知らねばならぬ.
立て,ここを出よう」.』
(注釈)
弟子らを慰める(14・1-11)
*¹ イエズスはその死をもって天の門を開きに行かれる.その後帰って弟子らを天国に導かれるであろう.
*² 教会の希望は,このキリストの約束の上に立っている
(〈新約聖書〉ティモテオへの手紙〈第一〉4・16以下,コリント人への手紙〈第一〉4・5,11・26,16・22,黙示22・17,20,ヨハネの手紙〈第一〉2・28).
*³ イエズスは,御父のことを啓示する「道」であり(1・18,12・45,114・9),御父が喜ばれる霊の宗教を教える「真理」であり(4・23以下),また,
永遠の命が,み子に宿る御父のことを知るところにあるという意味で,「命」である(17・3).
*⁴ イエズスは父との同等を宣言された.
み子は御父におられ,御父はみ子においでになることを知るのは信仰である.
聖霊の約束(14・12-26)
*⁵ 奇跡をしるしとする救いの使命は,弟子たちに受け継(つ)がれる.
弟子たちは,キリストが送る聖霊によって特能を受ける(7・39,16・7).
*⁶ イエズスは,神と同様に愛され服従されるお方である.その権威を示された.
*⁷ 世間は,一度亡くなられたイエズスを忘れ去ってしまうだろうが,しかし弟子たちは,復活したキリストを霊的に見て,信仰によってそれを見続ける(20・29).
*⁸ 「その日」はイエズスの復活に続く日々のことをいう.
*⁹ ヤコボの兄弟のユダ(ルカ聖福音書6・16,使徒1・13),タダイ(マテオ聖福音書10・3,マルコ聖福音書3・18)と同じ人.
弟子たちに平和を残す(14・27-31)
*¹⁰ 神として父と平等であるが,人間としてイエズスは父の下にある.
*¹¹ この世のかしらは悪魔である.悪魔はけっしてイエズスの命に手をかけることができない,もしイエズスが自(みずか)ら死を迎(むか)えなかったならば.
* * *
以下の聖書のみことばを,後から追加掲載いたします.
新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第19章25-27節.
* * *
2012年3月27日火曜日
245 転機-2- 3/24
エレイソン・コメンツ 第245回 (2012年3月24日)
聖ピオ十世会の司祭たちの中には,(訳注・カトリック)教会権威当局( “the Church authorities” )と教義上の合意なしでも( “without a doctrinal agreement” )なんらかの実務的な合意をまとめるべきだ( “…seek a practical agreement” )という誘惑に再びかられている方がいるようです.ここ数年間,聖ピオ十世会総長であるフェレイ司教( “Bishop Fellay as the Society’s Superior General” )はそうした考えを拒(こば)んできました.ところが,同司教は2月2日に米国のウィノナで( “in Winona” )説教された際,ローマ教皇庁(以下,「ローマ」)は聖ピオ十世会をありのまま受け容れる考えであり,「同会のあらゆる要求を…実務的なレベルで」満たす用意があると述べられました.これはローマも同じ考えに傾いているのではないかということです( “…it does look as though Rome is holding out the same temptation once more.” ).
しかし,ローマから届いた最新のニュースは次のようなものです.バチカンが聖ピオ十世会に思わせぶりな態度をとっているのでないとすれば( “…unless the Vatican is playing games with the SSPX,…” ),同当局は3月16日,昨年9月14日付けでバチカンが出した教理前文( “Doctrinal Preamble” )に対するフェレイ司教のことし1月の回答は「教皇庁と聖ピオ十世会との対立の根底に横たわる教理上の問題を乗り越えるには不十分である」と公表しました.その上で,バチカンは聖ピオ十世会に対し一カ月以内に「苦痛を伴う測り知れない結果」を避けるためその方針を修正するよう求めました( “…to correct itself and avoid “a rupture of painful and incalculable consequences.”” ).
だが,もしローマが突然方針を変更して聖ピオ十世会に公会議と新しいミサを受け入れるよう求めなくなったとしたらどうでしょうか? ローマが唐突に「よろしい.私たちは十分考えてみました.あなたたちが望むようにローマに戻ってきなさい.あなたたちが公会議を好きなだけ批判し,独自にトレントミサを祝う自由は与えます.とにかく戻りなさい! 」 と言ったらどうなるでしょうか?( “What if Rome were suddenly to say, “Alright. We have thought about it. Come back into the Church as you ask. We will give you freedom to criticize the Council as much as you like, and freedom to celebrate the Tridentine Mass exclusively. But do come in !”” ) それはローマによるきわめて狡猾(こうかつ)な企(たくら)みということでしょう.というのは,聖ピオ十世会が一貫性を捨ててありがた迷惑だという態度をとらないかぎり,そのようなローマの申し出を拒めるわけがないからです.(訳注・直訳=それはローマ側の非常に狡猾な企みかもしれません.なぜならどうして聖ピオ十世会がいかにも矛盾した全く恩知らずな団体であるかのように人目に映ることなくして,ローマのそのような申し出を拒絶することができるものでしょうか?) ( “It might be a very cunning move on the part of Rome, because how could the Society refuse such an offer without seeming inconsistent and downright ungrateful ?” ) だが,聖ピオ十世会としては自らの存続にかかわる苦痛を考えれば申し出を拒まざるをえないでしょう.( “Yet on pain of survival it would have to refuse.” )存続にかかわる苦痛とはずいぶんきつい言葉です( “On pain of survival ? Strong words.” ).だが,この問題についてルフェーブル大司教は次のように述べておられます.
