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2014年7月12日土曜日

365 合意達成 7/12

エレイソン・コメンツ 第365回 (2014年7月12日)

     昨年(さくねん)12月13日(じゅうにがつ じゅうさんにち),教皇フランシスコが住む(きょうこう ふらんしすこが すむ)ローマの聖マルタ・ハウス(ろーまの せい まるた はうす)( "St Martha's House" )で教皇と聖ピオ十世会(せい ぴお じゅっせい かい)総長(そうちょう)( "Superior General of the Society of St Pius X" )フェレー( "Bishop Fellay" )が短時間会いました(たんじかん あいました)( "On December 13 of last year, in St Martha's House in Rome where the Pope is currently living, the Pope met briefly with Bishop Fellay, Superior General of the Society of St Pius X." ). SSPX は公式(こうしき)には,この会見(かいけん)が重要な意味を持つ(じゅうような いみを もつ)ものではないとの立場を取って(たちばを とって)います.だが,ローマ教皇庁(ろーま きょうこう ちょう)( "Rome" )(以下「ローマ」と記す〈しるす〉.)の運営(うんえい)に詳(くわ)しいイタリア人解説者のジャコモ・デボート( "Giacomo Devoto (G.D.)" )という人物(以下,G. D. と記す.)(いたりあじん かいせつしゃの じゃこも・でぼーと という じんぶつ)はこの会見はローマと SSPX との間に合意が達成(あいだに ごういが たっせい)されたことを示す証拠(しめす しょうこ)だと主張(しゅちょう)しています( "The Society officially denies that the meeting had any significance, but an Italian commentator having some familiarity with how Rome operates, one Giacomo Devoto (G.D.), argues that the meeting was proof that a Rome-SSPX agreement has been reached." ).読者の皆さん(どくしゃのみなさん) は http://www.unavox.it/ArtDiversi/DIV812_Devoto_Notizia_intrigante.html
をお読(よ)みください.以下はその要点(いかは その ようてん)です:-- ( "See
http://www.unavox.it/ArtDiversi/DIV812_Devoto_Notizia_intrigante.html.
In brief : -- " )

     12月13日の午前(ごぜん),フェレー司教と SSPX 本部(ほんぶ)の二人の補佐官(ふたりの ほさかん)がバチカンで エックレ-ジア・デイ( "Ecclesia Dei" )(=神の教会〈かみのきょうかい〉) 委員会( "the Ecclesia Dei Commission" )の代表者(えっくれーじあ・でい いいんかいの だいひょうしゃ)たちと会見(かいけん)しました.会見はローマと SSPX との間の問題含みの関係を処理(あいだの もんだいふくみの かんけいを しょり)させるべく教皇フランシスコが同(どう)委員会に復職(ふくしょく)させたモンシニョール・グイード・ポッツォ(もんしにょーる・ぐいーど・ぽっつぉ)( "Monsignor (Msgr.) Guido Pozzo" )(Catholic prelate〈カトリック司祭・神学者〈かとりっく しさい・しんがくしゃ〉〉)の招請(しょうへい)で開(ひら)かれたものでした( "On the morning of the 13th Bishop Fellay and his two Assistants at the head of the SSPX met in the Vatican with the heads of the Ecclesia Dei Commission at the invitation of Monsignor Guido Pozzo, restored to the Commission by Pope Francis to deal with the problematic relations between Rome and the SSPX." )(訳注・"Monsignor" 「モンシニョール」はローマ教皇庁の司教補佐以上〈しきょう ほさ いじょう〉の高位聖職者に対する尊称〈たいする そんしょう〉.またその尊称を許〈ゆる〉された人物〈じんぶつ〉に対する尊称). SSPX の公式機関誌(こうしき きかんし) DICI (= Documentation Information Catholiques Internationales) は,この会見はまったく「非公式(ひこうしき)」なものだったと伝(つた)えています.しかし, G. D. は会見がたとえ非公式だったにせよ,2012年6月(にせん じゅうにねん ろくがつ)に正式に決裂(せいしきに けつれつ)したローマと SSPX の関係修復(かんけい しゅうふく)のための密かな接触(ひそかな せっしょく)が事前に何回か行われ(じぜんに なんかいか おこなわれ)ていなければ実現(じつげん)しなかっただろうと言(い)っています( "An official publication of the SSPX, DICI, claims that this meeting was merely “informal”, but G.D. says that even being informal it cannot have taken place without there having been beforehand a series of discreet contacts to repair the public breach of relations in June of 2012. " ).彼はさらに,この会合は「正式(せいしき)な」会合を開(ひら)くために必要な準備の一環(ひつような じゅんびの いっかん)だったと述(の)べています( "Also, says G.D., such a meeting is the necessary preliminary to any “formal” meeting." ).

