エレイソン・コメンツ 第328回 (2013年10月26日)
聖ピオ十世会( "the Society of St Pius X" = SSPX )がカトリック信仰を守ってきた輝(かがや)かしい40年に今日(こんにち)の状況下(じょうきょうか)で終止符(しゅうしふ)が打(う)たれようとしているのはなぜでしょうか ( "… why in today’s circumstances an end is now threatening the 40 glorious years of the defence of the Faith by the Society of St Pius X." ),神の栄光(かみの えいこう)のため,そして霊魂の救済(れいこんの きゅうさい)のため,その原因の究明(げんいんの きゅうめい)は避(さ)けて通(とお)れません( "For the glory of God and for the salvation of souls it is essential to diagnose …" ).この点(てん)で,最近(さいきん)書(か)かれた一本の記事(いっぽんの きじ)と一通の書簡(いっつうの しょかん)が役立(やくだ)つかもしれません:( "An article and a letter recently written may help in this respect: …" ).記事(きじ)は SSPX の衰退(すいたい)を分析(ぶんせき)したもので,書簡は SSPX の再興(さいこう)に一縷(いちる)の望(のぞ)みをかけたものです( "… an article analyzing the Society’s fall, and a letter with a note of hope as to how it may rise again." ).
記事はフランス語で書かれており,インターネットに掲載(けいさい)されています( " “Un Évêque se lève” "〈=「一司教立ち上がる」の意〉をご覧ください)( ( "The article appeared in French on the Internet (see “Un Évêque se lève”)." ).記事の著者(ちょしゃ)は,現代の教育(げんだいの きょういく)における空想的理想主義(くうそうてき りそうしゅぎ)を現代の政治(せいじ)における同じく非現実的空想(ひげんじつてき くうそう)に対比(たいひ)した一冊の著書(いっさつの ちょしょ)を読んだ後(よんだ あと)で( "After reading a book on utopianism in modern education which compares it to the same unrealistic dreaming in modern politics, the article’s author …" ),六段階(ろく だんかい)のパターンが SSPX にも当てはまると気づいたそうです( "… found that the same pattern in six stages could be applied to the SSPX." ).はじめに,そのパターンとは次のようなものです:( "Firstly, the pattern: " )1 人間の性質(にんげんの せいしつ)をとがめることなく,折り合(おりあ)って行くべき既定事実(きてい じじつ)として受け止(うけと)めることを拒否(きょひ)すること( "1 A refusal of human nature as a given to be worked with, and not against." ).2 子供・大人をまったく新(あら)たに作り直す(つくり なおす)という空想を抱(いだ)くこと( "2 A dream of fabricating the child/man completely anew." ).3 家庭・社会(かてい・しゃかい)の自然な仕組み(しぜんなしくみ)を排除(はいじょ)すること( "3 The exclusion of natural structures of family/society." ).4 子供(こども)をまったく新しい社会を産み出す(うみだす)ように改造(かいぞう)すること( "4 The total re-fashioning of the child to generate a perfect new society." ).5 当初の意図(とうしょの いと)が良(よ)くても,これによって生(しょう)じる結果は惨憺(さんたん)たるものになる ( "5 The disastrous results, despite all the initial good intentions " ) -- 6 無知(むち)でひねくれた児童(じどう)が育(そだ)ち,社会は信仰(しんこう)を捨(す)て,神に戦(たたか)いを挑(いど)むようになる ( " -- 6 Ignorant and perverse children, and a society apostatising and making war on God." ).
次に,このパターンを SSPX に当(あ)てはめます( "Secondly, the application to the SSPX: " ).1 カトリック教会の未曽有の危機という現実(みぞうの きき という げんじつ)を受け止(うけと)めることを拒否(きょひ)する( "1 Refusal of the reality of the unprecedented crisis in the Church. " ).2 第二バチカン公会議派教会と伝統派との間の和解(わかい)を夢見(ゆめみ)る( "2 Dream of fabricating a reconciliation between the Conciliar Church and Tradition..3 指導者(しどうしゃ)と導(みちび)かれる者( "leaders and led" )との間(あいだ)の自然な交流(しぜんな こうりゅう)を排除(はいじょ)する( "3 Exclusion of natural interaction between leaders and led. " ).4 そのような夢(ゆめ)を押し付(おしつ)けるためカトリック教の権威(けんい)を完全(かんぜん)に作り変(つくりか)える( "4 Total re-fashioning of Catholic authority to impose the dream." ).5 意図(いと)は敬虔(けいけん)なものであっても, SSPX のスターリン化(か)という惨憺(さんたん)たる結果(けっか)に終(お)わる -- 教育(きょういく),政治(せいじ), あるいはSSPX においてでさえ,夢見(ゆめみ)る者が変(か)わりようのない現実(げんじつ)に直面(ちょくめん)すると自分の持てる限(もてる かぎ)りの権力(けんりょく)を行使(こうし)して,その現実を押(お)しつぶそうとする -- こうなると,彼が抱く夢(いだく ゆめ)にはうんざりしたくなる( "5 Disastrous resulting Stalinization of the SSPX, despite all pious intentions -- in education, politics or the SSPX, when the dreamer confronts unyielding reality, he is liable to use all the force he has at his disposal to crush the reality -- his dream is so much more lovely. " ).6 闘争心(とうそうしん)を失(うしな)い,それが信仰(しんこう)の完全喪失(かんぜん そうしつ)につながる( " 6 Loss of fighting spirit, liable to lead to entire loss of Faith." ).