1988年5月5日,ルフェーブル大司教は当時のラッツィンガー枢機卿( “then Cardinal Ratzinger” )との間でローマと聖ピオ十世会の実務的合意に関する議定書(草案)( “the protocol (provisional draft) of a practical Rome-Society agreement” )に署名しました.翌5月6日,同大司教は(仮)署名を取り消しました.そして6月13日つぎのように言われました.「5月5日の議定書を認めれば私たち(聖ピオ十世会)は間もなく死に絶えることになったでしょう.私たちは1年と続かなかったでしょう.いま現在,聖ピオ十世会は結束しています.だがその議定書を認めれば,私たちは彼ら(ローマ)と接触を持たざるをえなくなり,聖ピオ十世会で内部分裂が起きたでしょう.あらゆることが分裂の原因になったでしょう(強調は筆者が加えたもの).( “As of now the Society is united, but with that Protocol we would have had to make contacts with them, there would have been division within the Society, everything would have been a cause of division” (emphasis added).” ). (議定書を認めれば)私たちはローマと結びつくわけですから,新たな志願者たち( “new vocations” )が続々と遣(つか)わされ私たちの修道会に流れ込んだでしょう.だがそのような志願者たちはみな私たちがローマと対立することなど認めないでしょう――これも私たちの分裂につながるでしょう( ““New vocations might have flowed our way because we were united with Rome, but such vocations would have tolerated no disagreement with Rome – which means division.” ). 実際には,志願者たちは私たちのもとへ赴任(ふにん)するかどうか自ら選んで決めています.」(これは世界各地の聖ピオ十世会の神学校でいまだに行われている実態です.( “As it is, vocations sift themselves before they reach us” (which is still true in Society seminaries).” ))(訳注後記)
そのような分裂が起きるのは何故でしょうか? (相いれない志願者たち “Warring vocations” の存在は無数にある原因のひとつに過ぎないでしょう.) 明白な理由は,5月5日の議定書によると,実務的合意は神の宗教と人間の宗教との間に存在する際立った教義上の不一致の上に成り立っているのがはっきりしているからです( “Clearly, because the May 5 Protocol would have meant a practical agreement resting upon a radical doctrinal disagreement between the religion of God and the religion of man.” ).ルフェーブル大司教は「彼ら(ローマ)は私たちを公会議の方へ引き込もうとしています.ところが私たちは彼らとの間に注意深く距離を置き,聖ピオ十世会と(カトリック教の)伝統を守ろうとしています.」( “They are pulling us over to the Council...whereas on our side we are saving the Society and Tradition by carefully keeping our distance from them” )(強調は筆者)と述べています.ではルフェーブル大司教がそもそもローマとの実務的合意を求めたのは何故でしょうか? 大司教は次のように説明されています.「私たちは公式の教会( “the official Church” )内で伝統が保たれるよう誠実に努めました.だが,それは不可能だと分かりました.彼らは悪い方向以外には何ら変わっていません.」( “We made an honest effort to keep Tradition going within the official Church. It turned out to be impossible. They have not changed, except for the worse.” )
彼らは果たして1988年当時に比べ変わったでしょうか? 多くの人々は彼らがもっと悪い方向へ変わっただけだと考えるでしょう.
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第4パラグラフ最後の訳注:
「実際には,志願者たちは私たちのもとへ赴任(ふにん)するかどうか自ら選んで決めています.」
( “As it is, vocations sift themselves before they reach us….” )について.
・「新たな志願者たち」 “new vocations” … 本来は「神の召命,神から呼ばれた人たち,神より召し出されてきた人たち」の意味があった.今でもあるべきはずである.
神がお選びになり神の僕(しもべ,=召使い)として召し出された人たちのこと.
(実例・旧約時代のイスラエルの父祖アブラハムや預言者モーゼ,新約時代の聖ペトロや聖パウロなど.)
・「神の御意思に無条件に従う」というよりも,その時々の社会や人間関係の状況次第で「人の恣意(しい)で」いくらでも変更され得るものとなれば,当然人間相互の争いも絶えなくなる.
目前の出来事を神への信仰〈信頼)の目で見ることにより,神の御旨に全て委ねるという信仰を実践する礎(いしずえ)となるべき「神の真理」がそこになくなってしまうからである.
・しかし,神の真理を犠牲にするなら,必ず最終的な崩壊を人間自身の身に招くことになる.
・神はただ一人キリストの御受難(十字架上の死)によって世界を救われた.
キリストは人間的には弱者だったが,神の御力により悪に打ち勝たれた.
また,神の恩寵は,人の弱さのうちに完全に現れる.
人の目に無力に映る「弱さ」を通して力強く働かれる神の恩寵を,たとえ人間的な知恵で理解することができなくても,信仰によって信じ,神の救いを待ち望み,神があえてお許しになっておられる現在の苦境を耐え忍ぶところに,真理が目に見える形をとって現れる.
それを示すのが「キリストの御受難(十字架上の死)と御復活」である.
誰でも真面目に生きていれば,初めのうちは見せかけのごまかし・偽りがきいても,最後には真理だけしか残らないということが分かる.
敵の数や規模がいかに無数で巨大に見えても,そこに真理がなければいつか必ず滅亡する.
どんな時も決して恐れることなく,ただ唯一のキリストによる真理のうちに堅くとどまり,地上最大級の悪や災害さえも用いて真理・善の最終的な勝利にまで導かれる全能の神を信頼し,その神から来る救いを待ち望み続けることが,人間が救われるただ一つの道である.
・神にすべてを委ねられたキリストにならい,このような「信仰による勝利の道」を最も完全に果たされた人が,神(=キリスト)の御母・聖マリアである.
・聖母マリアは,御子イエズス・キリストの十字架上の死に,十字架のふもとで最後まで立ち会われ,キリストによる贖(あがな)いの御業に共にあずかる者となった.
またこの時,聖母マリアはキリストにより「全キリスト信者の母」とされた.
・聖母マリアは,今日に至るまで,全人類のために神にとりなしておられる.
聖母マリアは,キリスト信者が最も模範とすべき鑑(かがみ)である.
・以下の聖書のみことばを,後から追加掲載いたします.
新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第14章,第19章25-27節.
(聖書は,次回「246回」の訳注に掲載いたしました.)
* * *
聖ピオ十世会の司祭たちの中には,(訳注・カトリック)教会権威当局( “the Church authorities” )と教義上の合意なしでも( “without a doctrinal agreement” )なんらかの実務的な合意をまとめるべきだ( “…seek a practical agreement” )という誘惑に再びかられている方がいるようです.ここ数年間,聖ピオ十世会総長であるフェレイ司教( “Bishop Fellay as the Society’s Superior General” )はそうした考えを拒(こば)んできました.ところが,同司教は2月2日に米国のウィノナで( “in Winona” )説教された際,ローマ教皇庁(以下,「ローマ」)は聖ピオ十世会をありのまま受け容れる考えであり,「同会のあらゆる要求を…実務的なレベルで」満たす用意があると述べられました.これはローマも同じ考えに傾いているのではないかということです( “…it does look as though Rome is holding out the same temptation once more.” ).
しかし,ローマから届いた最新のニュースは次のようなものです.バチカンが聖ピオ十世会に思わせぶりな態度をとっているのでないとすれば( “…unless the Vatican is playing games with the SSPX,…” ),同当局は3月16日,昨年9月14日付けでバチカンが出した教理前文( “Doctrinal Preamble” )に対するフェレイ司教のことし1月の回答は「教皇庁と聖ピオ十世会との対立の根底に横たわる教理上の問題を乗り越えるには不十分である」と公表しました.その上で,バチカンは聖ピオ十世会に対し一カ月以内に「苦痛を伴う測り知れない結果」を避けるためその方針を修正するよう求めました( “…to correct itself and avoid “a rupture of painful and incalculable consequences.”” ).