     いずれにせよ,この会合の後(あと),モンシニョール・ポッツォ,ディ・ノイア大司教(でぃのいあ だいしきょう)( "Msgr. di Noia" )と SSPX の3名の指導者(さんめいの しどうしゃ)たちは教皇フランシスコがたまたま昼食(ちゅうしょく)をとっていた聖マルタ・ハウス(せい まるた はうす)へ足を運び(あしを はこび)ました( "In any case after that meeting Msgr. Pozzo, Msgr. di Noia and the three heads of the SSPX repaired to St Martha's House where the Pope also happened to be lunching." ).教皇が食事を終え立ち上がった(しょくじを おえ たちあがった)ときフェレー司教が教皇のもとに歩み寄り(あゆみ より),二人は公衆の面前で言葉を交わし(ふたりは こうしゅうの めんぜんで ことばを かわし),フェレー司教は教皇の指輪に接吻(ゆびわに せっぷん)しました(ローマの バチカン・インサイダー 誌〈ばちかん・いんさいだー し〉はフェレー司教が教皇の祝福を受ける〈しゅくふくを うける〉ためひざまずいたと伝〈つた〉えています)( "When the Pope stood up after the meal to leave, Bishop Fellay went over to him, they exchanged a few words in public view and the Bishop kissed the Pope's ring (or knelt down for his blessing, according to Rome's Vatican Insider)." ). DICI はここでも,二人の出会いは偶然(ふたりの であいは ぐうぜん)なもので単に挨拶を交わした(たんに あいさつを かわした)だけだと,その意義を最小限(いぎを さいしょうげん)にとどめようとしています( "DICI again minimised the encounter as nothing more than a chance meeting with a spontaneous exchange of courtesies." ).これとは反対(はんたい)に, G. D. は,それがたとえ「偶然(ぐうぜん)」な出会いだったとしても,教皇が事前に承知(じぜんに しょうち)して許可を与えて(きょかを あたえて)いなかったら実現(じつげん)しなかったと述(の)べています( "On the contrary G.D. reasonably maintains that even such a “chance” encounter cannot have taken place without the Pope's previous knowledge and approval." ).

     G.D. はさらに,外交(がいこう)におけるそうした会見は座を和やか(ざを なごやか)にするよう緻密に計算(めんみつに けいさん)されたもので,解釈に幅(かいしゃくに はば)があり,その持つ意味の大小(もつ いみの だいしょう)は各自(かくじ)の意(い)のままだと言(い)っています( "Moreover, says G.D., in the art of diplomacy such a meeting is a finely calculated ice-breaker, of elastic interpretation, designed to mean as much or as little as one wants." ).一方(いっぽう)で,挨拶を交わしただけの出会い(あいさつを かわした だけの であい)は新教会( "Newchurch" )の要人(ようじん)たちが頻繁に出入りする場所(ひんぱんに でいり する ばしょ)で公の目に触れる(おおやけの めに ふれる)ように行われた(おこなわれた)もので( "On the one hand the courteous contact was there for all to see in a public place frequented by important Newchurch officials, …" ),その日の午前中に開かれた SSPX と エックレ-ジア・デイ 委員会代表者の会合で話し合われた内容(はなし あわれた ないよう)を教皇が支持(きょうこうが しじ)したものだと解釈(かいしゃく)できるでしょう( "… and it could be seen as papal support of whatever had gone on at the morning's meeting with the Commission." ).他方(たほう),教皇庁も SSPX も共(とも)に出会い(であい)には挨拶を交わす以上の深い意味(あいさつを かわす いじょうの ふかい いみ)はなかったと尤も(もっとも)らしく主張(しゅちょう)できます( "On the other hand both Rome and the SSPX could plausibly deny that the encounter had any real significance beyond an exchange of courtesies." ).

