2010年1月31日日曜日

教皇の誤り(1)

エレイソン・コメンツ 第133回 (2010年1月30日)

教皇ベネディクト16世はニ週間前,第二バチカン公会議下のローマと聖ピオ十世会( “SSPX, Society of St. Pius X” )の関係について演説されましたが,その中で公会議のおかした過失がいかに巧妙かつ多大な影響力を持つものであるかを再度示されました.教皇の演説は1月15日に開催されたバチカン・ローマ教皇庁内の教理省(かつての「検邪聖省(聖務聖省)」“ Holy Office ” )の総会で行われました.(訳注・教理省…元は1542年に教皇パウロ3世によりカトリック信仰の維持・擁護を主任務とし異端裁判の終審裁判所として創設された “Supreme Sacred Congregation of the Roman and Universal Inquisition” .ローマ教皇庁( “Roman Curia”(英語),“Curia Romana”(ラテン語))の9つの省のうちで最も古い.1908年に教皇聖ピオ10世により “Supreme Sacred Congregation of the Holy Office” と改称され,単に “Holy Office” とも呼ばれた.その後第二バチカン公会議後の1965年に「教理聖省」“Sacred Congregation for the Doctrine of the Faith” と名称変更され,さらに1983年のカトリック教会法典の改正により「聖-」“Sacred” が省略されて現在の名称となった.) 演説を構成する12パラグラフの初めの3パラグラフについては全文を引用する必要があるでしょう.だが,ここではスペースの関係で原文をできるだけ正確に要約したものとせざるを得ません.

(1) 教理省は,カトリック教義の擁護を通じて “Church” (訳注・意味を正確に表しうる適当な日本語訳が見当たらないため,原語 “Church” のまま記す.この大文字で始まる “Church” は、キリスト→使徒聖ペトロ→今日に至るまでの歴代の教皇+司教へと継承(使徒継承)される伝統のカトリック教会を指す.つまり宗教改革以前からの,すなわち初めに神の御子イエズス・キリスト御自身がその代理者としての全権を使徒聖ペトロに委ねて地上に創設された,伝統の “聖なる(=神による,神の)・普遍の(=カトリック=万人万代を包括する)・使徒的(=使徒聖ペトロ(初代ローマ教皇)から現教皇に至るまで使徒継承の)・唯一の(キリストによる祈り…後記.) ” 「ローマ・カトリック教会」のことを指している.以下同旨.) の一致を確かなものにするという教皇の特別な聖職を共有しています.ここでいう一致とはカトリック信仰のもとでの一致であり,その信仰の最高位の擁護者はローマ教皇です.信仰において兄弟たる信徒のカトリック信仰を確固たるものとし,信徒の一致を維持していくことが教皇の第一の任務です.(2)教理省の指導権威は,教皇のそれと同様にカトリック信仰への従順を必要条件として伴うものです.それにより,一人の羊飼い(訳注・「よき羊飼い(牧者)キリスト」とその代理者(後継者)としての教皇を指す.)の下に一つの羊の群れ(訳注・ “Church” (=司教・司祭を含む全信徒の総体)を指す.)が存在するようにするためです.(3) “Church” は常にすべてのキリスト教信者が一体となってカトリック信仰の証人となるようにしなければなりません.(以下全文引用)「この精神に基づき私(教皇)は,聖ピオ十世会が “Church” との完全な交わりを達成する上で障害として残るいかなる教理上の問題をも克服するという(約束事に対する)教理省の深い関与に特別な信頼を置きます.」

ここでの問題は,単に聖ピオ十世会が「 “Church” との完全な交わり」を実現するかどうかということをはるかに超えるものです.問題は一致とカトリック信仰との関係全体に関わることです.事実,カトリック(教会)の一致(訳注・原語は “Catholic unity”. 「万人万世におよび(=普遍的に)キリストにおける唯一の神を信じる者が一致するという意味.」)は本質的にカトリック信仰を拠り所とするものです.カトリック信徒はまず第一にその人が何を信仰するかによって定義されます.したがって,カトリック信仰がなければ一致すべきカトリック信徒の存在はあり得ませんし,カトリック信仰があれば,カトリック(教会)の一致の本質的な土台が存在するのです.さて教皇は確かに(1)「一致とは事実,カトリック信仰のもとでの一致を指す」と述べておられますが,概して言えば(上述1,2,3項)一致とカトリック信仰があたかも対等な立場にあり,相互依存関係にあるかのように両者を結びつけておられます.だが,真の一致はひとえに真のカトリック信仰を拠り所とするものです.教皇は,上に全文を引用した(3項)で,ローマと聖ピオ十世会の一致を実現するため教理省に対し両者間の教理上の問題を克服するよう指示しているかの印象を与えていますが,真の一致は真のカトリック信仰を拠り所とすること以外の他のどのような方法でその結論に到達し得るのでしょうか?

