2009年11月16日月曜日

女性らしさの再発見

エレイソン・コメンツ 第123回 (2009年11月14日)

城壁都市が包囲され,敵が絶えず城壁の一角に集中攻撃を仕掛けるときには,そこの住民は城壁のその部分を守り続けなければなりません.今日,人類の敵であるサタン(悪魔)は,本当の(true)女性らしさを攻撃し続けています.なぜなら,本当の女性なしには本当の母親も,本当の家族生活も,本当に幸福な子供たちも,最終的には本当の人間も存在し得ないからです.私は数か月前,かつてフェミニスト(男女同権論者)だった女性から手紙をいただきました.彼女は現在,私が「女性としての私たちの本質を確認し支援してくれた」と感じているそうで,そのことについて私に感謝したい,というのがその内容でした.私はその手紙に書かれた証言を全文ここで引用できればと思います.彼女の手紙はまさしく一級品ですが,以下がその簡潔な要約です.

1960年代半ばに生まれたときから暴力的で虐待的な父親に育ったため,私には初めからずっと父親像が欠落していました.私が14才の時に父親が死んでから,私はカトリックの信仰を拒絶して教会を去りました.自分の両親に愛されていなければ愛する神を信じることは困難なことです.教会を離れて私は過激なフェミニズム(男女同権主義)と異教信仰の信奉者となり,男の子の服装に劣る形で表現されているという理由からドレスの着用を嫌うようになりました.女性は弱いという考え方を私はいったいどこで得たのでしょうか?今の私は,女性は弱い存在ということでは全くなく,男性と違ったいろいろな面で強い存在なのだということを理解しています.

私は男性ができることは何でも自分にもできるということを証明しようと決心して大学に進学しましたが,その後,警察官として7年間を過ごすうちに,職務で必要とされる攻撃的積極性と支配性は全く自分の性分に合わない,またどんなに頑張っても決して男性と同じ位に身体的に強くなることはできないと実感しました.そこで私は自分の中の女性らしさを示すどんな兆候も弱さと同一視しました.同時に,急進的フェミニストとして,私は男性を憎み,男性は一人として必要とせず,その全てのフェミニストの遺物ゆえに,私はもう少しで結婚せずに終わるところでした.しかし年齢が30代半ばにさしかかった時,私は自分が余生を独りで過ごすリスクを冒していることを悟ったので,男性と付き合おうと決心しました.それからほどなく私は未来の夫と出逢いました.

魅力的になるからドレスを着て欲しいと夫に頼まれた時,私は激怒しました!しかし,彼を満足させるだけのために私はドレスを着てみました.それから,私の挙動は徐々に変化して,より女性らしく振舞い女性らしい気持ちの持ち方をするようになり,そのうち,その方が自分にとってより自然に感じられたので,自分が女性らしいと感じるのはとても気持ちが良いことだと発見しました.私たちが結婚してからしばらくすると,私の優先事項の順位は変化して,私は家に留まっていることをとても強く望むようになりました.私は職場でしっかりと自己主張することはできますが,それを楽しむことはありません.指導者の立場に立たないことを選ぶのは女性としての私には普通のことで,神が私をそのように設計されたからなのだと今の私は理解しています.私は自分の全職業人生を男性と競争して男性のようになろうと頑張って過ごしてきましたが,それは私を不幸にし失敗感を残しました.なぜなら,私は男性ではないので,どんなに試みても私は男性のようではないし,そのようになることもあり得ないからです.

私を26年後に教会に復帰できるようにしてくれたのは,夫の愛でした.私はじたばたして大騒ぎしましたが,神が私を呼ばれたのです!教会で,あらゆることが自分の記憶と少し違うことがわかりました.私はまず女性にかかわる問題すべてについての教会の立場に異を唱えることから始めました.しかし,聖書を読み進めていくうちに目が開けて,ほかの何にもまして,自分がどういう服装をするかによって自分の感情や人格さえも形作られるのだということを実感したのです.ドレスやスカートを着ると私は優しく女性らしい気持ちでより自然になれます.今私が受講中の女性の役割に関する教会の教えについての教育は,「神学院長からの書簡集」も含め,私が疑似男性ではなく一人の女性としての自尊心を得る助けとなっています.私たちの文化にフェミニズムが深くしみ込んで根付いてしまっているのは,すべての個人に不利益をもたらすことです.(証言の終わり.)

祝福された神の御母よ,私たちのために男らしい男性をもたらしてください.男らしい男性なしには女らしい女性をもつことなどほとんどできないからです.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教