2015年1月10日土曜日

391 大司教のコメント II 1/10

エレイソン・コメンツ 第391回 (2015年1月10日)

大司教が願ったのはローマが彼自身を認める事では無く,
(だいしきょうが ねがった のは ろーまが かれ じしんを みとめる こと では なく,)
( "The Archbishop wished Rome not himself to approve," )

ローマが教会の為に動く事でした.
(ろーまが きょうかいの ために うごく こと でした.)
( "Rather that Rome for the Church's good would move." )

ルフェーブル大司教が1991年に述べられたお言葉について(就いて・附いて・付いて)の考察(最後の2コメンツ〈= EC389, 390 〉参照)を終える前に(るふぇーぶる だいしきょうが せん きゅうひゃく きゅうじゅういち ねんに のべられた おことばに ついての こうさつ〈さいごの に こめんつ〈=えれいそん・こめんつ だい さんびゃく はちじゅう く かい,だい さんびゃく きゅうじゅっ かい〉さんしょう〉を おえる まえ に)( "Before leaving Archbishop Lefebvre's realistic remarks of 1991 (cf. the last two EC's), …" ),更に論評(=批評) "comment" を続けて見ましょう(さらにろんぴょう〈=ひひょう〉をつづけてみましょう)( "… let us comment further, …" ).カトリック教徒(=公教徒)達が真実・真理 "truth" の名の下に権威 "authority" を冷笑する事と,権威を維持する為に真実・真理を軽視する事との間のバランスを如何保つかに役立てばと願うからです(かとりっく きょうと〈=こう きょうと〉たちが しんじつ・しんりの なの もとに けんいを れいしょう する こと と,けんい を いじ する ために しんじつ・しんりを けいし する こと との あいだの ばらんすを どう たもつか に やくだてば と ねがう から です)( "…in the hope of helping Catholics to keep their balance between scorning authority in the name of truth and belittling truth for the sake of authority." ).と言う(云う・謂う)のも,第二バチカン公会議(1962-1965年)の聖職者たちが教会革命(宗教的自由 "religious liberty",同僚間の平等 "collegial equality",普遍的キリスト教諸宗派所属の信徒相互間における兄弟愛〈=同胞愛〉ecumenical fraternity(訳注・1-1)の為に権威を二の次にする(為る)様になって以来(と いう のも,だいに ばちかん こう かいぎ〈せん きゅうひゃく ろくじゅうに-せん きゅうひゃく ろくじゅうご ねん〉の せいしょく しゃ たちが きょうかい かくめい〈しゅうきょう てき じゆう・どうりょう かんの びょうどう,ふへん てき きりすと きょう しょしゅうは しょぞくの しんと そうご かんに おける きょうだいあい〈=どうほう あい〉〉の ために けんいを に の つぎ に する ように なって いらい)( "For ever since the churchmen of Vatican II (1962-1965) put their full authority behind the Church Revolution (religious liberty, collegial equality and ecumenical fraternity), …" ),カトリック教徒(=公教徒)達はバランス(=均衡)が取れなくなっている(=為って居る・成って居る)からです(かとりっく きょうと 〈=こうきょうと〉たちは ばらんす〈=きんこう〉が とれなく なって いる から です)( "Catholics have been thrown off balance: …" ).彼等は真の権威が真の真実・真理を踏み躙る時,真の権威と真の真実・真理の両方に如何敬意を払えば良いのか訝っています(かれらは まことの けんいが まことのしんじつ・しんりを ふみにじる とき,まことの けんいと まことの しんじつ・しんりの りょうほうに どう けいいを はらえば よいのか いぶかって います)( "… when Authority tramples upon Truth, how indeed is one to maintain one's respect for both ? " ).(訳注1・1 )