そもそも,キリストの代理者たる教皇の責務はいわば,やみくもにローマと聖ピオ十世会を一致させることではなく,キリストが私たちにお与えになったのと同じとおりのカトリック信仰のもとで両者を一致させることなのです.したがって,もしローマと聖ピオ十世会の間に教理上の相違が存在するならば(相違は存在しており,しかもきわめて大きな相違です!),教皇にとっての最重要問題は両者のうちどちらがカトリック信仰を持っておりどちらが持っていないかということなのです.その上で,教皇は “Church” 全体をカトリック信仰を持っている方を中心に一致させなければなりません.たとえ,たまたまそれが哀れな小さい聖ピオ十世会( “poor li’l SSPX !” )だったとしてもです!「小さい」( “Li’l, or little” )というのは,カトリック信仰を持っていることを除けば聖ピオ十世会は取るに足らない存在だからです.

悲しいかな,教皇ベネディクト16世はカトリック信者である以上に公会議主義者です.しかし神の前に人を置く公会議は,全世界的な人類の一致の名のもとに神が自ら啓示されたの教義を絶えず弱体化させ台無しにしてきたのです.教皇ベネディクト16世が,奇跡でも起きないかぎり,聖ピオ十世会のよって立つ教義上の立場の重要性を理解する能力に欠けているのはこのためです.だが,教皇がカトリックの真理に大いに立脚しているところ(1,2項)から逸脱(3項)へ転じるあざやかさに騙(だま)されないカトリック信徒がどれほどいるでしょうか?ほとんどいないでしょう!その誤りは,それが微妙に着想されかつ表現されているのと同じくらいに影響力の強いものなのです!私たちは奇跡が起こるように祈らなければなりません.

* * *

(訳文のみ)

教皇ベネディクト16世はニ週間前,第二バチカン公会議下のローマと聖ピオ十世会の関係について演説されましたが,その中で公会議のおかした過失がいかに巧妙かつ多大な影響力を持つものであるかを再度示されました.教皇の演説は1月15日に開催されたバチカン・ローマ教皇庁内の教理省(かつての「検邪聖省(聖務聖省)」“ Holy Office ” )の総会で行われました.演説を構成する12パラグラフの初めの3パラグラフについては全文を引用する必要があるでしょう.だが,ここではスペースの関係で原文をできるだけ正確に要約したものとせざるを得ません.

(1) 教理省は,カトリック教義の擁護を通じて “Church” の一致を確かなものにするという教皇の特別な聖職を共有しています.ここでいう一致とはカトリック信仰のもとでの一致であり,その信仰の最高位の擁護者はローマ教皇です.信仰において兄弟たる信徒のカトリック信仰を確固たるものとし,信徒の一致を維持していくことが教皇の第一の任務です.(2)教理省の指導権威は,教皇のそれと同様にカトリック信仰への従順を必要条件として伴うものです.それにより,一人の羊飼い(牧者)の下に一つの羊の群れが存在するようにするためです.(3)“Church” は常にすべてのキリスト教信者が一体となってカトリック信仰の証人となるようにしなければなりません.(以下全文引用)「この精神に基づき私(教皇)は,聖ピオ十世会が “Church” との完全な交わりを達成する上で障害として残るいかなる教理上の問題をも克服するという(約束事に対する)教理省の深い関与に特別な信頼を置きます.」

