2013年3月17日日曜日

295 GREC II 3/9

エレイソン・コメンツ 第295回 (2013年3月9日)

カトリック教の一般信徒と聖職者たちで構成するパリのグループ( "the Parisian group of laity and clergy" )は,第二バチカン公会議とカトリック伝統派の和解(わかい)をめざして1990年代以来(いらい)集会を続けてきました.先週に続き, GREC ( "Groupe de Réflexion Entre Catholiques" ) の話をする前に,私たちはこのグループ参加者の基本的な考え方について検討(けんとう)してみる必要があります( "Before we continue with the story of GREC, the Parisian group of laity and clergy meeting from the late 1990’s onwards in pursuit of reconciliation between Vatican II and Catholic Tradition, we must consider the basic attitude of GREC participants." ).というのは,カトリック信徒が GREC の犯(おか)した間違い,すなわち現代人の心がいかにして真実(しんじつ)を把握(はあく)する能力を失(うしな)うか,ということを正しく理解するかどうかでカトリック教会の将来(しょうらい)が決まってくるからです( "The Church’s future depends on those Catholics who will understand GREC’s error, i.e. how modern minds lose their grip on truth." ).彼らの考え方を例証(れいしょう)するため,新教会の司祭ミシェル・ルロン神父( "Fr Michel Lelong" )の著書「必要な和解のために」 ( “For the Necessary Reconciliation” ) に含(ふく)まれる多数の引用の中から典型的なものを四つ無作為(むさくい)に選(えら)んでみましょう( "To illustrate that attitude let us take at random four quotes, typical of dozens and dozens in the book “For the Necessary Reconciliation” by the Newchurch priest, Fr Michel Lelong." ).最初の二つは同神父が2008年7月,ローマ教皇宛(あ)てに書いた書簡(しょかん)からのものです:--  ( "In a letter he wrote to the Pope in July of 2008 are to be found the first two quotes:-- " ).

「私たちもまた破門(はもん)(1988年に聖ピオ十世会〈 "SSPX" 〉の四人の司教を対象としたもの)が解除され,その結果 SSPX が教会内での立場を取り戻し教会に大(おお)いに貢献(こうけん)することを願っています( " “We also wish that the excommunications (of the four SSPX bishops in 1988) be lifted and that the SSPX recover its place within the Church to which it has so much to give." ). 私たちが SSPX 当局者に対し教皇庁を批判(ひはん)する論争術(ろんそうじゅつ)的な声明(せんめい)や論文の発表を止(や)めるよう呼びかけているのはこのためです.」( "That is why we ask the authorities of the SSPX to put an end to the polemical statements and articles criticizing the Holy See.” " )   この点についてのコメント: (ご指摘(してき)のことはいまに始まったことではなく,過去10年間にもわたって起きてきたことではなかったでしょうか? )( "Comment: (Has that not happened over the last 10 years ?) " )  だが,もし論争がそれほど悪いというなら,ルフェーブル大司教( "Archbishop Lefebvre" )を含む多数のカトリック教父(きょうふ)たち( "Church Fathers" )(訳注後記)が,なぜそれほど論争を起こさなければならなかったのでしょうか? ( "But if polemics are so bad, why were a number of Church Fathers – and Archbishop Lefebvre -- so polemical ? " ) 論争が悪いというのと結束(けっそく)が良いというのとは五十歩百歩(ごじゅっぽひゃっぽ)でしょう ( "Polemics are only that bad if unity is that good." ). ただ,結束の良し悪し(よしあし)は何を中心に結束(けっそく)するかにより決まることです ( "But unity is only as good as that around which it unites." ).

「物質主義,宗教無差別主義,宗派主義に惑(まど)わされる私たちの社会にあって,私たち GREC は全カトリック信徒が教皇聖下 ( "Holy Father" ) の呼びかけに応じて,キリストの "全世界に信じてもらえるよう結束しなさい" という教えに従うべく一致して努力すべきだと考えます.」( " “In our society so tempted by materialism, indifferentism and sectarisms, we think that in response to your request, Holy Father, all Catholics must strive together to be faithful to Christ’s recommendation, ‘Be united so that the whole world may believe’.” " )   コメント:   何を中心に結束するというのでしょうか?( "Comment: “United” around what? " ) カトリックの真実中心なのでしょうか,それともカトリックの真実は第二バチカン公会議と和解できるという嘘(うそ)中心なのでしょうか? ( "Around Catholic truth, or around the lie that Catholic truth is reconcilable with Vatican II ? " ) カトリック教の結束にとって第一かつ最重要な問題はカトリック教の真実がどこにあるかです( "Then the primary and crucial question for Catholic unity is where Catholic truth is to be found. " ). だが, GREC は真実についての諸問題は「神学者」に委(ゆだ)ねています.これは,神学者でない者は嘘(うそ)によって救われるということなのでしょうか?( "But GREC leaves questions of truth to the “theologians”. So non-theologians can be saved by lies !? " )

このルロン神父の書簡は教皇ベネディクト16世にきわめて受けがよかったため GREC 指導部およびその同調者たちは数か月後に再び教皇宛てに書簡を送りました ( "This letter of Fr Lelong was so well received by Benedict XVI that GREC leaders and sympathisers wrote again a few months later. " ). 二度目の書簡からの引用を二つご紹介します:-- ( "Here are two more quotes from the second letter to the Pope:-- " ).

