2013年11月30日土曜日

333 リユ神父 I 11/30

エレイソン・コメンツ 第333回 (2013年11月30日)

     聖ピオ十世会( "the Soceity of St Pius X" = SSPX )の指導者たちがカトリック教理への理解(りかい)を失(うしな)い,その後(ご)ルフェーブル大司教 ( "Archbishop Lefebvre" )の労力(ろうりょく)を裏切(うらぎ)ったことが昨年3月以降(さくねん さんがつ いこう)はっきりしたというのに,同会の司祭たちの間(あいだ)で反乱(はんらん)が起(お)きなかったのはなぜでしょうか?( "Why was there not an uprising amongst priests of the Society of St Pius X when their leaders' loss of grip on Catholic doctrine and subsequent betrayal of Archbishop Lefebvre's work became absolutely clear from March of last year onwards ? " )フランスでの「抵抗運動(ていこう うんどう)」の先駆者であるオリビエ・リユ神父( "Fr. Olivier Rioult" )が先月(せんげつ)のインタビューで,この疑問(ぎもん)に対(たい)する適切(てきせつ)な答(こた)えをいくつか示(しめ)しました.このインタビューは pelagiusasturiensis.wordpress.com. からフランス語でアクセスできます.( "Fr. Olivier Rioult, trail-blazer of the "Resistance" in France, gave several good reasons last month in an interview accessible in French on pelagiusasturiensis.wordpress.com. " ).以下の要約(ようやく)は私がインタビュー原文から翻案(ほんあん)したものです:-- ( "The following summary is freely adapted from the original text:-- " )

(要約)

     根本的(こんぽんてき)には原罪(げんざい)( "original sin" )です( "Basically, original sin: " ) : 1970年代,80年代の最初の伝統復帰運動(でんとう ふっき うんどう)が信仰(しんこう)の本質的要素(ほんしつてき ようそ)の存続(そんぞく)を保証(ほしょう)するのに成功(せいこう)したとたん( "Once the original fight for Tradition in the 1970's and '80's had succeeded in guaranteeing the survival of the essentials of the Faith, …" ),伝統主義者(でんとうしゅぎしゃ)たちは自分たちの果(は)たした栄光(えいこう)に胡坐(あぐら)をかき,居心地(いごこち)の良い居留地(きょりゅうち)( "enclaves" )での生活(せいかつ)を楽(たの)しむようになりました( "…Traditionalists sat back on their laurels to enjoy their cosy enclaves, …" ).そして彼らは快適(かいてき)な日常業務(にちじょう ぎょうむ)にすっかり定着(ていちゃく)してしまい( "…and they settled into a comfortable routine …" ),いまではそれを失(うしな)いたくないようです( "…which they are now reluctant to lose. " ).彼らは(カトリック)信仰 ( "the Faith" ) のために戦(たたか)う精神(せいしん)を失(うしな)っています( "They have lost the spirit of fighting for the Faith." ).

     第2は,その原罪の典型的な姿(てんけいてきな すがた)といえる自由主義(じゆうしゅぎ)( "liberalism" )です( "Secondly, that particular form of original sin which is liberalism: " ) : 過去10年間, SSPX 指導者たちは自由主義,誤(あやま)り,うぬぼれに対する戦(たたか)いを弱(よわ)めようと率先(そっせん)してきました( "Over the last ten years Society leaders have given the lead in weakening the fight against liberalism, error and immodesty." ).だが,流(なが)れに逆(さか)らうのを止(や)めるのは下流(かりゅう)に流されるということです( "But to cease swimming against the current is to drift backwards, …" ).そして多数(たすう)の SSPX の司祭たちは - 決してすべてではありませんが - 自(みずか)らの信念(しんねん)や説教(せっきょう)する能力(のうりょく)を弱(よわ)めてしまいました( "… and a number of SSPX priests -- by no means all -- have grown weaker in their convictions and their preaching." ).

     第3は行動主義( "activism" )です( "Thirdly, activism: " ): 一部の同僚(どうりょう)たちは司祭としての職務(しょくむ)に忙(いそが)しく駆(か)けずりまわるようになり( "some colleagues can also let themselves be run off their feet by their priestly tasks, …" ),本を読み勉強(ほんをよみ べんきょう)しようとする時間(じかん)も意欲(いよく)もなくしています( "…leaving themselves no time or inclination to read or study." ).彼らは単(たん)なる管理者(かんりしゃ)や伝達者(でんたつしゃ)になってしまい( "Turning into mere administrators and communicators, …" ),信念や説教の能力を低下させています( "…they weaken their convictions and preaching." ).

     第4はフェレー司教の策略(さくりゃく)です( "Fourthly, Bishop Fellay's trickery: " ): これまで何年ものあいだ,彼の訳(わけ)のわからない言葉が,先見の明(せんけんのめい)があるのに自分の言うことを聞いてもらえない少数(しょうすう)の人たち以外(いがい)のすべての人々を欺(あざむ)いてきました( "for years his double-talk deceived everybody except a small minority of clear-sighted souls who could absolutely not get a hearing." ).あの3月の「 "Cor Unum" 」(訳注・ラテン語で「ひとつの心〈こころ〉」の意)( "the March "Cor Unum" " )と3人の司教たち(の質問状〈しつもんじょう〉)に対(たい)して彼が返(かえ)した4月14日付け返書(へんしょ)で彼の化けの皮(ばけのかわ)が剥(は)がれたばかりです( "Only last year did his mask come off with the March "Cor Unum" and with his reply of April 14 to the three bishops." ).それまで彼は(カトリック教)伝統主義者の大半(たいはん)を眠(ねむ)らせたままにしてきました(彼はいままた同じことをしようとしています)( "The great majority of Traditionalists he had put to sleep (as he is now doing again)." ).      

     第5は未知(みち)のものへの恐怖(きょうふ)です( "Fifthly, fear of the unknown: " ): あなたの周(まわ)りの世界全体(せかい ぜんたい)が気が狂(きがくる)ったように変(か)わる中で( "when the whole world around you is going mad, …" ),正気の居留地(しょうきの きょりゅうち)( "an enclave of sanity" )を見つけたとたん( "…and you find an enclave of sanity, …" ),その居留地(きょりゅうち)も同(おな)じように狂(くる)いだしたとしたら( "…and then that enclave also begins to go mad, …" ),現実(げんじつ)に直面(ちょくめん)し幻想(げんそう)に走(はし)らないためには並外(なみはず)れた強い性格(つよい せいかく)が求(もと)められます( "…it requires unusual strength of character to face up to the reality and not prefer some illusion or other, …" ).しかも,幻想はいたるところに溢(あふ)れています( "… and of illusions there are plenty ! " ) ! こうなると,多くの司祭たちは死ぬ思い(しぬ おもい)をするような決断(けつだん)( "crucifying decisions" )を求(もと)められるドラマを生き抜(いきぬ)いているのだと気づく(きづく)のですが( "Thus many priests realize that they are living through a drama calling for some crucifying decisions, …" ),彼らは未知(みち)のものに飛び込(とびこ)んで行(ゆ)く勇気(ゆうき)を欠(か)いています( "… but they lack the necessary fortitude to launch into the unknown." ).

