エレイソン・コメンツ 第226回 (2011年11月12日)
以前「エレイソン・コメンツ」(9月10日付,第217回)で女性と男性の関係をトマトの苗とその苗がよじ登りやがて実を結ぶための支柱になぞらえたロシアのことわざを引用しました.その例えを用いたのは女性の性質と役割を詳しく説明するためでした.その際ある女性読者がその例えが男性にどう当てはまるのか尋(たず)ねてきました.悲しいことに,私たちの住む狂った現代は人間性のあらゆる本質を一掃(いっそう)しようとしています.
神が設計された男性と女性は著(いちじる)しく異なっていながらも崇高(すうこう)なほど相互補完(そうごほかん)的であり,菜園から引き出した単なる例え話などよりはるかに多くを語ってしかるべきものです.いかなるカトリック教会の婚礼ミサ聖祭 “Catholic wedding Mass” でも,そこで読まれる使徒書簡(新約聖書) “the Epistle” は夫と妻の関係( “the relations between husband and wife” )をキリストと彼の(体〈からだ〉たる)教会(=カトリック教会. “ those between Christ and his Church” )の関係に例えています.その書簡の一句(エフェゾ人への手紙,5章22-23節)(訳注後記)で注目に値(あたい)するのは,聖パウロが婚姻(こんいん)の結果生じる夫の責務(せきむ)について長々と記述しているのに対し妻のそれについては手短にしか記していないということです.すでに私たちは,現代の男女関係が健全性を喪失(そうしつ)してしまったのは今日の男性に大きな責任があるのではないかと疑い得るのですが,この超自然的な神秘についての話は別の機会に残すとして菜園の話に戻りましょう.というのも,今日,神と人間にとっての諸々の敵たちが攻撃の対象としているのはまさしく人間性の本質だからです.
トマトの支柱がトマトの苗に役立つためには二つのことが必要です.支柱は高くなければならず “must stand tall”,しかもしっかりと立っていなければなりません “must stand firm”.もし支柱が高くなければ,苗は高くよじ登ることができません.しっかりと揺らがずに立っていなければ,苗はそれにしがみついたり巻きついたりできません.まさしく,男性の堅固(けんこ)さ “The firmness” は彼がどれほど仕事に没頭(ぼっとう)しているかによって決まる( “depends on a man’s wrapping himself around his work” )一方,その高さ “the tallness” は彼がどれほど神の域(いき)に達(たっ)しようとしているか( “depends upon his reaching for God” =より高い理想を見据(す)えているか、目指しているか)によって決まります.
堅固さについて言えば,いつの時代,どの場所にあっても人間性への認識が歪(ゆが)んでいない限り,男性の生活は彼の仕事を中心に展開するのに対し女性の生活は夫をはじめとする家族を中心に展開するものです.もし男性が自分の生活の中心に女性を置くなら,それはちょうど二本のトマトの苗がともにしがみつきあっているようなものです.もし女性が男性の役割を受け入れなければ,二人ともぬかるみにはまって行き詰(ゆきづ)まりに終わるでしょう.それは女性が決してしてはならないことですし,少なくともそうしたいと望むことでもありません.賢(かしこ)い女性は自分の夫が仕事を見つけそれを愛する男性であることを選びます.そうすることで,夫が仕事に没頭している間,妻は夫に巻きついていることができるのです.
高さについて言えば,トマトの支柱が真っ直ぐ(まっすぐ)空に向(むか)っていなければならないように,男性も真っ直ぐ天国を目指していなければなりません.指導者は霊感を与えて元気づけたり先頭に立って導(みちび)くためのビジョン(=先を見通す眼,先見,展望,構想)を持っている必要があります.ルフェーブル大司教は真のカトリック教会の復興というビジョンを持っておられました.同様にピィ枢機卿Cardinal Pie (1815-1880)(訳注・ “Cardinal Louis-Édouard Pie”.フランス・ポワティエの司教.19世紀における聖伝カトリック信仰の熱烈な擁護〈ようご〉者)は,自分を取り巻く19世紀の男性たちの柔弱(にゅうじゃく)さを見たとき,その柔弱さは彼らの信仰の欠如(けつじょ)に起因(きいん)すると考えました.信仰が存在しなければ信念は存在しない,と彼は言いました.信念なしには堅固な人格は存在しません.人格の堅固さなしには男性は男性たり得ません.聖パウロが「すべての男性の頭(かしら)はキリストであり,女性の頭は男性であり,キリストの頭は神である」(コリント人への第一の手紙・第11章3節)(訳注後記)と語ったとき,彼は同じ線に沿(そ)って考えていました.そういうわけですから,男性の男らしさを回復するには男性を神に向かわせ,神の下に従わせることです.そうすれば,妻が夫の下に従い,子供たちが両親の下に従うことがはるかに容易になるでしょう.
だが「下に」という言い方は夫の妻に対する,あるいは両親の子どもたちに対するいかなる種類の暴虐(ぼうぎゃく)とも解(かい)すべきではありません.支柱はトマトのためにこそ存在しているのです.男性がその子供たちのためにできる最良のことは彼らの母親を愛することだと言ったのはある賢明(けんめい)なイエズス会士でした.男性は女性のように愛に走ることはないので,女性がどれほど愛すること,愛されることを必要としているかを簡単に忘れがちです.小さじ一杯分の愛情があれば彼女はさらに百マイル持ちこたえます.聖霊はこのことをもっと優雅(ゆうが)に言い表わしています.「夫たちよ,妻を愛しなさい,妻を苦々しくあしらってはならない」(コロサイ人への手紙・3章19節)(訳注後記).
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第2パラグラフの訳注:
新約聖書・使徒聖パウロによるエフェゾ人への手紙:第5章22-23節(太字下線部分)(21-33節を掲載)
THE EPISTLE OF ST. PAUL THE APOSTLE TO THE EPHESIANS, 5:22-23 (21-33)
家族の愛(5・22-33)
『キリストを恐れて互いに従え.
妻よ,主に従うように自分の夫に従え.キリストがその*¹体であり,それを救われた教会のかしらであるように,夫は妻のかしらである.教会がキリストに従うように,妻はすべてにおいて夫に従え.
夫よ,キリストが教会を愛し,そのために命を与えられたように,あなたたちも妻を愛せよ.
キリストが命を捨てられたのは,水を注ぐことと,それに伴(ともな)う*²ことばによって教会を清め聖とするためであり,また汚点(しみ)もしわもすべてそのようなもののない,輝かしく清く汚れのない教会をご自分に差し出させるためであった.
*³(28節)「そのように夫も自分の体のように妻を愛さねばならない.妻を愛する人は自分を愛する人である.(29節)だれも自分の体を憎む者はなく,みなそれを養い育む.
キリストも教会のためにそうされる.(30節)私たちは*⁴キリストの体の肢体だからである.
「*⁵(31節)これがために男は父と母を離れ,妻と合って二人は一体となる」.
*⁶この奥義は偉大なものである.私がそう言うのは,キリストと教会についてである.
あなたたちはおのおの自分の妻を自分のように愛せよ.妻もまたその夫を敬え.』
(注釈)
*¹ この「体」は教会である.
*² 洗礼文.
(28-31節)自然の愛だけではなく,信仰と愛に満ちたキリストの教える超自然の愛.
*³ ブルガタ訳,「その肉と骨で成り立っている」.
*⁴〈旧約〉創世の書2・24参照.
→創世の書からの引用:
『…神はご自分にかたどって,人間をつくりだされた』(1章27節).
2章18節から
『…主なる神は仰せられた,「人間が一人きりでいるのはよくない.私は彼に似合った助け手を与えよう」.
主なる神は,地から野の獣と空の鳥とをつくり,人間のもとに連れてゆかれた.それは,人間がそのものを,どのように呼ぶかを見たいと思われたからだった.その生き物を人間がどう呼ぶか,その呼び方がそれらの名となるはずであった.
さて,人間はすべての家畜と,空の鳥と,野の獣とに名をつけたが,人間に似合った助け手はまだ見つからなかった.
そのとき,主なる神は人間を深い眠りに入らせた.人間は眠りに入った.
神は人間のあばら骨の一本を取りだし,肉をもとのように閉じた.
