エレイソン・コメンツ 第154回 (2010年6月26日)
先週の「エレイソン・コメンツ」で私は,教皇ヨハネ23世以後の教皇はみな全く教皇ではなかったと信じている「教皇空位主義者」に共感しているかのように思われる論評で始め,権威のない聖ピオ十世会を物笑いの種にしてからかったカスパー枢機卿に共感するかのような論評で終わりました.私は,その論評を読んで混乱した女性読者が少なくとも一人はいたと承知しています.おそらく混乱したのは彼女だけではなかったのではないでしょうか.だが,こうしたことはすべて,第二バチカン公会議いらいカトリック教の真理がカトリック教会権威から分離してしまっているという前提に立てば,誰にとってもつじつまの合う話なのです.
今日(こんにち),教会聖職者たちのカトリック教会権威は,私たちの主イエズス・キリストのカトリック真理と一つにまとまるべきです.なぜなら,人間の権威はひとえに神の真理を擁護しかつ指導するためにだけ存在しているからです.だが,あの忌むべき公会議(1962年-1965年)で,何世紀も続いたプロテスタント教の異端とリベラリズム(自由主義)による真理の崩壊が大半の公会議主義の神父たちの心にひっそりと入り込んでしまったため,彼らはカトリック教の真理の純正さを保つことを諦(あきら)めてしまい,この日にいたるまで,公会議の新しくかつ誤った人間の宗教をカトリック教徒たちに押し付けるためカトリック教会の全権威を利用し続けているのです.
その結果,カトリック信徒たちは必然的に,信徒同士のみならず自身の内面でもバラバラに引き裂かれてしまいました.それは,次の二つの場合を見れば明らかです.一部のカトリック信徒はカトリック教の真理に固執し,多かれ少なかれカトリック教会の権威を棄(す)てざるを得ませんでした.これが「教皇空位主義者」の見出(みいだ)した解決策です.カトリック教の真理に主眼を置けば,「教皇空位主義者」に十分共感できます.というのも,第二バチカン公会議が始まっていらい今日までの,最高位の聖職者たちによるカトリック教の真理に対する裏切り行為は,あまりにもひどいものだからです.
もう一方のカトリック信徒はカトリック教会の権威に固執し,多かれ少なかれカトリック教の真理を棄てるという選択をしました.こちらはカスパー枢機卿の解決策です.カトリック教会の権威に主眼を置くなら,同枢機卿が教皇ベネディクト16世に忠誠心を持つことに共感できます.同時に,枢機卿が,まったく権威のない,依然として事実上破門されたままの聖ピオ十世会からカトリック信徒でないと非難されて微笑みを浮かべたのも理解できるのです.
だが,ルフェーブル大司教(訳注・ “Archbishop Marcel Lefebvre” (1905-1991) フランス人.「聖ピオ十世会」の創立者.)は,カトリック教の真理と教会権威の両極の間で,第3の道を選んだのです.聖ピオ十世会は,その第3の道に従っているのですが,それは,カトリック教の真理に固執しながらも,同時にカトリック教会の権威を軽視することはせず,またその当局関係者たちの地位や立場を全体的として懐疑的に見ることもしない,という道です.それは,必ずしも常にたやすく保持できるバランスではありませんが,これまでに世界中でカトリック教の実を結んできており,公会議の砂漠(1970年-2010年)の中で今まで過ごしてきた40年もの間,真実かつ唯一のカトリック教義と真実なカトリック教の諸秘跡の上に立つカトリック信徒の忠実なカトリック信心の名残を維持してきました.
そして,私たちカトリックの羊たちは,ローマの牧者が打たれている間は,その公会議の砂漠に散り散りに置かれたままでいなければならないでしょう(旧約聖書・ザカリアの書:13章7節参照,ゲッセマニの園で私たちの主イエズス・キリストが引用された-新約聖書・マテオによる福音書26章31節参照.)(訳注・引用された聖書の箇所…後記参照).このカトリック教会のゲッセマニにおいて,私たちはともかく仲間の羊たちに深い哀れみをかけなければなりません.私が「教皇空位主義者」たちに,そしてある程度までリベラル派(自由主義者)にすら共感できるのはそのためです.しかし,このことは,決してルフェーブル大司教の第3の道が正道でなくなったことを意味するものではありません.たとえ第3の道が,しばらくのあいだ恐竜に飽きているように見えるとしてもです.たとえそうだとしても,私にはそのことさえも理解できるのです!
偉大なる神の御母がこの小さな修道会(聖ピオ十世会)をいつまでもお守りくださいますように!
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第6パラグラフの聖書の引用箇所2か所)
1.- 旧約聖書・ザカリアの書:第13章7節 -
剣よ,立って,私の牧者と,私にくみしているものを攻めよ.
―― 万軍の主のお告げ ――
牧者を殺せ,そうすれば,羊は散る.
そのとき,私は,小さなものに向かって,手をのばす.
(注釈)この「牧者」は,11章4-14節に出る「よい牧者」でもなく,11章15-16節に出る「悪い牧者」でもなく,一般に,主の代理者となっている「民のかしら」を指している.彼は,剣に打たれ,全人民は,試練を受けることとなる.羊は,牧者のない群れとなるのだから.このときになれば,民は,新しい契約のために,準備されるものとなる.マテオ福音(26章31節)は,「牧者を殺せ,そうすれば,羊は散る」の一句を,メシア(救世主イエズス・キリスト)にあてはめている.
(11章4-14,15-16節については,後日,別途に追加します.)
2.- 新約聖書・マテオによる福音書26章31節 -
(「最後の晩餐」にてイエズス・キリストは御聖体の秘跡を制定された後,弟子たちと讃美歌を歌ってからオリーブ山に出ていった)「…そのときイエズスは弟子たちに言われた,「今夜,あなたたちはみな私についてつまずくだろう.〈私(=神)は牧者を打ち,そして羊の群れは散る〉と書かれているからだ.…」
(注釈)「ザカリアの書13章7節」参照.弟子たちは,イエズスをメシア(救世主)と信じて勝利の日を待っていた.そのイエズスが,何の抵抗もせず死んで行くことを見ての宗教的つまずき.