2011年8月26日金曜日

悪意なき無知

エレイソン・コメンツ 第213回 (2011年8月13日)

読者の一人からとても重要な質問が寄せられました.「善良なプロテスタント信者が善良な生活を続けながらもカトリック信仰は誤っていると固く信じ,カトリック教会へ入ることさえ考えもしないとしたら,それでも彼は救われるでしょうか? 」 この質問は死活にかかわるほど重大です(訳注・原文 “The question is vital.” )(ラテン語の “vita” は “life” (命)を意味します).無数の人々にとって永遠の生死にかかわる問題です.

お答えとして先(ま)ずはじめに言えることは,人は誰しも臨終(りんじゅう)を迎え神の審判席に瞬時(しゅんじ)に座ったとき神は完全なる正義と完全なる慈悲をもって審判を下されるということです.人が他人はもとより自分にさえ隠す心の奥底を神だけはご存知です.人間は誤った判断をするかもしれませんが,神は決して判断を誤ることはありません.したがって,「善良なプロテスタント信者」は自分では地獄に墜ちると思っても神には救われます.神はまさしく彼がそれに値することをご存じだからです.

そうは言っても,もし神が私たちすべてが救われることをお望みになり(ティモテオへの第一の手紙2章4節)(訳注後記),私たちに地獄の苦しみを信じるようお求めになるなら(マルコ聖福音書16章16節)(訳注後記),神は私たちが自らの霊魂を救うため何を信じ何をなすべきかをお知らせになられるでしょう.では「善良なプロテスタント信者」は何を信じなければならないでしょうか?

最低限度でも,人が救われるには神の存在を信じ,神は善人に見返り(報い)を与え悪人には罰を与えることを信じなければなりません(ヘブライ人への手紙11章6節)(訳注後記).たとえ「善良なプロテスタント信者」が善良な生き方をしてきたとしても,そのことを信じなければ彼は救われることはできません.だが,多くのカトリック神学者はさらにつき進めて,人が救われるには聖三位(一体) “Holy Trinity” と救い主(救世主)としてのキリスト “Christ as Redeemer” を信じなければならないと言います.カトリック神学者たちの言うことが正しいとすれば,自らの魂を救えない「善良なプロテスタント信者」の数は増えるかもしれません.

さらに神は彼らに対し,神の発する(訳注・神がキリストによるその設立当初からカトリック教会に託した)真理 “Truth that comes from him (=God)” を学ぶ機会を彼らが人生でどれほど持ったかどうか次第でそれによって,それら(上述の)二つの絶対的なカトリック教会の基本教義以上のものを求めるかもしれません.もし彼らがカトリック信仰 “Catholic Faith” についてほかのことを何も知らないとしたら,それに出会う機会がなかったということでしょうか? そうだったかも知れませんがおそらくそのようなことはないでしょう.たぶん出会う機会はあったでしょう.私は母が「善良なプロテスタント信者」だった自分の父親の出すあらゆる質問にカトリックの神父が答えてくれたことがあったと感嘆まじりに語っていたことを思い出します.ただ,私の知る限りその後どうなったか分かりません.「善良なプロテスタント信者」たちが,たとえただ一度でもカトリック教の真理に出会う機会があったとして,それをフォローアップ(追跡・追求・探究)しなかったのはなぜでしょうか? その真理がひどく下手に説かれたのでない限り,彼らはそれを事実上拒(こば)んだことになります “they were in effect rejecting truth” .彼らはなんの勘違(かんちが)いもなくそれを拒みえたでしょうか? そうでなければ,ただ悪意なくあるいは意図的に拒んだのでしょうか? 「善良なプロテスタント信者たち」は,私たちすべてと同じように,自分のことを悪意がないと考えがちです.ただし,神を欺(あざむ)くことは誰にもできません.

「善良なプロテスタント信者」が救われるためにしなければならないことがもうひとつあります.彼は(訳注・真の神が御子キリストにより建てられた唯一の教会たる絶対的な)カトリック教会(訳注後記)がその不(可)謬性(ふ〈か〉びゅうせい)において道徳的に私たちに求めること全て “the Catholic Church infallibly requires of us in morals” について必ずしも知らないかもしれませんが,少なくとも生まれつき備えた良心という自然の光 “the natural light of his inborn conscience” を持っているはずです.原罪を持つ人間がカトリック教会の秘跡の助けなしに良心の自然の光に従うのは “with no help from the Catholic sacraments to follow that natural light of one’s conscience” 実に困難なことかもしれません.だが,もし本当にそれを大きく踏み外(ふみはず)したり真実から離れるほどねじ曲げてしまえば “seriously violate it or twist it out of true” ,それにより簡単に(たやすく,あっけなく)死に値する罪 “mortal sin” の中に生きて死ぬこととなり,それはいかなる霊魂も救われない状態です.繰り返しますが,「善良なプロテスタント信者」はカトリック教徒たちの知り得る神の法の完全無欠さ “the fullness of God’s law as Catholics can know it” について(訳注・最後の審判のとき神の御前で)知らない(知らなかった)と主張するかもしれませんが,はたしてその無知 “ignorance” は真に「揺るぎない」もの,つまり,悪意のないものでしょうか? (原文: “truly invincible”, i.e. innocent? ) 例えば,彼は人為的な受胎調節手段 “artificial means of birth control” (訳注・避妊具・避妊薬を使用して避妊すること)が神にとってひどく不愉快なことであることを本当に知らないのでしょうか,それとも実際はそのこと(訳注・神が禁じている〈自然法に反する〉という事実すなわち真理)を知りたくないと思って済ませているのでしょうか?

神はご存知です.神は審判を下されます.願わくは神が「善良なプロテスタント信者たち」すべてと私たちすべてにご慈悲を賜(たまわ)らんことを.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


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第3パラグラフのはじめの訳注:
新約聖書・ティモテオへの第一の手紙:第2章4節

『*すべての人が救われて真理を深く知ることを神は望まれる.』

(注釈)

* 〈新約〉ローマ人への手紙(9・18,21)の解釈を助ける神学的に重要なことば.

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第3パラグラフの二つ目の訳注:
マルコ聖福音書:第16章16節

信じて洗礼を受ける者は救われ,信じない者は滅ぼされる.』

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第4パラグラフの訳注:
ヘブライ人への手紙:第11章6節

『*信仰がなければ神に嘉(よみ)されることはできない.神に近づく者は,神が存在されること,神を求める者に報いを賜うことを信じねばならぬからである.』

(注釈)

* 〈旧約〉知恵の書13・1.救いのためには,神の存在と,報いを下す御者を信じなければならない

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第6パラグラフの訳注:

「神の教会のしるし」(使徒信経より):
“Marks of the Church” (…Credo, the Apostolic Creed):

唯一・聖・普遍(公)・使徒継承(ローマ教皇〈使徒ペトロの後継者〉+カトリック司教)
ONE, HOLY, CATHOLIC, APOSTOLIC
→ 「カトリック教会」=「公教会」

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