2014年10月4日土曜日

377 大司教の感覚 I 10/4

エレイソン・コメンツ 第377回 (2014年10月4日)

The Recusant (反抗者〈はんこうしゃ〉)(www.The Recusant.com) (訳注・=英国〈えいこく〉のカトリック教〈かとりっく きょう〉月刊誌名〈げっかんし めい〉)の先月(9月)号(せんげつ〈くがつ〉ごう)にルフェーブル大司教の最後のインタビューの英語翻訳(るふぇーぶる だいしきょうの さいごの いんたびゅーの えいご ほんやく)が掲載(けいさい)されています.このインタビューは大司教が1991年3月(せん きゅうひゃく きゅうじゅう いちねん さんがつ)に亡くなる直前(なくなる ちょくぜん),フランス語で出版(ふらんすごで しゅっぱん)されたものです(Fideliter #79)(機関誌フィデリテ 〈きかんし ふぃでりて〉第79号〈だい ななじゅうきゅう ごう〉)(訳注・ "Fideliter" =「真の信仰に忠実に留まる(まことの しんこうに ちゅうじつに とどまる)」「誠実である(せいじつで ある)」という意味合い〈いみあい〉)( "In last month's issue of The Recusant (www.The Recusant.com) is a translation into English of Archbishop Lefebvre's last interview, published in French (Fideliter #79) shortly before his death in March of 1991." ).ルフェーブル大司教について書かれたものは読む度に気持ちをすっきりさせてくれます(るふぇーぶる だいしきょうに ついて かかれたものは よむたびに きもちを すっきり させて くれます)( "He is always refreshing to read." ).彼は明快(かれは めいかい)です.それは彼がカトリックの基本的原則に基づいて考える(かとりっくの きほん げんそくに もとづいて かんがえる)からです( "He is clear, because he thinks from basic Catholic principles." ).彼は透明(かれは とうめい)です.それは彼に隠すものが何もない(かくす ものが なにも ない)からです( "He is transparent, because he has nothing to hide." ).彼は曖昧(あいまい)ではありません.なぜなら,彼には私たちの主イエズス・キリストの教会(わたくしたちの しゅいえずす・きりすとの きょうかい)を悪魔の第二バチカン公会議に妥協(あくまの だいに ばちかん こうかいぎに だきょう)させるつもりがないからです( "He is unambiguous, because he is not trying to compromise Our Lord's Church with Satan's Vatican II." ).聖ピオ十世会(せい ぴお じゅっせい かい)(SSPX)はルフェーブル大司教の死後(しご),数年経つ(すうねん たつ)と彼が示した方向と違う方向へ進む(かれが しめした ほうこうと ちがう ほうこうへ すすむ)ことになります.だが,大司教をインタビューした担当者の質問事項を読む(たんとうしゃの しつもんじこうを よむ)と, Fideliter の読者層(どくしゃそう)がこの時(とき)すでに SSPX がたどることになる方向を選(えら)ぼうとしているのが分(わ)かります( "But notice how the interviewer's questions indicate that the readership of Fideliter was naturally inclining to take the direction which the Society of St Pius X would begin to take a few years after the Archbishop's death." ).以下(いか)にインタビューでの質疑応答の抜粋(しつぎ おうとうの ばっすい)を要約して紹介(ようやく して しょうかい)します:-- ( "Here is a selection of the questions and answers, somewhat abbreviated:-- " )

