2015年1月31日土曜日

394 エブドキュア 1/31

エレイソン・コメンツ 第394回 (2015年1月31日)


解説付


血生臭い襲撃は益々有り触れた事になる(為る・成る)でしょう,
(ち なま ぐさい しゅうげきは ますます ありふれた ことに なる でしょう.)
( "More and more common will be the bloody attacks, " )

世界が救世主(キリスト)を見失っている事に気付く迄は.
(せかいが きゅうせいしゅ〈きりすと〉を みうしなって いる ことに きづく まで は.)
( "Until the world sees, Christ is who it lacks. " )

先週のエレイソン・コメンツは,大々的に報道された1月7日のパリ市内シャルリー・エブド 社襲撃事件について(就いて)(せんしゅうの えれいそん・こめんつは,だいだい てきに ほうどう された いちがつ なのかの ぱり しない しゃるりー・えぶど しゃ しゅうげき じけんに ついて),いたって(至って)政治的に不正確な方法で,それ(其れ)がフランス(仏蘭西)に残るキリスト教文明( "Christian civilisation" )の諸諸の遺物( "the remains" )に対する攻撃だと伝えました(いたって せいじ てきに ふせいかく な ほうほう で,それが ふらんすに のこる きりすと きょう ぶんめいの もろもろの いぶつに たいする こうげき だと つたえ ました)( "Last week these “Comments,” in a most politically incorrect manner, presented the heavily publicized January 7 attack in Paris on Charlie Hebdo as an attack upon the remains of Christian civilisation in France." ).では,今週は再び風刺画家,襲撃者,政治家,共謀者の順で,キリスト教文明が問題をどう(如何)解決するかについて(就いて)触れてみます(見ます)(では,こんしゅうは ふたたび ふうし がか,しゅうげき しゃ,せいじ か,きょうぼう しゃの じゅんで,きりすと きょう ぶんめいが もんだいを どう かいけつ するか について ふれて みます)( "Then let them this week put forward how Christian civilisation would solve the problem, in the same order, for cartoonists, gunmen, politicians, peoples and conspirators." ).

諷刺画家達について(就いて)いえば(言えば・云えば・謂えば)(ふうしがかたちについていえば)( "As for the cartoonists, " ),もし(若し)フランス(仏蘭西)がまだ(未だ)カトリック教(=公教)国( "Catholic" )だとすれば(もし ふらんすが まだ かとりっく きょう〈=こうきょう〉こく だと すれば)( "if France were still Catholic, …" ),教会と国家はフランス革命以前の様に結束しており(きょうかいと こっかは ふらんす かくめい いぜんの ように けっそく しており)( "Church and State would still be united, as they were until the French Revolution, …" ),国家当局者達はシャルリー・エブド 社が全能の神を腹立たさせて(こっか とうきょく しゃ たちは しゃるりー・えぶど しゃが ぜんのうの かみを はら だたさせて),同社の風刺画家達の処刑を御許しになるほど(程)冒涜的な反キリスト教的風刺画を断固として禁じたはず(筈)です(どうしゃの ふうし がか たちの しょけいを おゆるしに なる ほど ぼうとく てきな はん きりすと きょう てき ふうし が を だんこ として きんじた はず です)( "… and State authorities would absolutely have forbidden such blasphemous anti-Christian cartoons as those by which Charlie Hebdo may well have provoked Almighty God to allow for the silencing of its cartoonists." ).それは(其れは)検閲という手段でしょうか?(それは けんえつ という しゅだん でしょうか? )( "But that would be censorship? " ) 今日,私達が検閲を一切受けていないと考える愚か者は一人もいません(こんにち,わたくし たちが けんえつを いっさい うけて いないと かんがえる おろかものは ひとりも いません)( "Only a fool can think we suffer under no censorship today." ).検閲は親キリスト教的でなく,まったく(全く)反キリスト教的です(けんえつは しん きりすと きょう てき でなく,まったく はん きりすと きょう てき です)( "The censorship is simply anti-Christian instead of Christian." ).今日,誰が自由にホロコーストとその「ガス室」を冒涜できる(出来る)でしょうか?(こんにち,だれが じゆうに ほろこーすとと その「がすしつ」を ぼうとく できる でしょうか?)( "Who today is free to blaspheme against Holocaustianity and its “gas-chambers” ? " ) (訳注3・1・「ホロコースト」=大虐殺・第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人大量殺戮.元の意義は古代ユダヤ教で生け贄の動物を祭壇で焼き,神に捧げた儀式〈犠牲の生け贄の燔祭〉)(やくちゅう・「ほろこーすと」=だい ぎゃくさつ・だいにじ せかい たいせん ちゅうの なちす による ゆだや じん たいりょう さつりく.もとの いぎは こだい ゆだや きょうで いけにえの どうぶつを さいだんで やき,かみに ささげた ぎしき〈ぎせいの いけにえの はんさい〉)