主なる神は人間から取りだしたあばら骨で女を作って,それを人間のもとに連れてゆかれた.そのとき,人間は言った,
「さて,これこそ,わが骨の骨,わが肉の肉.これを女(ヘブライ語でイシャ)と名づけよう.男(イシュ)から取りだされたものなのだから」.(2章18-23節)
だからこそ,人間は父母を離れて,女とともになり,二人は一体となる(2章24節).
*⁵ 婚姻が「偉大な奥義」なのは,それが教会とキリストの神秘的な関係をかたどるからである.
* * *
第5パラグラフの訳注:
同・使徒聖パウロによるコリント人への第一の手紙:第11章3節(太字部分)(1-16節を掲載)
THE FIRST EPISTLE OF ST. PAUL THE APOSTLE TO THE CORINTHIANS. 11:3 (1-16)
『私がキリストに倣(なら)っているように,あなたたちは私に倣え.
あなたたちがすべてのことについて私を思い出し,私の伝えたとおり,*¹伝えを守っていることに喜びを言おう.私はあなたたちに次のことを知ってもらいたい.*²すべての男のかしらはキリストである.女のかしらは男である.キリストのかしらは神である.
頭にかぶり物をして祈りや預言をする男はみな,その*³かしらを辱(はずかし)める.頭にかぶり物をしないで祈りや預言をする女もみなそのかしらを辱める.その女は剃髪(ていはつ)しているのと同じだからである.女がかぶり物をしないなら髪も切ればよい.神を切ったり剃(そ)ったりするのが女の恥であるなら,かぶり物をするがよい.
男は神のすがたであり光栄であるから,頭にかぶり物をしてはならぬ.女は男の光栄である.
男が女から出たのではなく,女が男から出たのであって,*⁴男が女のために造られたのではなく,女が男のために造られたからである.
そのため女は,*⁵天使たちのために,*⁶権威に服するしるしを頭にかぶらねばならぬ.
といっても*⁷主においては,男なしでは女もなく,女なしでは男もない.
女が男から出たように男は女から生まれ,そしてすべては神から出る.
あなたたちは自ら判断せよ.女がかぶり物なしで神に祈るのはよいことであろうか.
自然そのものも教えているではないか.男が長い髪をしているのは恥であって、女が長い髪をしていれば誇りであることを.女の神はかぶり物として与えられたからである.
だれかこれについて抗弁しようとするなら,私たちにはそういう習慣はなく,神の諸教会にも例がないと答えたい.』
(注釈)
*¹ 「伝え」とは初代教会の聖伝の教えのことである.
*² キリスト教的社会における階級.女性の服従の理由は,神の創造にある.しかし,その順序は,徳ではなく単に権威のことだけである.
*³ かしらの意味にも,頭の意味にもとれる.
*⁴ 〈旧約〉創世の書2・22-23参照.
*⁵ 創世の書6・2.ユダヤ系の偽典書に基づけば,昔のある学者は,この「天使」が天から落ちた天使のことだと言っていた.また,信者の集会のかしらの意味にとった人もあった.
しかしこの天使は,信者の集会のとき,祈りを神の座まで運ぶ(〈新約〉黙示録8・3,エフェゾ人への手紙3・10)よい天使のことと思われる.
*⁶ ここでは自分に対する他人の権利のこと.
*⁷男も女も不完全なもので,主のみ前にあっては平等である. 』
* * *
第6パラグラフの訳注:
同・使徒聖パウロによるコロサイ人への手紙:第3章19節(太字下線部分)(18-21節を掲載)
THE EPISTLE OF ST. PAUL THE APOSTLE TO THE COLOSSIANS, 3:19 (3:18-21)
『*¹妻たちよ,主にふさわしいように自分の夫に従え.
夫たちよ,妻を愛せよ,苦々しくあしらうな.
子どもたちよ,すべて両親に従え.それは主に喜ばれることである.
父達よ、子どもを怒らせるな.彼らを落胆させないためである.』
(注釈)
家庭の人たちに(3・18-)
*¹ この節(18節)以下にキリストの愛という見地に立って生きる自然倫理が説かれる(エフェゾ5・22).
(→エフェゾ5章22節)
『妻よ,主に従うように自分の夫に従え.』
* * *
2011年11月29日火曜日
2011年9月22日木曜日
トマトの支柱
エレイソン・コメンツ 第217回 (2011年9月10日)
しばらく前のことですが,ある家庭の妻で母親の女性から夫との意思疎通(そつう)が上手く図れず困っていると打ち明けられました.二人はどこが間違っているのか話し合うのですが,いつもきまってお互いに腹を立て結局は決裂して終わってきたというのです.事の是非はさておき,私は彼女の問題が神の定めた結婚生活における男女の見事なまでに素晴らしい相互補完的な役割を,あちこちの家庭であるように,意図的にひどく否定してしまっていることにその根があると感じました.そこで彼女宛てに私が書き送った手紙の内容を以下にご紹介します.彼女は私の手紙が役立ったと言いました.ほかの方たちにもお役に立てばと思います.ところで,女性の皆さま,私はかならずしも問題がすべて貴方たちにあるとは考えていません!
あなたの結婚生活のご苦労にご同情申し上げます. ルールの第1: 子供たちの前や子供たちに聞こえる所で決してご主人と口論してはいけません.何よりまず子供たちに配慮しなければなりません.あなたが子供たちの前でご主人の足を引っぱったり言い争ったりしても,家族のために何の助けにもなりません.逆に有害です.
ルールの第2: あなたのご主人に敬意を表しなさい.たとえご主人が常にそれに値するわけでなくてもです.女性は愛で動き,男性はエゴ(訳注・=自我・うぬぼれ・自尊心)で動きます.この違いは大きなものです.だからこそ聖パウロ - すなわち神のみことば - は「夫に従い “obey” なさい.夫たちよ,妻を大事に “cherish” しなさい.」と言っています.大きな違いです! (訳注後記) いかなる結婚生活においても,夫が妻に愛情を示し妻が夫を敬うかぎり,普通は満ち足りた結婚の本質がそこにあるのです.そして,もしご主人があなたに愛情を示さないなら,少なくとも愛らしい憎めない妻として振る舞いなさい.ご主人とけんかするとき,あなたがそのように見えることは決してないでしょう.
ご主人を敬うためなら,どんな事や物でも犠牲にしなさい.ご主人はあなたの愛情以上に尊敬を必要とします.あなたはご主人の尊敬以上に愛情を必要とします.ご主人に従いなさい.あなたがご主人に指図していることを決して見せてはいけません.あなたがご主人にしてほしいと望むことをご主人が自分で決心してするようにしなさい.また妻が家庭の外へ働きに出ることは良いことではありません.とくに妻の収入が夫よりも多い場合はなおさらです.もしあなたが稼(かせ)がなければならず,しかもご主人より多く稼いでいる場合は,決してそれを見せてはなりません.その事実を隠(かく)しなさい.男性は,一家の長として,自分が大黒柱なのだと認識している必要があるのです.あなたは一家の心であり,それはちょうど一家の長が欠くことのできない存在であるのと同じくらい,あるいはそれ以上に必要な存在ですが,あなたは一家の長ではないのです.また,もしあなたが一家の長として振る舞わざるを得ないことがあっても,それを面(おもて)に出さず,とにかくその事実を隠しなさい.
もし,これであなたの結婚生活が上手く機能しないとしたら驚きです.結婚生活が上手くいくかどうかは通常,女性がいかに男性に順応するかにかかっているのであり,その逆でありません.ロシアに「トマトの苗が支柱(苗がその回りをよじ昇る)に頼(たよ)るように,女性は男性に頼るものだ」ということわざがあります.もし彼が支柱でないなら,彼を支柱にするためにあなたができるすべてのことをしなさい.そして,もしあなたにそれができないなら,その時はもう一度その現実を隠しなさい.神は女性が連れ合う男性に順応するよう,男性より女性を順応性のある性質に造られています.
あなたは以前子供たちの教育のためにご家庭でお金が必要だと話されました.あなたの娘さんたちにとって最良かつ最も重要な教育は母親の台所でできることに気づかれたことがありますか? 母親が家庭にいると仮定した場合の話です.家庭外のどんな学校で受ける教育よりもずっと多くのことをあなたは自分を手本として示すことで娘たちを教育することができるのです.またあらゆることにかかわらず夫に従い夫を敬う妻として母としての貴重な模範を娘さんたちに示してあげなさい.子供たちは非常によく観察するものです.あなたの示す模範は子供たちが将来結婚して家庭を持ったときに幸福になるために非常に重要なのです.
