2013年10月29日火曜日

328 衰退する聖ピオ十世会(SSPX) 10/26

エレイソン・コメンツ 第328回 (2013年10月26日)

     聖ピオ十世会( "the Society of St Pius X" = SSPX )がカトリック信仰を守ってきた輝(かがや)かしい40年に今日(こんにち)の状況下(じょうきょうか)で終止符(しゅうしふ)が打(う)たれようとしているのはなぜでしょうか ( "… why in today’s circumstances an end is now threatening the 40 glorious years of the defence of the Faith by the Society of St Pius X." ),神の栄光(かみの えいこう)のため,そして霊魂の救済(れいこんの きゅうさい)のため,その原因の究明(げんいんの きゅうめい)は避(さ)けて通(とお)れません( "For the glory of God and for the salvation of souls it is essential to diagnose …" ).この点(てん)で,最近(さいきん)書(か)かれた一本の記事(いっぽんの きじ)と一通の書簡(いっつうの しょかん)が役立(やくだ)つかもしれません:( "An article and a letter recently written may help in this respect: …" ).記事(きじ)は SSPX の衰退(すいたい)を分析(ぶんせき)したもので,書簡は SSPX の再興(さいこう)に一縷(いちる)の望(のぞ)みをかけたものです( "… an article analyzing the Society’s fall, and a letter with a note of hope as to how it may rise again." ).

     記事はフランス語で書かれており,インターネットに掲載(けいさい)されています( " “Un Évêque se lève” "〈=「一司教立ち上がる」の意〉をご覧ください)( ( "The article appeared in French on the Internet (see “Un Évêque se lève”)." ).記事の著者(ちょしゃ)は,現代の教育(げんだいの きょういく)における空想的理想主義(くうそうてき りそうしゅぎ)を現代の政治(せいじ)における同じく非現実的空想(ひげんじつてき くうそう)に対比(たいひ)した一冊の著書(いっさつの ちょしょ)を読んだ後(よんだ あと)で( "After reading a book on utopianism in modern education which compares it to the same unrealistic dreaming in modern politics, the article’s author …" ),六段階(ろく だんかい)のパターンが SSPX にも当てはまると気づいたそうです( "… found that the same pattern in six stages could be applied to the SSPX." ).はじめに,そのパターンとは次のようなものです:( "Firstly, the pattern: " )1 人間の性質(にんげんの せいしつ)をとがめることなく,折り合(おりあ)って行くべき既定事実(きてい じじつ)として受け止(うけと)めることを拒否(きょひ)すること( "1 A refusal of human nature as a given to be worked with, and not against." ).2 子供・大人をまったく新(あら)たに作り直す(つくり なおす)という空想を抱(いだ)くこと( "2 A dream of fabricating the child/man completely anew." ).3 家庭・社会(かてい・しゃかい)の自然な仕組み(しぜんなしくみ)を排除(はいじょ)すること( "3 The exclusion of natural structures of family/society." ).4 子供(こども)をまったく新しい社会を産み出す(うみだす)ように改造(かいぞう)すること( "4 The total re-fashioning of the child to generate a perfect new society." ).5 当初の意図(とうしょの いと)が良(よ)くても,これによって生(しょう)じる結果は惨憺(さんたん)たるものになる ( "5 The disastrous results, despite all the initial good intentions " ) -- 6 無知(むち)でひねくれた児童(じどう)が育(そだ)ち,社会は信仰(しんこう)を捨(す)て,神に戦(たたか)いを挑(いど)むようになる ( " -- 6 Ignorant and perverse children, and a society apostatising and making war on God." ).

     次に,このパターンを SSPX に当(あ)てはめます( "Secondly, the application to the SSPX: " ).1 カトリック教会の未曽有の危機という現実(みぞうの きき という げんじつ)を受け止(うけと)めることを拒否(きょひ)する( "1 Refusal of the reality of the unprecedented crisis in the Church. " ).2 第二バチカン公会議派教会と伝統派との間の和解(わかい)を夢見(ゆめみ)る( "2 Dream of fabricating a reconciliation between the Conciliar Church and Tradition..3 指導者(しどうしゃ)と導(みちび)かれる者( "leaders and led" )との間(あいだ)の自然な交流(しぜんな こうりゅう)を排除(はいじょ)する( "3 Exclusion of natural interaction between leaders and led. " ).4 そのような夢(ゆめ)を押し付(おしつ)けるためカトリック教の権威(けんい)を完全(かんぜん)に作り変(つくりか)える( "4 Total re-fashioning of Catholic authority to impose the dream." ).5 意図(いと)は敬虔(けいけん)なものであっても, SSPX のスターリン化(か)という惨憺(さんたん)たる結果(けっか)に終(お)わる -- 教育(きょういく),政治(せいじ), あるいはSSPX においてでさえ,夢見(ゆめみ)る者が変(か)わりようのない現実(げんじつ)に直面(ちょくめん)すると自分の持てる限(もてる かぎ)りの権力(けんりょく)を行使(こうし)して,その現実を押(お)しつぶそうとする -- こうなると,彼が抱く夢(いだく ゆめ)にはうんざりしたくなる( "5 Disastrous resulting Stalinization of the SSPX, despite all pious intentions -- in education, politics or the SSPX, when the dreamer confronts unyielding reality, he is liable to use all the force he has at his disposal to crush the reality -- his dream is so much more lovely. " ).6 闘争心(とうそうしん)を失(うしな)い,それが信仰(しんこう)の完全喪失(かんぜん そうしつ)につながる( " 6 Loss of fighting spirit, liable to lead to entire loss of Faith." ).

     上述(じょうじゅつ)の書簡(しょかん)は私の手元(てもと)にEメールで届いたものです( "The letter, reaching me by e-mail, …" ).内容(ないよう)は記事の分析(きじの ぶんせき)と同じようなものですが( "… follows the same general line of analysis, …" ),書簡は SSPX に一縷(いちる)の望(のぞ)みをかけています( "… but adds a note of hope." ).教皇フランシスコもフェレー司教もご承知(しょうち)のような人物ですから(二人とも夢想家〈むそうか〉だと付〈つ〉け加えます)( "Pope Francis and Bishop Fellay being who they are (both utopians, one might add), …" ),書簡の筆者はローマ教皇庁と SSPX との間になんらかの合意(ごうい)が生(う)まれるのは必至(ひっし)で,それに反対(はんたい)する者は潰(つぶ)されるだろうと考えます( "… the letter-writer thinks that a Rome-SSPX agreement is bound to come, and resistance to it will be crushed. " ).その結果, SSPX が崩壊(ほうかい)するとすれば( "If the SSPX thus falls, …" ),それは同会が一般信徒(いっぱん しんと)を過小評価(かしょう ひょうか)し,彼らの力(ちから)を借りて(かりて)王君(おうくん)キリストの社会統治(しゃかいとうち)( "the Social Reign of Christ the King" )をこの世の中に打ち立(うちた)てようとしなかったからだと,彼は考えています( "… he thinks it will have been by its under-estimating of the laity and by its under-employing of them to help establish in society the Social Reign of Christ the King. " ).彼はさらに, SSPX はもう一度(いちど)一般信徒(いっぱん しんと)とともに,その(=王キリストの)統治実現(とうち じつげん)に向(む)けて努力(どりょく)するということを再開・続行(さいかい・ぞっこう)すべきで(訳注・同会の今後の展望〈てんぼう〉の道を切り拓〈きりひら〉いてゆくためには)唯一つ(ただひとつ)その努力あるのみであり( "The SSPX need only pick up again with the laity to work for that Reign, …" ),そうすれば -- この部分(ぶぶん)が彼の望(のぞ)みを示(しめ)しています -- ( " …and -- here is the hopeful note --…" ) この数年間(すうねんかん),新秩序(しん ちつじょ)( "Novus Ordo" ), Ecclesia Dei (=「神の教会」の意)(訳注・"Ecclesia Dei" はヨハネ・パウロ2世が1988年に発令〈はつれい〉した使徒的書簡:自発教令(しとてきしょかん:じはつきょうれい)"Ecclesia Dei" のこと,またはローマ教皇庁・教理省の一委員会」のこと),Fransiscanns of the Immaculate (=「無原罪〈むげんざい〉の聖母のフランシスコ会修道士たち」の意)などといったものに悩(なや)まされながらも信仰を持ち続けてきたあらゆるカトリック教徒を再結集(さいけっしゅう)し強化(きょうか)することになるだろう( "… it will rally and strengthen all kinds of Catholics who have kept the Faith despite all they have suffered in recent years, coming from the Novus Ordo, from Ecclesia Dei, from Fransiscans of the Immaculate, or wherever." )と書いています.筆者は「 SSPX は同会に忠実(ちゅうじつ)な者(もの)たちの行動(こうどう)によって大混乱(だいこんらん)に陥(おちい)ることはないだろうし,むしろ逆(ぎゃく)の方向(ほうこう)に向(む)かうだろう」と結論(けつろん)づけています( "…Thus, concludes the letter-writer, “the SSPX by the action of those remaining faithful to it will not sink into chaos, quite the opposite.” " ).