第二バチカン公会議後の苦悩の中で(だいに ばちかん こうかいぎ ご の くのうの なかで)( "Now in the tormented aftermath of Vatican II, …" ),ルフェーブル大司教が主に(彼だけとは言いませんが)(るふぇーぶる だいしきょうが おもに〈かれ だけ とは いい ません が〉)責任を持って来られたカトリック教教理,ミサ聖祭,諸秘蹟の維持に(せきにんを もって こられた かとりっく きょうり,みさ せいさい,しょ ひせきの いじに)匹敵するほどの成果をもたら(齎)した人が果たして居るでしょうか?(ひってき する ほどの せいかを もたらした ひとが はたして いる でしょうか?)( "… who can be said to have borne fruits comparable to that preservation of Catholic doctrine, Mass and sacraments for which the Archbishop was mainly (albeit not solely) responsible ? " )そうだとすれば(=左様だと為れば・然様だと為れば),大司教がもたらした(齎した)真の真実・真理と真の権威 ( "Truth and Authority" ) のバランスは特筆に値する物に違いあり(在り・有り)ません(そう だと すれば〈さよう だと すれば・さよう だと すれば〉,だいしきょうが もたらした まことの しんじつと まことの けんいの ばらんすは とくひつに あたい する ものに ちがい あり ません)( "In which case, the balance that he himself struck between Truth and Authority must be especially deserving of consideration." ).

最初に,権威 "authority" についてのルフェーブル大司教の見方について考えてみましょう(さいしょに けんいに ついての るふぇーぶる だいしきょうの みかたに ついて かんがえて みましょう)( "Firstly, let us consider a simple observation of the Archbishop on authority : …" ).彼は「最早過去のルールが無いのですから,私達が今見るのは権威の専制です」と述べられました(かれは「もはや かこの るーるが ない のです から,わたくし たちが いま みる のは けんいの せんせい です」とのべられました)“Now we have the tyranny of authority because there are no more rules from the past.” ).原罪を抱える世界中の諸諸の人間にとって,真実はそれを支える権威が必要です(げんざいを かかえる せかいじゅうの もろもろの にんげんに とって,しんじつは それを ささえる けんいが ひつよう です)( "Amongst human beings all with original sin, truth needs authority to back it, …" ).何故なら,真実は一度(ひとたび)市場に出されれば,現実を教えるのに必要な惨事が無くても,独りでに人気を得る物だから,と言う考えはジェファーソン流の勘違いだからです(なぜなら,しんじつは ひとたび しじょうに だされれば,げんじつを おしえる のに ひつような さんじが なくても,ひとりでに にんきを える もの だから,という かんがえは じぇふぁーそん りゅうの かんちがい だから です)( "… because it is a Jeffersonian illusion that truth thrown into the market-place will prevail all on its own without a disaster being necessary to teach reality." ).目的の為に諸諸の手段が在るように,権威は真実の為に在ります(もくてきの ために もろもろの しゅだんが ある ように,けんいは しんじつの ために あり ます)( "Authority is to truth as means to end, …" ).手段の為に目的が在るのでは有りません(しゅだんの ために もくてきが ある のでは ありません)( "… not end to means." ).私達を救うのは(地上の全地に遍く及ぶ唯一の)公の信仰(=カトリック信仰)であり(わたくし たちを すくう のは〈ちじょうの ぜんちに あまねく およぶ ゆいいつの〉おおやけの しんこう〈=かとりっくの しんこう〉であり)( "It is Catholic faith which saves, …" ),其の真の信仰( "that Faith" )は権威で無く諸諸の真実の中に宿る物です(その まことの しんこうは けんい でなく もろもろの しんじつの なかに やどる もの です)( "… and that Faith lies in a series of truths, not in authority." ).それらの諸真実はカトリック教権威の実態や目的そのものですから(それらの しょ しんじつは かとりっく きょう けんいの じったいや もくてき そのもの です から)( "Those truths are so much the substance and purpose of Catholic Authority that …" ),第二バチカン公会議がした様に,両者をばらばらにすれば(だいに ばちかん こうかいぎが した ように,りょうしゃ を ばらばらに すれば)( "… when it is cut loose from them, as by Vatican II, …" ),真実は切り離されてしまい(しんじつは きり はなされて しまい)( "then it is cut adrift,専制君主が其れを手にすれば自分の意のままに捻じ曲げてしまいます(せんせい くんしゅが それを てに すれば じぶんの いの ままに ねじまげて しまいます)( "… until the first tyrant to lay hands on it bends it to his will." ).公会議の後,当然の様に(教皇)パウロ6世の専制が続きました(こうかいぎの あと,とうぜんの ように〈きょうこう〉ぱうろ ろくせいの せんせいが つづき ました)( "The tyranny of Paul VI followed naturally on the Council, …" ).此れと同じ様に,聖ピオ十世会(SSPX)指導部は最近数年間,公会議推進派の承認を求める為専制君主の様に振る舞って来ました(これと おなじ ように,せい ぴお じゅっせい かい〈えす えす ぴー えくす〉しどうぶは さいきん すうねん かん,こうかいぎ すいしんは の しょうにんを もとめる ため せんせい くんしゅの ように ふるまって きました)( "… just as by pursuing approval from the champions of the same Council, the leadership of the Society of St Pius X has likewise behaved itself tyranically in recent years." ).真実を守る事で自らの権威を伝統の上に築き上げたルフェーブル大司教の遣り方と彼等の行動を対比して見て下さい(しんじつを まもる ことで みずからの けんいを でんとうの うえに きずき あげた るふぇーぶる だいしきょうの やりかたと かれらの こうどうを たいひ して みて ください)( "Contrast how the Archbishop built up his authority over Tradition by serving the truth." ) .