ご主人との喧嘩(けんか)もいいでしょう.ただし静かに,敬意をもって,子供たちから離れてしてください.そして「私だって一日中外で働いてきたのよ,私だって家庭での思いやりが必要だわ」などと言ってはなりません.なぜなら,母親が外で働くのは正常ではないからで,男性たちはそれが自分の不甲斐無さ(ふがいなさ)のためだとしても,そのことを感じているからです.男性は変えようがありません.この人があなたの結婚相手として神が選ばれた男性なのです.あなたの子供たちにご主人を敬う手本を見せなさい.それが,とりわけあなたの娘さんたちに対する貴重な贈物です.
現代はどこの家庭でも多くの祈りを必要としています.神の御母(聖母マリア)よ,お助けください!
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第3パラグラフの訳注:
聖パウロのこのことばに該当する聖書からの引用箇所.
①新約聖書・使徒パウロのエフェゾ人への手紙:第5章22-33節(背景を知るため前後の部分も記載します)
②同・コリント人への第一の手紙:第11章1-16節
③以降…(「父なる神と神のみ子キリスト」・「キリストと教会」・「神・キリストと夫」・「夫と妻」の関係について理解を助ける聖書からの引用を追加します)
* * *
①エフェゾ人への手紙
第4章
教会の一致(4・1-6)
『さて,主の囚人となった私(使徒パウロ)はあなたたちに勧める.
あなたたちは召されたお召しにかなうように生き,すべての謙遜と柔和と寛容をもって愛によって忍び合い,平和の結びによって*¹霊の一致を守るように努めよ.
*²体は一つ,霊は一つである,あなたたちが召し出しによって一つの希望に召されたのと同様に.
*³主は一つ,信仰は一つ,洗礼は一つ,神は一つで,すべてのものの父であり,すべてのものの上にあり,すべてのものの上に働き,すべてのものの内にいます.』
(注釈)
*¹ 信者間の心の一致.
*² 「体」は教会.
*³キリスト(〈新約〉コリント人への手紙〈第一〉8・5-6).
それぞれの役目(4・7-24)
『私たちはキリストの賜の秤(はかり)に従って*¹おのおの恩寵を受けた.だから,「*²高く上って多くの奴隷を引き連れ,人々に贈物をした」と書き記されている.しかし*³上ったと言えば,地の低い所にも下ったわけではないか.下った者はすべてのものを満たすために,天のいと高き所に上ったそのお方である.
ある人を使徒とし,ある人を預言者とし,ある人を*⁴福音者,ある人を牧者と教師とされるのもそのお方である.
それは聖徒たちを,*⁵聖職の働きのためキリストの体を建てるために整え,ついに信仰の一致と神のみ子の深い知識に達し,*⁶満ち満ちるキリストの背丈にまで至る完全な人間をつくるためである.
こうして私たちは子どもではなくなり,人を偽善と誤謬(ごびゅう)に迷いこませるたくらみのままに,いろいろな教えの風に吹きまわされ翻弄(ほんろう)されないようになる.
*⁷むしろ真理を宣言し,*⁸かしらであるキリストによって,すべて愛において成長するだろう.
キリストによって,*⁹それぞれの肢体の働きに従い,身体全体は自分を養い生かすすべての*¹⁰節々を通じて調和と統一を受け,こうして成長をとげ,愛によって自分をつくり上げる.
私は主においてあなたたちに切に望んで言う.
心のむなしさに従う異邦人のように生活するな.彼らは知恵がくらみ,その中の無知と心のかたくなさによって神の命を離れた者となった.*¹¹彼らの道徳観はうすれ,すべての情欲と汚れを行い,淫乱の生活にふけった.
しかしあなたたちは,キリストからそんなことを習ったのではない.
あなたたちが*¹²イエズスにある真理に従って,イエズスにおいて教えられ,それを聞くなら,*¹³人を欺(あざむ)く欲に腐(くさ)った前の生活の古い人を脱ぎ捨て,霊的な思いによって自分を新たにし,正義と真実の聖徳において,神にかたどってつくられた新しい人を着なければならない.』
徳の実行(4・25-32)
『だから,偽善を捨てて,おのおの隣人に真実を語れ.*¹⁴あなたたちは互いに肢体だからである.*¹⁵怒っても罪を犯すな.日が傾くまで怒りを保つな.*¹⁶悪魔に足がかりを与えるな.盗人はもう盗むな.
むしろ,貧しい人々に施すために,自分の手で何かよい仕事をして働け.悪いことばを決して口から出すな.ただ必要な場合,徳に役だち聞く人に恩寵を与えるよいことばだけを言え.
あなたたちがあがないの日のためにしるしを受けたその神の聖霊を悲しませるな.すべての苦さ,憤(いきどお)り,怒り,叫び,ののしり,つまり悪をすべて捨てよ.
互いに情けとあわれみをもち,キリストにおいて神があなたたちをゆるされたように,互いにゆるし合え.』
(注釈)
*¹ 教会の奉仕を目的とする特別な恩寵のこと.特能ともいう.
*² 〈旧約〉詩篇68・19の引用であるが,原文テキストの忠実な引用ではない.
*³ 託身があったから,昇天もなければならなかった.
*⁴ 四人の福音史家のことではなく,福音を伝える人々,伝道者,福音師のこと.
*⁵ 信者は聖徳に近寄れば近寄るほど,聖職の働きにふさわしい者となる.
*⁶ このキリストは完全な背丈(せたけ)のある人間として考えられている.キリストの神秘体,教会の会員である信者はみな,自分に定められている高さにまで伸びなければならない.それは,よく成長したすべての肢体が集まることによって満ち満ちたキリストを実現するためである.
*⁷ 1・22,5・23,コロサイ人への手紙1・18,2・19参照.
*⁸ 信じるだけでは足りない.キリスト信者は信仰を喜び,信仰を生かさねばならない.
*⁹ 教会内の信者おのおのの活躍と使命.
*¹⁰ 教会に属する者の相互の奉仕.
*¹¹ 〈新約〉ローマ人への手紙1・18以下参照.
*¹² コロサイ人への手紙2・6参照.
*¹³ コロサイ人への手紙3・9,ローマ人への手紙6・6参照.
*¹⁴ コリント人への手紙〈第一〉6・15,ローマ人への手紙12・5参照.
*¹⁵ 〈詩篇〉4・5.心中に怒りが起こっても,それを行いに出して罪を犯すまでになるな.
*¹⁶ 悪魔に誘惑の機会を与えてはならない.
第5章
キリストの模範(5・1-2)
『実に愛される子らとして,神に倣(なら)う者であれ.私たちを愛し,私たちのために芳(かんば)しい香りのいけにえとして神にご自分をわたされたキリストの模範に従って,愛のうちに歩め.』
汚れを棄てよ(5・3-7)
『聖徒にふさわしいように,あなたたちの中では,*¹淫行,いろいろな汚れ,情欲は口にさえもするな.また,汚行(おこう),愚かな話,下品な冗談も言うな.それはよからぬことである.
ただ神に感謝せよ.
*²淫行の者,好色な者,情欲の者はみな―――これは偶像礼拝者と同じである―――,キリストと神の国を継げない.
人のむなしいことばにだまされるな.*³不従順な者の上に神の怒りを呼ぶのはそれらの事柄である.だから彼らと交わるな.』
神の子らの生活(5・8-14)
『元あなたたちはやみであったが,今は主において光である.したがって*⁴光の子として歩め.光の実はすべての善と正しさと真実にある.主に喜ばれることをわきまえ知れ.
*⁵実を結ばぬ闇(やみ)の行いに加わらず,かえってそれを責めよ.彼らがひそかに行っているのは,*⁶口にするのも恥ずかしいことである.
*⁷公に責められることはすべて完全な光の中に現れ,現されたものはみな光である.
