2014年11月1日土曜日

381 裏話 III 11/1

エレイソン・コメンツ 第381回 (2014年11月1日)

    私たちのファティマの聖母が6年前,聖ピオ10世会( SSPX )総長( "the Superior General of the Society of St Pius X (SSPX) " )に宛てられたメッセージの話を続けるには少し背景を説明しなければなりません( "To continue the story of Our Lady's messages to the Superior General of the Society of St Pius X (SSPX) six years ago, some background is needed." )(わたくしたちの ふぁてぃまの せいぼが ろくねん まえ,せい ぴお じゅっせい かい そうちょうに あてられた めっせーじの はなしを つづける には すこし はいけいを せつめい しなければ なりません).第二バチカン公会議(1962-1965年)はカトリック教会を無神論が憚る現代世界に折り合わせようと捻じ曲げてしまいました( "Vatican II (1962-1965) wrenched the Catholic Church off course to reconcile it with the godless modern world." )(だいに ばちかん こうかいぎ〈せん きゅうひゃく ろくじゅう に ねん から せん きゅうひゃく ろくじゅう ご ねん〉は かとりっく きょうかいを むしんろんが はばかる げんだい せかいに おりあわせようと ねじまげて しまい ました).そして,ルフェーブル大司教( "Archbishop Lefebvre" )(1905-1991年)が1970年,カトリック信徒たちを正しい道に留まらせる為 SSPX を設立しました( "Archbishop Lefebvre (1905-1991) founded the SSPX in 1970 to help Catholics to stay on course, …" ).大司教はその後21年間, SSPX に正しい道を辿らせました( "… and for 21 years he kept it on course. " )(そして,るふぇーぶる だいしきょう〈せん きゅうひゃく ご ねん から せん きゅうひゃく きゅうじゅう いち ねん〉がせんきゅうひゃく ななじゅう ねん,かとりっく しんと たちを ただしい みちに とどまらせる ため せいぴお じゅっせい かい〈えすえすぴーえくす〉を せつりつ しました.だいしきょうは そのご にじゅういち ねんかん,せいぴお じゅっせい かいに ただしい みちを たどらせ ました).だが,彼の死後間もなく,若い後継者たちは彼が切り開いた道を辿っていると誤って思い込んだのか(それとも自分を欺いたのか,神のみぞ知る事ですが),公会議派ローマとの和解を夢見るようになりました( "But as soon as he died, mistakenly convinced (or self-deluded, God knows) that they were still following him, his younger successors in fact dreamt of a reconciliation with Conciliar Rome. " )(だが,かれの しご まもなく,わかい こうけいしゃ たちは かれが きりひらいた みちを たどって いると あやまって おもいこんだ のか〈それとも じぶんを あざむいた のか,かみ のみぞ しることですが〉,こうかいぎは ろーま との わかいを ゆめみる ように なりました)