イスラム教徒の襲撃者達について(就いて)いえば(言えば・云えば・謂えば)(いすらむ きょうとの しゅうげき しゃ たちに ついて いえば)( "As for the muslim gunmen, …" ),フランス(仏蘭西)がカトリック教国家だったなら,彼等は決してフランスに来なかったでしょう(ふらんすが かとりっく きょう こっか だった なら,かれらは けっして ふらんすに こなかった でしょう)( "… to a Catholic France they might never have come." ).カトリック教国だったら,フランスの国家当局者達は自国内のイスラム教徒達を蔑んだり憎んだりしなかったでしょうし(かとりっく きょう こく だったら,ふらんすの こっか とうきょくしゃ たちは じこく ないの いすらむ きょうと たちを さげすんだり にくんだり しなかった でしょうし)( "Never would Catholic State authorities have despised or hated muslims in their own countries, …" ),同時にイスラム教とキリスト教の歴史的な対立を見失って,第二次世界大戦以来これほど(此れ程)多くのイスラム教移民を受け入れ,フランス国内に定住するのを奨励まで(迄)する様な事をしなかったでしょう(どうじに いすらむ きょうと きりすと きょうの れきし てきな たいりつを みうしなって,だいにじ せかい たいせん いらい これほど おおくの いすらむ きょう いみんを うけいれ,ふらんす こくないに ていじゅう するのを しょううれい まで する ような ことを しなかった でしょう)( "… but at the same time never would they so have lost sight of the historic clash between Islam and Christianity as to allow to settle in France such a mass of muslim immigrants as have been allowed, even encouraged, to settle in France since World War II." ).それに,彼等は自らの民族を冷笑し,自らの伝統を軽蔑したり,今日の様に自分達がそのよう(其の様)に行動する事を教えられるままに(侭に・儘に)成るままにして置かなかったでしょう(それに,かれらは みずからの みんぞくを れいしょうし,みずからの でんとうを けいべつ したり,こんにちの ように じぶんたちが そのように こうどう する ことを おしえられる ままに なる ままに して おかなかった でしょう)( "Nor would they ever have learned to scorn their own race and despise their own traditions as they have allowed themselves to be taught to do today." ).十戒の第4戒律に従えば,カトリック教徒(=公教徒)は自分の国を他の如何なる国よりも愛し,しかも(然も)他国の不運を願う事等しないでしょう(じっかいの だい よん かいりつに したがえば,かとりっく きょう と〈=こう きょう と〉は じぶんの くにを たの いかなる くに よりも あいし,しかも たこくの ふうんを ねがう こと など しない でしょう)( "By the Fourth Commandment a Catholic loves his own country above all, without wishing ill to any others." ).