「私たちは教皇庁の最近の提案(ていあん)が SSPX 当局者に受け入れられなかったことを悲しく思います( " “For sure we were saddened that the Holy See’s recent proposals were not accepted by the SSPX authorities, …" ).しかし,私たちはカトリック信徒間の傷(きず)を癒(いや)すにはつねに双方の信頼を回復し和解を可能にするための寛容(かんよう)と忍耐(にんたい)が必要であることを知っています( "… but we know that to heal wounds amongst Catholics always requires generosity and patience to restore confidence on both sides and to make reconciliation possible.” " ).   コメント:  傷がひとたび癒されれば二度と傷つくことはないというのでしょうか?( "Comment: Are wounds only ever to be healed, and never inflicted ? " ) 私たちの主は神殿(しんでん)で金貸(かねか)したちの背中に二度鞭(むち)を当てなかったでしょうか? ( "Did Our Lord not twice use a lash across the backs of the money-lenders in the Temple ? " ) 神がおられ,神の栄光は他(ほか)の何にも優先(ゆうせん)して守られるべきです ( "There is a God, his honour is to be defended above all things, …" ). 人間はそれが物理的(ぶつりてき)であれ言葉によるものであれ,鞭以外は分からないほど悪に染(そ)まりうるものです ( "… and men can be wicked enough to understand nothing but the lash, be it physical or verbal." ).

「私たちは破門(はもん)を解除(かいじょ)すれば,教皇庁と SSPX との間の合意もしくは少なくとも大半のSSPX 所属(しょぞく)の諸司祭とその支持者たちとの合意に向け両者を互(たが)いに近づけるプロセスが否応(いやおう)なしに始まると考えます.」( " “We think that lifting the excommunications would set in motion an irresistible process of drawing closer, with a view to an agreement between the Holy See and the SSPX, or at least an agreement with a large part of the SSPX priests and faithful.” " )   コメント:   確かにローマと SSPX との友好的なコンタクトをきっかけに2009年1月そのようなプロセスが始まりましたが( "Comment: indeed the friendly contacts between Rome and the SSPX were setting such a motion in process in January of 2009, …" ),その後 SSPX 内部に現代で最も恐(おそ)ろしい「反ユダヤ主義」という異説(いせつ)をめぐり爆発(ばくはつ)が巻き起こったため中止になりました( "… and only an outburst from within the SSPX of the most horrible heresy of modern times – “anti-semitism” – stopped that process." ). だがカトリック伝統派と第二バチカン公会議の和解自体にはなんら問題はないのかもしれません.あるいは SSPX 内の爆発は神意(しんい)によるもので,それにより少なくともしばらくの間,偽(いつわ)りの和解が中止されたと言えるのかもしれません ( "But either Catholic reconciliation with Vatican II is no problem, or one has to say that that outburst was providential, because it also stopped, at least for a while, the false reconciliation." ).

結論的に言えば, GREC は現代の数百万人のカトリック信徒と同じように,とりわけ結束,非論争,和解,合意などを求めます ( "In conclusion, GREC, like millions of modern Catholics, seeks above all unity, non-polemics, reconciliation, agreement, etc.." ). だが,こうした甘美(かんび)な感情の中で真実の神はどこに位置(いち)するのでしょうか? ( "But where does the God of truth figure amongst all these sweet sentiments ? " ) 神はあらゆる人間がまとまって嘘(うそ)をついている限りその嘘を祝福してくださる「おじさま」( "sugar-daddy" )だというのでしょうか? ( "Is he a sugar-daddy who blesses all men’s lies, just so long as they lie in unison ? " )

キリエ・エレイソン.

リチャード・ウィリアムソン司教


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第2パラグラフの訳注:
カトリック教父(きょうふ)たち"Church Fathers" について

「教父」
"Patres Ecclesiae" (ラテン語),
"Church Fathers" (英語),
"Pères de l'Église" (フランス語),
"Padres de la Iglesia" (スペイン語)

・「教会の父」の意.信仰上の師弟(してい)の関係を父子の関係にたとえた呼称(こしょう)で,古代および中世初期のキリスト教思想家,著作家のうち,その信仰,思想,生活が全教会の模範,規範となるような人々について用いられる名称(めいしょう)である.

・厳密(げんみつ)な教会用語としては
(1)教会史の古代(2-8世紀頃)に属すること antiquitas ecclesiae,
(2)教義の正統性 doctrina orthodoxa,
(3)生活の聖性 sanctitas vitae,
(4)教会の正式布告に信仰の証言としての引証(いんしょう)があること approbatio ecclesiae
の4条件を満たす教会の著述家をいい,この基準にあてはまらない著述家は単に「教会的著述者」 scriptores ecclesiae といわれる.

・もともと pater (父,複数 patres )は司教をさす語であったが,アウグスティヌスが司教でないヒエロニムスを正統教理の権威として引用したように,またレランのウィンケンティウスの『備忘録(びぼうろく)』にみられるように,5世紀頃より広義の(こうぎ)の教父の概念(がいねん)が確立(かくりつ)した. その後さらに教父の定義(ていぎ)がせばめられ,近世(きんせい)のカトリック教父学で以上の4条件が定(さだ)まった.

・教父の区別には,
(1)時代別(使徒的教父,護教的教父,思索的教父),
(2)使用語(ギリシア教父,ラテン教父,シリア教父,コプト教父など)による区別(生国にはよらない)などがあり,
思索的教父の時代,すなわちギリシア教父としてはオリゲネスや,ニッサのグレゴリウスに代表されるカッパドキアの3教父,ラテン教父としてはアンブロシウスやアウグスティヌスらの輩出(はいしゅつ)した時代が教父時代の最盛期(さいせいき)であったといってよい.教父についての研究は教父学と呼ばれる.

(ブリタニカ国際百科事典を参照)


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