だが,もしローマが突然方針を変更して聖ピオ十世会に公会議と新しいミサを受け入れるよう求めなくなったとしたらどうでしょうか? ローマが唐突に「よろしい.私たちは十分考えてみました.あなたたちが望むようにローマに戻ってきなさい.あなたたちが公会議を好きなだけ批判し,独自にトレントミサを祝う自由は与えます.とにかく戻りなさい! 」 と言ったらどうなるでしょうか?( “What if Rome were suddenly to say, “Alright. We have thought about it. Come back into the Church as you ask. We will give you freedom to criticize the Council as much as you like, and freedom to celebrate the Tridentine Mass exclusively. But do come in !”” ) それはローマによるきわめて狡猾(こうかつ)な企(たくら)みということでしょう.というのは,聖ピオ十世会が一貫性を捨ててありがた迷惑だという態度をとらないかぎり,そのようなローマの申し出を拒めるわけがないからです.(訳注・直訳=それはローマ側の非常に狡猾な企みかもしれません.なぜならどうして聖ピオ十世会がいかにも矛盾した全く恩知らずな団体であるかのように人目に映ることなくして,ローマのそのような申し出を拒絶することができるものでしょうか?) ( “It might be a very cunning move on the part of Rome, because how could the Society refuse such an offer without seeming inconsistent and downright ungrateful ?” ) だが,聖ピオ十世会としては自らの存続にかかわる苦痛を考えれば申し出を拒まざるをえないでしょう.( “Yet on pain of survival it would have to refuse.” )存続にかかわる苦痛とはずいぶんきつい言葉です( “On pain of survival ? Strong words.” ).だが,この問題についてルフェーブル大司教は次のように述べておられます.
1988年5月5日,ルフェーブル大司教は当時のラッツィンガー枢機卿( “then Cardinal Ratzinger” )との間でローマと聖ピオ十世会の実務的合意に関する議定書(草案)( “the protocol (provisional draft) of a practical Rome-Society agreement” )に署名しました.翌5月6日,同大司教は(仮)署名を取り消しました.そして6月13日つぎのように言われました.「5月5日の議定書を認めれば私たち(聖ピオ十世会)は間もなく死に絶えることになったでしょう.私たちは1年と続かなかったでしょう.いま現在,聖ピオ十世会は結束しています.だがその議定書を認めれば,私たちは彼ら(ローマ)と接触を持たざるをえなくなり,聖ピオ十世会で内部分裂が起きたでしょう.あらゆることが分裂の原因になったでしょう(強調は筆者が加えたもの).( “As of now the Society is united, but with that Protocol we would have had to make contacts with them, there would have been division within the Society, everything would have been a cause of division” (emphasis added).” ). (議定書を認めれば)私たちはローマと結びつくわけですから,新たな志願者たち( “new vocations” )が続々と遣(つか)わされ私たちの修道会に流れ込んだでしょう.だがそのような志願者たちはみな私たちがローマと対立することなど認めないでしょう――これも私たちの分裂につながるでしょう( ““New vocations might have flowed our way because we were united with Rome, but such vocations would have tolerated no disagreement with Rome – which means division.” ). 実際には,志願者たちは私たちのもとへ赴任(ふにん)するかどうか自ら選んで決めています.」(これは世界各地の聖ピオ十世会の神学校でいまだに行われている実態です.( “As it is, vocations sift themselves before they reach us” (which is still true in Society seminaries).” ))(訳注後記)
そのような分裂が起きるのは何故でしょうか? (相いれない志願者たち “Warring vocations” の存在は無数にある原因のひとつに過ぎないでしょう.) 明白な理由は,5月5日の議定書によると,実務的合意は神の宗教と人間の宗教との間に存在する際立った教義上の不一致の上に成り立っているのがはっきりしているからです( “Clearly, because the May 5 Protocol would have meant a practical agreement resting upon a radical doctrinal disagreement between the religion of God and the religion of man.” ).ルフェーブル大司教は「彼ら(ローマ)は私たちを公会議の方へ引き込もうとしています.ところが私たちは彼らとの間に注意深く距離を置き,聖ピオ十世会と(カトリック教の)伝統を守ろうとしています.」( “They are pulling us over to the Council...whereas on our side we are saving the Society and Tradition by carefully keeping our distance from them” )(強調は筆者)と述べています.ではルフェーブル大司教がそもそもローマとの実務的合意を求めたのは何故でしょうか? 大司教は次のように説明されています.「私たちは公式の教会( “the official Church” )内で伝統が保たれるよう誠実に努めました.だが,それは不可能だと分かりました.彼らは悪い方向以外には何ら変わっていません.」( “We made an honest effort to keep Tradition going within the official Church. It turned out to be impossible. They have not changed, except for the worse.” )
彼らは果たして1988年当時に比べ変わったでしょうか? 多くの人々は彼らがもっと悪い方向へ変わっただけだと考えるでしょう.
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第4パラグラフ最後の訳注:
「実際には,志願者たちは私たちのもとへ赴任(ふにん)するかどうか自ら選んで決めています.」
( “As it is, vocations sift themselves before they reach us….” )について.
・「新たな志願者たち」 “new vocations” … 本来は「神の召命,神から呼ばれた人たち,神より召し出されてきた人たち」の意味があった.今でもあるべきはずである.
神がお選びになり神の僕(しもべ,=召使い)として召し出された人たちのこと.
(実例・旧約時代のイスラエルの父祖アブラハムや預言者モーゼ,新約時代の聖ペトロや聖パウロなど.)
・「神の御意思に無条件に従う」というよりも,その時々の社会や人間関係の状況次第で「人の恣意(しい)で」いくらでも変更され得るものとなれば,当然人間相互の争いも絶えなくなる.
目前の出来事を神への信仰〈信頼)の目で見ることにより,神の御旨に全て委ねるという信仰を実践する礎(いしずえ)となるべき「神の真理」がそこになくなってしまうからである.
・しかし,神の真理を犠牲にするなら,必ず最終的な崩壊を人間自身の身に招くことになる.
・神はただ一人キリストの御受難(十字架上の死)によって世界を救われた.
キリストは人間的には弱者だったが,神の御力により悪に打ち勝たれた.
また,神の恩寵は,人の弱さのうちに完全に現れる.
人の目に無力に映る「弱さ」を通して力強く働かれる神の恩寵を,たとえ人間的な知恵で理解することができなくても,信仰によって信じ,神の救いを待ち望み,神があえてお許しになっておられる現在の苦境を耐え忍ぶところに,真理が目に見える形をとって現れる.
それを示すのが「キリストの御受難(十字架上の死)と御復活」である.
誰でも真面目に生きていれば,初めのうちは見せかけのごまかし・偽りがきいても,最後には真理だけしか残らないということが分かる.
敵の数や規模がいかに無数で巨大に見えても,そこに真理がなければいつか必ず滅亡する.
どんな時も決して恐れることなく,ただ唯一のキリストによる真理のうちに堅くとどまり,地上最大級の悪や災害さえも用いて真理・善の最終的な勝利にまで導かれる全能の神を信頼し,その神から来る救いを待ち望み続けることが,人間が救われるただ一つの道である.
・神にすべてを委ねられたキリストにならい,このような「信仰による勝利の道」を最も完全に果たされた人が,神(=キリスト)の御母・聖マリアである.
・聖母マリアは,御子イエズス・キリストの十字架上の死に,十字架のふもとで最後まで立ち会われ,キリストによる贖(あがな)いの御業に共にあずかる者となった.
