エレイソン・コメンツ 第262回 (2012年7月21日)
(訳注・7月14日の)土曜日に終了した聖ピオ十世会( "the Society of St Pius X" = "SSPX" ) 本部会議(=総会, "General Chapter" )から出てきた朗報は,自殺の瀬戸際(せとぎわ)に追いやられている( "led to the brink of suicide" )同会が,一時的にそれを免(まぬか)れる( "…has been given a reprieve by the Chapter. " )という結論でした.しかし,全世界に公表されたインタビューで語られた次の言葉が,今後さらに6年間在位(ざいい)する "SSPX" 指導者たちの胸の内を示すものだとしたら,自殺の一時延期(いちじえんき)が続くよう増々(ますます)祈らないわけにはまいりません.以下にその言葉を示します.(インターネット上でまだアクセス可能かどうかわかりませんが -- カトリック・ニュース・サービス( "Catholic News Service" )をご覧になってください.):--
「多くの人々は例の公会議(第二バチカン公会議)を理解しているが,その理解は間違っています.そして,今ではそのことをローマ(教皇庁)の人たちが公言しています(“Many people have an understanding of the Council (Vatican II) which is a wrong understanding, and now we have people in Rome who say it.…” ).私が思うに,例の協議(ローマ教皇庁と聖ピオ十世会の間で2009年から2011年まで行われた「教理上の論議」)の席で( "SSPX" 内の)私たちがその公会議から出てきたものだと非難してきた多くのことは実は同公会議からではなく,一般の人々の理解からで出てきたものだと言っても差し支えないでしょう("…We may say, in the Discussions (between Rome and the Society of St Pius X, from 2009 to 2011), I think, we see that many things which we (in the SSPX)would have condemned as coming from the Council are in fact not from the Council, but from the common understanding of it. " ).」
この言葉について論評するとすれば,私たちは第二バチカン公会議に立ち戻らなければなりません.同会議の出した16の文書は真実と誤(あやま)りの両方を含んでおり,きわめて曖昧(あいまい)かつ矛盾(むじゅん)しています( "Containing both truth and error, its 16 documents are profoundly ambiguous and contradictory. " ). "SSPX" はルフェーブル大司教 "Archbishop Lefebvre" の教えに従い,同公会議の諸文書に真実は一切ないなどと主張したことはありませんが,重大な誤りを含んでいるとつねに非難してきました( "Following Archbishop Lefebvre, the SSPX has never said that the documents contain no truth, but it has always accused them of containing serious errors, …" ).一例を挙(あ)げれば,国家にはカトリック以外の宗教を抑制(よくせい)する権限はないとする公会議の原則です( "…for instance the doctrine that the State has no right to repress non-Catholic religions. " ).公会議派ローマ教皇庁( "Conciliar Rome" )は,たとえば諸文書に含(ふく)まれる「人はすべて宗教に関する物事においては真実を探し出しそれを信奉(しんぽう)しなければならない」といった正反対の真実を引き合いにだして,自らの諸文書の正しさをつねに主張してきました( "Conciliar Rome has always defended the documents, for instance by referring to the opposite truths contained in them, such as that every man must in matters religious find out and profess the truth." ).だが,公会議の文書が真実かどうかが問題になったことは一度もありません.問題はその誤りと矛盾です( "But the truths have never been the problem. The problem is the error and the contradiction." ).たとえば,もし,国家などのような,個々人の一集合体が宗教的に中立でよいとするなら,なぜ単独の(ただ一人の)個人は中立であってはいけないのか? といった点です( "For instance, if a mass of individuals, such as the State, may be neutral in religion, why should the single individual not be ? " ).この矛盾 が人間の神からの解放 - すなわちリベラリズム(自由主義) - に門戸(もんこ)を大きく開きます( "The contradiction opens the door wide to the liberation of man from God – liberalism. " ).
2009年から2011年までの教理に関する協議はローマ教皇庁当局者たちの公会議的主観主義と "SSPX" のカトリック的客観主義との間の教理上の対立を検討するために行われました( "…were set up to examine the doctrinal clash between the Romans’ Conciliar subjectivism and the SSPX’s Catholic objectivism. " ).むろん,協議はこの対立の溝(みぞ)が深く和解不能であることを示しました( "They showed, of course, that the clash is profound and irreconcilable,…" ).ここで問題なのは,この対立が公会議のいう真実とカトリックの真実との間のものではなく,むしろ公会議の誤りとカトリックの真実との間のものだということです( "not between Conciliar truth and Catholic truth, but between Conciliar error and Catholic truth,…" ).事実上は人間の宗教と神の宗教との間の対立なのです( "in effect between the religion of man and the religion of God. " ).
ここで引用したインタビューでの話し手は「ローマの人たち」は正しく,「私たち」すなわち "SSPX" は間違っていると言っており( "Now comes the speaker to state that the “people in Rome” are right, and that “we” are wrong, i.e. the SSPX,… " ),その理由として,"SSPX" が第二バチカン公会議から出てきたものとして常(つね)に非難してきた「多くの物事」が実は同公会議についての「一般の人々の理解」から出てきたものだからだと述べています( "…because “many things” the SSPX has constantly condemned as coming from the Council come only from a “common understanding” of the Council. " ).言い換えれば,ルフェーブル大司教も彼の創立した聖ピオ十世会も同公会議を非難し,それに応じて公会議派のローマ教皇庁に抵抗したことがそもそも(初め)から間違いだったというわけです( "In other words, the Archbishop and his Society were wrong from the beginning to accuse the Council, and accordingly to resist Conciliar Rome. " ).その結果として公会議派の諸司教がカトリックの伝統に十分気配りすると信頼できたはずだから,ルフェーブル大司教による1988年の司教聖別は不必要な決断だったのではないかということになります( "It follows that the episcopal consecrations of 1988 must have been an unnecessary decision, because Conciliar bishops could have been trusted to look after Catholic Tradition." ).だが,同大司教は司教聖別を「生き残り作戦」と呼び,公会議派のローマを信じることは「自殺作戦」だと断じました( "Yet the Archbishop called those consecrations “Operation Survival”, and he called trusting Conciliar Rome “Operation Suicide”. " ).
今日その話し手は ― 上に引用した言葉を一貫して守り ― 間違いなくローマと "SSPX" との間の合意に賛同しています( "Today the speaker – consistently with his words quoted above – is certainly favouring a Rome-SSPX agreement." ).報道によると,この合意では "SSPX" の未来の諸司教を選ぶ権限は公会議派ローマに委(ゆだ)ねられます( "There are reports that this agreement would entrust Conciliar Rome with choosing the SSPX’s future bishops. " ).ということは,ルフェーブル大司教の時代から公会議派だったローマがそうでなくなるなどということが幻想に過ぎないのはあらゆる証拠が叫(さけ)び示すとおりですから( "Then unless Rome has stopped being Conciliar since the Archbishop’s day, and all the evidence cries out against such an illusion,…" ),もし同大司教が生きておられれば,その話し手は "SSPX" の「自殺作戦」を推(お)し進めているのだと言われたことでしょう ― その話し手が自分の言葉を取り下げない限りは( "…the Archbishop would have said that the speaker was promoting “Operation Suicide” of the SSPX – unless the speaker has since disowned these words. " ).
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
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