2010年3月31日水曜日

エレミアの政治

エレイソン・コメンツ 第141回 (2010年3月26日)

エレミアは聖週間の旧約聖書の預言者ですが,現代の預言者でもあります.彼が聖週間の預言者であることは,聖週間の典礼から見ても明白で,それは,母なる教会が私たちの主の受難と死に対する深い悲嘆を言い表すのに,紀元前588年のエルサレム滅亡についてのエレミアの「哀歌」を強くに引き合いに出しているからです.エレミアが私たちの時代の預言者だというのはミンゼンティ枢機卿の見方です.枢機卿は疑いなく自身の世界の罪がユダ(王国)以上にエレミアの糾弾を求めており,それが現在の私たちの罪深い生き方の破滅へと確実につながっていると見ているからです.

今日,政治・経済の領域では,多くの評論家たちは(インターネットでアクセス可能)明らかにその破滅が訪れつつあると見ていますが,それを宗教と関連づけて考えていません.なぜなら,彼ら評論家にしても大半の読者にしても,まず下方から始め,上方へ考えを高めていかないからです.エレミアは逆に彼に対する神からの劇的な呼びかけにより上方から始め(第1章),万軍の主なる神から発する光に照らして,政治・経済やほかのすべての事象を見ました.そうしてユダのぞっとするほど恐ろしい背信行為と神に対する数々の罪を延々と糾弾し,ユダに対する罰全般を宣告した後(第2章-19章),エレミアはとりわけ政治的な預言を告げました.それは,ユダの国民はバビロンに捕囚として捕らわれ(第20章),彼らの王であるセデキア(第21章)および歴代の王ヨヤハツ( “Joachaz” ),ヨヤキム( “Joakim” ),ヨヤキン( “Joachin” )は罰を受けるだろうという預言です(第22章).

この預言はエレミアの評判を良くしませんでした.エルサレムの祭司たちは彼を捕え(第26章),偽の預言者が彼に逆らい,ヨヤキム王自身が彼の預言が書かれた書物を破壊しようとし,とうとうユダの王子たちは彼を死なせるため泥の井戸に投げ込んでしまいました.彼を助け出したのは(セデキア王の奴隷となった高貴な身分の)エチオピア人の男(王家の宦官)だけでした(第38章).エレミアは命の危険を承知の上で即座に政治に戻り,セデキア王にバビロニアに降伏するよう促しましたが徒労におわりました.セデキア王が降伏すれば,自分は大きな苦難を被らずに済むと考えたのです.

退廃的なエルサレムの民と宗教当局は,神の人が彼らに告げていることを明らかに快く思っていなかったのですが,少なくとも彼の言うことを深刻に受け取るくらいの宗教感覚は持ち合わせていました.今日では教会も国家も彼を「宗教気違い」扱いし「政治にかかわるな」と退けているのではないでしょうか?今日,教会も国家もともに政治を宗教からまったく切り離しています.そのため,神への信仰を欠いた政治が自らの不信心によって深く汚名を着せられている実態が見えなくなっているのではないでしょうか?言い換えれば,人間の神との関係は人間のなすすべてのことに浸透し,支配し決定的な影響力を与えるのです.このことは,たとえ人間の側では神に全く無関心という場合でも当てはまります.

したがって,わたしたちのうち誰でも今年「テネブレ」(注釈後記)の聖務日課の務めを行う人は,エルサレムの被害に対するエレミアの深い悲嘆がわたしたちの心に,私たちの神なる主の受難と死に対する母なる教会の悲しみだけではなく,私たちが「テネブレ」の「エルサレム,エルサレム,おまえの神である主に立ち返れ」という物悲しげな叫びを心に留めないかぎり,徹底的な破滅をもたらすことになるような深い罪に染み込んだ全世界に対する主の聖心(みこころ)御自身の測りしれない悲しみと苦悩もまた呼び覚ましてくれるように祈りましょう.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


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「テネブレ」についての註釈

・ラテン語で “Tenebrae”.英語で “darkness”.「闇(やみ)」の意.
・「暗闇の朝課」( “Matins”(英), “Matutinum”(羅) )のこと.
・聖週間最後の三日間(聖木曜日(主の晩餐,洗足式)・聖金曜日(主の受難)・聖土曜日(復活の聖なる徹夜祭)の夜半(午前0時)頃からフルコースで数時間かけて夜明けまで唱えられる朝課と讃課 “Lauds”, “Laudes” )
・朝課の最初の夜課( 第一夜課.“The First Nocturn” )で「エレミアの哀歌」“Lamentations ofJeremiah” が朗読される(またはグレゴリオ聖歌で歌われる).
・一コース唱えるごとにろうそくの火が一本ずつ消される.最後のろうそくが消されると真っ暗闇となる.
・聖土曜日の復活の聖なる徹夜祭ミサの時間に入ると,「光の祭儀」(「光(火)の祝福」「光の行列」)で次々にろうそくに火が灯される.