     かくして,新年早々(しんねん そうそう)に噂が広がり始めた(うわさが ひろがり はじめた)とき, SSPX はすでに数か月前(すうかげつ まえ)からローマとSSPXの合意などまったく問題になっていないと言い張って(いいはって)きたわけです( "Thus when rumours began to circulate in the new year, for months the SSPX denied that there was any question of a Rome-SSPX agreement." ). DICI が教皇とフェレィ司教の接触(せっしょく)があったことを認めた(みとめた)のは今年の5月10日(ことしの ごがつ とおか)のことです( "Only on May 10 did DICI admit that there had been any contact at all between the Pope and Bishop Fellay, …" ).しかも,その際(さい) DICI が二人(ふたり)の出会い(であい)をあまりにも過少(かしょう)に扱(あつか)ったため, G. D. は逆(ぎゃく)にそれがローマと SSPX の間に密か(ひそか)に合意が達成されていることを示す確かな証拠(しめす たしかな しょうこ)だと解釈しているのです( "… and then DICI so minimised the event that G.D. takes it as a sure sign that an agreement has been reached in private. " )(現代政治の世界〈げんだいせいじの せかい〉では,公式な否定がない限り〈こうしきな ひていが ないかぎり〉何も確かと受け取れ〈なにも たしかと うけとれ〉ないという皮肉な言い方〈ひにくな いいかた〉が行き渡って〈ゆき わたって〉います)( " (In modern politics, as the cynical saying goes, nothing can be taken as true until it is officially denied.) " ).

     事実(じじつ),教皇フランシスコとフェレー司教にとって,主要な問題(しゅような もんだい)は彼らが共に望む合意(かれらが ともに のぞむ ごうい)をいかに達成(たっせい)するかではなく,双方に存在(そうほうに そんざい)する右派,左派(うは,さは)にいかにして合意を受け入れ(うけいれ)させるかです( "In fact the main problem, for Pope Francis as for Bishop Fellay, is not how to come to an agreement which they both want, but how to get their left and right wings respectively to accept an agreement. " ).だが,問題は日々解決(ひび かいけつ)されつつあります.かつて信仰擁護で輝いて(しんこう ようごで かがやいて)いた SSPX が恥ずべき新協会(はずべき しん きょうかい)( "Newsociety" )に変(か)わってきているからです( "However, the problem is being solved for them day by day as the Society, once glorious for its defence of the Faith, becomes the inglorious Newsociety. " ).実際(じっさい)のところ,新協会( "the Newsociety" )が新教会(しん きょうかい)( "Newchurch" )にとっていまだに脅威(きょうい)だと受け止め(うけとめ)ている新教会派司教が何人(しんきょうかいは しきょうが なんにん)いるでしょうか?( "For indeed how many Newchurch bishops can still be fearing the Newsociety as a threat to their Newchurch ? " )そしてローマとの合意が最悪の事態(さいあくの じたい)だといまだに信(しん)じている SSPX の司祭(しさい)たちが何人いるでしょうか? とりわけ,合意ができても「あなたたちは何も変える必要(なにも かえる ひつよう)はない」と約束(やくそく)されているとすれば?です( "And how many SSPX priests are still convinced that any agreement with Rome would be a disaster, especially if they are promised that “they will need to change nothing” ? " ).そのような合意など公表(こうひょう)するまでもないでしょう.それはすでに心の中では達成(こころの なかでは たっせい)されているわけですから( "Such an agreement will hardly need to be announced. In minds and hearts it is already here." ).

     キリエ・エレイソン.


     ローマと SSPX の接触は静かに進む
     (ろーまと えす えす ぴー えくす のせっしょくは しずかに すすむ)
     ( "With Rome, Society contacts quietly flow." )


     反目はやがて遠い過去のものとなるだろう
     (はんもくは やがて とおい かこの ものと なる だろう)
     ( "All enmity will soon be long ago." )



     リチャード・ウィリアムソン司教




* * *

(注:本投稿記事〈第365回エレイソン・コメンツ〉は2014年8月26日23:41に公開されました.)