上述(じょうじゅつ)の書簡(しょかん)は私の手元(てもと)にEメールで届いたものです( "The letter, reaching me by e-mail, …" ).内容(ないよう)は記事の分析(きじの ぶんせき)と同じようなものですが( "… follows the same general line of analysis, …" ),書簡は SSPX に一縷(いちる)の望(のぞ)みをかけています( "… but adds a note of hope." ).教皇フランシスコもフェレー司教もご承知(しょうち)のような人物ですから(二人とも夢想家〈むそうか〉だと付〈つ〉け加えます)( "Pope Francis and Bishop Fellay being who they are (both utopians, one might add), …" ),書簡の筆者はローマ教皇庁と SSPX との間になんらかの合意(ごうい)が生(う)まれるのは必至(ひっし)で,それに反対(はんたい)する者は潰(つぶ)されるだろうと考えます( "… the letter-writer thinks that a Rome-SSPX agreement is bound to come, and resistance to it will be crushed. " ).その結果, SSPX が崩壊(ほうかい)するとすれば( "If the SSPX thus falls, …" ),それは同会が一般信徒(いっぱん しんと)を過小評価(かしょう ひょうか)し,彼らの力(ちから)を借りて(かりて)王君(おうくん)キリストの社会統治(しゃかいとうち)( "the Social Reign of Christ the King" )をこの世の中に打ち立(うちた)てようとしなかったからだと,彼は考えています( "… he thinks it will have been by its under-estimating of the laity and by its under-employing of them to help establish in society the Social Reign of Christ the King. " ).彼はさらに, SSPX はもう一度(いちど)一般信徒(いっぱん しんと)とともに,その(=王キリストの)統治実現(とうち じつげん)に向(む)けて努力(どりょく)するということを再開・続行(さいかい・ぞっこう)すべきで(訳注・同会の今後の展望〈てんぼう〉の道を切り拓〈きりひら〉いてゆくためには)唯一つ(ただひとつ)その努力あるのみであり( "The SSPX need only pick up again with the laity to work for that Reign, …" ),そうすれば -- この部分(ぶぶん)が彼の望(のぞ)みを示(しめ)しています -- ( " …and -- here is the hopeful note --…" ) この数年間(すうねんかん),新秩序(しん ちつじょ)( "Novus Ordo" ), Ecclesia Dei (=「神の教会」の意)(訳注・"Ecclesia Dei" はヨハネ・パウロ2世が1988年に発令〈はつれい〉した使徒的書簡:自発教令(しとてきしょかん:じはつきょうれい)"Ecclesia Dei" のこと,またはローマ教皇庁・教理省の一委員会」のこと),Fransiscanns of the Immaculate (=「無原罪〈むげんざい〉の聖母のフランシスコ会修道士たち」の意)などといったものに悩(なや)まされながらも信仰を持ち続けてきたあらゆるカトリック教徒を再結集(さいけっしゅう)し強化(きょうか)することになるだろう( "… it will rally and strengthen all kinds of Catholics who have kept the Faith despite all they have suffered in recent years, coming from the Novus Ordo, from Ecclesia Dei, from Fransiscans of the Immaculate, or wherever." )と書いています.筆者は「 SSPX は同会に忠実(ちゅうじつ)な者(もの)たちの行動(こうどう)によって大混乱(だいこんらん)に陥(おちい)ることはないだろうし,むしろ逆(ぎゃく)の方向(ほうこう)に向(む)かうだろう」と結論(けつろん)づけています( "…Thus, concludes the letter-writer, “the SSPX by the action of those remaining faithful to it will not sink into chaos, quite the opposite.” " ).