     私としては,聖職権主義(一般信徒の軽視)(せいしょくけん しゅぎ〈いっぱんしんとのけいし〉)が SSPX の抱える問題(かかえる もんだい)の一面(いちめん)であることに同意(どうい)しますが,それが問題の根源(こんげん)だとは考(かんが)えません( "For myself, while I agree that clericalism ( undervaluing the laity ) has been one aspect of the problem of the SSPX, I do not think that it has been the root of the problem." ).根源はむしろ,世界中で神より人間に目を向けている実態(じったい)(旧約聖書エレミアの書・第17章5,7節 "Jer. XVII, 5, 7" を参照)(訳注後記1)と,その結果(けっか)として客観的(きゃっかんてき)な虚実(きょじつ),客観的な正悪(せいあく)の区別(くべつ)が失(うしな)われていることにあると考えます.こうした堕落(だらく)はなにも SSPX だけに限(かぎ)ったことではありません( "I think that the root has rather been today’s universal turning to man instead of God (cf. Jer. XVII, 5,7), a falling away by no means confined to the SSPX, with the consequent loss of objective truth and falsehood, objective right and wrong. " ).だが,私は将来(しょうらい)いつの日(ひ)か新教会と真実の教会(=伝統的公教会〈カトリック教会〉)( "the Newchurch and the Church" )の隅々(すみずみ)から真(まこと・しん)のカトリック教徒たちが集(あつ)まり,新しい同盟(どうめい)( "a new alliance" )を結成(けっせい)して( "… a new alliance being forged at some time in the future, …" ),カトリック教信仰を前進(ぜんしん)させることになるだろう( "…to carry forward the Catholic Faith…" )(新約聖書マテオ聖福音書・第19章30節 "Mt. XIX, 30" を参照)という筆者(ひっしゃ)の展望(てんぼう)には全面的(ぜんめんてき)に賛同(さんどう)します( "However, I do agree with the letter-writer’s vision of a new alliance being forged at some time in the future, of true Catholics from all corners of the Newchurch and the Church, to carry forward the Catholic Faith (cf.Mt.XIX, 30)." )(訳注後記2). SSPX が現在の諸問題(げんざいの しょもんだい)を振り払(ふりはら)い,その同盟の中で,主導的(しゅどうてき)な,というより,少(すこ)しでもましで,つつましやかな役割を果たす(やくわりを はたす)ようになることを,祈(いの)ります( "May the SSPX shake off its present problems to play a leading part, or, better, a humble part, in that alliance." ).

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教



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第5パラグラフの訳注1
旧約聖書エレミアの書・第17章5,7節 "Jer. XVII, 5, 7" (太字+下線部分)

神への信頼(17・5-8)

『*5 (主はおおせられる.)
人によりたのみ
肉を自分の腕とし
その心を主から遠ざける者はのろわれる
6 彼は,荒れ地のあざみのように,
よいものがきても,それを見ず,
荒野(あれの)の焼けた土地に,
人気のない塩地(しおち)に住んでいる.
*7 主によりたのむ者は幸せである
主は,彼の希望となられる
8 彼は,水のほとりに植えた木のように,
その根を川床(かわとこ)にのばし,
暑(あつ)さのときも恐(おそ)れなく,
その葉は緑のまま,
日照り(ひでり)の年も衰(おとろ)えず,
実を結び続(むすびつづ)ける.』

(注釈)

神への信頼(17・5-8)
ここは,知恵(ちえ)のことばを集めたものである.


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第5パラグラフの訳注2
新約聖書マテオ聖福音書・第19章30節 "Mt. XIX, 30" (太字+下線部分)

第19章 

結婚と独身(19・1-12)

『イエズスはこう話しおえてガリラヤを去り,*1 ヨルダンの向こうユダヤの地方に行かれた.
大ぜいの人々がついてきたので,その場でかれらを治された.
そのときファリサイ人が来て,イエズスを試みようとして,「何か理由があったら,人は自分の妻(つま)を去らせてよいのですか」と言った.
イエズスは答えられた,「あなたたちは読まなかったのか.はじめにすべてをつくられたお方が*4 人を男と女につくり,〈*5 そこで人は父母を離れてその妻と合い,二人は一体となる〉と言われたことを.*6 もう二人ではなく一体である.人は神が合わせられたものを離してはならぬ」.*7 彼らは「それならなぜモーゼは離縁状を書いて去らせよと命じたのですか」と尋(たず)ねた.「あなたたちの性質が強情(ごうじょう)だから,モーゼは妻を去らすことを許したのだ.だがはじめからそうではなかった.私は言う.同棲(どうせい)の場合は別だが,妻を去らせて他の女と結婚すると,その人は姦通者(かんつうしゃ)である」と答えられた.弟子たちはイエズスに,「妻に対する夫の立場が仰せのとおりなら,男は妻をめとらないほうがましです」と言った.そこで弟子たちに言われた,「みなにこのことばがわかるとは限らぬ.ただそれをわかる恵みを受けた者にだけわかる.つまり母の胎から去勢者として生まれた人があれば,他人の手で去勢された人もあり,また天の国のために自ら去勢した人もある.これを理解できるものは理解せよ」.』

(注釈)

結婚と独身(19・1-12) 〈旧約聖書〉
*1ペレアのこと.
*4創世の書1・27参照.
*5-6創世の書2・24参照.
*6 結婚の不解消性がはっきりと主張されている.
*7 第二法の書24・1参照.

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イエズスと子供(19・13-15)

『そのとき,按手(あんしゅ)して祈ってくださいと言って,人々が子どもを連れてきたが,弟子たちはそれを押しとどめた.イエズスは,「子どものするようにさせておけ.私のところに来るのを止めるな.天の国を受けるのはこのような者たちである」と言われ,彼らに按手してからここを去られた.』

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金持ちの若者(19・16-22)

『そのときある人が近づいて,「よき師よ,永遠の命(えいえんのいのち)を受けるために,私はどんなよいことをすればよいのでしょうか」と尋(たず)ねた.イエズスは,「なぜ私に,よいことについて尋ねるのか.*17 よいお方はただ一人である.命を受けたいのならおきてを守れ」と答えられた.その人が「どのおきてを」と言うと,イエズスは「〈殺すな〉〈姦淫するな〉〈盗むな〉〈偽証するな〉〈父母を敬え〉そして〈隣人(りんじん)を自分のように愛せよ〉これである」と答えられた.若者が「私は(小さい時から)それをみな守ってきました.その他に足りないことがあるでしょうか」と言ったので,イエズスは「もし完全になりたいなら,持ち物を売りに行き,貧しい人々に施(ほどこ)しをせよ.そうすれば天に宝を積(つ)む.それから私についてくるがよい」と言われた.このみことばを聞いて,若者は悲しそうに去っていった.彼は大金持(おおがねも)ちだったからである.』

(注釈)

金持ちの若者(19・16-22)
*17神のこと.
*18〈旧約〉脱出の書20・12-16,第二法の書5・16-20.
ファリサイ人,律法学士は,律法の六一三条を数えていたから,そのうちのどれを守ればよいかと若者は聞いた.
*19〈旧約〉レビの書19・18参照.

