エレイソン・コメンツ 第469回 (2016年7月9日)
イギリスのEU離脱投票結果は私たちに再度思い起こさせてくれます.
神なしにものを築くのは無駄だということを.
Brexit reminds us once again –
To build without God is to build in vain.
イギリス国民は最近の国民投票で,たとえ僅差だったとしても共産主義的欧州連合(EU)から離脱することを選択しました.「エレイソン・コメンツ」の読者の多くは、新世界秩序(New World Order=NWO)など決して好きになれないイギリス人の一人である私が,この結果にさぞ快哉を叫んだのではないかと想像したに違いありません.だが,残念ながら,これまで数十年間NWOについて学んできたことから判断して,私はEU離脱が最終的にイギリスのこれまで最良だったことを本当に再確認することになるかどうか疑問だと認めざるを得ません.大西洋対岸のアメリカに目を向ければ、私は(ドナルド)トランプが好きで,ヒラリー(クリントン)が嫌いなのかもしれません.だが,二人は共に私たちのために「パンチとジュディの人形劇」を演じているようなものです.
Many readers of these “Comments” must be supposing that as an Englishman who does not at all like the New World Order, I must be rejoicing over the recent vote by the British people, albeit by a relatively narrow margin, to leave the communistic European Union. Alas, I have to admit that all I have ever learnt over the last tens of years about that NWO makes me doubt that the apparent exit of Britain will amount finally to any real re-affirmation of what was once best in Great Britain. Across the Atlantic likewise, I may love Trump and hate Hilary, but surely the two have been put together to make up for us one Punch and Judy show.
イギリスのEU離脱については,真実を語るアメリカ人評論家として著名なポール・クレイグ・ロバーツ( paulcraigroberts.org 参照)の6月24日付け評論を一例としてお読みください.彼は,「国民投票の結果にもかかわらず,イギリスがEUを離脱する可能性は低い」とし,その理由として「イギリス人は投票で万事決着したなどとナイーブに考えないことです.戦いは始まったばかりです.」と書いています.彼はイギリス国民に対し,次のようなことが起きることを覚悟しておくよう警告しています.(1)政府は国民のもとへ戻ってきて,EUは私たちに好条件を出すので,加盟国にとどまることにしましょうと告げる(2)米国連邦準備銀行,欧州中央銀行,日本銀行やニューヨークのヘッジファンドは離脱投票がイギリス経済を停滞させることになるとしてポンドを売りたたく(これは既に起きている),(3)離脱投票結果は「ロシアによる侵略」(これは不快なNWOの作り話)に直面するヨーロッパ経済を弱体化する要因になると提起される,(4)離脱を説いた指導者たちはEUとの妥協点を見出すよう圧力を受ける,等々.そして,ロバーツは読者に対し,同様な可能性がほかにも多数あることを自分たちで想像するよう勧め,アイルランドが数年前にEU不参加の国民投票をしながら,のちに加盟投票したことを思い起こすよう促しています.
Take for instance, concerning Brexit, the June 24 article of a high-grade American truth-teller, Paul Craig Roberts (see paulcraigroberts.org) on why “Despite the vote, the Odds are Against Britain leaving the EU.” He writes: “The British people should not be so naïve as to think that the vote settles the matter. The fight has only begun.” He warns the British people to expect: their government to come back to them and say, the EU is giving us a better deal so let’s stay in; the Fed, ECB, BOJ and NY hedge funds to hammer the pound sterling as proof that the Brexit vote is sinking Britain’s economy (that hammering has already happened); the Brexit vote to be presented as having weakened Europe in front of “Russian aggression” (which is a diabolical NWO fabrication); leading Brexiters to come under pressure to reach a compromise with the EU; etc., etc.. And Roberts says readers can imagine for themselves many more such probabilities, reminding them how Ireland voted against Europe years ago until it was pressured to vote for.
だが,henrymakow.com/2016/brexit-what-is-the-globalist-dame で見られる別の評論は,私の考えでは,話をもっと深く掘り下げています.なぜなら,筆者のヘンリー・マコウは「パンチとジュディの人形劇」のさらに先を読む人物であり,グローバリストたちから「反ユダヤ主義者」もしくは「ユダヤ嫌い」と呼ばれている強みがあり,彼自身がユダヤ人だからです.多少なりとも救世主,すなわちキリストとの関わりを持つ者でなければ,キリストの敵を見定めることなどできないというのが本当のところでしょう.
However, at henrymakow.com/2016/06/brexit-what-is-the-globalist-game, in my opinion another article goes deeper still, because Henry Makow goes further behind the Punch and Judy show, because he has the advantage of being what the globalists no doubt call an “anti-semite” or rather a “Jew-hater”, because Makow is himself a Jew. Truly, only those with some handle on the Messiah, or the Christ, can take the measure of the Antichrist.
評論のテーマは「離脱派の人たちはエスタブリッシュメントがいかに自分たちに背を向けているかと嘆くが,本当はその逆が実態だ」という点です.これを証明するため,評論は程度の差こそあれ熱烈なグローバリストで,国民投票で離脱運動をした保守党,労働党双方のイギリス人政治家を多数名指ししています(お望みなら名前をチェックするのは簡単でしょう).同じように,評論はイギリスのメディアに目を向け,普段グローバリズムを持ち上げ,国民投票で離脱推進のキャンペーンをした新聞,ジャーナリストを多数名指ししています.では,離脱の目的はなんだったのでしょうか?評論はヨーロッパがイギリスにより良い条件を与えるよう「脅迫」するのが目的だったと示唆したプーチン(ロシア大統領)の受け止め方が実態に迫っていると評価しています.評論はさらに進んで,離脱はヨーロッパを脅かして「英米ユダヤ主義の戦争挑発者(war-mongers)や私略船的企業(corporate privateers)に完全に降伏させる」のが目的だったと述べ,離脱が「グローバリズムに対する勝利でなかったのはほぼ間違いない」と結んでいます.さらに,マコウは「権力者たちがイングランドは EU 内にとどまるより離脱する方がフリーメーソン的中央銀行による世界圧政にとってより効果的な道具になりうると決めたのは明白だ」と付け加えています.
The article’s thesis is that “Brexiters lamented how the Establishment was ranged against them, but in truth the reverse was the reality.” To prove this thesis the article names by name numerous British politicians, both Tory and Labour, who are more or less fervent globalists and who campaigned for Brexit (it should be easy enough to check the names for anyone who wishes). Similarly in the British media, the article names numerous journals and journalists, normally presstituted for globalism, who campaigned for Brexit. Then what was Brexit for ? The article credits Putin with getting much closer to the truth when he suggested that it was to “blackmail” Europe into making better terms with Britain. The article goes further: Brexit was designed to force Europe to “surrender completely to Anglo-American Zionist war-mongers and corporate privateers”, and the article concludes that Brexit was “most certainly no triumph against globalism.” And Makow himself adds: “Evidently the powers-that-be have decided that England outside Europe rather than inside can be a more effective instrument of Masonic central bank world tyranny.”
おそらく,そのような憶測(その水準を言っているのではありません)は的外れでしょう.だが,確かなことは,ヨーロッパにせよイギリスにせよ,神を持たなければどれほど価値があるだろうか,ということです.神なしにものを築くのは無駄なことだ,と詩篇作者は言っています(訳注・「詩篇」=旧約聖書に記される古代イスラエル国王かつ預言者ダビドによる作品).だが,離脱討論中に神の名に触れた者が一人でもいたでしょうか?もし,離脱が本当になんらかのプラスをもたらすようになるとすれば,ビジョンを備えたリーダーの出現が必要でしょう.神なしに,そのようなリーダーが現れるでしょうか?
Maybe such speculations (but not their level) are off the mark, but for sure and certain, what are either Europe or Britain worth without God ? To build without him is to build in vain, says the Psalmist. Yet who in all the Brexit debate ever even mentions his name ? If Brexit is to amount to anything truly positive, it will need a leader with vision. Without God, where will he come from ?
キリエ・エレイソン.
(主よ,憐れみ給え〈しゅよ,あわれみたまえ〉)
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
* * *
本投稿記事・第469回エレイソン・コメンツ「本気か? 英国離脱」(2016年7月9日付)/ELEISON COMMENTS CDLXIX(July. 9, 2016) : "BREXIT - REALLY ?" (解説無し)は2016年7月25日午後23時26分に掲載されました.
* * *
2016年7月9日土曜日
2015年12月1日火曜日
435 頑固な異教徒 11/14
(解説付き)
エレイソン・コメンツ 第435回 (2015年11月14日)
欧州(ヨーロッパ)が信仰を持って居た時には
イスラム教徒の大群を打ち負かせました.
(おうしゅう〈よーろっぱ〉が しんこう を もって いた とき には
いすらむ きょうと の たいぐん を うち まかせ ました.)
( "When Europe had the faith, it could defeat" )
だが,今は如何でしょうか? ― 延延と退却です.
(だが,いまはどうでしょうか?― えんえんとたいきゃくです.)
( "The Muslim hordes, but now ? – one long retreat." )
衰退する全基督(キリスト)教諸国世界の遺物は今,千年に及ぶ神の敵に拠(因)って組織され(すいたい する ぜん きりすと きょうこく せかいの いぶつ は いま,せんねん に およぶ かみ の てき に よって そしき され),西側諸国のだらしない(訳注後記・2・1)政治家達や堕落したメディア(=新聞・テレビ・ラジオ等の情報媒体)に支えられたイスラム教徒(訳注後記・2・2)達の侵略に直面して居ます(にしがわ しょこく の だらしない せいじか たち や だらく した めでぃあ〈=しんぶん・テレビ・ラジオ とう の じょうほう ばいたい〉に ささえ られた いすらむ きょうと たち の しんりゃく に ちょくめん して います)( "As the faltering remains of Christendom face today a Muslim invasion organized by the millennial enemies of God, and made possible by the Western nations' wretched politicians and vile media, …" ).此の様な事態を前に,過去如何に屡(しばしば)基督教(キリスト教)王国がイスラム(訳注後記・2・2)の侵略に脅かされたか(このような じたい を まえ に,かこ いか に しばしば きりすと きょう おうこく が いすらむ の しんりゃく に おびやか された か)そして(然うして)基督教王国が其の都度神に目を向ける事に由(依・拠・因)り如何に自らを守って来たかを振り返るのは有意義な事でしょう(そして,きりすと きょう おうこく が その つど かみ に め を むける こと に より いか に みずから を まもって きた か を ふり かえる の は ゆういぎ な こと で しょう)( "…it is well to remember how often in times past Christendom was threatened by Muslim invasions, and how Christendom then defended itself, by turning to God." ).1683年の夏,15万(十五万)から30万(三十万)人というイスラム軍団兵士達がウィーン(維納)を包囲為,南東柄(から)欧州(ヨーロッパ)全土を飲み込もうと為ました(せん ろっぴゃく はち じゅう さん ねん の なつ,じゅうご まん から さんじゅう まん にん と いう いすらむ ぐんだん へいし たち が うぃーん を ほうい し,なんとう から おうしゅう〈よーろっぱ〉ぜんど を のみこもう と しました)( "In the summer of 1683, a huge Muslim army of anything from 150 to 300 thousand soldiers besieged Vienna and threatened to engulf Europe from the south-east." ).イスラム教徒達はイスラム教の誇りを懸けて(賭けて)ローマ(羅馬)を奪回(奪還)為ようとさえ(添え)為ました(いすらむ きょうと たち は いすらむ きょう の ほこり を かけて ろーま を だっかい しよう と さえ しました)( "The Muslims even envisaged capturing Rome, for the glory of Islam." ).此の時,高徳な(聖人の様な)カプチン修道会士マルコ・ダ・アビアノ神父( "Fr. Marco da Aviano" )の助けを受け(この とき,こうとく な〈せいじん の よう な〉かぷちん しゅうどう かい し まるこ・だ・あびあの しんぷ の たすけ を うけ),教皇インノケンティウス11世( "Pope Innocent XI" )は欧州(ヨーロッパ)数か国柄(から)成る基督教徒軍団を組織してウィーン(維納)を救いました(きょうこう いんのけんてぃうす じゅういっ せい は おうしゅう〈よーろっぱ〉すう か こく から なる きりすと ぐんだん を そしき して うぃーん を すくい ました)( "With the help of a saintly Capucin, Fr. Marco da Aviano, Pope Innocent XI succeeded in putting together a Christian army from several European nations to relieve Vienna." ).以下は修道士マルコが戦いの直前に神に奉献した祈祷(祈り)の内容です(いか は しゅうどう し まるこ が たたかい の ちょくぜん に かみに ほうけん した きとう〈いのり〉の ないよう です):-- ( "Here is the prayer of the Capucin just before the battle:-- " )
「おお万軍の神なる主よ,私達が此れ(之・是・惟)迄(まで)に犯した数々の罪の御赦しを乞う為,私達が貴方の足元に跪く姿を御照覧下さい(おお ばんぐん の かみ なる しゅ よ,わたくし たち が これ まで に おかした かずかず の つみ の おゆるし を こう ため,わたくし たち が あなた の あし もと に ひざまずく すがた を ご しょうらん ください)( " “O Lord God of Hosts, Behold us prostrate at the feet of your Majesty, to obtain forgiveness for our sins." ).異教徒達が武器を手に為て私達を弾圧為る事に成ったのは私達が受ける当然の報いだと私達には十分に分かって居ります(いきょうと たち が ぶき を て に して わたくし たち を だんあつ する こと に なった のは わたくし たち が うける とうぜん の むくい だ と わたくし たち に は じゅうぶん に わかって おり ます)( "Well do we know how we have deserved that the infidels take up arms to oppress us, …" ).何故なら,貴方の親切心を前に私達が日々行った非行の数々が正しく貴方の御怒りを招いた柄です(なぜなら,あなた の しんせつ しん を まえ に わたくし たち が ひび おこなった ひこう の かずかず が まさしく あなた の おいかり を まねいた から です)( "… because the iniquities committed by us every day against your goodness have justly provoked your wrath." ).おお偉大な神よ,私達は心の奥底柄貴方の御赦しを乞います.私達は貴方が憎み嫌う罪を憎み嫌います(憎悪します,嫌悪します)(おお いだい な かみ よ.わたくし たち は こころ の おくそこ から あなた の お ゆるし を こい ます.わたくし たち は あなた が にくみ きらう つみ を にくみ きらい ます)〈ぞうお します,けんお します〉( "O great God, from the depth of our hearts we ask you to forgive us; we execrate sin because you abhor it; …" ).私達は貴方の至高なる善意を何度となく無にした為(為た為)悩み苦しんで居ります(わたくし たち は あなた の しこう なる ぜんい を なんど と なく む に した ため なやみ くるしんで おり ます)( "… we are afflicted because we have often angered your supreme goodness." ).貴方の愛を得る為なら,私達は小さな行いで貴方を不快にさせるより,寧ろ千回も死んだ方がまし(増し)だと考えます(あなた の あい を える ため なら,わたくし たち は ちいさな おこない で あなた を ふかい に させる より,むしろ せん かい も しんだ ほう が まし だ と かんがえ ます)( "For love of you we would rather die a thousand times than commit the least act to displease you." ).私達の主よ,恩寵に因り(依り)私達を御助け下さい(わたくし たち の しゅ よ,おんちょう に より わたくし たち を お たすけ ください)( "Come to our aid, O Lord, with your grace, …" ).そして(然うして),貴方の僕(しもべ)達が貴方だけ(丈)(訳注後記・3・1 )と結んだ約束(訳注後記・3・2 )を破らない様に導いて下さい(そして,あなた の しもべ たち が あなた だけ と むすんだ やくそく を やぶらない よう に みちびいて ください)( "… and let not your servants break the pact which we have made with you alone." ).異教徒達の怒りと力が制圧為ようと為て居る私達や貴方の教会にどうぞ御慈悲を御与え下さい(いきょうと たち の いかり と ちから が せいあつ しよう として いる わたくし たち や あなた の きょうかい に どうぞ ご じひ を お あたえ ください)( "Have pity upon us, have pity on your Church, which the fury and strength of the infidels are even now preparing to oppress." ).異教徒達が基督(キリスト)教諸国の平穏を破ろうと為て居るのがたとえ私達自身の過ちに因る(依る)物だと為ても(いきょうと たち が きりすと きょう しょ こく の へいおん を やぶろう と して いる の が たとえ わたくし たち じしん の あやまち に よる もの だ と しても)( "Even if it is by our own fault that they have broken in on the serenity of these Christian countries, …" ),私達に降り掛(か)る(降り懸〈か〉る)あらゆる難事が私達自身の邪悪の結果柄来る物だと為ても(わたくし たち に ふりかかる あらゆる なんじ が わたくし たち じしん の じゃあく の けっか から くる もの だ と しても)( "… and even if all the ills coming upon us are none other than the consequence of our own wickedness, …" ),どうぞ私達に御慈悲を懸け続けて下さい(どうぞ わたくし たち に ご じひ を かけ つづけて ください)( "… still be propitious towards us,.善意に溢れる神よ…(ぜんい に あふれる かみ よ…)( "O God of all goodness, …" ),…どうぞ貴方の僕(しもべ)の為した行いを蔑まないで下さい(…どうぞ あなた の しもべ の なした おこない をさげすま ない で ください)( "… and despise not the work of your own hands." ).悪魔への隷属柄私達を救う為,貴方が貴重な御血の全てを流された事を思い起こして下さい(あくま へ の れいぞく から わたくし たち を すくう ため,あなた が きちょう な おんち の すべて を ながされた こと を おもい おこして ください)( "Remember how to save us from the slavery of Satan, you shed all of your Precious Blood." ).」
「貴方は基督教諸国が彼等犬共に踏み躙られるのを御許しに為るでしょうか?(あなた は きりすと きょう しょ こく が かれら いぬ ども に ふみ にじられる の を お ゆるし に なる で しょう か?)( " “Will you allow it to be trodden underfoot by these dogs ? " )貴方が情熱を以て散散苦労して救われた信仰と言う貴重な真珠を豚共に投げ与え踏み踏み潰される儘(侭)に為事等有り得るのでしょうか?(あなた がじょうねつ を もって さんざん くろう して すくわれた しんこう と いう きちょうな しんじゅ を ぶた ども に なげ つけ あたえ ふみ つぶされる まま に する こと など あり うる の で しょう か?)( "Can it be that you will permit the precious pearl of the faith, which you sought out with such zeal and rescued with so much suffering, to be thrown to these swine to be trampled on ? " )主よ,若し異教徒達が私達を圧倒為のを貴方が御許しに為れば,彼等は貴方の聖なる御名を貶め(しゅ よ,もし いきょうと たち が わたくし たち を あっとう する の を あなた が お ゆるし に なれば,かれら は あなた の せい なる おん な を おとしめ)( "Forget not, O Lord, that if you allow the infidels to prevail over us, they will blaspheme your holy Name …" ),貴方の権威を嘲笑い,『彼等の神,我等の手柄彼等を救えなかった力の無い神は何処に居るのだ?』と一千回も叫ぶ事に為るのを御忘れに為らないで下さい(あなた の けんい を あざ わらい,『かれら の かみ,われら の て から かれら を すくえなかった ちから の ない かみ は どこ に いる のだ?』と いっせんかいも さけぶ こと に なる の を お わすれ に ならないで ください)( "Forget not, O Lord, that if you allow the infidels to prevail over us, they will blaspheme your holy Name and mock your power, crying out a thousand times, “Where is their God, the God who was powerless to save them from our hands ?” " ).主よ,私達が悲しみと苦しみの余(り)貴方に御助けを求めて居る時に(しゅ よ,わたくし たち が かなしみ と くるしみ の あまり あなた に おん たすけ を もとめて いる とき に),オオカミ(狼)共の怒りに道を譲った等と非難を受けない様に為て下さい(おおかみ ども の いかり に みち を ゆずった など と ひなん を うけ ない よう に して ください)( "Let it not be held against you, O Lord, that you gave way to the fury of the wolves, just when we were calling upon you in our misery and anguish." ).諸諸の戦いの偉大な神よ,私達を助けに来て下さい!(もろもろ の たたかい の いだい な かみ よ,わたくし たち を たすけ に きて ください!)( "Great God of battles, come to our aid! " )貴方が私達の大義を支えて下されば,異教徒軍団は私達に害を及ぼす事は出来ないでしょう(あなた が わたくし たち の たいぎ を ささえて くだされば,いきょうと ぐんだん は わたくし たち に がい を およぼす こと は できない で しょう)( "If you favour our cause, the armies of the infidels cannot harm us." ).戦いを望んだ彼等を,どうぞ散り散りバラバラに為て下さい!(たたかい を のぞんだ かれら を,どうぞ ちりぢり ばらばら に して ください!)( "Scatter these people that have wanted war ! " )私達は,貴方及び私達自身,そして(然うして)隣人と平和な関係に留まる事以上の何も望みません…(わたくし たち は,あなた および わたくし たち じしん,そして りんじん と へいわ な かんけい に とどまる こと いじょう の なに も のぞみ ません…)( "For our part, we ask no more than to be at peace with you, with ourselves and with our neighbour...” " )」
(以上,祈りの内容)〈いじょう,いのり の ないよう〉
マルコの祈祷は続き(まるこ の きとう は つづき),基督(キリスト)教徒軍団の指揮官と兵士達が神の恩寵と旧約( "of the Old Testament" )の英雄達の精神(=霊)と勇気から力を得て(きりすと きょうと ぐんだん の しきかん と へいし たち が かみ の おんちょう と きゅうやく の えいゆう たち の せいしん〈=れい〉と ゆうき から ちから を えて)( "The prayer continues with the request for the Christian army's leaders and soldiers to be strengthened with God's grace, with the spirit and courage of the heroes of the Old Testament, " ),基督の御名に対する敵の野望を打ち砕き,虚(空)しい物と為(し)(きりすと の おん な に たいする てき の やぼう を うち くだいて むなしい もの と し),神の御力を御示しになる様祈願為ます(かみ の おん ちから を しめ される よう きがん します)( "so that they may reduce to nought the enemies of the Christian name, and show forth God's power. " ).神が基督教徒軍団の兵士達の信仰の徳 "faith",希望の徳(望徳)"hope",慈愛の徳(愛徳)"charity" を上(天)から見守られる様祈願します(かみ が きりすと きょうと ぐんだん の へいし たち の しんこう の とく,きぼう の とく〈ぼう とく〉,じあい の とく〈あい とく〉を うえ〈てん〉から み まもられる よう きがん します)( "Let God look down on the Christian soldiers' faith, hope and charity." ).マルコは神に代わって,戦いに赴く兵士達に神の御祝福を与えます(まるこ は かみ に かわって,たたかい に おもむく へいし たち に かみ の おん しゅくふく を あたえ ます)( "On His behalf Marco will bless them on their way to battle." ).(預言者)モーゼ "Moses" の様に,マルコは両腕を挙げ基督(キリスト)教徒軍団の兵士達に神の御祝福を与え,彼等の上に神の御加護を祈願します(〈よげん しゃ〉モーゼ の よう に,まるこ は りょう うで を あげ きりすと きょうと ぐんだん の へいし たち に かみ の おん しゅくふく を あたえ,かれら の うえ に かみ の ご かご を きがん します)( "Like Moses, Marco will lift his arms to bless the Christian soldiers." ).神が彼等に勝利を御与えに為り,神と兵士達の敵が滅びます様に.アメン(かみ が かれら に しょうり を お あたえ に なり,かみ と へいし たち の てき が ほろび ます よう に.あめん)( "May God grant them victory, and the ruin of His and their enemies, Amen." ).
此の祈願は「犬共」とか「豚共」等の表現を含んで居り,政治的に見れば何とも不適格です!何と人種差別的でしょうか!耐え難い物です!(この きがん は「いぬ ども」とか「ぶた ども」とう の〈など の〉ひょうげん を ふくんで おり,せいじ てき に みれば なん とも ふ てきかく です!なんと じんしゅ さべつ てき で しょう か!たえ がたい もの です!)( "How politically incorrect ! “Dogs” and “swine” – How racist ! Intolerable ! " )だが,神が基督教徒達に(世間をあっと驚かせるような)勝利を御与えに為り,イスラム教徒達を300年もの間撃退為たと言うのが事実です(だが,かみ が きりすと きょうと たち に せけん を あっ と おどろか せる よう な しょうり を お あたえ に なり,いすらむ きょうと たち を さんびゃくねん もの あいだ げきたい した と いう のが じじつ です.)( "But the fact is that God granted to the Christians a sensational victory which threw back the Muslims for 300 years." ).今イスラム教徒達は戻って来て居ます(いま いすらむ きょうと たち は もどって きて います)( "Now they are back." ).そして(然うして),今回も全能の神に御助けを求める事に良心の呵責等殆ど(殆んど)何も無いでしょう…(そして,こんかい も ぜんのう の かみ に おん たすけ を もとめる こと に りょうしん の かしゃく など ほとんど なに も ない で しょう…)( "And this time there is virtually no repentance left to call upon Almighty God..." )
キリエ・エレイソン. (「主よ,憐れみ給え」→ミサ聖祭中の「求憐誦」)
(きりえ・えれいそん〈→ギリシア語で「主よ,憐れみ給え」〉)
Kyrie eleison.
リチャード・ウィリアムソン司教
(りちゃーど・うぃりあむそん しきょう)
* * *
訳注・参考資料
カプチン修道会士マルコ・ダ・アヴィアノ神父( "Fr. Marco da Aviano" )の祈祷の
イタリア語原文
(各国語翻訳者宛に,ウィリアムソン司教より提供)
O grande Dio degli eserciti, guardaci prostrati qui ai piedi della tua maestà, per impetrarti il perdono delle nostre colpe. Sappiamo bene di aver meritato che gl’infedeli impugnino le armi per opprimerci, perché le iniquità, che ogni giorno commettiamo contro la tua bontà, hanno giustamente provocato la tua ira. O gran Dio, ti chiediamo il perdono dall’intimo dei nostri cuori; esecriamo il peccato, perché Tu lo aborrisci; siamo afflitti perché spesso abbiamo eccitato all’ira la tua somma bontà. Per amore di Te stesso, preferiamo mille volte morire piuttosto che commettere la minima azione che ti dispiaccia. Soccorrici con la tua grazia, o Signore, e non permettere che noi tuoi servi rompiamo il patto che soltanto con te abbiamo stipulato. Abbi dunque pietà di noi, abbi pietà della tua Chiesa, per opprimere la quale già si preparano il furore e la forza degl’infedeli. Sebbene sia per nostra colpa ch’essi hanno invaso queste belle e cristiane regioni, e sebbene tutti questi mali che ci avvengono non siano altro che la conseguenza della nostra malizia, siici tuttavia propizio, o buon Dio, e non disprezzare l’opera delle tue mani. Ricordati che, per strapparci dalla servitú di Satana, Tu hai donato tutto il tuo prezioso Sangue. Permetterai forse ch’esso venga calpestato dai piedi di questi cani? Permetterai forse che la fede, questa bella perla che cercasti con tanto zelo e che riscattasti con tanto dolore, venga gettata ai piedi di questi porci? Non dimenticare, o Signore, che, se tu permetterai che gl’infedeli prevalgano su di noi, essi bestemmieranno il tuo santo Nome e derideranno la tua potenza, ripetendo mille volte: “Dov’è il loro Dio, quel Dio che non ha potuto liberarli dalle nostre mani?” Non permettere, o Signore, che ti si rinfacci di aver permesso la furia dei lupi, proprio quando t’invocavamo nella nostra miserevole angoscia. Vieni a soccorrerci, o gran Dio delle battaglie! Se Tu sei a nostro favore, gli eserciti degl’infedeli non potranno nuocerci.Disperdi questa gente che ha voluto la guerra! Per quanto ci riguarda, noi non amiamo altro che essere in pace con Te, con noi stessi e col nostro prossimo. Rafforza con la tua grazia il tuo servo e nostro imperatore Leopoldo; rafforza l’animo del re di Polonia, del duca di Lotaringia dei duchi di Baviera e di Sassonia, e anche di questo bell’esercito cristiano, che sta per combattere per l’onore del tuo Nome, per la difesa e la propagazione della tua santa Fede. Concedi ai príncipi e ai capi dell’esercito la fierezza di Giosué, la mira di Davide, la fortuna di Jefte, la costanza di Joab e la potenza di Salomone, tuoi soldati, affinché essi, incoraggiati dal tuo favore, rafforzati dal tuo Spirito e resi invincibili dalla potenza del tuo braccio, distruggano e annientino i nemici comuni del nome cristiano, manifestando a tutto il mondo che hanno ricevuto da Te quella potenza che un tempo mostrasti in quei grandi condottieri. Fa’ dunque in modo, o Signore, che tutto cospiri per la tua gloria e onore, e anche per la salvezza delle anime nostre. Te lo chiedo, o Signore, in nome dei tuoi soldati. Considera la loro fede: essi credono in Te, sperano tutto da Te, amano sinceramente Te con tutto il cuore. Te lo chiedo anche con quella santa benedizione, che io conferirò a loro da parte tua, sperando, per i meriti del tuo prezioso Sangue, nel quale ho posto tutta la mia fiducia, che Tu esaudirai la mia preghiera. Se la mia morte potesse essere utile o salutare, per ottenere il tuo favore per loro, ebbene te la offro fin d’ora, o mio Dio, in gradita offerta; se quindi dovrò morire, ne sarò contento. Libera dunque l’esercito cristiano dai mali che incombono; trattieni il braccio della tua ira sospeso su di noi, e fa’ capire ai nostri nemici che non c’è altro Dio all’infuori di Te, e che Tu solo hai il potere di concedere o negare la vittoria e il trionfo, quando ti piace. Come Mosé, stendo dunque le mie braccia per benedire i tuoi soldati; sostienili e appoggiali con la tua potenza, per la rovina dei nemici tuoi e nostri, e per la gloria del tuo Nome. Amen.
