2010年8月30日月曜日

まん延する非現実性

エレイソン・コメンツ 第163回 (2010年8月28日)

先週、私は2008年以来初めて私的目的でアメリカを訪れました.私は,問題なく出入国できましたが,友人の誘いで最近のアメリカ経済の低迷により荒廃した主要都市のひとつを2時間かけて周るツアーに出かけたとき,圧倒されるような難問をいくつか目の当たりにしました:--

私たちは車でその都市に向う途中,郊外の小ぎれいな住宅街を通過しました.以下は友人の話です.「いかにも値の張りそうな高級住宅に見えるでしょう?でも実際は,どれも安普請の家ばかりです.似たり寄ったりの家ばかりで,実際の価値をはるかに上回る価格で売り出されたものです.こうした住宅は,クリントン大統領時代(1992年-2000年)の物質主義,膨張したクレジット,過度の浪費の上に築かれた偽の楽園で給料ぎりぎりの生活をしながらも夢を見ていた人たちが,どこからともなく調達したお金で購入したものです.彼らは失職すると,いま実際多くの人がそうなっていますが,買った家の価格の半分でも取り戻せれば幸運なほうです.こうした人たちは実際に役立つ能力も商売も持ち合わせていません.彼らの住む世界は口先滑らかな無意味なたわごとしか存在しない世界なのです・・・」

「彼らの多くは,私たちが今到着したこの場所,すなわち都心に近い住宅地から逃げ出した白人たちです.ご覧の通り,板で打ち付けられたり,放棄されたり,荒廃した家々の間に取り壊された家の後にできた空き地があり,あたかも繁栄を錯覚させるようです.しかし,失われた雇用は回復しませんから,繁栄に復帰する現実的な基盤は何もないのです.ご覧になっている小ぎれいな家並みは,財政破綻した市が住宅計画に従って連邦政府から借り入れた資金で修繕あるいは再築したものです.それがなされる理由は,小ぎれいにしておけばあまり手入れの必要がないからですが,それでもこうした家はじきに再び老朽化するでしょう.政府助成の中には,対象となる人々にとり害あって益なしというものがあります.人々を支援するかのように思われて実は助成に依存しなければ生きていけない状況に彼らを追い込むからです・・・」

「いよいよ私たちは下町に入ってきました.ご覧の通り立派な高層ビルがいくつも並んでいますが,人通りはほとんど途絶えています.これらの高層ビル街は,この都市がかつて巨大な産業中心地だった1920年代に建てられたものです.第二次世界大戦後,アメリカ合衆国は産業界での優位な地位を失い始めました.私が見るところ,レーガン大統領時代(1980年-1988年)の頃,一般市民がクレジットカードを使えるようになったことによる誤った景気刺激策が始まりました.1990年代には,この都市で非白人の市長が選出され,彼は景気回復に全力で取り組みました.この立派なビル街のいくつかのビルは彼の業績で建てられたものです.しかし彼は落選してしまいました.その理由は彼が有権者たちとは異質だったからです・・・」

「経済は危機一髪の状態ですが,人々は一年もすれば万事がうまく解決し良くなると思っています.彼らは,政府がもっと多くの紙幣を印刷するかデジタル化しさえすればうまく行くと考えています.国の事態がいかに深刻で重大な局面に陥っているかを理解している人々は5パーセントかそれ以下で,自国の破綻の局面で宗教が何らかの役割を果たすと考える人々は1パーセント以下です.人々は問題の根本的あるいは現実的な解決方法ではなく,ただ応急処置としてのバンドエイドを探し求めるだけです.白人は大きな後ろめたさを感じており,そのことを認めないまま没落しています.巨大な問題が存在しており,誰もが気づきかつ承知しているのに誰一人そのことを語ろうとしません・・・」

それでも,この都市から50マイルの範囲内では聖ピオ十世会の教区と学校とが,その荒廃から立ち直る一つの解決策を具現するように力強く育っています.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教