     そして,最後(さいご)だが軽視(けいし)できないことは,お粗末(おそまつ)な指導者( "bad leaders" )です( "And last but not least, bad leaders: " ): もちろん,教会主流派内部(きょうかい しゅりゅうは ないぶ)( "within the mainstream Church" )と同じように SSPX 内部にもリベラル派(は)は常(つね)に存在(そんざい)してきました( "… of course there have always been liberals within the SSPX as within the mainstream Church, …" ).指導者(しどうしゃ)たちがしっかりしてさえいれば( "… but for as long as the leaders hold firm, …" ),そういう連中(れんちゅう)を抑え込(おさえこ)むのは可能(かのう)です( "… these can be held in check." ).だが,教会主流派の中でも(教皇)ヨハネ23世( "John XXIII" )や(教皇)パウロ6世( "Paul VI" )がリベラリズム(=自由主義〈じゆうしゅぎ〉)を支持(しじ)したため( "However, when in the mainstream Church John XXIII and Paul VI favoured their liberalism, …" ),それによる結果(けっか)は津波(つなみ)のように広(ひろ)がりました( "… the result was a tidal wave, …" ).いまや, SSPX 指導者たちはリベラル派に転向(てんこう)しているわけですから( "… and now that SSPX leaders have turned liberal, …" ),同会内にはリベラリズムが急速(きゅうそく)に広(ひろ)がっています( "… liberalism is sweeping through the Society …" ).このようなことは賢明(けんめい)な指導者,真(まこと・しん)の指導者の下(もと)では決(けっ)して起きなかったでしょう( "… as it would never have done under good leaders, true leaders." ).

(要約終わり)

     リユ神父が挙げた理由(あげた りゆう)はすべて当(あ)たっています( "These reasons given by Fr Rioult are all true, …" ).だが,そのいずれも「世界に対する(せかいに たいする)私たちの勝利(わたしたちの しょうり)」(〈新約聖書〉使徒聖ヨハネの第一の手紙5章4節〈 "I Jn. V, 4" 〉)(訳注後記1)という信仰以上に強い(しんこう いじょうに つよい)ものではありません( "… but none of them are stronger than that Faith which is "our victory over the world" (I Jn.V, 4). " ).まさに,理由のすべては司祭たち自身の強い信仰の欠如(けつじょ)に帰(き)すると言えるでしょう( "Indeed one might say that all the reasons come down to the lack of a strong enough Faith on the part of the priests, …" ).なぜなら,彼らは現世の人々(げんせの ひとびと)すべての真実(しんじつ)に対する掌握(どうあく)が緩(ゆる)んでしまった世界(せかい)に生(い)きているからです( "… because they are living in a world in which the grip on Truth of every soul alive has been loosened, …" ).真実(しんじつ)が真実でないとすれば,どうして信仰が真実のものになりうるでしょうか?( "… and if Truth is not true, how can Faith be true ? " )

     では,今日(こんにち)の気違(きちが)いじみた状況下(じょうきょうか)で私たちは真実を理解する能力を高める(しんじつを りかいする のうりょくを たかめる)ことがどうしても必要(ひつよう)ですが,その最も簡単な方法(もっとも かんたんな ほうほう)は何(なん)でしょうか?( "Then what is the simplest way to strengthen one's grip on Truth, as we absolutely need to do in today’s crazy circumstances ? " )  私の意見(わたしの いけん)では:-- ( "In my opinion:-- " )

     「目を覚まして祈れ,目を覚まして祈れ,
      ロザリオの15玄義を日々(ひび)」
     ( "Watch and pray, watch and pray,
       Fiftheen Mysteries evey day" )  (訳注後記2)

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教


* * *


第8パラグラフの訳注1
「世界に対する私たちの勝利」について

新約聖書・使徒聖ヨハネの第一の手紙:第5章4節
EPISTOLA BEATI IOANNIS APOSTOLI PRIMA V, 4
THE FIRST EPISTLE OF ST. JOHN THE APOSTLE V, 4
PREMIÈRE ÉPÎTRE DE SAINT JEAN V, 4 Foi victorieuse du monde.

『神から生まれた者は世に勝つ.世に勝つ勝利はすなわち私たちの信仰である.』
"Quoniam omne quod natum est ex Deo, vincit mundum : et hæc est victoria, quæ vincit mundum, fides nostra."
"For whatsoever is born of God, overcometh the world: and this is the victory which overcometh the world, our faith."
"Parce que tous ceux qui sont nés de Dieu triomphent du monde ; et la victoire qui triomphe du monde, c’est notre foi."


* * *

第10パラグラフの訳注2
「目を覚まして祈れ」について
(めを さまして いのれ)=警戒〈けいかい〉して祈れ
 

*   *   *

「ロザリオの15玄義」について
「公教会祈祷文(こうきょうかい きとうぶん)」より抜粋(ばっすい).

「ロザリオの祈(いのり)」
ロザリオの祈りは救世主(きゅうせいしゅ)と聖マリアの主な喜(よろこ)び,苦(くる)しみ,栄(さか)えの玄義(げんぎ)を黙想(もくそう)しながら天使祝詞(てんししゅくし)百五十回を唱(とな)える祈りである.
天使祝詞十回が一連(いちれん)で,五連が一環(いっかん)となり三環で終(おわ)る.一連毎(ごと)に一玄義を黙想するからロザリオの十五玄義(じゅうご げんぎ)といわれる.
… 一般に各連(かくれん)の唱え方は黙想する玄義を始(はじ)めに唱え,大珠(だいじゅ)では主祷文(しゅとうぶん),小珠(しょうしゅ)では天使祝詞各一回宛(かく いっかい ずつ)を唱え,終りに栄唱(えいしょう)を唱える.


* * *

2013年11月26日火曜日

332 信仰が第一 11/23

エイソン・コメンツ 第332回 (2013年11月23日)

     ルフェーブル大司教(だいしきょう)(1905-1991年)が聴く耳(きく みみ)を持(も)つカトリック教徒に教(おし)えた最大の教訓(さいだいの きょうくん)は,信仰(しんこう)は従順(じゅうじゅん)より高位(こうい)だということです( "The great lesson taught by Archbishop Lefebvre (1905-1991) to Catholics who had ears to hear was that the Faith is higher than obedience." ).その後,私たちが学(まな)んだ悲しい教訓(かなしい きょうくん)は従順が信仰より高位だと評価(ひょうか)され続(つづ)けていることです( "The sad lesson we have learned since is that obedience keeps on being rated higher than the Faith." ). (私は)これまで今日(こんにち)の教会,世界,聖ピオ十世会( "the Soceity of St Pius X" = SSPX )に見られる混乱状況(こんらん じょうきょう)が基本(きほん)に立ち戻(たちもど)って欲(ほ)しいとの願(ねが)いに駆(か)られて,このエレイソン・コメンツを書いてきましたが( "These “Comments”, driven continually by today’s confusion in Church, world and Society of St Pius X to get back to basics, …" ),その中(なか)で,信仰が第一(しんこうが だいいち)である理由(りゆう)を説明(せつめい)しようと何度(なんど)も試(こころ)みてきました( "… have often attempted to explain why the Faith must come first." ).

     ここでは,ある高名(こうめい)な SSPX の司祭が最近私宛(あ)てに送ってくださったEメールを例(れい)として取り上(とりあ)げます( "Take for instance the arguments of an honourable SSPX priest who recently sent me an e-mail, …" ).彼は私が SSPX の現状(げんじょう)を間違(まちが)って評価(ひょうか)していると非難(ひなん)しています( "… accusing me of wrongly assessing the present state of the SSPX. " ).彼によると,私が新協会(しんきょうかい)( "the Newsociety" )と呼(よ)ぶものに対して抵抗(ていこう)しているのは( "My resistance to the – as I call it – Newsociety is, he says, …" )(1)あまりにも個人的(こじんてき)な動機(どうき)に根差(ねざ)している( " 1) too personally motivated, …" ),(2)教会の利益優先(りえき ゆうせん)を忘(わす)れている( " 2) forgetting the good of the Church, …" ),(3)私が以前(いぜん)に取(と)っていた立場(たちば)と矛盾(むじゅん)している( " 3) inconsistent with positions I have taken before, …" ),(4)カトリック教の現実味(げんじつみ)を欠(か)いている( " 4) lacking Catholic realism, …,(5)教会の無謬性(むびゅうせい)に反(はん)している( " 5) against Church indefectibility, …" )(訳注後記1),(6)人(ひと)それぞれが教皇のあるべき姿(すがた)を抱(いだ)くよう勧(すす)めている( " 6) for each man being his own Pope, …" ),(7)教会の現代主義的(げんだいしゅぎてき)ビジョンを擁護(ようご)している( " 7) for a modernist vision of the Church, …" )(訳注後記2),(8)プロテスタント的である( " 8) Protestant, …" ),(9)ローマ教皇庁との結束(けっそく)に反対(はんたい)している,そして最後(さいご)に( " 9) against union with Rome, and finally …" )(10)人々の霊魂(れいこん)を教会から引き離(ひきはな)している,というのです( " 10) pushing souls away from the Church. " ).