* * *
(訳注2・1)
「だらしない」「だらしがない」「だらしのない」の意味に就いて:下線部〈下記②の意味〉が今回の意味に該当する
・「だらしない」…「しだらない」の転.〔近世以降の語〕(「大辞林」より)
・「しだらない」の意味…しまりがない.だらしない.〔近世以降の語〕
・→「だらしない」…
①(外面的に)きちんとしていない.整っていない.
②(内面的に)節度がない.毅然としていない. しっかりしていない.
(用例)
①「だらしない服装」「だらしなく口を開けて寝ている」
②「金銭にだらしない」「政府の顔色を伺うマスコミのだらしない姿勢が問題だ」
(訳注2・2)
・「イスラム教」(「伊斯蘭教」,「回教」,「回回(フィフィ)教」)
・「イスラム教徒」(「伊斯蘭教徒」,「回教徒」・「回回〈フィフィ〉教徒」)
(訳注3・1)
「貴方だけ」…「たけ(丈)」からの転.〔江戸前期からの語〕
(訳注・3・2 )
the pact =旧約(きゅうやく)〈=預言者モーゼを介して真の神が神の被造物たる人間との間で結んだ「旧い契約』を参照.(「旧訳」ではなく,「旧約」.)
☆「新しい契約」(=「新約」→『新約聖書』を参照)
=神が人類と交わされた「新しい契約」という意味.
⇒救世主(=Christ, キリスト)となられた神の御独り子イエズスが,
救世の御業(きゅうせいのみわざ)を成し遂げられて,もたらされた.
(説明)
「神の御独り子の神」とは?…「真の神は三位一体」・「三位一体の神の第二の位格は,人類の主となられた「人となられた神イエズス・キリスト」
元始の人アダムとエワの犯した罪(=「真の神の命の原理(いのち の げんり)」に反逆すること)により,古今東西の全人類が,「原罪」(…「原罪」は死滅に値する)を持つ運命となった.
↓
新約聖書・使徒聖パウロによるローマ人への書簡:第5章12-21節を参照.
→真の神は全人類を創造された唯一の創造主であられ,
(まことの かみ は ぜん じんるい を そうぞう された ゆいいつ の そうぞうしゅ で あられ,)
・従って,古今東西の全人類は,生きて存在し続ける為,
(したがって,ここん とうざい の ぜん じんるい は,いきて そんざい し つづける ため,)
・真の神が全人類に命じておられる神の御命令→預言者モーゼによる「神の十戒」を,遵守する責務がある.
(まこと の かみ が ぜん じんるい に めいじて おられる かみ の おん めいれい→よげんしゃ もーぜ に よる「かみ の じっかい」を,じゅんしゅ する せきむ が ある.)
・上述の「責務」の意味する処は,即ち,「神の命令(モーゼの十戒)」は,原罪を背負った人類に対する,真の神からの罰ではなく,
(じょう じゅつ の「せきむ」のいみするところは,すなわち,「かみ の めいれい〈モーゼ の じっかい〉」は,げんざい を せおった じんるい に たいする,まこと の かみ から のばつ では なく,)
・原罪の瑕を生涯背負うことになってしまった人類に対する,真の神の愛と憐れみまた恩寵である,という現実である.
(げんざい の きず を しょうがい せおう こと に なって しまった じんるい に たいする,まこと の かみ の あい と あわれみ また おんちょう で ある,と いう げんじつ で ある.)
→「愛と命の起源で在られる全能の真の神」からの,瑕を負った人類に対する憐れみから発せられた恩寵である「神の御命令」に,もし人類が反逆するならば,万物の創造主たる唯一の真の神の慈愛と真理に逆らった廉(かど)で,
・全能の唯一の真の神により天を追放(てん を ついほう)され,地上に落とされた(ちじょう に おとされた)悪魔と同様(あくま と どうよう)
・現世での生命を終えて(げんせ で の せいめい を おえて)肉体が滅びると同時に(にくたい が ほろびる と どうじ に),
・人間は霊的にも滅亡(にんげん は れいてき に も めつぼう)し,その霊魂は永遠に地獄に堕ち(その れいこん は えいえん に じごく に おち),
・救霊の望みも断たれて永遠に滅亡の道を辿る(きゅうれい の のぞみ も たたれ て えいえん に めつぼう の みち を たどる)
→真の神に反逆(まことの かみに はんぎゃく)したままで,
・現世での生命を終えた霊魂の堕ちる地獄では,燃え盛る炎が(げんせ で の せいめい を おえた れいこん の おちる じごく では, もえさかる ほのお が),
・永遠に消えることがなく(えいえん に きえる こと が なく),そこに永遠に残存し苦しみ続けることになる(そこ に えいえん に ざんぞん し くるしみ つづける こと に なる).
・悪魔・諸諸の悪霊と同じ運命(あくま・もろもろの あくれいと おなじ うんめい)である.
→唯一の全能の真の神は
・「真の命の存在(まことの いのちの そんざい)」そのもので在られるから,
・その「真の命」の摂理(原理)・法則に逆らった者が命を失う(「まこと の いのち」の せつり〈げんり〉・ほうそく に さからった もの が いのち を うしなう)のは,自明の理(じめい の り)である.
✙神が「(モーゼの)十戒」と呼ばれる「神の掟(おきて)」を人間に守る様(にんげんに まもる よう)教えて(おしえて)おられるのは,
・人間が,滅(ほろ)びることなく,神より与えられた真の命(まことの いのち)を永遠に保ち,永遠に生き続ける(えいえんに たもち,えいえんに いきつづける)様になる為であり,
・人間を処罰(しょばつ)して永遠に滅ぼし去る為(えいえんに ほろぼし さる ため)ではない.
***
・人間には,真の神を冒涜して亡き者にする能力は無い.
(にんげん には,まこと の かみ を ぼうとく して なきもの に する のうりょく は ない.)
・また,真の神は全能の御方で在られ,御出来に為らない事は一つも無い.
(また,まこと の かみ は ぜんのう の おん かた で あられ,お でき に ならない こと は ひとつ も ない.)
・従って,全能唯一の真の神は,御自分が存在される為に,不完全な弱い人間に護ってもらう必要もない.
(したがって,ぜんのう ゆいいつ の まこと の かみ は,ごじぶん が そんざい される ため に,ふかんぜん な よわい にんげん に まもって もらう ひつよう も ない.)
・また,悪魔は,人間同様,神の被造物(=神に創造された物)に過ぎず,当然,万物の創造主であられる唯一の真の神よりも弱小の存在である.
(また,あくまは,にんげんどうよう,かみ の ひ ぞう ぶつ〈=かみ に そうぞう された もの〉に すぎ ず,とうぜん,ばんぶつ の そうぞう しゅ で あられる ゆいいつ の まこと の かみ より も じゃくしょう の そんざい で ある.)
・悪魔・悪霊は,永遠に真の神の摂理に反逆し,慈愛・善良なる神の創造された,世に在る全ての善良なる万物を破壊して真の神に反逆し続ける
(あくま・あくれいは,えいえん に まこと の かみ の せつり に はんぎゃく し,じあい・ぜんりょう なる かみ の そうぞう された,よ に ある すべて の ぜんりょう なる ばんぶつ を はかい して まこと の かみ に はんぎゃく し つづける).
・また真の神は,御自身の御独り子の神が,真の神の真実を全うする為に御自身の命を犠牲に差し出すという犠牲行為までも,御許しになった(御独り子の神イエズス・キリストの受難と十字架上の死).
・それ程に,始めの人アダムとエワの原罪の汚(けが)れを引き継いだままの,「原罪」の支払う「死の報酬」を運命に背負ったままの人間を,真の神は憐れまれた.
・人間は所詮,塵に過ぎない存在である.地上に生を受け,短期間,どんなに栄華を極めたとしても,どんなに深く人を敬愛しても,真心を注ぎ出しても,どれほど大宇宙の天体や大自然の美しさに心を打たれ,また美しい音楽や絵画等の芸術作品に心酔しても,生まれ出でて現世の美しさを知って後あっという間に時は過ぎ去り,虚しく死去して行く.
(にんげん は しょせん,ちり に すぎない そんざい で ある.ちじょう に せい を うけ,たんきかん,どんな に えいが を きわめた と しても,どんな に ふかく ひと を けいあい して も,こころ を そそぎ だして も,どれほど だい うちゅう の てんたい や だい しぜん の うつくしさ に こころ を うたれ,また うつくしい おんがく や かいが とう の げいじゅつ さくひん に しんすい して も,うまれ いでて げんせ の うつくしさ を しって のち あっ と いう ま に とき は すぎ さり,むなしく しきょ して ゆく.)
・真の光で在られる,真の神の御独り子なる神が,聖霊によって,現世において人の子(=童貞聖マリアの御子)として御宿りになり,御母(=聖母)マリアよりお生まれになり,現世において御受難・十字架上の死・御復活を通して,闇の権力(現世における悪魔の力.宇宙・地上〈=空中〉の支配者)を打ち破り,死滅をもたらす罪の鎖を解いたことで,救世(=この世が永遠の命を回復する事)の御業を成し遂げられた.
・こうして,この神の御独り子による救世の御業を信じる信仰によって,現世は救済され得る存在と変えられた.
✙「まだ見なくても,望みを抱いて信じる人」,「存在しないところから存在を生み出せる真の神は,死者をも復活させることがお出来になると信じる人」は,
・「(行いではなく)信仰による義人」「信仰の父」と真の神に認められ,
・また「あなたとあなたの子孫が,この世の世継ぎとなる」と,真の神に約束された,真の信仰の父祖アブラハムと同じ民族とみなされる.アブラハムは古今東西のすべて信仰を守る人の父である.
→新約聖書・使徒・福音史家の聖ヨハネによる聖福音書の冒頭(第1章)によれば,神の御目から見た「真の人間」とは,「ただ神によって生まれた人々」を指す.
『1 *はじめにみことばがあった.みことばは神とともにあった.みことばは神であった.
2 みことばははじめに神とともにあり,
3 *万物はみことばによって創られた.創られた物のうちに,一つとしてみことばによらずに創られたものはない.
4 みことばに生命があり,生命は人の光であった.
5*光はやみ(闇)に輝いたがやみはそれを悟らなかった.
6 さて,神から遣わされた人がいて,その名をヨハネと言った.
7 この人は,光を証明するために,またすべての人が彼によって信じるために,証人として来た.
8 この人は光ではなく,光を証明するために来た.
9 *すべての人を照らすまことの光は,まさにこの世に来るところであった.
10 みことばは世にあり,世はみことばによって創られたが,世はそれを認めなかった.
11 *みことばはご自分の家に来られたが,その人々は受け入れなかった.
12 しかし,その方を受け入れた人々にはみな神の子となれる力を授けた.そのみ名を信じるすべての人たち,
13 *彼らは,血筋ではなく,肉体の意志ではなく,人の意志ではなく,ただ神によって生まれた人々である.
14 みことばは肉体となって,私たちのうちに住まわれた.私たちはその栄光を見た.それは,御独り子として御父から受けられた栄光であって,恩寵と真理に満ちておられた.
15 ヨハネは彼を証明し,「〈私のあとに来るお方は,私よりすぐれた方で,私より前に存在しておられた〉と言ったのはこの方のことだ」と宣言した.
16 そうだ,私たちはその満ちあふれるところから恩寵に次ぐ恩寵を受けた.
17 なぜなら,律法はモーゼを通じて与えられたが,恩寵と真理はイエズス・キリストによって私たちの上に来たからである.
18 神を見た人は一人もいない.御父のふところにまします御独り子の神がこれを示された.』
…ヨハネによる福音書:第1章1-18節
(注釈)
*後日,追補いたします.
* * *
新約聖書・使徒聖パウロのローマ人への書簡:第4章13-
→
『13 *実に,この世の世継ぎとなるという約束がアブラハムとその子孫に与えられたのは,律法(による行い)によるのではなく信仰の義によってである.
14 …
15 律法は神の怒りを招く.律法のないところには違反もないからである.
16 つまり,義とされるのは信仰による.それだから無償の賜である.こうして約束はすべての子孫に,すなわち律法を持つ人だけでなく,アブラハムの信仰をもつ人にも保証される.彼アブラハムは私たちみなの父である.
17 「私はあなたを多くの民の父と定めた」と書き記されているとおりである.死者を生かし,存在しないものを存在させられるところの,彼が信じた神のみ前に,アブラハムは私たちみなの父である.
18 *望みなきときにもなお望みを捨てず信じた彼は,多くの民の父となった.「あなたの子孫はこうであろう」と言われたとおりである.
19 そして,もう百歳ほどになって死んだような自分の体と死んだようなサラ(=アブラハムの妻)の胎(たい)を思ったけれども,その信仰は弱らなかった.
20 不信仰によって神の約束を疑うことをせず,信仰に強められて神に光栄を帰し,
21 その約束されたことを成し遂げる力があるとまったく信じた.
22 それがために,彼の信仰は義とされた.
23 「義とされた」と記されたのはアブラハムのためだけでない,
24 私たちのためでもある.*主イエズスを死者からよみがえらせたお方を信じる私たちのためでもある.
25 主は私たちの罪のためにわたされ,私たちを義とするためによみがえられた.』
(注釈)
*13 新約聖書・使徒聖パウロのガラツィア人への書簡:第3章16節参照.
*17 創世の書・第17章5節を参照.神の全能をよく表す創造の力をほのめかし,24節のキリスト復活のことをここから準備している.
*18 アブラハムは老齢で,子をもうける希望がなかったのに,なお神の約束を信じていた.
*24 アブラハムの信仰の土台は,死者を生かす神であった.キリスト信者の信仰の土台は,イエズスをよみがえらせた神である.
第5章1-11節「義とされるのは信仰による」
『信仰によって義とされた私たちは,主イエズス・キリスト(=救世主)によって神と和解している.
私たちは主によって,(*信仰によって),今保っている恩寵にあずかり,また神の光栄に希望をかけて誇る.
そればかりでなく患難を誇る.患難は根気を生み,
根気は鍛錬された徳を生み,鍛錬された徳は希望を生むことを知っているからである.
希望はあざむかない.私たちに与えられた聖霊によって,この心に神の愛が注がれたからである.
私たちがまだ病んでいたその時,キリスト(=救世主)は定めの時に,不敬な人々のために亡くなられた.
実に義人のために死ぬ人は少ない.そうだ,善人のために死をいとわない人はあるかもしれぬ.
だが私たちがまだ罪人であった時,キリストが私たちのために死去されたことによって,神は私たちへの愛を示された.
いま,その御血によって義とされた私たちは,なおさら主によって神の怒りから救われるのである.
私たちが敵であったのに,み子の死によって神と和睦を取り戻したのなら,和睦したのちキリストの命によって救われるのはなお確かである.
そればかりか私たちは,いま和睦を得た主イエズス・キリストによって,神において誇る.』
(この後,「イエズスはアダムの罪をあがなった」〈第5章12-21節〉の件〈行.くだり〉へ,続く)
* * *
✾地上で「肉体の死」を迎えると
→(「四旬節」が始まる「灰の水曜日」に唱えられる「人よ,あなたは塵(ちり)であって,塵に帰る」との預言の御言葉通り),
・地上にて新たな生命を産み出す事を繰り返しながらも死んで滅びて行くしかない,
→そのような人生を代々に繰り返しつつ,
・永久に現世の続く限り,その死滅すべき運命を背負いつつ,出生・存在また死滅を繰り返し,し続けて行かなければならなくなってしまった人間を,
→真の神は深く憐れまれた.
・始めの人アダムとエワによって,真の神の真実につけられた原罪の瑕(げんざい の きず)は,
・神御自身の真実(すなわち,御独り子の神が悪〈罪〉の犠牲となって苦しまれお流しになった真の聖い御身体と御血.)
→この尊い御身体と御血すなわち「原罪」の汚れ〈けがれ〉の無い,世に唯一,至聖なる神の御独り子兼救世主の御身体と御血)によって,報われ,回復される他になかった.
・「御独り子の神」とは「人となられた神」すなわち三位一体の第二位格の神「イエズス・キリスト」を指す.
・唯一の,万物の創造主で在られる全能永遠の唯一の真の神は,永遠の愛で在られ,永遠の光で在られ,永遠の命で在られ,また,永遠の善なる御方で在られる.
(ゆいいつ の, ばんぶつ の そうぞうしゅ で あられる ぜんのう えいえん の かみ は,えいえん のあい で あられ,えいえん の ひかり で あられ,えいえん の いのち で あられ,また,えいえん のぜん なる おんかた で あられる.)
・唯一の真の神は(ゆいいつ の まこと の かみは),永遠かつ完全なる慈愛・命・光・善をもって,その摂理のもとに(えいえん かつ かんぜん なる じあい・いのち・ひかり・ぜん を もって,その せつり の もと に),万物を創造された(ばんぶつ を そうぞう された)
・現世における人生で,人はみな,この愛と命そのもので在られる真の神から創造されて,生まれて来ているのであるから,
・罪を犯して,神から自分に与えられた貴重な命を落とすようなことを選び取ってはならない
・真の神が犠牲に差し出された御独り子の神(人となられた神,救世主となられた神)で,私達人類の主(しゅ)イエズス・キリストが,十字架上で流された聖なる(=罪の汚れの無い)御血のみが,私達人間を原罪の呪縛から解放し救済することが出来た,という事実を,今信じる人の命は,回復される.
・なぜ十字架かといえば,救世主の御受難当時,ユダヤ地方を支配していたローマ帝国の極刑が十字架刑であったからである.
・真の神なる救世主は,一つも罪を犯さなかったが,最も残酷な刑罰と言われていた十字架刑に処された.
・当時,自ら刑罰を科すことをローマ皇帝より禁じられていた,ユダヤ教当局者達が,救世主(=キリスト)イエズスに対する自らの妬みの為,
・当時ユダヤ地方を治めていたローマ総督ポンテオ・ピラトのもとに,イエズスを十字架刑に処すよう願い出た.
・ピラトはイエズス尋問の結果,何の罪も見出さなかったが,イエズスがユダヤ教当局者達に引き渡されたのは,妬みの為だと読み取っていたので,何とかイエズスを救おうとしたが,ユダヤ教当局者達は,群衆を扇動してピラトに圧力をかけさせ,イエズスの十字架刑を執行させた.
・ピラトは,ヘブライ語・ラテン語・ギリシア語で「ユダヤ人の王ナザレトのイエズス(I.N.R.I.)」と
はり札を書いて,十字架上にかかげさせた.
・救世主は,ユダヤ人から出たが,それは,真の神が,アブラハムを「信仰の父」としてユダヤ人の父祖と認められたからである.
✙新約聖書・「使徒聖パウロのローマ人への書簡:第4章16-18節」より
・「(アブラハムは)「望みなきときにもなお望みを捨てず信じた.」「その信仰により,アブラハムは(真の神に)義人と認められた.」
・「(真の神に)…義とされるのは信仰による.それだから無償の賜(たまもの)である.」
・そして,『…この世の世継ぎとなる,と神がアブラハムとその子孫に御約束された,その同じ御約束が,アブラハムの信仰を持つ人にも保証される.』(13-16節)
・「死者を生かし,存在しないものを存在させられるところの,彼が信じた神のみ前に,アブラハムは私たちみなの父である.」
***
✙参考文献…
・新約聖書・旧約聖書
・神の御独り子また救世主であられる主イエズス・キリストの
使徒および福音史家聖ヨハネによる
「聖ヨハネの黙示録」を参照.
(訳注の掲載を続けます)
* * *
本投稿記事・第435回エレイソン・コメンツ「頑固な異教徒」( 2015年11月14日付)(解説付き版) "ELEISON COMMENTS CDXXXV (Nov. 14, 2015) : DOGGED INFIDELS" は2015年12月8日20時50分に掲載されました.
* * *
* * *
(解説無し)
エレイソン・コメンツ 第435回 (2015年11月14日)
欧州(ヨーロッパ)が信仰を持っていた時には
イスラム教徒の大群を打ち負かせました.
だが,今はどうでしょうか? ― 延延と退却です.
When Europe had the faith, it could defeat
The Muslim hordes, but now ? – one long retreat.
衰退するキリスト教世界の遺物はいま,千年に及ぶ神の敵によって組織され,西側諸国のだらしない政治家たちや堕落したメディアに支えられたイスラム教徒たちの侵略に直面しています.このような事態を前に,過去いかにしばしばキリスト王国(救世主の王国)がイスラムの侵略に脅かされたか,そしてキリストの王国(=真の救世主の王国)がその都度神に目を向けることによりいかに自らを守ってきたかを振り返るのは有意義なことでしょう.1683年の夏,15万から30万人というイスラム軍団兵士たちがウイーンを包囲し,南東からヨーロッパ全土を飲み込もうとしました.イスラム教徒たちはイスラム教の誇りをかけてローマを奪回しようとさえしました。この時,高徳な(=聖人のように気高い) "saintly" カプチン修道会士マルコ・ダ・アビアノ神父( "Fr. Marco da Aviano" )の助けを受け,教皇インノケンティウス10世はヨーロッパ数か国から成るキリスト軍団を組織してウイーンを救いました.以下は修道士マルコが戦いの直前に捧げた祈りの内容です:--
As the faltering remains of Christendom face today a Muslim invasion organized by the millennial enemies of God, and made possible by the Western nations' wretched politicians and vile media, it is well to remember how often in times past Christendom was threatened by Muslim invasions, and how Christendom then defended itself, by turning to God. In the summer of 1683, a huge Muslim army of anything from 150 to 300 thousand soldiers besieged Vienna and threatened to engulf Europe from the south-east. The Muslims even envisaged capturing Rome, for the glory of Islam. With the help of a saintly Capucin, Fr. Marco da Aviano, Pope Innocent XI succeeded in putting together a Christian army from several European nations to relieve Vienna. Here is the prayer of the Capucin just before the battle:--
「おお万軍の神なる主よ,私たちの諸諸の罪のお赦しを乞うため,私たちがあなたの足元にひざまずく姿をご照覧ください.異教徒たちが武器を手にして私たちを弾圧することになったのは私たちが受ける当然の報いだと私たちには十分に分かっています.なぜなら,あなたの親切心を前に私たちが日々行った非行の数々がまさしくあなたのお怒りを招いたからです.おお偉大な神よ,私たちは心の奥底からあなたのお赦しを乞います.私たちはあなたが嫌う罪を嫌います.私たちはあなたの至高なる善意を何度となく無にしたため悩み苦しんでいます.あなたの愛を得るためなら,私たちは小さな行いであなたを不快にさせるより,むしろ千回も死んだ方がましだと考えます.私たちの主よ,恩寵により私たちをお助けください.そして,あなたの僕(しもべ)たちがあなただけと結んだ約束を破らないように導いてください.異教徒たちの怒りと力が制圧しようとしている私たちやあなたの教会にどうぞご慈悲をお与えください.異教徒たちがキリスト教に従う諸国の平穏を破ろうとしているのがたとえ私たち自身の過ちによるものだとしても,私たちに降りかかるあらゆる難事が私たち自身の邪悪の結果から来るものだとしても,どうぞ私たちにご慈悲をかけ続けてください.善意にあふれる神よ,どうぞあなたの僕(しもべ)のなした行いをさげすまないでください.悪魔への隷属から私たちを救うため,あなたが貴重な御血のすべてを流されたことを思い起こしてください.」
“O Lord God of Hosts, Behold us prostrate at the feet of your Majesty, to obtain forgiveness for our sins. Well do we know how we have deservedthat the infidels take up arms to oppress us, because the iniquities committed by us every day against your goodness have justly provoked your wrath. O great God, from the depth of our hearts we ask you to forgive us; we execrate sin because you abhor it; we are afflicted because we have often angered your supreme goodness.For love of you we would rather die a thousand times than commit the least act to displease you. Come to our aid, O Lord, with your grace, and let not your servants break the pact which we have made with you alone. Have pity upon us, have pity on your Church, which the fury and strength of the infidels are even now preparing to oppress. Even if it is by our own faultthat they have broken in on the serenity of these Christian countries, and even if all the ills coming upon us are none other than the consequence of our own wickedness, still be propitious towards us, O God of all goodness, and despise not the work of your own hands. Remember how to save us from the slavery of Satan, you shed all of your Precious Blood.
「あなたはキリストの王国が彼ら犬どもに踏みにじられるのをお許しになるでしょうか?あなたが情熱をもってさんざん苦労して救われた信仰という貴重な真珠を豚どもに投げ与え踏みつぶされるままにすることなどありうるのでしょうか?主よ,もし異教徒たちが私たちを圧倒するのをあなたがお許しになれば,彼らはあなたの聖なる御名をおとしめ,あなたの権威を嘲笑い,『彼らの神,われらの手から彼らを救えなかった力のない神はどこにいるのだ?』と叫ぶことになるのをお忘れにならないでください.主よ,私たちが悲しみと苦しみのあまりあなたに助けを求めているときに,オオカミどもの怒りに道を譲ったなどと非難を受けないようにしてください.諸諸の戦いの偉大な神よ,私たちを助けにきてください!あなたが私たちの大義を支えてくだされば,異教徒軍団は私たちに害を及ぼすことはできないでしょう.戦いを望んだ彼らを,どうぞ散り散りバラバラにしてください!私たちは,あなたおよび私たち自身,そして隣人と平和な関係にとどまること以上の何も望みません.」
“Will you allow it to be trodden underfoot by these dogs ? Can it be that you will permit the precious pearl of the faith, which you sought out with such zeal and rescued with so much suffering, to be thrown to these swine to be trampled on ? Forget not, O Lord, that if you allow the infidels to prevail over us, they will blaspheme your holy Name and mock your power, crying out a thousand times, “Where is their God, the God who was powerless to save them from our hands ?” Let it not be held against you, O Lord, that you gave way to the fury of the wolves, just when we were calling upon you in our misery and anguish. Great God of battles, come to our aid! If you favour our cause, the armies of the infidels cannot harm us. Scatter these people that have wanted war ! For our part, we ask no more than to be at peace with you, with ourselves and with our neighbour...”
(以上,祈りの内容)
マルコの祈りは続き,キリスト教徒軍団の指揮官と兵士たちが神の恩寵と旧約の( "of the Old Testament" )英雄たちの精神(=霊)と勇気から力を得て,キリストの名に対する敵の野望を打ち負かして虚(空)しいものとし,神の力を示すよう願います.神がキリスト教徒軍団の兵士たちの信仰の徳,希望の徳,慈愛の徳を上(天)から見守るよう祈ります.マルコは神に代わって,戦いに赴く兵士たちを祝福します.神が兵士たちに向けて振り上げた激しい怒りの手を引込め,神の敵たちが彼以外に神がいないことを知るようにしてくださいと祈ります.モーゼのように,マルコは両腕を挙げキリスト教軍団の兵士たちへの神のご加護を祈ります(祝福を与えます).神が彼らに勝利をお与えになり,神とその兵士たちの敵が滅びますように.アーメン.
The prayer continues with the request for the Christian army's leaders and soldiers to be strengthened with God's grace, with the spirit and courage of the heroes of the Old Testament, so that they may reduce to nought the enemies of the Christian name, and show forth God's power. Let God look down on the Christian soldiers' faith, hope and charity. On His behalf Marco will bless them on their way to battle. Let God hold back the arm of his wrath raised over them, and let His enemies know that there is no other God beside Him. Like Moses, Marco will lift his arms to bless the Christian soldiers. May God grant them victory, and the ruin of His and their enemies, Amen.
この祈りは――「犬ども」とか「豚ども」などの表現を含んでおり――政治的に見ればなんとも不適格です! なんと人種差別的でしょうか! 耐えがたいものです! だが,神がキリスト教徒たちに世間をあっと驚かせるような勝利( "a sensational victory" )をお与えになり,イスラム教徒たちを300年ものあいだ撃退したというのが事実です.今イスラム教徒たちは戻ってきています.そして,今回も全能の神に助けを求めることに良心の呵責などほとんどなにもないでしょう…
How politically incorrect ! “Dogs” and “swine” – How racist ! Intolerable ! But the fact is that God granted to the Christians a sensational victory which threw back the Muslims for 300 years. Now they are back. And this time there is virtually no repentance left to call upon Almighty God...
キリエ・エレイソン.
Kyrie eleison.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
* * *
本投稿記事・第4回エレイソン・コメンツ「頑固な異教徒」(「 2015年11月14日付)"ELEISON COMMENTS CDXXXV (Nov. 14, 2015) : DOGGED INFIDELS" は2015年12月1日20時55分に掲載されました.
* * *
エレイソン・コメンツ 第435回 (2015年11月14日)
欧州(ヨーロッパ)が信仰を持って居た時には
イスラム教徒の大群を打ち負かせました.
(おうしゅう〈よーろっぱ〉が しんこう を もって いた とき には
いすらむ きょうと の たいぐん を うち まかせ ました.)
( "When Europe had the faith, it could defeat" )
だが,今は如何でしょうか? ― 延延と退却です.
(だが,いまはどうでしょうか?― えんえんとたいきゃくです.)