またこの時,聖母マリアはキリストにより「全キリスト信者の母」とされた.
・聖母マリアは,今日に至るまで,全人類のために神にとりなしておられる.
聖母マリアは,キリスト信者が最も模範とすべき鑑(かがみ)である.
・以下の聖書のみことばを,後から追加掲載いたします.
新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第14章,第19章25-27節.
(聖書は,次回「246回」の訳注に掲載いたしました.)
* * *
2012年3月19日月曜日
243 転機 (3/10)
エレイソン・コメンツ 第243回 (2012年3月10日)
聖ピオ十世会総長(訳注・“the Society of St Pius X’s Superior General” =フェレー司教)は先月アメリカで説教された際にローマ教皇庁(以下, “ローマ” )と聖ピオ十世会の関係につき( “on Rome-SSPX relations” ),ローマが聖ピオ十世会をありのまま容認するなら両者間でなんらかの実務的な合意が可能かもしれないだろうと述べ,ルフェーブル大司教がそのような取り決めができるなら受け入れ得るとしばしば仰っておられたと言われました.だが,フェレー司教 “Bishop Fellay” はルフェーブル大司教がその趣旨の発言を最後にされたのは1987年だったと付け加えられました.この短い付言の持つ意味はきわめて重要で,とりわけ1988年のルフェーブル大司教による四名の司教叙階という歴史的なドラマ( “…the historic drama of the Episcopal Consecrations of 1988” )のことをあまり知らない若い世代のために,詳しく検討するに値します.
実際のところ,第二バチカン公会議(1962-1965) “the Second Vatican Council (1962-1965)” はドラマの中のドラマ “the drama of dramas” で,これがなければ聖ピオ十世会が存在することはけっしてなかったでしょう.この公会議で世界中のカトリック司教たちの大半が教会の「近代化」( “up-dating” )に関する諸文書に署名し,それによりカトリックの権威派がカトリック伝統派の真理から分かれたのです(訳注・原文 “…split their Catholic authority from the truth of Catholic Tradition” ).それから今日まで,カトリック信徒は権威と真理のいずれかを選ばなければならなくなりました(訳注・原文 “…Catholics had to choose between Authority and Truth” )今でも,カトリック信徒は権威を選べば真理を切望せざるを得ず,真理を選べば権威との結びつきにあこがれるといった状況です( 訳注・原文 “…if they choose Authority, they must long for Truth, and if they choose Truth, they still yearn for union with Authority”.). ルフェーブル大司教は真理を選ばれ( “Archbishop Lefebvre chose Truth…” ),1970年に真理擁護(ようご)のため聖ピオ十世会を創設されました.その後も自らの力の及ぶかぎりローマによる聖ピオ十世会承認を得ることで権威との決別の傷を癒(いや)そうとされました(訳注・原文 “…he did all in his power to heal its split with Authority by striving to obtain Rome’s approval for his Society.” ).ルフェーブル大司教は1987年までローマ教皇庁とのなんらかの実務的な合意達成を繰り返し望み,そのための努力をされたと,フェレイ司教が言われたのはそのためです.
ところが,ルフェーブル大司教は1987年には82歳になっていました.彼は聖ピオ十世会が自らの司教を持たないなら伝統を重んじるその立場は終わりを迎えるに違いないと予期されました.聖ピオ十世会にとってローマから少なくとも司教一人を派遣してもらうことが緊急課題になっていました.だが,ローマは言葉を濁(にご)し続けました.というのも,ローマ自体も司教のいない聖ピオ十世会はやがて消滅すると気づいていたからです.1988年5月,当時のラツィンガー枢機卿(すうききょう “then Cardinal Ratzinger” ,現ローマ教皇の本名+前身)は頑(かたく)なに動こうとしませんでした。このため,ルフェーブル大司教はネオ・モダニスト(新現代主義者)のローマ( “neo-modernist Rome” )にはカトリックの伝統を擁護し承認する意思がまったくない,とはっきり理解しました.大司教は外交で解決を探る時期は終わったと判断し,司教叙階(しきょうじょかい)に踏み切られたのです.この時から,同大司教の言葉によれば,教理を持つかそれとも何も持たないかのいずれかであり,ローマと聖ピオ十世会がなんらかの接触を持つとすれば,その絶対不可欠な前提として,彼の言葉によれば,ローマがカトリック伝統派の偉大な反リベラル諸文書,“the great anti-liberal documents of Catholic Tradition”,すなわち回勅 (かいちょく) パッシェンディ “Pascendi”,クアンタ・クーラ “Quanta Cura” などへの信仰を宣言することが必須だということになったのです.( “…Rome’s profession of Faith in the great anti-liberal documents of Catholic Tradition, e.g. Pascendi, Quanta Cura, etc”. )(訳注後記)
フェレー司教が2月2日の説教で暗に言われたように,ルフェーブル大司教が1991年に死を迎えるまでローマと聖ピオ十世会の間の実務的合意(訳注=実務協定.“practical agreement” )が可能もしくは望ましいと二度と口にすることがなかったのはこのためです.ルフェーブル大司教は生前,権威派から最小限度の真理を引き出そうとあらゆる努力をつくされました.( “Himself he had gone as far as he could to obtain from Authority the minimum requirements of Truth”.) 自分が1988年5月に行ったこと(四人の司教叙階)は行き過ぎだったかもしれないとまで示唆(しさ)されました.しかし,大司教は司教叙階以降,態度をぐらつかせたり妥協したりすることはなく,聖ピオ十世会に同じ立場を堅持(けんじ)するよう促(うなが)されました.
その当時に比べ現在の状況は変わったでしょうか? ローマが不変のカトリック信仰( “the profession of the Faith of all time” )へ立ち帰ったでしょうか? フェレー司教は同じ2月の説教で,ローマは9月14日に明らかにした厳しい立場をやわらげ,今ではありのままの聖ピオ十世会を容認する用意があると公言していると私たちに知らせてくださいましたが,それを聞くと答えはイエスという気もします.だが, 「アッシジ III」(第三回アッシジ諸宗教合同祈祷集会)や前教皇ヨハネ・パウロ2世の新しい(形式による)列福を思い起こすと,聖ピオ十世会に向けてローマの聖職者たちが新たに創出してきたローマの博愛(慈善)じみた好意的な態度の裏にはおそらく,両者間の接触が再構築されしばらく持続するとしても,その幸福感はやがて薄(うす)らぎ,ぼやけてしまい,聖ピオ十世会の新しい教会に対する頑(かたく)なな抵抗はやがて消えてしまうだろうという計算があるのではないかと疑いたくなります.悲しい哉(かな).