これがために,「*⁸眠る者よ,起きよ,死者の中から立ち上がれ.キリストはあなたを照らすだろう」と言われている.』
賢明と節制(5・15-20)
『であるから,愚かな者ではなく,知恵ある者のように慎(つつし)んで歩んでいるかどうかを調べよ.今の時をよく利用せよ,時代は悪いからである.
あなたたちは思慮のない者とならず,主のみ旨を理解せよ.ぶどう酒に酔うな.それは淫乱のもとである.
むしろ霊に満たされよ.ともに詩の歌と賛美の歌と霊の歌をとなえ,心を挙げて主に向かって歌い,そして賛美せよ.主イエズス・キリストのみ名によって,すべてのことについて,絶えず父なる神に感謝せよ.』
家族の愛(5・22-33)
『キリストを恐れて互いに従え.
妻よ,主に従うように自分の夫に従え.
キリストがその*⁹体であり,それを救われた教会のかしらであるように,夫は妻のかしらである.教会がキリストに従うように,妻はすべてにおいて夫に従え.
夫よ,キリストが教会を愛し,そのために命を与えられたように,あなたたちも妻を愛せよ.
キリストが命を捨てられたのは,水を注ぐことと,それに伴(ともな)う*¹⁰ことばによって教会を清め聖とするためであり,また汚点(しみ)もしわもすべてそのようなもののない,輝かしく清く汚れのない教会をご自分に差し出させるためであった.
(28節)「そのように夫も自分の体のように妻を愛さねばならない.妻を愛する人は自分を愛する人である.(29節)だれも自分の体を憎む者はなく,みなそれを養い育む.
キリストも教会のためにそうされる.(30節)*¹¹私たちはキリストの体の肢体だからである.
(31節)「*¹²これがために男は父と母を離れ,妻と合って二人は一体となる」.
*¹³この奥義は偉大なものである.
私がそう言うのは,キリストと教会についてである.
あなたたちはおのおの自分の妻を自分のように愛せよ.妻もまたその夫を敬え.』
(注釈)
*¹ エフェゾは有名な堕落の町であった.
*² エフェゾのアルテミス女神に属する淫乱の行為を暗示しているようである.
*³ 不道徳は神の罰を呼び下す.
*⁴ 〈新約〉コロサイ人への手紙1・12,コリント人への手紙〈第二〉4・6参照.
*⁵ 淫祀(いんし),邪教のようなものが行われていて,それを光の教会と対照させている.
*⁶ 偶像の秘教の堕落を暗示する.
*⁷ 異教徒が淫行に属することを公に話すのは,もちろんよいことではない.しかし,悪行を正すために,公に責めることはなされてもよい.そうすれば,光はやみを吹きはらうであろう.それはキリストの光である.
*⁸ 初代教会の典礼の賛美歌の一句らしい.
*⁹ この「体」は教会である.
*¹⁰ 洗礼文.
(28-31節)自然の愛だけではなく,信仰と愛に満ちたキリストの教える超自然の愛.
*¹¹ ブルガタ訳,「その肉と骨で成り立っている」.
*¹² 〈旧約〉創世の書2・24参照.
→『…神はご自分にかたどって,人間をつくりだされた(1章27節).
…主なる神は仰せられた,「人間が一人きりでいるのはよくない.私は彼に似合った助け手を与えよう」.
主なる神は,地から野の獣と空の鳥とをつくり,人間のもとに連れてゆかれた.それは,人間がそのものを,どのように呼ぶかを見たいと思われたからだった.その生き物を人間がどう呼ぶか,その呼び方がそれらの名となるはずであった.
さて,人間はすべての家畜と,空の鳥と,野の獣とに名をつけたが,人間に似合った助け手はまだ見つからなかった.
そのとき,主なる神は人間を深い眠りに入らせた.人間は眠りに入った.神は人間のあばら骨の一本を取りだし,肉をもとのように閉じた.
主なる神は人間から取りだしたあばら骨で女を作って,それを人間のもとに連れてゆかれた.そのとき,人間は言った,
「さて,これこそ,わが骨の骨,わが肉の肉.これを女(ヘブライ語でイシャ)と名づけよう.男(イシュ)から取りだされたものなのだから」.(2章18-23節)
だからこそ,人間は父母を離れて,女とともになり,二人は一体となる(2章24節).
*¹³ 婚姻が「偉大な奥義」なのは,それが教会とキリストの神秘的な関係をかたどるからである.』
第6章
親と子の義務(6・1-4)
『子どもたちよ,主において両親に従え.それは正しいことである.(父母を敬え)―――これは*¹約束のついている第一のおきてである―――.そうすれば*²あなたの上によいことがあり,地上において長寿を得ることができる.
両親よ,あなたたちの子どもを怒らせることなく、主に従って規律をもって育て戒めよ.』
主人と奴隷の義務(6・5-9)
『*³奴隷よ,キリストに従うように恐れと尊敬と真心をもってこの世の主人に従え.*⁴目の前だけで仕えるのではなく,人の気に入るためでもなく,心から神のみ旨を果たすキリストの奴隷として働け.人ではなく主に仕えるように快く仕えよ.あなたたちの知るとおり,奴隷も自由民もおのおの主から善業の報いを受ける.
主人よ,*⁵あなたたちもしもべに対して同じようにせよ.脅迫をするな.彼らとあなたたちの主は天に在(あ)って,人を区別されない方であることをあなたたちは知っている.』
キリスト信者の武具(6・10-20)
『兄弟たちよ,主において力を受け,その力によって自分を強めよ.悪魔の企(くわだ)てに刃向かうために,神の武具をすべてつけよ.
私たちが戦うのは*⁶血肉ではなく,*⁷権勢と能力,この世の闇(やみ)の支配者,天界の悪霊だからである.
*⁸神の武具をすべてつけよ.悪の日に抵抗し,すべてを果たしたのちなお立つためである.
では真理を帯にし,正義を胸当てにして立て.平和の福音への熱を足にはき,信仰の盾を取れ.それによって悪者の火矢をすべて消すことができるであろう.さらに,*⁹救いのかぶとと,神のみことばである聖霊の剣をも取れ.
*¹⁰すべての祈りと願いをもって心のうちでいつも祈れ.絶えず目を覚まして,忍耐強くすべての聖徒のために祈れ.
*¹¹また私のためにも祈れ,福音の奥義を恐れなく告げようとして話すとき,適当なことばが下されますように.私は福音の使者として鎖につながれている.私が語らねばならぬことを恐れなく語れるように祈れ.』
ティキコの派遣(6・21-22)
『あなたたちにも,私の様子と私のしていることを知らせたい.愛する兄弟であり,主において忠実なしもべティキコがそのすべてを伝えるだろう.私はそのために彼をあなたたちのもとに送った.彼が私たちのことを知らせ,あなたたちの心を慰(なぐさ)めるだろう.』
あいさつ(6・23-24)
『父なる神と主イエズス・キリストから,兄弟たちに平和と信仰とともに愛が与えられるように.
*¹²朽ちることなき愛をもって,主イエズス・キリストを愛するすべての人に恩寵があるように.』
(注釈)
*¹ 十戒のうち,報いの約束のついている最初のおきて.
*² 〈旧約〉第二法の書5・16参照.
*³ 〈新約〉コロサイ人への手紙3・22-25,ペトロの手紙〈第一〉3・18,ティトへの手紙2・9-10参照.
*⁴ 労働を聖化すること.
*⁵ パウロは社会革命を勧めるのではない.主人が信仰と愛に基づいてことを行えば,社会の正義は自然に行える.
*⁶ 「血肉」は人間の力のこと.
*⁷ 「権勢と能力」は悪霊のこと.
*⁸ 〈旧約〉イザヤの書11・5,52・7,知恵の書5・18参照.
*⁹ イザヤ59・17参照.
*¹⁰ 〈新約〉コロサイ人への手紙4・2-4参照.
*¹¹ パウロは釈放されることを望まない.キリストのために鎖(くさり)につけられることは光栄である.ただ使徒としての使命を果たす力をこい求める.
*¹² パウロの手によるあいさつらしい.
* * *
②コリント人への第一の手紙:第11章1-16節
『私がキリストに倣(なら)っているように,あなたたちは私に倣え.
あなたたちがすべてのことについて私を思い出し,私の伝えたとおり*¹伝えを守っていることに喜びを言おう.私はあなたたちに次のことを知ってもらいたい.