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弟子らの受ける報い(19・23-30)

『*23 イエズスは弟子たちに言われた,「まことに私はいう.金持ちは天の国に入(はい)りにくい.*24 またいう.金持ちが天の国に入るよりは,らくだが針の穴(はりのあな)を通るほうがやさしい」.弟子たちはこれを聞いて大いに驚(おどろ)き,「すると救われるのはどんな人ですか」と言った.イエズスは彼らをじっと見つめて,「それは人間にはできないことだ.だが神にできないことはない」と言われた.そのときペトロは言った,「ごらんのとおり,私たちはすべてを捨ててあなたに従(したが)いました.私たちは何を受けるでしょうか」.イエズスは答えられた,「まことに私は言う.世が改(あらた)まり,人の子(=イエズス)がその栄光の座につくとき,私に従ったあなたたちも十二の座につき,*28 イスラエルの十二族をさばくであろう.また,私の名のために,家,兄弟,姉妹,父,母,子,田畑を捨てる者は,その百倍のものを受け,永遠の命を受け継ぐ(うけつぐ).*30 だが先の者が後になり,後の者が先になることがある.』

(注釈)

弟子らの受ける報(むく)い(19・23-30)
*23-24 実際の貧(まず)しさは,完徳(かんとく)の理想(りそう)であって,単に勧(すす)めである(マテオ聖福音書5・3).
しかし心の貧しさはイエズスの弟子となりたい者への命令である.それゆえ富に執着(しゅうちゃく)する者は救われない.富はそのものとして悪いのではないが,悪い人間の手に富がゆだねられる時,災(わざわ)いの元となり,善い人間の手にわたれば,善業(ぜんぎょう)と功徳(くどく)の手段(しゅだん)となる.
*28 「イスラエルの十二族をさばく」
旧約聖書の用語で「さばく」は支配するという意味である.
「十二族」は新しいイスラエル,すなわち「教会」のことである.


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2013年10月25日金曜日

327 神を信じないフランシスコ 10/19

エレイソン・コメンツ 第327回 (2013年10月19日)

     カトリック教信仰の本当の意味を心にとどめ続けている信徒たちは,いまペトロ(=教皇)の座についている人物の言動に呆(あき)れ果てています( "Catholics who retain any real sense of their faith are being scandalized by the words and deeds of the man presently seated on the Chair of Peter." ).彼がその座にいるのはカトリック教会にわずかに残されているものを破壊するためではないかと疑(うたが)いたくなるほどです( "One almost wonders if he was put there to destroy what remains of the Catholic Church." ).彼は第二バチカン公会議から生まれた実の子(じつのこ)のように,神から離(はな)れ人間の方に向かって進んでいます( "Like a true child of Vatican II, he is turning away from God towards man." ).それを示す例として,教皇フランシスコが9月24日あるイタリアの新聞の無神論者の編集者とのインタビューで行った11のキーポイントとなる発言(はつげん)の中から最初の9か所(私が選び出したものではありません)をご紹介します( "Here for example are the first nine of eleven key quotes extracted (not by me) from an interview given by Francis on September 24 to the atheist editor of an Italian newspaper." ).

     引用(いんよう)のうち 2 から 5 までは教会にかかわるものです(私が要約したものです):( "Quotes 2 to 5 concern the Church (I summarize):  教会の運営管理(うんえい かんり)はもっと横割(よこ わ)りでなければならず,縦割(たて わ)りを減(へ)らさなくてはならない. "2 The Church administration must be more horizontal, less vertical." )  ローマ教皇庁は利己的過ぎる(りこてき すぎる).教皇庁はもっと人々に近づかなければならない. "3 The Roman Curia is too self-serving. It must go out to the people." )   教皇はお世辞(せじ)をいうご機嫌取(きげん と)りに取り囲(とりかこ)まれた王様(おうさま)であることを止(や)めなければならない.( "4 The Pope must no longer be a king surrounded by flattering courtiers." あまりにも多くの司祭たちは利己的で,キリスト教にとって障害(しょうがい)となっている. "5 Too many priests are self-serving, and obstacles to Christianity." )  この一連(いちれん)の発言は,公式教会からどう行動すべきか指図(さしず)されるのを好(この)ましいと感(かん)じたことのない現代(げんだい)の民主的大衆(みんしゅてき たいしゅう)を喜(よろこ)ばせるに違(ちが)いありませんが( "Now quotes like these will obviously please a modern democratic public that has never liked being told by the official Church what to do, …" ),それは果(は)たして教皇フランシスコ就任前(しゅうにん まえ)の1,900年間にわたり霊魂の救済(れいこんの きゅうさい)のため教会機構(きょうかい きこう)を維持し続(いじ しつづ)けてきた無数の歴代教皇 "Popes",歴世(れきせい)の教皇庁 "Curias",代々(世々〈よよ〉)の管理当局 "Administrations",司祭たち "Priests" に対し公明正大(こうめい せいだい)と言えるでしょうか?( "… but are these quotes fair or just towards the countless Popes, Curias, Administrations and Priests that went before Francis for 1900 years to maintain the structure of the Church for the salvation of souls ? " ) 逆(ぎゃく)に言えば,教皇フランシスコは退任後(たいにん ご)も教会機構が機能(きのう)し続け,霊魂が救済され続けるようにできるのでしょうか?( "Will Francis on the contrary leave any structure still standing, any souls saved, behind him ? " )

     引用の 1 と 6 は世界に関するものです:( "Quotes 1 and 6 concern the world: " ) 私が見守(みまも)るあいだ,教会が政治(せいじ)に口(くち)を挟(はさ)むことはないだろう. "1 On my watch the Church will stay out of politics." )  これは民主的な人々が自(みずか)ら地獄(じごく)に身を投(みを な)げるまま放置(ほうち)しようということでしょうか?( "To leave democratic men to throw themselves into Hell ? " )   今日,世界が直面(ちょくめん)する二つの最悪(さいあく)の問題は若者(わかもの)の失業(しつぎょう)と老齢者(ろうれいしゃ)の孤独(こどく)である. "6 The world’s two worst problems today are the unemployment of the young and the loneliness of the old." )   この二つが現実の人的(じんてき)問題であることは確(たし)かですが,これはどうして起(お)きたのでしょうか?( "Now these are two real human problems of today, but why ? " )  教皇フランシスコのような聖職者(せいしょく しゃ)たちがまさしく政治を政治屋たちに任(まか)せきり,若者たちの前にお金(かね)をばらまいたからではないのでしょうか?( "Is it not because churchmen like Francis leave, precisely, politics to the politicians, putting money in front of young people ? " ) 彼のような聖職者たちが家族(かぞく)を結束(けっそく)させ,家族が老人の面倒(めんどう)を見るという教会規範(きはん)の執行(しっこう)を拒(こば)んだからではないのでしょうか?( "And because churchmen like him refuse to enforce those Church laws which, by holding the family together, help it to look after old people ? " )