最も大切な事は(もっとも たいせつな ことは)( "Most important of all, …" ),もし(若し)フランス(仏蘭西)がカトリック教国のままとどまっていた(留まって居た)なら(もし ふらんすが かとりっく きょう こくの まま とどまって いた なら)( "… if France had stayed Catholic, …" ),其の政治家達も国民も,隠れた操り人形の使い手である世界主義者達( "the Globalists" )の操り人形になど(等・抔)なって(成って・為って)いなかった(居なかった)でしょう(その せいじか たちも こくみんも,かくれた あやつり にんぎょうの つかいて である せかいしゅぎ しゃ たちの あやつり にんぎょう になど なって いなかった でしょう)( "… neither the politicians nor the people would have become the puppets that they are today of hidden puppet-masters, the Globalists." ).17世紀まで(迄)フランスは全体としてカトリック教国(公教国)でした(じゅうなな せいき まで ふらんすは ぜんたい として かとりっく きょう こく〈こう きょう こく〉でした)( "In the 17 th century France was Catholic as a whole, …" ).だが,18世紀になると,カトリック信仰(公信仰)の欠如から(だが,じゅうはっ せいき になると,かとりっく しんこう〈こう しんこう〉の けつじょ から)( "… but in the 18 th century, for lack of Catholic faith, …" ),其の支配階級は異教徒達の為の世界主義,即ちフリーメーソン組織に完全に染まる事を自らに許す様になり(成り・為り)ました(その しはい かいきゅうは いきょうと たちの ための せかいしゅぎ,すなわち ふりーめーそん そしきに かんぜんに そまる ことを みずからに ゆるす ように なりました)( "… its ruling class allowed itself to become thoroughly infected with another form of Globalism, Freemasonry." ).背教者となったイングランドで1717年に始まったフリーメーソン組織はたちまち(忽ち)フランスや北米に広がり(はいきょう しゃと なった いんぐらんどで せんななきゃくじゅうなな ねんに はじまった ふりーめーそん そしきは たちまち ふらんすや ほくべいに ひろがり)( "Launched in its modern form in apostate England in 1717, Freemasonry swiftly spread to France and North America …" ),1776年のアメリカ(亜米利加)革命,1789年のフランス(仏蘭西)革命の糸を引きました(せん ななひゃく ななじゅう ろく ねんの あめりか かくめい,せん ななひゃく はちじゅう く ねんの ふらんす かくめいの いとを ひきました)( "… where it master-minded the American and French Revolutions in 1776 and 1789 respectively." ).この二つの革命は世界主義者達(=グローバリスト達)の新世界秩序( "New World Order" )へ向けての大きな前進でした(この ふたつの かくめいは せかいしゅぎ しゃ たちの しん せかい ちつじょ へ むけての おおきな ぜんしん でした)( "Both of them were major steps towards the Globalists’ New World Order." ).

さて,カトリック教会がまだ正気でいた間は(さて,かとりっく きょうかいが まだ しょうきで いた あいだは)( "Now, for as long as the Catholic Church was still in its right mind, …" ),フリーメーソンをカトリック教を完全に弱体化させ葬り去る意図を持った秘密組織だとして非難し禁じていました(ふりーめーそんを かとりっく きょうを かんぜんに じゃくたいか させ ほうむり さる いとを もった ひみつ そしき だと して ひなん し きんじて いました)( "… it denounced and condemned Freemasonry as being a secret society designed to undermine and overthrow the Catholic religion altogether …" ).――例えば,1884年に(教皇)レオ13世が出された回勅,Humanum Genus をご覧下さい(たとえば,せん はっぴゃく はちじゅう よ ねん に (きょうこう)れお じゅうさん せい が だされた かいちょく,〈 "Humanum Genus" 〉〈うまーぬむ・じぇーぬす〉 を ごらん ください)( "… – see for instance Leo XIII’s Encyclical Letter, Humanum Genus of 1884." ).だが,フランス革命以降,国家はカトリック教会から分離され,世俗的か(且)つ民主的な基盤に置かれる様になり(成り・為り)ました(だが,ふらんす かくめい いこう,こっかは かとりっく きょうかい から ぶんり され,せぞく てき かつ みんしゅ てき な きばん に おかれる ように なりました)( "Thus from the French Revolution onwards, States have been ever more separated from the Catholic Church and have been put instead on secular and democratic foundations." ).中産(中流)階級支配者達は益々カトリック教を見捨てて,事実上の代替宗教である自由主義に走り(ちゅうさん〈ちゅうりゅう〉かいきゅうしゃ たちは ますます かとりっく きょうを みすてて,じじつ じょうの だいたい しゅうきょう である じゆうしゅぎに はしり)( "More and more the new middle-class rulers have abandoned the Catholic religion in favour of liberalism, which is in effect a substitute religion, …" ),神とその真実(真理)の代わりに人間とその(其の)自由を崇拝する様になり(成り・為り)ました(かみと その しんじつ〈しんり〉の かわりに にんげんと その じゆうを すうはい するように なりました)( "… adoring man and his liberty instead of God and his Truth." ).其の為,「自由」の名の下に,ジャーナリスト達が司祭達に取って代わり(そのため,「じゆう」の な の もとに,じゃーなりすと たちが しさい たちに とって かわり)( "So in the name of “freedom” journalists took over from priests, …" ),彼等の自由メディアが人々の考えを乗っ取ってしまい(終い・仕舞い)ました(かれらの じゆう めでぃあ が ひとびとの かんがえを のっとって しまいました)( "… and their liberal media took over the people’s thinking." ).だが,その間中,ジャーナリスト達やメディアはフリーメーソンにより密かに管理され(だが,その あいだ じゅう,じゃーなりすと たちや めでぃあは ふりーめーそん により ひそかに かんり され)( "But all the while journalists and media have been secretly directed by Freemasonry, …" ),世界主義者達の新世界秩序の為に働かされて来ました(せかい しゅぎ しゃ たちの しん せかい ちつじょ の ために はたらかされて きました)( "… working for the Globalists’ New World Order." ).これ(此れ)が「民主主義」とか「自由」の名の下に,強い動機を持つ世界主義者達が諸国民や政治家達を,自分達のメディアが作り上げた世論の操り人形になる(成る・為る)様おとしいれた(陥れた)実態です(これが「みんしゅ しゅぎ」とか「じゆう」の な の もとに,つよい どうきを もつ せかい しゅぎ しゃ たち が しょ こくみんや せいじか たちを,じぶん たちの めでぃあが つくりあげた せろん 〈よろん〉の あやつり にんぎょうに なる よう おとしいれた じったい です)( "Here is how, under cover of “democracy” and “freedom,” the highly motivated Globalists have been able to reduce peoples and politicians to puppets of public opinion, moulded by their media." ).神の真実に背を向けるのは,自らを悪魔がささやく(囁く)嘘の虜にさせるのと同じです(かみの しんじつに せを むける のは,みずからを あくまが ささやく うその とりこに させる のと おなじ です)( "To turn one’s back on God’s Truth is to enslave oneself to Satan’s lies. " ).

