2010年3月15日月曜日

70年

エレイソン・コメンツ 第139回 (2010年3月13日)

まず第一に,今週初め人生70年を完了した私に多くの皆さまからさまざまな形でお祝いをいただきましたことに心から感謝いたします.正直に申し上げれば,私は1976年にルフェーブル大司教より司祭に叙階されていらい今日までとても幸せに生きてきました.そして,そのすべては神のおかげです.まず神に感謝を捧げたいと思います.

私の人生の前半は不幸だったかといえば,実はそうではなかったのです.今になって分かることですが,神はいつも私を司祭職へと導かれたのです.強いて言うなら,神の御意思が何であり人生の歩みをどう進めてゆくのか私には皆目(かいもく)見当もついていなかったにもかかわらず,神御自身が私を導いて下さったのです!神は限りなく善いお方,私たちが想像し得るよりはるかに善いお方であられます.「主(神)の慈しみ(あわれみ)は永遠に続く」 “His mercy endureth for ever.”(訳注:英カトリック聖書・詩篇第106編1節 … “Give glory to the Lord, for he is good: for his mercy endureth for ever.” より引用.バルバロ神父訳日本語聖書では,第107篇1節 …「主をたたえよ,主は慈しみ,その愛は永遠である.」(注釈・摂理の恵みをうたう歌))と書かれているとおりです.青年たちよ,フランスの格言を思い起こしなさい.「もしあなたが3時間いい気分になりたかったら,酔っぱらえばよい.3カ月間(3週間という人もいます)幸福を味わいたければ,結婚しなさい.一生涯を幸せに過ごしたいなら,司祭になりなさい.」司祭の生涯は退屈なものかもしれませんが,「人となられた神の詩」(訳注・「エレイソン・コメンツ」第108回(アーカイブ)参照)に書かれているとおり,それは生涯を通して神の光に照らされる幸せに満ちたものです.

「新世界秩序」の基本的な独断について公に疑問を投げ掛けたことがきっかけで,この1年間続いて「国内追放」の重い十字架を背負ってきた私に,多くの方々が励ましと慰めの言葉をかけて下さいました.心配いりません!まず第一に,「新秩序」が支配しているところならどこでも(今やほとんどの場所がその支配下です)その反対者に残された作戦の余地は限りなく少ないことを思い起こすべきです.そして,もし私たちがその状況を苦痛だと思うなら,それは私たちが神を私たちと同程度にしか自由にしていないことに対して神の御手から私たちに下された正当な罰なのだということを認識しなければなりません.神の友が持つ作戦の余地は著しく限られたものなのです.

そして第二に,私にとって今年は,皆さまの一部の方々が想像されるほど苦痛とはなっていないのでどうぞご安心ください.ここウィンブルドンにある聖ピオ十世会の英国本部では,この1年間十分過ぎるほど気配りしていただき,会の仲間たちから大いに甘やかされてきました.神学校の教授,校長としての32年間に及ぶ苦行生活の後で今,一切の職務や最低限の使徒職から解放され,こうして過ごすことができるのは私にとって大きな休息です.さらに,高齢者帰郷制度の利点のひとつとして,私にはロンドンの公共交通機関を無料で利用して旅行する権利が与えられています.私はこれを利用して生まれ故郷まで行ってきました.これは私が「青二才だった頃」には決して味わうことのできなかったことでした.要するに,これまでのところ私の「追放」はフランス人の言う「心地良い暴力」,つまり楽しい苦痛のようなものです.

いずれにせよ,「追放」は神が望まれる間続くでしょう.北半球には春が訪れつつあります.私の窓の外ではもうすでに数種類の鳥がペアで飛び交っているのが見えます.第三次世界大戦が起こる時期は(神の敵ではなく)神のお定めに任せることにしましょう.ハムレットは福音(訳注後記)を正しく言いかえています.「一羽の雀(すずめ)が地に落ちるのも神の摂理・・・準備がすべて」.この文脈では,これは死への準備ということです.お祝いの言葉を送って下さった皆さま、そのお気持ちを持って下さった皆さまの一人ひとりに神の祝福がありますように.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *

(福音「一羽の雀が…」の訳注)

(聖書・聖マテオ福音書10章29節)
“Are not two sparrows sold for a farthing?
and not one of them shall fall on the ground without your Father.”
「二羽のすずめは一アサリオン(ローマの最低貨幣の一つ)で売っているではないか.しかもその一羽さえ,天の父のゆるしがなければ地に落ちぬ.」(イエズス・キリストの御言葉)

(司教(使徒)の心構え)
 …司教が引用したこの聖マテオ福音書10章全体を用語集に掲載予定.