    2000年になると,公会議派指導者たちは SSPX(聖ピオ十世会)ローマの諸々のバシリカ(=大聖堂)(訳注・イタリア語=バジリカ)( "the Basilicas of Rome" )への聖年巡礼を成功させたことに強い関心を示し同会に目を向けました( "In 2000 the Conciliar leaders sat up and took notice of the SSPX when it made a highly successful Jubilee pilgrimage to the Basilicas of Rome." )(にせんねん になると,こうかいぎは しどうしゃ たちは せいぴおじゅっせい かい〈エスエスピーエクス〉が ローマの もろもろの ばしりか〈=だいせいどう〉への せいねん じゅんれいを せいこう させた ことに つよい かんしんを しめし どうかいに めを むけ ました). SSPX とローマとの接触が公然と (内密でなく) 再開され,ローマは SSPX を吐き出せないと知り,飲み込もうと本気で取り掛かり始めました( "Public (as opposed to private) contacts were re-opened between the SSPX and the Romans, who now set about swallowing that SSPX which they had proved unable to spit out." )(せいぴお じゅっせい かいと ろーま との せっしょくが こうぜんと 〈ないみつ でなく〉 さいかい され,ろーまは せいぴおじゅっせい かい を はきだせない としり,のみこもうと ほんきで とりかかり はじめました.).「話し合いましょう」とローマの指導者たちは SSPX に伝えました( " “Let us talk,” they said. " ). SSPX 指導部は「あなた方はトレント公会議様式によるミサ聖祭の執行を自由化し,1988年6月30日に聖別を受けた SSPX の司教たちに対する破門を解除して誠意を示さなければなりません」と,初め用心深いように見えました( "The SSPX leaders appeared to be wary: “You must prove your good will by liberating the Tridentine Mass and lifting the excommunications imposed on the SSPX bishops consecrated on June 30, 1988”." )(「はなし あい ましょう」と ろーまの しどうしゃ たちは せいぴお じゅっせい かいに つたえ ました.せいぴお じゅっせい かい しどうぶは「あなたがたは とれんと こうかいぎ ようしきに よる みさ せいさいの しっこうを じゆうか し,せん きゅうひゃく はちじゅうはち ねん ろくがつ さんじゅうにちに せいべつを うけた せいぴお じゅっせい かいの しきょう たちに たいする はもんを かいじょ して せいいを しめさなければ なりません」と,はじめ ようじん ぶかい ように みえました).その時,少なくとも表向きには何も起きませんでした.双方にとって和解という考えは機が熟すまで時間が必要だったからです( "Little then happened, at least in public, because on both sides the idea of reconciliation needed to mature, …" )(そのとき,すくなく とも おもてむき には なにも おきません でした.そうほうに  とって わかい という かんがえは きが じゅくす まで じかんが ひつよう だった から です).だが,2006年に和解派の首謀者フェレー司教が総長に再選されました( "… but in 2006 Bishop Fellay, SSPX ringleader of the reconciliation, was re-elected Superior General." ).私たちが前回までのエレイソン・コメンツで見た通り,これはこの話の主題である聖母のメッセージによるご介入が始まった直後の事でした( "As we have seen, this was soon after Our Lady began to intervene with the messages of which we are telling the story." )(だが,にせん ろくねんに わかい は の しゅぼうしゃ ふぇれー しきょうが そうちょうに さいせん されました.わたくし たちが ぜんかい までの えれいそん・こめんつで みたとおり,これは この はなしの しゅだい である せいぼの めっせーじに よる ごかいにゅうが はじまった ちょくごの こと でした)

    同じ2006年,フェレー司教は聖母からロシアの奉献実現の為のロザリオ聖戦を組織して欲しいとのご要請を受けました.だが,彼はそのお求めをローマとの話し合いの第1前提条件,即ちトレント・ミサ聖祭自由化の為に利用しようと方向転換しました( "In 2006 her desire for a Rosary Crusade for Russia's Consecration was adopted by Bishop Fellay, but re-directed by him towards the first pre-condition for talks with Rome, the liberation of the Mass." ).(おなじ にせん ろく ねん,ふぇれー しきょうは せいぼ から ロシアの ほうけん じつげんの ための ろざりお せいせんを そしき して ほしい との ごようせいを うけました.だが,かれは その おもとめを ろーま との はなしあいの だいいち ぜんてい じょうけん,すなわち とれんと・みさ せいさい じゆうかの ために りよう しようと ほうこう てんかん しました).翌2007年,教皇ベネディクト16世は教令 ( "Motu Proprio " )を出し,この条件の一部を満たしました( "In 2007 Benedict XVI partially satisfied the pre-conditon with his Motu Proprio." ).フェレー司教は条件が完全に満たされたと喜び,第2の前提条件である破門の解除に向けて動き続けました( "Rejoicing as though it were a complete satisfaction, Bishop Fellay moved on to the second pre-condition, the lifting of the excommunications, …" )(ふぇれー しきょうは じょうけんが かんぜんに みたされたと よろこび,だいにの ぜんてい じょうけん である はもんの かいじょに むけて うごき つづけ ました).ところが私たちの聖母は教皇教令 直後の2007年8月に一連のメッセージを送り始められ,第2回ロザリオ聖戦はロシアの奉献実現だけを目的とすべきだとしつこくお求めになりました( "… whereas Our Lady, immediately after the Motu Proprio, began a series of messages in August of 2007 insistently requesting that any second Rosary Crusade be dedicated to the Consecration of Russia." )(ところが わたくし たちの せいぼは きょうこう きょうれい ちょくごの にせん ななねん はちがつに いちれんの めっせーじを おくり はじめられ,だい にかい ろざりお せいせんは ろしあの ほうけん じつげん だけを もくてきと すべきだ と しつこく おもとめに なりました).しかし,フェレー司教はこれがローマ教皇庁の人々に受けない事を知っていた為,お求めに応じると確約しませんでした( "But Bishop Fellay would not commit himself because he knew that this Consecration did not appeal to the Romans." )(しかし,ふぇれー しきょうは これが ろーま きょうこうちょうの ひとびとに うけない ことを しっていた ため,おもとめに おうじると かくやく しません でした).ローマもフェレー司教も第二バチカン公会議とカトリック教の伝統という和解出来ないものを和解させる為,話し合いたいと望んでいました( "They wanted talks, and so did he, to reconcile the irreconcilable, Vatican II and Catholic Tradition." )(ろーまも ふぇれー しきょうも だいに ばちかん こうかいぎと かとりっくきょうの でんとうと いう わかい できない ものを わかい させる ため,はなし あいたいと のぞんで いました).さて,ここで裏話を続ける事が出来ます( "Now we can continue with the story." )(さて,ここでうらばなしをつづけることができます)