シャルリー・エブド 社襲撃は神の無い自由( "godless liberty" ),というより寧ろ其の免許と殺人的なイスラム対ヨーロッパ(欧州)の敵対意識を助長する為に仕組まれた一大デモンストレーションでしたしゃるりー・えぶど しゃ しゅうげきは かみの ない じゆう というより むしろ その めんきょと さつじん てきな いすらむ たい よーろっぱ〈おうしゅう〉の てきたい いしきを じょちょう する ために しくまれた いちだい でもんすとれーしょん でした)( "The Charlie Hebdo attack was designed for a huge demonstration to favour godless liberty, or rather licence, and a murderous muslim-European tension. " ).このような(此の様な)出来事は更に頻繁に続き,やがて(軈て)大量殺りく(殺戮)に至るでしょう.そうなった時,世界主義者達は自分達がうまく(上手く)ゆく(行く)だろうともくろみ(目論見),全能の神は神を拒むのは大きな問題で,根本的な問題である(有る)事を私達が理解するだろうと期待されます(このような できごとは さらに ひんぱんに つづき,やがて たいりょう さつりくに いたる でしょう.そうなった とき,せかい しゅぎ しゃ たちは じぶん たちが うまく ゆく だろうと もくろみ,ぜんのうの かみは かみを こばむ のは おおきな もんだいで,こんぽん てきな もんだいで ある ことを わたくし たちが りかい する だろうと きたい されます)( "More such events will follow, to arrive at bloodbaths from which the Globalists count on emerging supreme, from which Almighty God hopes that men will see that rejecting him is a huge problem, the basic problem." ).もし(若し),国家がそのこと(其の事)を理解しないとすれば(もし,こっかが そのことを りかい しない とすれば)( "If the States will not see this, …" ),ただ(唯・只)家庭が一日5玄義,個人が一日15玄義(あまり無理せずに出来るなら)ロザリオの祈りを捧げ(ただ かていが いちにち ご げんぎ,こじんが いちにち じゅうご げんぎ〈あまり むり せずに できる なら〉ろざりおの いのりを ささげ)( "… it remains only for families to pray the five Mysteries a day, and individuals the fifteen a day (if reasonably possible), …" ),私達の聖母に御子イエズス・キリストに取り成して(執り成して)下さる様お願いするしか無いでしょう(わたくし たちの せいぼに おんこ いえずす・きりすとに とりなして くださる よう おねがい する しか ない でしょう)( "… to beg Our Lady to intercede with her Son." ).