     引用の 7 から 9 までは宗教に関するものです:( "Quotes 7 to 9 concern religion: " ) イエズスは私たちに互(たが)いを愛するという唯一(ただ ひと)つの救済手段(きゅうさい しゅだん)を賜(たまわ)った ( "9 Jesus gave us only one way of salvation, love of one another." ).  しかし,神を愛(あい)さない隣人〈りんじん〉への愛を優先(ゆうせん)させることは隣人への憎(にく)しみに変(か)わります ( "But love of neighbour without love of God coming first turns into hatred of neighbour, …" ).その例は共産主義(きょうさん しゅぎ)です( "… for example Communism." ).  7a  「人々の改宗(かいしゅう)は無意味(むいみ)である ( "7a Converting people makes no sense." ). だがもし,現代(げんだい)で実際に起きて(じっさいに おきて)いるように,(訳注・世界のあらゆる)人々(ひとびと)が,神とその神聖な御子(=神の御子)( "God and in his Divine Son," ),イエズス・キリスト( "Jesus Christ" )を信じることなしには誰一人(だれひとり)決(けっ)して天国にたどり着(つ)くことができない(訳注・ということが真実である)とすれば,それ(=改宗)は非常(ひじょう)に理に適った(りに かなった)人生で最(もっと)も深い意味(ふかい いみ)をもつものです!( "It makes the greatest of sense, if, as is the case, nobody can get to Heaven without believing in God and in his Divine Son, Jesus Christ ! " )(訳注後記1)  7 b  私たちはすべて共(とも)に交(ま)じり合い,善 (ぜん)( "the Good" ) に向(む)かって互いに進(すす)まなければならない.( "7b "We must all mix together and move one another to the Good." "  だが,私たちが共に向かう対象(たいしょう)はでなければなりません( "But we must all move one another towards God." ) 善とは他に何があるのでしょうか?( "What else is the Good ? " ). 教皇フランシスコが神を口にしないとすれば誰が神を信じるでしょうか?( "If Francis will not mention God, who will believe in God ? " )

     引用 8 は最も憂慮(ゆうりょ)すべきものです. 8a 「私は神を信じるが,それはカトリック教の神ではない.カトリック教の神など存在しない」 ( "8a I believe in God, not in a Catholic God, there is no Catholic God. " ). これは極(きわ)めて人の心(ひとの こころ)を惑(まど)わす発言(はつげん)です ( "This is gravely misleading." ). 神が人類(じんるい)すべてにとっての神であることは事実(じじつ)です ( "True, God is the God of all men, …" ). が,神は人類すべてのために一つの宗教(しゅうきょう),唯一(ゆいいつ)の宗教を起(お)こされました ( "… but he instituted for all men one religion, and one religion only, …" ). それがカトリック宗教(=公教〈こうきょう〉) ( "… and that is the Catholic religion. " )です. したがって,カトリック教 "Catholicism" の(教える)神が唯一の真の神(ゆいいつの まことの かみ)です ( "Thus the God of Catholicism is the one and only true God." ).(訳注後記2)   8b 「イエズスは彼自身の顕現(けんげん)であり,私の師(し)であり,私の牧者(ぼくしゃ)であるが,しかし御父(おんちち)なる神,アッバが光であり創造主である」8b "Jesus is his incanation, my teacher and my pastor, but God the Father, Abba, is the light and the Creator." ).これも極(きわ)めて人の心を惑(まど)わす言葉(ことば)です ( "Also gravely misleading." ). 発言の中にある 「しかし」"but" ) は,イエズスが創造主(そうぞうしゅ)でないことを示唆(しさ)するのではないでしょうか?( "Does not that “but” suggest that Jesus is not the Creator ? " ) 教皇フランシスコはイエズスを単(たん)なる人間以上の存在と信じているのでしょうか?( "Does Francis believe that Jesus is anything more than just a man ? " )   8c 「人は誰でも善悪について自分なりの考えを持っており,自分の考えにしたがって善(ぜん)を追(お)い悪(あく)と戦(たたか)う選択(せんたく)をしなければならない」 ( "8c Everyone has his own idea of good and evil and must choose to follow the good and fight evil as he conceives them." ). これは少しも誤解(ごかい)を招(まね)くような発言ではありません ( "This is not misleading at all." ). これは,あらゆる客観的倫理観(きゃっかんてき りんりかん)の否定(ひてい),カトリック教倫理観の全原則(ぜん げんそく)の否定です ( "This is the denial of all objective morality, the denial of all principles of Catholic morality." ). すべての人々に好きなように行動しなさいという誘(いざな)いです ( "This is an invitation to all men to do as they like." ). この言葉があらゆる外見(がいけん)から見てカトリック教の教皇である人物から発(はっ)せられたのは,まったくの狂気(きょうき)としか言いようがありません ( "Coming from the man who is to all appearances the Catholic Pope, it is sheer insanity." ).

     教皇フランシスコは自分の言いたいことを現代人に分かってもらうように努(つと)めているのだと言うかもしれません( "Pope Francis may plead that he is trying to get through to modern man, …" ).だが,神を信じない人に分(わ)かってもらうのは,溺(おぼ)れている人を助(たす)けようとしてロープを川岸(かわぎし)に結(むす)びつけずに危険(きけん)な川に飛び込(とびこ)むようなものです( "… but to get through to him without God is just like jumping into a dangerous river to help a drowning man without a rope tied to the bank. " ).共に溺れ死んでしまうだけです( "One will only drown with him. " ).教皇聖下(せいか),あなたは人を助けるどころか,溺死(できし)させようとしています!( "Your Holiness, you are not helping but drowning ! " )

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教



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訳注を追加掲載いたします.

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2013年10月18日金曜日

326 エレイソン・コメンツ(第 326 回) の修正 10/16


ダイノスコプス管理者本部からの,以下のお知らせに基づき,
先週回のエレイソン・コメンツ (第 326 回) に掲載されている
Saint Marcel Initiative の宛て先住所の番地を修正いたしました. 
(石畳)

(英語原文)

Number (326) Correction  16 October 2013
---------------
Saint Marcel Initiative postal address correction

     Dear Friends,

     Last week’s Comments (#326) regrettably contained a mistake in the Saint Marcel Initiative address.

The CORRECT address is:
9051 Watson Rd., Suite 279, Crestwood, MO 63126, USA.
(This corrects the error, which showed 6051 as the street number.)

     We apologise for the confusion.

     Dinoscopus administrators.

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(和訳文)

エレイソン・コメンツ 第 326 回 修正 (2013年10月16日)
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Saint Marcel Initiative 宛て先(住所) 番地の修正

     親愛なる読者の皆様,

     先週回のエレイソン・コメンツ ( 第 326 回) (訳注・第4パラグラフ「*米(べい)ドル建て…」以下の部分)で残念ながら
Saint Marcel Initiative の宛て先(あてさき)に番地の誤記(ごき)がございました.

正確(せいかく)な宛て先は:
9051 Watson Rd., Suite 279, Crestwood, MO 63126, USA.
(これはこの宛て先の番地として, 6051 と誤(あやま)って表記(ひょうき)されていたものを修正するものです.)

     混乱を招きましたことをお詫(わ)び申し上げます.

     ダイノスコプス 管理者一同


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2013年10月12日土曜日

326 めでたい記念日 10/12

エレイソン・コメンツ 第326回 (2013年10月12日)

     ルフェーブル大司教( "Archbishop Lefebvre" )が何をなされたかを理解(りかい)しているカトリック信徒の皆さんすべてにとって良いニュースをお伝えします( "I have good news for all Catholics who understood what Archbishop Lefebvre was about." ).イングランド南東部(なんとうぶ)にある8寝室(しんしつ)の家屋(かおく)を購入(こうにゅう)する計画が進行中で,ここが聖ピオ十世会( "the Society of St Pius X" = SSPX )と無関係(むかんけい)に仕事(しごと)を続(つづ)けたいと願(ねが)う人たちなら誰でも使える作戦拠点(さくせん きょてん)になります( "An eight-bedroom house is being bought in south-east England to serve as a base of operations for anybody wishing to continue his work outside of the present SSPX" ).私は SSPX から除名(じょめい)されて丸1年(まるいちねん)のあいだ,少(すく)なくとも物質的(ぶっしつてき)には目立(めだ)たないように振る舞い(ふるまい), SSPX 内で事態(じたい)がどう進行しんこう)するか眺(なが)めてきました.だが,悲(かな)しいことに事態は少しも良(よ)くなっていません( "For a whole year since my “exclusion” from the SSPX I have lain low, at least physically speaking, to watch and wait to see how things would develop within the SSPX, but they are not getting any better, alas." ).      