( "The Muslim hordes, but now ? – one long retreat." )
衰退する全基督(キリスト)教諸国世界の遺物は今,千年に及ぶ神の敵に拠(因)って組織され(すいたい する ぜん きりすと きょうこく せかいの いぶつ は いま,せんねん に およぶ かみ の てき に よって そしき され),西側諸国のだらしない(訳注後記・2・1)政治家達や堕落したメディア(=新聞・テレビ・ラジオ等の情報媒体)に支えられたイスラム教徒(訳注後記・2・2)達の侵略に直面して居ます(にしがわ しょこく の だらしない せいじか たち や だらく した めでぃあ〈=しんぶん・テレビ・ラジオ とう の じょうほう ばいたい〉に ささえ られた いすらむ きょうと たち の しんりゃく に ちょくめん して います)( "As the faltering remains of Christendom face today a Muslim invasion organized by the millennial enemies of God, and made possible by the Western nations' wretched politicians and vile media, …" ).此の様な事態を前に,過去如何に屡(しばしば)基督教(キリスト教)王国がイスラム(訳注後記・2・2)の侵略に脅かされたか(このような じたい を まえ に,かこ いか に しばしば きりすと きょう おうこく が いすらむ の しんりゃく に おびやか された か)そして(然うして)基督教王国が其の都度神に目を向ける事に由(依・拠・因)り如何に自らを守って来たかを振り返るのは有意義な事でしょう(そして,きりすと きょう おうこく が その つど かみ に め を むける こと に より いか に みずから を まもって きた か を ふり かえる の は ゆういぎ な こと で しょう)( "…it is well to remember how often in times past Christendom was threatened by Muslim invasions, and how Christendom then defended itself, by turning to God." ).1683年の夏,15万(十五万)から30万(三十万)人というイスラム軍団兵士達がウィーン(維納)を包囲為,南東柄(から)欧州(ヨーロッパ)全土を飲み込もうと為ました(せん ろっぴゃく はち じゅう さん ねん の なつ,じゅうご まん から さんじゅう まん にん と いう いすらむ ぐんだん へいし たち が うぃーん を ほうい し,なんとう から おうしゅう〈よーろっぱ〉ぜんど を のみこもう と しました)( "In the summer of 1683, a huge Muslim army of anything from 150 to 300 thousand soldiers besieged Vienna and threatened to engulf Europe from the south-east." ).イスラム教徒達はイスラム教の誇りを懸けて(賭けて)ローマ(羅馬)を奪回(奪還)為ようとさえ(添え)為ました(いすらむ きょうと たち は いすらむ きょう の ほこり を かけて ろーま を だっかい しよう と さえ しました)( "The Muslims even envisaged capturing Rome, for the glory of Islam." ).此の時,高徳な(聖人の様な)カプチン修道会士マルコ・ダ・アビアノ神父( "Fr. Marco da Aviano" )の助けを受け(この とき,こうとく な〈せいじん の よう な〉かぷちん しゅうどう かい し まるこ・だ・あびあの しんぷ の たすけ を うけ),教皇インノケンティウス11世( "Pope Innocent XI" )は欧州(ヨーロッパ)数か国柄(から)成る基督教徒軍団を組織してウィーン(維納)を救いました(きょうこう いんのけんてぃうす じゅういっ せい は おうしゅう〈よーろっぱ〉すう か こく から なる きりすと ぐんだん を そしき して うぃーん を すくい ました)( "With the help of a saintly Capucin, Fr. Marco da Aviano, Pope Innocent XI succeeded in putting together a Christian army from several European nations to relieve Vienna." ).以下は修道士マルコが戦いの直前に神に奉献した祈祷(祈り)の内容です(いか は しゅうどう し まるこ が たたかい の ちょくぜん に かみに ほうけん した きとう〈いのり〉の ないよう です):-- ( "Here is the prayer of the Capucin just before the battle:-- " )
「おお万軍の神なる主よ,私達が此れ(之・是・惟)迄(まで)に犯した数々の罪の御赦しを乞う為,私達が貴方の足元に跪く姿を御照覧下さい(おお ばんぐん の かみ なる しゅ よ,わたくし たち が これ まで に おかした かずかず の つみ の おゆるし を こう ため,わたくし たち が あなた の あし もと に ひざまずく すがた を ご しょうらん ください)( " “O Lord God of Hosts, Behold us prostrate at the feet of your Majesty, to obtain forgiveness for our sins." ).異教徒達が武器を手に為て私達を弾圧為る事に成ったのは私達が受ける当然の報いだと私達には十分に分かって居ります(いきょうと たち が ぶき を て に して わたくし たち を だんあつ する こと に なった のは わたくし たち が うける とうぜん の むくい だ と わたくし たち に は じゅうぶん に わかって おり ます)( "Well do we know how we have deserved that the infidels take up arms to oppress us, …" ).何故なら,貴方の親切心を前に私達が日々行った非行の数々が正しく貴方の御怒りを招いた柄です(なぜなら,あなた の しんせつ しん を まえ に わたくし たち が ひび おこなった ひこう の かずかず が まさしく あなた の おいかり を まねいた から です)( "… because the iniquities committed by us every day against your goodness have justly provoked your wrath." ).おお偉大な神よ,私達は心の奥底柄貴方の御赦しを乞います.私達は貴方が憎み嫌う罪を憎み嫌います(憎悪します,嫌悪します)(おお いだい な かみ よ.わたくし たち は こころ の おくそこ から あなた の お ゆるし を こい ます.わたくし たち は あなた が にくみ きらう つみ を にくみ きらい ます)〈ぞうお します,けんお します〉( "O great God, from the depth of our hearts we ask you to forgive us; we execrate sin because you abhor it; …" ).私達は貴方の至高なる善意を何度となく無にした為(為た為)悩み苦しんで居ります(わたくし たち は あなた の しこう なる ぜんい を なんど と なく む に した ため なやみ くるしんで おり ます)( "… we are afflicted because we have often angered your supreme goodness." ).貴方の愛を得る為なら,私達は小さな行いで貴方を不快にさせるより,寧ろ千回も死んだ方がまし(増し)だと考えます(あなた の あい を える ため なら,わたくし たち は ちいさな おこない で あなた を ふかい に させる より,むしろ せん かい も しんだ ほう が まし だ と かんがえ ます)( "For love of you we would rather die a thousand times than commit the least act to displease you." ).私達の主よ,恩寵に因り(依り)私達を御助け下さい(わたくし たち の しゅ よ,おんちょう に より わたくし たち を お たすけ ください)( "Come to our aid, O Lord, with your grace, …" ).そして(然うして),貴方の僕(しもべ)達が貴方だけ(丈)(訳注後記・3・1 )と結んだ約束(訳注後記・3・2 )を破らない様に導いて下さい(そして,あなた の しもべ たち が あなた だけ と むすんだ やくそく を やぶらない よう に みちびいて ください)( "… and let not your servants break the pact which we have made with you alone." ).異教徒達の怒りと力が制圧為ようと為て居る私達や貴方の教会にどうぞ御慈悲を御与え下さい(いきょうと たち の いかり と ちから が せいあつ しよう として いる わたくし たち や あなた の きょうかい に どうぞ ご じひ を お あたえ ください)( "Have pity upon us, have pity on your Church, which the fury and strength of the infidels are even now preparing to oppress." ).異教徒達が基督(キリスト)教諸国の平穏を破ろうと為て居るのがたとえ私達自身の過ちに因る(依る)物だと為ても(いきょうと たち が きりすと きょう しょ こく の へいおん を やぶろう と して いる の が たとえ わたくし たち じしん の あやまち に よる もの だ と しても)( "Even if it is by our own fault that they have broken in on the serenity of these Christian countries, …" ),私達に降り掛(か)る(降り懸〈か〉る)あらゆる難事が私達自身の邪悪の結果柄来る物だと為ても(わたくし たち に ふりかかる あらゆる なんじ が わたくし たち じしん の じゃあく の けっか から くる もの だ と しても)( "… and even if all the ills coming upon us are none other than the consequence of our own wickedness, …" ),どうぞ私達に御慈悲を懸け続けて下さい(どうぞ わたくし たち に ご じひ を かけ つづけて ください)( "… still be propitious towards us,.善意に溢れる神よ…(ぜんい に あふれる かみ よ…)( "O God of all goodness, …" ),…どうぞ貴方の僕(しもべ)の為した行いを蔑まないで下さい(…どうぞ あなた の しもべ の なした おこない をさげすま ない で ください)( "… and despise not the work of your own hands." ).悪魔への隷属柄私達を救う為,貴方が貴重な御血の全てを流された事を思い起こして下さい(あくま へ の れいぞく から わたくし たち を すくう ため,あなた が きちょう な おんち の すべて を ながされた こと を おもい おこして ください)( "Remember how to save us from the slavery of Satan, you shed all of your Precious Blood." ).」
「貴方は基督教諸国が彼等犬共に踏み躙られるのを御許しに為るでしょうか?(あなた は きりすと きょう しょ こく が かれら いぬ ども に ふみ にじられる の を お ゆるし に なる で しょう か?)( " “Will you allow it to be trodden underfoot by these dogs ? " )貴方が情熱を以て散散苦労して救われた信仰と言う貴重な真珠を豚共に投げ与え踏み踏み潰される儘(侭)に為事等有り得るのでしょうか?(あなた がじょうねつ を もって さんざん くろう して すくわれた しんこう と いう きちょうな しんじゅ を ぶた ども に なげ つけ あたえ ふみ つぶされる まま に する こと など あり うる の で しょう か?)( "Can it be that you will permit the precious pearl of the faith, which you sought out with such zeal and rescued with so much suffering, to be thrown to these swine to be trampled on ? " )主よ,若し異教徒達が私達を圧倒為のを貴方が御許しに為れば,彼等は貴方の聖なる御名を貶め(しゅ よ,もし いきょうと たち が わたくし たち を あっとう する の を あなた が お ゆるし に なれば,かれら は あなた の せい なる おん な を おとしめ)( "Forget not, O Lord, that if you allow the infidels to prevail over us, they will blaspheme your holy Name …" ),貴方の権威を嘲笑い,『彼等の神,我等の手柄彼等を救えなかった力の無い神は何処に居るのだ?』と一千回も叫ぶ事に為るのを御忘れに為らないで下さい(あなた の けんい を あざ わらい,『かれら の かみ,われら の て から かれら を すくえなかった ちから の ない かみ は どこ に いる のだ?』と いっせんかいも さけぶ こと に なる の を お わすれ に ならないで ください)( "Forget not, O Lord, that if you allow the infidels to prevail over us, they will blaspheme your holy Name and mock your power, crying out a thousand times, “Where is their God, the God who was powerless to save them from our hands ?” " ).主よ,私達が悲しみと苦しみの余(り)貴方に御助けを求めて居る時に(しゅ よ,わたくし たち が かなしみ と くるしみ の あまり あなた に おん たすけ を もとめて いる とき に),オオカミ(狼)共の怒りに道を譲った等と非難を受けない様に為て下さい(おおかみ ども の いかり に みち を ゆずった など と ひなん を うけ ない よう に して ください)( "Let it not be held against you, O Lord, that you gave way to the fury of the wolves, just when we were calling upon you in our misery and anguish." ).諸諸の戦いの偉大な神よ,私達を助けに来て下さい!(もろもろ の たたかい の いだい な かみ よ,わたくし たち を たすけ に きて ください!)( "Great God of battles, come to our aid! " )貴方が私達の大義を支えて下されば,異教徒軍団は私達に害を及ぼす事は出来ないでしょう(あなた が わたくし たち の たいぎ を ささえて くだされば,いきょうと ぐんだん は わたくし たち に がい を およぼす こと は できない で しょう)( "If you favour our cause, the armies of the infidels cannot harm us." ).戦いを望んだ彼等を,どうぞ散り散りバラバラに為て下さい!(たたかい を のぞんだ かれら を,どうぞ ちりぢり ばらばら に して ください!)( "Scatter these people that have wanted war ! " )私達は,貴方及び私達自身,そして(然うして)隣人と平和な関係に留まる事以上の何も望みません…(わたくし たち は,あなた および わたくし たち じしん,そして りんじん と へいわ な かんけい に とどまる こと いじょう の なに も のぞみ ません…)( "For our part, we ask no more than to be at peace with you, with ourselves and with our neighbour...” " )」
(以上,祈りの内容)〈いじょう,いのり の ないよう〉
マルコの祈祷は続き(まるこ の きとう は つづき),基督(キリスト)教徒軍団の指揮官と兵士達が神の恩寵と旧約( "of the Old Testament" )の英雄達の精神(=霊)と勇気から力を得て(きりすと きょうと ぐんだん の しきかん と へいし たち が かみ の おんちょう と きゅうやく の えいゆう たち の せいしん〈=れい〉と ゆうき から ちから を えて)( "The prayer continues with the request for the Christian army's leaders and soldiers to be strengthened with God's grace, with the spirit and courage of the heroes of the Old Testament, " ),基督の御名に対する敵の野望を打ち砕き,虚(空)しい物と為(し)(きりすと の おん な に たいする てき の やぼう を うち くだいて むなしい もの と し),神の御力を御示しになる様祈願為ます(かみ の おん ちから を しめ される よう きがん します)( "so that they may reduce to nought the enemies of the Christian name, and show forth God's power. " ).神が基督教徒軍団の兵士達の信仰の徳 "faith",希望の徳(望徳)"hope",慈愛の徳(愛徳)"charity" を上(天)から見守られる様祈願します(かみ が きりすと きょうと ぐんだん の へいし たち の しんこう の とく,きぼう の とく〈ぼう とく〉,じあい の とく〈あい とく〉を うえ〈てん〉から み まもられる よう きがん します)( "Let God look down on the Christian soldiers' faith, hope and charity." ).マルコは神に代わって,戦いに赴く兵士達に神の御祝福を与えます(まるこ は かみ に かわって,たたかい に おもむく へいし たち に かみ の おん しゅくふく を あたえ ます)( "On His behalf Marco will bless them on their way to battle." ).(預言者)モーゼ "Moses" の様に,マルコは両腕を挙げ基督(キリスト)教徒軍団の兵士達に神の御祝福を与え,彼等の上に神の御加護を祈願します(〈よげん しゃ〉モーゼ の よう に,まるこ は りょう うで を あげ きりすと きょうと ぐんだん の へいし たち に かみ の おん しゅくふく を あたえ,かれら の うえ に かみ の ご かご を きがん します)( "Like Moses, Marco will lift his arms to bless the Christian soldiers." ).神が彼等に勝利を御与えに為り,神と兵士達の敵が滅びます様に.アメン(かみ が かれら に しょうり を お あたえ に なり,かみ と へいし たち の てき が ほろび ます よう に.あめん)( "May God grant them victory, and the ruin of His and their enemies, Amen." ).
此の祈願は「犬共」とか「豚共」等の表現を含んで居り,政治的に見れば何とも不適格です!何と人種差別的でしょうか!耐え難い物です!(この きがん は「いぬ ども」とか「ぶた ども」とう の〈など の〉ひょうげん を ふくんで おり,せいじ てき に みれば なん とも ふ てきかく です!なんと じんしゅ さべつ てき で しょう か!たえ がたい もの です!)( "How politically incorrect ! “Dogs” and “swine” – How racist ! Intolerable ! " )だが,神が基督教徒達に(世間をあっと驚かせるような)勝利を御与えに為り,イスラム教徒達を300年もの間撃退為たと言うのが事実です(だが,かみ が きりすと きょうと たち に せけん を あっ と おどろか せる よう な しょうり を お あたえ に なり,いすらむ きょうと たち を さんびゃくねん もの あいだ げきたい した と いう のが じじつ です.)( "But the fact is that God granted to the Christians a sensational victory which threw back the Muslims for 300 years." ).今イスラム教徒達は戻って来て居ます(いま いすらむ きょうと たち は もどって きて います)( "Now they are back." ).そして(然うして),今回も全能の神に御助けを求める事に良心の呵責等殆ど(殆んど)何も無いでしょう…(そして,こんかい も ぜんのう の かみ に おん たすけ を もとめる こと に りょうしん の かしゃく など ほとんど なに も ない で しょう…)( "And this time there is virtually no repentance left to call upon Almighty God..." )
キリエ・エレイソン. (「主よ,憐れみ給え」→ミサ聖祭中の「求憐誦」)
(きりえ・えれいそん〈→ギリシア語で「主よ,憐れみ給え」〉)
Kyrie eleison.
リチャード・ウィリアムソン司教
(りちゃーど・うぃりあむそん しきょう)
* * *
訳注・参考資料
カプチン修道会士マルコ・ダ・アヴィアノ神父( "Fr. Marco da Aviano" )の祈祷の
イタリア語原文
(各国語翻訳者宛に,ウィリアムソン司教より提供)
O grande Dio degli eserciti, guardaci prostrati qui ai piedi della tua maestà, per impetrarti il perdono delle nostre colpe. Sappiamo bene di aver meritato che gl’infedeli impugnino le armi per opprimerci, perché le iniquità, che ogni giorno commettiamo contro la tua bontà, hanno giustamente provocato la tua ira. O gran Dio, ti chiediamo il perdono dall’intimo dei nostri cuori; esecriamo il peccato, perché Tu lo aborrisci; siamo afflitti perché spesso abbiamo eccitato all’ira la tua somma bontà. Per amore di Te stesso, preferiamo mille volte morire piuttosto che commettere la minima azione che ti dispiaccia. Soccorrici con la tua grazia, o Signore, e non permettere che noi tuoi servi rompiamo il patto che soltanto con te abbiamo stipulato. Abbi dunque pietà di noi, abbi pietà della tua Chiesa, per opprimere la quale già si preparano il furore e la forza degl’infedeli. Sebbene sia per nostra colpa ch’essi hanno invaso queste belle e cristiane regioni, e sebbene tutti questi mali che ci avvengono non siano altro che la conseguenza della nostra malizia, siici tuttavia propizio, o buon Dio, e non disprezzare l’opera delle tue mani. Ricordati che, per strapparci dalla servitú di Satana, Tu hai donato tutto il tuo prezioso Sangue. Permetterai forse ch’esso venga calpestato dai piedi di questi cani? Permetterai forse che la fede, questa bella perla che cercasti con tanto zelo e che riscattasti con tanto dolore, venga gettata ai piedi di questi porci? Non dimenticare, o Signore, che, se tu permetterai che gl’infedeli prevalgano su di noi, essi bestemmieranno il tuo santo Nome e derideranno la tua potenza, ripetendo mille volte: “Dov’è il loro Dio, quel Dio che non ha potuto liberarli dalle nostre mani?” Non permettere, o Signore, che ti si rinfacci di aver permesso la furia dei lupi, proprio quando t’invocavamo nella nostra miserevole angoscia. Vieni a soccorrerci, o gran Dio delle battaglie! Se Tu sei a nostro favore, gli eserciti degl’infedeli non potranno nuocerci.Disperdi questa gente che ha voluto la guerra! Per quanto ci riguarda, noi non amiamo altro che essere in pace con Te, con noi stessi e col nostro prossimo. Rafforza con la tua grazia il tuo servo e nostro imperatore Leopoldo; rafforza l’animo del re di Polonia, del duca di Lotaringia dei duchi di Baviera e di Sassonia, e anche di questo bell’esercito cristiano, che sta per combattere per l’onore del tuo Nome, per la difesa e la propagazione della tua santa Fede. Concedi ai príncipi e ai capi dell’esercito la fierezza di Giosué, la mira di Davide, la fortuna di Jefte, la costanza di Joab e la potenza di Salomone, tuoi soldati, affinché essi, incoraggiati dal tuo favore, rafforzati dal tuo Spirito e resi invincibili dalla potenza del tuo braccio, distruggano e annientino i nemici comuni del nome cristiano, manifestando a tutto il mondo che hanno ricevuto da Te quella potenza che un tempo mostrasti in quei grandi condottieri. Fa’ dunque in modo, o Signore, che tutto cospiri per la tua gloria e onore, e anche per la salvezza delle anime nostre. Te lo chiedo, o Signore, in nome dei tuoi soldati. Considera la loro fede: essi credono in Te, sperano tutto da Te, amano sinceramente Te con tutto il cuore. Te lo chiedo anche con quella santa benedizione, che io conferirò a loro da parte tua, sperando, per i meriti del tuo prezioso Sangue, nel quale ho posto tutta la mia fiducia, che Tu esaudirai la mia preghiera. Se la mia morte potesse essere utile o salutare, per ottenere il tuo favore per loro, ebbene te la offro fin d’ora, o mio Dio, in gradita offerta; se quindi dovrò morire, ne sarò contento. Libera dunque l’esercito cristiano dai mali che incombono; trattieni il braccio della tua ira sospeso su di noi, e fa’ capire ai nostri nemici che non c’è altro Dio all’infuori di Te, e che Tu solo hai il potere di concedere o negare la vittoria e il trionfo, quando ti piace. Come Mosé, stendo dunque le mie braccia per benedire i tuoi soldati; sostienili e appoggiali con la tua potenza, per la rovina dei nemici tuoi e nostri, e per la gloria del tuo Nome. Amen.
* * *
(訳注2・1)
「だらしない」「だらしがない」「だらしのない」の意味に就いて:下線部〈下記②の意味〉が今回の意味に該当する
・「だらしない」…「しだらない」の転.〔近世以降の語〕(「大辞林」より)
・「しだらない」の意味…しまりがない.だらしない.〔近世以降の語〕
・→「だらしない」…
①(外面的に)きちんとしていない.整っていない.
②(内面的に)節度がない.毅然としていない. しっかりしていない.
(用例)
①「だらしない服装」「だらしなく口を開けて寝ている」
②「金銭にだらしない」「政府の顔色を伺うマスコミのだらしない姿勢が問題だ」
(訳注2・2)
・「イスラム教」(「伊斯蘭教」,「回教」,「回回(フィフィ)教」)
・「イスラム教徒」(「伊斯蘭教徒」,「回教徒」・「回回〈フィフィ〉教徒」)
(訳注3・1)
「貴方だけ」…「たけ(丈)」からの転.〔江戸前期からの語〕
(訳注・3・2 )
the pact =旧約(きゅうやく)〈=預言者モーゼを介して真の神が神の被造物たる人間との間で結んだ「旧い契約』を参照.(「旧訳」ではなく,「旧約」.)
☆「新しい契約」(=「新約」→『新約聖書』を参照)
=神が人類と交わされた「新しい契約」という意味.
⇒救世主(=Christ, キリスト)となられた神の御独り子イエズスが,
救世の御業(きゅうせいのみわざ)を成し遂げられて,もたらされた.
(説明)
「神の御独り子の神」とは?…「真の神は三位一体」・「三位一体の神の第二の位格は,人類の主となられた「人となられた神イエズス・キリスト」
元始の人アダムとエワの犯した罪(=「真の神の命の原理(いのち の げんり)」に反逆すること)により,古今東西の全人類が,「原罪」(…「原罪」は死滅に値する)を持つ運命となった.
↓
新約聖書・使徒聖パウロによるローマ人への書簡:第5章12-21節を参照.
→真の神は全人類を創造された唯一の創造主であられ,
(まことの かみ は ぜん じんるい を そうぞう された ゆいいつ の そうぞうしゅ で あられ,)
・従って,古今東西の全人類は,生きて存在し続ける為,
(したがって,ここん とうざい の ぜん じんるい は,いきて そんざい し つづける ため,)
・真の神が全人類に命じておられる神の御命令→預言者モーゼによる「神の十戒」を,遵守する責務がある.
(まこと の かみ が ぜん じんるい に めいじて おられる かみ の おん めいれい→よげんしゃ もーぜ に よる「かみ の じっかい」を,じゅんしゅ する せきむ が ある.)
・上述の「責務」の意味する処は,即ち,「神の命令(モーゼの十戒)」は,原罪を背負った人類に対する,真の神からの罰ではなく,
(じょう じゅつ の「せきむ」のいみするところは,すなわち,「かみ の めいれい〈モーゼ の じっかい〉」は,げんざい を せおった じんるい に たいする,まこと の かみ から のばつ では なく,)
・原罪の瑕を生涯背負うことになってしまった人類に対する,真の神の愛と憐れみまた恩寵である,という現実である.
(げんざい の きず を しょうがい せおう こと に なって しまった じんるい に たいする,まこと の かみ の あい と あわれみ また おんちょう で ある,と いう げんじつ で ある.)
→「愛と命の起源で在られる全能の真の神」からの,瑕を負った人類に対する憐れみから発せられた恩寵である「神の御命令」に,もし人類が反逆するならば,万物の創造主たる唯一の真の神の慈愛と真理に逆らった廉(かど)で,
・全能の唯一の真の神により天を追放(てん を ついほう)され,地上に落とされた(ちじょう に おとされた)悪魔と同様(あくま と どうよう)
・現世での生命を終えて(げんせ で の せいめい を おえて)肉体が滅びると同時に(にくたい が ほろびる と どうじ に),
・人間は霊的にも滅亡(にんげん は れいてき に も めつぼう)し,その霊魂は永遠に地獄に堕ち(その れいこん は えいえん に じごく に おち),
・救霊の望みも断たれて永遠に滅亡の道を辿る(きゅうれい の のぞみ も たたれ て えいえん に めつぼう の みち を たどる)
→真の神に反逆(まことの かみに はんぎゃく)したままで,
・現世での生命を終えた霊魂の堕ちる地獄では,燃え盛る炎が(げんせ で の せいめい を おえた れいこん の おちる じごく では, もえさかる ほのお が),
・永遠に消えることがなく(えいえん に きえる こと が なく),そこに永遠に残存し苦しみ続けることになる(そこ に えいえん に ざんぞん し くるしみ つづける こと に なる).
・悪魔・諸諸の悪霊と同じ運命(あくま・もろもろの あくれいと おなじ うんめい)である.
→唯一の全能の真の神は
・「真の命の存在(まことの いのちの そんざい)」そのもので在られるから,
・その「真の命」の摂理(原理)・法則に逆らった者が命を失う(「まこと の いのち」の せつり〈げんり〉・ほうそく に さからった もの が いのち を うしなう)のは,自明の理(じめい の り)である.
✙神が「(モーゼの)十戒」と呼ばれる「神の掟(おきて)」を人間に守る様(にんげんに まもる よう)教えて(おしえて)おられるのは,
・人間が,滅(ほろ)びることなく,神より与えられた真の命(まことの いのち)を永遠に保ち,永遠に生き続ける(えいえんに たもち,えいえんに いきつづける)様になる為であり,
・人間を処罰(しょばつ)して永遠に滅ぼし去る為(えいえんに ほろぼし さる ため)ではない.
***
・人間には,真の神を冒涜して亡き者にする能力は無い.
(にんげん には,まこと の かみ を ぼうとく して なきもの に する のうりょく は ない.)
・また,真の神は全能の御方で在られ,御出来に為らない事は一つも無い.
(また,まこと の かみ は ぜんのう の おん かた で あられ,お でき に ならない こと は ひとつ も ない.)
・従って,全能唯一の真の神は,御自分が存在される為に,不完全な弱い人間に護ってもらう必要もない.
(したがって,ぜんのう ゆいいつ の まこと の かみ は,ごじぶん が そんざい される ため に,ふかんぜん な よわい にんげん に まもって もらう ひつよう も ない.)
・また,悪魔は,人間同様,神の被造物(=神に創造された物)に過ぎず,当然,万物の創造主であられる唯一の真の神よりも弱小の存在である.
(また,あくまは,にんげんどうよう,かみ の ひ ぞう ぶつ〈=かみ に そうぞう された もの〉に すぎ ず,とうぜん,ばんぶつ の そうぞう しゅ で あられる ゆいいつ の まこと の かみ より も じゃくしょう の そんざい で ある.)
・悪魔・悪霊は,永遠に真の神の摂理に反逆し,慈愛・善良なる神の創造された,世に在る全ての善良なる万物を破壊して真の神に反逆し続ける
(あくま・あくれいは,えいえん に まこと の かみ の せつり に はんぎゃく し,じあい・ぜんりょう なる かみ の そうぞう された,よ に ある すべて の ぜんりょう なる ばんぶつ を はかい して まこと の かみ に はんぎゃく し つづける).
・また真の神は,御自身の御独り子の神が,真の神の真実を全うする為に御自身の命を犠牲に差し出すという犠牲行為までも,御許しになった(御独り子の神イエズス・キリストの受難と十字架上の死).
・それ程に,始めの人アダムとエワの原罪の汚(けが)れを引き継いだままの,「原罪」の支払う「死の報酬」を運命に背負ったままの人間を,真の神は憐れまれた.
・人間は所詮,塵に過ぎない存在である.地上に生を受け,短期間,どんなに栄華を極めたとしても,どんなに深く人を敬愛しても,真心を注ぎ出しても,どれほど大宇宙の天体や大自然の美しさに心を打たれ,また美しい音楽や絵画等の芸術作品に心酔しても,生まれ出でて現世の美しさを知って後あっという間に時は過ぎ去り,虚しく死去して行く.
(にんげん は しょせん,ちり に すぎない そんざい で ある.ちじょう に せい を うけ,たんきかん,どんな に えいが を きわめた と しても,どんな に ふかく ひと を けいあい して も,こころ を そそぎ だして も,どれほど だい うちゅう の てんたい や だい しぜん の うつくしさ に こころ を うたれ,また うつくしい おんがく や かいが とう の げいじゅつ さくひん に しんすい して も,うまれ いでて げんせ の うつくしさ を しって のち あっ と いう ま に とき は すぎ さり,むなしく しきょ して ゆく.)