問: あなたがローマ(=ローマ教皇庁)(ろーま きょうこう ちょう)にあと一歩(いっぽ),歩み寄り(あゆみより)ができないのはなぜですか? 私(わたくし)たちは教皇(=ローマ教皇)が「あなたをいつでも受け入れる用意(うけいれるようい)がある」と聞(き)いています. ( "Q: Why can you not make one last approach to Rome ? We hear the Pope is “ready to receive you”. " )
答: それは絶対に不可能(ぜったいに ふかのう)です.その理由(りゆう)は,公会議派の教会(こうかいぎはの きょうかい)を導く諸原則(みちびく しょげんそく)がカトリック教の教理(かとりっくきょうの きょうり)に益々公然と反して(ますます こうぜんと はんして)きているからです( "A: That is absolutely impossible, because the principles which now guide the Conciliar church are more and more openly contrary to Catholic doctrine." ).例(たと)えば,ラッツィンガー枢機卿(らっつぃんがー すうききょう)( "Cardinal Ratzinger" )は最近(さいきん)になって,歴代教皇(れきだい きょうこう)たちが19-20世紀(じゅうきゅう から にじゅっ せいき)に記(しる)した偉大(いだい)な反モダニスト(反近現代主義)文書(はん もだにすと〈はんきんげんだいしゅぎ〉ぶんしょ)( "anti-modernist documents" )は当時(とうじ)大いに役立った(おおいに やくだった)が,今日(こんにち)では時代遅れ(じだい おくれ)になっていると述(の)べました( "For instance Cardinal Ratzinger recently said that the Popes' great anti-modernist documents of the 19th and 20th centuries rendered a great service in their day, but are now outdated." ).そして,ヨハネ・パウロ2世(よはね・ぱうろ にせい)は かつてないほどエキュメニカル(えきゅめにかる)です(1990年時点〈せん きゅうひゃく きゅうじゅうねん じてん〉)( "And John-Paul II is more ecumenical than ever (1990). " ).「そのような指導層(しどうそう)とともに働く合意(はたらくごうい)をするなどまったく想像(そうぞう)もできません.」( " “It is absolutely inconceivable that we can agree to work with such a hierarchy.”" )

問: ローマの状況(じょうきょう)は1988年(せん きゅうひゃく はちじゅうはち ねん)の交渉の時に比べ(こうしょうの ときに くらべ)一段と悪化(いちだんと あっか)したのでしょうか?( "Q; Has the situation in Rome deteriorated even since the negotiations of 1988 ? " )
答: その通(とお)りです!「私たちは何(なん)らかの合意(ごうい)をする可能性(かのうせい)について考(かんが)えるまでしばらく様子(ようす)を見(み)なければならないでしょう.( "A: Oh yes ! “We will have to wait some time before considering the prospect of making an agreement. …" )ローマがこの事態を打開する可能性(じたいを だかいする かのうせい)はないようですから,私はこの状況を救いうるのは神のみ(じょうきょうを すくいうる のは かみ のみ)だと信じています.」( "… For my part I believe that God alone can save the situation, as humanly we see no possibility of Rome straightening things out.” " )

問: だが,何も譲歩(じょうほ)しないでローマと合意(ごうい)した伝統派の人(でんとうはの ひと)たちがいます.( "Q: But there are Traditionalists who have made an agreement with Rome while conceding nothing. " )
答: それは間違った見方(まちがった みかた)です.彼らはローマに反対(はんたい)する自らの能力(みずからの のうりょく)を捨て去って(すて さって)しまったのです( "A: That is false. They have given up their ability to oppose Rome." ).彼らは恩恵を与え(おんけいを あたえ)られたので黙(だま)っていなければならないのです( "They must remain silent, given the favours they have been granted." ).彼らは徐々に堕落し続け(じょじょに だらくしつづけ),やがて第二バチカン公会議の間違いを容認(だいに ばちかん こうかいぎの まちがいを ようにん)することになるでしょう( "Then they begin to slide ever so slowly, until they end up admitting the errors of Vatican II." ).「これはとても危険な状況(きけんな じょうきょう)です.」ローマが譲歩(じょうほ)するのは,伝統派の人々(でんとうはの ひとびと)が SSPX から離れ(せいぴおじゅっせいかい から はなれ)ローマに従う(ろーまに したがう)ようにさせるためです.( " “It's a very dangerous situation.” Such concessions by Rome are meant only to get Traditionalists to break with the SSPX and submit to Rome." )

 問: あなたはそのような伝統派の人(でんとうはの ひと)たちは「裏切った(うらぎった)」のだと言(い)われますが,少し厳しすぎる(すこし きびし すぎる)のではないでしょうか? ( "Q: You say that such Traditionalists have “betrayed”. Isn't that a bit harsh ? " )
答: そんなことはありません! たとえば,ジェラール師(じぇらーる し)(ドン・ジェラール〈どん・じぇらーる〉)( “Dom Gérard” )は私(わたくし)や, SSPX とその各支部(かく しぶ),それに後援者(こうえんしゃ)たちを利用(りよう)しました( "A: Not at all ! For instance Dom Gérard made use of me, of the SSPX and its chapels and benefactors, …" ).そしていまや突然(とつぜん)私たちを見捨て(わたくしたちを みすて)て信仰の破壊者(しんこうの はかいしゃ)たちに加(くわ)わりました( "… and now they suddenly abandon us and join with the destroyers of the Faith." ).彼らは信仰のための闘いを諦めた(かれらは しんこうの ための たたかいを あきらめた)のです( "They have abandoned the fight for the Faith.." )..彼らはもはやローマを非難(ろーまを ひなん)することなどできません( "They can no longer attack Rome." ).彼らは教理の問題(きょうりの もんだい)などなにも理解(りかい)していません( "They have understood nothing of the doctrinal question." ).伝統(でんとう)のためと信(しん)じて彼らに加(くわ)わり,公会議派ローマ(こうかいぎは ろーま)までついて行(い)った若者(わかもの)たちのことを考(かんが)えると不愉快(ふゆかい)です( "It is awful to think of the youngsters who joined them for the sake of Tradition and are now following them to Conciliar Rome." ).