更なるコメントに値するルフェーブル大司教の1991年の2つ目の発言は(さらなる こめんとに あたい する るふぇーぶる だいしきょうの せん きゅうひゃく きゅうじゅう いち ねんの ふたつめの はつげんは)( "A second remark of his from 1991 deserving of further comment is …" )「私は自分が為すべきより踏み込み過ぎたと思う」と言う物です.此れは大司教が自ら出した1988年5月5日の協定議定書に基づきローマ教皇庁との合意に達しようと試みた時に述べた言葉です「わたくしは じぶんが なす べき より ふみこみ すぎたと おもう」と いう もの です.これは だいしきょうが みずから だした せん きゅうひゃく はちじゅう はちねん ごがつ いつかの きょうてい ぎていしょに もとづき ろーま きょうこう ちょう との ごういに たっしようと こころみた ときに のべた ことば です.)( "… where he said that when in 1988 he tried to reach an agreement with Rome by means of his Protocol of May 5, “I think I can say that I went even further than I should have.” " ).事実,同議定書は幾つかの重要な問題点について批判を浴びました.従って,大司教は自分が一時的にバランスを失い,伝統派の真実に反してローマ教皇庁の権威に従おうと傾いた事を認めたのです(じじつ,どう ぎていしょは いくつかの じゅうような もんだい てんに ついて ひはんを あび ました.したがって,だいしきょうは じぶんが いちじ てきに ばらんすを うしない,でんとうはの しんじつに はんして ろーま きょうこう ちょうの けんいに したがおうと かたむいた ことを みとめた のです)( "Indeed that Protocol lays itself open to criticism on important points, so here is the Archbishop himself admitting that he momentarily lost his balance, tilting briefly in favour of Rome's authority and against Tradition's truth. " ).だが,大司教の考えが傾いたのはほんの僅かな間だけでした(だが,だいしきょうの かんがえが かたむいた のは ほんの わずかな あいだ だけ でした)( "But he tilted only briefly, …" ).広く知られて居る事ですが,彼は翌日に議定書を撤回しました(ひろく しられて いる こと ですが,かれは よくじつに ぎていしょを てっかい しました)( "… because as is well-known, on the very next morning he repudiated the Protocol, …" ).そして彼が再び迷う事は彼の死まで決して有りませんでした(そして かれが ふたたび まよう ことは かれの し まで けっして ありません でした).( "… and he never again wavered until his death, …" )其の時以来,大司教は(教会)権威者と合意に達する為全力を尽くさなかったとか,真の真実・真理と真の権威( "Truth and Authority" )との間のバランスを常に正しく取るのは簡単な事だ,等と誰も言えなくなりました(その とき いらい,だいしきょうは〈きょうかい〉けんいしゃと ごういに たっする ため ぜんりょくを つくさなかった とか,まことの しんじつ・しんりと まことの けんい との あいだの ばらんすを つねに ただしく とるのは かんたんな ことだ,などと だれも いえなく なりました)( "… so that from then on nobody could say either that he had not done all he could to reach agreement with Authority, or that it is an easy thing to get the balance always right between Truth and Authority." ).