・真の光で在られる,真の神の御独り子なる神が,聖霊によって,現世において人の子(=童貞聖マリアの御子)として御宿りになり,御母(=聖母)マリアよりお生まれになり,現世において御受難・十字架上の死・御復活を通して,闇の権力(現世における悪魔の力.宇宙・地上〈=空中〉の支配者)を打ち破り,死滅をもたらす罪の鎖を解いたことで,救世(=この世が永遠の命を回復する事)の御業を成し遂げられた.
・こうして,この神の御独り子による救世の御業を信じる信仰によって,現世は救済され得る存在と変えられた.
✙「まだ見なくても,望みを抱いて信じる人」,「存在しないところから存在を生み出せる真の神は,死者をも復活させることがお出来になると信じる人」は,
・「(行いではなく)信仰による義人」「信仰の父」と真の神に認められ,
・また「あなたとあなたの子孫が,この世の世継ぎとなる」と,真の神に約束された,真の信仰の父祖アブラハムと同じ民族とみなされる.アブラハムは古今東西のすべて信仰を守る人の父である.
→新約聖書・使徒・福音史家の聖ヨハネによる聖福音書の冒頭(第1章)によれば,神の御目から見た「真の人間」とは,「ただ神によって生まれた人々」を指す.
『1 *はじめにみことばがあった.みことばは神とともにあった.みことばは神であった.
2 みことばははじめに神とともにあり,
3 *万物はみことばによって創られた.創られた物のうちに,一つとしてみことばによらずに創られたものはない.
4 みことばに生命があり,生命は人の光であった.
5*光はやみ(闇)に輝いたがやみはそれを悟らなかった.
6 さて,神から遣わされた人がいて,その名をヨハネと言った.
7 この人は,光を証明するために,またすべての人が彼によって信じるために,証人として来た.
8 この人は光ではなく,光を証明するために来た.
9 *すべての人を照らすまことの光は,まさにこの世に来るところであった.
10 みことばは世にあり,世はみことばによって創られたが,世はそれを認めなかった.
11 *みことばはご自分の家に来られたが,その人々は受け入れなかった.
12 しかし,その方を受け入れた人々にはみな神の子となれる力を授けた.そのみ名を信じるすべての人たち,
13 *彼らは,血筋ではなく,肉体の意志ではなく,人の意志ではなく,ただ神によって生まれた人々である.
14 みことばは肉体となって,私たちのうちに住まわれた.私たちはその栄光を見た.それは,御独り子として御父から受けられた栄光であって,恩寵と真理に満ちておられた.
15 ヨハネは彼を証明し,「〈私のあとに来るお方は,私よりすぐれた方で,私より前に存在しておられた〉と言ったのはこの方のことだ」と宣言した.
16 そうだ,私たちはその満ちあふれるところから恩寵に次ぐ恩寵を受けた.
17 なぜなら,律法はモーゼを通じて与えられたが,恩寵と真理はイエズス・キリストによって私たちの上に来たからである.
18 神を見た人は一人もいない.御父のふところにまします御独り子の神がこれを示された.』
…ヨハネによる福音書:第1章1-18節
(注釈)
*後日,追補いたします.
* * *
新約聖書・使徒聖パウロのローマ人への書簡:第4章13-
→
『13 *実に,この世の世継ぎとなるという約束がアブラハムとその子孫に与えられたのは,律法(による行い)によるのではなく信仰の義によってである.
14 …
15 律法は神の怒りを招く.律法のないところには違反もないからである.
16 つまり,義とされるのは信仰による.それだから無償の賜である.こうして約束はすべての子孫に,すなわち律法を持つ人だけでなく,アブラハムの信仰をもつ人にも保証される.彼アブラハムは私たちみなの父である.
17 「私はあなたを多くの民の父と定めた」と書き記されているとおりである.死者を生かし,存在しないものを存在させられるところの,彼が信じた神のみ前に,アブラハムは私たちみなの父である.
18 *望みなきときにもなお望みを捨てず信じた彼は,多くの民の父となった.「あなたの子孫はこうであろう」と言われたとおりである.
19 そして,もう百歳ほどになって死んだような自分の体と死んだようなサラ(=アブラハムの妻)の胎(たい)を思ったけれども,その信仰は弱らなかった.
20 不信仰によって神の約束を疑うことをせず,信仰に強められて神に光栄を帰し,
21 その約束されたことを成し遂げる力があるとまったく信じた.
22 それがために,彼の信仰は義とされた.
23 「義とされた」と記されたのはアブラハムのためだけでない,
24 私たちのためでもある.*主イエズスを死者からよみがえらせたお方を信じる私たちのためでもある.
25 主は私たちの罪のためにわたされ,私たちを義とするためによみがえられた.』
(注釈)
*13 新約聖書・使徒聖パウロのガラツィア人への書簡:第3章16節参照.
*17 創世の書・第17章5節を参照.神の全能をよく表す創造の力をほのめかし,24節のキリスト復活のことをここから準備している.
*18 アブラハムは老齢で,子をもうける希望がなかったのに,なお神の約束を信じていた.
*24 アブラハムの信仰の土台は,死者を生かす神であった.キリスト信者の信仰の土台は,イエズスをよみがえらせた神である.
第5章1-11節「義とされるのは信仰による」
『信仰によって義とされた私たちは,主イエズス・キリスト(=救世主)によって神と和解している.
私たちは主によって,(*信仰によって),今保っている恩寵にあずかり,また神の光栄に希望をかけて誇る.
そればかりでなく患難を誇る.患難は根気を生み,
根気は鍛錬された徳を生み,鍛錬された徳は希望を生むことを知っているからである.
希望はあざむかない.私たちに与えられた聖霊によって,この心に神の愛が注がれたからである.
私たちがまだ病んでいたその時,キリスト(=救世主)は定めの時に,不敬な人々のために亡くなられた.
実に義人のために死ぬ人は少ない.そうだ,善人のために死をいとわない人はあるかもしれぬ.
だが私たちがまだ罪人であった時,キリストが私たちのために死去されたことによって,神は私たちへの愛を示された.
いま,その御血によって義とされた私たちは,なおさら主によって神の怒りから救われるのである.
私たちが敵であったのに,み子の死によって神と和睦を取り戻したのなら,和睦したのちキリストの命によって救われるのはなお確かである.
そればかりか私たちは,いま和睦を得た主イエズス・キリストによって,神において誇る.』
(この後,「イエズスはアダムの罪をあがなった」〈第5章12-21節〉の件〈行.くだり〉へ,続く)
* * *
✾地上で「肉体の死」を迎えると
→(「四旬節」が始まる「灰の水曜日」に唱えられる「人よ,あなたは塵(ちり)であって,塵に帰る」との預言の御言葉通り),
・地上にて新たな生命を産み出す事を繰り返しながらも死んで滅びて行くしかない,
→そのような人生を代々に繰り返しつつ,
・永久に現世の続く限り,その死滅すべき運命を背負いつつ,出生・存在また死滅を繰り返し,し続けて行かなければならなくなってしまった人間を,
→真の神は深く憐れまれた.
・始めの人アダムとエワによって,真の神の真実につけられた原罪の瑕(げんざい の きず)は,
・神御自身の真実(すなわち,御独り子の神が悪〈罪〉の犠牲となって苦しまれお流しになった真の聖い御身体と御血.)
→この尊い御身体と御血すなわち「原罪」の汚れ〈けがれ〉の無い,世に唯一,至聖なる神の御独り子兼救世主の御身体と御血)によって,報われ,回復される他になかった.
・「御独り子の神」とは「人となられた神」すなわち三位一体の第二位格の神「イエズス・キリスト」を指す.
・唯一の,万物の創造主で在られる全能永遠の唯一の真の神は,永遠の愛で在られ,永遠の光で在られ,永遠の命で在られ,また,永遠の善なる御方で在られる.
(ゆいいつ の, ばんぶつ の そうぞうしゅ で あられる ぜんのう えいえん の かみ は,えいえん のあい で あられ,えいえん の ひかり で あられ,えいえん の いのち で あられ,また,えいえん のぜん なる おんかた で あられる.)
・唯一の真の神は(ゆいいつ の まこと の かみは),永遠かつ完全なる慈愛・命・光・善をもって,その摂理のもとに(えいえん かつ かんぜん なる じあい・いのち・ひかり・ぜん を もって,その せつり の もと に),万物を創造された(ばんぶつ を そうぞう された)
・現世における人生で,人はみな,この愛と命そのもので在られる真の神から創造されて,生まれて来ているのであるから,
・罪を犯して,神から自分に与えられた貴重な命を落とすようなことを選び取ってはならない
・真の神が犠牲に差し出された御独り子の神(人となられた神,救世主となられた神)で,私達人類の主(しゅ)イエズス・キリストが,十字架上で流された聖なる(=罪の汚れの無い)御血のみが,私達人間を原罪の呪縛から解放し救済することが出来た,という事実を,今信じる人の命は,回復される.
・なぜ十字架かといえば,救世主の御受難当時,ユダヤ地方を支配していたローマ帝国の極刑が十字架刑であったからである.
・真の神なる救世主は,一つも罪を犯さなかったが,最も残酷な刑罰と言われていた十字架刑に処された.
・当時,自ら刑罰を科すことをローマ皇帝より禁じられていた,ユダヤ教当局者達が,救世主(=キリスト)イエズスに対する自らの妬みの為,
・当時ユダヤ地方を治めていたローマ総督ポンテオ・ピラトのもとに,イエズスを十字架刑に処すよう願い出た.
・ピラトはイエズス尋問の結果,何の罪も見出さなかったが,イエズスがユダヤ教当局者達に引き渡されたのは,妬みの為だと読み取っていたので,何とかイエズスを救おうとしたが,ユダヤ教当局者達は,群衆を扇動してピラトに圧力をかけさせ,イエズスの十字架刑を執行させた.
・ピラトは,ヘブライ語・ラテン語・ギリシア語で「ユダヤ人の王ナザレトのイエズス(I.N.R.I.)」と
はり札を書いて,十字架上にかかげさせた.
・救世主は,ユダヤ人から出たが,それは,真の神が,アブラハムを「信仰の父」としてユダヤ人の父祖と認められたからである.
✙新約聖書・「使徒聖パウロのローマ人への書簡:第4章16-18節」より
・「(アブラハムは)「望みなきときにもなお望みを捨てず信じた.」「その信仰により,アブラハムは(真の神に)義人と認められた.」
・「(真の神に)…義とされるのは信仰による.それだから無償の賜(たまもの)である.」
・そして,『…この世の世継ぎとなる,と神がアブラハムとその子孫に御約束された,その同じ御約束が,アブラハムの信仰を持つ人にも保証される.』(13-16節)
・「死者を生かし,存在しないものを存在させられるところの,彼が信じた神のみ前に,アブラハムは私たちみなの父である.」
***
✙参考文献…
・新約聖書・旧約聖書
・神の御独り子また救世主であられる主イエズス・キリストの
使徒および福音史家聖ヨハネによる
「聖ヨハネの黙示録」を参照.
(訳注の掲載を続けます)
* * *
本投稿記事・第435回エレイソン・コメンツ「頑固な異教徒」( 2015年11月14日付)(解説付き版) "ELEISON COMMENTS CDXXXV (Nov. 14, 2015) : DOGGED INFIDELS" は2015年12月8日20時50分に掲載されました.
* * *
* * *
(解説無し)
エレイソン・コメンツ 第435回 (2015年11月14日)
欧州(ヨーロッパ)が信仰を持っていた時には
イスラム教徒の大群を打ち負かせました.
だが,今はどうでしょうか? ― 延延と退却です.
When Europe had the faith, it could defeat
The Muslim hordes, but now ? – one long retreat.
衰退するキリスト教世界の遺物はいま,千年に及ぶ神の敵によって組織され,西側諸国のだらしない政治家たちや堕落したメディアに支えられたイスラム教徒たちの侵略に直面しています.このような事態を前に,過去いかにしばしばキリスト王国(救世主の王国)がイスラムの侵略に脅かされたか,そしてキリストの王国(=真の救世主の王国)がその都度神に目を向けることによりいかに自らを守ってきたかを振り返るのは有意義なことでしょう.1683年の夏,15万から30万人というイスラム軍団兵士たちがウイーンを包囲し,南東からヨーロッパ全土を飲み込もうとしました.イスラム教徒たちはイスラム教の誇りをかけてローマを奪回しようとさえしました。この時,高徳な(=聖人のように気高い) "saintly" カプチン修道会士マルコ・ダ・アビアノ神父( "Fr. Marco da Aviano" )の助けを受け,教皇インノケンティウス10世はヨーロッパ数か国から成るキリスト軍団を組織してウイーンを救いました.以下は修道士マルコが戦いの直前に捧げた祈りの内容です:--
As the faltering remains of Christendom face today a Muslim invasion organized by the millennial enemies of God, and made possible by the Western nations' wretched politicians and vile media, it is well to remember how often in times past Christendom was threatened by Muslim invasions, and how Christendom then defended itself, by turning to God. In the summer of 1683, a huge Muslim army of anything from 150 to 300 thousand soldiers besieged Vienna and threatened to engulf Europe from the south-east. The Muslims even envisaged capturing Rome, for the glory of Islam. With the help of a saintly Capucin, Fr. Marco da Aviano, Pope Innocent XI succeeded in putting together a Christian army from several European nations to relieve Vienna. Here is the prayer of the Capucin just before the battle:--
「おお万軍の神なる主よ,私たちの諸諸の罪のお赦しを乞うため,私たちがあなたの足元にひざまずく姿をご照覧ください.異教徒たちが武器を手にして私たちを弾圧することになったのは私たちが受ける当然の報いだと私たちには十分に分かっています.なぜなら,あなたの親切心を前に私たちが日々行った非行の数々がまさしくあなたのお怒りを招いたからです.おお偉大な神よ,私たちは心の奥底からあなたのお赦しを乞います.私たちはあなたが嫌う罪を嫌います.私たちはあなたの至高なる善意を何度となく無にしたため悩み苦しんでいます.あなたの愛を得るためなら,私たちは小さな行いであなたを不快にさせるより,むしろ千回も死んだ方がましだと考えます.私たちの主よ,恩寵により私たちをお助けください.そして,あなたの僕(しもべ)たちがあなただけと結んだ約束を破らないように導いてください.異教徒たちの怒りと力が制圧しようとしている私たちやあなたの教会にどうぞご慈悲をお与えください.異教徒たちがキリスト教に従う諸国の平穏を破ろうとしているのがたとえ私たち自身の過ちによるものだとしても,私たちに降りかかるあらゆる難事が私たち自身の邪悪の結果から来るものだとしても,どうぞ私たちにご慈悲をかけ続けてください.善意にあふれる神よ,どうぞあなたの僕(しもべ)のなした行いをさげすまないでください.悪魔への隷属から私たちを救うため,あなたが貴重な御血のすべてを流されたことを思い起こしてください.」
“O Lord God of Hosts, Behold us prostrate at the feet of your Majesty, to obtain forgiveness for our sins. Well do we know how we have deservedthat the infidels take up arms to oppress us, because the iniquities committed by us every day against your goodness have justly provoked your wrath. O great God, from the depth of our hearts we ask you to forgive us; we execrate sin because you abhor it; we are afflicted because we have often angered your supreme goodness.For love of you we would rather die a thousand times than commit the least act to displease you. Come to our aid, O Lord, with your grace, and let not your servants break the pact which we have made with you alone. Have pity upon us, have pity on your Church, which the fury and strength of the infidels are even now preparing to oppress. Even if it is by our own faultthat they have broken in on the serenity of these Christian countries, and even if all the ills coming upon us are none other than the consequence of our own wickedness, still be propitious towards us, O God of all goodness, and despise not the work of your own hands. Remember how to save us from the slavery of Satan, you shed all of your Precious Blood.
「あなたはキリストの王国が彼ら犬どもに踏みにじられるのをお許しになるでしょうか?あなたが情熱をもってさんざん苦労して救われた信仰という貴重な真珠を豚どもに投げ与え踏みつぶされるままにすることなどありうるのでしょうか?主よ,もし異教徒たちが私たちを圧倒するのをあなたがお許しになれば,彼らはあなたの聖なる御名をおとしめ,あなたの権威を嘲笑い,『彼らの神,われらの手から彼らを救えなかった力のない神はどこにいるのだ?』と叫ぶことになるのをお忘れにならないでください.主よ,私たちが悲しみと苦しみのあまりあなたに助けを求めているときに,オオカミどもの怒りに道を譲ったなどと非難を受けないようにしてください.諸諸の戦いの偉大な神よ,私たちを助けにきてください!あなたが私たちの大義を支えてくだされば,異教徒軍団は私たちに害を及ぼすことはできないでしょう.戦いを望んだ彼らを,どうぞ散り散りバラバラにしてください!私たちは,あなたおよび私たち自身,そして隣人と平和な関係にとどまること以上の何も望みません.」
“Will you allow it to be trodden underfoot by these dogs ? Can it be that you will permit the precious pearl of the faith, which you sought out with such zeal and rescued with so much suffering, to be thrown to these swine to be trampled on ? Forget not, O Lord, that if you allow the infidels to prevail over us, they will blaspheme your holy Name and mock your power, crying out a thousand times, “Where is their God, the God who was powerless to save them from our hands ?” Let it not be held against you, O Lord, that you gave way to the fury of the wolves, just when we were calling upon you in our misery and anguish. Great God of battles, come to our aid! If you favour our cause, the armies of the infidels cannot harm us. Scatter these people that have wanted war ! For our part, we ask no more than to be at peace with you, with ourselves and with our neighbour...”
(以上,祈りの内容)
マルコの祈りは続き,キリスト教徒軍団の指揮官と兵士たちが神の恩寵と旧約の( "of the Old Testament" )英雄たちの精神(=霊)と勇気から力を得て,キリストの名に対する敵の野望を打ち負かして虚(空)しいものとし,神の力を示すよう願います.神がキリスト教徒軍団の兵士たちの信仰の徳,希望の徳,慈愛の徳を上(天)から見守るよう祈ります.マルコは神に代わって,戦いに赴く兵士たちを祝福します.神が兵士たちに向けて振り上げた激しい怒りの手を引込め,神の敵たちが彼以外に神がいないことを知るようにしてくださいと祈ります.モーゼのように,マルコは両腕を挙げキリスト教軍団の兵士たちへの神のご加護を祈ります(祝福を与えます).神が彼らに勝利をお与えになり,神とその兵士たちの敵が滅びますように.アーメン.
The prayer continues with the request for the Christian army's leaders and soldiers to be strengthened with God's grace, with the spirit and courage of the heroes of the Old Testament, so that they may reduce to nought the enemies of the Christian name, and show forth God's power. Let God look down on the Christian soldiers' faith, hope and charity. On His behalf Marco will bless them on their way to battle. Let God hold back the arm of his wrath raised over them, and let His enemies know that there is no other God beside Him. Like Moses, Marco will lift his arms to bless the Christian soldiers. May God grant them victory, and the ruin of His and their enemies, Amen.
この祈りは――「犬ども」とか「豚ども」などの表現を含んでおり――政治的に見ればなんとも不適格です! なんと人種差別的でしょうか! 耐えがたいものです! だが,神がキリスト教徒たちに世間をあっと驚かせるような勝利( "a sensational victory" )をお与えになり,イスラム教徒たちを300年ものあいだ撃退したというのが事実です.今イスラム教徒たちは戻ってきています.そして,今回も全能の神に助けを求めることに良心の呵責などほとんどなにもないでしょう…
How politically incorrect ! “Dogs” and “swine” – How racist ! Intolerable ! But the fact is that God granted to the Christians a sensational victory which threw back the Muslims for 300 years. Now they are back. And this time there is virtually no repentance left to call upon Almighty God...
キリエ・エレイソン.
Kyrie eleison.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
* * *
本投稿記事・第4回エレイソン・コメンツ「頑固な異教徒」(「 2015年11月14日付)"ELEISON COMMENTS CDXXXV (Nov. 14, 2015) : DOGGED INFIDELS" は2015年12月1日20時55分に掲載されました.
* * *
2015年1月31日土曜日
394 エブドキュア 1/31
エレイソン・コメンツ 第394回 (2015年1月31日)
解説付
血生臭い襲撃は益々有り触れた事になる(為る・成る)でしょう,
(ち なま ぐさい しゅうげきは ますます ありふれた ことに なる でしょう.)
( "More and more common will be the bloody attacks, " )
世界が救世主(キリスト)を見失っている事に気付く迄は.
(せかいが きゅうせいしゅ〈きりすと〉を みうしなって いる ことに きづく まで は.)
( "Until the world sees, Christ is who it lacks. " )
先週のエレイソン・コメンツは,大々的に報道された1月7日のパリ市内シャルリー・エブド 社襲撃事件について(就いて)(せんしゅうの えれいそん・こめんつは,だいだい てきに ほうどう された いちがつ なのかの ぱり しない しゃるりー・えぶど しゃ しゅうげき じけんに ついて),いたって(至って)政治的に不正確な方法で,それ(其れ)がフランス(仏蘭西)に残るキリスト教文明( "Christian civilisation" )の諸諸の遺物( "the remains" )に対する攻撃だと伝えました(いたって せいじ てきに ふせいかく な ほうほう で,それが ふらんすに のこる きりすと きょう ぶんめいの もろもろの いぶつに たいする こうげき だと つたえ ました)( "Last week these “Comments,” in a most politically incorrect manner, presented the heavily publicized January 7 attack in Paris on Charlie Hebdo as an attack upon the remains of Christian civilisation in France." ).では,今週は再び風刺画家,襲撃者,政治家,共謀者の順で,キリスト教文明が問題をどう(如何)解決するかについて(就いて)触れてみます(見ます)(では,こんしゅうは ふたたび ふうし がか,しゅうげき しゃ,せいじ か,きょうぼう しゃの じゅんで,きりすと きょう ぶんめいが もんだいを どう かいけつ するか について ふれて みます)( "Then let them this week put forward how Christian civilisation would solve the problem, in the same order, for cartoonists, gunmen, politicians, peoples and conspirators." ).
諷刺画家達について(就いて)いえば(言えば・云えば・謂えば)(ふうしがかたちについていえば)( "As for the cartoonists, " ),もし(若し)フランス(仏蘭西)がまだ(未だ)カトリック教(=公教)国( "Catholic" )だとすれば(もし ふらんすが まだ かとりっく きょう〈=こうきょう〉こく だと すれば)( "if France were still Catholic, …" ),教会と国家はフランス革命以前の様に結束しており(きょうかいと こっかは ふらんす かくめい いぜんの ように けっそく しており)( "Church and State would still be united, as they were until the French Revolution, …" ),国家当局者達はシャルリー・エブド 社が全能の神を腹立たさせて(こっか とうきょく しゃ たちは しゃるりー・えぶど しゃが ぜんのうの かみを はら だたさせて),同社の風刺画家達の処刑を御許しになるほど(程)冒涜的な反キリスト教的風刺画を断固として禁じたはず(筈)です(どうしゃの ふうし がか たちの しょけいを おゆるしに なる ほど ぼうとく てきな はん きりすと きょう てき ふうし が を だんこ として きんじた はず です)( "… and State authorities would absolutely have forbidden such blasphemous anti-Christian cartoons as those by which Charlie Hebdo may well have provoked Almighty God to allow for the silencing of its cartoonists." ).それは(其れは)検閲という手段でしょうか?(それは けんえつ という しゅだん でしょうか? )( "But that would be censorship? " ) 今日,私達が検閲を一切受けていないと考える愚か者は一人もいません(こんにち,わたくし たちが けんえつを いっさい うけて いないと かんがえる おろかものは ひとりも いません)( "Only a fool can think we suffer under no censorship today." ).検閲は親キリスト教的でなく,まったく(全く)反キリスト教的です(けんえつは しん きりすと きょう てき でなく,まったく はん きりすと きょう てき です)( "The censorship is simply anti-Christian instead of Christian." ).今日,誰が自由にホロコーストとその「ガス室」を冒涜できる(出来る)でしょうか?(こんにち,だれが じゆうに ほろこーすとと その「がすしつ」を ぼうとく できる でしょうか?)( "Who today is free to blaspheme against Holocaustianity and its “gas-chambers” ? " ) (訳注3・1・「ホロコースト」=大虐殺・第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人大量殺戮.元の意義は古代ユダヤ教で生け贄の動物を祭壇で焼き,神に捧げた儀式〈犠牲の生け贄の燔祭〉)(やくちゅう・「ほろこーすと」=だい ぎゃくさつ・だいにじ せかい たいせん ちゅうの なちす による ゆだや じん たいりょう さつりく.もとの いぎは こだい ゆだや きょうで いけにえの どうぶつを さいだんで やき,かみに ささげた ぎしき〈ぎせいの いけにえの はんさい〉)
イスラム教徒の襲撃者達について(就いて)いえば(言えば・云えば・謂えば)(いすらむ きょうとの しゅうげき しゃ たちに ついて いえば)( "As for the muslim gunmen, …" ),フランス(仏蘭西)がカトリック教国家だったなら,彼等は決してフランスに来なかったでしょう(ふらんすが かとりっく きょう こっか だった なら,かれらは けっして ふらんすに こなかった でしょう)( "… to a Catholic France they might never have come." ).カトリック教国だったら,フランスの国家当局者達は自国内のイスラム教徒達を蔑んだり憎んだりしなかったでしょうし(かとりっく きょう こく だったら,ふらんすの こっか とうきょくしゃ たちは じこく ないの いすらむ きょうと たちを さげすんだり にくんだり しなかった でしょうし)( "Never would Catholic State authorities have despised or hated muslims in their own countries, …" ),同時にイスラム教とキリスト教の歴史的な対立を見失って,第二次世界大戦以来これほど(此れ程)多くのイスラム教移民を受け入れ,フランス国内に定住するのを奨励まで(迄)する様な事をしなかったでしょう(どうじに いすらむ きょうと きりすと きょうの れきし てきな たいりつを みうしなって,だいにじ せかい たいせん いらい これほど おおくの いすらむ きょう いみんを うけいれ,ふらんす こくないに ていじゅう するのを しょううれい まで する ような ことを しなかった でしょう)( "… but at the same time never would they so have lost sight of the historic clash between Islam and Christianity as to allow to settle in France such a mass of muslim immigrants as have been allowed, even encouraged, to settle in France since World War II." ).それに,彼等は自らの民族を冷笑し,自らの伝統を軽蔑したり,今日の様に自分達がそのよう(其の様)に行動する事を教えられるままに(侭に・儘に)成るままにして置かなかったでしょう(それに,かれらは みずからの みんぞくを れいしょうし,みずからの でんとうを けいべつ したり,こんにちの ように じぶんたちが そのように こうどう する ことを おしえられる ままに なる ままに して おかなかった でしょう)( "Nor would they ever have learned to scorn their own race and despise their own traditions as they have allowed themselves to be taught to do today." ).十戒の第4戒律に従えば,カトリック教徒(=公教徒)は自分の国を他の如何なる国よりも愛し,しかも(然も)他国の不運を願う事等しないでしょう(じっかいの だい よん かいりつに したがえば,かとりっく きょう と〈=こう きょう と〉は じぶんの くにを たの いかなる くに よりも あいし,しかも たこくの ふうんを ねがう こと など しない でしょう)( "By the Fourth Commandment a Catholic loves his own country above all, without wishing ill to any others." ).
最も大切な事は(もっとも たいせつな ことは)( "Most important of all, …" ),もし(若し)フランス(仏蘭西)がカトリック教国のままとどまっていた(留まって居た)なら(もし ふらんすが かとりっく きょう こくの まま とどまって いた なら)( "… if France had stayed Catholic, …" ),其の政治家達も国民も,隠れた操り人形の使い手である世界主義者達( "the Globalists" )の操り人形になど(等・抔)なって(成って・為って)いなかった(居なかった)でしょう(その せいじか たちも こくみんも,かくれた あやつり にんぎょうの つかいて である せかいしゅぎ しゃ たちの あやつり にんぎょう になど なって いなかった でしょう)( "… neither the politicians nor the people would have become the puppets that they are today of hidden puppet-masters, the Globalists." ).17世紀まで(迄)フランスは全体としてカトリック教国(公教国)でした(じゅうなな せいき まで ふらんすは ぜんたい として かとりっく きょう こく〈こう きょう こく〉でした)( "In the 17 th century France was Catholic as a whole, …" ).だが,18世紀になると,カトリック信仰(公信仰)の欠如から(だが,じゅうはっ せいき になると,かとりっく しんこう〈こう しんこう〉の けつじょ から)( "… but in the 18 th century, for lack of Catholic faith, …" ),其の支配階級は異教徒達の為の世界主義,即ちフリーメーソン組織に完全に染まる事を自らに許す様になり(成り・為り)ました(その しはい かいきゅうは いきょうと たちの ための せかいしゅぎ,すなわち ふりーめーそん そしきに かんぜんに そまる ことを みずからに ゆるす ように なりました)( "… its ruling class allowed itself to become thoroughly infected with another form of Globalism, Freemasonry." ).背教者となったイングランドで1717年に始まったフリーメーソン組織はたちまち(忽ち)フランスや北米に広がり(はいきょう しゃと なった いんぐらんどで せんななきゃくじゅうなな ねんに はじまった ふりーめーそん そしきは たちまち ふらんすや ほくべいに ひろがり)( "Launched in its modern form in apostate England in 1717, Freemasonry swiftly spread to France and North America …" ),1776年のアメリカ(亜米利加)革命,1789年のフランス(仏蘭西)革命の糸を引きました(せん ななひゃく ななじゅう ろく ねんの あめりか かくめい,せん ななひゃく はちじゅう く ねんの ふらんす かくめいの いとを ひきました)( "… where it master-minded the American and French Revolutions in 1776 and 1789 respectively." ).この二つの革命は世界主義者達(=グローバリスト達)の新世界秩序( "New World Order" )へ向けての大きな前進でした(この ふたつの かくめいは せかいしゅぎ しゃ たちの しん せかい ちつじょ へ むけての おおきな ぜんしん でした)( "Both of them were major steps towards the Globalists’ New World Order." ).