キリエ・エレイソン.(主よ憐れみ給え)
Kyrie eleison. (しゅよ あわれみ たまえ)

リチャード・ウィリアムソン司教



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第394回エレイソン・コメンツ「エブドキュア」 "Hebdocure" ( 2015年1月31日付)の解説付版は2015年8月31日-9月2日に掲載されました.
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血なまぐさい襲撃は益々ありふれたことになるでしょう,
世界がキリストを見失っていることに気づくまでは.
More and more common will be the bloody attacks,
Until the world sees, Christ is who it lacks.

先週のエレイソン・コメンツは,大々的に報道された1月7日のパリ市内シャルリー・エブド 社襲撃事件について,いたって政治的に不正確な方法で,それがフランスに残るキリスト教文明の遺物に対する攻撃だと伝えました.では,今週は再び風刺画家,襲撃者,政治家,共謀者の順で,キリスト文明が問題をどう解決するかについて触れてみます.
Last week these “Comments,” in a most politically incorrect manner, presented the heavily publicized January 7 attack in Paris on Charlie Hebdo as an attack upon the remains of Christian civilisation in France. Then let them this week put forward how Christian civilisation would solve the problem, in the same order, for cartoonists, gunmen, politicians, peoples and conspirators. 

諷刺画家たちについていえば,もしフランスがまだカトリック国だとすれば,教会と国家はフランス革命以前のように結束しており,国家当局者はシャルリー・エブド 社が全能の神を腹立たせて,同社の風刺画家たちの処刑を許すほど冒涜的な反キリスト教的風刺画を断固として禁じたはずです.それは検閲という手段でしょうか? 今日,私たちが検閲を一切受けていないと考える愚か者はひとりもいません.検閲は親キリスト教的でなく,まったく反キリスト教的です.今日,誰が自由にホロコーストとその「ガス室」を冒涜できるでしょうか?
As for the cartoonists, if France were still Catholic, Church and State would still be united, as they were until the French Revolution, and State authorities would absolutely have forbidden such blasphemous anti-Christian cartoons as those by which Charlie Hebdo may well have provoked Almighty God to allow for the silencing of its cartoonists. But that would be censorship? Only a fool can think we suffer under no censorship today. The censorship is simply anti-Christian instead of Christian. Who today is free to blaspheme against Holocaustianity and its “gas-chambers”? 

イスラム教徒の襲撃者たちについていえば,フランスがカトリック教国家だったら,彼らは決してフランスに来なかったでしょう.カトリック教国だったら,フランスの国家当局者たちは自国内のイスラム教徒たちを蔑んだり憎んだりしなかったでしょうし,同時にイスラム教とキリスト教の歴史的な対立を見失って,第二次世界大戦いらいこれほど多くのイスラム教移民を受け入れ,フランス国内に定住するのを奨励までするようなことをしなかったでしょう.それに,彼らは自らの民族を冷笑し,自らの伝統を軽蔑したり,今日のように自分たちがそのように行動することを教えられるままにしておかなかったでしょう.十戒の第4戒律に従えば,カトリック教徒は自分の国を他のいかなる国よりも愛し,しかも他国の不運を願うことなどしないでしょう.
As for the muslim gunmen, to a Catholic France they might never have come. Never would Catholic State authorities have despised or hated muslims in their own countries, but at the same time never would they so have lost sight of the historic clash between Islam and Christianity as to allow to settle in France such a mass of muslim immigrants as have been allowed, even encouraged, to settle in France since World War II. Nor would they ever have learned to scorn their own race and despise their own traditions as they have allowed themselves to be taught to do today. By the Fourth Commandment a Catholic loves his own country above all, without wishing ill to any others. 