     ルフェーブル大司教が生きておられたら,彼は第二公会議後(だいにこうかいぎ ご)のローマ(教皇庁〈きょうこうちょう〉)がカトリック教の感覚(かんかく)を取り戻す(とりもどす)ことで, SSPX が伝統(でんとう)を守り続ける(まもりつづける)必要(ひつよう)もなくなるだろうと願(ねが)われたことでしょう( "And so just as the Archbishop can only have wished that Conciliar Rome would come back to its Catholic senses so that there would be no further need for his Society to maintain Tradition, …" ).それと同(おな)じように,私たちも現在(げんざい)の SSPX 指導者(しどうしゃ)たちが大司教の考え方に立ち戻(たちもど)ってくれれば,彼らが固執(こしつ)する実質的(じっしつてき)公会議主義(こうかいぎ しゅぎ)に対して抵抗運動(ていこう うんどう)など続ける必要がなくなると願いたくなります( "… so too one might now wish that the present SSPX leaders would come back to the Archbishop’s way of thinking about Conciliar Rome, so that resistance to their virtual conciliarism would be unnecessary. " ).だが,願望(がんぼう)が現実(げんじつ)を消し去る(けしさる)ことはありません( "But wishes do not make reality go away, …" ).ここでいう現実とは,公会議派(は)のローマが頑(かたく)なに背教(はいきょう)を続けているように( "… and that reality is that just as Conciliar Rome is obdurate in its apostasy, …" ), SSPX 指導者たちが大司教の遺産いさん),すなわち真実に対する権威,を自分たちの好きなように解釈して自らの権威を推し進めることを止めようとしていないことです( "… so too the SSPX leaders have not stopped promoting their own authority to do what they like with the Archbishop’s legacy – authority over truth." )(訳注後記1).真実の教会の継続的業務(けいぞくてき ぎょうむ)のために家屋購入(かおく こうにゅう)が必要(ひつよう)となった( 訳注・直訳=れんがとモルタル(塗装剤〈とそうざい〉購入の必要性. "some bricks and mortar have become a necessity" )のはこうした理由によるものです( "That is why some bricks and mortar have become a necessity for the on-going service of the true Church." ).

     イングランド "England" に家屋(かおく)を購入(こうにゅう)するのは,私が外国人(がいこくじん)として退去処分(たいきょ しょぶん)されない唯一(ゆいいつ)の国(くに)がイングランドだからです( "The house is being bought in England because England is the only country that I cannot be thrown out of as a foreigner." ).対象(たいしょう)の家屋はイングランドにしては比較的(ひかくてき)気候(きこう)の穏(おだ)やかな南東部(なんとうぶ)のロンドンから急行列車(きゅうこう れっしゃ)でさほど(=左程・然程)離(はな)れていない町(まち)にあり,パリ "Paris" とブリュッセル "Brussels" から発車(はっしゃ)するユーロスター "Eurostar" 特急列車(とっきゅう れっしゃ)からのアクセスが容易(ようい)なところに位置(いち)しています( "It is in south-east England with a relatively gentle climate for England, in a town not too far by fast train from London, and of easy access by Eurostar from Paris and Brussels." ).美(うつく)しい海辺(うみべ)の町で,司祭(しさい)たちが訪(おとず)れ,緊張(きんちょう)をほぐし,(思慮分別〈しりょふんべつ〉をもって)話し合い(はなしあい),今日(こんにち)の困難(こんなん)な職務遂行(しょくむ すいこう)のためもう一度気を引き締める(きを ひきしめる)には快適(かいてき)な場所(ばしょ)です( "It is a picturesque town, and should be an agreeable place for priests to visit, to wind down, to talk (in all discretion), and to wind up again for today’s difficult apostolate." ).だが,家屋の購入には40万ポンド(40まんポンド)程度が必要で,その維持費(いじひ)は私が現在(げんざい)住(す)んでいて,どうしても必要(ひつよう)とはおもっていない質素(しっそ)な家(いえ)より多くかかります( "But it will cost more or less £400,000 to buy, and it will cost rather more to run than my present frugal way of life, for which I have not been in need and have hardly appealed." ).自(みずか)ら困窮(こんきゅう)している人たちは寄付(きふ)しようなどと考(かんが)えないでください(新約聖書・聖パウロによるコリントの信徒への書簡〈しょかん〉〈後書〉第8章12,13節〈 "II Cor. VIII, 12-13" 〉参照)( "Let people who are themselves in need not think of contributing (see II Cor.VIII, 12-13), …" ).だが,不安定(ふあんてい)な投資(とうし)を抱(かか)えた投資家(とうしか)たちは,株式市場(かぶしき しじょうが崩壊(ほうかい)し,今日(こんにち)の紙幣(しへい)がインフレで跡形(あとかた)もなくなる前に,ぜひその資金(しきん)を天国(てんごく)の完全に安全(かんぜんに あんぜん)な銀行口座(ぎんこう こうざ)に移(うつ)すようお考(かんが)えください( "… but let investors with fragile investments think of transferring funds to their completely secure bank accounts in Heaven before the stock markets collapse and before today’s paper monies are inflated out of all recognition." ).私は家屋購入額(かおくこうにゅう がく)の10パーセントを2か月以内(2かげつ いない)に,残(のこ)りをその後(ご)間もなく(まもなく)調達(ちょうたつ)しなければなりません( "I must find within two months or so a tenth of the sum, and the rest soon afterwards." ).

     * いずれの通貨建て(つうか だて)でも,クレジットカードまたはデビットカードで少額(しょうがく)の寄付(きふ)をなされる( "… small credit- or debit-card contributions" )方(かた)は世界中(せかいじゅう)のとこからでも PayPal 経由で私たちの手元(てもと)に簡単(かんたん)に届(とど)きます( www.paypal.com/sendmoney にアクセスし buildingfund@stmarcelinitiative.com. 宛(あ)てにお送(おく)りください) ( " * In ANY CURRENCY small credit- or debit-card contributions from anywhere in the world can easily reach us via PayPal. ( Go to www.paypal.com/sendmoney and send the contribution to buildingfund@stmarcelinitiative.com  ) " ). * 英国ポンド建てで銀行手形(ぎんこうてがた,"banker’s draft" )もしくは小切手(こぎって,"checks" )により寄付される方は St Marcel Initiative, P.O. Box 423, Deal CT 14 4BF, England に宛てにお送りください( " * Contributions in POUNDS STERLING by banker’s draft or check should be made out and sent to the St Marcel Initiative, P.O. Box 423, Deal CT 14 4BF, England. " ).* 米(べい)ドル建(だ)て銀行手形もしくは小切手による寄付も St Marcel Initiative に宛て, 9051 Watson Rd., Suite 279, Crestwood, MO 63126, USA へお送りください(米国からの寄付は即座〈そくざ〉に税金控除〈ぜいきん こうじょ〉の対象〈たいしょう〉となります)( " * Banker’s drafts or checks in US DOLLARS should likewise be made out to St Marcel Initiative and sent to 9051 Watson Rd., Suite 279, Crestwood, MO 63126, USA (the US contributions will soon be tax-deductible). " ).
(訳注・数字の修正…St Marcel Initiative 宛てのご寄付の宛先の番地を, 6051 〈誤〉から 9051 〈正〉に修正いたしました.
正しくは,9051 Watson Rd., Suite 279, Crestwood, MO 63126, USAです.
〈宛先の住所の番号が 6051 となっていたのは誤〈あやま〉りです.〉)      