さて,カトリック教会がまだ正気でいた間は(さて,かとりっく きょうかいが まだ しょうきで いた あいだは)( "Now, for as long as the Catholic Church was still in its right mind, …" ),フリーメーソンをカトリック教を完全に弱体化させ葬り去る意図を持った秘密組織だとして非難し禁じていました(ふりーめーそんを かとりっく きょうを かんぜんに じゃくたいか させ ほうむり さる いとを もった ひみつ そしき だと して ひなん し きんじて いました)( "… it denounced and condemned Freemasonry as being a secret society designed to undermine and overthrow the Catholic religion altogether …" ).――例えば,1884年に(教皇)レオ13世が出された回勅,Humanum Genus をご覧下さい(たとえば,せん はっぴゃく はちじゅう よ ねん に (きょうこう)れお じゅうさん せい が だされた かいちょく,〈 "Humanum Genus" 〉〈うまーぬむ・じぇーぬす〉 を ごらん ください)( "… – see for instance Leo XIII’s Encyclical Letter, Humanum Genus of 1884." ).だが,フランス革命以降,国家はカトリック教会から分離され,世俗的か(且)つ民主的な基盤に置かれる様になり(成り・為り)ました(だが,ふらんす かくめい いこう,こっかは かとりっく きょうかい から ぶんり され,せぞく てき かつ みんしゅ てき な きばん に おかれる ように なりました)( "Thus from the French Revolution onwards, States have been ever more separated from the Catholic Church and have been put instead on secular and democratic foundations." ).中産(中流)階級支配者達は益々カトリック教を見捨てて,事実上の代替宗教である自由主義に走り(ちゅうさん〈ちゅうりゅう〉かいきゅうしゃ たちは ますます かとりっく きょうを みすてて,じじつ じょうの だいたい しゅうきょう である じゆうしゅぎに はしり)( "More and more the new middle-class rulers have abandoned the Catholic religion in favour of liberalism, which is in effect a substitute religion, …" ),神とその真実(真理)の代わりに人間とその(其の)自由を崇拝する様になり(成り・為り)ました(かみと その しんじつ〈しんり〉の かわりに にんげんと その じゆうを すうはい するように なりました)( "… adoring man and his liberty instead of God and his Truth." ).其の為,「自由」の名の下に,ジャーナリスト達が司祭達に取って代わり(そのため,「じゆう」の な の もとに,じゃーなりすと たちが しさい たちに とって かわり)( "So in the name of “freedom” journalists took over from priests, …" ),彼等の自由メディアが人々の考えを乗っ取ってしまい(終い・仕舞い)ました(かれらの じゆう めでぃあ が ひとびとの かんがえを のっとって しまいました)( "… and their liberal media took over the people’s thinking." ).だが,その間中,ジャーナリスト達やメディアはフリーメーソンにより密かに管理され(だが,その あいだ じゅう,じゃーなりすと たちや めでぃあは ふりーめーそん により ひそかに かんり され)( "But all the while journalists and media have been secretly directed by Freemasonry, …" ),世界主義者達の新世界秩序の為に働かされて来ました(せかい しゅぎ しゃ たちの しん せかい ちつじょ の ために はたらかされて きました)( "… working for the Globalists’ New World Order." ).これ(此れ)が「民主主義」とか「自由」の名の下に,強い動機を持つ世界主義者達が諸国民や政治家達を,自分達のメディアが作り上げた世論の操り人形になる(成る・為る)様おとしいれた(陥れた)実態です(これが「みんしゅ しゅぎ」とか「じゆう」の な の もとに,つよい どうきを もつ せかい しゅぎ しゃ たち が しょ こくみんや せいじか たちを,じぶん たちの めでぃあが つくりあげた せろん 〈よろん〉の あやつり にんぎょうに なる よう おとしいれた じったい です)( "Here is how, under cover of “democracy” and “freedom,” the highly motivated Globalists have been able to reduce peoples and politicians to puppets of public opinion, moulded by their media." ).神の真実に背を向けるのは,自らを悪魔がささやく(囁く)嘘の虜にさせるのと同じです(かみの しんじつに せを むける のは,みずからを あくまが ささやく うその とりこに させる のと おなじ です)( "To turn one’s back on God’s Truth is to enslave oneself to Satan’s lies. " ).
シャルリー・エブド 社襲撃は神の無い自由( "godless liberty" ),というより寧ろ其の免許と殺人的なイスラム対ヨーロッパ(欧州)の敵対意識を助長する為に仕組まれた一大デモンストレーションでした(しゃるりー・えぶど しゃ しゅうげきは かみの ない じゆう というより むしろ その めんきょと さつじん てきな いすらむ たい よーろっぱ〈おうしゅう〉の てきたい いしきを じょちょう する ために しくまれた いちだい でもんすとれーしょん でした)( "The Charlie Hebdo attack was designed for a huge demonstration to favour godless liberty, or rather licence, and a murderous muslim-European tension. " ).このような(此の様な)出来事は更に頻繁に続き,やがて(軈て)大量殺りく(殺戮)に至るでしょう.そうなった時,世界主義者達は自分達がうまく(上手く)ゆく(行く)だろうともくろみ(目論見),全能の神は神を拒むのは大きな問題で,根本的な問題である(有る)事を私達が理解するだろうと期待されます(このような できごとは さらに ひんぱんに つづき,やがて たいりょう さつりくに いたる でしょう.そうなった とき,せかい しゅぎ しゃ たちは じぶん たちが うまく ゆく だろうと もくろみ,ぜんのうの かみは かみを こばむ のは おおきな もんだいで,こんぽん てきな もんだいで ある ことを わたくし たちが りかい する だろうと きたい されます)( "More such events will follow, to arrive at bloodbaths from which the Globalists count on emerging supreme, from which Almighty God hopes that men will see that rejecting him is a huge problem, the basic problem." ).もし(若し),国家がそのこと(其の事)を理解しないとすれば(もし,こっかが そのことを りかい しない とすれば)( "If the States will not see this, …" ),ただ(唯・只)家庭が一日5玄義,個人が一日15玄義(あまり無理せずに出来るなら)ロザリオの祈りを捧げ(ただ かていが いちにち ご げんぎ,こじんが いちにち じゅうご げんぎ〈あまり むり せずに できる なら〉ろざりおの いのりを ささげ)( "… it remains only for families to pray the five Mysteries a day, and individuals the fifteen a day (if reasonably possible), …" ),私達の聖母に御子イエズス・キリストに取り成して(執り成して)下さる様お願いするしか無いでしょう(わたくし たちの せいぼに おんこ いえずす・きりすとに とりなして くださる よう おねがい する しか ない でしょう)( "… to beg Our Lady to intercede with her Son." ).
キリエ・エレイソン.(主よ憐れみ給え)
Kyrie eleison. (しゅよ あわれみ たまえ)
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第394回エレイソン・コメンツ「エブドキュア」 "Hebdocure" ( 2015年1月31日付)の解説付版は2015年8月31日-9月2日に掲載されました.
* * *
血なまぐさい襲撃は益々ありふれたことになるでしょう,
世界がキリストを見失っていることに気づくまでは.
More and more common will be the bloody attacks,
Until the world sees, Christ is who it lacks.
先週のエレイソン・コメンツは,大々的に報道された1月7日のパリ市内シャルリー・エブド 社襲撃事件について,いたって政治的に不正確な方法で,それがフランスに残るキリスト教文明の遺物に対する攻撃だと伝えました.では,今週は再び風刺画家,襲撃者,政治家,共謀者の順で,キリスト文明が問題をどう解決するかについて触れてみます.
Last week these “Comments,” in a most politically incorrect manner, presented the heavily publicized January 7 attack in Paris on Charlie Hebdo as an attack upon the remains of Christian civilisation in France. Then let them this week put forward how Christian civilisation would solve the problem, in the same order, for cartoonists, gunmen, politicians, peoples and conspirators.
諷刺画家たちについていえば,もしフランスがまだカトリック国だとすれば,教会と国家はフランス革命以前のように結束しており,国家当局者はシャルリー・エブド 社が全能の神を腹立たせて,同社の風刺画家たちの処刑を許すほど冒涜的な反キリスト教的風刺画を断固として禁じたはずです.それは検閲という手段でしょうか? 今日,私たちが検閲を一切受けていないと考える愚か者はひとりもいません.検閲は親キリスト教的でなく,まったく反キリスト教的です.今日,誰が自由にホロコーストとその「ガス室」を冒涜できるでしょうか?
As for the cartoonists, if France were still Catholic, Church and State would still be united, as they were until the French Revolution, and State authorities would absolutely have forbidden such blasphemous anti-Christian cartoons as those by which Charlie Hebdo may well have provoked Almighty God to allow for the silencing of its cartoonists. But that would be censorship? Only a fool can think we suffer under no censorship today. The censorship is simply anti-Christian instead of Christian. Who today is free to blaspheme against Holocaustianity and its “gas-chambers”?
イスラム教徒の襲撃者たちについていえば,フランスがカトリック教国家だったら,彼らは決してフランスに来なかったでしょう.カトリック教国だったら,フランスの国家当局者たちは自国内のイスラム教徒たちを蔑んだり憎んだりしなかったでしょうし,同時にイスラム教とキリスト教の歴史的な対立を見失って,第二次世界大戦いらいこれほど多くのイスラム教移民を受け入れ,フランス国内に定住するのを奨励までするようなことをしなかったでしょう.それに,彼らは自らの民族を冷笑し,自らの伝統を軽蔑したり,今日のように自分たちがそのように行動することを教えられるままにしておかなかったでしょう.十戒の第4戒律に従えば,カトリック教徒は自分の国を他のいかなる国よりも愛し,しかも他国の不運を願うことなどしないでしょう.
As for the muslim gunmen, to a Catholic France they might never have come. Never would Catholic State authorities have despised or hated muslims in their own countries, but at the same time never would they so have lost sight of the historic clash between Islam and Christianity as to allow to settle in France such a mass of muslim immigrants as have been allowed, even encouraged, to settle in France since World War II. Nor would they ever have learned to scorn their own race and despise their own traditions as they have allowed themselves to be taught to do today. By the Fourth Commandment a Catholic loves his own country above all, without wishing ill to any others.
最も大切なことは,もしフランスがカトリック教国のままとどまっていたなら,その政治家たちも国民も,隠れた操り人形の使い手である世界主義者たち( "the Globalists" )の操り人形になどなっていなかったでしょう.17世紀までフランスは全体としてカトリック教国でした.だが,18世紀になると,カトリック信仰の欠如から,その支配階級は異教徒たちのための世界主義,すなわちフリーメーソン組織に完全に染まることを自らに許すようになりました.背教者となったイングランドで1717年に始まったフリーメーソン組織はたちまちフランスや北米に広がり,1776年のアメリカ革命,1789年のフランス革命の糸を引きました.この二つの革命は世界主義者たちの新世界秩序( "New World Order" )へ向けての大きな前進でした.
Most important of all, if France had stayed Catholic, neither the politicians nor the people would have become the puppets that they are today of hidden puppet-masters, the Globalists. In the 17 th century France was Catholic as a whole, but in th e 18 th century, for lack of Catholic faith, its ruling class allowed itself to become thoroughly infected with another form of Globalism, Freemasonry. Launched in its modern form in apostate England in 1717, Freemasonry swiftly spread to France and North America where it master-minded the American and French Revolutions in 1776 and 1789 respectively. Both of them were major steps towards the Globalists’ New World Order.
さて,カトリック教会がまだ正気でいた間は,フリーメーソンをカトリック教を完全に弱体化させ葬り去る意図を持った秘密組織だとして非難し禁じていました.たとえば,1884年にレオ13世が出した回勅,Humanum Genus をご覧ください.だが,フランス革命以降,国家はカトリック教会から分離され,世俗的かつ民主的な基盤に置かれるようになりました.中間階級支配者たちは益々カトリック教を見捨てて,事実上の代替宗教である自由主義に走り,神とその真実の代わりに人間とその自由を崇拝するようになりました.そのため,「自由」の名の下に,ジャーナリストたちが神父たちに取って代わり,彼らの自由メディアが人々の考えを乗っ取ってしまいました.だが,その間中,ジャーナリストたちやメディアはフリーメーソンにより密かに管理され,世界主義者の新世界秩序のために働かされてきました.これが「民主主義」とか「自由」の名の下に,強い動機を持つ世界主義者たちが諸国民や政治家たちを,自分たちのメディアが作り上げた世論の操り人形になるようおとしいれた実態です.神の真実に背を向けるのは,自らを悪魔がささやく嘘の虜にさせるのと同じです.
Now, for as long as the Catholic Church was still in its right mind, it denounced and condemned Freemasonry as being a secret society designed to undermine and overthrow the Catholic religion altogether – see for instance Leo XIII’s Encyclical Letter, Humanum Genus of 1884. Thus from the French Revolution onwards, States have been ever more separated from the Catholic Church and have been put instead on secular and democratic foundations. More and more the new middle-class rulers have abandoned the Catholic religion in favour of liberalism , which is in effect a substitute religion, adoring man and his liberty instead of God and his Truth. So in the name of “freedom” journalists took over from priests, and their liberal media took over the people’s thinking. But all the while journalists and media have been secretly directed by Freemasonry, working for the Globalists’ New World Order. Here is how, under cover of “democracy” and “freedom,” the highly motivated Globalists have been able to reduce peoples and politicians to puppets of public opinion, moulded by their media. To turn one’s back on God’s Truth is to enslave oneself to Satan’s lies.
シャルリー・エブド 社襲撃は神のない自由(godless liberty),というよりむしろその免許と殺人的なイスラム対ヨーロッパの敵対意識を助長するために仕組まれた一大デモンストレーションでした.このような出来事はさらに頻繁に続き,やがて大量殺りくに至るでしょう.そうなった時,世界主義者たちは自分たちがうまくゆくだろうともくろみ,全能の神は神を拒むのは大きな問題で,根本的な問題であることを私たちが理解するだろうと期待します.もし,国家がそのことを理解しないとすれば,ただ家庭が一日5玄義,個人が一日15玄義(あまり無理せずにできるなら)ロザリオの祈りを捧げ,私たちの聖母に御子イエズス・キリストに取り成して(執り成して)くださるようお願いするしかないでしょう.
The Charlie Hebdo attack was designed for a huge demonstration to favour godless liberty, or rather licence, and a murderous muslim-European tension. More such events will follow, to arrive at bloodbaths from which the Globalists count on emerging supreme, from which Almighty God hopes that men will see that rejecting him is a huge problem, the basic problem. If the States will not see this, it remains only for families to pray the five Mysteries a day, and individuals the fifteen a day (if reasonably possible), to beg Our Lady to intercede with her Son.
キリエ・エレイソン.
Kyrie eleison.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
* * *
本投稿記事・第394回エレイソン・コメンツ「エブドキュア」 "HEBDOCURE" ( 2015年1月31日付)は2015年8月30日21時06分に掲載されました.
* * *
解説付
血生臭い襲撃は益々有り触れた事になる(為る・成る)でしょう,
(ち なま ぐさい しゅうげきは ますます ありふれた ことに なる でしょう.)
( "More and more common will be the bloody attacks, " )
世界が救世主(キリスト)を見失っている事に気付く迄は.
(せかいが きゅうせいしゅ〈きりすと〉を みうしなって いる ことに きづく まで は.)
( "Until the world sees, Christ is who it lacks. " )
先週のエレイソン・コメンツは,大々的に報道された1月7日のパリ市内シャルリー・エブド 社襲撃事件について(就いて)(せんしゅうの えれいそん・こめんつは,だいだい てきに ほうどう された いちがつ なのかの ぱり しない しゃるりー・えぶど しゃ しゅうげき じけんに ついて),いたって(至って)政治的に不正確な方法で,それ(其れ)がフランス(仏蘭西)に残るキリスト教文明( "Christian civilisation" )の諸諸の遺物( "the remains" )に対する攻撃だと伝えました(いたって せいじ てきに ふせいかく な ほうほう で,それが ふらんすに のこる きりすと きょう ぶんめいの もろもろの いぶつに たいする こうげき だと つたえ ました)( "Last week these “Comments,” in a most politically incorrect manner, presented the heavily publicized January 7 attack in Paris on Charlie Hebdo as an attack upon the remains of Christian civilisation in France." ).では,今週は再び風刺画家,襲撃者,政治家,共謀者の順で,キリスト教文明が問題をどう(如何)解決するかについて(就いて)触れてみます(見ます)(では,こんしゅうは ふたたび ふうし がか,しゅうげき しゃ,せいじ か,きょうぼう しゃの じゅんで,きりすと きょう ぶんめいが もんだいを どう かいけつ するか について ふれて みます)( "Then let them this week put forward how Christian civilisation would solve the problem, in the same order, for cartoonists, gunmen, politicians, peoples and conspirators." ).
諷刺画家達について(就いて)いえば(言えば・云えば・謂えば)(ふうしがかたちについていえば)( "As for the cartoonists, " ),もし(若し)フランス(仏蘭西)がまだ(未だ)カトリック教(=公教)国( "Catholic" )だとすれば(もし ふらんすが まだ かとりっく きょう〈=こうきょう〉こく だと すれば)( "if France were still Catholic, …" ),教会と国家はフランス革命以前の様に結束しており(きょうかいと こっかは ふらんす かくめい いぜんの ように けっそく しており)( "Church and State would still be united, as they were until the French Revolution, …" ),国家当局者達はシャルリー・エブド 社が全能の神を腹立たさせて(こっか とうきょく しゃ たちは しゃるりー・えぶど しゃが ぜんのうの かみを はら だたさせて),同社の風刺画家達の処刑を御許しになるほど(程)冒涜的な反キリスト教的風刺画を断固として禁じたはず(筈)です(どうしゃの ふうし がか たちの しょけいを おゆるしに なる ほど ぼうとく てきな はん きりすと きょう てき ふうし が を だんこ として きんじた はず です)( "… and State authorities would absolutely have forbidden such blasphemous anti-Christian cartoons as those by which Charlie Hebdo may well have provoked Almighty God to allow for the silencing of its cartoonists." ).それは(其れは)検閲という手段でしょうか?(それは けんえつ という しゅだん でしょうか? )( "But that would be censorship? " ) 今日,私達が検閲を一切受けていないと考える愚か者は一人もいません(こんにち,わたくし たちが けんえつを いっさい うけて いないと かんがえる おろかものは ひとりも いません)( "Only a fool can think we suffer under no censorship today." ).検閲は親キリスト教的でなく,まったく(全く)反キリスト教的です(けんえつは しん きりすと きょう てき でなく,まったく はん きりすと きょう てき です)( "The censorship is simply anti-Christian instead of Christian." ).今日,誰が自由にホロコーストとその「ガス室」を冒涜できる(出来る)でしょうか?(こんにち,だれが じゆうに ほろこーすとと その「がすしつ」を ぼうとく できる でしょうか?)( "Who today is free to blaspheme against Holocaustianity and its “gas-chambers” ? " ) (訳注3・1・「ホロコースト」=大虐殺・第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人大量殺戮.元の意義は古代ユダヤ教で生け贄の動物を祭壇で焼き,神に捧げた儀式〈犠牲の生け贄の燔祭〉)(やくちゅう・「ほろこーすと」=だい ぎゃくさつ・だいにじ せかい たいせん ちゅうの なちす による ゆだや じん たいりょう さつりく.もとの いぎは こだい ゆだや きょうで いけにえの どうぶつを さいだんで やき,かみに ささげた ぎしき〈ぎせいの いけにえの はんさい〉)
イスラム教徒の襲撃者達について(就いて)いえば(言えば・云えば・謂えば)(いすらむ きょうとの しゅうげき しゃ たちに ついて いえば)( "As for the muslim gunmen, …" ),フランス(仏蘭西)がカトリック教国家だったなら,彼等は決してフランスに来なかったでしょう(ふらんすが かとりっく きょう こっか だった なら,かれらは けっして ふらんすに こなかった でしょう)( "… to a Catholic France they might never have come." ).カトリック教国だったら,フランスの国家当局者達は自国内のイスラム教徒達を蔑んだり憎んだりしなかったでしょうし(かとりっく きょう こく だったら,ふらんすの こっか とうきょくしゃ たちは じこく ないの いすらむ きょうと たちを さげすんだり にくんだり しなかった でしょうし)( "Never would Catholic State authorities have despised or hated muslims in their own countries, …" ),同時にイスラム教とキリスト教の歴史的な対立を見失って,第二次世界大戦以来これほど(此れ程)多くのイスラム教移民を受け入れ,フランス国内に定住するのを奨励まで(迄)する様な事をしなかったでしょう(どうじに いすらむ きょうと きりすと きょうの れきし てきな たいりつを みうしなって,だいにじ せかい たいせん いらい これほど おおくの いすらむ きょう いみんを うけいれ,ふらんす こくないに ていじゅう するのを しょううれい まで する ような ことを しなかった でしょう)( "… but at the same time never would they so have lost sight of the historic clash between Islam and Christianity as to allow to settle in France such a mass of muslim immigrants as have been allowed, even encouraged, to settle in France since World War II." ).それに,彼等は自らの民族を冷笑し,自らの伝統を軽蔑したり,今日の様に自分達がそのよう(其の様)に行動する事を教えられるままに(侭に・儘に)成るままにして置かなかったでしょう(それに,かれらは みずからの みんぞくを れいしょうし,みずからの でんとうを けいべつ したり,こんにちの ように じぶんたちが そのように こうどう する ことを おしえられる ままに なる ままに して おかなかった でしょう)( "Nor would they ever have learned to scorn their own race and despise their own traditions as they have allowed themselves to be taught to do today." ).十戒の第4戒律に従えば,カトリック教徒(=公教徒)は自分の国を他の如何なる国よりも愛し,しかも(然も)他国の不運を願う事等しないでしょう(じっかいの だい よん かいりつに したがえば,かとりっく きょう と〈=こう きょう と〉は じぶんの くにを たの いかなる くに よりも あいし,しかも たこくの ふうんを ねがう こと など しない でしょう)( "By the Fourth Commandment a Catholic loves his own country above all, without wishing ill to any others." ).
最も大切な事は(もっとも たいせつな ことは)( "Most important of all, …" ),もし(若し)フランス(仏蘭西)がカトリック教国のままとどまっていた(留まって居た)なら(もし ふらんすが かとりっく きょう こくの まま とどまって いた なら)( "… if France had stayed Catholic, …" ),其の政治家達も国民も,隠れた操り人形の使い手である世界主義者達( "the Globalists" )の操り人形になど(等・抔)なって(成って・為って)いなかった(居なかった)でしょう(その せいじか たちも こくみんも,かくれた あやつり にんぎょうの つかいて である せかいしゅぎ しゃ たちの あやつり にんぎょう になど なって いなかった でしょう)( "… neither the politicians nor the people would have become the puppets that they are today of hidden puppet-masters, the Globalists." ).17世紀まで(迄)フランスは全体としてカトリック教国(公教国)でした(じゅうなな せいき まで ふらんすは ぜんたい として かとりっく きょう こく〈こう きょう こく〉でした)( "In the 17 th century France was Catholic as a whole, …" ).だが,18世紀になると,カトリック信仰(公信仰)の欠如から(だが,じゅうはっ せいき になると,かとりっく しんこう〈こう しんこう〉の けつじょ から)( "… but in the 18 th century, for lack of Catholic faith, …" ),其の支配階級は異教徒達の為の世界主義,即ちフリーメーソン組織に完全に染まる事を自らに許す様になり(成り・為り)ました(その しはい かいきゅうは いきょうと たちの ための せかいしゅぎ,すなわち ふりーめーそん そしきに かんぜんに そまる ことを みずからに ゆるす ように なりました)( "… its ruling class allowed itself to become thoroughly infected with another form of Globalism, Freemasonry." ).背教者となったイングランドで1717年に始まったフリーメーソン組織はたちまち(忽ち)フランスや北米に広がり(はいきょう しゃと なった いんぐらんどで せんななきゃくじゅうなな ねんに はじまった ふりーめーそん そしきは たちまち ふらんすや ほくべいに ひろがり)( "Launched in its modern form in apostate England in 1717, Freemasonry swiftly spread to France and North America …" ),1776年のアメリカ(亜米利加)革命,1789年のフランス(仏蘭西)革命の糸を引きました(せん ななひゃく ななじゅう ろく ねんの あめりか かくめい,せん ななひゃく はちじゅう く ねんの ふらんす かくめいの いとを ひきました)( "… where it master-minded the American and French Revolutions in 1776 and 1789 respectively." ).この二つの革命は世界主義者達(=グローバリスト達)の新世界秩序( "New World Order" )へ向けての大きな前進でした(この ふたつの かくめいは せかいしゅぎ しゃ たちの しん せかい ちつじょ へ むけての おおきな ぜんしん でした)( "Both of them were major steps towards the Globalists’ New World Order." ).
さて,カトリック教会がまだ正気でいた間は(さて,かとりっく きょうかいが まだ しょうきで いた あいだは)( "Now, for as long as the Catholic Church was still in its right mind, …" ),フリーメーソンをカトリック教を完全に弱体化させ葬り去る意図を持った秘密組織だとして非難し禁じていました(ふりーめーそんを かとりっく きょうを かんぜんに じゃくたいか させ ほうむり さる いとを もった ひみつ そしき だと して ひなん し きんじて いました)( "… it denounced and condemned Freemasonry as being a secret society designed to undermine and overthrow the Catholic religion altogether …" ).――例えば,1884年に(教皇)レオ13世が出された回勅,Humanum Genus をご覧下さい(たとえば,せん はっぴゃく はちじゅう よ ねん に (きょうこう)れお じゅうさん せい が だされた かいちょく,〈 "Humanum Genus" 〉〈うまーぬむ・じぇーぬす〉 を ごらん ください)( "… – see for instance Leo XIII’s Encyclical Letter, Humanum Genus of 1884." ).だが,フランス革命以降,国家はカトリック教会から分離され,世俗的か(且)つ民主的な基盤に置かれる様になり(成り・為り)ました(だが,ふらんす かくめい いこう,こっかは かとりっく きょうかい から ぶんり され,せぞく てき かつ みんしゅ てき な きばん に おかれる ように なりました)( "Thus from the French Revolution onwards, States have been ever more separated from the Catholic Church and have been put instead on secular and democratic foundations." ).中産(中流)階級支配者達は益々カトリック教を見捨てて,事実上の代替宗教である自由主義に走り(ちゅうさん〈ちゅうりゅう〉かいきゅうしゃ たちは ますます かとりっく きょうを みすてて,じじつ じょうの だいたい しゅうきょう である じゆうしゅぎに はしり)( "More and more the new middle-class rulers have abandoned the Catholic religion in favour of liberalism, which is in effect a substitute religion, …" ),神とその真実(真理)の代わりに人間とその(其の)自由を崇拝する様になり(成り・為り)ました(かみと その しんじつ〈しんり〉の かわりに にんげんと その じゆうを すうはい するように なりました)( "… adoring man and his liberty instead of God and his Truth." ).其の為,「自由」の名の下に,ジャーナリスト達が司祭達に取って代わり(そのため,「じゆう」の な の もとに,じゃーなりすと たちが しさい たちに とって かわり)( "So in the name of “freedom” journalists took over from priests, …" ),彼等の自由メディアが人々の考えを乗っ取ってしまい(終い・仕舞い)ました(かれらの じゆう めでぃあ が ひとびとの かんがえを のっとって しまいました)( "… and their liberal media took over the people’s thinking." ).だが,その間中,ジャーナリスト達やメディアはフリーメーソンにより密かに管理され(だが,その あいだ じゅう,じゃーなりすと たちや めでぃあは ふりーめーそん により ひそかに かんり され)( "But all the while journalists and media have been secretly directed by Freemasonry, …" ),世界主義者達の新世界秩序の為に働かされて来ました(せかい しゅぎ しゃ たちの しん せかい ちつじょ の ために はたらかされて きました)( "… working for the Globalists’ New World Order." ).これ(此れ)が「民主主義」とか「自由」の名の下に,強い動機を持つ世界主義者達が諸国民や政治家達を,自分達のメディアが作り上げた世論の操り人形になる(成る・為る)様おとしいれた(陥れた)実態です(これが「みんしゅ しゅぎ」とか「じゆう」の な の もとに,つよい どうきを もつ せかい しゅぎ しゃ たち が しょ こくみんや せいじか たちを,じぶん たちの めでぃあが つくりあげた せろん 〈よろん〉の あやつり にんぎょうに なる よう おとしいれた じったい です)( "Here is how, under cover of “democracy” and “freedom,” the highly motivated Globalists have been able to reduce peoples and politicians to puppets of public opinion, moulded by their media." ).神の真実に背を向けるのは,自らを悪魔がささやく(囁く)嘘の虜にさせるのと同じです(かみの しんじつに せを むける のは,みずからを あくまが ささやく うその とりこに させる のと おなじ です)( "To turn one’s back on God’s Truth is to enslave oneself to Satan’s lies. " ).