*²すべての男のかしらはキリストである.女のかしらは男である.キリストのかしらは神である.
頭にかぶり物をして祈りや預言をする男はみな,その*³かしらを辱(はずかし)める.頭にかぶり物をしないで祈りや預言をする女もみなそのかしらを辱める.その女は剃髪(ていはつ)しているのと同じだからである.女がかぶり物をしないなら髪も切ればよい.神を切ったり剃(そ)ったりするのが女の恥であるなら,かぶり物をするがよい.
男は神のすがたであり光栄であるから,頭にかぶり物をしてはならぬ.女は男の光栄である.
男が女から出たのではなく,女が男から出たのであって,*⁴男が女のために造られたのではなく,女が男のために造られたからである.
そのため女は,*⁵天使たちのために,*⁶権威に服するしるしを頭にかぶらねばならぬ.
といっても*⁷主においては,男なしでは女もなく,女なしでは男もない.
女が男から出たように男は女から生まれ,そしてすべては神から出る.
あなたたちは自ら判断せよ.女がかぶり物なしで神に祈るのはよいことであろうか.
自然そのものも教えているではないか.男が長い髪をしているのは恥であって、女が長い髪をしていれば誇りであることを.女の神はかぶり物として与えられたからである.
だれかこれについて抗弁しようとするなら,私たちにはそういう習慣はなく,神の諸教会にも例がないと答えたい.』
(注釈)
*¹ 「伝え」とは初代教会の聖伝の教えのことである.
*² キリスト教的社会における階級.女性の服従の理由は,神の創造にある.しかし,その順序は,徳ではなく単に権威のことだけである.
*³ かしらの意味にも,頭の意味にもとれる.
*⁴ 〈旧約〉創世の書2・22-23参照.
*⁵ 創世の書6・2.ユダヤ系の偽典書に基づけば,昔のある学者は,この「天使」が天から落ちた天使のことだと言っていた.また,信者の集会のかしらの意味にとった人もあった.
しかしこの天使は,信者の集会のとき,祈りを神の座まで運ぶ(〈新約〉黙示録8・3,エフェゾ人への手紙3・10)よい天使のことと思われる.
*⁶ ここでは自分に対する他人の権利のこと.
*⁷男も女も不完全なもので,主のみ前にあっては平等である.
* * *
しばらく前のことですが,ある家庭の妻で母親の女性から夫との意思疎通(そつう)が上手く図れず困っていると打ち明けられました.二人はどこが間違っているのか話し合うのですが,いつもきまってお互いに腹を立て結局は決裂して終わってきたというのです.事の是非はさておき,私は彼女の問題が神の定めた結婚生活における男女の見事なまでに素晴らしい相互補完的な役割を,あちこちの家庭であるように,意図的にひどく否定してしまっていることにその根があると感じました.そこで彼女宛てに私が書き送った手紙の内容を以下にご紹介します.彼女は私の手紙が役立ったと言いました.ほかの方たちにもお役に立てばと思います.ところで,女性の皆さま,私はかならずしも問題がすべて貴方たちにあるとは考えていません!
あなたの結婚生活のご苦労にご同情申し上げます. ルールの第1: 子供たちの前や子供たちに聞こえる所で決してご主人と口論してはいけません.何よりまず子供たちに配慮しなければなりません.あなたが子供たちの前でご主人の足を引っぱったり言い争ったりしても,家族のために何の助けにもなりません.逆に有害です.
ルールの第2: あなたのご主人に敬意を表しなさい.たとえご主人が常にそれに値するわけでなくてもです.女性は愛で動き,男性はエゴ(訳注・=自我・うぬぼれ・自尊心)で動きます.この違いは大きなものです.だからこそ聖パウロ - すなわち神のみことば - は「夫に従い “obey” なさい.夫たちよ,妻を大事に “cherish” しなさい.」と言っています.大きな違いです! (訳注後記) いかなる結婚生活においても,夫が妻に愛情を示し妻が夫を敬うかぎり,普通は満ち足りた結婚の本質がそこにあるのです.そして,もしご主人があなたに愛情を示さないなら,少なくとも愛らしい憎めない妻として振る舞いなさい.ご主人とけんかするとき,あなたがそのように見えることは決してないでしょう.
ご主人を敬うためなら,どんな事や物でも犠牲にしなさい.ご主人はあなたの愛情以上に尊敬を必要とします.あなたはご主人の尊敬以上に愛情を必要とします.ご主人に従いなさい.あなたがご主人に指図していることを決して見せてはいけません.あなたがご主人にしてほしいと望むことをご主人が自分で決心してするようにしなさい.また妻が家庭の外へ働きに出ることは良いことではありません.とくに妻の収入が夫よりも多い場合はなおさらです.もしあなたが稼(かせ)がなければならず,しかもご主人より多く稼いでいる場合は,決してそれを見せてはなりません.その事実を隠(かく)しなさい.男性は,一家の長として,自分が大黒柱なのだと認識している必要があるのです.あなたは一家の心であり,それはちょうど一家の長が欠くことのできない存在であるのと同じくらい,あるいはそれ以上に必要な存在ですが,あなたは一家の長ではないのです.また,もしあなたが一家の長として振る舞わざるを得ないことがあっても,それを面(おもて)に出さず,とにかくその事実を隠しなさい.
もし,これであなたの結婚生活が上手く機能しないとしたら驚きです.結婚生活が上手くいくかどうかは通常,女性がいかに男性に順応するかにかかっているのであり,その逆でありません.ロシアに「トマトの苗が支柱(苗がその回りをよじ昇る)に頼(たよ)るように,女性は男性に頼るものだ」ということわざがあります.もし彼が支柱でないなら,彼を支柱にするためにあなたができるすべてのことをしなさい.そして,もしあなたにそれができないなら,その時はもう一度その現実を隠しなさい.神は女性が連れ合う男性に順応するよう,男性より女性を順応性のある性質に造られています.
あなたは以前子供たちの教育のためにご家庭でお金が必要だと話されました.あなたの娘さんたちにとって最良かつ最も重要な教育は母親の台所でできることに気づかれたことがありますか? 母親が家庭にいると仮定した場合の話です.家庭外のどんな学校で受ける教育よりもずっと多くのことをあなたは自分を手本として示すことで娘たちを教育することができるのです.またあらゆることにかかわらず夫に従い夫を敬う妻として母としての貴重な模範を娘さんたちに示してあげなさい.子供たちは非常によく観察するものです.あなたの示す模範は子供たちが将来結婚して家庭を持ったときに幸福になるために非常に重要なのです.
ご主人との喧嘩(けんか)もいいでしょう.ただし静かに,敬意をもって,子供たちから離れてしてください.そして「私だって一日中外で働いてきたのよ,私だって家庭での思いやりが必要だわ」などと言ってはなりません.なぜなら,母親が外で働くのは正常ではないからで,男性たちはそれが自分の不甲斐無さ(ふがいなさ)のためだとしても,そのことを感じているからです.男性は変えようがありません.この人があなたの結婚相手として神が選ばれた男性なのです.あなたの子供たちにご主人を敬う手本を見せなさい.それが,とりわけあなたの娘さんたちに対する貴重な贈物です.
現代はどこの家庭でも多くの祈りを必要としています.神の御母(聖母マリア)よ,お助けください!
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第3パラグラフの訳注:
聖パウロのこのことばに該当する聖書からの引用箇所.
①新約聖書・使徒パウロのエフェゾ人への手紙:第5章22-33節(背景を知るため前後の部分も記載します)
②同・コリント人への第一の手紙:第11章1-16節
③以降…(「父なる神と神のみ子キリスト」・「キリストと教会」・「神・キリストと夫」・「夫と妻」の関係について理解を助ける聖書からの引用を追加します)
* * *
①エフェゾ人への手紙
第4章
教会の一致(4・1-6)
『さて,主の囚人となった私(使徒パウロ)はあなたたちに勧める.
あなたたちは召されたお召しにかなうように生き,すべての謙遜と柔和と寛容をもって愛によって忍び合い,平和の結びによって*¹霊の一致を守るように努めよ.
*²体は一つ,霊は一つである,あなたたちが召し出しによって一つの希望に召されたのと同様に.