     * ユーロ建て寄付の場合は,小切手を “Institut Culturel St Benoit” 宛てにし, ICSB, BP 60232, F78002 Versailles Cedex, France へお送りください( " * In EUROS, checks made out to “Institut Culturel St Benoît” should be posted to ICSB, BP 60232, F78002 Versailles Cedex, France. " ).ユーロ建て寄付金についてもフランス国内(こくない)からの場合, RIB - 20041 01012 6704 141J033 09 へ,フランス国外(こくがい)からの場合, the International Bank Account Number IBAN - FR85 2004 1010 1267 0414 1J03 309 へ, BIC – PSSTFRPPSCE を書き加えることで(かきくわえることで),電信送金(でんしん そうきん)が可能(かのう)です( "Euros can also be sent by wire transfer from inside France to RIB - 20041 01012 6704 149J033 09; from outside France to the International Bank Account Number IBAN - FR85 2004 1010 1267 0414 9J03 309, with BIC – PSSTFRPPSCE" ) *その他の電信送金の場合は,buildingfund@dinoscopus.org へEメール(電子〈でんし〉メール)で詳細(しょうさい)をお問い合わせ(おといあわせ)ください.米国内(べいこくない)からの場合は www.stmarcelinitiative.com の "e-check/bank wire" をご利用いただければ便利(べんり)です ( " * For other bank wire transfers, please write to us for details at buildingfund@dinoscopus.org, or, in the USA, use the convenient “e-check/bank wire” form at www.stmarcelinitiative.com . " ).      

     上記(じょうき)いずれの寄付の場合も “Building Fund” と印(しる)してください.あらゆるご支援(ごしえん)に対し前もってお礼を申し上げます( "Any contribution please mark “Building Fund”. Thank you in advance for all and any help. 
Kyrie eleison." ).      

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教


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第2パラグラフの訳注1:

「…SSPX 指導者たちが大司教の遺産,すなわち真実に対する権威,を自分たちの好きなように解釈して自らの権威を推し進めることを止めようとしていない…」
についての説明.

・SSPX の指導者たちは,「真実〈=真理〉」について,

・「独善的〈どくぜんてき〉〈=恣意的〈しいてき〉〉

・ご都合主義的〈ごつごうしゅぎてき〉 "opportunistic" に解釈(かいしゃく)された「偽(にせ)の権威主義(けんいしゅぎ)」により,

・「真実」とはその時々〈ときどき〉の時代〈じだい〉に合(あ)わせて変遷〈へんせん〉してゆく「一時的(いちじてき)」な存在であるという,捻じ曲〈ねじま〉げられた偽(いつわ)りの解釈〈かいしゃく〉に同調(どうちょう)し,

・永遠〈えいえん〉に不変〈ふへん〉かつ変更不可能〈へんこう ふかのう〉であるはずの「真実〈=真理〉」を「一時的(いちじてき)に存続するだけの限界〈げんかい〉ある偽〈にせ〉の権威〈けんい〉」によって支配(しはい)しようとしている).

・「真実」とは「神」のことで,いつの時代(じだい)にも変わらない永遠の存在(えいえんのそんざい)である.

・たとえば数学の法則「1+1」の解答は「2」ということが永遠に変わらない「不変の真理」であるように,「宇宙・地上のあらゆる原理・法則・自然」は,「神に創造され,神によって定められ」,

・「神そのものに等(ひと)しく,完全無欠な存在」である.また,「ことごとく神の御意志を反映して存在している.」

・したがってまた神と完全に調和した関係のもとに存在しており,一切の不完全・不調和・偶然(ぐうぜん)はそこに共存し得ない.

・この原理は真実であり,すなわち「事実・実存」であり,決して「迷信(めいしん)」や「(不確〈ふたし〉かな)宗教(しゅうきょう)」といって済ませられるような「幻想(げんそう)」や「錯覚(さっかく)」ではない.

・しっかりと現実に立つ人ならば,「カトリックの信仰」とは「迷信すなわち迷(まよ)った信心・よく判(わか)らない信心にふけること」では決してなく,

・真っ直ぐに「事実を認識し,現実 "Reality" をしっかりと冷静に見据(みす)えて,誤魔化(ごまか)すことなく,真の正義,善徳(=他者や自然と平和に共存すること)に従(したが)って,人生を真面目(まじめ)に生きて行くこと」であり,

・この真理は全宇宙・地上ともに共通の永遠の原理である.

・有限な人間が「永遠の神・神の摂理(せつり)"Providence" 」を変えようとしても,それは不可能なことである.

・「偽り」からあらゆる「不調和」「不和」が生まれる.

・「真実」を守らなければ,人間は誰でも,万事において,身も心も平穏無事(へいおんぶじ)に生きていくことができない.

・新約聖書・ヤコボの手紙:第3章13-18節,エフェゾの信徒への手紙:第4章1-6節を参照.


ヤコボの手紙:第3章13節-第5章20節

 『あなたたちの中に賢明(けんめい)なそして経験(けいけん)のある人がいるだろうか.その人はよい生活をし,知識(ちしき)と柔和(にゅうわ)をもってその業(わざ)を行っていることを示せ.しかし,心で苦々(にがにが)しい熱心と争(あらそ)いを好んでいるのなら,自(みずか)ら誇(ほこ)らず,また真理(しんり)に背(そむ)いて偽(いつわ)るな.その知識は上(うえ)(=天)から下(くだ)るものではなく,地上的(ちじょうてき)な情欲的(じょうよくてき)な悪魔的(あくまてき)なものである.ねたみと争いの心のあるところには乱(みだ)れとすべての悪(あく)がある.
 上からの知恵(ちえ)はまず清(きよ)いもの,そして平和(へいわ)な寛容(かんよう)な謙譲(けんじょう)なもの,あわれみと良い実(よいみ)に満(み)ち,人を差別(さべつ)せず,偽らないものである.義(=正義)の実は平和を行う人々のために,平和のうちにまかれるものである.

 あなたたちの中の戦争と争いはどこから来るのか.肢体(したい)の中で戦っている欲望(よくぼう)から出るのではないか.あなたたちが望(のぞ)んでも得(え)られず,ねたみそねんでも取(と)れず,戦い争っても何も得られないのは,求(もと)めないからである.
 あなたたちは求めても与えられない.快楽(かいらく)に費(つい)やすために悪い意向(わるい いこう)をもって求めるからである.

 姦通者(かんつうしゃ)(=神に不忠実な者)よ,あなたたちが世の友(よの とも)となるのは,神を敵(てき)にすることだと知らないのか.世の友となる者は,神の敵となる.「神は私たちに住(す)まわせた霊(れい)(=人間の心,霊魂〈れいこん〉のこと)をねたむほど愛される」と聖書にあるのはむなしいことばだと思うのか.
 しかし神はより豊(ゆた)かな恵(めぐ)みを下される.「神はおごる者に逆(さか)らい,へりくだる者を恵まれる」と聖書にある.だから,あなたたちは神に従(したが)い,悪魔に逆らえ.そうすれば悪魔はあなたたちから逃げ去(にげさ)る.神に近(ちか)づけ.そうすれば神はあなたたちに近づかれる.罪人よ,手を清(きよ)めよ.二心(ふたごころ)の者よ,心を清めよ.自分のみじめさを思い知れ,泣(な)け,うめきもだえよ.あなたたちの笑(わら)いを涙(なみだ)に,喜(よろこ)びを悲(かな)しみに変(か)えよ.主のみ前(みまえ)にへりくだれ.そうすれば主はあなたたちを高められる.

 兄弟たちよ,互いに悪口(あっこう)を言うな.兄弟をそしり兄弟をさばく者は,律法(りつぽう)をそしり律法をさばく者である.あなたが律法をさばくなら,あなたは律法の守り手(まもりて)ではなくさばく人である.しかし,立法者(りっぽうしゃ)と審判者(しんぱんしゃ)はただ一人,救(すく)うことも滅(ほろ)ぼすこともできるお方(=全能の神)である.すると隣人(りんじん)をさばこうとするあなたは何者か.