シャルリー・エブド 社襲撃は神の無い自由( "godless liberty" ),というより寧ろ其の免許と殺人的なイスラム対ヨーロッパ(欧州)の敵対意識を助長する為に仕組まれた一大デモンストレーションでした(しゃるりー・えぶど しゃ しゅうげきは かみの ない じゆう というより むしろ その めんきょと さつじん てきな いすらむ たい よーろっぱ〈おうしゅう〉の てきたい いしきを じょちょう する ために しくまれた いちだい でもんすとれーしょん でした)( "The Charlie Hebdo attack was designed for a huge demonstration to favour godless liberty, or rather licence, and a murderous muslim-European tension. " ).このような(此の様な)出来事は更に頻繁に続き,やがて(軈て)大量殺りく(殺戮)に至るでしょう.そうなった時,世界主義者達は自分達がうまく(上手く)ゆく(行く)だろうともくろみ(目論見),全能の神は神を拒むのは大きな問題で,根本的な問題である(有る)事を私達が理解するだろうと期待されます(このような できごとは さらに ひんぱんに つづき,やがて たいりょう さつりくに いたる でしょう.そうなった とき,せかい しゅぎ しゃ たちは じぶん たちが うまく ゆく だろうと もくろみ,ぜんのうの かみは かみを こばむ のは おおきな もんだいで,こんぽん てきな もんだいで ある ことを わたくし たちが りかい する だろうと きたい されます)( "More such events will follow, to arrive at bloodbaths from which the Globalists count on emerging supreme, from which Almighty God hopes that men will see that rejecting him is a huge problem, the basic problem." ).もし(若し),国家がそのこと(其の事)を理解しないとすれば(もし,こっかが そのことを りかい しない とすれば)( "If the States will not see this, …" ),ただ(唯・只)家庭が一日5玄義,個人が一日15玄義(あまり無理せずに出来るなら)ロザリオの祈りを捧げ(ただ かていが いちにち ご げんぎ,こじんが いちにち じゅうご げんぎ〈あまり むり せずに できる なら〉ろざりおの いのりを ささげ)( "… it remains only for families to pray the five Mysteries a day, and individuals the fifteen a day (if reasonably possible), …" ),私達の聖母に御子イエズス・キリストに取り成して(執り成して)下さる様お願いするしか無いでしょう(わたくし たちの せいぼに おんこ いえずす・きりすとに とりなして くださる よう おねがい する しか ない でしょう)( "… to beg Our Lady to intercede with her Son." ).
キリエ・エレイソン.(主よ憐れみ給え)
Kyrie eleison. (しゅよ あわれみ たまえ)
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第394回エレイソン・コメンツ「エブドキュア」 "Hebdocure" ( 2015年1月31日付)の解説付版は2015年8月31日-9月2日に掲載されました.
* * *
血なまぐさい襲撃は益々ありふれたことになるでしょう,
世界がキリストを見失っていることに気づくまでは.
More and more common will be the bloody attacks,
Until the world sees, Christ is who it lacks.
先週のエレイソン・コメンツは,大々的に報道された1月7日のパリ市内シャルリー・エブド 社襲撃事件について,いたって政治的に不正確な方法で,それがフランスに残るキリスト教文明の遺物に対する攻撃だと伝えました.では,今週は再び風刺画家,襲撃者,政治家,共謀者の順で,キリスト文明が問題をどう解決するかについて触れてみます.
Last week these “Comments,” in a most politically incorrect manner, presented the heavily publicized January 7 attack in Paris on Charlie Hebdo as an attack upon the remains of Christian civilisation in France. Then let them this week put forward how Christian civilisation would solve the problem, in the same order, for cartoonists, gunmen, politicians, peoples and conspirators.
諷刺画家たちについていえば,もしフランスがまだカトリック国だとすれば,教会と国家はフランス革命以前のように結束しており,国家当局者はシャルリー・エブド 社が全能の神を腹立たせて,同社の風刺画家たちの処刑を許すほど冒涜的な反キリスト教的風刺画を断固として禁じたはずです.それは検閲という手段でしょうか? 今日,私たちが検閲を一切受けていないと考える愚か者はひとりもいません.検閲は親キリスト教的でなく,まったく反キリスト教的です.今日,誰が自由にホロコーストとその「ガス室」を冒涜できるでしょうか?
As for the cartoonists, if France were still Catholic, Church and State would still be united, as they were until the French Revolution, and State authorities would absolutely have forbidden such blasphemous anti-Christian cartoons as those by which Charlie Hebdo may well have provoked Almighty God to allow for the silencing of its cartoonists. But that would be censorship? Only a fool can think we suffer under no censorship today. The censorship is simply anti-Christian instead of Christian. Who today is free to blaspheme against Holocaustianity and its “gas-chambers”?
イスラム教徒の襲撃者たちについていえば,フランスがカトリック教国家だったら,彼らは決してフランスに来なかったでしょう.カトリック教国だったら,フランスの国家当局者たちは自国内のイスラム教徒たちを蔑んだり憎んだりしなかったでしょうし,同時にイスラム教とキリスト教の歴史的な対立を見失って,第二次世界大戦いらいこれほど多くのイスラム教移民を受け入れ,フランス国内に定住するのを奨励までするようなことをしなかったでしょう.それに,彼らは自らの民族を冷笑し,自らの伝統を軽蔑したり,今日のように自分たちがそのように行動することを教えられるままにしておかなかったでしょう.十戒の第4戒律に従えば,カトリック教徒は自分の国を他のいかなる国よりも愛し,しかも他国の不運を願うことなどしないでしょう.
As for the muslim gunmen, to a Catholic France they might never have come. Never would Catholic State authorities have despised or hated muslims in their own countries, but at the same time never would they so have lost sight of the historic clash between Islam and Christianity as to allow to settle in France such a mass of muslim immigrants as have been allowed, even encouraged, to settle in France since World War II. Nor would they ever have learned to scorn their own race and despise their own traditions as they have allowed themselves to be taught to do today. By the Fourth Commandment a Catholic loves his own country above all, without wishing ill to any others.
最も大切なことは,もしフランスがカトリック教国のままとどまっていたなら,その政治家たちも国民も,隠れた操り人形の使い手である世界主義者たち( "the Globalists" )の操り人形になどなっていなかったでしょう.17世紀までフランスは全体としてカトリック教国でした.だが,18世紀になると,カトリック信仰の欠如から,その支配階級は異教徒たちのための世界主義,すなわちフリーメーソン組織に完全に染まることを自らに許すようになりました.背教者となったイングランドで1717年に始まったフリーメーソン組織はたちまちフランスや北米に広がり,1776年のアメリカ革命,1789年のフランス革命の糸を引きました.この二つの革命は世界主義者たちの新世界秩序( "New World Order" )へ向けての大きな前進でした.
Most important of all, if France had stayed Catholic, neither the politicians nor the people would have become the puppets that they are today of hidden puppet-masters, the Globalists. In the 17 th century France was Catholic as a whole, but in th e 18 th century, for lack of Catholic faith, its ruling class allowed itself to become thoroughly infected with another form of Globalism, Freemasonry. Launched in its modern form in apostate England in 1717, Freemasonry swiftly spread to France and North America where it master-minded the American and French Revolutions in 1776 and 1789 respectively. Both of them were major steps towards the Globalists’ New World Order.
さて,カトリック教会がまだ正気でいた間は,フリーメーソンをカトリック教を完全に弱体化させ葬り去る意図を持った秘密組織だとして非難し禁じていました.たとえば,1884年にレオ13世が出した回勅,Humanum Genus をご覧ください.だが,フランス革命以降,国家はカトリック教会から分離され,世俗的かつ民主的な基盤に置かれるようになりました.中間階級支配者たちは益々カトリック教を見捨てて,事実上の代替宗教である自由主義に走り,神とその真実の代わりに人間とその自由を崇拝するようになりました.そのため,「自由」の名の下に,ジャーナリストたちが神父たちに取って代わり,彼らの自由メディアが人々の考えを乗っ取ってしまいました.だが,その間中,ジャーナリストたちやメディアはフリーメーソンにより密かに管理され,世界主義者の新世界秩序のために働かされてきました.これが「民主主義」とか「自由」の名の下に,強い動機を持つ世界主義者たちが諸国民や政治家たちを,自分たちのメディアが作り上げた世論の操り人形になるようおとしいれた実態です.神の真実に背を向けるのは,自らを悪魔がささやく嘘の虜にさせるのと同じです.
Now, for as long as the Catholic Church was still in its right mind, it denounced and condemned Freemasonry as being a secret society designed to undermine and overthrow the Catholic religion altogether – see for instance Leo XIII’s Encyclical Letter, Humanum Genus of 1884. Thus from the French Revolution onwards, States have been ever more separated from the Catholic Church and have been put instead on secular and democratic foundations. More and more the new middle-class rulers have abandoned the Catholic religion in favour of liberalism , which is in effect a substitute religion, adoring man and his liberty instead of God and his Truth. So in the name of “freedom” journalists took over from priests, and their liberal media took over the people’s thinking. But all the while journalists and media have been secretly directed by Freemasonry, working for the Globalists’ New World Order. Here is how, under cover of “democracy” and “freedom,” the highly motivated Globalists have been able to reduce peoples and politicians to puppets of public opinion, moulded by their media. To turn one’s back on God’s Truth is to enslave oneself to Satan’s lies.
シャルリー・エブド 社襲撃は神のない自由(godless liberty),というよりむしろその免許と殺人的なイスラム対ヨーロッパの敵対意識を助長するために仕組まれた一大デモンストレーションでした.このような出来事はさらに頻繁に続き,やがて大量殺りくに至るでしょう.そうなった時,世界主義者たちは自分たちがうまくゆくだろうともくろみ,全能の神は神を拒むのは大きな問題で,根本的な問題であることを私たちが理解するだろうと期待します.もし,国家がそのことを理解しないとすれば,ただ家庭が一日5玄義,個人が一日15玄義(あまり無理せずにできるなら)ロザリオの祈りを捧げ,私たちの聖母に御子イエズス・キリストに取り成して(執り成して)くださるようお願いするしかないでしょう.
The Charlie Hebdo attack was designed for a huge demonstration to favour godless liberty, or rather licence, and a murderous muslim-European tension. More such events will follow, to arrive at bloodbaths from which the Globalists count on emerging supreme, from which Almighty God hopes that men will see that rejecting him is a huge problem, the basic problem. If the States will not see this, it remains only for families to pray the five Mysteries a day, and individuals the fifteen a day (if reasonably possible), to beg Our Lady to intercede with her Son.
キリエ・エレイソン.
Kyrie eleison.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
* * *
本投稿記事・第394回エレイソン・コメンツ「エブドキュア」 "HEBDOCURE" ( 2015年1月31日付)は2015年8月30日21時06分に掲載されました.
* * *
2015年1月24日土曜日
393 エブドマニア 1/24
解説付
エレイソン・コメンツ 第393回 (2015年1月24日)
今日,
物事は決して外見通りでは有りません.
(こんにち,ものごとは
けっして がいけん どおり では ありません)
( "Today things never are what they appear." )
神を信じない人々に取って,
巧みな嘘は優しく響くでしょう.
(かみを しんじない ひとびとに とって,
たくみな うそは やさしく ひびく でしょう).
( "To godless people skilful liars are dear. " )
1月7日に起きたシャルリー・エブド 社 襲撃事件で二人のイスラム教徒青年が此のフランス(仏蘭西)の風刺週刊誌パリ(巴里)本社で働く(…に勤務する)12名の漫画家,ジャーナリスト(新聞記者・雑誌記者)を殺害しました(いちがつ なのか に おきた しゃるりー・えぶど しゃ しゅうげき じけんで ふたりの いすらむ きょうと せいねんが この ふらんすの ふうし しゅうかんし ぱり ほんしゃで はたらく(…に きんむする)じゅうに めい の まんがか,じゃーなりすと〈しんぶん きしゃ・ざっし きしゃ〉を さつがい しました)( "The Charlie Hebdo attack of January 7 in which two muslim gunmen killed a dozen cartoonists and journalists in the Paris office of a satirical French weekly, …" ).1月11日に開かれた大規模な市民抗議集会では,参加した欧州数か国の指導者達が写真でプレーアップされました(いちがつ じゅういち にちに ひらかれた だいきぼ な しみん こうぎ しゅうかい では さんか した おうしゅう すうかこくの しどうしゃ たちが しゃしんで ぷれーあっぷ されました).此の二つの出来事は神の敵達が僅かに残るキリスト(基督)教文明に対して仕掛けた戦いのもう一つのエピソードとして捉えるのが最も分かり易いでしょう(この ふたつの できごとは かみの てき たちが わずかに のこる きりすと きょう ぶんめいに たいして しかけた たたかいの もう ひとつの えぴそーど として とらえる のが もっとも わかりやすい でしょう)( "… and the enormous public protest of Jan. 11 against the attack in which leaders of several European nations were photo-opped as taking part, are best understood as one more episode in the war being waged by the enemies of God upon what little remains of Christian civilisation." ).此の事件を漫画家達,襲撃者,イスラム教に迎合するかいらい(傀儡)政治家や一部の国の人々,其の全ての背後に居る黒幕の順で考えて見ましょう(この じけんを まんがか たち,しゅうげき しゃ,いすらむ きょうに げいごう する かいらい せいじか や いちぶの くにの ひとびと,その すべての はいごに いる くろまく の じゅんで かんがえて みましょう)( "Let us consider in order the cartoonists, the gunmen, the puppet politicians and peoples pandering to Islam and the puppet-masters behind them all." ).
同社の漫画家達はイスラム教やイスラム教徒達だけで無く,世界唯一の真の宗教で有るキリスト(基督)教の三位一体,救世主,聖母迄も風刺の対象にしました(どうしゃの まんがか たちは いすらむ きょうや いすらむ きょうと たち だけで なく,せかい ゆいいつの まことの しゅうきょう である きりすと きょうの さんみ いったい,きゅうせい しゅ,せいぼ までも ふうしの たいしょうに しました)( "The cartoonists lampooned not only Islam and muslims but also, from the world’s one true religion, the Holy Trinity, our divine Saviour and the Blessed Virgin Mary." ).唯一の真の神は極めて忍耐強いのですが,嘲笑の対象にされるのは御許しになりません(使徒聖パウロのガラテア人への書簡:第6章7節)(ゆいいつの まことの かみは きわめて にんたい づよい のですが,ちょうしょうの たいしょうに される のは おゆるしに なりません)( "Now the one true God is extremely patient, but he is not mocked (Gal. VI, 7)" )(訳注・3・1 ).人間がテロ行為に苦しめられない権利を持つように,真の神は猥らで冒涜的な風刺画の対象として公衆の面前で繰り返し扱われるのを許さない権利を持っています(にんげんが てろ こういに くるしめられ ない けんりを もつ ように,まことの かみは みだらで ぼうとく てきな ふうしが の たいしょう として こうしゅうの めんぜんで くりかえし あつかわれる のを ゆるさない けんりを もって います)( "As men have a right not to suffer from terrorism, so the true God has a right not to endure the public repetition of obscene and blasphemous cartoons." ).テロを正当化出来る者は誰も居ません(てろを せいとうか できる ものは だれも いません)( "Then nobody justifies terrorism as such, …" ).だがフランス(仏蘭西)の教会や国家当局者達が節度を欠いた神に対する冒涜の検閲を拒み続けるとしたら(だが,ふらんすの きょうかいや こっか とうきょく しゃ たちが せつどを かいた かみに たいする ぼうとくの けんえつを こばみ つづける と したら)( "… but given that the French Church and State authorities refuse to censor obscene blasphemy, …" ),神がイスラム教徒達に名誉回復の為の報復を御許しになっても,果たして驚くべき事でしょうか?(かみが いすらむ きょうと たちに めいよ かいふく の ための ほうふくを おゆるしに なっても,はたして おどろく べき こと でしょう か?)( "… is it surprising if God allowed muslims to avenge his honour? " )
(シャルリー・エブド 社 を襲った)二人のイスラム教青年は宗教的な理由から行動したに違いありません(〈しゃるりー・えぶど しゃ を おそった〉ふたりの いすらむ せいねんは しゅうきょう てきな りゆう から こうどう したに ちがい ありません)( "The gunmen, two young muslims, must have been acting religiously, …" ).何故なら,若し政治的な動機からだとしたら,其の行動がイスラム教に敵対する世論を巻き起こすだろうと十分予見出来た筈だからです(なぜなら,もし せいじ てきな どうき から だ としたら,その こうどうが いすらむ きょうに てきたい する せろん〈よろん〉を まきおこす だろうと じゅうぶん よけん できた はず だから です)( "… because politically it was entirely foreseeable that their action would rouse opinion against Islam." ).だが,其れにしても,彼等が敢えて(敢て)襲撃事件を起こしたのは如何してでしょうか?(だが,それに しても,かれらが あえて しゅうげき じけんを おこした のは どうして でしょうか?)( "Still, how could they dare to attack? " )其の理由は,欧州全土でイスラム教徒達が高い出生率と移民により(に因り・に依り)数の上で益々強大に成って来ており(その りゆうは,おうしゅう ぜんどで いすらむ きょうと たちが たかい しゅっせい りつと いみんに より かずの うえで ますます きょうだいに なって きて おり)( "Because across Europe muslims are by their birthrate and immigration getting stronger in numbers all the time, …" ),十分力を付け次第,必要と有れば大量殺人により(に因り・に依り)欧州のキリスト(基督)教諸国をイスラム化すると公言しているからです(じゅうぶん ちから を つけ しだい,ひつよう とあれば たいりょう さつじんに より おうしゅうの きりすと きょう しょこくを いすらむ か すると こうげん している から です)( "… and they make no secret of the fact that, as soon as they are strong enough, by a bloodbath if necessary, they will islamize the once Christian nations of Europe." ).
では,此れ等諸国がほぼ(略・粗)無制限の移民受け入れ,信じ難い程の福祉を同化しない移民達に認める等の自殺的政策を採る様仕向けたのは一体誰でしょうか?(では,これら しょこくが ほぼ むせいげんの いみん うけいれ,しんじがたい ほどの ふくしを どうか しない いみん たちに みとめる などの じさつ てき せいさくを とる よう しむけた のは いったい だれ でしょうか?)( "So who persuaded these nations to adopt the suicidal policy of almost unrestricted immigration and unbelievable welfare benefits for the in fact unassimilable immigrants, and so on? " )賄賂を受け取ったり,酷く虐め(苛め)られたかいらい(傀儡)政治家以外の誰でしょうか?(わいろを うけ とったり,ひどく いじめ られた かいらい せいじか いがいの だれ でしょう か?)( "Who but our bribed or bullied puppet politicians? " )一年程前,ドイツ(独逸)のメルケル首相は相反する文化を調和させる「多層文化」( "multi-culti" )は上手く行かないと認め本音を吐露しました(いちねん ほど まえ,どいつの めるける しゅしょうは あいはん する ぶんかを ちょうわ させる「たそう ぶんか」は うまく いかないと みとめ ほんねを とろ し ました)( "In a moment of truth a year or so ago, the Chancellor of Germany, Angela Merkel, admitted that “multi-culti,” the mixing of contrary cultures, does not work. " ).だが,彼女は1週間程前,エブド 社 襲撃事件に触れ「イスラム教はドイツに属する」と公言したでは無いですか?(だが,かのじょは いっしゅうかん ほど まえ,えぶど しゃ しゅうげき じけんに ふれ「いすらむ きょうは どいつに ぞくする」と こうげん した では ない ですか?)( "But a week or so ago in connection with the Hebdo attack, did she not proclaim that “Islam belongs to Germany”? " ).彼女は屈服させられたのです(かのじょは くっぷく させられた のです)( "She had been brought to heel. " ).彼女は常にドイツの真の国益に反した行動をするので操り人形です(かのじょは つねに どいつの しんの こくえきに はんした こうどうを する ので あやつり にんぎょう です)( "She is a puppet because she is constantly acting against Germany’s true interests. " ).例えば,若しフランス(仏蘭西)に今程多くのイスラム教徒が居なかったなら,シャルリー・エブド 社 がわざわざ(態態・態々)イスラム教を嘲笑したでしょうか?(たとえば,もし ふらんすに いま ほど おおくの いすらむ きょうとが いなかった なら,しゃるりー・えぶど しゃ が わざわざ いすらむ きょうを ちょうしょう した でしょうか?)( "For instance, were there not so many muslims in France, would Charlie Hebdo ever have bothered to ridicule Islam? " )そして其の様な傀儡政治家達に票を投ずるのは誰でしょうか?(そして そのような かいらい せいじか たちに ひょうを とうずる のは だれ でしょうか?)( "And who votes for these puppet politicians? " ) 其れは考えを下品なメディア(新聞・テレビ・ラジオ等の情報媒体)に毒された操り人形の様な有権者達です(それは かんがえを げひんな めでぃあ〈しんぶん・てれび・らじお とうの じょうほう ばいたい〉に どく された あやつり にんぎょうの ような ゆうけんしゃ たち です)( "Puppet peoples, who allow their thinking to be enslaved by their vile media. " ).
では,彼等の黒幕は誰でしょうか?(では,かれらの くろまくは だれ でしょう か?)( "Then who are the puppet-masters? " )其れは神の敵達で(それは かみの てき たちで)( "They are enemies of God, …" ),神の存在しない自分達自身の新世界秩序,生きる人々が誰一人として地獄へ陥るのを免れない警察国家を打ち立てようと躍起になっている連中です(かみの そんざい しない じぶん たち じしんの しん せかい ちつじょ,いきる ひとびとが だれ ひとり として じごくへ おちいる のを まぬがれ ない けいさつ こっかを うちたて ようと やっきに なって いる れんちゅう です)( "… intent upon establishing their own godless New World Order, a police State designed to ensure that not one living soul escapes eternal Hell." ).私達は彼等をグローバリスト( "Globalists" )と呼びましょう(わたくし たちは かれらを ぐろーばりすと と よびましょう)( "Let us call them “Globalists.” " ).エブド 社 襲撃は,アメリカ(米国)での 9.11 同時多発テロ,英国での 7.7 爆弾事件と同じ様に彼等の仕業で(えぶど しゃ しゅうげき は,あめりか〈べいこく〉で の きゅう てん いち いち どうじ たはつ てろ,えいこく で の なな てん なな ばくだん じけんと おなじ ように かれらの しわざ で)( "Then was the Hebdo attack their work, one of their events like 9/11 in the USA and 7/7 in the UK, …" ),世論を冒涜者に取っての自由,内戦へ誘導する目的で仕組まれたのでは無いでしょうか?(よろん〈せろん〉を ぼうとく しゃ に とって の じゆう,ないせん へ ゆうどう する もくてき で しくまれた のでは ないでしょうか?)( "… engineered to move public opinion, this time towards freedom for blasphemers and civil war? " )其の可能性は大いに有ります(その かのう せいは おおいに あります)( "Most likely." ).今回の襲撃事件の実態は外見とは異なった物でした(こんかいの しゅうげき じけんの じったいは がいけん とは ことなった もの でした)( "The event was certainly not what it was made to seem." ).有名になった例が有ります(ゆうめいに なった れいが あります)( "Famous example: …" ).一人の殺し屋が地面に横たわった「一人のイスラム教徒警官」の頭を狙い撃ちするが,流血は無く,銃の反動も無く,「犠牲者」はほとんど(殆ど・殆んど)動かないという場面を示す3分間の動画です(ひとりの ころしや が じめんに よこたわった「ひとりの いすらむ きょうと けいかん」の あたまを ねらい うち するが,りゅうけつは なく,じゅうの はんどうも なく,「ぎせいしゃ」は ほとんど うごかない という ばめんを しめす さんぷんかんの どうが です)( "… the three-minute film clip showing a gunman shooting in the head point-blank a “muslim policeman” lying on the ground, with no blood, no recoil of the gun, and little movement of the “victim.” " ).この動画はhttp://youtu.be/gobYWXgzWgYに未だ残っているかも知れません(この どうがは http://youtu.be/gobYWXgzWgYに まだ のこって いる かも しれ ません)( "The clip may still be found, starting from here – http://youtu.be/gobYWXgzWgY. " ).
神はこうした気ちがい沙汰を御認めになるでしょうか?(かみは こうした きちがい ざたを おみとめに なる でしょうか?)( "And the Good Lord amidst all this madness? " )「神は滅ぼそうとする者を,先ず気を狂わせる」という古い諺があります(「かみは ほろぼそうと する ものを,まず きを くるわせる」という ふるい ことわざが あります)( " “Those whom he wishes to destroy, he first makes mad,” is the old saying." ).神が神の御母(聖母)のみを通してもたら(齎)そうとされる勝利の為に一日15玄義のロザリオの祈(15 Mysteries)を祈りましょう!(かみが かみの おんはは〈せいぼ〉のみを とおして もたらそうと される しょうりの ために いちにち じゅうご げんぎ の ろざりおの いのりを いのりましょう!)( "Pray 15 Mysteries a day for the triumph that he will engineer, through his Mother alone." )(訳注・7・1)哀れなグローバリスト達は不意を突かれるでしょう!(あわれな ぐろーばりすと たちは ふいを つかれる でしょう!)( "Are the poor Globalists ever going to be taken by surprise! " )
キリエ・エレイソン (主よ憐れみ給え).
(きりえ・えれいそん)〈しゅよ あわれみ たまえ〉
Kyrie eleison.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
清書版
エレイソン・コメンツ 第393回 (2015年1月24日)
今日,物事は決して外見通りではありません.
神を信じない人々にとって,巧みな嘘は優しく響くでしょう.
Today things never are what they appear.
To godless people skilful liars are dear.
1月7日に起きたシャルリー・エブド社 襲撃事件で二人のイスラム教徒青年がこのフランスの風刺週刊誌パリ本社で働く12名の漫画家,ジャーナリストを殺害しました.1月11日に開かれた大規模な市民抗議集会では,参加した欧州数か国の指導者たちが写真でプレーアップされました.この二つの出来事は神の敵たちがわずかに残るキリスト教文明に対して仕掛けた戦いのもうひとつのエピソードとしてとらえるのが最も分かり易いでしょう.この事件を漫画家たち,襲撃者,イスラム教に迎合するかいらい政治家や一部の国の人々,そのすべての背後にいる黒幕の順で考えてみましょう.
The Charlie Hebdo attack of January 7 in which two muslim gunmen killed a dozen cartoonists and journalists in the Paris office of a satirical French weekly, and the enormous public protest of Jan. 11 against the attack in which leaders of several European nations were photo-opped as taking part, are best understood as one more episode in the war being waged by the enemies of God upon what little remains of Christian civilisation. Let us consider in order the cartoonists, the gunmen, the puppet politicians and peoples pandering to Islam and the puppet-masters behind them all.
同社の漫画家たちはイスラム教やイスラム教徒たちだけでなく,世界唯一の真の宗教であるキリスト教の三位一体,救世主,聖母までも風刺の対象にしました.唯一の真の神はきわめて忍耐強いのですが,嘲笑の対象にされるのはお許しになりません(使徒聖パウロによるガラテア人への書簡:第6章7節参照)(訳注・3・1).人間がテロ行為に苦しめられない権利を持つように,真の神はみだらで冒涜的な風刺画の対象として公衆の面前で繰り返し扱われるのを許さない権利を持っています.テロを正当化できる者は誰もいません.だが,フランスの教会や国家当局者たちが節度を欠いた神に対する冒涜の検閲を拒み続けるとしたら,神がイスラム教徒たちに名誉回復のための報復をお許しになっても,はたして驚くべきことでしょうか?
The cartoonists lampooned not only Islam and muslims but also, from the world’s one true religion, the Holy Trinity, our divine Saviour and the Blessed Virgin Mary. Now the one true God is extremely patient, but he is not mocked (Gal. VI, 7). As men have a right not to suffer from terrorism, so the true God has a right not to endure the public repetition of obscene and blasphemous cartoons. Then nobody justifies terrorism as such, but given that the French Church and State authorities refuse to censor obscene blasphemy, is it surprising if God allowed muslims to avenge his honour?
シャルリー・エブド社 を襲った二人のイスラム教青年は宗教的な理由から行動したに違いありません.なぜなら,もし政治的な動機からだとしたら,その行動がイスラム教に敵対する世論を巻き起こすだろうと十分予見できたはずだからです.だが,それにしても,彼らがあえて襲撃事件を起こしたのはどうしてでしょうか? その理由は,欧州全土でイスラム教徒たちが高い出生率と移民により数の上で益々強大になってきており,十分力をつけ次第,必要とあれば大量殺人により欧州のキリスト教諸国をイスラム化すると公言しているからです.
The gunmen, two young muslims, must have been acting religiously, because politically it was entirely foreseeable that their action would rouse opinion against Islam. Still, how could they dare to attack? Because across Europe muslims are by their birthrate and immigration getting stronger in numbers all the time, and they make no secret of the fact that, as soon as they are strong enough, by a bloodbath if necessary, they will islamize the once Christian nations of Europe.
では,これら諸国がほぼ無制限の移民受け入れ,信じがたいほどの福祉を同化しない移民たちに認めるなどの自殺的政策を取るよう仕向けたのは一体誰でしょうか? わいろを受け取ったり,ひどくいじめられたかいらい政治家以外の誰でしょうか? 一年ほど前,ドイツのメルケル首相は相反する文化を調和させる「多層文化」("multi-culti")はうまく行かないと認め本音を吐露しました.だが,彼女は1週間ほど前,エブド社 襲撃事件に触れ「イスラム教はドイツに属する」と公言したではないですか.彼女は屈服させられたのです.彼女は常にドイツの真の国益に反した行動をするので操り人形です.例えば,もしフランスにいまほど多くのイスラム教徒がいなかったなら,シャルリー・エブド社 がわざわざイスラム教を嘲笑したでしょうか? そのようなかいらい政治家たちに票を投ずるのは誰でしょうか? それは考えを下品なメディアに毒された操り人形のような有権者たちです.
