エレイソン・コメンツ 第350回 (2014年3月29日)
2か月前,自らを無神論者と公言する人物(みずからを むしんろんじゃと こうげんする じんぶつ)がフランス(ふらんす)で85歳の誕生日(はちじゅうごさいの たんじょうび)を迎(むか)えました( "Two months ago a self-declared atheist celebrated in France his 85th birthday, …" ).真の宗教の信者(まことの しゅうきょうの しんじゃ)はすべて,この人物(じんぶつ)に深く感謝(ふかく かんしゃ)しなければなりません( "… to whom all theists of the true religion owe a serious debt of thanks, …" ).なぜなら,嘘(うそ)のあふれる今日の世界(こんにちの せかい)にあって,この人物ロベール・フォーリッソン教授(ろべーる・ふぉーりっそん きょうじゅ)( "Professor Robert Faurisson" )は真実の強力な擁護者(しんじつの きょうりょくな ようごしゃ)であり続(つづ)けているからです( "… because in today’s world of lies Professor Robert Faurisson has been a powerful defender of truth." ).私個人(わたくし こじん)としては,真の神を信じる(まことの かみを しんじる)もっと多くの人々(おおくの ひとびと)が彼(かれ)のように真実を見抜く(しんじつを みぬく)知性(ちせい),正直(しょうじき),そしてその真実を語る勇気(しんじつを かたる ゆうき)を持(も)つよう望(のぞ)みます( "I for one might wish that many more believers in the true God would have his intelligence and honesty in discerning the truth, and his courage to tell it." ).
たとえば,第3帝国(だいさん ていこく)のガス室(がす しつ)で600万人(ろっぴゃく まんにん)が犠牲者(ぎせいしゃ)となったのが歴史的事実(れきしてき じじつ)だったかどうかについて( "For instance, whether or not it is a historical fact that there were six million victims of gassing in gas chambers of the Third Reich, …" ),フォーリッソン教授は,それは感情や立法(かんじょうや りっぽう)でなく,事実と科学的証拠(じじつと かがくてき こんきょ)によって解決すべき歴史問題(かいけつ すべき れきし もんだい)として扱(あつか)うべきだと主張(しゅちょう)しています( "… Prof. Faurisson insists on treating it as a historical question to be settled by the facts and scientific evidence, and not by emotion and legislation …" )――これ以上(いじょう)理に適った見方(りに かなった みかた)があるでしょうか?( "… – what could be more reasonable ? " ) だが,この問題(もんだい)について現代人の多く(げんだいじんの おおく)は理性に耳を貸そう(りせいに みみを かそう)としません( "And yet on this particular question a mass of our contemporaries will not listen to reason." ).彼らの心(かれらの こころ)はまだ機能(きのう)しているのでしょうか?( "Are their minds still functioning ? " ) 教授(きょうじゅ)が優れた(すぐれた)学者らしい心(がくしゃらしい こころ)をもって歴史問題(れきし もんだい)はそれ以外(いがい)でなく歴史の問題(れきしの もんだい)として扱(あつか)うべきだと方向を示して(ほうこうを しめして)いることに心から感謝(こころから かんしゃ)します( "Our warm gratitude goes to the Professor for bringing an excellent and scholarly mind to bear on a historical question as a question of history and not of something else." ).