最も大切なことは,もしフランスがカトリック教国のままとどまっていたなら,その政治家たちも国民も,隠れた操り人形の使い手である世界主義者たち( "the Globalists" )の操り人形になどなっていなかったでしょう.17世紀までフランスは全体としてカトリック教国でした.だが,18世紀になると,カトリック信仰の欠如から,その支配階級は異教徒たちのための世界主義,すなわちフリーメーソン組織に完全に染まることを自らに許すようになりました.背教者となったイングランドで1717年に始まったフリーメーソン組織はたちまちフランスや北米に広がり,1776年のアメリカ革命,1789年のフランス革命の糸を引きました.この二つの革命は世界主義者たちの新世界秩序( "New World Order" )へ向けての大きな前進でした.
Most important of all, if France had stayed Catholic, neither the politicians nor the people would have become the puppets that they are today of hidden puppet-masters, the Globalists. In the 17 th century France was Catholic as a whole, but in th e 18 th century, for lack of Catholic faith, its ruling class allowed itself to become thoroughly infected with another form of Globalism, Freemasonry. Launched in its modern form in apostate England in 1717, Freemasonry swiftly spread to France and North America where it master-minded the American and French Revolutions in 1776 and 1789 respectively. Both of them were major steps towards the Globalists’ New World Order. 

さて,カトリック教会がまだ正気でいた間は,フリーメーソンをカトリック教を完全に弱体化させ葬り去る意図を持った秘密組織だとして非難し禁じていました.たとえば,1884年にレオ13世が出した回勅,Humanum Genus をご覧ください.だが,フランス革命以降,国家はカトリック教会から分離され,世俗的かつ民主的な基盤に置かれるようになりました.中間階級支配者たちは益々カトリック教を見捨てて,事実上の代替宗教である自由主義に走り,神とその真実の代わりに人間とその自由を崇拝するようになりました.そのため,「自由」の名の下に,ジャーナリストたちが神父たちに取って代わり,彼らの自由メディアが人々の考えを乗っ取ってしまいました.だが,その間中,ジャーナリストたちやメディアはフリーメーソンにより密かに管理され,世界主義者の新世界秩序のために働かされてきました.これが「民主主義」とか「自由」の名の下に,強い動機を持つ世界主義者たちが諸国民や政治家たちを,自分たちのメディアが作り上げた世論の操り人形になるようおとしいれた実態です.神の真実に背を向けるのは,自らを悪魔がささやく嘘の虜にさせるのと同じです.
Now, for as long as the Catholic Church was still in its right mind, it denounced and condemned Freemasonry as being a secret society designed to undermine and overthrow the Catholic religion altogether – see for instance Leo XIII’s Encyclical Letter, Humanum Genus of 1884. Thus from the French Revolution onwards, States have been ever more separated from the Catholic Church and have been put instead on secular and democratic foundations. More and more the new middle-class rulers have abandoned the Catholic religion in favour of liberalism , which is in effect a substitute religion, adoring man and his liberty instead of God and his Truth. So in the name of “freedom” journalists took over from priests, and their liberal media took over the people’s thinking. But all the while journalists and media have been secretly directed by Freemasonry, working for the Globalists’ New World Order. Here is how, under cover of “democracy” and “freedom,” the highly motivated Globalists have been able to reduce peoples and politicians to puppets of public opinion, moulded by their media. To turn one’s back on God’s Truth is to enslave oneself to Satan’s lies. 

シャルリー・エブド 社襲撃は神のない自由(godless liberty),というよりむしろその免許と殺人的なイスラム対ヨーロッパの敵対意識を助長するために仕組まれた一大デモンストレーションでした.このような出来事はさらに頻繁に続き,やがて大量殺りくに至るでしょう.そうなった時,世界主義者たちは自分たちがうまくゆくだろうともくろみ,全能の神は神を拒むのは大きな問題で,根本的な問題であることを私たちが理解するだろうと期待します.もし,国家がそのことを理解しないとすれば,ただ家庭が一日5玄義,個人が一日15玄義(あまり無理せずにできるなら)ロザリオの祈りを捧げ,私たちの聖母に御子イエズス・キリストに取り成して(執り成して)くださるようお願いするしかないでしょう.
The Charlie Hebdo attack was designed for a huge demonstration to favour godless liberty, or rather licence, and a murderous muslim-European tension. More such events will follow, to arrive at bloodbaths from which the Globalists count on emerging supreme, from which Almighty God hopes that men will see that rejecting him is a huge problem, the basic problem. If the States will not see this, it remains only for families to pray the five Mysteries a day, and individuals the fifteen a day (if reasonably possible), to beg Our Lady to intercede with her Son. 

キリエ・エレイソン.
Kyrie eleison.

リチャード・ウィリアムソン司教

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本投稿記事・第394回エレイソン・コメンツ「エブドキュア」 "HEBDOCURE" ( 2015年1月31日付)は2015年8月30日21時06分に掲載されました.
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