So who persuaded these nations to adopt the suicidal policy of almost unrestricted immigration and unbelievable welfare benefits for the in fact unassimilable immigrants, and so on? Who but our bribed or bullied puppet politicians? In a moment of truth a year or so ag o, the Chancellor of Germany, Angela Merkel, admitted that “multi-culti,” the mixing of contrary cultures, does not work. But a week or so ago in connection with the Hebdo attack, did she not proclaim that “Islam belongs to Germany”? She had been brought to heel. She is a puppet because she is constantly acting against Germany’s true interests. For instance, were there not so many muslims in France, would Charlie Hebdo ever have bothered to ridicule Islam? And who votes for these puppet politicians? Puppet peoples, who allow their thinking to be enslaved by their vile media.
では,彼らの黒幕は誰でしょうか? それは神の敵たちで,神の存在しない自分たち自身の新世界秩序,生きる人々が誰一人として地獄へ陥るのを免れない警察国家を打ち立てようと躍起になっている連中です.私たちは彼らをグローバリスト( "Globalists" )と呼びましょう.エブド社 襲撃は,アメリカでの 9.11 同時多発テロ,英国での 7.7 爆弾事件と同じように彼らの仕業で,世論を冒涜者にとっての自由,内戦へ誘導する目的で仕組まれたのではないでしょうか? その可能性は大いにあります.今回の襲撃事件の実態は外見とは異なったものでした.有名になった例があります.一人の殺し屋が地面に横たわった「一人のイスラム教徒警官」の頭を狙い撃ちするが,流血はなく,銃の反動もなく,「犠牲者」はほとんど動かないという場面を示す3分間の動画です.この動画はhttp://youtu.be/gobYWXgzWgYにまだ残っているかもしれません.
Then who are the puppet-masters? They are enemies of God, intent upon establishing their own godless New World Order, a police State designed to ensure that not one living soul escapes eternal Hell. Let us call them “Globalists.” Then was the Hebdo attack their work, one of their events like 9/11 in the USA and 7/7 in the UK, engineered to move public opinion, this time t owards freedom for blasphemers and civil war? Most likely. The event was certainly not what it was made to seem. Famous example: the three-minute film clip showing a gunman shooting in the head point-blank a “muslim policeman” lying on the ground, with no blood, no recoil of the gun, and little movement of the “victim.” The clip may still be found, starting from here – http://youtu.be/gobYWXgzWgY.
神はこうした気ちがい沙汰をお認めになるでしょうか?「神は滅ぼそうとする者を,先ず気を狂わせる」という古いことわざがあります.神が神の御母(聖母)のみを通してもたらそうとされる勝利のために一日15玄義のロザリオの祈( "15 Mysteries" )を祈りましょう!(訳注・7・1)哀れなグローバリストたちは不意をつかれるでしょう!
And the Good Lord amidst all this madness? Those whom he wishes to destroy, he first makes mad,” is the old saying. Pray 15 Mysteries a day for the triumph that he will engineer, through his Mother alone. Are the poor Globalists ever going to be taken by surprise!
キリエ・エレイソン.
Kyrie eleison.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
訳注
「エブド」"hebdo" はフランス語 "hebdomadaire" の略で,
英語で "weekly"(=毎週・週単位・週刊誌)の意.
原語はラテン語 "hebdomadalis".
* * *
本投稿記事・第393回エレイソン・コメンツ「エブドマニア」 "HEBDOMANIA" ( 2015年1月24日付)は2015年8月23日15時23分に掲載されました.
* * *
エレイソン・コメンツ 第393回 (2015年1月24日)
今日,
物事は決して外見通りでは有りません.
(こんにち,ものごとは
けっして がいけん どおり では ありません)
( "Today things never are what they appear." )
神を信じない人々に取って,
巧みな嘘は優しく響くでしょう.
(かみを しんじない ひとびとに とって,
たくみな うそは やさしく ひびく でしょう).
( "To godless people skilful liars are dear. " )
1月7日に起きたシャルリー・エブド 社 襲撃事件で二人のイスラム教徒青年が此のフランス(仏蘭西)の風刺週刊誌パリ(巴里)本社で働く(…に勤務する)12名の漫画家,ジャーナリスト(新聞記者・雑誌記者)を殺害しました(いちがつ なのか に おきた しゃるりー・えぶど しゃ しゅうげき じけんで ふたりの いすらむ きょうと せいねんが この ふらんすの ふうし しゅうかんし ぱり ほんしゃで はたらく(…に きんむする)じゅうに めい の まんがか,じゃーなりすと〈しんぶん きしゃ・ざっし きしゃ〉を さつがい しました)( "The Charlie Hebdo attack of January 7 in which two muslim gunmen killed a dozen cartoonists and journalists in the Paris office of a satirical French weekly, …" ).1月11日に開かれた大規模な市民抗議集会では,参加した欧州数か国の指導者達が写真でプレーアップされました(いちがつ じゅういち にちに ひらかれた だいきぼ な しみん こうぎ しゅうかい では さんか した おうしゅう すうかこくの しどうしゃ たちが しゃしんで ぷれーあっぷ されました).此の二つの出来事は神の敵達が僅かに残るキリスト(基督)教文明に対して仕掛けた戦いのもう一つのエピソードとして捉えるのが最も分かり易いでしょう(この ふたつの できごとは かみの てき たちが わずかに のこる きりすと きょう ぶんめいに たいして しかけた たたかいの もう ひとつの えぴそーど として とらえる のが もっとも わかりやすい でしょう)( "… and the enormous public protest of Jan. 11 against the attack in which leaders of several European nations were photo-opped as taking part, are best understood as one more episode in the war being waged by the enemies of God upon what little remains of Christian civilisation." ).此の事件を漫画家達,襲撃者,イスラム教に迎合するかいらい(傀儡)政治家や一部の国の人々,其の全ての背後に居る黒幕の順で考えて見ましょう(この じけんを まんがか たち,しゅうげき しゃ,いすらむ きょうに げいごう する かいらい せいじか や いちぶの くにの ひとびと,その すべての はいごに いる くろまく の じゅんで かんがえて みましょう)( "Let us consider in order the cartoonists, the gunmen, the puppet politicians and peoples pandering to Islam and the puppet-masters behind them all." ).
同社の漫画家達はイスラム教やイスラム教徒達だけで無く,世界唯一の真の宗教で有るキリスト(基督)教の三位一体,救世主,聖母迄も風刺の対象にしました(どうしゃの まんがか たちは いすらむ きょうや いすらむ きょうと たち だけで なく,せかい ゆいいつの まことの しゅうきょう である きりすと きょうの さんみ いったい,きゅうせい しゅ,せいぼ までも ふうしの たいしょうに しました)( "The cartoonists lampooned not only Islam and muslims but also, from the world’s one true religion, the Holy Trinity, our divine Saviour and the Blessed Virgin Mary." ).唯一の真の神は極めて忍耐強いのですが,嘲笑の対象にされるのは御許しになりません(使徒聖パウロのガラテア人への書簡:第6章7節)(ゆいいつの まことの かみは きわめて にんたい づよい のですが,ちょうしょうの たいしょうに される のは おゆるしに なりません)( "Now the one true God is extremely patient, but he is not mocked (Gal. VI, 7)" )(訳注・3・1 ).人間がテロ行為に苦しめられない権利を持つように,真の神は猥らで冒涜的な風刺画の対象として公衆の面前で繰り返し扱われるのを許さない権利を持っています(にんげんが てろ こういに くるしめられ ない けんりを もつ ように,まことの かみは みだらで ぼうとく てきな ふうしが の たいしょう として こうしゅうの めんぜんで くりかえし あつかわれる のを ゆるさない けんりを もって います)( "As men have a right not to suffer from terrorism, so the true God has a right not to endure the public repetition of obscene and blasphemous cartoons." ).テロを正当化出来る者は誰も居ません(てろを せいとうか できる ものは だれも いません)( "Then nobody justifies terrorism as such, …" ).だがフランス(仏蘭西)の教会や国家当局者達が節度を欠いた神に対する冒涜の検閲を拒み続けるとしたら(だが,ふらんすの きょうかいや こっか とうきょく しゃ たちが せつどを かいた かみに たいする ぼうとくの けんえつを こばみ つづける と したら)( "… but given that the French Church and State authorities refuse to censor obscene blasphemy, …" ),神がイスラム教徒達に名誉回復の為の報復を御許しになっても,果たして驚くべき事でしょうか?(かみが いすらむ きょうと たちに めいよ かいふく の ための ほうふくを おゆるしに なっても,はたして おどろく べき こと でしょう か?)( "… is it surprising if God allowed muslims to avenge his honour? " )
(シャルリー・エブド 社 を襲った)二人のイスラム教青年は宗教的な理由から行動したに違いありません(〈しゃるりー・えぶど しゃ を おそった〉ふたりの いすらむ せいねんは しゅうきょう てきな りゆう から こうどう したに ちがい ありません)( "The gunmen, two young muslims, must have been acting religiously, …" ).何故なら,若し政治的な動機からだとしたら,其の行動がイスラム教に敵対する世論を巻き起こすだろうと十分予見出来た筈だからです(なぜなら,もし せいじ てきな どうき から だ としたら,その こうどうが いすらむ きょうに てきたい する せろん〈よろん〉を まきおこす だろうと じゅうぶん よけん できた はず だから です)( "… because politically it was entirely foreseeable that their action would rouse opinion against Islam." ).だが,其れにしても,彼等が敢えて(敢て)襲撃事件を起こしたのは如何してでしょうか?(だが,それに しても,かれらが あえて しゅうげき じけんを おこした のは どうして でしょうか?)( "Still, how could they dare to attack? " )其の理由は,欧州全土でイスラム教徒達が高い出生率と移民により(に因り・に依り)数の上で益々強大に成って来ており(その りゆうは,おうしゅう ぜんどで いすらむ きょうと たちが たかい しゅっせい りつと いみんに より かずの うえで ますます きょうだいに なって きて おり)( "Because across Europe muslims are by their birthrate and immigration getting stronger in numbers all the time, …" ),十分力を付け次第,必要と有れば大量殺人により(に因り・に依り)欧州のキリスト(基督)教諸国をイスラム化すると公言しているからです(じゅうぶん ちから を つけ しだい,ひつよう とあれば たいりょう さつじんに より おうしゅうの きりすと きょう しょこくを いすらむ か すると こうげん している から です)( "… and they make no secret of the fact that, as soon as they are strong enough, by a bloodbath if necessary, they will islamize the once Christian nations of Europe." ).
では,此れ等諸国がほぼ(略・粗)無制限の移民受け入れ,信じ難い程の福祉を同化しない移民達に認める等の自殺的政策を採る様仕向けたのは一体誰でしょうか?(では,これら しょこくが ほぼ むせいげんの いみん うけいれ,しんじがたい ほどの ふくしを どうか しない いみん たちに みとめる などの じさつ てき せいさくを とる よう しむけた のは いったい だれ でしょうか?)( "So who persuaded these nations to adopt the suicidal policy of almost unrestricted immigration and unbelievable welfare benefits for the in fact unassimilable immigrants, and so on? " )賄賂を受け取ったり,酷く虐め(苛め)られたかいらい(傀儡)政治家以外の誰でしょうか?(わいろを うけ とったり,ひどく いじめ られた かいらい せいじか いがいの だれ でしょう か?)( "Who but our bribed or bullied puppet politicians? " )一年程前,ドイツ(独逸)のメルケル首相は相反する文化を調和させる「多層文化」( "multi-culti" )は上手く行かないと認め本音を吐露しました(いちねん ほど まえ,どいつの めるける しゅしょうは あいはん する ぶんかを ちょうわ させる「たそう ぶんか」は うまく いかないと みとめ ほんねを とろ し ました)( "In a moment of truth a year or so ago, the Chancellor of Germany, Angela Merkel, admitted that “multi-culti,” the mixing of contrary cultures, does not work. " ).だが,彼女は1週間程前,エブド 社 襲撃事件に触れ「イスラム教はドイツに属する」と公言したでは無いですか?(だが,かのじょは いっしゅうかん ほど まえ,えぶど しゃ しゅうげき じけんに ふれ「いすらむ きょうは どいつに ぞくする」と こうげん した では ない ですか?)( "But a week or so ago in connection with the Hebdo attack, did she not proclaim that “Islam belongs to Germany”? " ).彼女は屈服させられたのです(かのじょは くっぷく させられた のです)( "She had been brought to heel. " ).彼女は常にドイツの真の国益に反した行動をするので操り人形です(かのじょは つねに どいつの しんの こくえきに はんした こうどうを する ので あやつり にんぎょう です)( "She is a puppet because she is constantly acting against Germany’s true interests. " ).例えば,若しフランス(仏蘭西)に今程多くのイスラム教徒が居なかったなら,シャルリー・エブド 社 がわざわざ(態態・態々)イスラム教を嘲笑したでしょうか?(たとえば,もし ふらんすに いま ほど おおくの いすらむ きょうとが いなかった なら,しゃるりー・えぶど しゃ が わざわざ いすらむ きょうを ちょうしょう した でしょうか?)( "For instance, were there not so many muslims in France, would Charlie Hebdo ever have bothered to ridicule Islam? " )そして其の様な傀儡政治家達に票を投ずるのは誰でしょうか?(そして そのような かいらい せいじか たちに ひょうを とうずる のは だれ でしょうか?)( "And who votes for these puppet politicians? " ) 其れは考えを下品なメディア(新聞・テレビ・ラジオ等の情報媒体)に毒された操り人形の様な有権者達です(それは かんがえを げひんな めでぃあ〈しんぶん・てれび・らじお とうの じょうほう ばいたい〉に どく された あやつり にんぎょうの ような ゆうけんしゃ たち です)( "Puppet peoples, who allow their thinking to be enslaved by their vile media. " ).
では,彼等の黒幕は誰でしょうか?(では,かれらの くろまくは だれ でしょう か?)( "Then who are the puppet-masters? " )其れは神の敵達で(それは かみの てき たちで)( "They are enemies of God, …" ),神の存在しない自分達自身の新世界秩序,生きる人々が誰一人として地獄へ陥るのを免れない警察国家を打ち立てようと躍起になっている連中です(かみの そんざい しない じぶん たち じしんの しん せかい ちつじょ,いきる ひとびとが だれ ひとり として じごくへ おちいる のを まぬがれ ない けいさつ こっかを うちたて ようと やっきに なって いる れんちゅう です)( "… intent upon establishing their own godless New World Order, a police State designed to ensure that not one living soul escapes eternal Hell." ).私達は彼等をグローバリスト( "Globalists" )と呼びましょう(わたくし たちは かれらを ぐろーばりすと と よびましょう)( "Let us call them “Globalists.” " ).エブド 社 襲撃は,アメリカ(米国)での 9.11 同時多発テロ,英国での 7.7 爆弾事件と同じ様に彼等の仕業で(えぶど しゃ しゅうげき は,あめりか〈べいこく〉で の きゅう てん いち いち どうじ たはつ てろ,えいこく で の なな てん なな ばくだん じけんと おなじ ように かれらの しわざ で)( "Then was the Hebdo attack their work, one of their events like 9/11 in the USA and 7/7 in the UK, …" ),世論を冒涜者に取っての自由,内戦へ誘導する目的で仕組まれたのでは無いでしょうか?(よろん〈せろん〉を ぼうとく しゃ に とって の じゆう,ないせん へ ゆうどう する もくてき で しくまれた のでは ないでしょうか?)( "… engineered to move public opinion, this time towards freedom for blasphemers and civil war? " )其の可能性は大いに有ります(その かのう せいは おおいに あります)( "Most likely." ).今回の襲撃事件の実態は外見とは異なった物でした(こんかいの しゅうげき じけんの じったいは がいけん とは ことなった もの でした)( "The event was certainly not what it was made to seem." ).有名になった例が有ります(ゆうめいに なった れいが あります)( "Famous example: …" ).一人の殺し屋が地面に横たわった「一人のイスラム教徒警官」の頭を狙い撃ちするが,流血は無く,銃の反動も無く,「犠牲者」はほとんど(殆ど・殆んど)動かないという場面を示す3分間の動画です(ひとりの ころしや が じめんに よこたわった「ひとりの いすらむ きょうと けいかん」の あたまを ねらい うち するが,りゅうけつは なく,じゅうの はんどうも なく,「ぎせいしゃ」は ほとんど うごかない という ばめんを しめす さんぷんかんの どうが です)( "… the three-minute film clip showing a gunman shooting in the head point-blank a “muslim policeman” lying on the ground, with no blood, no recoil of the gun, and little movement of the “victim.” " ).この動画はhttp://youtu.be/gobYWXgzWgYに未だ残っているかも知れません(この どうがは http://youtu.be/gobYWXgzWgYに まだ のこって いる かも しれ ません)( "The clip may still be found, starting from here – http://youtu.be/gobYWXgzWgY. " ).
神はこうした気ちがい沙汰を御認めになるでしょうか?(かみは こうした きちがい ざたを おみとめに なる でしょうか?)( "And the Good Lord amidst all this madness? " )「神は滅ぼそうとする者を,先ず気を狂わせる」という古い諺があります(「かみは ほろぼそうと する ものを,まず きを くるわせる」という ふるい ことわざが あります)( " “Those whom he wishes to destroy, he first makes mad,” is the old saying." ).神が神の御母(聖母)のみを通してもたら(齎)そうとされる勝利の為に一日15玄義のロザリオの祈(15 Mysteries)を祈りましょう!(かみが かみの おんはは〈せいぼ〉のみを とおして もたらそうと される しょうりの ために いちにち じゅうご げんぎ の ろざりおの いのりを いのりましょう!)( "Pray 15 Mysteries a day for the triumph that he will engineer, through his Mother alone." )(訳注・7・1)哀れなグローバリスト達は不意を突かれるでしょう!(あわれな ぐろーばりすと たちは ふいを つかれる でしょう!)( "Are the poor Globalists ever going to be taken by surprise! " )
キリエ・エレイソン (主よ憐れみ給え).
(きりえ・えれいそん)〈しゅよ あわれみ たまえ〉
Kyrie eleison.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
清書版
エレイソン・コメンツ 第393回 (2015年1月24日)
今日,物事は決して外見通りではありません.
神を信じない人々にとって,巧みな嘘は優しく響くでしょう.
Today things never are what they appear.
To godless people skilful liars are dear.
1月7日に起きたシャルリー・エブド社 襲撃事件で二人のイスラム教徒青年がこのフランスの風刺週刊誌パリ本社で働く12名の漫画家,ジャーナリストを殺害しました.1月11日に開かれた大規模な市民抗議集会では,参加した欧州数か国の指導者たちが写真でプレーアップされました.この二つの出来事は神の敵たちがわずかに残るキリスト教文明に対して仕掛けた戦いのもうひとつのエピソードとしてとらえるのが最も分かり易いでしょう.この事件を漫画家たち,襲撃者,イスラム教に迎合するかいらい政治家や一部の国の人々,そのすべての背後にいる黒幕の順で考えてみましょう.
The Charlie Hebdo attack of January 7 in which two muslim gunmen killed a dozen cartoonists and journalists in the Paris office of a satirical French weekly, and the enormous public protest of Jan. 11 against the attack in which leaders of several European nations were photo-opped as taking part, are best understood as one more episode in the war being waged by the enemies of God upon what little remains of Christian civilisation. Let us consider in order the cartoonists, the gunmen, the puppet politicians and peoples pandering to Islam and the puppet-masters behind them all.
同社の漫画家たちはイスラム教やイスラム教徒たちだけでなく,世界唯一の真の宗教であるキリスト教の三位一体,救世主,聖母までも風刺の対象にしました.唯一の真の神はきわめて忍耐強いのですが,嘲笑の対象にされるのはお許しになりません(使徒聖パウロによるガラテア人への書簡:第6章7節参照)(訳注・3・1).人間がテロ行為に苦しめられない権利を持つように,真の神はみだらで冒涜的な風刺画の対象として公衆の面前で繰り返し扱われるのを許さない権利を持っています.テロを正当化できる者は誰もいません.だが,フランスの教会や国家当局者たちが節度を欠いた神に対する冒涜の検閲を拒み続けるとしたら,神がイスラム教徒たちに名誉回復のための報復をお許しになっても,はたして驚くべきことでしょうか?
The cartoonists lampooned not only Islam and muslims but also, from the world’s one true religion, the Holy Trinity, our divine Saviour and the Blessed Virgin Mary. Now the one true God is extremely patient, but he is not mocked (Gal. VI, 7). As men have a right not to suffer from terrorism, so the true God has a right not to endure the public repetition of obscene and blasphemous cartoons. Then nobody justifies terrorism as such, but given that the French Church and State authorities refuse to censor obscene blasphemy, is it surprising if God allowed muslims to avenge his honour?
シャルリー・エブド社 を襲った二人のイスラム教青年は宗教的な理由から行動したに違いありません.なぜなら,もし政治的な動機からだとしたら,その行動がイスラム教に敵対する世論を巻き起こすだろうと十分予見できたはずだからです.だが,それにしても,彼らがあえて襲撃事件を起こしたのはどうしてでしょうか? その理由は,欧州全土でイスラム教徒たちが高い出生率と移民により数の上で益々強大になってきており,十分力をつけ次第,必要とあれば大量殺人により欧州のキリスト教諸国をイスラム化すると公言しているからです.
The gunmen, two young muslims, must have been acting religiously, because politically it was entirely foreseeable that their action would rouse opinion against Islam. Still, how could they dare to attack? Because across Europe muslims are by their birthrate and immigration getting stronger in numbers all the time, and they make no secret of the fact that, as soon as they are strong enough, by a bloodbath if necessary, they will islamize the once Christian nations of Europe.
では,これら諸国がほぼ無制限の移民受け入れ,信じがたいほどの福祉を同化しない移民たちに認めるなどの自殺的政策を取るよう仕向けたのは一体誰でしょうか? わいろを受け取ったり,ひどくいじめられたかいらい政治家以外の誰でしょうか? 一年ほど前,ドイツのメルケル首相は相反する文化を調和させる「多層文化」("multi-culti")はうまく行かないと認め本音を吐露しました.だが,彼女は1週間ほど前,エブド社 襲撃事件に触れ「イスラム教はドイツに属する」と公言したではないですか.彼女は屈服させられたのです.彼女は常にドイツの真の国益に反した行動をするので操り人形です.例えば,もしフランスにいまほど多くのイスラム教徒がいなかったなら,シャルリー・エブド社 がわざわざイスラム教を嘲笑したでしょうか? そのようなかいらい政治家たちに票を投ずるのは誰でしょうか? それは考えを下品なメディアに毒された操り人形のような有権者たちです.
So who persuaded these nations to adopt the suicidal policy of almost unrestricted immigration and unbelievable welfare benefits for the in fact unassimilable immigrants, and so on? Who but our bribed or bullied puppet politicians? In a moment of truth a year or so ag o, the Chancellor of Germany, Angela Merkel, admitted that “multi-culti,” the mixing of contrary cultures, does not work. But a week or so ago in connection with the Hebdo attack, did she not proclaim that “Islam belongs to Germany”? She had been brought to heel. She is a puppet because she is constantly acting against Germany’s true interests. For instance, were there not so many muslims in France, would Charlie Hebdo ever have bothered to ridicule Islam? And who votes for these puppet politicians? Puppet peoples, who allow their thinking to be enslaved by their vile media.
では,彼らの黒幕は誰でしょうか? それは神の敵たちで,神の存在しない自分たち自身の新世界秩序,生きる人々が誰一人として地獄へ陥るのを免れない警察国家を打ち立てようと躍起になっている連中です.私たちは彼らをグローバリスト( "Globalists" )と呼びましょう.エブド社 襲撃は,アメリカでの 9.11 同時多発テロ,英国での 7.7 爆弾事件と同じように彼らの仕業で,世論を冒涜者にとっての自由,内戦へ誘導する目的で仕組まれたのではないでしょうか? その可能性は大いにあります.今回の襲撃事件の実態は外見とは異なったものでした.有名になった例があります.一人の殺し屋が地面に横たわった「一人のイスラム教徒警官」の頭を狙い撃ちするが,流血はなく,銃の反動もなく,「犠牲者」はほとんど動かないという場面を示す3分間の動画です.この動画はhttp://youtu.be/gobYWXgzWgYにまだ残っているかもしれません.
Then who are the puppet-masters? They are enemies of God, intent upon establishing their own godless New World Order, a police State designed to ensure that not one living soul escapes eternal Hell. Let us call them “Globalists.” Then was the Hebdo attack their work, one of their events like 9/11 in the USA and 7/7 in the UK, engineered to move public opinion, this time t owards freedom for blasphemers and civil war? Most likely. The event was certainly not what it was made to seem. Famous example: the three-minute film clip showing a gunman shooting in the head point-blank a “muslim policeman” lying on the ground, with no blood, no recoil of the gun, and little movement of the “victim.” The clip may still be found, starting from here – http://youtu.be/gobYWXgzWgY.
神はこうした気ちがい沙汰をお認めになるでしょうか?「神は滅ぼそうとする者を,先ず気を狂わせる」という古いことわざがあります.神が神の御母(聖母)のみを通してもたらそうとされる勝利のために一日15玄義のロザリオの祈( "15 Mysteries" )を祈りましょう!(訳注・7・1)哀れなグローバリストたちは不意をつかれるでしょう!
And the Good Lord amidst all this madness? Those whom he wishes to destroy, he first makes mad,” is the old saying. Pray 15 Mysteries a day for the triumph that he will engineer, through his Mother alone. Are the poor Globalists ever going to be taken by surprise!
キリエ・エレイソン.
Kyrie eleison.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
訳注
「エブド」"hebdo" はフランス語 "hebdomadaire" の略で,
英語で "weekly"(=毎週・週単位・週刊誌)の意.
原語はラテン語 "hebdomadalis".
* * *
本投稿記事・第393回エレイソン・コメンツ「エブドマニア」 "HEBDOMANIA" ( 2015年1月24日付)は2015年8月23日15時23分に掲載されました.
* * *
2013年12月25日水曜日
336 ビィユー I 12/21
エレイソン・コメンツ 第336回 (2013年12月21日)
私はここ数年(すうねん),尊者(そんしゃ)バーソロミュー・ホルツハウザー( "the Venerable Bartholomew Holzhauser" )のヨハネの黙示録(もくしろく)に関する評論(ひょうろん)を基(もと)に教会(きょうかい)の7つの時代(じだい)について講義(こうぎ)をしてきました( "For years I have been giving a conference on the Seven Ages of the Church, based on the Venerable Bartholomew Holzhauser’s Commentary on the book of the Apocalypse." ).ホルツハウザーは1600年代(ねんだい)前半(ぜんはん)に活躍(かつやく)したドイツ人司祭(しさい)で,評論をひらめきによって書き記した(かきしるした)と述(の)べています( "Holzhauser, a German priest of the first half of the 1600’s, said that he wrote it under inspiration." ).私の講義は好評(こうひょう)ですが,それはとりわけ私が現代(げんだい)の狂気(きょうき)を教会史の中(きょうかいしの なか)の似通(にかよ)ったパターンに当(あ)てはめて話(はな)すからでしょう( "The conference has been popular, especially because it fits the craziness of our age into a harmonious pattern of the history of the Church." ).ただ,私がこれまでホルツハウザーについて気(き)づかなかったことがあります( "What I had not realized, however, …" ).ある著名(ちょめい)な古典的神学者(こてんてき しんがくしゃ)が彼のビジョンを共有(きょうゆう)しているという事実(じじつ)です( "… is that Holzhauser’s vision is shared by a famous classical theologian, …" ).このことは,ホルツハウザーを単なる預言者(よげんしゃ)とか「幻影信奉者」(げんえい しんぽうしゃ)( "apparitionist" )と片(かた)づけるのを難(むずか)しくしています( "… making it more difficult to dismiss Holzhauser as a mere visionary or “apparitionist”. " ).