読者の皆さん(どくしゃの みなさん)は,ほかになにか例(れい)があるかと疑問を感じ(ぎもんを かんじ)ているでしょうか?( "Something else ? " ) 再(ふたた)び,その600万人が歴史的現実(れきしてき げんじつ)であるかどうかについて,同教授(どう きょうじゅ)は彼ら(かれ ら)はいずれにせよ世俗宗教の立場(せぞく しゅうきょうの たちば)を獲得(かくとく)したと述(の)べています( "Again, whether or not the Six Million are a historical reality, it is the Professor who states that they have in any case acquired the status of a secular religion. " ).私たちの時代(わたしたちの じだい)に何(なに)が主たる宗教(しゅたる しゅうきょう)として役立つか(やくだつか)を見極める(み きわめる)のに神を信じない(かみを しんじない)とおもえる人物(じんぶつ)を必要(ひつよう)とするのでしょうか?( "Does it take a supposedly irreligious man to discern what serves as the main religion of our times ? " ) 私は諸カトリック信徒(しょ かとりっく しんと)の中(なか)に自分たちの真の宗教(じぶんたちの まことの しゅうきょう)にとって今日(こんにち)なにが主だったライバル(おも だった らいばる)なのかを見(み)て,口(くち)にする積極性を持つもの(せっきょくせいを もつ もの)が2-3人(に さん にん)でもいたらいいのにとおもいます( "I might wish a few more Catholics would have the gumption to see and say what is today’s main rival to their true religion. " ).フォーリッソン教授(ふぉーりっそん きょうじゅ)が2008年(にせん はちねん)にこの問題(もんだい)について書(か)いた記事の要約(きじの ようやく)を以下(いか)にご紹介(しょうかい)します:-- ( "Here is a very brief overview of an article written on the subject in 2008 by Professor Faurisson:-- " )
(以下記事の要約)
(いか きじの ようやく)
600万人(ろっぴゃく まんにん)は独自(どくじ)の教義(きょうぎ),諸々の戒律(もろもろの かいりつ),布告(ふこく),預言者(よげんしゃ),高僧(こうそう),また聖者(せいじゃ)たちすなわち:… ( "The Six Million constitute a lay religion with its own dogma, commandments, decrees, prophets, high priests and Saints: …" ) …聖アンネ(フランク)( "… St Anne (Frank) " ), 聖サイモン(ビィーゼンタール)( "St Simon (Wiesenthal) " ), 聖エリー(ビーゼル)( "St Elie (Wiesel) " ) を備(そな)えた俗人宗教(ぞくじんしゅうきょう)を構成(こうせい)しています ( "… St Anne (Frank), St Simon (Wiesenthal), St Elie (Wiesel)." ). それは独自(どくじ)の諸聖地(しょ せいち),独自の諸儀式(しょ ぎしき),独自の諸巡礼(しょ じゅんれい)を持(も)っています( "It has its holy places, its rituals and its pilgrimages." ).そして独自の諸神殿(しょ しんでん),独自の諸遺跡(しょ いせき)(積み重ねた石鹸,靴など)(つみかさねた せっけん,くつ など),独自の諸々の殉教者(しょ じゅんきょう しゃ),英雄(えいゆう),奇跡(きせき),および奇跡的生存者(数百万人)(きせきてき せいぞんしゃ)〈すうひゃくまんにん〉,金色の伝説(きんいろの でんせつ),道理(どうり)をわきまえた人々(ひとびと)を持(も)っています( "It has its temples and its relics (bars of soap, piles of shoes, etc.), its martyrs, heroes, miracles and miraculous survivors (millions of them), its golden legend and its righteous people." ).アウシュビッツ(あうしゅびっつ)はその宗教(しゅうきょう)にとってのゴルゴタ(ごるごた)です( "Auschwitz is its Golgotha,…" ).ヒトラー(ひとらー)はその宗教の悪魔(しゅうきょうの あくま)です( "… Hitler is its Satan." ).その宗教はその法(ほう)を諸国(しょこく)に押し付け(おしつけ)ます( "It dictates its law to the nations." ).その宗教心(しゅうきょうしん)はエルサレム(えるされむ)のヤド・ベシェム(やど・べしぇむ)記念館 (きねんかん)(訳注・ホロコーストの犠牲者達〈ぎせいしゃたち〉を追悼〈ついとう〉するためのイスラエルの国立記念館(いすらえるの こくりつ きねんかん)で脈打ち(みゃく うち)ます( "Its heart beats in Jerusalem, at the Yad Veshem monument." ).