    2008年初め,私たちの聖母はフェレー司教が相変わらず尻込みしているのをお知りになり,使者を通して「(第2回)ロザリオ聖戦を破門解除の為に利用しないように」とはっきり述べられ( "In early 2008 Our Lady, observing how the Bishop was still hesitating, told him quite firmly through the messenger that he was “not to use the (second) Crusade for the intention of lifting the excommunications”, …" ),もし司教がこれに反したら「結果は SSPX にとって致命的なものになるでしょう」とお伝えになりました( "… and that if he did, “it would be fatal for the Society of St Pius X.” " )(にせん はちねん はじめ,わたくし たちの せいぼは ふぇれー しきょうが あいかわらず しりごみ している のを おしりになり,ししゃを とおして「(だいにかい)ろざりお せいせんを はもん かいじょの ために りよう しない ように」とはっきり のべられ,もし しきょうが これに はんしたら「けっかは せいぴお じゅっせい かいに とって ちめいてきな ものに なる でしょう」と おつたえに なりました).聖母は自分はそのような努力の何れも祝福は致しませんが,忠実な信徒たちが(聖母に)捧げる無数のロザリオ祈願を通じ果たすロザリオ聖戦によって得られる果実(訳注・「果実」=「ロザリオ聖戦を通じ神が地上に御与え下さる特別の『恩寵』」.「ロシア奉献」は神の御心であるから,聖母が神よりのメッセージを人類にお伝えになっておられる.)をせめて破門解除以外の目的に活用するよう付け加えられました( "She added that she would not bless any such effort, but would instead use the rosaries prayed by the faithful for other purposes." )(せいぼは じぶんは そのような どりょくの いずれも しゅくふくは いたしませんが,ちゅうじつな しんと たちが 〈せいぼに〉 ささげる むすうの ろざりお きがんを つうじ はたされる ろざりお せいせん によって えられる かじつ〈やくちゅう・かじつ=「ろざりお せいせんを つうじ かみが ちじょうに おあたえ くださる とくべつの 『おんちょう』= 「ろしあ ほうけん」は かみの みこころで ある から,せいぼが かみ よりの めっせーじを じんるいに おつたえに なっておられる.〉を せめて はもん かいじょ いがいの もくてきに かつよう するよう つけくわえ られました).そして,聖土曜日の3月22日,聖母は「フェレー司教に対し,聖父さま〈=教皇.「きょうこうさま」〉 "Holy Father" )が如何に善意でおられようと,彼(フェレー司教)はこれ以上にローマに近づく事は出来ないと伝えるように」と,極めて具体的に述べられました( "And on March 22, Holy Saturday, she said most specifically, “Tell Bishop Fellay that he cannot move any closer to Rome than he already is, however well-intentioned the Holy Father may be.” " ).聖母は「覚えておきなさい,聖父さまが如何に善意でおられようともです」と繰り返されました( "And she repeated, “Remember, however well-intentioned the Holy Father may be.” " )(そして,せい どようびの さんがつ にじゅうに にち,せいぼは「ふぇれー しきょうに たいし,きょうこうさまが いかに ぜんいで おられようと,かれ〈ふぇれー しきょう〉は これ いじょうに ろーまに ちかづく ことは できないと つたえる ように」と,きわめて ぐたいてきに のべられ ました.せいぼは「おぼえて おきなさい,きょうこうさまが いかに ぜんいで おられよう とも です」と くりかえされ ました.)