私としては,聖職権主義(一般信徒の軽視)(せいしょくけん しゅぎ〈いっぱんしんとのけいし〉)が SSPX の抱える問題(かかえる もんだい)の一面(いちめん)であることに同意(どうい)しますが,それが問題の根源(こんげん)だとは考(かんが)えません( "For myself, while I agree that clericalism ( undervaluing the laity ) has been one aspect of the problem of the SSPX, I do not think that it has been the root of the problem." ).根源はむしろ,世界中で神より人間に目を向けている実態(じったい)(旧約聖書エレミアの書・第17章5,7節 "Jer. XVII, 5, 7" を参照)(訳注後記1)と,その結果(けっか)として客観的(きゃっかんてき)な虚実(きょじつ),客観的な正悪(せいあく)の区別(くべつ)が失(うしな)われていることにあると考えます.こうした堕落(だらく)はなにも SSPX だけに限(かぎ)ったことではありません( "I think that the root has rather been today’s universal turning to man instead of God (cf. Jer. XVII, 5,7), a falling away by no means confined to the SSPX, with the consequent loss of objective truth and falsehood, objective right and wrong. " ).だが,私は将来(しょうらい)いつの日(ひ)か新教会と真実の教会(=伝統的公教会〈カトリック教会〉)( "the Newchurch and the Church" )の隅々(すみずみ)から真(まこと・しん)のカトリック教徒たちが集(あつ)まり,新しい同盟(どうめい)( "a new alliance" )を結成(けっせい)して( "… a new alliance being forged at some time in the future, …" ),カトリック教信仰を前進(ぜんしん)させることになるだろう( "…to carry forward the Catholic Faith…" )(新約聖書マテオ聖福音書・第19章30節 "Mt. XIX, 30" を参照)という筆者(ひっしゃ)の展望(てんぼう)には全面的(ぜんめんてき)に賛同(さんどう)します( "However, I do agree with the letter-writer’s vision of a new alliance being forged at some time in the future, of true Catholics from all corners of the Newchurch and the Church, to carry forward the Catholic Faith (cf.Mt.XIX, 30)." )(訳注後記2). SSPX が現在の諸問題(げんざいの しょもんだい)を振り払(ふりはら)い,その同盟の中で,主導的(しゅどうてき)な,というより,少(すこ)しでもましで,つつましやかな役割を果たす(やくわりを はたす)ようになることを,祈(いの)ります( "May the SSPX shake off its present problems to play a leading part, or, better, a humble part, in that alliance." ).
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
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第5パラグラフの訳注1
旧約聖書エレミアの書・第17章5,7節 "Jer. XVII, 5, 7"
(太字+下線部分)
神への信頼(17・5-8)
『*5 (主はおおせられる.)
「人によりたのみ,
肉を自分の腕とし,
その心を主から遠ざける者はのろわれる.
6 彼は,荒れ地のあざみのように,
よいものがきても,それを見ず,
荒野(あれの)の焼けた土地に,
人気のない塩地(しおち)に住んでいる.
*7 主によりたのむ者は幸せである.
主は,彼の希望となられる.
8 彼は,水のほとりに植えた木のように,
その根を川床(かわとこ)にのばし,
暑(あつ)さのときも恐(おそ)れなく,
その葉は緑のまま,
日照り(ひでり)の年も衰(おとろ)えず,
実を結び続(むすびつづ)ける.』
(注釈)
神への信頼(17・5-8)
ここは,知恵(ちえ)のことばを集めたものである.
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第5パラグラフの訳注2
新約聖書マテオ聖福音書・第19章30節 "Mt. XIX, 30" (太字+下線部分)
第19章
結婚と独身(19・1-12)
『イエズスはこう話しおえてガリラヤを去り,*1 ヨルダンの向こうユダヤの地方に行かれた.
大ぜいの人々がついてきたので,その場でかれらを治された.
そのときファリサイ人が来て,イエズスを試みようとして,「何か理由があったら,人は自分の妻(つま)を去らせてよいのですか」と言った.
