2010年3月2日火曜日

イスラム教徒の苦悩

エレイソン・コメンツ 第137回 (2010年2月27日)

先月のある日,ロンドンで散歩中に大問題の小さな一例と思われる人に偶然出会いました.彼はフランスで生まれ現在もそこに住むイスラム教徒で,イスラム教の先祖と自分が育った欧州の環境との板挟みに苦しんでいました.先祖のルーツへの忠誠心と出生地への忠誠心とが彼の中でぶつかり合い,彼は明らかに見てとれるほど苦悶していました.フランスの価値観を完全に受け入れるイスラム教徒も少数はいるかもしれませんが,大半はそうするのを完全に拒むでしょう.だが,この若者はそのどちらもできずにいました.

彼の問題はもちろん,単なる文化,政治,あるいは歴史さえもはるかに超えたものです.それは宗教上の問題だからです.イスラム教は約1400年前に中東におけるカトリック下のキリスト教世界から分離する形で始まりました.キリストは神性と人性の二つの性質を持つ,言い換えれば人性の部分たるイエズスは神ではなかった,とするネストリウス派(訳注・「ネストリウス派」…古代キリスト教の教派の一つ.431年にエフェソス公会議において異端と断罪され排斥された.)の異説が,乾ききった中東,北アフリカのキリスト教世界に遼原の炎のように広がり,何世紀にもわたりスペインを占拠し,しばらくの間フランスにまで勢力をのばしたのです.質素で暴力的なこの宗教は武力による全世界制覇を求めます.それは天罰で,キリスト教世界は一千年もの間,武力によってかろうじてそれを食い止めてきました.

しかし,現在では欧州のキリスト教徒自身がキリストやキリスト教世界への信仰心をほぼ完全に失いつつあります.欧州のキリスト教徒はイスラム教徒が,武力ではなく移民によって欧州に戻ってくることを許していますし,欧州各国の反キリスト教的政府はそれを積極的に奨励しています.このイスラム教の若者の家族がニ代,三代にわたりフランスに住んでいるのもこのためです.この移民の裏には何が隠れているのでしょうか?世界主義者は移民がかつての輝かしい欧州のキリスト教諸国を解体し,新世界秩序の中に融合する一助になるよう望んでいます.リベラル派は人間の人種,宗教による違いなど取るに足らないとする彼らの愚行が移民によって明白になればよいと望んでいます.イスラム教徒は移民によって自分たちが欧州を占拠できればと目論んでいます.

欧州が日毎に腐敗していくばかりであるにもかかわらず,そこには依然として古代からの栄光,すなわちカトリック教会から受けた栄光の足跡がいくつも残っています.この足跡こそが,一方でこのイスラム教の若者のように,人の心に自分の祖先の血統への忠誠心に匹敵するほど強い出生国への愛国心を呼び覚まさせ,他方で多くの欧州人の心に依然として自分たちの生き方への愛着心を掻きたて,外部から脅威を受けると思われるかあるいは実際に受けた時には,大量殺戮をもってそれを守り抜こうとさせるのです.悪魔は疑いもなくそのような大量殺戮を計画しているのです.神は罰としてそれをお許しになるでしょう.それはますます起こりそうに見えます.

ところで,このイスラム教の若者はなにをすべきなのでしょうか?理想的には,自身の問題の根源を見つめて,イエズス・キリストが三位一体の神の第ニの位格(訳注・神の御子すなわち人間の肉体を身にまとわれ,人となられた神イエズス・キリストを指す.)であるのか,あるいはいかに崇高であってもただの一預言者にすぎないのかを自問すべきでしょう.その上で,もし彼が賢明であれば,彼が心から敬服しているフランスからの贈り物を,その与え主,すなわち同じ人となられた神(訳注・つまりイエズス・キリストのこと.)と結び付けるでしょう.そして結果としてもし彼が真のカトリック教徒となったら,自分のルーツが持つ真に良いものすべてと自分の出生国(フランス)の持つ真に良いものすべてとをどのように結合させるかを自分自身のために見つけ出すでしょうし,他人のためには,たとえ限られた方法であろうと,迫り来る大量殺戮を避けるために何らかの貢献ができるでしょう.

先祖代々からの欧州人はそれ(大量殺戮)を避けるためにどうすべきでしょうか?先祖伝来のカトリック信仰とその実践に立ち返ることです.それだけが,すべての国民,民族を真理,正義,平和のもとに一つに結びつける力だからです.これは彼ら欧州人が古くから受け継いできた神から託された責任と使命であり,彼らは全世界の人々を私たちの主イエズス・キリストに引き寄せるよう模範を示さなければなりません.もし欧州人が相変わらず不信仰であり続けるなら大量殺戮による流血は必ず起こるでしょう.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教