大司教の三つ目の発言は,彼が1975年から1988年にかけてローマ教皇庁当局との間に何らかの合意を取り付けようとした時の動機を明らかにしておられます(だいしきょうの みっつめの はつげんは,かれが せん きゅうひゃく ななじゅう ごねん から せん きゅうひゃく はちじゅう はち ねんに かけて ろーま きょうこう ちょう とうきょく との あいだに なんらかの ごういを とりつけよう とした ときの どうきを あきらかに して おられ ます)( "A third remark throws light on his motivation in seeking from 1975 to 1988 some agreement with Roman Authority. " ).聖ピオ十世会上層部にいる大司教の後継者達は其れを自分達なりに解釈し,大司教が常に求めたのは教会規範の秩序立てで有るかの様に言います(せいぴお じゅっせい かい じょうそうぶに いる だいしきょうの こうけいしゃ たちは それを じぶん たち なりに かいしゃくし,だいしきょうが つねに もとめた のは きょうかい きはんの ちつじょ だて である かの ように いいます)( "Judging his motives by their own, his successors at the head of the SSPX talk as though he was always seeking its canonical regularisation." ).だが,大司教は議定書についての説明の中で「私は最後の瞬間までローマ教皇庁に僅かなりとも忠誠心が見られるのではないかと期待した」と述べておられます(だが,だいしきょうは ぎていしょに ついての せつめいの なかで「わたくしは さいごの しゅんかん まで ろーま きょうこうちょうに わずか なりとも ちゅうせい しんが みられる のでは ないかと きたいした」とのべて おられます)( "But he explained the Protocol as follows: “I hoped until the last minute that in Rome we would witness a little bit of loyalty.” " ).言い換えれば,大司教は常に真の信仰the Faithの善を求められたのであり,真の真理・真実( "the Truth" )以外の如何なる物の為にも決して権威を尊重する事は有りませんでした(いい かえれば,だいしきょうは つねに まことの しんこうの ぜんを もとめられた のであり,まことの しんり・しんじつ いがいの いかなる ものの ため にも けっして けんいを そんちょう する ことは ありません でした)( "In other words he was always pursuing the good of the Faith, and he never honoured Authority for anything other than for the sake of the Truth." ).同じ事が果たして彼の後継者達についても言えるでしょうか?(おなじ ことが はたして かれの こうけいしゃ たちに ついても いえる でしょうか?)( "Can as much be said for his successors ? " )

キリエ・エレイソン
(主よ憐れみ給え). 
(きりえ・えれいそん〈しゅよあわれみたまえ〉)
( "Kyrie eleison." )


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大司教が願ったのはローマが彼自身を認めることではなく,
ローマが教会のために動くことでした. 
The Archbishop wished Rome not himself to approve,
Rather that Rome for the Church's good would move.