( “But one need only recall Assisi III and the Newbeatification of John-Paul II to suspect that behind the Roman churchmen’s new-found benevolence towards the SSPX lies in all likelihood a reliance on the euphoria of re-established and prolonged mutual contact to dilute, wash out and eventually dissolve the SSPX’s so far obstinate resistance to their Newchurch. Alas”. )
「われらの救いは主の御名のうちにあり.」
“Our help is in the name of the Lord.” (訳注後記)
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第3パラグラフの訳注:
回勅(かいちょく) “Encyclical” について
①回勅「パッシェンディ」 原語(ラテン語)+英タイトル
“PASCENDI DOMINICI GREGIS”
("Feeding the Lord's Flock") - 「主の(羊の)群れを牧(ぼく)せよ」
ENCYCLICAL OF POPE (SAINT) PIUS X - 教皇(聖)ピオ10世の回勅
ON THE DOCTRINES OF THE MODERNISTS - 近代主義者の思想信条について.
promulgated on September 8, 1907 - 1907年9月8日に発表された.
・近現代主義者(現代の新現代主義者 “neo-modernist” も含む)の思想信条を糾弾(きゅうだん)する.
・ヨハネによる聖福音書・第21章17節参照(太字部分).(15-19節掲載)
The Holy Gospel of Jesus Christ, according to St. John XXI, 17. (XXI, 15-19)
『…食事の後,イエズスはシモン・ペテロに,
「ヨハネの子シモン,あなたはこの人たちよりも私を愛しているか」と言われた.ペトロは,「主よ,そうです.あなたのご存じのとおり,わたしはあなたを愛しています」と答えると,イエズスは,「私の小羊を牧せよ」と言われた.
また,ふたたび彼に,「ヨハネの子シモン,私を愛しているか」と言われた.「主よ,そうです.あなたもご存じのとおり,私はあなたを愛しています」とペトロが答えると,「私の羊を牧せよ」と言われた.
*¹三たび「私を愛しているか」と言われたのを聞いてペトロは悲しみ,「主よ,あなたはすべてをご存じです.私があなたを愛していることはあなたがご存じです」と答えた.イエズスは彼に「私の羊を牧せよ」と言われた.
それから,「まことにまことに私は言う.あなたは若いとき自ら帯をしめ望む所に行ったが,しかし年をとれば手を伸ばして他の人から帯をしめてもらい,自分の望まぬ所に連れていかれるだろう」と言われた.*²これは,ペトロがどんな死に方をして神に光栄を帰するかを示すために言われたことである.
こう話してのち,ペトロに「私について来なさい」と言われた.』
(注釈)
*¹ 17節 教会の首位権がペトロに与えられた.イエズスはそのすべての群れをペトロに任せた.小羊は信者の群れを意味し,羊は司教,司祭を意味する.
(補足説明) ペトロは神の子キリストの教会の初代教皇となった.
*² 19節 ペトロは十字架にかけられ,ローマにおいて殉教した.
(補足説明) ある宗教が真実のものかどうかは,真理・愛・正義を証明できるほどの真の信仰をもった殉教者がそこから出現しているかどうかで分かる.指導者自らが人の救霊のために殉教し,他の人を生かすため自分自身を犠牲として献げるところに,真理・愛・正義の姿が目に見える形を取って証明される.
これは,永遠の存在たる真の神への信仰とそれに対して注がれる神からの恩寵なくしては,無知で臆病な人間の力だけでは不可能な行いである.
真理(信仰・希望・愛)は永遠に不滅なので,真理に生きるためにこの世(現世)で自分のすべてを犠牲としてささげる人は,来世で「真理すなわち永遠の命」に生きる.
真理たる神は,不信仰な罪深い人間を愛してくださり,永遠の命を与えようと御自分を(御子キリストにおいて)贖(あがな)いの犠牲として差し出された.愛たる神は我欲を追求する人間中心主義の現代主義(モダニズム)によって人が心身ともに堕落し滅びていくのを深く悲しまれ,人の改心(回心)を待たれる.
神は全能であるから,神への信仰はすべてを可能にする.神は必ず助けて下さるから,いかなる時も絶望にはあたらない.
→ヨハネによる聖福音書:第12章24-33節参照.
(受難に向かわれる直前のキリストのみことば)
『…もし一粒の麦が地に落ちて死なぬなら,ただ一つのまま残る.しかし死ねば多くの実を結ぶ.*¹自分の命を愛する人はそれを失い,この世でその命を憎む人は永遠の命のためにそれを保つ.
私に仕えたい人があればついてくるがよい.私がいるところには,私に仕える人もまたいる.もし私に仕えるなら,父はその人を尊(とうと)ばれる.
*²今しも私の霊は騒いでいる.私は何と言おうか,父よ,この時から私を救いたまえと言おうか.だが私がこの時を迎えたのは,そのためなのである.*³父よ,み名の光栄を現したまえ」.
そのとき天から,「私はすでに光栄を現したが,またさらに光栄を現すであろう」と言う声がした.そこにいてこれを聞いた人々は「雷が鳴ったのだ」と言い,他の人々は「天使が話しかけたのだ」と言った.
イエズスは「*⁴あの声が聞こえたのは私のためではなく,あなたたちのためである.今この世の審判が行われ,今*⁵この世のかしら(注・=悪魔)が追い出される.
*⁶私は地上から上げられて,すべての人を私のもとに引き寄せる」と言われたのは,ご自分がどんな死に方をするかを示されるためであった.』
(注釈)
*¹ 25節 この世の命を保とうとも,キリストを否む者は永遠の命を失うであろう.信仰のためにこの世の命を捨てる者は,永遠の命を得る.
*² 27節 イエズスは近い死を思って恐れる.しかし父のみ旨に自分の身をゆだねられる.
*³ 28節 イエズスは,御父の光栄を現すために,身を死にささげられた.イエズスの死は,御父がいかにこの世を愛されたかの証拠である.
*⁴ 30節 この声は,イエズスの死に対する神の印であった.
*⁵ 31節 サタン(悪魔)(14・30,16・11,コリント人への手紙〈第二〉4・4,エフェゾ人への手紙2・2,6・12)はこの世を支配している(ヨハネの手紙〈第一〉5・19).
イエズスの死は人間をサタンの支配下から救った.
*⁶ 32節 十字架の死の暗示であると同時に,復活の日の暗示でもある.この二つの出来事は,同じ奥義の二つの現れにすぎない.
* * *
②回勅「クアンター・クーラー」 原語(ラテン語)+英タイトル
“QUANTA CURA” - 「どれほど大きな配慮」(と……〈この後の文に続く〉)
(注・文頭2語がタイトルとなっている.)
("The Syllabus of Errors") - 「誤謬(ごびゅう=間違い・過〈あやま〉ち)の要旨(ようし)」
ENCYCLICAL OF POPE PIUS IX - 教皇ピオ9世の回勅
CONDEMNING CURRENT ERRORS - 現在の様々な誤謬を糾弾する.
promulgated on December 8, 1864 - 1864年12月8日に発表された.
(補足説明)
誤謬として糾弾の対象となった主な思想信条:
・良心・信仰の自由は各人の人格権として法的に宣言されるべき.
・この人格権はすべて正当に構成された社会で強く主張され,あらゆる市民に内在するものである.