     さて,私はルフェーブル大司教ではありませんし,大司教のふりをするつもりもありません( "Now, I am no Archbishop Lefebvre, and I do not pretend to be, …" ).だが,私の( SSPX の)同僚(どうりょう)は,この批判(ひはん)すべて(3番目を除〈のぞ〉き)を30年前ローマの公式教会当局者に抵抗したルフェーブル大司教に対して向けていることになるのをお気づきなのでしょうか?( "… but does my colleague realize that all of these arguments (except the third) he could have applied thirty years ago to the Archbishop’s resistance to the official Church authorities in Rome ? " ) 当時ルフェーブル大司教が抵抗したのは( "Yet the Archbishop’s resistance was …" )(1)信仰を擁護(ようご)する緊急(きんきゅう)の必要性(ひつようせい)に駆(か)られたため( "1) motivated only by the urgent need to defend the Faith, …" ),(2)普遍的教会(ふへんてき きょうかい)( "the Universal Church" )のために行(おこな)った( " 2) for the good of the Universal Church, …" ),(4)完全に現実的(かんぜんに げんじつてき)な方法(ほうほう)だった(大司教が設立した SSPX でのカトリック教の成果(せいか)がそれを実証〈じっしょう〉している)( "4) in a completely realistic way (as the Catholic fruits of his Society proved), …" ),(5)大司教の抵抗こそが,教会の無謬性〈むびゅうせい〉に対し,その反証(はんしょう)ではなく,それを立証(りっしょう)するものとなっている,( "… 5) not disproving but proving, by his very resistance, the Church’s indefectibility, …" )(訳注後記3) (6)あらゆる時代(じだい)の教会(きょうかい)( "the Church of all time" )( "6) for the Church of all time being the measure of the Popes, …" )が歴代教皇(れきだい きょうこう)のあるべき姿(すがた)の基準(きじゅん)である(訳注後記4),(7)新近代主義(しん きんだいしゅぎ)のあらゆる狂気(きょうき)に反対している( "7) against all craziness of neo-modernism, …" ),(8)近代主義(きんだい しゅぎ)によるプロテスタント主義(しゅぎ)の再生(さいせい)に反対している( "8) against modernism’s renewal of Protestantism, …" ),(9)ローマ教皇庁との結束(けっそく)につねに賛成してきた,そして最後に( "9) for union with the Catholic Rome of all time, and finally …" )(10)多くの真(まこと・しん)のカトリック教徒の霊魂(れいこん)が信仰を失(うしな)わず守り続(まもりつづ)けるよう手助(てだす)けしてきた - というのが事実(じじつ)です( "10) helping many truly Catholic souls to keep the Faith instead of losing it." ).

     当時(とうじ),なにがルフェーブル大司教の抵抗(ていこう)を正当化(せいとうか)したのでしょうか?( "And what justified the Archbishop’s resistance back then ? " ) 当時,大司教が外見ではそう見えたかもしれないルーター "Luther" のような反逆者(はんぎゃくしゃ)ではなく,真のカトリック教徒,教会の偉大(いだい)な僕(しもべ)だったことを証明したのは何だったのでしょうか?( "What proved then that he was not, despite the appearances, a rebel like Luther, but truly Catholic, and a great servant of the Church? " )それは,彼の教理(きょうり),教理,教理です!( "His doctrine, his doctrine, his doctrine ! " ) ルーターはカトリック教の多くの教えを否定(ひてい)しましたが,ルフェーブル大司教はそのすべてを肯定(こうてい)しました( "Whereas Luther denied a mass of Catholic teachings, the Archbishop affirmed every one of them." ).大司教が,恐(おそ)るべき近代主義(きんだいしゅぎ)の諸々(もろもろ)の誤(あやま)りを繰り返し(くりかえし)取り入れることで教理を徹底的(てっていてき)に台無し(だいなし)にした歴代(れきだい)の公会議派教皇や教会当局者たちに反対し抵抗の姿勢(しせい)を取ったのは(カトリック)信仰の教理(しんこう の きょうり)の名の下(な の もと)に行(おこな)ったことです( "It was in the name of the doctrine of the Faith that the Archbishop took his stand against the Conciliar Popes and Church authorities who were radically undermining that doctrine by renewing and adopting the dreadful errors of modernism." ) .

     では現在(げんざい),なにが SSPX 指導部に対する抵抗を正当化しているのでしょうか?( "So what justifies now a certain resistance to the leadership of the SSPX ? " )抵抗者たちこそが SSPX の忠実な僕(ちゅうじつな しもべ)だと言えるのはどうしてでしょうか?( "How can those who resist claim to be the truest servants of the SSPX ? " ) それは,教理(きょうり),教理,教理です!( "Doctrine, doctrine, doctrine ! " ) 2012年4月中旬に SSPX が発表した宣言(せんげん)は,同会の上層部(じょうそうぶ)が持つ恐(おそ)るべき教理上の欠陥(きょうりじょうの けっかん)を証明(しょうめい)しています( "The mid-April Declaration of 2012 was proof of an appalling doctrinal deficiency at the top of the SSPX, …" ).宣言自体(じたい)は撤回(てっかい)されましたが( "… and while the Declaration was withdrawn, …" ),その中身は例(たと)えば「きわめて微妙(びみょう)」との理由(りゆう)で撤回されるどころか,むしろ擁護(ようご)さえされています!( "… its contents have not been retracted but even defended, as being for instance “too subtle” ! " ) それに,2012年7月14日,2013年6月27日に発表された SSPX の公式文書(こうしき ぶんしょ)は,同宣言がもたらした損害(そんがい)をきちんと清算(せいさん)していません( "Nor have the official SSPX documents of July 14, 2012 or June 27, 2013 properly undone the damage. " ).このことは, SSPX 本部の運営方針(うんえい ほうしん)がなにも変(か)わっていないことを証明しています( "The proof is that the governing policy of SSPX HQ has not changed. " ).親愛なる同僚(しんあいなる どうりょう)にお伝(つた)えします( "Dear colleague" ).あなたの SSPX は見かけの従順(じゅうじゅん)より信仰を大事にする考えに基(もと)づいて設立されました( "Dear colleague, your own Society was founded on putting Faith before apparent obedience, …" ).それなのに今,あなたは信仰より見かけの従順を大事にすることで SSPX を擁護しようとお望みなのでしょうか?( "… and now you want to defend that Society by putting apparent obedience to the Society before the Faith ? " ) SSPXの諸文書を検討(けんとう)し,その行動(こうどう)を観察(かんさつ)してください!( "Study the documents, and watch the actions ! " )

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教

     追記:エレイソン・コメンツ( EC )第100回直後からだったとおもいますが,どなたか EC のスペイン語,フランス語訳全編(ぜんぺん)をお持ちの方がいらっしゃるでしょうか? もしおられたらご連絡(れんらく)ください. ( "P.S. Meanwhile does anybody have a complete set of Spanish or French translations of this “Commentary” from when they began to appear, in the early EC 100’s ? Please let us know." )



* * *


第2パラグラフの訳注1

・「無謬性(むびゅうせい)」=あやまり〈=謬り=誤り〉のないこと.
・「謬り〈=誤り〉」の意味は,「正〈ただ〉しくないこと」・「失敗〈しっぱい〉・「正しくない行為〈こうい〉」


第2パラグラフの訳注2

・「擁護(ようご)」=危害〈きがい〉・破壊〈はかい〉を加えようとするものから,かばいまもる〈庇い護る〉こと.