 ルフェーブル大司教が1991年に述べられた言葉についての考察 (cf. the last two EC's)(最後の2コメンツ〈= EC389, 390 〉参照)を終える前に,さらにコメントを続けてみましょう.カトリック教徒たちが真実・真理の名の下に権威を冷笑することと,権威を維持するために真実・真理を軽視することとの間のバランスをどう保つかに役立てばと願うからです.というのも,第二バチカン公会議(1962-1965年)の聖職者たちが教会革命(宗教的自由 religious liberty,同僚間の平等 collegial equality,普遍的キリスト教諸宗派所属の信徒相互間における兄弟愛〈=同胞愛〉ecumenical fraternity)のために権威を二の次にするようになっていらい,カトリック教徒たちはバランスが取れなくなっているからです.彼らは権威が真実=真理を踏みにじるとき,権威と真実・真理の両方にどう敬意を払えばいいのかいぶかっています.
Before leaving Archbishop Lefebvre's realistic remarks of 1991 (cf. the last two EC's), let us comment further, in the hope of helping Catholics to keep their balance between scorning authority in the name of truth and belittling truth for the sake of authority. For ever since the churchmen of Vatican II (1962-1965) put their full authority behind the Church Revolution (religious liberty, collegial equality and ecumenical fraternity), Catholics have been thrown off balance: when Authority tramples upon Truth, how indeed is one to maintain one's respect for both ?

第二バチカン公会議後の苦悩の中で,ルフェーブル大司教が主に(彼だけとは言いませんが)責任を持ってこられたカトリック教教理,ミサ聖祭,諸秘蹟の維持に匹敵するほどの成果をもたらした人がはたしているでしょうか?そうだとすれば,大司教がもたらした真実と権力のバランスは特筆に値するものに違いありません.
Now in the tormented aftermath of Vatican II, who can be said to have borne fruits comparable to that preservation of Catholic doctrine, Mass and sacraments for which the Archbishop was mainly (albeit not solely) responsible ? In which case, the balance that he himself struck between Truth and Authority must be especially deserving of consideration.

最初に,権威についてのルフェーブル大司教の見方について考えてみましょう.彼は「もはや過去の諸諸のルールがないのですから,私たちが今見るのは権威の専制です」と述べられました.原罪を抱える人間にとって,真実はそれを支える権威が必要です.なぜなら,真実はひとたび市場に出されれば,現実を教えるのに必要な惨事がなくても,ひとりでに人気を得るものだから,という考えはジェファーソン流の勘違いだからです.目的のために手段があるように,権威は真実のためにあります.手段のために目的があるのではありません.私たちを救うのはカトリック信仰であり,その信仰は権威でなく諸々の真実の中に宿るものです.真実はカトリック教権威の実態や目的そのものですから,第二バチカン公会議がしたように,両者をばらばらにすれば,真実は切り離されてしまい,専制君主がそれを手にすれば自分の意のままに捻じ曲げてしまいます.公会議の後,当然のように教皇パウロ6世の専制が続きました.これと同じように,聖ピオ十世会(SSPX)指導部は最近数年間,公会議推進派の承認を求めるため専制君主のように振る舞ってきました.真実を守ることで自らの権威を伝統の上に築き上げたルフェーブル大司教のやり方と彼らの行動を対比してみてください.
Firstly, let us consider a simple observation of the Archbishop on authority : “Now we have the tyranny of authority because there are no more rules from the past.” Amongst human beings all with original sin, truth needs authority to back it, because it is a Jeffersonian illusion that truth thrown into the market-place will prevail all on its own without a disaster being necessary to teach reality. Authority is to truth as means to end, not end to means. It is Catholic faith which saves, and that Faith lies in a series of truths, not in authority. Those truths are so much the substance and purpose of Catholic Authority that when it is cut loose from them, as by Vatican II, then it is cut adrift until the first tyrant to lay hands on it bends it to his will. The tyranny of Paul VI followed naturally on the Council, just as by pursuing approval from the champions of the same Council, the leadership of the Society of St Pius X has likewise behaved itself tyranically in recent years. Contrast how the Archbishop built up his authority over Tradition by serving the truth. 