問: ローマ側(ろーま がわ)についた伝統派の人々と仲良く(なかよく)し,彼らのミサ聖祭(みさせいさい)に加(くわ)わるのは危険(きけん)でしょうか? ( "Q: Is there a danger in remaining friends with Traditionalists who have gone over to Rome, and in attending their Masses ? " )
答: はい,それは危険です.なぜなら,ミサ聖祭ではミサ聖祭が行(おこな)われるだけではありません.説教(せっきょう)もあります ( "A: Yes, because at Mass there is not only the Mass but there is also the sermon, …" ).ミサ聖祭が始まる前後(はじまる ぜんご)の雰囲気,環境,会話(ふんいき,かんきょう,かいわ)など諸々の要素(もろもろの ようそ)があります( "… the atmosphere, the surroundings, the conversations before and after Mass, and so on. " ).そのひとつひとつが少(すこ)しずつあなたの考え方を変える(かんがえかたを かえる)のです( "All of these things make you little by little change your ideas." ).彼らの行うミサ聖祭(かれらの おこなう みさ せいさい)には曖昧な風潮(あいまいな ふうちょう)が見(み)られます( "There is a climate of ambiguity." ).バチカンに従い(ばちかんに したがい),最終的(さいしゅう てき)には公会議に従属(こうかいぎに じゅうぞく)するといった雰囲気(ふんいき)があり( "One is in an atmosphere submissive to the Vatican, subject ultimately to the Council, …" ),結局(けっきょく)はエキュメニカル(えきゅめにかる)になってしまいます( "… so one ends up by becoming ecumenical." ).

問: ヨハネ・パウロ2世(よはね・ぱうろ にせい)はとても人気(にんき)があります.彼はあらゆるキリスト教徒(きりすと きょうと)を団結(だんけつ)させたいと望(のぞ)んでいます.( "Q; John-Paul II is very popular. He wants to unite all Christians." )
答: だが,それはどのような団結(だんけつ)なのでしょうか? 霊魂(れいこん)が受け入れ(うけいれ)なければならない信仰(しんこう),改宗が求められる信仰(かいしゅうが もとめられる しんこう)の下(もと)での団結ではありません( "A: But in what unity ? No longer in the Faith which a soul must accept, and which calls for conversion." ).教会(きょうかい)は階層的社会(かいそうてき しゃかい)( “a hierarchical society” )から「交流団体」(「こうりゅうだんたい」)( “communion” )に変形(へんけい)してしまいました( "The Church has been distorted, from being a hierarchical society into being a “communion”." ).何を目的(なにを もくてき)に交流(こうりゅう)するのでしょう? 信仰でないのは確(たし)かです( "Communion in what ? Not in the Faith." ).カトリック信徒が群れ(むれ)をなして信仰を離れ(しんこうを はなれ)ていると聞(き)きますが,なんら不思議(ふしぎ)なことではありません.         (次週へ続く〈じしゅうへ つづく〉)( "No wonder one hears that Catholics are leaving the Faith in droves.         (to be continued) " )

キリエ・エレイソン.

ルフェーブル大司教は
(るふぇーぶる だいしきょうは)
決して妥協(けっして だきょう)
しませんでした.
( "Archbishop Lefebvre
would never compromise. " )

彼を賢明(かれをけんめい)にしたのは
カトリック教教理への忠誠
(かとりっくきょう きょうりへの
ちゅうせい)でした.
( "Cleaving to Catholic doctrine
made him wise. " )

リチャード・ウィリアムソン司教




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(注:本投稿記事〈第377回エレイソン・コメンツ〉は2014年10月26日23:16時に公開されました.)