2013年2月23日土曜日

292 嫌がらせ屋ディ・ノイア 2/16

エレイソン・コメンツ 第292回 (2013年2月16日)

二か月前,ローマ教皇庁(訳注・以下,「ローマ」)エックレジア・デイ委員会( "Rome's Pontifical Commission Ecclesia Dei" )(訳注・ "Ecclesia Dei" とは「神の教会」の意.)の副委員長( "Vice-president" )が聖ピオ十世会( "the Society of St. Pius X" (以下,「SSPX」,「同会」 )総長( "Superior General" )と同会の全司祭宛(あ)てに数ページにおよぶ書簡(しょかん)を送りました.これはインターネット上でアクセスできます.教皇庁スポークスマンのロンバルディ神父( "Fr. Lombardi" )は同書簡(以下,単に「書簡」と記す.)を「私的な呼びかけ」( "personal appeal" )だと称(しょう)しました ( "Two months ago the Vice-president of Rome’s Pontifical Commission Ecclesia Dei addressed to the Superior General of the Society of St Pius X and to all its priests a letter of several pages, accessible on the Internet, which Fr. Lombardi as spokesman for the Holy See called a “personal appeal”. " ). 書簡は以来(いらい)様々なコメントを呼び起こしてきました.この書簡が SSPX をひざまずかせ,第二バチカン公会議革命に対する同会の40年にわたる抵抗に終止符を打とうとする教皇庁の最新の動きであることは明らかです( "The letter has been raising comments ever since. It is clearly the latest move in Rome’s campaign to bring the SSPX to heel, and put an end to its 40-year resistance to the Conciliar Revolution. " ). デ・ガラレータ司教( "Bishop de Galarreta" )が2011年10月に述べておられるように,たとえ SSPX がローマの申し出を断っても,ローマは SSPX に働きかけ続けるでしょう.私もその通りだと思います( "As Bishop de Galarreta said in October of 2011, even if the SSPX turns down Rome’s offers, still Rome will keep coming back. Sure enough. " ). だが,ここではディ・ノイア大司教( "Archbishop Di Noia" =訳注:教皇庁エックレジア・デイ委員会副委員長を指す )が「閣下および親愛なる SSPX 司祭兄弟会ご同輩の皆様」( "Your Excellency and dear Priestly Brothers of the SSPX" )に何を伝えようとしているかについて少し考えてみましょう ( "But let us see briefly what Archbishop Di Noia has to say to “Your Excellency and dear Priestly Brothers of the Society of St Pius X”: -- " ):--

彼は書簡の最初の部分で,SSPXの指導者たち,とりわけシュミットベルガー(シュミットベルゲル)神父 ( "Fr. Schmidberger" ),フリューガー(フリューゲル)神父 ( "Fr. Pfluger" ),フェレイ司教( "Bishop Fellay" )(書簡に述べられた順番どおり)を名指(なざ)し,ローマにきわめて批判的なインタビューをしたことで SSPX が本当にローマとの和解を望んでいるかどうかに疑問(ぎもん)を抱(いだ)かせたことを戒(いまし)めています( "He begins by admonishing Society leaders, notably Fr Schmidberger, Fr Pfluger and Bishop Fellay (in that order) for giving interviews so critical of Rome as to call in question whether the SSPX really wants reconciliation with Rome. " ).その上で, SSPX とローマとの間の教理上の違いがかつてなかったほど解決困難になっていると指摘し,結束(けっそく)に焦点(しょうてん)を絞(しぼ)った新(あら)たなアプローチを呼びかけています( "Moreover, doctrinal differences are as intractable as ever between the SSPX and Rome. So he calls for a new approach, focusing on unity instead. " ).