*³主は一つ,信仰は一つ,洗礼は一つ,神は一つで,すべてのものの父であり,すべてのものの上にあり,すべてのものの上に働き,すべてのものの内にいます.』
(注釈)
*¹ 信者間の心の一致.
*² 「体」は教会.
*³キリスト(〈新約〉コリント人への手紙〈第一〉8・5-6).
それぞれの役目(4・7-24)
『私たちはキリストの賜の秤(はかり)に従って*¹おのおの恩寵を受けた.だから,「*²高く上って多くの奴隷を引き連れ,人々に贈物をした」と書き記されている.しかし*³上ったと言えば,地の低い所にも下ったわけではないか.下った者はすべてのものを満たすために,天のいと高き所に上ったそのお方である.
ある人を使徒とし,ある人を預言者とし,ある人を*⁴福音者,ある人を牧者と教師とされるのもそのお方である.
それは聖徒たちを,*⁵聖職の働きのためキリストの体を建てるために整え,ついに信仰の一致と神のみ子の深い知識に達し,*⁶満ち満ちるキリストの背丈にまで至る完全な人間をつくるためである.
こうして私たちは子どもではなくなり,人を偽善と誤謬(ごびゅう)に迷いこませるたくらみのままに,いろいろな教えの風に吹きまわされ翻弄(ほんろう)されないようになる.
*⁷むしろ真理を宣言し,*⁸かしらであるキリストによって,すべて愛において成長するだろう.
キリストによって,*⁹それぞれの肢体の働きに従い,身体全体は自分を養い生かすすべての*¹⁰節々を通じて調和と統一を受け,こうして成長をとげ,愛によって自分をつくり上げる.
私は主においてあなたたちに切に望んで言う.
心のむなしさに従う異邦人のように生活するな.彼らは知恵がくらみ,その中の無知と心のかたくなさによって神の命を離れた者となった.*¹¹彼らの道徳観はうすれ,すべての情欲と汚れを行い,淫乱の生活にふけった.
しかしあなたたちは,キリストからそんなことを習ったのではない.
あなたたちが*¹²イエズスにある真理に従って,イエズスにおいて教えられ,それを聞くなら,*¹³人を欺(あざむ)く欲に腐(くさ)った前の生活の古い人を脱ぎ捨て,霊的な思いによって自分を新たにし,正義と真実の聖徳において,神にかたどってつくられた新しい人を着なければならない.』
徳の実行(4・25-32)
『だから,偽善を捨てて,おのおの隣人に真実を語れ.*¹⁴あなたたちは互いに肢体だからである.*¹⁵怒っても罪を犯すな.日が傾くまで怒りを保つな.*¹⁶悪魔に足がかりを与えるな.盗人はもう盗むな.
むしろ,貧しい人々に施すために,自分の手で何かよい仕事をして働け.悪いことばを決して口から出すな.ただ必要な場合,徳に役だち聞く人に恩寵を与えるよいことばだけを言え.
あなたたちがあがないの日のためにしるしを受けたその神の聖霊を悲しませるな.すべての苦さ,憤(いきどお)り,怒り,叫び,ののしり,つまり悪をすべて捨てよ.
互いに情けとあわれみをもち,キリストにおいて神があなたたちをゆるされたように,互いにゆるし合え.』
(注釈)
*¹ 教会の奉仕を目的とする特別な恩寵のこと.特能ともいう.
*² 〈旧約〉詩篇68・19の引用であるが,原文テキストの忠実な引用ではない.
*³ 託身があったから,昇天もなければならなかった.
*⁴ 四人の福音史家のことではなく,福音を伝える人々,伝道者,福音師のこと.
*⁵ 信者は聖徳に近寄れば近寄るほど,聖職の働きにふさわしい者となる.
*⁶ このキリストは完全な背丈(せたけ)のある人間として考えられている.キリストの神秘体,教会の会員である信者はみな,自分に定められている高さにまで伸びなければならない.それは,よく成長したすべての肢体が集まることによって満ち満ちたキリストを実現するためである.
*⁷ 1・22,5・23,コロサイ人への手紙1・18,2・19参照.
*⁸ 信じるだけでは足りない.キリスト信者は信仰を喜び,信仰を生かさねばならない.
*⁹ 教会内の信者おのおのの活躍と使命.
*¹⁰ 教会に属する者の相互の奉仕.
*¹¹ 〈新約〉ローマ人への手紙1・18以下参照.
*¹² コロサイ人への手紙2・6参照.
*¹³ コロサイ人への手紙3・9,ローマ人への手紙6・6参照.
*¹⁴ コリント人への手紙〈第一〉6・15,ローマ人への手紙12・5参照.
*¹⁵ 〈詩篇〉4・5.心中に怒りが起こっても,それを行いに出して罪を犯すまでになるな.
*¹⁶ 悪魔に誘惑の機会を与えてはならない.
第5章
キリストの模範(5・1-2)
『実に愛される子らとして,神に倣(なら)う者であれ.私たちを愛し,私たちのために芳(かんば)しい香りのいけにえとして神にご自分をわたされたキリストの模範に従って,愛のうちに歩め.』
汚れを棄てよ(5・3-7)
『聖徒にふさわしいように,あなたたちの中では,*¹淫行,いろいろな汚れ,情欲は口にさえもするな.また,汚行(おこう),愚かな話,下品な冗談も言うな.それはよからぬことである.
ただ神に感謝せよ.
*²淫行の者,好色な者,情欲の者はみな―――これは偶像礼拝者と同じである―――,キリストと神の国を継げない.
人のむなしいことばにだまされるな.*³不従順な者の上に神の怒りを呼ぶのはそれらの事柄である.だから彼らと交わるな.』
神の子らの生活(5・8-14)
『元あなたたちはやみであったが,今は主において光である.したがって*⁴光の子として歩め.光の実はすべての善と正しさと真実にある.主に喜ばれることをわきまえ知れ.
*⁵実を結ばぬ闇(やみ)の行いに加わらず,かえってそれを責めよ.彼らがひそかに行っているのは,*⁶口にするのも恥ずかしいことである.
*⁷公に責められることはすべて完全な光の中に現れ,現されたものはみな光である.
これがために,「*⁸眠る者よ,起きよ,死者の中から立ち上がれ.キリストはあなたを照らすだろう」と言われている.』
賢明と節制(5・15-20)
『であるから,愚かな者ではなく,知恵ある者のように慎(つつし)んで歩んでいるかどうかを調べよ.今の時をよく利用せよ,時代は悪いからである.
あなたたちは思慮のない者とならず,主のみ旨を理解せよ.ぶどう酒に酔うな.それは淫乱のもとである.
むしろ霊に満たされよ.ともに詩の歌と賛美の歌と霊の歌をとなえ,心を挙げて主に向かって歌い,そして賛美せよ.主イエズス・キリストのみ名によって,すべてのことについて,絶えず父なる神に感謝せよ.』
家族の愛(5・22-33)
『キリストを恐れて互いに従え.
妻よ,主に従うように自分の夫に従え.
キリストがその*⁹体であり,それを救われた教会のかしらであるように,夫は妻のかしらである.教会がキリストに従うように,妻はすべてにおいて夫に従え.
夫よ,キリストが教会を愛し,そのために命を与えられたように,あなたたちも妻を愛せよ.
キリストが命を捨てられたのは,水を注ぐことと,それに伴(ともな)う*¹⁰ことばによって教会を清め聖とするためであり,また汚点(しみ)もしわもすべてそのようなもののない,輝かしく清く汚れのない教会をご自分に差し出させるためであった.
(28節)「そのように夫も自分の体のように妻を愛さねばならない.妻を愛する人は自分を愛する人である.(29節)だれも自分の体を憎む者はなく,みなそれを養い育む.
キリストも教会のためにそうされる.(30節)*¹¹私たちはキリストの体の肢体だからである.
(31節)「*¹²これがために男は父と母を離れ,妻と合って二人は一体となる」.
*¹³この奥義は偉大なものである.
私がそう言うのは,キリストと教会についてである.
あなたたちはおのおの自分の妻を自分のように愛せよ.妻もまたその夫を敬え.』
(注釈)
*¹ エフェゾは有名な堕落の町であった.
