2011年1月13日木曜日

アッシジイズムはノー!

エレイソン・コメンツ 第182回 (2011年1月8日)

ルフェーブル大司教の聖ピオ十世会が教皇ベネディクト16世下のローマ教皇庁との間で,よからぬ合意をまとめようとしているのではないかといぶかっている人たちがいぜんいらっしゃるようです.だが,色々ある中でもアッシジイズム(訳注・原文“Assisi-ism”.注釈後記)についていえば,教皇ベネディクト16世ご自身はそのようなことが起きないよう最善を尽くしておられると言えるのではないでしょうか.

六日前,教皇は世界の「偉大な諸宗教」は人類の平和と結束(一致)の「重要な要素」たり得ると論じられました.その翌日,教皇は1986年,前教皇ヨハネ・パウロ2世によりイタリア・アッシジで開催された世界諸宗教合同祈祷集会の25周年を祝うため今年10月に同地へ「巡礼として」赴(おもむ)くと発表しました.しかし,「世界の偉大な諸宗教」が世界平和に貢献するといった論議はルフェーブル大司教が断固受け入れを拒んだことですし,この1986年のアッシジ祈祷会の実践(実行)は(神の十戒の)第一戒(律)に対する公然たる違反だと同大司教が断じたことです(訳注後記).後者のほうは,キリストの代理者たる教皇から発した出来事だけにカトリック教会の全歴史のなかでも前代未聞のスキャンダルでした.ルフェーブル大司教はあまり何度も蒸(む)し返すのは逆効果になりかねないと考え,アッシジイズムに対する激しい非難を差し控えました.

だが,ルフェーブル大司教は当時,このスキャンダルの重大さを理解しているカトリック信者がほんの一握りしかいなかったことを認識していました.というのも,近代世界全体が神を過小評価し,私たちの主イエズス・キリストの神性を一括(ひとくく)りとして扱い,宗教を自由選択の対象物とみなし,カトリックの伝統を単なる感性,感情の問題とすり変えてしまっていたからです.こうした考え方は,教皇たちにまで影響を及(およ)ぼしてしまい,私たちの身の周りではあまりにも正常なこととなってしまっているため,私たち一人一人にとって脅威となっているほどです.基本に立ち戻りましょう.--

万物は第一原因 “a First Cause” を必要とします.その原因が第一たるためには存在自体が不可欠で “must be Being Itself” それは完全無欠の存在 “all-perfect being” でなければなりません.なぜなら第二の神は第一の神とは異なり,完全さにおいてどこかで劣るはずだからです.この唯一真実の神はかつてある時にただ一度だけ私たちの主イエズス・キリストの神の位格 “the divine Person” において人性(=人間性)という形をとられ(人の姿をお取りになり),いらい神の教会すなわちローマ・カトリック教会を除けば,ほかの誰しもがなしえなかった質量とも数多くの信頼に足る優れた奇跡を地上で行なうことによって,その神性を証明されました.この(真の神の)教会の会員(信者)となる資格は信仰に基づくもので,万人に開かれています.信じるならば,その信じるという行為が,誰にとっても永遠の救いに至(いた)るために欠くことのできない出発点です.信じることを拒(こば)めば,人は永遠の破滅(地獄)へ向かう道をたどります(新約聖書・マルコ聖福音書:第16章16節参照)(訳注・該当箇所のキリストの御言葉→「信じて洗礼を受ける者は救われ,信じない者は滅ぼされる.」).

従って,もし過去および将来のアッシジでの行事により,ベネディクト16世,ヨハネ・パウロ2世の両教皇がカトリック教は永遠の至福に至る唯一の道ではなく,(それが最善だとしても)ほかに数多くある人類の「平和,結束」へ通じる道の単なるひとつにすぎないと人々が考えるよう奨励(しょうれい)したのだとすれば,両教皇とも無数の人々が来世で恐ろしい地獄に墜(お)ちる手助けをしたことになります.ルフェーブル大司教はそのような背信に与(くみ)するのを潔(いさぎよ)しとせず,敢(あ)えて冷笑され,排斥(はいせき)され,軽蔑(けいべつ)され,過小評価され(主流からはずされ),口を封じられ,「破門」される道を選びました.ほかにもありとあらゆる冷遇に甘んじました.

真実(原語 “the Truth” )を頑(かたく)なに守ることは代償を伴います.何人のカトリック信者にその代償を払う心づもりができているでしょうか?(訳注・ “the Truth” …真の神〈カトリックの真理〉のこと.)

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


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最初のパラグラフ「アッシジイズム」 “Assisi-ism” についての訳注:
アッシジ主義.
“the 1986 Prayer Meeting of World Religions in Assisi” 「1986年アッシジ諸宗教合同祈祷集会」(1986年に前教皇ヨハネ・パウロ2世が,世界の諸宗教の指導者たちを呼び集めて開催した世界平和を祈る合同祈祷集会)を指している.

第二パラグラフの訳注「(神の十戒の)第一戒」 “the First Commandment” について:
旧約聖書時代の預言者モーゼによる「神の十戒」(または「主の十戒」)の第一戒…
「われはなんじの主なり.われを唯一の天主として礼拝すべし」(公教会祈祷文)
→「…私以外のどんなものも,神とするな.」(旧約聖書・脱出の書:第20章3節.神と人との関係についての神の命令.神と人間との間に,仲介のような神々は存在しない.(バルバロ神父による注釈より.))