書簡は続けて次のように述べています.教会の結束は四つの悪徳により妨(さまた)げられ,これとは反対の謙遜(けんそん),温厚(おんこう),忍耐,慈愛(じあい)の四つの美徳により促進(そくしん)される ( "Church unity is hindered by four vices and promoted by the four opposing virtues of humility, mildness, patience and charity." ). 教会の分裂を図(はか)る者たちは神の敵である.愛こそが私たちの必要としているものだ.したがって,「辛辣(しんらつ)かつ非生産的な言葉」は捨て去るべきだ( "Dividers of the Church are enemies of God. All we need is love. Away then with “harsh and unproductive rhetoric”." ). SSPX 所属の聖職者たちは司祭たちを育成するという天賦(てんぷ)の能力を十分に果たせばよい.だが,彼らは公式の教導権( "Magisterium" )(訳注後記1)に従順で,論争でなくカトリック教信仰を説き,神学的な諸問題を未熟な一般信徒の前でなくローマの有能な当事者たちとの間で取り扱(あつか)うのでなくてはならない ( "Let the SSPX fulfil its charism of forming priests, but priests who will be docile to the official Magisterium, who will preach the Faith and not polemics, and who will treat theological problems not in front of untrained layfolk but with the competent authorities in Rome." ). (ローマ)教皇( "The Pope" )こそがそのような難しい諸問題に判断を下す最高判事である.結論を言えば,教皇ベネディクト16世は是非(ぜひ)とも和解をお望みである.敵意は癒(いや)されなければならない.私たちの主イエズス・キリストのお言葉どおり「彼らを一つにさせたまえ」である.(ディ・ノイア大司教の書簡の結び.)(訳注後記2)( "The Pope is the supreme judge of such difficult questions. In conclusion, Benedict XVI does want reconciliation. Bitterness must be healed. In Our Lord’s words, “Let them be one.” (End of the Archbishop’s letter.) " )

ちなみに,近代人・現代人,近代・現代主義者たち(=モダニストたち)の典型として,同大司教がいかに教理上の本質的な問題への言及(げんきゅう)を避けているかに注目してください.もっとも,彼の書簡の主たる関心事はほかにあります( "Notice in passing how, typically for modern man and for modernists, the Archbishop brackets out the essential question of doctrine, but this letter’s main interest lies elsewhere : …" ). ディ・ノイア大司教が SSPX 本部(以下, "SSPX HQ",または「同本部」)(訳注・"HQ" = "headquarter"(=本部)の略) と事前の示し合わせもせずに, SSPX の全司祭宛てに書簡を送ることなどありうるでしょうか ( "… how could the Archbishop have dared to address it to all SSPX priests without prior collusion with SSPX HQ ? " )? 彼にとっては,その書簡を SSPX の全司祭に宛てることこそが目的を果たすことだったのです ( "It served him by forwarding the letter to all SSPX priests ! " )! 一般に公開されていませんが,ローマと SSPX HQ の間の接触を示す事象(じしょう)が多々(たた)あり,今回の書簡はその中の一つです( "Here is one indication amongst many others that there are contacts between Rome and SSPX HQ that are kept from public view. " ). だが,ここでひとつ疑問が生じます. SSPX HQ がこの近代・現代主義者(=モダニスト)の大司教に同会の全司祭に対するそのような特権的かつ危険なアクセス("such privileged and dangerous access")を認めた動機は何でしょうか( "But the question then arises, what motive can SSPX HQ have had to give to the modernist Archbishop such privileged and dangerous access to all SSPX priests ? " )? 同本部はその所属の司祭全員が近代・現代主義者になることを望んでいるのでしょうか? 決してそんなことはありません! だが,同本部が「和解」へ向けてローマの手助けをしようと望んだことは十分考えられます( "Does it want them to become modernists also ? Surely not ! But it may well want to help Rome towards “reconciliation”." ).

SSPX HQ はディ・ノイア大司教の愛情あふれる呼びかけを伝えることで,SSPX 所属の司祭全員にその甘いメッセージを理解させ,しかも同本部自体が態度を軟化させたとの非難を誰からも受けずに済むのです( "By transmitting the Archbishop’s loving appeal, SSPX HQ gets the sweet message through to all SSPX priests without anybody being able to accuse HQ itself of going soft." ).それどころか,このローマ人の書簡はローマ人たちがいかに彼らに優しいかを分からせます( "On the contrary, the Roman letter makes them all see how nice the Romans are." ).同書簡が SSPX の指導者たちの厳しい言い方をやんわり咎(とが)めているのは確かですが,そのことは彼ら SSPX の指導者たちがカトリック信仰を固く守ろうとしていることを示すのに役立つだけのことです( "True, there is a gentle rebuke to the SSPX leaders for not being nice, but that will serve to show how these are standing firm in defence of the Faith ! " )! 何にもまして,書簡は SSPX の司祭たちの諸々の反応( "reactions" )を試(ため)す観測気球(かんそくききゅう)の役割を果たしたでしょう.司祭たちはいま何を考えているでしょうか( "Above all, the letter will have served as a trial balloon, to test the priests’ reactions. What are they thinking ? " )? ローマとメンツィンゲン( "Menzingen" =訳注: SSPX HQ の所在地)はどの時点で「和解」へ進むかを計算する必要があります.大多数の司祭たちを伴(ともな)って進むか,多くの司祭たちを置き去(ざ)りにして新世界秩序宗教( "the New World Order religion" )に対する組織的抵抗が続くことがないようにするにはどうすればいいか,といった計算です( "Both Rome and Menzingen need to calculate at what point to go ahead with a “reconciliation” such as will carry with it a large majority of the priests, and not alienate so many that organized resistance to the New World Order religion will continue. " ).

