2009年11月2日月曜日

正当な司教?

エレイソン・コメンツ 第121回(2009年10月31日)

新しい教会がもたらす秘跡(英語でsacrament. 訳注…神がカトリック教会の司教・司祭を通してカトリック信徒に授ける, 目に見えない神の恩寵 (神秘=secret,mystery)の目に見えるしるしをいう. 洗礼, 堅振(堅信), 聖体, 罪の赦し(罪の痛悔, 告白, 償いを含む. いわゆる告解), 病者の塗油, 叙階, 婚姻の7つ. ) の正当性に関する聖ピオ十世会のバランスのとれた立場を顕著に立証する記事が, 先週, ある闘うフランス人の会報誌 「クリエ・ドゥ・ティシィック “Courrier de Tychique” 」( “Tychique” は聖ティキコのフランス語訳. )に掲載されました. 「信頼筋」によれば, カトリック教会の古くからの敵であるフリーメーソンの組織が, カトリック教会の秘跡を無効にする目的で公会議革命を企てたようです. そのやり方は, 秘跡の形態を改変することでそれを自動的に無効にするのではなく, むしろカトリック教の典礼の意義を総じて曖昧にぼかしてしまうことによって, 司式司祭にとって欠かすことのできないサクラメンタル・インテンション( “Sacramental Intention”. 「秘跡授与に際しての意向」. 訳注…秘跡が有効に成立するためにはその秘跡を授ける司教・司祭の側と受ける側の双方が授受の正当な意向を有しかつその意向通りの行為を双方が正当に実行する必要がある. )を結局は骨抜きにしてしまおうというものです.

その「信頼筋」とは, リエナール枢機卿( Achille Liénart (1884-1973). フランス人枢機卿 )が死の床である老司祭に告白した話の一部をその司祭から直接聞いたフランス人の男性です. 枢機卿は疑いなく地獄に堕ちることを恐れて, 自分の告白を世間に明らかにし, そうすることで自分を告解の封印から解いてほしいとその司祭に請いました. 以来その老司祭は公の場からは距離を置くようにしていましたが, 非公式には枢機卿が自分に明かしたフリーメーソン組織のカトリック教会破壊にむけた三点からなる計画について率直に包み隠さず公表しました. その枢機卿は, 十七歳の若さでフリーメーソンに入会した後, 会によく仕え, 第二バチカン公会議が開幕したわずか二日後, カトリック伝統派が周到に用意した文書はすべて否決すべきと要求して, 公会議を完全に脱線させてしまったのです.

枢機卿によれば, 公会議におけるフリーメーソンの第一の目的は, 司式司祭の「教会のなすべきことを執り行う」ためのインテンション( “Intention”. 上述のサクラメンタル・インテンションの注釈に同旨)を終局的に弱体化させる程度に典礼を変えることでミサ聖祭を壊すことでした. 形の変わった典礼により, 司祭も信徒も, ミサ聖祭を神の怒りを和らげるためのなだめの犠牲としてよりはむしろ「追悼」あるいは「聖餐」として受け止めるように誘導されるというわけです. フリーメーソンの第二の目的は, 最終的に司教の叙階権を弱体化させることにつながる, 司教叙階式のための新しい典礼によって, カトリック教会の使徒継承 (注釈…神なるイエズス・キリストから使徒聖ペトロ(初代ローマ教皇)およびその後継者(カトリックの司教を指す. ローマ教皇はローマの司教である. )へと正統に継承されていること. カトリック教会は唯一かつ普遍(=公, カトリック)の使徒継承教会(公教会)である. ) を壊すことです. それも, 自動的にそれを壊すよほど新たな形態によってではなく, 疑いの種をまく程度に曖昧に変えられた典礼によって, 前述のように, その新しい典礼が総じて, 叙階する司教のサクラメンタル・インテンションを弱体化させるようにしようというわけです. このやり方は, 誰も気づかないほどひっそりと使徒継承を壊す利点を持つでしょう. これこそまさに, 現在の全ての敬虔なカトリック教徒が恐れる事態ではないでしょうか?

「信頼筋」による話ではありますが,いずれにせよ, 今日の新しい教会のミサ典礼および司教聖別(訳注…聖別とは, 神への永久の奉仕のために、人または物を世俗から引き離して区別し神に奉献する行為)の典礼は, まさに件の枢機卿が告白したフリーメーソンの計画に一致しています. 1960年代後半から1970年代初めにかけてこの新しい典礼が導入されて以来, 多くの真面目なカトリック教徒はそれが正しく活用され得ると信じるのを拒んできました. 嘆かわしいことに, 新しい形態の典礼は, かならずしも自動的に正当なものでないと分かるわけではありません(もしそうなら事はどんなに簡単でしょうか!). 実態はそれよりもなお悪いのです!新しい秘跡の形態は, 正当なものだと多くの司式司祭に信じ込ませるほど十分にカトリック的でありながら, 総じて曖昧かつ非カトリック的な解釈を暗示するように設計されているため, 「従順」すぎるか十分に気をつけずに祈る(訳注…つまり, 常に霊的に目を覚まして祈っていることをしない)ようなあらゆる司式司祭のインテンションを堕落させることによって, カトリック教の秘跡をやがて台無しにしていくのです.

新しい典礼はこうして, 短期的にはほぼ全員のカトリック教徒に受け入れられるほど有効であっても, 長期的にはあらゆる秘跡を無効にしてしまうほど曖昧であり, 悪魔的に巧妙な罠となっています. これを避けるためには, カトリック教徒はこうした新しい形態の典礼との関わりを一切避ける一方, 正しいカトリック教理から逸脱した大げさな神学上の告発を聞いても, カトリック信徒としての自身の健全な直感を疑うようなことがあってはなりません. 両者の均衡を保つのは必ずしも容易ではありません.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教