第3パラグラフの訳注3

「教会の無謬性(きょうかいのむびゅうせい)」につき,証拠しょうこ)を挙(あ)げてそれを否定〈ひてい〉した〈=反証〈はんしょう〉〉のではなくて,〈「教会の無謬性」〈すなわち,「教会に誤(あやま)りがないこと」につき〉,証拠〈しょうこ〉を挙〈あ〉げてその正〈ただ〉しさを明〈あき〉らかにした〈=立証〈りっしょう〉〉.


第3パラグラフの訳注4

神がそうであられるように,永遠に変わることのない真実(しんじつ)・唯一(ゆいいつ)・永遠不変(えいえん)の教会が,歴代教皇のあるべき姿の基準(きじゅん)である, 「わたしは道であり,真理であり,命である.わたしによらなければ誰も父のみもとに行くことはできない.」

* * *

(説明)

・良心は個人的に問われるもの.「良心の声に従わなかった」ことを他人のせいにはできない.神の裁(さば)きの時には,人間は誰でも,自分一人で責任を取らされることになる.たとえ真の神を心で信仰していないとしても,不正義を行った人は,正しくお裁きになる神から罰を被(こうむ)ることになる.

・人間は肉体と霊魂を有するが,同じく肉体をとられ地上で人間としての生涯(しょうがい)を過ごされた霊たる神(=三位一体〈さんみいったい〉の神の第二の位格〈ペルソナ Persona 〉=イエズス・キリスト)を通(つう)じなければ,霊であられる永遠の神(私たちの天の御父)の御国に入(はい)ることはできない.

・人間は,地上では肉体上の事しかわからないが,この地上に生きている間に,「人間は,目に見えない正しい神の霊から創造され,この世に生まれてきた」ということを知って,それを信じなければならない.

・もしそれを信じることができなければ,その人の霊魂は,創造主たる神の正義も愛も命も信じられない,ということになり,地上で肉体が死ねば,その霊魂は天の御父たる永遠の神の御国に入る祝福を得ることができない.万物の創造主たる神の正義(せいぎ)に従(したが)うことを拒否(きょひ)したのだから当然の成り行き(とうぜんのなりゆき)である.

・不完全で無知(ふかんぜんで むち)な人間の限界(げんかい)ある価値観(かちかん)で,「なにも知らなくても,なにもわからなくても,なるようになる」と簡単(かんたん)に思って済(す)ませるのは間違(まちが)いで, ①「神の正義(かみの せいぎ)」と「人間の正義(にんげんの せいぎ)」とでは全(まった)く異(こと)なるということを,人生(じんせい)の様々(さまざま)な出来事(できごと)・体験(たいけん)を通(つう)じて知り,学ぶ(しり・まなぶ)必要(ひつよう)がある.

②そのために,霊魂は肉体をとって生まれ,不完全(ふかんぜん)で不足(ふそく)だらけのこの地上で,喜び・悲しみ(よろこび・かなしみ)・希望・失望(きぼう・しつぼう)を体験し,そうして神の正義・慈愛(かみの せいぎ・じあい)を実感(じっかん)する.

③人間以外の神の被造物(=神に創造された大宇宙・自然界の諸存在〈鉱物・動植物〉)は,全て神の摂理(かみの せつり)のもと,神の御心のままに存在している.
・人間だけが神に与えられた自由意志によって,その自由意志を神の御心に沿(そ)って使用せずに,神に逆(さか)らい自(みずか)らの我欲(がよく)を満(み)たすために暴走(ぼうそう)している.

・神の摂理(=真理・正義)に従った宇宙・自然界の法則が乱(みだ)されれば,その反作用(はんさよう)(=反発)を招(まね)いて,宇宙・自然界で大災害(だいさいがい)が起こるのは自明の理(じめいの り)である.

・人間の生命(にんげんの せいめい)は神が完全に管理(かんり)しておられ,人間がそれを支配(しはい)したり管理することはできない.人間が人間の生命を支配し管理すれば,必ず自(みずか)らの身に全能者たる神の呪(のろ)いを招(まね)く. ・真の神に逆(さか)らってこの世を支配しようとする者は,神の摂理に逆らうことで必然的に自(みずか)らの心身に神の呪(のろ)いと災(わざわ)いを招(まね)くことになる.

・神が人間を罰(ばっ)するというより,人間の罪深い行い(つみふかい おこない)が神のお定(さだ)めになった宇宙や自然界の摂理の法則に反するので,わが身に跳ね返(はねかえ)って自分を害(がい)する結果(けっか)に終(お)わる.

・そして,癒(いや)されることのない罪の意識(つみの いしき)が烙印(らくいん)のように押(お)され,身も心も,真の幸福(まことの こうふく)とは永遠に無縁(えいえんに むえん)となる.

④「神の正義」は「神の慈愛(じあい)」と一体(いったい)であり,弱者(じゃくしゃ)に対する慈悲の心(じひの こころ)よりも我欲(がよく)を優先(ゆうせん)する人は,この地上を去ってから天の慈悲深い(じひ ふかい)神の御国には決して入れない.

⑤この世で,自分に不都合(ふつごう)な人間を殺しても,神には絶対に勝てない.この世は「霊魂の試験場」であり,この世で他者を負かして我欲を果たす者は,弱者を庇(かば)われる憐れみ深い神の怒りを買い,必ず神から報復(復讐)(ほうふく・ふくしゅう)されることになる.

・復讐は,人間がするものではなく,神が完全に正しく一寸の手抜かり(いっすんの てぬかり)もなく果(は)たされる.

・真の神の遣(つか)いと預言(神の御子イエズス・キリスト・教会の聖なる伝承〈聖伝〉・聖書)を通じて神の報復(かみの ほうふく)の完全さ,その恐ろしさを知るので,カトリック教会では「罪びとの悔悛(かいしゅん)のため神の憐(あわ)れみを請(こ)う」.

・人間の中で見栄(みば)えの良い人が天国に入るのではない

(ヨハネ聖福音書:第1章を参照)

第1章12節

『みことば(=神の御子イエズス・キリスト)は世にあり,世はみことばによって創(つく)られたが,世はそれを認めなかった.

みことばはご自分の家(ごじぶんの いえ)に来(こ)られたが,その人々は受け入れなかった.

しかし,その方を受け入れた人々にはみな神の子となれる力(ちから)を授(さず)けた.

そのみ名を信じるすべての人たち,彼らは,血統(ちすじ)ではなく,肉体の意志(いし)ではなく,人の意志ではなく,ただ神によって生まれた人々である.』


* * *

2013年11月17日日曜日

331 明日のリーダーたち 11/16

エレイソン・コメンツ 第331回 (2013年11月16日)

     超自然的(ちょうしぜん てき)なカトリック信徒たちといえども経済問題(けいざい もんだい)をくだらないことと蔑(さげす)むわけにはいきませんが,それには二つのきちんとした理由(りゆう)があります( "There are two good reasons why not even supernatural Catholics should scorn economic questions." ).まず個人的(こじんてき)には,彼らは家計(かけい)を立てるため経済分野(けいざい ぶんや)の常識(じょうしき)を持つ必要(ひつよう)があります( "Individually, to run their own household they need common sense in this domain, …" ).だが今日この常識はひどく軽視(けいし)されています( "… now heavily discounted. " ).社会的(しゃかいてき)には,彼らは自分たちの周(まわ)りで何が起きているかについて多少は把握(はあく)しておく必要があります( "And socially, they need some grasp of what is going on in the society around them, …" ).なぜなら,あらゆる霊魂(れいこん)が地獄(じごく)に堕(お)ちるようたくらんでいる反キリスト的新世界秩序( "the anti-Christian New World Order=NWO" )の意識的(いしきてき)もしくは無意識的(むいしき てき)な代理人(だいりにん)によって真実(しんじつ)がひどく捻じ曲(ねじま)げられているからです( "… because that truth is heavily distorted by the conscious or unconscious agents of the anti-Christian New World Order (NWO), which aims to make all souls finish in Hell. " ).