それは第二次世界大戦(だいにじ せかい たいせん)いらい華々(はなばな)しい成長(せいちょう)を享受(きょうじゅ)してきた新宗教(しん しゅうきょう)です( "It is a new religion that has enjoyed a meteoric growth since World War II." ).それは西側諸国(にしがわ しょこく)を征服(せいふく)し,いまや世界(せかい)を征服しようとしています( "It has conquered the West and is setting out to conquer the world." ).私たちの消費者社会(しょうひしゃ しゃかい)で科学的な考え方(かがくてきな かんがえ かた)が進(すす)んだため( "Whereas the progress of scientific thinking in our consumer society, …" )人々が宗教の物語の真実(しゅうきょうの ものがたりの しんじつ)や宗教が提供する約束(しゅうきょうが ていきょうする やくそく)をますます疑(うたが)うようになり,あらゆる古典的な宗教(こてんてきな しゅうきょう)の支配力(しはいりょく)が弱(よわ)まってきています( "… has weakened the grip of all the classic religions by making people more and more sceptical as to the truth of religion’s stories and the promises religion holds out,… " ).これと対照的(たいしょう てき)に,この新宗教(しん しゅうきょう)はますます栄(さか)え( "the new religion prospers …" )その基本教義(きほん きょうぎ)を否定する者(ひてい するもの)は「修正主義者(しゅうせい しゅぎしゃ)( "Revisionist" )」の烙印(らくいん)を押(お)され( "… to the point that anybody caught denying its basic dogma is branded as a “Revisionist”,…" ),地域(ちいき)からのけ者(のけもの)にされ( "… is cast out of the community,…" ),かつての異端者(いたんしゃ)と同(おな)じように扱(あつか)われるようになっています( "… and is treated like only heretics used to be treated." ).それは事実上の宗教(じじつじょうの しゅうきょう)であり( "It is in effect a religion,…" ),今日では主要な手段(こんにちでは しゅような しゅだん)( "a major instrument" )となっており( "… and it is today a major instrument,…" ),言(い)ってみれば( "… and, one might say,…" ),神を信(かみをしん)じない新世界秩序(しんせかい ちつじょ)( " the godless New World Order" )の人気宗教です( "… the popular religion of the godless New World Order." ).
(要約終わり)
(ようやく おわり)
フォーリッソン教授は新宗教の成功(しんしゅうきょうの せいこう)は,消費者社会の持つ(しょうひしゃ しゃかいの もつ)宣伝・販売技術(せんでん・はんばい ぎじゅつ)をうまく活用(かつよう)したからだと論(ろん)じています( "The Professor argues that this success can be attributed to its resorting to the consumer society’s own techniques of advertising and selling." ).私はこの点(てん)で,教授(きょうじゅ)が宗教的大局観(しゅうきょうてき たいきょくかん)を欠(か)いているように思(おも)います( "Here I think he does lack the religious perspective." ).成功に対する主な説明(せいこうに たいする おもな せつめい)はなんといってもかつてキリスト教だった諸国(きりすときょう だった しょこく)の背教(はいきょう)でしょう( "Surely the apostasy of the once Christian nations is the main explanation." ).キリストは神(きりすとは かみ)です( "Christ is God." ).神(かみ)が排除(はいじょ)されれば( "When God is pushed out, …" ),神はその背後(はいご)になにかで満(み)たされなければならない大(おお)きな空虚感(くうきょかん)を残(のこ)します( "… he leaves behind him a huge void which must be filled by something." ).新宗教の後援者(しんしゅうきょうの こうえんしゃ)たちは歴史的(れきしてき)に代替宗教を作り出す(だいたいしゅうきょうを つくりだす)という類(たぐい)まれな本能(ほんのう)を持(も)っています( "The promoters of the new religion have by their history a matchless instinct for the fabrication of substitute religions." ).それはさておき( "But be that as it may, …" ),私は疑い深い(うたがい ぶかい)教授(きょうじゅ)が真実(しんじつ)のためにした英雄的行為(えいゆうてき こうい)に,人間的に見れば(にんげんてきに みれば),受けて当然(うけて とうぜん)の神からのご褒美(かみからの ごほうび)がいただけるよう信者(しんじゃ)たちが彼のために祈るよう(かれの ために いのるよう)勧め(すすめ)ます( "… I would invite believers to pray for the unbelieving Professor so that he may collect the divine reward which, humanly seen, he deserves for the heroic services which he has rendered to the truth." ).
キリエ・エレイソン.
要約:( "Summary: …" ) 第二次世界大戦(だいにじ せかい たいせん)で有名(ゆうめい)になった600万人(ろっぴゃく まんにん)は正真正銘の宗教(しょうしん しょうめい の しゅうきょう)に姿(すがた)を変え(かえ)られました( "The famous Six Million of World War II have been turned into a veritable religion …" ). 彼ら(かれら)はそのことを無神論者(むしんろん じゃ)にまで認め(みとめ)させるのでしょうか?( "… – does it take an atheist to recognize that ? " )
リチャード・ウィリアムソン司教
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(訳注)
「代替宗教」(だいたい しゅうきょう)
=ある宗教に代わる別の宗教(ある しゅうきょうに かわる べつの しゅうきょう)のこと.