イエズスは答えられた,「あなたたちは読まなかったのか.はじめにすべてをつくられたお方が*4 人を男と女につくり,〈*5 そこで人は父母を離れてその妻と合い,二人は一体となる〉と言われたことを.*6 もう二人ではなく一体である.人は神が合わせられたものを離してはならぬ」.*7 彼らは「それならなぜモーゼは離縁状を書いて去らせよと命じたのですか」と尋(たず)ねた.「あなたたちの性質が強情(ごうじょう)だから,モーゼは妻を去らすことを許したのだ.だがはじめからそうではなかった.私は言う.同棲(どうせい)の場合は別だが,妻を去らせて他の女と結婚すると,その人は姦通者(かんつうしゃ)である」と答えられた.弟子たちはイエズスに,「妻に対する夫の立場が仰せのとおりなら,男は妻をめとらないほうがましです」と言った.そこで弟子たちに言われた,「みなにこのことばがわかるとは限らぬ.ただそれをわかる恵みを受けた者にだけわかる.つまり母の胎から去勢者として生まれた人があれば,他人の手で去勢された人もあり,また天の国のために自ら去勢した人もある.これを理解できるものは理解せよ」.』
(注釈)
結婚と独身(19・1-12)
〈旧約聖書〉
*1ペレアのこと.
*4創世の書1・27参照.
*5-6創世の書2・24参照.
*6 結婚の不解消性がはっきりと主張されている.
*7 第二法の書24・1参照.
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イエズスと子供(19・13-15)
『そのとき,按手(あんしゅ)して祈ってくださいと言って,人々が子どもを連れてきたが,弟子たちはそれを押しとどめた.イエズスは,「子どものするようにさせておけ.私のところに来るのを止めるな.天の国を受けるのはこのような者たちである」と言われ,彼らに按手してからここを去られた.』
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金持ちの若者(19・16-22)
『そのときある人が近づいて,「よき師よ,永遠の命(えいえんのいのち)を受けるために,私はどんなよいことをすればよいのでしょうか」と尋(たず)ねた.イエズスは,「なぜ私に,よいことについて尋ねるのか.*17 よいお方はただ一人である.命を受けたいのならおきてを守れ」と答えられた.その人が「どのおきてを」と言うと,イエズスは「〈殺すな〉〈姦淫するな〉〈盗むな〉〈偽証するな〉〈父母を敬え〉そして〈隣人(りんじん)を自分のように愛せよ〉これである」と答えられた.若者が「私は(小さい時から)それをみな守ってきました.その他に足りないことがあるでしょうか」と言ったので,イエズスは「もし完全になりたいなら,持ち物を売りに行き,貧しい人々に施(ほどこ)しをせよ.そうすれば天に宝を積(つ)む.それから私についてくるがよい」と言われた.このみことばを聞いて,若者は悲しそうに去っていった.彼は大金持(おおがねも)ちだったからである.』
(注釈)
金持ちの若者(19・16-22)
*17神のこと.
*18〈旧約〉脱出の書20・12-16,第二法の書5・16-20.
ファリサイ人,律法学士は,律法の六一三条を数えていたから,そのうちのどれを守ればよいかと若者は聞いた.
*19〈旧約〉レビの書19・18参照.
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弟子らの受ける報い(19・23-30)
『*23 イエズスは弟子たちに言われた,「まことに私はいう.金持ちは天の国に入(はい)りにくい.*24 またいう.金持ちが天の国に入るよりは,らくだが針の穴(はりのあな)を通るほうがやさしい」.弟子たちはこれを聞いて大いに驚(おどろ)き,「すると救われるのはどんな人ですか」と言った.イエズスは彼らをじっと見つめて,「それは人間にはできないことだ.だが神にできないことはない」と言われた.そのときペトロは言った,「ごらんのとおり,私たちはすべてを捨ててあなたに従(したが)いました.私たちは何を受けるでしょうか」.イエズスは答えられた,「まことに私は言う.世が改(あらた)まり,人の子(=イエズス)がその栄光の座につくとき,私に従ったあなたたちも十二の座につき,*28 イスラエルの十二族をさばくであろう.また,私の名のために,家,兄弟,姉妹,父,母,子,田畑を捨てる者は,その百倍のものを受け,永遠の命を受け継ぐ(うけつぐ).*30 だが先の者が後になり,後の者が先になることがある.』
(注釈)
弟子らの受ける報(むく)い(19・23-30)
*23-24 実際の貧(まず)しさは,完徳(かんとく)の理想(りそう)であって,単に勧(すす)めである(マテオ聖福音書5・3).
しかし心の貧しさはイエズスの弟子となりたい者への命令である.それゆえ富に執着(しゅうちゃく)する者は救われない.富はそのものとして悪いのではないが,悪い人間の手に富がゆだねられる時,災(わざわ)いの元となり,善い人間の手にわたれば,善業(ぜんぎょう)と功徳(くどく)の手段(しゅだん)となる.
*28 「イスラエルの十二族をさばく」
旧約聖書の用語で「さばく」は支配するという意味である.
「十二族」は新しいイスラエル,すなわち「教会」のことである.
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