親愛なる SSPX の司祭のみなさん,生きたまま新秩序ローマに飲み込まれたくなければ,私は皆さんが反撃する( "react" )よう,そっとアドバイスします( "Dear SSPX priests, if you do not want to be swallowed alive by New Order Rome, I gently advise you to react. " ).あなたたちの上司たちに,自(みずか)らが良いと思う程度に慎重(しんちょう)に,だが曖昧(あいまい)でない言い方で( "but in no uncertain terms" ),ただ一事(いちじ)を除(のぞ)いて(=ただ一事以外に)望むことは外(ほか)に何一つないこと,すなわち公会議派ローマが公会議路線をはっきりと捨てるまでは,そことは無関係のままでいたいと望んでいることだけを知らせることです( "Let your Superiors know, as discretely as you like but in no uncertain terms, that you want nothing, but nothing, to do with Conciliar Rome, until it clearly abandons the Council. " ).

キリエ・エレイソン.

リチャード・ウィリアムソン司教


* * *


第3パラグラフの先の訳注:
教導権( "Magisterium" )についての簡単な概説

・ローマ・カトリック教会が真理を教える権威と権限を「教導権(きょうどうけん)」という. 特にカトリック教会の諸々の司教,また教皇によって行使される.

・英語で " Magisterium, the Office of Master (= teacher) ", また,"Magistère de l'Église catholique"(フランス語),"Magistero della Chiesa cattolica"(イタリア語)など.
19世紀半ばのラテン語 "Magister" に由来(ゆらい)する.

・この「教導権」は全宇宙を超えたものであり(何故なら,宇宙も神の創造された被造物の一つだからである),すなわち神とともに世の初めから存在する. したがって,宇宙・地球に限定して存在するあらゆる人間社会は,宇宙を超越した存在たる真の神の下に服すべき存在である.

・したがって,このカトリック教会の「教導権」以外のあらゆる地上の「教え導く権威」はすべて,いかなる国・いかなる個人・団体のものであっても,超宇宙的存在たるこの絶対の真理を教える唯一のカトリック教会の「教導権」の下に服すべきものとされる.

・カトリック教会は唯一の真の神の御子イエズス・キリストによって建てられ,そのキリストの代理者・後継者は,キリストに後継を委託された使徒 "Apostol" 聖ペトロの後継者たるローマ教皇である.

・キリストは「王・大牧者」であり,カトリック教会の司教・教皇(=ローマの司教)は王たるキリストの「僕(しもべ)たる牧者」であり,全世界の「羊の群れ(カトリック教会の信者たち〈=キリストを信じる人たち,真理に従う人たち〉)」を養(やしな)う.

・世のすべては神の御子イエズス・キリストにあって創造され,キリストはその創造の初めから在られた.

・そして初めの人アダムとエワの堕落(だらく)により,すべての被造物が生来もつようになってしまった原罪の呪(のろ)いによって,神の生命の祝福から断絶させられてしまった世を救うため,キリストは救世主として世に下られ,生来恩寵に充ち満たされた無原罪のおとめマリアの御胎内に,聖霊によって宿られ,人間となってお生まれになり,世のあらゆる罪を担(にな)い,多くの苦しみを受け,十字架につけられて死に,復活されたことによって,「罪の支払う報酬」たる死に勝利され,世のあらゆる罪を贖(あがな)い,そうして世を救済し永遠の生命の祝福を回復して下さった王である.