*² エフェゾのアルテミス女神に属する淫乱の行為を暗示しているようである.
*³ 不道徳は神の罰を呼び下す.
*⁴ 〈新約〉コロサイ人への手紙1・12,コリント人への手紙〈第二〉4・6参照.
*⁵ 淫祀(いんし),邪教のようなものが行われていて,それを光の教会と対照させている.
*⁶ 偶像の秘教の堕落を暗示する.
*⁷ 異教徒が淫行に属することを公に話すのは,もちろんよいことではない.しかし,悪行を正すために,公に責めることはなされてもよい.そうすれば,光はやみを吹きはらうであろう.それはキリストの光である.
*⁸ 初代教会の典礼の賛美歌の一句らしい.
*⁹ この「体」は教会である.
*¹⁰ 洗礼文.
(28-31節)自然の愛だけではなく,信仰と愛に満ちたキリストの教える超自然の愛.
*¹¹ ブルガタ訳,「その肉と骨で成り立っている」.
*¹² 〈旧約〉創世の書2・24参照.
→『…神はご自分にかたどって,人間をつくりだされた(1章27節).
…主なる神は仰せられた,「人間が一人きりでいるのはよくない.私は彼に似合った助け手を与えよう」.
主なる神は,地から野の獣と空の鳥とをつくり,人間のもとに連れてゆかれた.それは,人間がそのものを,どのように呼ぶかを見たいと思われたからだった.その生き物を人間がどう呼ぶか,その呼び方がそれらの名となるはずであった.
さて,人間はすべての家畜と,空の鳥と,野の獣とに名をつけたが,人間に似合った助け手はまだ見つからなかった.
そのとき,主なる神は人間を深い眠りに入らせた.人間は眠りに入った.神は人間のあばら骨の一本を取りだし,肉をもとのように閉じた.
主なる神は人間から取りだしたあばら骨で女を作って,それを人間のもとに連れてゆかれた.そのとき,人間は言った,
「さて,これこそ,わが骨の骨,わが肉の肉.これを女(ヘブライ語でイシャ)と名づけよう.男(イシュ)から取りだされたものなのだから」.(2章18-23節)
だからこそ,人間は父母を離れて,女とともになり,二人は一体となる(2章24節).
*¹³ 婚姻が「偉大な奥義」なのは,それが教会とキリストの神秘的な関係をかたどるからである.』
第6章
親と子の義務(6・1-4)
『子どもたちよ,主において両親に従え.それは正しいことである.(父母を敬え)―――これは*¹約束のついている第一のおきてである―――.そうすれば*²あなたの上によいことがあり,地上において長寿を得ることができる.
両親よ,あなたたちの子どもを怒らせることなく、主に従って規律をもって育て戒めよ.』
主人と奴隷の義務(6・5-9)
『*³奴隷よ,キリストに従うように恐れと尊敬と真心をもってこの世の主人に従え.*⁴目の前だけで仕えるのではなく,人の気に入るためでもなく,心から神のみ旨を果たすキリストの奴隷として働け.人ではなく主に仕えるように快く仕えよ.あなたたちの知るとおり,奴隷も自由民もおのおの主から善業の報いを受ける.
主人よ,*⁵あなたたちもしもべに対して同じようにせよ.脅迫をするな.彼らとあなたたちの主は天に在(あ)って,人を区別されない方であることをあなたたちは知っている.』
キリスト信者の武具(6・10-20)
『兄弟たちよ,主において力を受け,その力によって自分を強めよ.悪魔の企(くわだ)てに刃向かうために,神の武具をすべてつけよ.
私たちが戦うのは*⁶血肉ではなく,*⁷権勢と能力,この世の闇(やみ)の支配者,天界の悪霊だからである.
*⁸神の武具をすべてつけよ.悪の日に抵抗し,すべてを果たしたのちなお立つためである.
では真理を帯にし,正義を胸当てにして立て.平和の福音への熱を足にはき,信仰の盾を取れ.それによって悪者の火矢をすべて消すことができるであろう.さらに,*⁹救いのかぶとと,神のみことばである聖霊の剣をも取れ.
*¹⁰すべての祈りと願いをもって心のうちでいつも祈れ.絶えず目を覚まして,忍耐強くすべての聖徒のために祈れ.
*¹¹また私のためにも祈れ,福音の奥義を恐れなく告げようとして話すとき,適当なことばが下されますように.私は福音の使者として鎖につながれている.私が語らねばならぬことを恐れなく語れるように祈れ.』
ティキコの派遣(6・21-22)
『あなたたちにも,私の様子と私のしていることを知らせたい.愛する兄弟であり,主において忠実なしもべティキコがそのすべてを伝えるだろう.私はそのために彼をあなたたちのもとに送った.彼が私たちのことを知らせ,あなたたちの心を慰(なぐさ)めるだろう.』
あいさつ(6・23-24)
『父なる神と主イエズス・キリストから,兄弟たちに平和と信仰とともに愛が与えられるように.
*¹²朽ちることなき愛をもって,主イエズス・キリストを愛するすべての人に恩寵があるように.』
(注釈)
*¹ 十戒のうち,報いの約束のついている最初のおきて.
*² 〈旧約〉第二法の書5・16参照.
*³ 〈新約〉コロサイ人への手紙3・22-25,ペトロの手紙〈第一〉3・18,ティトへの手紙2・9-10参照.
*⁴ 労働を聖化すること.
*⁵ パウロは社会革命を勧めるのではない.主人が信仰と愛に基づいてことを行えば,社会の正義は自然に行える.
*⁶ 「血肉」は人間の力のこと.
*⁷ 「権勢と能力」は悪霊のこと.
*⁸ 〈旧約〉イザヤの書11・5,52・7,知恵の書5・18参照.
*⁹ イザヤ59・17参照.
*¹⁰ 〈新約〉コロサイ人への手紙4・2-4参照.
*¹¹ パウロは釈放されることを望まない.キリストのために鎖(くさり)につけられることは光栄である.ただ使徒としての使命を果たす力をこい求める.
*¹² パウロの手によるあいさつらしい.
* * *
②コリント人への第一の手紙:第11章1-16節
『私がキリストに倣(なら)っているように,あなたたちは私に倣え.
あなたたちがすべてのことについて私を思い出し,私の伝えたとおり*¹伝えを守っていることに喜びを言おう.私はあなたたちに次のことを知ってもらいたい.
*²すべての男のかしらはキリストである.女のかしらは男である.キリストのかしらは神である.
頭にかぶり物をして祈りや預言をする男はみな,その*³かしらを辱(はずかし)める.頭にかぶり物をしないで祈りや預言をする女もみなそのかしらを辱める.その女は剃髪(ていはつ)しているのと同じだからである.女がかぶり物をしないなら髪も切ればよい.神を切ったり剃(そ)ったりするのが女の恥であるなら,かぶり物をするがよい.
男は神のすがたであり光栄であるから,頭にかぶり物をしてはならぬ.女は男の光栄である.
男が女から出たのではなく,女が男から出たのであって,*⁴男が女のために造られたのではなく,女が男のために造られたからである.
そのため女は,*⁵天使たちのために,*⁶権威に服するしるしを頭にかぶらねばならぬ.
といっても*⁷主においては,男なしでは女もなく,女なしでは男もない.
女が男から出たように男は女から生まれ,そしてすべては神から出る.
あなたたちは自ら判断せよ.女がかぶり物なしで神に祈るのはよいことであろうか.
自然そのものも教えているではないか.男が長い髪をしているのは恥であって、女が長い髪をしていれば誇りであることを.女の神はかぶり物として与えられたからである.
だれかこれについて抗弁しようとするなら,私たちにはそういう習慣はなく,神の諸教会にも例がないと答えたい.』
(注釈)
*¹ 「伝え」とは初代教会の聖伝の教えのことである.
*² キリスト教的社会における階級.女性の服従の理由は,神の創造にある.しかし,その順序は,徳ではなく単に権威のことだけである.
*³ かしらの意味にも,頭の意味にもとれる.
*⁴ 〈旧約〉創世の書2・22-23参照.
*⁵ 創世の書6・2.ユダヤ系の偽典書に基づけば,昔のある学者は,この「天使」が天から落ちた天使のことだと言っていた.また,信者の集会のかしらの意味にとった人もあった.