・その権利は絶対的な自由の下に置かれ,教会権威や民間機関からの一切の制約を受けない.
・かかる権利の下で,あらゆる市民はあらゆる考えを(他の一切の権威からの制約を受けることなく),口承(口コミ)・マスコミ報道・出版物またその他あらゆる手段により,広く公(おおや)けにしまた明白に宣言・発表することができる.
・国民(=国政に参加する権利を持つ人の集団すなわち民主主義政府)の意思が最高権威であり,いかなる法・人間・神(宗教)の意思よりも優先する.
・政治秩序の下で成立する既成事実・状況に権力が置かれる(民衆政府の意思決定・行動に正当性を置き権威〈権力〉を持たせる).
・両親は,民法が許可する場合を除き,子供の教育に関わる権利を一切持たない.
・カトリック教徒は,教会法を国家が批准(ひじゅん)しない限り,教会の教えに従う道義的義務がない.
・国家は,教会や宗教的修道会の財産を没収する権利を有する.
など….
(解説)
これらの提案は,以下の目的でなされた:
・当時の欧州諸国において反教権(=聖職者の権威に反対する)政府の樹立を目指すため.
・数年以内に教育を世俗化するため,競合する独自の公立学校を開始せずにカトリックの学校をそのまま引き継(つ)いだり,相続人の財産と競合(きょうごう)する(宗教的)修道会を抑圧するため.
(補足説明)
一人の人間はほんの小さな存在で,その命はあまりに短い.たとえ世界で偉大な人間になったとしても(いまだかつてキリストによらずに真に偉大になった人間は世に一人も出現していない),時代から時代へ後継者をつなげていったとしても,それぞれの人間の意思は神の関与なしにはあまりにも移ろいやすい.
人間に宇宙法則・自然の摂理たる神を変えることはできない.人間はどんなに努力しても万物の支配者とはなれない.
人間は現世で他人を支配することを目指そうとするのではなく,永遠に真の支配者たる神に従うことによって,神の真実性・永遠性にあずかり,それらを自分のものとすることで神と共有し,また同じ信仰を持った人間と共に分かち合うことを目指すべきである.
「現世がすべてで死後の世界はない」と思うのは,あまりに浅はかな考えである.
人間は神を知ることなしに,決して真実を知ることはできない.
だから,人間の我欲の満足の追求を中心に置いている現代主義(モダニズム)は危険であり,人間を心身ともに滅ぼしてしまう致命的な思想である.
* * *
最後の訳注:
「われらの救いは主の御名のうちにあり.」について:
旧約聖書・詩篇:第124篇8節からの引用(太字部分).(第124篇全文掲載)
BOOK OF PSALMS: PSALM 123 Nisi quia Dominus : 8 (123:1-8)
The church giveth glory to God for her deliverance from the hands of her enemies.
イスラエルを救うもの
『第124篇(123)*¹上京の歌.ダビドの作.
主がわれらの味方でなかったら,
――*²イスラエルはこう言うべきだ――
主が味方でなかったら,
人々がわれらに背(そむ)いて立ったとき,
生きながら噛み裂いた(かみさいた)ろう.
彼らがわれらに向かって怒りを燃やしたとき,
そのとき,水はわれらを押し流し,
小川はわれらをのみ,
あわ立つ水に,
飲(の)まれたろう.
その歯のえじきにわれらを与えなかった主は
祝されよ.
われらの魂は小鳥のように逃れた,狩人(かりゅうど)の網(あみ)から.
網は破れ,われらは逃れた.
われらの助けは,
天地をつくられた主のみ名.』
(注釈)
イスラエルを救うもの
*¹ イスラエルの民はさまざまな危険から救い出された.それは神の恵みだった.
*² 神が救いを下さなかったら,イスラエルはどうなったろうか.
* * *
聖ピオ十世会総長(訳注・“the Society of St Pius X’s Superior General” =フェレー司教)は先月アメリカで説教された際にローマ教皇庁(以下, “ローマ” )と聖ピオ十世会の関係につき( “on Rome-SSPX relations” ),ローマが聖ピオ十世会をありのまま容認するなら両者間でなんらかの実務的な合意が可能かもしれないだろうと述べ,ルフェーブル大司教がそのような取り決めができるなら受け入れ得るとしばしば仰っておられたと言われました.だが,フェレー司教 “Bishop Fellay” はルフェーブル大司教がその趣旨の発言を最後にされたのは1987年だったと付け加えられました.この短い付言の持つ意味はきわめて重要で,とりわけ1988年のルフェーブル大司教による四名の司教叙階という歴史的なドラマ( “…the historic drama of the Episcopal Consecrations of 1988” )のことをあまり知らない若い世代のために,詳しく検討するに値します.
実際のところ,第二バチカン公会議(1962-1965) “the Second Vatican Council (1962-1965)” はドラマの中のドラマ “the drama of dramas” で,これがなければ聖ピオ十世会が存在することはけっしてなかったでしょう.この公会議で世界中のカトリック司教たちの大半が教会の「近代化」( “up-dating” )に関する諸文書に署名し,それによりカトリックの権威派がカトリック伝統派の真理から分かれたのです(訳注・原文 “…split their Catholic authority from the truth of Catholic Tradition” ).それから今日まで,カトリック信徒は権威と真理のいずれかを選ばなければならなくなりました(訳注・原文 “…Catholics had to choose between Authority and Truth” )今でも,カトリック信徒は権威を選べば真理を切望せざるを得ず,真理を選べば権威との結びつきにあこがれるといった状況です( 訳注・原文 “…if they choose Authority, they must long for Truth, and if they choose Truth, they still yearn for union with Authority”.). ルフェーブル大司教は真理を選ばれ( “Archbishop Lefebvre chose Truth…” ),1970年に真理擁護(ようご)のため聖ピオ十世会を創設されました.その後も自らの力の及ぶかぎりローマによる聖ピオ十世会承認を得ることで権威との決別の傷を癒(いや)そうとされました(訳注・原文 “…he did all in his power to heal its split with Authority by striving to obtain Rome’s approval for his Society.” ).ルフェーブル大司教は1987年までローマ教皇庁とのなんらかの実務的な合意達成を繰り返し望み,そのための努力をされたと,フェレイ司教が言われたのはそのためです.