さらなるコメントに値するルフェーブル大司教の1991年の2つ目の発言は「私は自分が為すべきより踏み込み過ぎたと思う」というものです.これは大司教が自ら出した1988年5月5日の協定議定書に基づきローマ教皇庁との合意に達しようと試みたときに述べられた言葉です.事実,同議定書はいくつかの重要な問題点について批判を浴びました.したがって,大司教は自分が一時的にバランスを失い,伝統派の真実に反してローマ教皇庁の権威に従おうと傾いたことを認めたのです.だが,大司教の考えが傾いたのはほんのわずかな間だけでした.広く知られていることですが,彼は翌日に議定書を撤回しました.そして彼が再び迷うことは彼の死まで決してありませんでした.そのとき以来,大司教は権威者と合意に達するため全力を尽くさなかったとか,真の真実・真理と真の権威( "Truth and Authority" )との間のバランスを常に正しく取るのは簡単な事だ,などと誰も言えなくなりました.
A second remark of his from 1991 deserving of further comment is where he said that when in 1988 he tried to reach an agreement with Rome by means of his Protocol of May 5, “I think I can say that I went even further than I should have.” Indeed that Protocol lays itself open to criticism on important points, so here is the Archbishop himself admitting that he momentarily lost his balance, tilting briefly in favour of Rome's authority and against Tradition's truth. But he tilted only briefly, because as is well-known, on the very next morning he repudiated the Protocol, and he never again wavered until his death, so that from then on nobody could say either that he had not done all he could to reach agreement with Authority, or that it is an easy thing to get the balance always right between Truth and Authority.

大司教の三つ目の発言は,彼が1975年から1988年にかけてローマ教皇庁当局との間に何らかの合意を取りつけようとしたときの動機を明らかにしています.聖ピオ十世会上層部にいる大司教の後継者たちはそれを自分たちなりに解釈し,大司教が常に求めたのは教会規範の秩序立てであるかのように言います.だが,大司教は議定書についての説明の中で「私は最後の瞬間までローマ教皇庁にわずかなりとも忠誠心が見られるのではないかと期待した」と述べておられます.言い換えれば,大司教は常に信仰の善を求められたのであり,真実以外のいかなるもののためにも決して権威を尊重することはなさいませんでした.同じことがはたして彼の後継者たちについても言えるでしょうか?
A third remark throws light on his motivation in seeking from 1975 to 1988 some agreement with Roman Authority. Judging his motives by their own, his successors at the head of the SSPX talk as though he was always seeking its canonical regularisation. But he explained the Protocol as follows: “I hoped until the last minute that in Rome we would witness a little bit of loyalty.” In other words he was always pursuing the good of the Faith, and he never honoured Authority for anything other than for the sake of the Truth. Can as much be said for his successors ? 

キリエ・エレイソン.
Kyrie eleison.



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訳注を追って掲載いたします.

・真の自由・真の平等・真の兄弟愛とは

・真の権威・真の真理 Authority & Truth

→真実・真理は,権威の手段ではなく,権威の目的である.

→権威は真実・真理に基づかない限り,権力 (power) の実行者の恣意により限りなく捻じ曲げられて行く.

→真実・真理は永遠不変の客観的な事実に立脚するものであり,気まぐれに変化する人間の恣意を退ける.

→客観的な真理に立脚した真の権威に沿って生きることを選ばない人間は,自滅する.

→客観的事実は変遷して行くのではない.
変遷して行く人間の主観を優先する人は,自滅を招いている.

→時の流れは客観的存在で,すべてを黙って見ている.
生涯を善意と憐れみの心を持って遂げる人は,永遠に幸せである.

→権力者の勝利は儚(はかな)い.




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本投稿記事・第391回エレイソン・コメンツ「大司教のコメント II 」 "ARCHBISHOP COMMENTED – II" ( 2015年1月10日付)は2015年7月26日23:40に掲載されました.
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