しかしこの天使は,信者の集会のとき,祈りを神の座まで運ぶ(〈新約〉黙示録8・3,エフェゾ人への手紙3・10)よい天使のことと思われる.
*⁶ ここでは自分に対する他人の権利のこと.
*⁷男も女も不完全なもので,主のみ前にあっては平等である.
* * *
2010年5月31日月曜日
苦闘する男の子たち
エレイソン・コメンツ 第150回 (2010年5月29日)
エレイソン・コメンツ(以下「EC」)第146回では,教師をする修道女たちが今日の女生徒たちを指導する際に経験する難しさについて述べました.EC第147回では、問題の根源を家庭生活に立ち戻って考えました.では,男の子たちの教育はどうすべきか?とお尋(たず)ねになる方もおられるでしょう.カトリック教では,男の子も女の子も,来世で生きるため霊魂の救済が必要である点においては同等と理解していますから,どちらも同様に,何よりもまず天国に入れるよう準備を整えさせる必要があります.だが,男女が平等なのはそこまでです.神は男性と女性が現世において全く異なる役割を果たすよう任命しているのです.その理由で,カトリック教会は今日まで常に男女共学に異を唱えてきたのです.では,男の子たちに具体的に必要とされるのはいったいどんな教育なのでしょうか?
女性が家庭や子供の世話をする心という天賦の才を与えられているように,男性もまた家族を導く理性という天質を与えられ,(訳注・始めの人アダムとエバが)原罪を犯して以来このかた,「額(ひたい)に汗を流して」(旧約聖書・創世の書:第3章19節)労働することによって家族を養わなければなりません.それゆえ,女の子の躾(しつ)けは将来家庭の中で夫と子供に仕えるための準備を軸として成される必要がある一方で,男の子の躾けは家庭外での(1)労働(2)責任を持つことに備えたものでなければなりません.ここで言う家庭外とは,大きな悪い世間のことです.男の子がそこで必要とするのは(3)判断力(4)自制心(5)男らしさです.ここまで述べれば,男の子の躾け計画はほぼ揃い(そろい)ます!
この計画では,父親が男の子に示す手本が極めて重要です!今,現に両親となっている方たちに問います.あなたたちは恐らく20年から30年前,つまり革命的な1960年代以降に躾けを受けたはずです.皆さんはそれが何を意味するかお気づきでしょうか?自分自身が育った時のことを謙虚にふりかえって自覚してください.学校にせよ家庭にせよ,あなたたちが受けた躾けは子供たちを天国に行けるような生きかたをするよう育てるには多分に不向きだったはずです.父たちよ,あなたたち自身の怠惰,無責任,愚かさ,身勝手さ,男らしくない軟弱さの矯正に取り掛かりなさい.それが,あなたたちが息子たちのために出来る最良のことです!
屋外の自然の中での労働が最も男の子の訓練に有益です.男の子には斧を振らせ,木を切り落とさせ,植物を庭に植えさせ,馬に乗らせ,小屋を建てさせなさい.スポーツはよくてもせいぜい男らしい娯楽に過ぎず,その域を超えるものではありません.家族のために本当に必要なことが責任を教えます.責任はまた,男の子が犯した過(あやま)ちを庇う(かばう)より,その結果を悩むように仕向けることによっても教えられます.判断力については,家庭での話し合いや,男の子が自然と英雄視し従う父親の同伴と指導により,自分の心を使って考えるように仕向けることで身につけさせることができるでしょう.このとき,父親は時間をかけて男の子の話を聴き,助言を与えてやらなければいけません.男の子の思春期には特にそうする必要があります.自制心は,朝早く起き,決められた日課を果たし,夜は早寝をして,結婚したいと思う相手と出会うまでは,多かれ少なかれ,女の子とデートをしないことで,身につけることができるでしょう.結婚するつもりのない女の子に気をむけることが少なければ少ないほど,結婚するつもりの女の子ひとりだけにその分多くを与えるようになるでしょう.男らしさは,この計画を最後まで徹底的にやり通した見返りとして男の子の身につくでしょう.
最後に,両親たちよ,電子機器が概して(がいして),いかに男の子を(1)怠惰にし,(2)無責任にし,(3)愚かにし,(4)軟弱にし,(5)駄目(だめ)にさせるかに気づきなさい.
家庭から電子の魔力を取り除け,
もし息子たちを地獄に落としたくなかったら!
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
エレイソン・コメンツ(以下「EC」)第146回では,教師をする修道女たちが今日の女生徒たちを指導する際に経験する難しさについて述べました.EC第147回では、問題の根源を家庭生活に立ち戻って考えました.では,男の子たちの教育はどうすべきか?とお尋(たず)ねになる方もおられるでしょう.カトリック教では,男の子も女の子も,来世で生きるため霊魂の救済が必要である点においては同等と理解していますから,どちらも同様に,何よりもまず天国に入れるよう準備を整えさせる必要があります.だが,男女が平等なのはそこまでです.神は男性と女性が現世において全く異なる役割を果たすよう任命しているのです.その理由で,カトリック教会は今日まで常に男女共学に異を唱えてきたのです.では,男の子たちに具体的に必要とされるのはいったいどんな教育なのでしょうか?
女性が家庭や子供の世話をする心という天賦の才を与えられているように,男性もまた家族を導く理性という天質を与えられ,(訳注・始めの人アダムとエバが)原罪を犯して以来このかた,「額(ひたい)に汗を流して」(旧約聖書・創世の書:第3章19節)労働することによって家族を養わなければなりません.それゆえ,女の子の躾(しつ)けは将来家庭の中で夫と子供に仕えるための準備を軸として成される必要がある一方で,男の子の躾けは家庭外での(1)労働(2)責任を持つことに備えたものでなければなりません.ここで言う家庭外とは,大きな悪い世間のことです.男の子がそこで必要とするのは(3)判断力(4)自制心(5)男らしさです.ここまで述べれば,男の子の躾け計画はほぼ揃い(そろい)ます!
この計画では,父親が男の子に示す手本が極めて重要です!今,現に両親となっている方たちに問います.あなたたちは恐らく20年から30年前,つまり革命的な1960年代以降に躾けを受けたはずです.皆さんはそれが何を意味するかお気づきでしょうか?自分自身が育った時のことを謙虚にふりかえって自覚してください.学校にせよ家庭にせよ,あなたたちが受けた躾けは子供たちを天国に行けるような生きかたをするよう育てるには多分に不向きだったはずです.父たちよ,あなたたち自身の怠惰,無責任,愚かさ,身勝手さ,男らしくない軟弱さの矯正に取り掛かりなさい.それが,あなたたちが息子たちのために出来る最良のことです!
屋外の自然の中での労働が最も男の子の訓練に有益です.男の子には斧を振らせ,木を切り落とさせ,植物を庭に植えさせ,馬に乗らせ,小屋を建てさせなさい.スポーツはよくてもせいぜい男らしい娯楽に過ぎず,その域を超えるものではありません.家族のために本当に必要なことが責任を教えます.責任はまた,男の子が犯した過(あやま)ちを庇う(かばう)より,その結果を悩むように仕向けることによっても教えられます.判断力については,家庭での話し合いや,男の子が自然と英雄視し従う父親の同伴と指導により,自分の心を使って考えるように仕向けることで身につけさせることができるでしょう.このとき,父親は時間をかけて男の子の話を聴き,助言を与えてやらなければいけません.男の子の思春期には特にそうする必要があります.自制心は,朝早く起き,決められた日課を果たし,夜は早寝をして,結婚したいと思う相手と出会うまでは,多かれ少なかれ,女の子とデートをしないことで,身につけることができるでしょう.結婚するつもりのない女の子に気をむけることが少なければ少ないほど,結婚するつもりの女の子ひとりだけにその分多くを与えるようになるでしょう.男らしさは,この計画を最後まで徹底的にやり通した見返りとして男の子の身につくでしょう.
最後に,両親たちよ,電子機器が概して(がいして),いかに男の子を(1)怠惰にし,(2)無責任にし,(3)愚かにし,(4)軟弱にし,(5)駄目(だめ)にさせるかに気づきなさい.
家庭から電子の魔力を取り除け,
もし息子たちを地獄に落としたくなかったら!
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
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