ところが,ルフェーブル大司教は1987年には82歳になっていました.彼は聖ピオ十世会が自らの司教を持たないなら伝統を重んじるその立場は終わりを迎えるに違いないと予期されました.聖ピオ十世会にとってローマから少なくとも司教一人を派遣してもらうことが緊急課題になっていました.だが,ローマは言葉を濁(にご)し続けました.というのも,ローマ自体も司教のいない聖ピオ十世会はやがて消滅すると気づいていたからです.1988年5月,当時のラツィンガー枢機卿(すうききょう “then Cardinal Ratzinger” ,現ローマ教皇の本名+前身)は頑(かたく)なに動こうとしませんでした。このため,ルフェーブル大司教はネオ・モダニスト(新現代主義者)のローマ( “neo-modernist Rome” )にはカトリックの伝統を擁護し承認する意思がまったくない,とはっきり理解しました.大司教は外交で解決を探る時期は終わったと判断し,司教叙階(しきょうじょかい)に踏み切られたのです.この時から,同大司教の言葉によれば,教理を持つかそれとも何も持たないかのいずれかであり,ローマと聖ピオ十世会がなんらかの接触を持つとすれば,その絶対不可欠な前提として,彼の言葉によれば,ローマがカトリック伝統派の偉大な反リベラル諸文書,“the great anti-liberal documents of Catholic Tradition”,すなわち回勅 (かいちょく) パッシェンディ “Pascendi”,クアンタ・クーラ “Quanta Cura” などへの信仰を宣言することが必須だということになったのです.( “…Rome’s profession of Faith in the great anti-liberal documents of Catholic Tradition, e.g. Pascendi, Quanta Cura, etc”. )(訳注後記)
フェレー司教が2月2日の説教で暗に言われたように,ルフェーブル大司教が1991年に死を迎えるまでローマと聖ピオ十世会の間の実務的合意(訳注=実務協定.“practical agreement” )が可能もしくは望ましいと二度と口にすることがなかったのはこのためです.ルフェーブル大司教は生前,権威派から最小限度の真理を引き出そうとあらゆる努力をつくされました.( “Himself he had gone as far as he could to obtain from Authority the minimum requirements of Truth”.) 自分が1988年5月に行ったこと(四人の司教叙階)は行き過ぎだったかもしれないとまで示唆(しさ)されました.しかし,大司教は司教叙階以降,態度をぐらつかせたり妥協したりすることはなく,聖ピオ十世会に同じ立場を堅持(けんじ)するよう促(うなが)されました.
その当時に比べ現在の状況は変わったでしょうか? ローマが不変のカトリック信仰( “the profession of the Faith of all time” )へ立ち帰ったでしょうか? フェレー司教は同じ2月の説教で,ローマは9月14日に明らかにした厳しい立場をやわらげ,今ではありのままの聖ピオ十世会を容認する用意があると公言していると私たちに知らせてくださいましたが,それを聞くと答えはイエスという気もします.だが, 「アッシジ III」(第三回アッシジ諸宗教合同祈祷集会)や前教皇ヨハネ・パウロ2世の新しい(形式による)列福を思い起こすと,聖ピオ十世会に向けてローマの聖職者たちが新たに創出してきたローマの博愛(慈善)じみた好意的な態度の裏にはおそらく,両者間の接触が再構築されしばらく持続するとしても,その幸福感はやがて薄(うす)らぎ,ぼやけてしまい,聖ピオ十世会の新しい教会に対する頑(かたく)なな抵抗はやがて消えてしまうだろうという計算があるのではないかと疑いたくなります.悲しい哉(かな).
( “But one need only recall Assisi III and the Newbeatification of John-Paul II to suspect that behind the Roman churchmen’s new-found benevolence towards the SSPX lies in all likelihood a reliance on the euphoria of re-established and prolonged mutual contact to dilute, wash out and eventually dissolve the SSPX’s so far obstinate resistance to their Newchurch. Alas”. )
「われらの救いは主の御名のうちにあり.」
“Our help is in the name of the Lord.” (訳注後記)
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第3パラグラフの訳注:
回勅(かいちょく) “Encyclical” について
①回勅「パッシェンディ」 原語(ラテン語)+英タイトル
“PASCENDI DOMINICI GREGIS”
("Feeding the Lord's Flock") - 「主の(羊の)群れを牧(ぼく)せよ」
ENCYCLICAL OF POPE (SAINT) PIUS X - 教皇(聖)ピオ10世の回勅
ON THE DOCTRINES OF THE MODERNISTS - 近代主義者の思想信条について.
promulgated on September 8, 1907 - 1907年9月8日に発表された.
・近現代主義者(現代の新現代主義者 “neo-modernist” も含む)の思想信条を糾弾(きゅうだん)する.
・ヨハネによる聖福音書・第21章17節参照(太字部分).(15-19節掲載)
The Holy Gospel of Jesus Christ, according to St. John XXI, 17. (XXI, 15-19)
『…食事の後,イエズスはシモン・ペテロに,
「ヨハネの子シモン,あなたはこの人たちよりも私を愛しているか」と言われた.ペトロは,「主よ,そうです.あなたのご存じのとおり,わたしはあなたを愛しています」と答えると,イエズスは,「私の小羊を牧せよ」と言われた.
また,ふたたび彼に,「ヨハネの子シモン,私を愛しているか」と言われた.「主よ,そうです.あなたもご存じのとおり,私はあなたを愛しています」とペトロが答えると,「私の羊を牧せよ」と言われた.
*¹三たび「私を愛しているか」と言われたのを聞いてペトロは悲しみ,「主よ,あなたはすべてをご存じです.私があなたを愛していることはあなたがご存じです」と答えた.イエズスは彼に「私の羊を牧せよ」と言われた.
それから,「まことにまことに私は言う.あなたは若いとき自ら帯をしめ望む所に行ったが,しかし年をとれば手を伸ばして他の人から帯をしめてもらい,自分の望まぬ所に連れていかれるだろう」と言われた.*²これは,ペトロがどんな死に方をして神に光栄を帰するかを示すために言われたことである.
こう話してのち,ペトロに「私について来なさい」と言われた.』
(注釈)
*¹ 17節 教会の首位権がペトロに与えられた.イエズスはそのすべての群れをペトロに任せた.小羊は信者の群れを意味し,羊は司教,司祭を意味する.
(補足説明) ペトロは神の子キリストの教会の初代教皇となった.
*² 19節 ペトロは十字架にかけられ,ローマにおいて殉教した.
(補足説明) ある宗教が真実のものかどうかは,真理・愛・正義を証明できるほどの真の信仰をもった殉教者がそこから出現しているかどうかで分かる.指導者自らが人の救霊のために殉教し,他の人を生かすため自分自身を犠牲として献げるところに,真理・愛・正義の姿が目に見える形を取って証明される.
これは,永遠の存在たる真の神への信仰とそれに対して注がれる神からの恩寵なくしては,無知で臆病な人間の力だけでは不可能な行いである.
真理(信仰・希望・愛)は永遠に不滅なので,真理に生きるためにこの世(現世)で自分のすべてを犠牲としてささげる人は,来世で「真理すなわち永遠の命」に生きる.
真理たる神は,不信仰な罪深い人間を愛してくださり,永遠の命を与えようと御自分を(御子キリストにおいて)贖(あがな)いの犠牲として差し出された.愛たる神は我欲を追求する人間中心主義の現代主義(モダニズム)によって人が心身ともに堕落し滅びていくのを深く悲しまれ,人の改心(回心)を待たれる.
神は全能であるから,神への信仰はすべてを可能にする.神は必ず助けて下さるから,いかなる時も絶望にはあたらない.