     エレイソン・コメンツの読者(どくしゃ)たちはカトリック信徒(しんと)たちに対(たい)し,米国人(べいこくじん)の評論家(ひょうろんか)ポール・クレイグ・ロバーツ博士(はかせ)( "Dr. Paul Craig Roberts" )の説く常識(じょうしき),真実(しんじつ)に耳を傾(かたむ)けるよう一度ならず再三(さいさん)勧(すす)めてきました( "More than once readers here have had recommended to them the common sense and truth of an American commentator, Dr Paul Craig Roberts." ).彼が最近(さいきん)の論文(ろんぶん)で述べているところによれば( "He has recently written an article arguing that,…" )米国政府の本当の危機はさんざん話題になった機能停止(きのう ていし)( "shutdown" )ではなく( "… the real crisis in the USA government is not its shutdown, being then much talked about, …" ),収入が少なすぎるのに支出が多すぎるため,予算(よさん)を均衡(きんこう)させる能力(のうりょく)を恒常的(こうじょうてき)に失(うしな)っていることにあるということです( "… but its constant underlying inability to balance its budget, because of too little income and too much expenditure." ).彼は過小収入(かしょう しゅうにゅう)の原因(げんいん)はなんとか自立(じりつ)できる社会保障(しゃかい ほしょう)の費用負担(ひよう ふたん)などではなく( "The too little income he attributes not to the expense of Social Security, which pays its way, …" ),米国が数十年にわたり製造業(せいぞうぎょう)を低賃金(てい ちんぎん)の外国(がいこく))に外注(がい ちゅう)してきたため( "… but to decades of out-shoring America’s manufacturing to foreign lands with cheap labour, …" ),米国の消費者(しょうひしゃ)が貧(まず)しくなり,その結果(けっか)税収入(ぜい しゅうにゅう)が極度(きょくど)に落ち込(おちこん)んだためだと述べています( "… which has so impoverished American consumers that tax revenues have severely dropped." ).彼はまた過剰支出(かじょう ししゅつ」の原因は,相次(あいつ)ぐ外国での戦争(せんそう)のため湯水(ゆみず)のように出て行った経費(けいひ)だと言っています( "Too much expenditure he attributes to the draining cost of one foreign war after another." ).したがって,彼は米国政府(べいこく せいふ)が危機(きき)を本当に解決(かいけつ)したければ失(うしな)われた仕事を自国に取り戻し(とりもどし),対外戦争(たいがい せんそう)を止(や)めなければならないと診断(しんだん)しています( "So he diagnoses that for the American government to solve its real crisis, the jobs must be brought home and the foreign wars stopped." ).だが,「そうした政策(せいさく)には強力(きょうりょく)に組織化(そしきか)された利害共有者(りがい きょうゆうしゃ)たち( "powerful organized interests" )が反対(はんたい)するため,議会(ぎかい)はそのいずれも実施(じっし)することはありません.」( "But “powerful organized interests oppose any such measures, and so Congress will do neither.” " )

     事実(じじつ),ロバーツ博士は「自分の意見(いけん)では,技術(ぎじゅつ)の馬鹿(ばか)げた使い方(つかい かた)が環境(かんきょう)を使い果(つかい は)たしているため,米国経済は今の形(かたち)では救(すく)いようがない」と付言(ふげん)しています( "In fact Dr Roberts adds that in his opinion the American economy cannot be salvaged in its present form because unwise use of technology is exhausting the environment. " ).その上,経済学者たちには「独自(どくじ)の発想(はっそう)を持つ能力(のうりょく)がなく」,さらに「選ばれた議員たちは自分の選挙運動(せんきょ うんどう)の費用(ひよう)を出してくれる私的利害共有者たち( "private interests" )に頼り切(たよりき)っている」ため,「現時点で最も起きそうな予測(よそく)は破たん(はたん)しかないようだ」と述べています( "Moreover economists being “incapable of original thought” and “elected representatives being dependent on the private interests that finance their election campaigns”, then “at this time collapse seems the most likely forecast.” " ).そして,彼はもし米国が進むべき進路(しんろ)を示すリーダーたちが現れれば,廃墟(はいきょ)のなかからなにかもっと賢明(けんめい)なものが生まれるだろう,と言います( "And there will only come something more intelligent from the ruins, he says, if there will be leaders to show the way. " ).

     ロバーツ博士はこのように暗(くら)い見通(みとお)しを描(えが)いていますが,彼の説(と)く常識と真実(じょうしき と しんじつ)は注目(ちゅうもく)に値(あたい)します( "The Doctor paints a dark picture, but its common sense and truth must be heeded." ).その常識とは,予算の大問題は収入の大幅増(おおはばぞう)もしくは経費(けいひ)の大幅削減(おおはば さくげん),あるいはその双方(そうほう)によって解決(かいけつ)すべきということです( "The common sense is that a major budget problem must be solved by a major increase in revenue or by a major cut in costs, or both." ).負債(ふさい)をさらに大きく増(ふ)やすことでは解決できません( "It cannot be solved by going into ever more colossal debt." ).博士が言う真実の一つは,常識を持たない経済学者(けいざい がくしゃ)たちの愚(おろ)かさです( "One truth he mentions is the foolishness of economists without common sense, …" ).たとえば,製造業(せいぞうぎょう)の仕事(しごと)は時代遅(じだい おく)れなので,外注(がいちゅう)に出してしかるべきといった彼らの言い分(いいぶん)です( "… for example their pretence that manufacturing jobs, being outmoded, might just as well be out-sourced." ).もう一つの真実は,米国を対外戦争に向かわせる「組織化された利害共有者(りがい きょうゆうしゃ)」と建前上(たてまえじょう)の民主的(みんしゅてき)な選挙(せんきょ)を支配(しはい)する「私的(してき)利害共有者たち」の存在(そんざい)です( "Another truth is the power of the “organized interests” that push for foreign wars, and of the “private interests” that control the supposedly democratic elections." ).

     だが,こうした利害共有者たちが米国経済を破たん(はたん)に追い込(おいこ)む動機(どうき)は一体(いったい)何(なん)でしょうか?( "But what motive can these interests have for wishing to drive the United States economy into collapse ? " ) NWOの代理人たちは,国家的同一性(こっかてき どういつせい)や誇(ほこ)り( "any national identity and pride" )を多少でも持つ米国やほかの西側諸国をぶち壊(こわ)し,NWOに吸収(きゅうしゅう)され易(やす)いようにするため懸命(けんめい)に働(はたら)いています( "Agents of the NWO are working hard to break down the United Sates and all Western nations with any national identity or pride, so that they will let themselves be the more easily absorbed into the NWO..経済学者たちは経済学派の中で愚か者扱い(おろかもの あつかい)され,選(えら)ばれた議員(ぎいん)たちは気前(きまえ)のいい報酬(ほうしゅう)を得(え)て自国を負債(ふさい)に陥(おとしい)れるようになります( "Economists will be made dumb in the Schools of Economics, and elected representatives will be handsomely paid to enmesh their countries in debt, …" ).なぜなら,聖書(せいしょ)には負債者(ふさいしゃ)は債権者の僕(しもべ)ないしは奴隷(どれい)になると書いてあります( "… because Scripture says that the debtor makes himself servant, or slave, of the creditor. " ).このようにして,西側の諸政府が抱(かか)える問題は意図的(いとてき)に解決不能(かいけつ ふのう)とされ,奴隷(どれい)にされた国民の気を第三(3)次世界大戦(せかい たいせん)でそらせようとする誘惑(ゆうわく)がしまいには抑(おさ)えがたいようになるでしょう( "Thus the problem of Western governments is being made deliberately so insoluble that the temptation to distract the enslaved peoples with World War III will eventually become irresistible. " ).そうした誘惑は最近シリア侵攻(しんこう)の一件でなんとか抑え込(おさえこ)まれたばかりではないですか?( "Was it not only just resisted in the recent push for the attack on Syria ? " )カトリック信徒のみなさん,ロバーツ博士がいま存在して欲しいと願う指導者(しどうしゃ)たちに,明日(あす)あなたたち自身(じしん)がならなければなりません( "Catholics, you are going to have to be tomorrow those leaders that Dr Roberts hopes for today." ).あなたたちだけが全体像(ぜんたいぞう)をつかんでいるのです.学(まな)び,そして祈(いの)ってください.( "Only you have the complete picture. Study and pray." )