 「今日か明日,私たちはここの町へ行き,一年の間そこに滞在し,商売してもうけよう」と言う者よ,聞け.あなたたちは明日がどうなるかを知らない.あなたたちの命(いのち)とは何か.あなたたちはしばらく現(あらわ)れて瞬く間(またたく ま)に消える湯気(きえる ゆげ)である.むしろ,「主のみ旨(むね)なら私たちは生きて,あのこと このことをしよう」と言わねばならない.しかし今あなたたちは,思い上がり高ぶっている.だがそういう高ぶりがよくない.しなければならぬ善を知りながらそれをしない者は(神のみ前に)罪を犯したことになる.」

 さて富(と)む人々よ,あなたたちに降(ふ)りかかろうとする災難(さいなん)のために泣き叫(なきさけ)べ.あなたたちの富(とみ)は朽(く)ち,衣服(いふく)はむしばまれ,金銀は錆(さ)びた.その錆(さび)はあなたたちに対する訴え(うったえ)であり,あなたたちの肉を火(ひ)のように食い尽(くいつ)くすであろう.その火はあなたたちがこの最後の日々に蓄(たくわ)えたものである.畑(はたけ)を刈り入(かりい)れた働き人(はたらき びと)にあなたたちが払(はら)わなかった賃金(ちんぎん)は叫(さけ)び,刈り入れ人(かりいれ びと)の叫(さけ)びは万軍(ばんぐん)の主(しゅ)の御耳(おん みみ)に届(とど)いた.あなたたちはこの地上で楽しみ,快楽にふけり,ほふられる日に心を満足させた.あなたたちは義人(ぎじん)を罪に定めそして殺したが,彼はあなたたちに逆らわなかった.

 兄弟たちよ,主が来(こ)られるまで忍耐(にんたい)せよ.見よ,農夫(のうふ)は地の尊(とうと)い実を秋と春の雨が来るまで忍耐して待つ.あなたたちも忍耐し,心を固めよ.主が来られるのは近(ちか)い.兄弟たちよ,さばきを逃(のが)れたいのなら互いに不平(ふへい)を言うな.
 審判者は門(もん)の前に立たれる.兄弟たちよ,根気(こんき)と忍耐の模範(もはん)として,主のみ名によって話した預言者(よげんしゃ)たちを思(おも)え.私たちは苦(くる)しみを耐え忍(たえしの)んだ者を幸(さいわ)いな者と呼(よ)んでいる.あなたたちはヨブの忍耐を聞き,主が彼にどんな最後(さいご)を与(あた)えられたかを知(し)っている.主は慈悲(じひ)とあわれみに満(み)ちておられる.

 ともあれ兄弟たちよ,何よりも,天を指(さ)しても地を指してもあるいはその他のものを指しても誓(ちか)うな.あなたたちは「はい」を「はい」とし,「いいえ」を「いいえ」とせよ.そうすればさばかれない.

 あなたたちの中に苦(くる)しんでいる人がいるなら,その人は祈(いの)れ.喜(よろこ)んでいる人がいるなら,その人は賛美(さんび)を歌(うた)え.病気(びょうき)の人がいるなら,その人は教会の長老(ちょうろう)たちを呼(よ)べ.彼らは主のみ名によって(=キリストの命令(めいれい)と権威(けんい)によって)油(あぶら)(=終油の秘跡〈しゅうゆの ひせき〉=臨終〈りんじゅう〉に瀕〈ひん〉しているカトリック信者が受ける)をぬってから祈(いの)りをとなえる.  そして信仰(しんこう)による祈りは病気の人を救(すく)う.主は彼を立たせ,もし罪を犯しているなら,それをゆるされるであろう.互(たが)いに罪(つみ)を告白(こくはく)し,治(なお)されるために互いに祈れ.義人の熱心(ねっしん)な祈りがあれば効果(こうか)がある.(預言者)エリアは私たちと同じ人間であったが,雨(あめ)が降(ふ)らないように祈ったので,三年六か月の間地上に雨が降らなかった.そしてまた祈ったので,天は雨を与(あた)え地にはその実がみのった.

 兄弟たちよ,あなたたちの中に真理(しんり)から迷(まよ)った者がいて,ある人がそれを連(つ)れもどしたとしよう.一人の人を迷いの道(みち)から連れもどす人は,自分の霊魂(れいこん)を死(し)から救い,多くの罪を消(け)すことを知れ.』


(引き続き聖書を追補掲載いたします.)

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2013年10月5日土曜日

325 致命的な瞬間 10/5

エレイソン・コメンツ 第325回 (2013年10月5日)

     エレイソン・コメンツの読者の大半(たいはん)は聖ピオ十世会( "the Society of St Pius X" = SSPX )の信仰擁護(しんこう ようご)を麻痺(まひ)させつつある深刻な問題(しんこくな もんだい)について,おそらく十分(じゅうぶん)理解(りかい)しており,もっとほかの問題(もんだい)について書(か)いたものを読(よ)みたいと願(ねが)っておられるでしょう( "Most readers of these “Comments” have probably understood by now the grave problem that is paralysing the defence of the Faith by the Society of St Pius X, and they might rather read of other things." ).しかし,世界的な信仰喪失(しんこう そうしつ)が数百万(すうひゃくまん)の人々の心(こころ)の中に惹き起こした(ひきおこした)混乱(こんらん)はあまりにも深刻(しんこく)ですから,信仰の性質(せいしつ),信仰の必要性(ひつようせい),それがいかにして蝕(むしば)まれるかについて,どのように詳(くわ)しく分析(ぶんせき)しても行き過(ゆきす)ぎにならないだろうと私は考(かんが)えます( "But such is the mess created in millions of people’s minds by the global falling away from the Faith that I think one can hardly analyse too much today the nature of the Faith, the need of the Faith and how it gets undermined." ).私は SSPX の最近の不運(ふうん)や不品行(ふひんこう)の数々(かずかず)( "misfortunes or misdemeanours" )について,くどくど繰り返(くりかえ)したいとはおもいませんが,同会が昨年(さくねん)行(おこな)ったことの中(なか)から,ひとつだけ例(れい)を取り出し(とりだし),それについて述(の)べさせてください( "Let me then, without wishing to harp on the SSPX’s recent misfortunes or misdemeanours, borrow one more example from its history of last year." ).

     2012年7月の SSPX 総会(そうかい)は,その直後(ちょくご)に多数の出席者(たすうの しゅっせきしゃ)からその数か月前(すうかげつ まえ)まで続(つづ)いた同会の困窮(こんきゅう),緊張(きんちょう)を乗り越えた(のりこえた)勝利(しょうり)だと高(たか)く評価(ひょうか)されました( "The Society’s General Chapter of July, 2012, was hailed immediately afterwards by many of its participants as a triumph of Society unity over the distress and tensions of the several previous months." ).だが,その後(ご),総会についての覚めた(さめた)見方(みかた)が直後(ちょくご)の高揚感(こうようかん)に取って代わり(とって かわり),いまでは多くの出席者は総会が SSPX にとって災難(さいなん)だったと見ています( "Since that time however, a more sober view of the Chapter has taken over from the euphoria, and a number of those who took part in it see it rather as having been a disaster for the Society." ).出席者(しゅっせきしゃ)たちは今では降伏者(こうふくしゃ)たち "capitulants" と呼ばれるようになっていますが,その一人は,SSPX の39名の指導的司祭(しどうてき しさい)(私自身は含〈ふく〉まれていません)たちが,まさしく第二バチカン公会議での多数のカトリック司祭と同じように,信仰教理(しんこう きょうり)(=カトリック信仰の教理)より自分たちの会とその上層部(じょうそう ぶ)を優先(ゆうせん)した( "put their own Society and Superiors in front of the doctrine of the Faith",=自分たちの会とその上層部をカトリック信仰の前に置〈お〉いた" ことが会にとって一致命的(いち ちめいてき)瞬間(しゅんかん)( "one fatal moment" )だったと言葉で描写(びょうしゃ)(=説明〈せつめい〉)しています( "One of the participants, or capitulants as they are called, has described one fatal moment when the Society’s leading 39 priests (myself excluded) put their own Society and Superiors in front of the doctrine of the Faith, just as the mass of Catholic bishops had done at Vatican II." ).