・復活されたキリストへの信仰により,人の罪は,罪を犯したことのないキリストの尊い御血の犠牲により贖われ,罪の呪いから解放され,キリストと同じように,死後に新しい生命に復活することができる.

・すべての被造物は王たるキリストのもとに再び神の祝福に与(あずか)ることができるようになり,王キリストに従い,王キリストとともに世を支配し,キリストとともに永遠の神のもとに従い生きる.

・新しい世(神の都エルサレム)はキリストによる真の平和が永遠に支配する.

これがカトリック教の真理の教えの概説(がいせつ)である.

・上述のような理由から,神たるキリストの地上における代理者である教皇とカトリック教会は不可謬(ふかびゅう)・無謬(=「決して誤(あやま)ることがない,まちがうことがない」という意味)とされる ( "the infallible Sacred Magisterium", "the infallibility of the Catholic Church and the decrees of Popes" ).
(注・「謬(びゅう)」=あやまり,まちがい.地上のカトリック教会における個々の人間的なあやまりではなく,真理たる神のなさることにあやまりはあり得ない,という絶対真理のことを指している.
人間と異なり,神は全知全能で「無」から「有」を生み出すことさえお出来になる方だからである.)

・地上であらゆる国家・個人がそれぞれに限定された教えを説く「通常の」諸権威 "magisterium" に対して,カトリック教会とその諸司教,教皇が絶対の真理の教えを説く不 可謬の「教導権」"the infallible Sacred Magisterium" は「唯一異例・特別の」権威として,他 の諸々の「通常の」諸権威から分けられる.

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新約聖書・マテオによる聖福音書・第28章全章,特に16-20節を参照.
THE HOLY GOSPEL OF JESUS CHRIST, ACCORDING TO ST. MATTHEW XXVIII, 1-20 (16-20)
EVANGELIUM SECUNDUN MATTÆUM XXVIII, 1-20 (16-20)

第28章

復活(28・1-15)

『1 さて,安息日を終えて,週の始めの日の夜明けごろ,マグダラのマリアと*他のマリアは墓を訪れた.
"AND in the end of the sabbath, when it began to dawn towards the first day of the week, came Mary Magdalen and the other Mary, to see the sepulchre.

2 すると大地震が起こり,*主の天使が天から下って石をわきに転ばし,その上に座った.
And behold there was a great earthquake. For an angel of the Lord descended from heaven, and coming, rolled back the stone, and sat upon it.

3 その姿は稲妻(いなずま)のように輝(かがや)き,その服は雪のように白かった.
And his countenance was as lightning, and his raiment as snow.

4 番兵たちは恐れおののいて死人のようになった.
And for fear of him, the guards were struck with terror, and became as dead men.

5 そのとき天使は婦人たちに向かって言われた,「恐れるな.私はあなたたちが,十字架につけられたイエズスをさがしているのを知っている.
And the angel answering, said to the women: Fear not you; for I know that you seek Jesus who was crucified.

6 だがもうここにはましまさぬ.おことばどおり復活された.イエズスが納められたその場所を見に来るがよい.
He is not here, for he is risen, as he said. Come, and see the place where the Lord was laid.

7 それからすぐ弟子たちに知らせに行き,〈イエズスは死者の中からよみがえられた.みなに先立ってガリラヤに行かれるからそこで会える〉と言え.これが私の告げることのすべてだ」.
And going quickly, tell ye his disciples that he is risen: and behold he will go before you into Galilee; there you shall see him. Lo, I have foretold it to you.

8 婦人たちは恐れと同時に非常な喜びを感じ,すぐ墓を去って弟子たちに知らせに走った.
And they went out quickly from the sepulchre with fear and great joy, running to tell his disciples.

9 するとイエズスは彼女たちと出会い,「*あなたたちにあいさつする」と言われた.女たちは進み出て,足を抱いてひれ伏した.
And behold Jesus met them, saying: All hail. But they came up and took hold of his feet, and adored him.

10 *イエズスは言われた,「恐れることはない.兄弟たちにガリラヤに行けと知らせに行け.向こうで私に会えるだろう」.
Then Jesus said to them: Fear not. Go, tell my brethren that they go into Galilee, there they shall see me.

11 婦人たちが去ると,数人の番兵が町に行って,起こったことをすべて司祭長たちに告げた. Who when they were departed, behold some of the guards came into the city, and told the chief priests all things that had been done.