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教



* * *

2013年11月12日火曜日

330 ファティマ異論 11/9

エレイソン・コメンツ 第330回 (2013年11月9日)

     20世紀初(はじ)めに,神は確(たし)かに二つの大きな光明(こうみょう)を現代世界(げんだい せかい)に与(あた)えられました:( "At the outset of the 20th century surely God gave to the modern world two great lights: " ) すなわち,ひとつは,理論(りろん)に関(かん)するもので,1907年に教皇ピオ10世を通(とお)して主観主義(しゅかん しゅぎ)の主要(しゅよう)な誤(あやま)りを咎(とが)めるために出された Encyclical Pascendi (回勅〈かいちょく〉パッシェンディ)です(訳注・フルタイトル: Pascendi Dominici Gregis 「主の群れを牧(ぼく)せよ」)( "for theory, through Pius X, the Encyclical Pascendi in 1907, to denounce the key error of subjectivism; …" ) (訳注後記1). もうひとつは,実践(じっせん)に関するもので,1917年に神の御母(かみの おんはは)(=聖母マリア)を通(とお)して共産主義(きょうさん しゅぎ)という恐(おそ)ろしい災難(さいなん)に対する治療薬(ちりょうやく)として出された(訳注・聖母マリアの)ファティマ御出現(ごしゅつげん)です ( "… for practice, through his Mother, the apparitions of Fatima in 1917, to provide a remedy for the monstrous plague of Communism." )(訳注後記2). だが,悪魔(あくま)は Pascendi から人々の注意(ちゅうい)を逸(そ)らし,ファティマの信憑性(しんぴょうせい)を貶(おとし)めようと,あれこれ異論(いろん)を持ち出(もちだ)します( "But the Devil deflects attention from Pascendi, and raises a series of objections to discredit Fatima." ).主な異論の中から以下に何点か示します:-- ( "Here are a few of the main objections:-- " )

     * 聖母マリアが20世紀後半に第三次世界大戦が始まると言われたとするファティマ秘密の3番目 (訳注・=「第3の秘密」) についてのオッタビアーニ枢機卿(すうききょう)の解釈(かいしゃく)を私たちはどうして真剣(しんけん)に受け取れるだろうか? 2000年はすでに来て過ぎ去(すぎさ)ってしまったが,第三次世界大戦など起(お)きなかった. ( * How can we take seriously Cardinal Ottaviani’s version of the third part of the Fatima Secret when supposedly Our Lady says there that a third World war will start in the latter part of the 20th century ? The year 2000 has come and gone, and there has been no third World War.)    ファティマ秘密の第2と第3には興味深(きょうみ ぶか)い類似点(るいじてん)があります ( "There is an interesting parallel here between the second and third parts of the Secret of Fatima." ). 第2の部分で聖母マリアは次期(じき)教皇(きょうこう)の時代(じだい)に第一次世界大戦よりひどい戦争(せんそう)が始まると言われました.当時の次期教皇とはピオ11世のことです ( "In the second part Our Lady said that a worse war than WW I would start under the reign of the next Pope, which was Pius XI." ). だが,ピオ11世は1939年春に亡くなられ,第二次世界大戦が布告(ふこく)されたのは同年秋(あき)で,その時点ではピオ12世が教皇でした( "Yet Pius XI died in the spring of 1939 and WW II was only declared in the autumn when Pius XII was Pope. " ). 聖母マリアが暦(こよみ)を間違(まちが)われたのでしょうか? そうではありません.聖母マリアは外見(がいけん)でなく現実(げんじつ)を基準(きじゅん)に話(はな)されただけです ( "Did Our Lady get her calendar wrong ? No, she was simply going by the reality instead of by the appearances." ). 現実に第二次世界大戦が始まったのは1938年です.この年,スターリンはヒトラーとの間(あいだ)に条約(じょうやく)を結(むす)ぶ決定(けってい)をしようとしていました.彼はヒトラーが西部戦線(せいぶ せんせん)で開戦(かいせん)するよう仕向(しむ)けるのが目的(もくてき)でした ( "In reality WW II started in 1938 when Stalin was deciding to make a pact with Hitler so as to liberate Hitler to make war on his western front." ). 2000年5月の神学校長(しんがっこうちょう)の書簡(しょかん)(eleisonkommentar.blogspot,comに掲載〈けいさい〉)に,この第二次世界大戦の本当の始まり(ほんとうの はじまり)についての興味(きょうみ)をそそる話がありますのでお読みください ( "See in the May, 2000, Rector’s Letter (on eleisonkommentar.blogspot,com) the whole fascinating story of this real start to WW II." )(訳注後記3). ところで,オッタビアーニ枢機卿(すうききょう)(訳注後記4) による「第3の秘密」の解釈の真偽(しんぎ)がどうあれ,第三次世界大戦は1991年の最初のイラク侵攻(しんこう)により2000年以前に始まったというのが実態(じったい)ではないでしょうか? ( "Now whether or not the Ottaviani version is or is not the true “Third Secret”, may the reality not be that WW III began in the Middle East before the year 2000, for instance with the first invasion of Iraq in 1991 ? " ) 物事(ものごと)はすべて外見通(がいけんどお)りとは限(かぎ)りません( "Things are not always how they appear." ).

     *第二次世界大戦ではドレスデン,東京,長崎に対しぞっとするような空襲が行われた.ここで新しいこととは何か? ( * In WW II we saw horrific bombings of Dresden, Tokyo, Nagasaki. What will be new here ? )     第二次世界大戦中の死者数合計(ししゃすう ごうけい)は数億(すうおく)という中(なか)から,普通は約6,600万人と見なされています( "Total WW II deaths are reckoned usually at some 66 million, in the tens of millions." ).聖母マリアが,ファティマだけでなく,ほかでも発せられた諸々(もろもろ)の警告(けいこく)を正(ただ)しく読(よ)めば( "If one reads rightly several warnings of Our Lady, and not only in Fatima, …" ),第二次世界大戦と(訳注・人類による「神と神の掟(おきて)に対する反逆(はんぎゃく)」という重い罪〈おもい つみ〉に対する)神の懲罰(ちょうばつ)による犠牲者数(ぎせいしゃ すう)は数千億(すうせんおく)とみられ,百倍(ひゃくばい)を超(こ)えます( "… casualties from WW III and the Chastisement will be reckoned in the thousands of millions. Of the order of 100 times worse." ).

