週末にかけての英国ロンドンでの寒波による停電の影響で,今週のエレイソン・コメンツの掲載は延期となりました.
代わりに,「主の公現祭」の時節にふさわしいT.S.エリオットの詩「東方の博士がした旅」“Journey of the Magi” を掲載いたします.この詩についてのウィリアムソン司教の最近のコラム(論評記事)も近日中に掲載する予定です.
お知らせが遅くなりましたことをお詫び申し上げます.
石畳
* * *
東方の博士がした旅 (上田保・訳)
「寒さが押しよせていたが,われわれは旅に出た,
ちょうど旅をするには,最もふむきな頃で,それに
長い長い旅ときている.
途は悪くて足が深くうまり身を切るような寒さ,
全くの真冬であったのだ.」
それで駱駝(らくだ)は皮をすりむかし,足を痛め,
ふてくさって,雪どけに,ねそべってしまう.
われわれは時折,山腹に立っている宮殿のような
夏の別荘のことや,家々のテラスのことや,
絹のようなしとやかな少女達がシャーベットを
持ち運んでくることなどを,なつかしく憶(おも)い出したりしたものだ.
駱駝使いの連中ときては,あくたいをついて,
不平たらたら,酒と女を求めて逃げ出してしまう.
夜は,たき火が消えてしまう,宿るところもない.
町々は到るところで敵意をあらわし,そっぽをむいている.
村はどこでもうすぎたなく,高い値でものを売りつける.
ひどい目にあったものだ.
しまいに,夜通し旅をすることにした,
うつらうつら居眠りしながら行くのだが,
いつも,これは全く馬鹿げているという声が耳鳴のように聞えたものだ.
そのうちに夜が明けて,ぬくまった,とある谷間に出た,
水気があり,低いところで雪がもうなくなっていて,
草木のにおいがしていた.そこには,
一條の小川が流れ,水車が一つ,あたりの暗やみに
たたくような音をひびかせていた,また
木が三本,空に,うずくまるように立っていた,
のみならず,白い馬が一匹,蹄(ひずめ)の音高く,牧場を馳(か)けぬけて行った.
それから,われわれは,ある居酒屋のところに来た.
葡萄の葉が,その入口におおいかぶさっており,
そのあけ放した戸口のところで,男が五人,
銀貨を賭けてさいころをころがしていた,見ると,
からっぽになった葡萄酒の皮袋を足げにしているのだ.
だがそこで何のたよりも得られなかった,
それでまた旅をつづけ,ようやく夕方になって,丁度いい時に,
探していた場所に行き着いたのだ,
それで満足したといってもよかろう.
忘れもしない,これはみんな昔のことだ,
それで,もう一度,わしは,ああした事を,
くり返してやって見たいと思うのだ,
だが次のことを書きとめておいて貰(もら)いたいのだ.
次の事を,
われわれが,遥々(はるばる)と目指して行ったものは,
生誕であったのか,それとも死滅であったのだろうか.
確かに,一つの生誕であったことは,われわれは,
その証拠をつかみ,疑いもしなかった.
わしは,それまで,生誕と死滅を見ており,
生誕と死滅は異るものと思っていた.ところが,
その時,わしの眼で見たイエスの生誕は,
激しい苦痛をわれわれに与えたのだ,
それは彼のはりつけの死,即(すなわ)ちわれわれの死とちがわなかった.
われわれはそれぞれ生国に戻って来た,
今,まのあたり見るような王国に,
だが,ここではもう心の休らぐことはないのだ.
昔そのままの制度のもとで,
縁なき衆生(しゅじょう)は徒(いたず)らに異教の神々にしがみついているのだ.
わしは,なんとか,もう一度死にたいものと思っている.
(注釈)
* 資料名:「エリオット詩集」(世界詩人全集,新潮社.1976年出版.)
*「マタイ伝」第二章(聖書・聖マテオ福音書第2章)を参照のこと.
*「東方の博士がした旅」は「エァリアル詩集」の中の一つである.
エァリアルはシェイクスピアの「あらし」にでる空気の精で,自由に姿をかえ,空をとんでプロスペロをたすける.「エァリアル詩集」は,作者自身の言葉によれば,クリスマス・カード用的なものとして書かれたものである.
(原文)
“Journey of the Magi” by T. S. Eliot (1888-1965)
"A cold coming we had of it,
Just the worst time of the year
For a journey, and such a long journey:
The ways deep and the weather sharp,
The very dead of winter."
And the camels galled, sore-footed, refractory,
Lying down in the melting snow.
There were times we regretted
The summer palaces on slopes, the terraces,
And the silken girls bringing sherbet.
Then the camel men cursing and grumbling
And running away, and wanting their liquor and women,
And the night-fires going out, and the lack of shelters,
And the cities hostile and the towns unfriendly
And the villages dirty and charging high prices:
A hard time we had of it.
At the end we preferred to travel all night,
Sleeping in snatches,
With the voices singing in our ears, saying
That this was all folly.
Then at dawn we came down to a temperate valley,
Wet, below the snow line, smelling of vegetation;
With a running stream and a water-mill beating the darkness,
And three trees on the low sky,
And an old white horse galloped away in the meadow.
Then we came to a tavern with vine-leaves over the lintel,
Six hands at an open door dicing for pieces of silver,
And feet kicking the empty wine-skins.
But there was no information, and so we continued
And arrived at evening, not a moment too soon
Finding the place; it was (you may say) satisfactory.
All this was a long time ago, I remember,
And I would do it again, but set down
This set down
This: were we lead all that way for
Birth or Death? There was a Birth, certainly,
We had evidence and no doubt. I have seen birth and death,
But had thought they were different; this Birth was
Hard and bitter agony for us, like Death, our death.
We returned to our places, these Kingdoms,
But no longer at ease here, in the old dispensation,
With an alien people clutching their gods.
I should be glad of another death.