枢機卿(すうききょう)ルイ・ビィユー( "Cardinal Louis Billot" )(1846-1931)は古典的(こてんてき)な自著(じちょ)「キリストの教会(きょうかい)に関(かん)する論文(ろんぶん)」( "Treatise on the Church of Christ" )第1巻の終章(しゅうしょう)で,ホルツハウザーが説(と)いた教会史(きょうかい し)の主要(しゅよう)な7時代(ななじだい)とヨハネの黙示録第2,第3章を構成(こうせい)するアジアの7つ(ななつ)の教会に当(あ)てはめた7つ(ななつ)の文字(もじ)( "seven Letters to the seven churches of Asia" )との間(あいだ)の符節(ふせつ)( "correspondence" )についてかなり詳細(しょうさい)に説明(せつめい)しています( "It is in an Epilogue to the first volume of his classic Treatise on the Church of Christ that Cardinal Louis Billot (1846-1931) lays out in some detail the correspondence affirmed by Holzhauser between seven main periods of Church history and the seven Letters to the seven churches of Asia that make up Chapters II and III of the book of the Apocalypse." ).ビィユーの終章(しゅうしょう)はホルツハウザーに一切(いっさい)触(ふ)れていませんが,両者の間(りょうしゃの あいだ)に関連性(かんれん せい)がなかったと見(み)るのは難(むずか)しいでしょう( "Billot’s Epilogue never mentions Holzhauser, but it is difficult to imagine that there is no connection. " ).ビィユーはその符節(ふせつ)について,空想(くうそう)やひらめきからでなく,7つ(ななつ)の教会のギリシア名(ぎりしあ めい)から説き起(ときお)こしています( "However, Billot takes care to start out the correspondence not from any vision or inspiration, but from the Greek names of the seven churches." ).この名称(めいしょう)は教会発展の歴史(きょうかい はってんの れきし)を表(あらわ)すのにふさわしいものですが,そのことは見事(みごと)な偶然(ぐうぜん)というか,より的確(てきかく)には神意(しんい)のなせる業(わざ),すなわち神キリストの証(あか)しそのものです!( "The suitability of these names to the Church’s evolving history is either a remarkable coincidence, or more likely a trace of Providence at work – God, the Master of History ! " )
ビィユーは Ephesus (エフェゾ)( ヨハネの黙示録:第2章1-7節)はギリシア語で「出発」(しゅっぱつ)( "starting out" )を意味(いみ)すると言います( "Thus Billot says that Ephesus (Apoc. II, 1-7) signifies in Greek a “starting out”, …" ).これは,まさしく教会(きょうかい)の始(はじ)まりである「使徒の時代」(しとの じだい)(紀元33-70年)( "the Apostolic Age" )を的確(てきかく)に表(あらわ)しています( "… obviously suitable to the Apostolic Age (33-70 AD) with which the Church began." ).Smyrna (スミルナ)(ヨハネの黙示録:第2章8-11節)は第二の教会の名称(めいしょう)で,それは "myrrh" (訳注・「ミルラ」= 香水や香〈こうすいや こう〉を作〈つく〉るのに用(もち)いる樹脂〈じゅし〉)を意味し,教会第2の時代( "the Second Age" )(紀元70-313年)の情熱と苦難(じょうねつ と くなん),すなわち殉教の時代(じゅんきょうの じだい)に符節(ふせつ)します( "Smyrna (Apoc.II, 8-11) names the second church and means “myrrh”, corresponding to the passion and sufferings of the Church’s Second Age (70-313 AD), that of the Martyrs. " ). Pergamus (ペルガモ) (ヨハネの黙示録:第2章12-17節)は文学(ぶんがく)で有名(ゆうめい)な都市(とし)でした( "Pergamus (Apoc. II, 12-17) was a city famous for literature, …" ).したがって, "pergamum" は物を書き記す材料(ものを かきあらわす ざいりょう)を意味するようになり( "… so that “pergamum” came to mean material on which to write, …" ),教会第3の時代,つまり博士の時代(はかせ〈はくし〉の じだい)( "the Church's Third Age, that of the Doctors" )(紀元313-800年)に属(ぞく)する偉大な教会著述者の一団(いだいな ちょじゅつしゃ のいちだん)と符節します( "… corresponding to the cluster of great Church writers belonging to the Church’s Third Age, that of the Doctors (313-800)." ). Thyatira (ティアティラ) は次の時代の教会(つぎの じだいの きょうかい)( ヨハネの黙示録:第2章18-29節)の名称(めいしょう)で,「勝利の輝き」(しょうりの かがやき)( "splendour of triumph" )を意味します( "Thyatira names the next church (Apoc. II, 18-29), and means “splendour of triumph”, …" ).これはシャルルマーニュ大帝(たいてい)(742-814年)( "Charlemagne (742-814) " )からフランス革命(かくめい)(1789年)に至(いた)るまでのカトリック教会の1千年(いっせんねん)の勝利(しょうり)に符節します( "… corresponding to the 1,000-year triumph of the Catholic Church, reaching from Charlemagne (742-814) to the French Revolution (1789). " ).
この1千年(いっせんねん)はクロビス( "Clovis" )の改宗(かいしゅう)(496年)前後からプロテスタント主義(しゅぎ)の台頭(たいとう)(1517年)までと見(み)ることもできます( "These thousand years might also be reckoned from around the conversion of Clovis (496) to the outbreak of Protestantism (1517). " ).しかし,キリスト教世界(きりすと きょう せかい)の没落(ぼつらく)の始(はじ)まりを宗教改革(しゅうきょう かいかく)と見るかフランス革命(かくめい)と見(み)るか,ここでは触(ふ)れません( "But whether one marks the decline of Christendom from the Reformation or the Revolution, …" ).いずれにせよ,第5の教会( ヨハネの黙示録:第3章1-6節)の名称(めいしょう)である Sardis (サルデス)は,現代(げんだい)を特徴(とくちょう)づける金(かね),物質的繁栄(ぶっしつてき はんえい),精神的衰退(せいしんてき すいたい)を想起(そうき)させる大金持ち(おおがねもち)クロイソスが支配(しはい)した都(みやこ)でした( "… in any case Sardis, naming the fifth church (Apoc. III, 1-6), was the city of Croesus, a fabulously rich man, evoking an abundance of money, material prosperity and spiritual decadence, such as characterize modern times." ).確(たし)かに, Sardis の教会(きょうかい)に対(たい)する警告(けいこく)は私たち自身(じしん)の現代(げんだい)に完全(かんぜん)に符節(ふせつ)します.この点についてはビィユーに関(かん)する次回以降(じかい いこう)のエレイソン・コメンツで触(ふ)れることにします( "Indeed the warnings to the church of Sardis correspond perfectly to our own age today, as we shall see with Billot in further “Comments”. " ).
私たちは第6の教会,すなわち Philadelphia (フィラデルフィア)(ヨハネの黙示録:第3章7-13節)の教会以降(いこう),はっきりと将来(しょうらい)に足を踏み入れる(あしを ふみいれる)ことになります( "We move clearly into the future with the sixth church, that of Philadelphia (Apoc.III, 7-13), …" ).これは,「兄弟(きょうだい)」( " “brotherhood” (- adelphia) " ) への「愛(あい)」( " “love” (Phil-) " ) を意味します ( "… meaning “love” (Phil-) of “brotherhood” (- adelphia). " ). ビィユー枢機卿(すうききょう)はこの名称(めいしょう)を教会の最後の大勝利(きょうかいの さいごの だいしょうり)に符節させています( "Cardinal Billot has this name correspond to a last great triumph of the Church, …" ).それはとりわけ聖パウロが預言(よげん)したユダヤ人の改宗(かいしゅう)(新約聖書・ローマ人への手紙:第11章12節)によって,またユダヤ人の異邦人(いほうじん=非〈ひ〉ユダヤ人)( "the Gentiles" )との和解(わかい)により,キリストの下(もと)でようやく兄弟(きょうだい)となる( エフェゾ人への手紙:第2章14-16節)という預言によって,象徴(しょうちょう)されています( "… marked notably by the conversion of the Jews as prophesied by St Paul (Rom.XI, 12), and by their reconciliation with the Gentiles, brothers at last in Christ (Eph.II, 14-16). " ).
だが, Philadelphia の教会は苦難(くなん)がやがて到来(とうらい)すると警告(けいこく)を受(う)けます( ヨハネの黙示録:第3章10節)( "But the church of Philadelphia is warned that tribulation is coming (Apoc.III, 10), …" ).これは最後の第7教会,すなわち Laodicea (ラオディキア)( ヨハネの黙示録:第3章14-22節)の教会と符節(ふせつ)します( "… which corresponds to the seventh and last Age of the Church, that of Laodicea (Apoc. III, 14-22), …" ).この名称(めいしょう)は人々(ひとびと)( "the peoples (laon) " )の審判(しんぱん)( "judgment (dike) " )に由来(ゆらい)するものです( "… named from judgment (dike) of the peoples (laon). " ).これは教会にとって最後(さいご)でもっとも恐(おそ)ろしい試練の時代(しれんの じだい)となるでしょう( "It will be the Age of the last and most terrible trial of the Church, …" ).反キリスト教徒の迫害(はんきりすと きょうとの はくがい)( "… the persecution of the Antichrist, …" )に続(つづ)いて,生を受けた(せいを うけた)あらゆる霊魂(れいこん),すなわちすべての人々に対する最後の審判(さいごの しんぱん)( "General Judgment" )がくだされる時(とき)となるでしょう( "… followed by the General Judgment of all souls that will ever have lived, and so of all peoples. " ).
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
ヨハネの黙示録
第1章
1 イエズス・キリストの啓示(けいじ).これはすみやかに起こるであろうことをそのしもべたちに示すために神が*キリストにまかせ,キリストはまたその天使を送ってしもベヨハネに告げられたものである.
2 ヨハネは自分の見たことをすべて神のみことばとして,*イエズス・キリストの証(あかし)として証言する.
3 この預言のことばを読み,それを聞いてここに記されたことを守る人は幸せである.*時は近づいているからである.
4 ヨハネより,*アジアにある七(なな)つの教会に.*今在(あ)り,かつて在り, 後に来られる者から,またその玉座(ぎょくざ)の前にいる七つの霊から,
5 また,忠実な証人(ちゅうじつな しょうにん),*死者の中から最初に生まれた者,地上の王の君(きみ)であるイエズス・キリストから,あなたたちに恩寵(おんちょう)と平和があるように.私たちを愛し,その御血(おんち)によって私たちを罪(つみ)から洗い清(あらいきよ)め,
6 その父なる神のために私たちを*司祭の王国の民(たみ)とされたお方に代々に光栄(こうえい)と権能(けんのう)あれ.アメン.
7 イエズスは雲に乗って下られる.すべての目はそれを見るであろう.彼を刺し貫(さしぬ)いた人々も見るであろう.*地上のすべての民は,そのために嘆(なげ)くであろう.そのとおりである.アメン.
8 今在(あ)り,かつて在り,後に来られる主なる全能の神は,「私は*アルファでありオメガである」と仰(おお)せられる.
9 あなたたちの兄弟として,イエズスとの一致(いっち)のうちに患難(かんなん)とみ国と忍耐(にんたい)をともにしている私ヨハネは,神のみことばとイエズスの証明のために*パトモスという島にいたが,
10 *主日(しゅじつ)に脱魂状態(だっこん じょうたい)になり,その後でらっぱのような犬声を聞いた.
11 その声は「おまえの幻(まぼろし)を書き記(かきしる)し,エフェゾ,スミルナ,ペルガモ,ティアティラ,サルデス,フィラデルフィア,ラオディキアにある七つの教会に送れ」と言った.
12 そう話した声の方を見ようとして後を振り返ると,七つの金の燭台(しょくだい)があった.
13 燭台の間に*人の子のような者が見えた.彼は長い服を着て,金の帯を胸にしめ,
14 頭と髪の毛は純白(じゅんぱく)の羊毛(ようもう)のように雪(ゆき)のように白(しろ)く,目は燃(も)える炎(ほのお)のようであった.
15 足は炉(ろ)で精練(せいれん)された尊(とうと)い青銅(せいどう)のようであり,声は大水の音のようであった.
16 右の手に七つの星をもち,口から*両刃(もろは)の鋭い剣(するどい けん)が出,顔は照(て)りわたる太陽のようであった.
17 *それを見たとき,私は死んだようにその足もとに倒(たお)れた.すると彼は右の手を私の上に置いて言われた,「恐れるな.*私は初(はじ)めであり終(お)わりであり,
18 生(い)きている者である.私はかつて死んだが,代々(よよ)限(かぎ)りなく生きる.私は死と黄泉(よみ)のかぎを持っている.
19 だから,おまえの見たこと,今あること,後に起こることを書き記(しる)せ.
20 私の右の手に見た七つの金の燭台(しょくだい)の奥義(おくぎ)は次のとおりである.七つの星は七つの*教会の天使であり,七つの燭台は七つの教会である.
(注釈)
前書き(1・1-8)
1 イエズスは天のことを啓示(けいじ)される者である(ヨハネ聖福音書 1:18,5:20,7:16 )
2 イエズス・キリストが証明された神のみことばのこと.
3 キリストの来臨(らいりん).
4 現在の小アジアの南西部.
* 脱出の書(出エジプト記)3:14 参照.
5 最初に復活(ふっかつ)した者.
6 すべての信徒は司祭と一致(いっち)し,神に賛美(さんび)の犠(いけにえ)を捧(ささ)げるからである.
7 黙示録では,「地上の民」とは神の愛を受け入れない人々である.
8 万物の初めと終わり.
幻(まぼろし)の始まり(1・9-20)
9 使徒としてここに監禁(かんきん)されていた.バトモスはエフェゾに近い島である.ローマ人はここを島流(しまなが)しの地としていた.
10 日曜日のこと.教会史上「主日(しゅじつ)」と記されたのは,これが初めてである.
13 ダニエル 7・13,10・6.キリストのこと.
15 不明なことばである.黄金(おうごん)と青銅(せいどう)の合金(ごうきん)であろうか.
16 神のみことばの鋭(するど)さを表(あらわ)す.
17 ダニエルの書 8・18,エゼキエルの書 2・1,イザヤの書 44・6 参照.
* イザヤ 44・6 は,ヤベについてこう言っている.キリストは神と等(ひと)しく,すべての権限をもっている.
20 各教会は一位(いちい)ずつの天使に守護(しゅご)されている.また天使は,ラテン教会の説によると,各教会のかしらのかたどりである.
* * *
引き続き,ヨハネの黙示録・第2章,第3章を追加掲載いたします.
* * *
私はここ数年(すうねん),尊者(そんしゃ)バーソロミュー・ホルツハウザー( "the Venerable Bartholomew Holzhauser" )のヨハネの黙示録(もくしろく)に関する評論(ひょうろん)を基(もと)に教会(きょうかい)の7つの時代(じだい)について講義(こうぎ)をしてきました( "For years I have been giving a conference on the Seven Ages of the Church, based on the Venerable Bartholomew Holzhauser’s Commentary on the book of the Apocalypse." ).ホルツハウザーは1600年代(ねんだい)前半(ぜんはん)に活躍(かつやく)したドイツ人司祭(しさい)で,評論をひらめきによって書き記した(かきしるした)と述(の)べています( "Holzhauser, a German priest of the first half of the 1600’s, said that he wrote it under inspiration." ).私の講義は好評(こうひょう)ですが,それはとりわけ私が現代(げんだい)の狂気(きょうき)を教会史の中(きょうかいしの なか)の似通(にかよ)ったパターンに当(あ)てはめて話(はな)すからでしょう( "The conference has been popular, especially because it fits the craziness of our age into a harmonious pattern of the history of the Church." ).ただ,私がこれまでホルツハウザーについて気(き)づかなかったことがあります( "What I had not realized, however, …" ).ある著名(ちょめい)な古典的神学者(こてんてき しんがくしゃ)が彼のビジョンを共有(きょうゆう)しているという事実(じじつ)です( "… is that Holzhauser’s vision is shared by a famous classical theologian, …" ).このことは,ホルツハウザーを単なる預言者(よげんしゃ)とか「幻影信奉者」(げんえい しんぽうしゃ)( "apparitionist" )と片(かた)づけるのを難(むずか)しくしています( "… making it more difficult to dismiss Holzhauser as a mere visionary or “apparitionist”. " ).
枢機卿(すうききょう)ルイ・ビィユー( "Cardinal Louis Billot" )(1846-1931)は古典的(こてんてき)な自著(じちょ)「キリストの教会(きょうかい)に関(かん)する論文(ろんぶん)」( "Treatise on the Church of Christ" )第1巻の終章(しゅうしょう)で,ホルツハウザーが説(と)いた教会史(きょうかい し)の主要(しゅよう)な7時代(ななじだい)とヨハネの黙示録第2,第3章を構成(こうせい)するアジアの7つ(ななつ)の教会に当(あ)てはめた7つ(ななつ)の文字(もじ)( "seven Letters to the seven churches of Asia" )との間(あいだ)の符節(ふせつ)( "correspondence" )についてかなり詳細(しょうさい)に説明(せつめい)しています( "It is in an Epilogue to the first volume of his classic Treatise on the Church of Christ that Cardinal Louis Billot (1846-1931) lays out in some detail the correspondence affirmed by Holzhauser between seven main periods of Church history and the seven Letters to the seven churches of Asia that make up Chapters II and III of the book of the Apocalypse." ).ビィユーの終章(しゅうしょう)はホルツハウザーに一切(いっさい)触(ふ)れていませんが,両者の間(りょうしゃの あいだ)に関連性(かんれん せい)がなかったと見(み)るのは難(むずか)しいでしょう( "Billot’s Epilogue never mentions Holzhauser, but it is difficult to imagine that there is no connection. " ).ビィユーはその符節(ふせつ)について,空想(くうそう)やひらめきからでなく,7つ(ななつ)の教会のギリシア名(ぎりしあ めい)から説き起(ときお)こしています( "However, Billot takes care to start out the correspondence not from any vision or inspiration, but from the Greek names of the seven churches." ).この名称(めいしょう)は教会発展の歴史(きょうかい はってんの れきし)を表(あらわ)すのにふさわしいものですが,そのことは見事(みごと)な偶然(ぐうぜん)というか,より的確(てきかく)には神意(しんい)のなせる業(わざ),すなわち神キリストの証(あか)しそのものです!( "The suitability of these names to the Church’s evolving history is either a remarkable coincidence, or more likely a trace of Providence at work – God, the Master of History ! " )
ビィユーは Ephesus (エフェゾ)( ヨハネの黙示録:第2章1-7節)はギリシア語で「出発」(しゅっぱつ)( "starting out" )を意味(いみ)すると言います( "Thus Billot says that Ephesus (Apoc. II, 1-7) signifies in Greek a “starting out”, …" ).これは,まさしく教会(きょうかい)の始(はじ)まりである「使徒の時代」(しとの じだい)(紀元33-70年)( "the Apostolic Age" )を的確(てきかく)に表(あらわ)しています( "… obviously suitable to the Apostolic Age (33-70 AD) with which the Church began." ).Smyrna (スミルナ)(ヨハネの黙示録:第2章8-11節)は第二の教会の名称(めいしょう)で,それは "myrrh" (訳注・「ミルラ」= 香水や香〈こうすいや こう〉を作〈つく〉るのに用(もち)いる樹脂〈じゅし〉)を意味し,教会第2の時代( "the Second Age" )(紀元70-313年)の情熱と苦難(じょうねつ と くなん),すなわち殉教の時代(じゅんきょうの じだい)に符節(ふせつ)します( "Smyrna (Apoc.II, 8-11) names the second church and means “myrrh”, corresponding to the passion and sufferings of the Church’s Second Age (70-313 AD), that of the Martyrs. " ). Pergamus (ペルガモ) (ヨハネの黙示録:第2章12-17節)は文学(ぶんがく)で有名(ゆうめい)な都市(とし)でした( "Pergamus (Apoc. II, 12-17) was a city famous for literature, …" ).したがって, "pergamum" は物を書き記す材料(ものを かきあらわす ざいりょう)を意味するようになり( "… so that “pergamum” came to mean material on which to write, …" ),教会第3の時代,つまり博士の時代(はかせ〈はくし〉の じだい)( "the Church's Third Age, that of the Doctors" )(紀元313-800年)に属(ぞく)する偉大な教会著述者の一団(いだいな ちょじゅつしゃ のいちだん)と符節します( "… corresponding to the cluster of great Church writers belonging to the Church’s Third Age, that of the Doctors (313-800)." ). Thyatira (ティアティラ) は次の時代の教会(つぎの じだいの きょうかい)( ヨハネの黙示録:第2章18-29節)の名称(めいしょう)で,「勝利の輝き」(しょうりの かがやき)( "splendour of triumph" )を意味します( "Thyatira names the next church (Apoc. II, 18-29), and means “splendour of triumph”, …" ).これはシャルルマーニュ大帝(たいてい)(742-814年)( "Charlemagne (742-814) " )からフランス革命(かくめい)(1789年)に至(いた)るまでのカトリック教会の1千年(いっせんねん)の勝利(しょうり)に符節します( "… corresponding to the 1,000-year triumph of the Catholic Church, reaching from Charlemagne (742-814) to the French Revolution (1789). " ).
この1千年(いっせんねん)はクロビス( "Clovis" )の改宗(かいしゅう)(496年)前後からプロテスタント主義(しゅぎ)の台頭(たいとう)(1517年)までと見(み)ることもできます( "These thousand years might also be reckoned from around the conversion of Clovis (496) to the outbreak of Protestantism (1517). " ).しかし,キリスト教世界(きりすと きょう せかい)の没落(ぼつらく)の始(はじ)まりを宗教改革(しゅうきょう かいかく)と見るかフランス革命(かくめい)と見(み)るか,ここでは触(ふ)れません( "But whether one marks the decline of Christendom from the Reformation or the Revolution, …" ).いずれにせよ,第5の教会( ヨハネの黙示録:第3章1-6節)の名称(めいしょう)である Sardis (サルデス)は,現代(げんだい)を特徴(とくちょう)づける金(かね),物質的繁栄(ぶっしつてき はんえい),精神的衰退(せいしんてき すいたい)を想起(そうき)させる大金持ち(おおがねもち)クロイソスが支配(しはい)した都(みやこ)でした( "… in any case Sardis, naming the fifth church (Apoc. III, 1-6), was the city of Croesus, a fabulously rich man, evoking an abundance of money, material prosperity and spiritual decadence, such as characterize modern times." ).確(たし)かに, Sardis の教会(きょうかい)に対(たい)する警告(けいこく)は私たち自身(じしん)の現代(げんだい)に完全(かんぜん)に符節(ふせつ)します.この点についてはビィユーに関(かん)する次回以降(じかい いこう)のエレイソン・コメンツで触(ふ)れることにします( "Indeed the warnings to the church of Sardis correspond perfectly to our own age today, as we shall see with Billot in further “Comments”. " ).
私たちは第6の教会,すなわち Philadelphia (フィラデルフィア)(ヨハネの黙示録:第3章7-13節)の教会以降(いこう),はっきりと将来(しょうらい)に足を踏み入れる(あしを ふみいれる)ことになります( "We move clearly into the future with the sixth church, that of Philadelphia (Apoc.III, 7-13), …" ).これは,「兄弟(きょうだい)」( " “brotherhood” (- adelphia) " ) への「愛(あい)」( " “love” (Phil-) " ) を意味します ( "… meaning “love” (Phil-) of “brotherhood” (- adelphia). " ). ビィユー枢機卿(すうききょう)はこの名称(めいしょう)を教会の最後の大勝利(きょうかいの さいごの だいしょうり)に符節させています( "Cardinal Billot has this name correspond to a last great triumph of the Church, …" ).それはとりわけ聖パウロが預言(よげん)したユダヤ人の改宗(かいしゅう)(新約聖書・ローマ人への手紙:第11章12節)によって,またユダヤ人の異邦人(いほうじん=非〈ひ〉ユダヤ人)( "the Gentiles" )との和解(わかい)により,キリストの下(もと)でようやく兄弟(きょうだい)となる( エフェゾ人への手紙:第2章14-16節)という預言によって,象徴(しょうちょう)されています( "… marked notably by the conversion of the Jews as prophesied by St Paul (Rom.XI, 12), and by their reconciliation with the Gentiles, brothers at last in Christ (Eph.II, 14-16). " ).
だが, Philadelphia の教会は苦難(くなん)がやがて到来(とうらい)すると警告(けいこく)を受(う)けます( ヨハネの黙示録:第3章10節)( "But the church of Philadelphia is warned that tribulation is coming (Apoc.III, 10), …" ).これは最後の第7教会,すなわち Laodicea (ラオディキア)( ヨハネの黙示録:第3章14-22節)の教会と符節(ふせつ)します( "… which corresponds to the seventh and last Age of the Church, that of Laodicea (Apoc. III, 14-22), …" ).この名称(めいしょう)は人々(ひとびと)( "the peoples (laon) " )の審判(しんぱん)( "judgment (dike) " )に由来(ゆらい)するものです( "… named from judgment (dike) of the peoples (laon). " ).これは教会にとって最後(さいご)でもっとも恐(おそ)ろしい試練の時代(しれんの じだい)となるでしょう( "It will be the Age of the last and most terrible trial of the Church, …" ).反キリスト教徒の迫害(はんきりすと きょうとの はくがい)( "… the persecution of the Antichrist, …" )に続(つづ)いて,生を受けた(せいを うけた)あらゆる霊魂(れいこん),すなわちすべての人々に対する最後の審判(さいごの しんぱん)( "General Judgment" )がくだされる時(とき)となるでしょう( "… followed by the General Judgment of all souls that will ever have lived, and so of all peoples. " ).
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
ヨハネの黙示録
第1章
1 イエズス・キリストの啓示(けいじ).これはすみやかに起こるであろうことをそのしもべたちに示すために神が*キリストにまかせ,キリストはまたその天使を送ってしもベヨハネに告げられたものである.
2 ヨハネは自分の見たことをすべて神のみことばとして,*イエズス・キリストの証(あかし)として証言する.
3 この預言のことばを読み,それを聞いてここに記されたことを守る人は幸せである.*時は近づいているからである.
4 ヨハネより,*アジアにある七(なな)つの教会に.*今在(あ)り,かつて在り, 後に来られる者から,またその玉座(ぎょくざ)の前にいる七つの霊から,
5 また,忠実な証人(ちゅうじつな しょうにん),*死者の中から最初に生まれた者,地上の王の君(きみ)であるイエズス・キリストから,あなたたちに恩寵(おんちょう)と平和があるように.私たちを愛し,その御血(おんち)によって私たちを罪(つみ)から洗い清(あらいきよ)め,
6 その父なる神のために私たちを*司祭の王国の民(たみ)とされたお方に代々に光栄(こうえい)と権能(けんのう)あれ.アメン.
7 イエズスは雲に乗って下られる.すべての目はそれを見るであろう.彼を刺し貫(さしぬ)いた人々も見るであろう.*地上のすべての民は,そのために嘆(なげ)くであろう.そのとおりである.アメン.
8 今在(あ)り,かつて在り,後に来られる主なる全能の神は,「私は*アルファでありオメガである」と仰(おお)せられる.
9 あなたたちの兄弟として,イエズスとの一致(いっち)のうちに患難(かんなん)とみ国と忍耐(にんたい)をともにしている私ヨハネは,神のみことばとイエズスの証明のために*パトモスという島にいたが,
10 *主日(しゅじつ)に脱魂状態(だっこん じょうたい)になり,その後でらっぱのような犬声を聞いた.
11 その声は「おまえの幻(まぼろし)を書き記(かきしる)し,エフェゾ,スミルナ,ペルガモ,ティアティラ,サルデス,フィラデルフィア,ラオディキアにある七つの教会に送れ」と言った.
12 そう話した声の方を見ようとして後を振り返ると,七つの金の燭台(しょくだい)があった.
13 燭台の間に*人の子のような者が見えた.彼は長い服を着て,金の帯を胸にしめ,
14 頭と髪の毛は純白(じゅんぱく)の羊毛(ようもう)のように雪(ゆき)のように白(しろ)く,目は燃(も)える炎(ほのお)のようであった.
15 足は炉(ろ)で精練(せいれん)された尊(とうと)い青銅(せいどう)のようであり,声は大水の音のようであった.
16 右の手に七つの星をもち,口から*両刃(もろは)の鋭い剣(するどい けん)が出,顔は照(て)りわたる太陽のようであった.
17 *それを見たとき,私は死んだようにその足もとに倒(たお)れた.すると彼は右の手を私の上に置いて言われた,「恐れるな.*私は初(はじ)めであり終(お)わりであり,
18 生(い)きている者である.私はかつて死んだが,代々(よよ)限(かぎ)りなく生きる.私は死と黄泉(よみ)のかぎを持っている.
19 だから,おまえの見たこと,今あること,後に起こることを書き記(しる)せ.
20 私の右の手に見た七つの金の燭台(しょくだい)の奥義(おくぎ)は次のとおりである.七つの星は七つの*教会の天使であり,七つの燭台は七つの教会である.
(注釈)
前書き(1・1-8)
1 イエズスは天のことを啓示(けいじ)される者である(ヨハネ聖福音書 1:18,5:20,7:16 )
2 イエズス・キリストが証明された神のみことばのこと.
3 キリストの来臨(らいりん).
4 現在の小アジアの南西部.
* 脱出の書(出エジプト記)3:14 参照.
5 最初に復活(ふっかつ)した者.
6 すべての信徒は司祭と一致(いっち)し,神に賛美(さんび)の犠(いけにえ)を捧(ささ)げるからである.
7 黙示録では,「地上の民」とは神の愛を受け入れない人々である.
8 万物の初めと終わり.
幻(まぼろし)の始まり(1・9-20)
9 使徒としてここに監禁(かんきん)されていた.バトモスはエフェゾに近い島である.ローマ人はここを島流(しまなが)しの地としていた.
10 日曜日のこと.教会史上「主日(しゅじつ)」と記されたのは,これが初めてである.
13 ダニエル 7・13,10・6.キリストのこと.
15 不明なことばである.黄金(おうごん)と青銅(せいどう)の合金(ごうきん)であろうか.
16 神のみことばの鋭(するど)さを表(あらわ)す.
17 ダニエルの書 8・18,エゼキエルの書 2・1,イザヤの書 44・6 参照.
* イザヤ 44・6 は,ヤベについてこう言っている.キリストは神と等(ひと)しく,すべての権限をもっている.
20 各教会は一位(いちい)ずつの天使に守護(しゅご)されている.また天使は,ラテン教会の説によると,各教会のかしらのかたどりである.
* * *
引き続き,ヨハネの黙示録・第2章,第3章を追加掲載いたします.
* * *
登録:
コメント (Atom)