エレイソン・コメンツ 第224回 (2011回10月29日)
差し迫った世界金融の崩壊,もしくは,その崩壊が意図した世界政府設立に向けた世界金融の到来(原文 “…the advent of global finance on the way to global government which that collapse has been designed to bring on, …” )という局面を見て人々は「一体どうしてこんな混乱に陥ったのか,どうしたらそこから脱出できるのだろうか? 」と考えさせられることでしょう.もし全能の神がこのような深刻な危機に一役買っておられるのだとすれば,神は当然事態をあまり深刻には受け止められず,心地よい日曜日の気晴らし程度にお考えでしょう.だが反対に,中世の教会を建築した人たちが明らかに考えたように,神がこの危機に重要な役割を果たしておられるとすれば,神を無視することは今日のように金融が現実を打ち負かせていること(原文 “today’s triumph of finance over reality” )に大きな役割を果たしていることになるでしょう.
今日の災難がどこから始まったかを理解するには,どうしても中世時代に遡(さかのぼ)る必要があります.中世の絶頂期以降にカトリック教の信仰が低下し始めるとともに,人々は生活のもう一つの大きな動機付けである富( “Mammon”,かね)への関心を募(つの)らせるようになりました(マテオ聖福音書6・24)(訳注後記).かくして,財貨およびサービスの交換で召使("servant",使用人)の役をするはずのお金が,その本来の性質を離れ,世界経済の主("master",あるじ,主人)である近代金融へと姿を変えてしまいました.このプロセスの中で,あらゆる分野で山のように膨(ぼう)大な支払い不能な負債が発生したり,世界を目に見える銀行もしくはそれを陰で操(あやつ)る目に見えない管理者たちの奴隷にしていますが,ここでカギとなる役割を果たしているのは中世以降に広まった小額準備金銀行(原文: “fractional reserve banking” )制度です.
お金が経済に役立つとなると,賢明な国家は流通するお金の全体量を自国経済で交換される財貨の全体量に合わせて上下させ,お金の価値が安定するように努めます.財貨の供給が少ないのにお金が多すぎればインフレによってお金の価値は下がります.逆に,財貨供給が多いのにお金の流通量が少なすぎると,デフレでお金の価値が上昇します.どちらになっても,お金の価値が変動し財貨の交換を不安定なものにしてしまいます.さて,預金者がお金を預ける銀行はどう行動するでしょうか.現金( “real money” )のわずかな部分だけを準備金として残し,はるかに大量の流通紙幣( “paper money” )を支えればいいと考えます.そして,流通紙幣の量を増減させることによってお金の価値を操作し,安いお金を貸し出し高いお金の返済を求めて大金を儲けます.このようにして金融業は国家から支配権を奪うことが可能になります.
もっとひどいことに,小額準備銀行システムで銀行がお金を実社会から切り離し,それを意のままに変える( “fabricate”.=でっち上げる,ねつ造する)ことができ,さらに保有するおかしなお金( “funny money” )にわずかなりとも複利をかけることができるとすれば,経済からあらゆる実価値( “real value” )を吸い上げることが理論的に可能ですし,実際にそのように行動します.銀行は預金者を借り手に,大半の借り手を絶望的な借金奴隷,住宅ローン奴隷に陥(おとしい)れ,自らの利益のために金の卵を産むガチョウを完全に殺さない程度(ていど)に面倒を見るだけです.神の啓示を受けた律法(神授の法)授与者モーゼの知恵は,全ての貸し手の権限を抑(おさ)えるため負債はすべて7年ごとに棒引(ぼうび)きにする(第二法〈申命〉書 15・1-2参照),あらゆる資産は50年ごとに元の持ち主に戻す(レビ書15・10参照)こととする,と定めました! (訳注後記)
偉大な神の人であり神よりの深い霊性を湛(たた)えたモーゼが,このように物質的な諸問題にまで関心を寄せたのはなぜでしょうか? それは,荒廃した経済が人々を絶望に追いやり,神から引き離し地獄に向けさせるからです - 今日,それより明日がどうなるかあなたの周(まわ)りを見渡してください - 経済がうまくいけば,拝金主義( “worships Mammon” )などが幅をきかせない賢明な繁栄が可能になり,人々が神の善意を信じ神を崇拝し愛することがもっと容易になるでしょう.人はしょせん霊魂と肉体から成るものなのです.(訳注後記)
モーゼならきっと小額準備銀行システムなど粉砕(ふんさい)したでしょう.ちょうど彼が金の子牛 “Golden Calf” をこなごなに砕(くだ)いたように.(訳注後記)
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第2パラグラフの訳注:
新約聖書・マテオによる聖福音書:第6章24節
* * *
第4パラグラフの2つの訳注:
①旧約聖書・第二法の書:第15章1-2節
②同・レビの書:第15章10節
* * *
第5パラグラフ最後の訳注:
「人はしょせん霊魂と肉体から成るものなのです.」について.
人間は霊魂だけでなく,身体も一緒にかかえて生きているので,生きていく為には実生活面(経済)のケアも必要なのだ,という意味合い.
→主祷文〈主の祈り〉から…
・「…我らの日用の糧を今日我らに与え給え.」…経済面のケア
・「我らが人に赦すごとく我らの罪を赦(ゆる)し給え.我らを試みに引き給わざれ.我らを悪より救い給え.」…霊魂のケア
→新約聖書・マテオ聖福音書:第6章24-33節参照.
(31節から〈33節…太字〉)
『…何を食べ,何を飲み,何を着ようかと心配するな.それらはみな異邦人(=不信心な人)が切に望むことである.天の父はあなたたちにそれらがみな必要なことを知っておられる.だから,まず神の国とその正義を求めよ.そうすれば,それらのものも加えて与えられる.明日のために心配するな.明日は明日が自分で心配する.一日の苦労は一日で足りる.』
* * *
第6パラグラフの訳注:
「金の子牛 “Golden Calf” 」について:
旧約聖書・脱出の書:第32章を参照.
(エジプトを脱出してきたイスラエルの民は,預言者モーゼの留守中に金の子牛をつくり祭壇を設けてその鋳物の子牛を民を導く神として拝んだ.)
* * *
引用されている聖書の箇所は後から追加いたします.
* * *