     *だが,私たちの時代に見られる精神的懲罰(せいしんてきちょうばつ)よりひどい物質的懲罰(ぶっしつてきちょうばつ)などあるだろうか? ( * But what material Chastisement could be worse than the spiritual chastisement of our own days? )     まさしく,アダムとイブの原罪(げんざい)以降(いこう)では,第二バチカン公会議が人類史上(じんるい しじょう)で最悪(さいあく)の災難(さいなん)です( "True, next after the Fall of Adam and Eve, Vatican II was the worst disaster in all the history of mankind." ).ただし,多数(たすう)の人々(ひとびと)はそれを大いなる解放(おおいなる かいほう)と見ています ( "Yet the mass of men see it as a great liberation." ). 棒(ぼう)や石(いし)で打(う)たれれば骨が折(ほねがお)れてしまうが,言葉(ことば)が私を傷(きず)つけることはない」というのは古(ふる)くからある諺(ことわざ)です ( " “Sticks and stones will break my bones, but words will never hurt me,” is the old saying." ). 精神的懲罰(せいしんてき ちょうばつ)そのものは,より大きな意味(いみ)をもつでしょうが,われわれ人間を分(わ)からせるのは物質的(ぶっしつてき)なものです (マテオ聖福音書9章6節,およびヨハネ聖福音書20償27節を参照)( "Spiritual punishments are in themselves much greater, but it takes material things for us men to understand (cf. Mt. IX, 6, and Jn. XX, 27)." )(訳注後記5).

     *ファティマの聖母はもし教皇が何らかの奉献を執り行えば平和の時期が来ると約束された.歴代の教皇たちはそうした奉献を何度か執り行ったが,私たちに平和をもたらしていない. ( *Our Lady of Fatima promised a period of peace if the Pope performed a certain consecration. Popes since then have performed several such consecrations, but we have had no peace. )     たしかに,聖母マリアのお告げに従った奉献(ほうけん)( "consecration" )が何度か行(おこな)われてきましたが,彼女が求(もと)めた通(とお)りの奉献はまだ実現(じつげん)していません: ( "True, there have been several consecrations inspired no doubt by Our Lady of Fatima, but never yet exactly as she required: … " ) 聖母マリアがお求めになったのは,教皇(ご自身の手)により,ロシアを,彼女(=聖母マリア)の汚れなき御心(けがれなき みこころ)( "Immaculate Heart" )に,全世界の司教たちが一体(いったい)となって(=ローマ司教たる教皇を含〈ふく〉む)世界中のカトリック司教たちが一致団結〈いっちだんけつ〉して)奉献(ほうけん)することです( "… by the Pope, of Russia, to her Immaculate Heart, in union with all the bishops of the world." ).これまでは,常(つね)にこの4条件(じょうけん)のどれかが欠(か)けていました( "One or other of these four conditions has always been lacking." ).

     *ファティマの聖母は「諸国(しょこく)が滅(ほろ)ぼされる」,「平和の時期(へいわの じき)が来る(くる)」と私たちに告(つ)げられた.私たちは第二次世界大戦で諸国が滅びて,平和の時期が1950年代に訪(おとず)れたのを目撃(もくげき)した.聖母の預言(せいぼの よげん)は実際(じっさい)に起(お)きた. ( *Our Lady of Fatima told us of “nations being annihilated” and of “a period of peace”. We saw nations annihilated in WW II, and a period of peace in the 1950’s. Her prophecies have happened. )    第二次世界大戦以降,どの国々が滅びたままになっているでしょうか?( "What nations have remained annihilated since WW II, …" ) そして,1950年代の冷戦期間中(れいせん きかん ちゅう)に世界がどれほど平和だったというのでしょうか?( "… and just how much peace was there in the Cold War of the 1950’s ? " ) ファティマの聖母はすでに起(お)きたことよりもっと大きな出来事(できごと)について話(はな)されたのです( "Our Lady of Fatima spoke of far greater events than have yet happened." ).

     イエズスの聖心(みこころ)よ,私たちに御慈悲(ごじひ)をお与(あた)えください(=われらを憐れみ給え〈われらを あわれみたまえ〉)( "Sacred Heart of Jesus, have mercy upon us." ). (聖母)マリアの汚れなき御心(けがれなき みこころ)よ,どうぞ私たちのために神に取り成して(とりなして)ください.( "Immaculate Heart of Mary, intercede for us." = マリアの汚れなき御心よ,われらのために祈り給え.) (訳注後記6)

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教


* * *





* * *
訳注を追補いたします.
* * *

2013年11月3日日曜日

329 ご支援ください 11/2

エレイソン・コメンツ 第329回 (2013年11月2日)

     過去(かこ)20年間,私は聖ピオ十世会( "the Society of St Pius X" = SSPX )がいずれ破(は)たんするかもしれないと定期的(ていきてき)に言い続(いいつづ)けてきました.私の同僚(どうりょう)たちは,私がそういうことを言うのを決して好(この)みませんでした.また,一部の人たちの考えとは正反対(せいはんたい)に,私自身はそういうことを言って楽しいと思(おも)ったこともありません.だが, SSPX は確かに破たんしそうになっています.一読者が最近私にある引用文(いんようぶん)を送ってくださいました.その引用は私が1984年に授品式(じゅひんしき)(訳注後記1)でおこなった説教(せっきょう)から抜き出(ぬきだ)したものです.むろん私は自分が説教で述(の)べたことなどすっかり忘(わす)れていました(以下は私の説教の内容(ないよう)です):--

     「教会の始まり(きょうかいの はじまり)には,戦(たたか)うイエズス・キリストは従者(じゅうしゃ)たちをカタコンブとそこでの迫害(はくがい)から表(おもて)の場(ば)に導き出(みちびき だ)しました( " “At the beginning of the Church Militant Jesus Christ led his followers through the catacombs and persecution out into the open, …" ).教会の終わり(きょうかいの おわり)には,戦(たたか)うイエズス・キリストは従者(じゅうしゃ)たちを表の場(おもての ば)のテントでの迫害(はくがい)から再(ふたた)びカタコンブへ導(みちび)くでしょう( "… and at the end of the Church Militant He may well lead them from the tent in the open field through persecution back to the catacombs. " ).もし,それが起(お)きて私たちがカタコンブへ着(つ)いたとしても,私たちの多(おお)くにとっては,そこで SSPX と共(とも)にというのでなく, SSPX なしでやっていくことになるかもしれません(…)( "… If it comes to that, and if we make it to the catacombs, for many of us it will certainly not have been without the Society but back in the catacombs we may have to do without the Society (…). " ). 親愛(しんあい)なる神学生(しんがくせい)の皆(みな)さん! 私は折に触れて(おりにふれて)告(つ)げるでしょう (…)( "Dear seminarians ! Regularly I tell them (…) that …" ) 全世界(ぜんせかい)が皆さんに敵対(てきたい)していること; 全世界がたちまち破滅(はめつ)すること; SSPX はあっけなく滅(ほろ)びること; 将来(しょうらい)は真っ暗(まっくら)で,たとえいま暗闇(くらやみ)でなくても先行(さきゆ)きは悲観的(ひかんてき)であることを( "… the whole world is against them; that the whole world is going to hell in a hand-basket; that the Society of St. Pius X could easily perish; that the future is dark and where there is no gloom it is full of doom. " ). 皆さんお分(わ)かりでしょうか,私は確信(かくしん)します.もし私の恐ろしい予感(おそろしい よかん)が実際(じっさい)に起(お)きたら,神学生の皆さんたちはきっと驚(おどろ)いて喜(よろこ)ぶことになるだろう,と! ( "Do you know, I do believe that if any of my dire forebodings actually came true, seminarians would be pleasantly surprised !” " )」