ここでの問題は,単に聖ピオ十世会が「 “Church” との完全な交わり」を実現するかどうかということをはるかに超えるものです.問題は一致とカトリック信仰との関係全体に関わることです.事実,カトリック(教会)の一致は本質的にカトリック信仰を拠り所とするものです.カトリック信徒はまず第一にその人が何を信仰するかによって定義されます.したがって,カトリック信仰がなければ一致すべきカトリック信徒の存在はあり得ませんし,カトリック信仰があれば,カトリック(教会)の一致の本質的な土台が存在するのです.さて教皇は確かに(1)「一致とは事実,カトリック信仰のもとでの一致を指す」と述べておられますが,概して言えば(上述1,2,3項)一致とカトリック信仰があたかも対等な立場にあり,相互依存関係にあるかのように両者を結びつけておられます.だが,真の一致はひとえに真のカトリック信仰を拠り所とするものです.教皇は,上に全文を引用した(3項)で,ローマと聖ピオ十世会の一致を実現するため教理省に対し両者間の教理上の問題を克服するよう指示しているかの印象を与えていますが,真の一致は真のカトリック信仰を拠り所とすること以外の他のどのような方法でその結論に到達し得るのでしょうか?

そもそも,キリストの代理者たる教皇の責務はいわば,やみくもにローマと聖ピオ十世会を一致させることではなく,キリストが私たちにお与えになったのと同じとおりのカトリック信仰のもとで両者を一致させることなのです.したがって,もしローマと聖ピオ十世会の間に教理上の相違が存在するならば(相違は存在しており,しかもきわめて大きな相違です!),教皇にとっての最重要問題は両者のうちどちらがカトリック信仰を持っておりどちらが持っていないかということなのです.その上で,教皇は “Church” 全体をカトリック信仰を持っている方を中心に一致させなければなりません.たとえ,たまたまそれが哀れな小さい聖ピオ十世会だったとしてもです!「小さい」というのは,カトリック信仰を持っていることを除けば聖ピオ十世会は取るに足らない存在だからです.

悲しいかな,教皇ベネディクト16世はカトリック信者である以上に公会議主義者です.しかし神の前に人を置く公会議は,全世界的な人類の一致の名のもとに神が自ら啓示されたの教義を絶えず弱体化させ台無しにしてきたのです.教皇ベネディクト16世が,奇跡でも起きないかぎり,聖ピオ十世会のよって立つ教義上の立場の重要性を理解する能力に欠けているのはこのためです.だが,教皇がカトリックの真理に大いに立脚しているところ(1,2項)から逸脱(3項)へ転じるあざやかさに騙されないカトリック信徒がどれほどいるでしょうか?ほとんどいないでしょう!その誤りは,それが微妙に着想されかつ表現されているのと同じくらいに影響力の強いものなのです!私たちは奇跡が起こるように祈らなければなりません.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *

( “Church” の訳注中「唯一の」の補足解説)
イエズス・キリストによる祈り (新約聖書・聖ヨハネ福音書17章)
「あなた(御父なる神)が子(神の御子イエズス・キリスト)に授けられた万民を治める力によって,子に与えられたすべての人に永遠の命を与えたもうように.
永遠の命とは,唯一のまことの神であるあなたと,あなたの遣わされたイエズス・キリストを知ることであります.(…キリストによる神の啓示.)
…彼ら(使徒たち)のことばによって私を信じる人々のためにも祈ります.父(神)よ,あなたが私の中にましまし,私があなたの中にあるように,みな(キリスト信者)が一つになりますように.彼らも私たちにおいて一つになりますように.それは,あなたが私を遣わされたことを世に信じさせるためであります.私はあなたの与えたもうた光栄を彼らに与えました.私たちが一つであるように彼らも一つでありますように.私は彼らの中にあり,あなたは私の中においでになります.彼らが完全に一つになりますように.あなたが私を遣わし,私を愛されるように,彼らをも愛しておいでになることを,この世に知らせるためであります
父よ,あなたの与えたもうた人々が,私のいる所に,私とともにいることを望みます.それはあなたが私に与えたもうた光栄を,彼らに見せるためであります.あなたは世の始まるよりも前に,私を愛したまいました.正しい父よ,この世はあなたを知りませんが,私はあなたを知り,この人たちもあなたが私を遣わされたことを知るに至りました.あなたが私を愛されたその愛が,彼らにもありますように.また,私が彼らの中にいるように,私はみ名を知らせ,また知らせましょう.」