2014年1月20日月曜日

340 朗報 1/18

エレイソン・コメンツ 第340回 (2014年1月18日)

     先ず初めの朗報(まず はじめの ろうほう)はイングランド南東部にある Queen of Martyrs house の購入(こうにゅう)がまもなく実現(じつげん)することです( "The first piece of good news is that Queen of Martyrs house in south-east England is being bought these very days." ).当初,購入価格(かかく)はとても手が届(とど)きそうにありませんでしたが,フランス人とアメリカ人篤志家(とくしか)への2通の電話で,それぞれ必要額の5分の2と4分の1にあたる額(がく)がたちどころに集(あつ)まりました.これで急(きゅう)にその家屋(かおく)を購入できるメドが立ちました( "At first the purchase price seemed out of reach, but two telephone calls to a French and an American benefactor promptly raised about two fifths and another quarter respectively of the sum needed, and suddenly the purchase came within range." ).さらに7分の1にあたる額が聖マルセル構想(こうそう)(=計画)( "the St Marcel Initiative" )への多数の後援者(こうえんしゃ)から寄(よ)せられました( "About another seventh part came from the many benefactors of the St Marcel Initiative, …" ).私が自分の貯金箱(ちょきんばこ)をいくつか空(から)にし( "… I emptied out several piggy-banks of my own, …" ),あるアジア人の篤志家が最後に寄付(きふ)を申し出(もうしで)てくださった結果(けっか),私たちは目標額(もくひょうがく)を超(こ)えることができました( "… and finally an Asian benefactor put us over the top." ).

     寄付をお寄(よ)せくださった方々すべてに声を大(こえを だい)にして感謝します( "Resounding thanks to every one of you that contributed, " ).すべての方々にというのは,少額(しょうがく)の寄付金を軽視(けいし)することなど決してできないからです( "because the smaller donations are not to be scorned." ).神は寄付金の額だけを見ることはありません( "God does not look only on the amount." ).神はおそらく少額ながらも精いっぱいの寄付をする寡婦(かふ)たちを見るとき(聖ルカ聖福音書:第21章1-4節)( "Maybe only when he sees enough widows caring enough to pay in their widows’ mites (Lk.XXI, 1-4), " ),多額(たがく)の寄付ができる篤志家たちに霊感(れいかん)をお与(あた)えになるのでしょう( "does he inspire the benefactors capable of the larger donations." ).神にあっては,精神が物質を超える(せいしんが ぶっしつを こえる)ものであって,その逆(ぎゃく)ということはけっしてありません( "With God, spirit leads matter, and not the other way round. " ).だが,読者の皆さん,私たちすべてが恩義(おんぎ)を受けた上記3人(じょうき さんにん)の篤志家たちのためにどうぞ祈りをささげてください( "But do please pray for the three benefactors mentioned above, to whom we are all indebted." ).私は購入する家屋がとくに司祭たちの避難場所(ひなん ばしょ),正気の島(しょうきの しま)( "an island of sanity" )として役立(やくだ)てば良いと考えています( "Especially I think of the house being able to serve as a refuge for priests to visit, as an island of sanity." ).

     というのも,このことは第2の朗報とかかわりがあるからです( "For indeed the second piece of good news …" ).その朗報とは,聖ピオ十世新協会(しんきょうかい)( "the Newsociety of St Pius X" )の指導者たち(しどうしゃ たち)による信仰の裏切り(しんこうの うらぎり)が SSPX の司祭たちに少しずつはっきりし始めてきているということです( "… is that the betrayal of the Faith by the leaders of the Newsociety of St Pius X is becoming clearer, little by little, to SSPX priests." ).最も優れた(もっとも すぐれた)同会司祭たちの一部(いちぶ)が新協会によってひとりまたひとりと仲間外れ(なかま はずれ)にされ除名(じょめい)されています( "One by one, some of the best of them are being alienated and then excluded by the Newsociety." ).新協会は司祭たちが自(みずか)らの自由意志(じゆういし)で,あるいはまったく個人的な理由(こじんてきな りゆう)で,あるいは不服従(ふ ふくじゅう)が理由で会を離(はな)れているのだとつくろっています( "It pretends that they are leaving of their own free will, or for purely personal reasons, or that they are being excluded for their disobedience. " ).むろん, SSPX 本部の裏切り者(うらぎりもの)たちは司祭たちを追い出す(おいだす)結果(けっか)になっているのが自分たちの背信行為(はいしん こうい)だとけっして認(みと)めようとしません( "Never of course will these traitors in SSPX headquarters admit that it is their own treachery which is driving these priests out." ).だが,司祭たちは次々(つぎつぎ)に新協会の問題は教理の問題(きょうりの もんだい)だと公言(こうげん)しています( "Yet one after another they are declaring that their problem with the Newsociety is one of doctrine: …" ).すなわち SSPX が2012年4月15日,7月14日,2013年6月27日に発表(はっぴょう)した公式文書(こうしき ぶんしょ)は,新協会指導部が第二公会議派の唱(とな)える無価値(むかち)なものの代わりに信仰を守り抜こう(まもりぬこう)とするルフェーブル大司教の輝かしい闘い(かがやかしい たたかい)を見捨てている(みすてている)ことを明示(めいじ)しています( "… the official SSPX documents of April 15 and July 14, 2012, and June 27, 2013, demonstrate that the Newsociety leaders are abandoning Archbishop Lefebvre’s glorious fight for the Faith in exchange for a mess of Conciliar pottage. " ).