     私がいま SSPX に対(たい)する「抵抗運動(ていこう うんどう)」の中(なか)になにを見(み)ているとお考(かんが)えでしょうか? ( "And what do I think I see now in the “Resistance” ?" )  それは,第二バチカン公会議の廃墟から現れ出た伝統派の生存者たち( "the remnant of Traditionalists" )の中から,喜び溢れるカトリック教徒が苦しみ悶え(くるしみ もだ)えながらも着実(ちゃくじつ)に出現(しゅつげん)することです( "The painful but steady emergence of the joyful remnant of Catholics from the remnant of Traditionalists who emerged from the ruins of Vatican II." ). SSPX の機構(きこう)や神学校(しんがっこう)に取って代(とって か)わるものを創り出(つくり だ)す必要性(ひつよう せい)について私をその気(き)にさせる材料(ざいりょう)はまだ何(なに)もありません( "Nothing yet persuades me of the need for a structure or a seminary to replace those of the SSPX, …" ).だが,抵抗運動の歴史(れきし)はまだ始(はじ)まったばかりの段階(だんかい)です( "… but these are early days in the history of the Resistance." ).私がいま必要(ひつよう)と考(かんが)えるのはイングランドに抵抗運動の活動拠点(かつどう きょてん)を持(も)つことです.欧州(=ヨーロッパ)大陸(たいりく)からもロンドン近郊(きんこう)の諸空港(しょ くうこう)からもあまり離(はな)れていないところに抵抗運動の結束(けっそく)を固(かた)めるのに役立(やくだ)つ家屋(かおく)を持(も)ち ( "What I do think is needed is a base of Resistance operations in England, not far from the Continent nor from London airports, bricks and mortar to lend some solidity to the Resistance, …" ),たとえば司祭(しさい)たちがなんのプレッシャーも受けずに最低でも2,3日そこで過(す)ごし,今日(こんにち)の使徒的宣教 "apostolate" の職務(しょくむ)にともなう現実(げんじつ)の諸々の困難(もろもろの こんなん)から立ち直(たち なお)れるようにしたいのです( "… and to provide, for instance, a refuge where priests can recuperate for at least a few days, under no kind of pressure, from the real hardships of today’s apostolate." ).

     家屋(かおく)の選定(せんてい)はすでに終(お)わっており,物件(ぶっけん)は実在(じつざい)しています( "The house has been chosen, it does exist, …." ).私たちはその購入(こうにゅう)について合意(ごうい)し,支払(しはら)いに充(あ)てる寄付金(きふきん)が集(あつ)まりだしています( "… we have agreed to buy, and donations are coming in, …." ).だが,11月末(まつ・すえ)までに4万ポンド,12月中旬(ちゅうじゅん)までにさらに36万ポンドが必要です( "… but we do now need both £40,000 by the end of November and another £360,000 by mid-December. ." ).私はあれこれ約束(やくそく)ごとをするのは好(この)みませんが( "I do not like making promises, …." ),神の御助(おん たす)けを得(え)て,この先(さき)数年(すうねん)なにが起きても,カトリック信仰の擁護(ようご)を捨て去(すてさ)ることはないとお約束(やくそく)できます( "… but with the help of God I think I can promise not to abandon the defence of the Faith, whatever form that defence may take over the next several years. ." ).どうかご支援(しえん)ください( "Please help, ….そして明日(あす)になれば通貨価値(つうか かち)が暴落(ぼうらく)するかもしれない兆(きざ)しが見(み)える今日(こんにち),( "… and in today’s shadow of tomorrow’s collapse of currencies, …." ),天国(てんごく)が保証(ほしょう)する素晴(すば)らしい投資(とうし)をなさることをぜひお考(かんが)えください( "… do think of making a heavenly investment guaranteed by the whole host of Heaven. " ).ご寄付くださる皆様(みなさま)すべての方々(かたがた)の上(うえ)に神の御祝福(かみの おんしゅくふく)をお祈(いの)りします( "Bless you for any and all donations." ).ご寄付の支払方法(しはらい ほうほう)についての詳細(しょうさい)を以下(いか)にもう一度示(しめ)します.

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・N・ウィリアムソン司教



* いずれの通貨建て(つうか だて)でも,クレジットカードまたはデビットカードで振り込(ふりこ)まれる少額(しょうがく)の寄付金(きふきん)( "… small credit- or debit-card contributions" )は世界中(せかいじゅう)のどこからでも PayPal 経由(けいゆ)で私たちの手元(てもと)に簡単(かんたん)に届(とど)きます.( www.paypal.com/sendmoneyにアクセスし
buildingfund@stmarcelinitiative.com宛(あ)てにお送りください).

 ( " * In ANY CURRENCY small credit- or debit-card contributions from anywhere in the world can easily reach us via PayPal. ( Go to www.paypal.com/sendmoney and send the contribution to buildingfund@stmarcelinitiative.com ) " ).

***

* 英国ポンド建てで銀行手形(ぎんこうてがた,"banker’s draft" )もしくは小切手(こぎって,"checks" )により寄付される方は St Marcel Initiative, P.O. Box 423, Deal CT 14 4BF, England 宛てにお送りください.

( " * Contributions in POUNDS STERLING by banker’s draft or check should be made out and sent to the St Marcel Initiative, P.O. Box 423, Deal CT 14 4BF, England. " ).

***

* 米(べい)ドル建て銀行手形もしくは小切手による寄付も St Marcel Initiative に宛て, 9051 Watson Rd., Suite 279, Crestwood, MO 63126, USA へお送りください(米国からの寄付はしばらくして税金控除〈ぜいきん こうじょ〉の対象〈たいしょう〉となります).

( " * Banker’s drafts or checks in US DOLLARS should likewise be made out to St Marcel Initiative and sent to 9051 Watson Rd., Suite 279, Crestwood, MO 63126, USA (the US contributions will soon be tax-deductible). " ).

***

* ユーロ建て寄付は,小切手を “Institut Culturel St Benoit” 宛てにし, ICSB, BP 60232, F78002 Versailles Cedex, France へお送りください.

( " * In EUROS, checks made out to “Institut Culturel St Benoît” should be posted to ICSB, BP 60232, F78002 Versailles Cedex, France. " ).

ユーロ建て寄付金について,フランス国内(こくない)からの場合は, RIB - 20041 01012 6704 141J033 09 へ,フランス国外(こくがい)からの場合は, the International Bank Account Number IBAN - FR85 2004 1010 1267 0414 1J03 309 へ, BIC – PSSTFRPPSCE を書き加える(かきくわえる)ことで,電信送金(でんしん そうきん)が可能(かのう)です.

( "Euros can also be sent by wire transfer from inside France to RIB - 20041 01012 6704 149J033 09; from outside France to the International Bank Account Number IBAN - FR85 2004 1010 1267 0414 9J03 309, with BIC – PSSTFRPPSCE" ).

***

*その他の電信送金の場合は,buildingfund@dinoscopus.org へEメールで詳細(しょうさい)をお問い合わせ(おといあわせ)ください.米国内(べいこくない)からの場合は,www.stmarcelinitiative.com. の "e-check/bank wire" をご利用いただければ便利(べんり)です.

( " * For other bank wire transfers, please write to us for details at buildingfund@dinoscopus.org , or, in the USA, use the convenient “e-check/bank wire” form at www.stmarcelinitiative.com. ).



***



第1パラグラフの訳注1:

「授品式〈じゅひんしき〉」( = "ordinatio" )と「叙階式」(=「聖別式」)( = "consecratio" )について.


・カトリック司教(しきょう)が男子修道士に司祭の品級の秘蹟を授ける式(しさいの ひんきゅうの ひせきを さずける しき)の呼称(こしょう).

・現在,司教に叙(じょ)する場合も司祭に叙する場合も総じて「叙階式〈じょかいしき〉」と呼(よ)ばれるが,

・かつての日本においては伝統的(にほんに おいては でんとう てき)に,前者のみを,「叙階式」(=「聖別式」)( = "consecratio" )と呼称した.

・司祭の品級の秘蹟を授ける式については,「授品式」と呼称した.


* * *