    このメッセージが信仰擁護の為如何に適切なものだったか,この裏話が表(おもて)で起きた事実と如何に完全に符号しているかを指摘する為,ここで再び話を中断します( "Let the story again be interrupted to point out how pertinent this message was for the defence of the Faith, and how perfectly this inside story corresponds to the outside facts." )(この めっせーじが しんこう ようごの ため いかに てきせつな もの だったか, この うらばなしが おもてで おきた じじつと いかに かんぜんに ふごう して いるか を してき する ため,ここで ふたたび はなしを ちゅうだん します).真の信仰の為の世界最後の砦の先頭に立ちながら,フェレー司教はそれを信仰の恐ろしい敵である公会議派ローマ人の下に戻したい気持ちになっています( "At the head of the last worldwide bastion of the true Faith, Bishop Fellay is being tempted to put it back under the Conciliar Romans, terrible enemies of that Faith." ).司教は現代世界を理解していない為,公会議派教会がカトリック教会だと信じ,その指導者たちの善意を信頼しています( "Because he does not understand the modern world, he believes that the Conciliar Church is the Catholic Church and he trusts in the good intentions of its authorities …" )(それとは反対に,ルフェーブル大司教はローマ当局者たちと何年も交渉した後で,彼らをひそかに「蛇」だと評しました)( "… (on the contrary Archbishop Lefebvre, after years of negotiations with the Roman authorities, described them – in private – as “a snake”)." )(まことの しんこうの ための せかい さいごの とりでの せんとうに たち ながら,ふぇれー しきょうは それを しんこうの おそろしい かたき〈=てき〉である こうかいぎは ろーま じんの もとに もどしたい きもちに なっています.しきょうは,げんだい せかいを りかい していない ため,こうかいぎは きょうかいが かとりっく きょうかいだと しんじ,そのしどうしゃ たちの ぜんいを しんらい しています.〈それとははんたいに,るふぇーぶる だいしきょうは ろーま とうきょくしゃ たちと なんねんも こうしょう した あとで かれらを ひそかに「へび」だと ひょうし ました〉.従って,もしこの裏話が本当で,フェレー司教が間違った決断を下すなら( "So if this inside story is true, and if Bishop Fellay makes the wrong decision, …" ), SSPX は万事終わりです( "… the SSPX is doomed." )(したがって,もし この うらばなしが ほんとうで,ふぇれー しきょうが まちがった けつだんを くだす なら,せいぴお じゅっせい かいは ばんじ おわり です).実際,なにが起きたでしょうか? (続く) ( "What happened ? (To be continued.) " )(じっさい,なにがおきたでしょうか? 〈つづく〉)

    キリエ・エレイソン.

    現代世界も 第二バチカン公会議も
    間違っています.
    (げんだい せかいも
    だいに ばちかん こうかいぎも
    まちがって います)

      ( "The modern world and Vatican II
            are wrong. " )

    F司教はどうでしょうか?
    初めからずっと間違っています.
    (えふ しきょうは どう でしょうか?
    はじめから ずっと まちがって います)

        ( "And Bishop F. ? Mistaken all along. " )

    リチャード・ウィリアムソン司教




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聖母についての訳注を追って追加掲載いたします.

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(注:本投稿記事〈第381回エレイソン・コメンツ「裏話 III〈うらばなし さん〉 」〉は2014年12月1日22:55時-12月2日に公開されました.)