12 司祭長たちは長老と集まって協議し,兵卒たちに多くの金を与えて言い含めた,
And they being assembled together with the ancients, taking counsel, gave a great sum of money to the soldiers,

13 〈*あの男の弟子たちが夜中に来て,われわれの眠っている間に屍(しかばね)を盗んでいった〉と言え.
Saying: Say you, His disciples came by night, and stole him away when we were asleep.

14 これがもし総督の耳に入っても,われわれがなだめておまえたちには迷惑をかけぬ」.
And if the governor shall hear this, we will persuade him, and secure you.

15 兵卒たちは金をもらって,言い含められたとおりにしたので,この話はユダヤ人の間に言い広められ今日に至っている.
So they taking the money, did as they were taught: and this word was spread abroad among the Jews even unto this day.

使徒らの派遣 (28・16-20)

16 *ガリラヤに行った十一人の弟子は,イエズスが命令された山に登り,
And the eleven disciples went into Galilee, unto the mountain where Jesus had appointed them.

17 イエズスに会ってひれ伏した.けれども中には疑う者もあった.
And seeing them they adored: but some doubted.

18 イエズスは彼らに近づいて言われた,「私には天と地のいっさいの権威が与えられている.
And Jesus coming, spoke to them, saying: All power is given to me in heaven and in earth.

19 行け,諸国(しょこく)の民に教え,聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊(せいれい)の名によって洗礼(せんれい)を授(さず)け,
Going therefore, teach ye all nations; baptizing them in the name of the Father, and of the Son, and of the Holy Ghost.

20 *私が命じたことをすべて守るように教えよ.私は世の終わりまで常におまえたちとともにいる」.』
Teaching them to observe all things whatsoever I have commanded you: and behold I am with you all days, even to the consummation of the world."

(注釈)

第4部

イエズスの光栄 (28・1‐20)

復活(28・1-15)
1 ヤコボのマリア (マルコ16・1、ルカ24・10). このマリアは,葬(ほうむ)りの時にマグダラのマリアとともにいた.そして,27・56 にあるヤコボとヨゼフの母である.

2 天使が石を転ばしたとき,イエズスはもう復活していた.

9 ヨハネ20・14 の時の出現と同じらしい.

* 26・49 の注参照.

10 ルカやヨハネと異なり,マテオはユダヤでのイエズスの出現を記していない.マテオは出現を全部記(しる)す意図(いと)はなかった.

13 愚かな策略である.番兵がもし眠っていたならば,弟子たちがイエズスの屍(しかばね)を盗(ぬす)んだとどうしてわかったか.もし眠っていなかったとすれば,なぜむざむざ盗ませたか.

使徒らの派遣 (28・16-20)
16 使徒らはすぐガリラヤに行かず,一週間以上エルサレムにとどまって,そこで復活したイエズスの出現を見た (ヨハネ20・26).

20 キリスト紀元以後の歴史家が,すでに実現したと認めている尊い約束である.キリスト教会において生き,行い,勝利を得るのは,キリスト・イエズスである.


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第3パラグラフの後の訳注:
「私たちの主イエズス・キリストのお言葉どおり「彼らを一つにさせたまえ」である.(ディ・ノイア大司教の書簡の結び.)」から
「彼らを一つにさせたまえ」(神の御子・救世主イエズス・キリスト御自身のみことば)についての聖福音書からの引用.


新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第17章21節
THE HOLY GOSPEL OF JESUS CHRIST, ACCORDING TO ST. JOHN XVII, 21 (英語) EVANGELIUM SECUNDUM IOANNEM XVII, 21 (ラテン語)

『…父よ,あなたが私の中にましまし,私があなたの中にあるように,みなが一つになりますように.彼らも私たちにおいて一つになりますように.それは,あなたが私を遣(つか)わされたことを世に信じさせるためであります.…』

"… That they all may be one, as thou, Father, in me, and I in thee; that they also may be one in us; that the world may believe that thou hast sent me." "… ut omnes unum sint, sicut tu Pater in me, et ego in te, ut et ipsi in nobis unum sint: ut credat mundus, quia tu me misisti."


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ヨハネによる聖福音書:第17章全章を追記いたします.
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