→ヨハネによる聖福音書:第12章24-33節参照.
(受難に向かわれる直前のキリストのみことば)
『…もし一粒の麦が地に落ちて死なぬなら,ただ一つのまま残る.しかし死ねば多くの実を結ぶ.*¹自分の命を愛する人はそれを失い,この世でその命を憎む人は永遠の命のためにそれを保つ.
私に仕えたい人があればついてくるがよい.私がいるところには,私に仕える人もまたいる.もし私に仕えるなら,父はその人を尊(とうと)ばれる.
*²今しも私の霊は騒いでいる.私は何と言おうか,父よ,この時から私を救いたまえと言おうか.だが私がこの時を迎えたのは,そのためなのである.*³父よ,み名の光栄を現したまえ」.
そのとき天から,「私はすでに光栄を現したが,またさらに光栄を現すであろう」と言う声がした.そこにいてこれを聞いた人々は「雷が鳴ったのだ」と言い,他の人々は「天使が話しかけたのだ」と言った.
イエズスは「*⁴あの声が聞こえたのは私のためではなく,あなたたちのためである.今この世の審判が行われ,今*⁵この世のかしら(注・=悪魔)が追い出される.
*⁶私は地上から上げられて,すべての人を私のもとに引き寄せる」と言われたのは,ご自分がどんな死に方をするかを示されるためであった.』
(注釈)
*¹ 25節 この世の命を保とうとも,キリストを否む者は永遠の命を失うであろう.信仰のためにこの世の命を捨てる者は,永遠の命を得る.
*² 27節 イエズスは近い死を思って恐れる.しかし父のみ旨に自分の身をゆだねられる.
*³ 28節 イエズスは,御父の光栄を現すために,身を死にささげられた.イエズスの死は,御父がいかにこの世を愛されたかの証拠である.
*⁴ 30節 この声は,イエズスの死に対する神の印であった.
*⁵ 31節 サタン(悪魔)(14・30,16・11,コリント人への手紙〈第二〉4・4,エフェゾ人への手紙2・2,6・12)はこの世を支配している(ヨハネの手紙〈第一〉5・19).
イエズスの死は人間をサタンの支配下から救った.
*⁶ 32節 十字架の死の暗示であると同時に,復活の日の暗示でもある.この二つの出来事は,同じ奥義の二つの現れにすぎない.
* * *
②回勅「クアンター・クーラー」 原語(ラテン語)+英タイトル
“QUANTA CURA” - 「どれほど大きな配慮」(と……〈この後の文に続く〉)
(注・文頭2語がタイトルとなっている.)
("The Syllabus of Errors") - 「誤謬(ごびゅう=間違い・過〈あやま〉ち)の要旨(ようし)」
ENCYCLICAL OF POPE PIUS IX - 教皇ピオ9世の回勅
CONDEMNING CURRENT ERRORS - 現在の様々な誤謬を糾弾する.
promulgated on December 8, 1864 - 1864年12月8日に発表された.
(補足説明)
誤謬として糾弾の対象となった主な思想信条:
・良心・信仰の自由は各人の人格権として法的に宣言されるべき.
・この人格権はすべて正当に構成された社会で強く主張され,あらゆる市民に内在するものである.
・その権利は絶対的な自由の下に置かれ,教会権威や民間機関からの一切の制約を受けない.
・かかる権利の下で,あらゆる市民はあらゆる考えを(他の一切の権威からの制約を受けることなく),口承(口コミ)・マスコミ報道・出版物またその他あらゆる手段により,広く公(おおや)けにしまた明白に宣言・発表することができる.
・国民(=国政に参加する権利を持つ人の集団すなわち民主主義政府)の意思が最高権威であり,いかなる法・人間・神(宗教)の意思よりも優先する.
・政治秩序の下で成立する既成事実・状況に権力が置かれる(民衆政府の意思決定・行動に正当性を置き権威〈権力〉を持たせる).
・両親は,民法が許可する場合を除き,子供の教育に関わる権利を一切持たない.
・カトリック教徒は,教会法を国家が批准(ひじゅん)しない限り,教会の教えに従う道義的義務がない.
・国家は,教会や宗教的修道会の財産を没収する権利を有する.
など….
(解説)
これらの提案は,以下の目的でなされた:
・当時の欧州諸国において反教権(=聖職者の権威に反対する)政府の樹立を目指すため.
・数年以内に教育を世俗化するため,競合する独自の公立学校を開始せずにカトリックの学校をそのまま引き継(つ)いだり,相続人の財産と競合(きょうごう)する(宗教的)修道会を抑圧するため.
(補足説明)
一人の人間はほんの小さな存在で,その命はあまりに短い.たとえ世界で偉大な人間になったとしても(いまだかつてキリストによらずに真に偉大になった人間は世に一人も出現していない),時代から時代へ後継者をつなげていったとしても,それぞれの人間の意思は神の関与なしにはあまりにも移ろいやすい.
人間に宇宙法則・自然の摂理たる神を変えることはできない.人間はどんなに努力しても万物の支配者とはなれない.
人間は現世で他人を支配することを目指そうとするのではなく,永遠に真の支配者たる神に従うことによって,神の真実性・永遠性にあずかり,それらを自分のものとすることで神と共有し,また同じ信仰を持った人間と共に分かち合うことを目指すべきである.
「現世がすべてで死後の世界はない」と思うのは,あまりに浅はかな考えである.
人間は神を知ることなしに,決して真実を知ることはできない.
だから,人間の我欲の満足の追求を中心に置いている現代主義(モダニズム)は危険であり,人間を心身ともに滅ぼしてしまう致命的な思想である.
* * *
最後の訳注:
「われらの救いは主の御名のうちにあり.」について:
旧約聖書・詩篇:第124篇8節からの引用(太字部分).(第124篇全文掲載)
BOOK OF PSALMS: PSALM 123 Nisi quia Dominus : 8 (123:1-8)
The church giveth glory to God for her deliverance from the hands of her enemies.
イスラエルを救うもの
『第124篇(123)*¹上京の歌.ダビドの作.
主がわれらの味方でなかったら,
――*²イスラエルはこう言うべきだ――
主が味方でなかったら,
人々がわれらに背(そむ)いて立ったとき,
生きながら噛み裂いた(かみさいた)ろう.
彼らがわれらに向かって怒りを燃やしたとき,
そのとき,水はわれらを押し流し,
小川はわれらをのみ,
あわ立つ水に,
飲(の)まれたろう.
その歯のえじきにわれらを与えなかった主は
祝されよ.
われらの魂は小鳥のように逃れた,狩人(かりゅうど)の網(あみ)から.
網は破れ,われらは逃れた.
われらの助けは,
天地をつくられた主のみ名.』
(注釈)
イスラエルを救うもの
*¹ イスラエルの民はさまざまな危険から救い出された.それは神の恵みだった.
*² 神が救いを下さなかったら,イスラエルはどうなったろうか.
* * *
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