     総会での本討議(ほん とうぎ)は SSPX のエコンヌ "Écône" 神学校長(しんがっこうちょう)( "the Rector of the SSPX seminary in Écône" )による4月中旬の教理宣言(きょうり せんげん)に対する猛攻撃(もうこうげき)で始(はじ)まりました(訳注後記1).この宣言は SSPX がローマ教皇庁の新近代主義者たち( "neo-modernists" )との間で公会議,新形式(しん けいしき)ミサ "New Mass",新教会法典(しん きょうかいほうてん)( "New Code of Canon Law" )および教皇ベネディクトの「(聖書)解釈学的継続性」(せいしょ かいしゃくがくてき けいぞくせい)( "Pope Benedict’s “hermeneutic of continuity” " )について妥協(だきょう)する用意(ようい)があることを正式(せいしき)に明(あき)らかにしたものです( "The Chapter’s deliberations proper opened with a serious doctrinal attack by the Rector of the SSPX seminary in Écône on the mid-April Doctrinal Declaration by which the SSPX had officially been ready to compromise with the neo-modernists in Rome on the Council, on the New Mass, on the New Code of Canon Law and on Pope Benedict’s “hermeneutic of continuity”." ).神学校長は穏(おだ)やかで敬意(けいい)ある言葉で攻撃(こうげき)しましたが,その内容(ないよう)はきわめて重々(おもおも)しいものでした( "The attack was expressed in moderate and respectful terms, but it was most grave in substance. " ).宣言を起草(きそう)し,それをローマに送ることを奨励(しょうれい)したのが誰(だれ)であるにせよ,その人たちはカトリック教教理について無能(むのう)だというのが彼の批判(ひはん)の趣旨(しゅし)でした( "It meant in effect that whoever had drafted the Declaration, or encouraged its being submitted to Rome, was incompetent in Catholic doctrine." ).神学校長は,その人たちが意識的(いしきてき)に無能ぶりを発揮(はっき)したのなら信仰の裏切り者(うらぎりもの)だし,無意識(むいしき)に無能だったとしたら信仰を守(まも)る目的(もくてき)で創設(そうせつ)したカトリック教修道会(しゅうどうかい)の長(ちょう)として不適格(ふてきかく)だと述(の)べました( "If they were consciously incompetent, they were traitors to the Faith. If unconsciously, they were unfit to be at the head of a Catholic Congregation founded to defend the Faith." ).降伏者(こうふくしゃ)たちが上層部(じょうそうぶ)を暗(あん)に非難(ひなん)することがいかに重大(じゅうだい)なことか気づきはじめると,総会には沈黙(ちんもく)が広(ひろ)がりました( "So a hush fell upon the Chapter as capitulants began to realize how grave was the implicit accusation against their Superiors." ).

     だが,しばらくして,アルゼンチンの SSPX 神学校長が沈黙を破(やぶ)り,総会が SSPX総長(そうちょう)に対(たい)し宣言を撤回(てっかい)するよう要請(ようせい)し,彼を非難(ひなん)することはできないかと発言(はつげん)しました( "( "But ten the Rector of the Society’s seminary in Argentina broke the hush by saying that the Chapter could not possibly administer a slap to its Superior General by requiring of him to retract his Declaration." ).神学校長は総会の最終宣言(さいしゅう せんげん)の中で撤回を暗(あん)に示(しめ)せばいいと述(の)べました( "That retraction, he said, would be implicit in the Chapter’s final Declaration." ).それから,降伏者たちのひとりが別の問題(べつの もんだい)を提起(ていき)し,総会は他の問題(たの もんだい)の討議(とうぎ)に移(うつ)りました( "Then some other capitulant raised a different point, and the Chapter moved on to other business." ).しかし,4月中旬の反逆的宣言(はんぎゃくてき せんげん)の教理(きょうり)にかかわる問題は,総会の最終宣言,ローマとの将来(しょうらい)の合意(ごうい)に関する6条件,総長自身による後日(ごじつ)の明確(めいかく)な宣言撤回(せんげん てっかい)のいずれによっても的確(てきかく)に解決(かいけつ)されませんでした( "However, the doctrinal problem of the treacherous mid-April Declaration was properly resolved neither by the Chapter’s final Declaration or six Conditions for a future agreement with Rome, nor by any clear subsequent retraction on the part of the Superior General himself, on the contrary." ).そして,SSPXは現在も信仰をズタズタに切り裂(きりさ)き,教会を道連(みちづ)れにするローマの信仰の敵(てき)たちに寛容な方針(かんような ほうしん)に従(したが)って導き続けられて(みちびき つづけられて)います( "And the Society continues to be led in practice in accordance with the same policy of being gentle with the enemies of the Faith in Rome, who tear to pieces the Faith and with it the Church." ).

     降伏者たちは自分たちが信仰より「上層部(じょうそうぶ)への敬意(けいい)」( "respect for Superiors" )を優先(ゆうせん)したことがどうして分(わ)からなかったのでしょうか?( "How could the capitulants not see that “respect for Superiors” was being put in front of the Faith ? " )彼らは総会で最重要(さいじゅうよう)な教理の問題を総会が終わるまで巧(たく)みに引き延(ひきの)ばすことなく,直(ただ)ちにいかなる行動を取るべきかが十分理解(じゅうぶん りかい)できるまで徹底的(てっていてき)に解明(かいめい)すべきだとどうして主張(しゅちょう)できなかったのでしょうか?( "How could they not insist that the doctrinal problem, by far the most important problem in front of the whole Chapter, should be made clear, until all of them could fully grasp what action needed to be taken immediately, and not cleverly postponed until the end of the Chapter ? " )この疑問(ぎもん)に対する答えは,彼らが第二バチカン公会議の司祭たちと同じように,信仰教理( "the doctrine of the Faith" )は必須不可欠(ひっす ふかけつ)のものではなく,一司祭(いち しさい)になり,名誉(めいよ)を得(え)て,多かれ少なかれ上の地位(うえの ちい)に昇(のぼ)るため神学校で学(まな)ぶものに過(す)ぎないと考えている現代世界(げんだい せかい)の子供(こども)たちだからだということに他(ほか)ならないでしょう( "The answer must be that they were, like the bishops of Vatican II, children of the modern world for whom the doctrine of the Faith is not a vital necessity, but just something one learns in the seminary to become a priest, and then honours, but more or less kicks upstairs." ).読者の皆さん,ぜひ読み取ってください!( "Readers, read ! " )

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教



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第3パラグラフの訳注1:
「SSPX のエコンヌ "Écône" 神学校」について.

"Le Séminaire International de la Fraternité Sacerdotale Saint Pie X (FSSPX) - The Seminary of Écône" (フランス語)-(英語)

"The International Seminary of the Society of Saint Pius X" (英語)

・Écône の FSSPX (聖ピオ十世〈兄弟司祭〉会) 神学校は,1970年ルフェーブル大司教により創設(そうせつ)された.

・Écône の FSSPX (聖ピオ十世〈兄弟司祭〉会) 神学校は,世界各地に所在(しょざい)する SSPX (聖ピオ十世会)神学校の元本部 "Le siège initial" である.

・SSPX (FSSPX) のラテン語正式名称: "Fraternitas Sacerdotalis Sancti Pii X"



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