     かくして,南米(なんべい)では有能かつ献身的(ゆうのう かつ けんしんてき)な SSPX の副修道院長(ふく しゅうどういん ちょう)が明(あき)らかに本部の裏切り行為(ほんぶの うらぎり こうい)に対する自らの異議(いぎ)を黙(だま)らせようと意図(いと)された人事異動の受諾(じんじいどうの じゅだく)を拒(こば)んでいます( "Thus in South America a capable and devoted SSPX Prior is refusing a change of post obviously designed to control and silence his opposition to the sell-out by Headquarters, …" ).彼は修道院長(しゅうどういん ちょう)に書簡(しょかん)を送り,自分の拒否(きょひ)は純粋(じゅんすい)に教理上の理由(きょうりじょうの りゆう)によるものだと述(の)べています( "… and he writes to his District Superior that his refusal is for purely doctrinal reasons." ).オーストリアでは長い間悶々(もんもん)としてきた忠実(ちゅうじつ)な元副修道院長(もと ふくしゅうどういん ちょう)が5つの理由を挙(あ)げて SSPX 離脱(りだつ)を明(あき)らかにしました( "In Austria a long-suffering and faithful former Prior gives five serious reasons for his departure from the SSPX, …" ).これに対する SSPX の反応(はんのう)といえば,第1副本部長(だいいち ふく ほんぶちょう)( "the First Assistant" )が副修道院長の挙げた理由(あげた りゆう)は「目下検討中」(もっか けんとう ちゅう)と述べただけです( "… and all that the First Assistant finds to reply is that his reasons are “beneath consideration”. " ).とりわけフランスでは,12名の司祭グループが会合を開き(かいごうを ひらき),ルフェーブル大司教の教理に関する姿勢への忠誠(しせいへの ちゅうせい)を公式に宣言(こうしきに せんげん)しました( "In France above all, a group of 12 priests have met together and issued a public declaration of allegiance to the doctrinal stand of Archbishop Lefebvre, …" ).彼らは自らの聖職地位(せいしょく ちい)を子供向け教育(こどもむけ きょういく)が必要な両親(ひつような りょうしん),司祭職形成(しさいしょく けいせい)が必要な若者(ひつような わかもの),秘跡(ひせき)が必要な霊魂(ひつような れいこん)の意(い)のままにゆだねています( "… and they have placed their priesthoods at the disposal of parents needing education for their children, of young men needing formation for the priesthood and of souls needing the sacraments." ).フランスの司祭たちが反意を示す(はんいを しめす)までに時間(じかん)がかかりましたが,行動が遅れた分(こうどうが おくれた ぶん)かえってその反抗心は強い(はんこうしんは つよい)はずです( "It has taken time for the priests in France to begin to react, but the reaction should be all the stronger for the delay." ).ルフェーブル大司教は「時は時間をかけずに達成されたものに敬意を払わない」(ときは じかんを かけずに たっせいされたものに けいいを はらわない)というフランスの諺(ことわざ)を好んで引用(このんで いんよう)されました( "Archbishop Lefebvre was fond of quoting the French proverb which says that time does not respect anything done without it." ).

     親愛なる読者の皆さん(しんあいなる どくしゃの みなさん),辛抱(しんぼう)してください( "Have patience, dear readers." ).神(かみ)はお急(いそ)ぎになりませんし,苛立(いらだ)たれることもありません(新約聖書・使徒聖パウロのガラテア人への手紙:第6章7節)( "God is not in a hurry, nor is he mocked (Gal.VI, 7). " ).もし, SSPX を誤り導く(あやまり みちびく)指導者たちが同会を離(はな)れたり除名(じょめい)されたりする司祭は総数(そうすう)およそ500名の同会所属司祭(しょぞく しさい)たちのほんの一握り(ひとにぎり)にすぎないと言って自(みずか)らを慰(なぐさ)めるとすれば( "If the SSPX misleaders try to console themselves that the priests departing or excluded represent only a small minority of the total of some 500 SSPX priests, …" ),彼らは真実の力(しんじつの ちから)( "the power of truth" )をほとんど理解(りかい)していません.あれほどまでに真実の力が理解できないとは! ( "…how little they understand the power of truth ! " ).彼らは真実を捨て去った(しんじつを すてさった)のであり,それゆえ真実は彼らを見捨(みす)てようとしています - 否応(いやおう)なしに(防〈ふせ〉ぎようもなく).( "They have abandoned it, and it is abandoning them – inexorably." ).神よ,私たちすべてにお慈悲(じひ)をお与えください( "God have mercy on us all. " ).

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教




* * *