2011年1月17日月曜日

危険な夢の国

エレイソン・コメンツ 第183回 (2010年1月15日)

ある知人が最近デニス・フェイヒィ神父(1883-1954年) “Fr. Denis Fahey” (訳注:アイルランド人のカトリック司祭.)の書かれた文章を私に送ってくれました.これを読むと,第二バチカン公会議以前のカトリック信徒のすべてが「惰眠(だみん)していた」わけではないことが分かります.つまり,多くの信徒はぼんやりと居眠っていたということでしょうか?そうだったことは疑いのないところです.いわゆる伝統派カトリック信徒を含め,いまだに多くの信徒がその惰眠状態のままです.同じ原因は同じ結果を生ずるものですし,20世紀半ばにカトリック信徒の盲目(無分別)を招いた原因は21世紀初めの今日でも当時以上に強まっているからです.

以下,フェイヒィ神父の1943年の著書「キリストの王位と組織化された自然主義」(訳注・原著名:"Kingship of Christ and Organized Naturalism" )から短い抜粋を引用します(後ほどのコメント用に引用文に番号を付します.) -- (1)「カトリック信徒はこの世(現世)での実戦に備えた訓練を受けていないため,主キリストの敵が企(くわだ)てる策謀(さくぼう)に屈することになります.」 (2)「彼らは,やがて直面することになる組織化された敵について十分な知識もなく,守るべき社会秩序の主要点についてほんのおぼろげな考えしか持たぬまま学窓(がくそう)を後にします.」 (3)「そして,真のカトリック教秩序のために戦うカトリック信徒は常に敵陣にいる信徒に出会うことになります.」以下,番号順にコメントします.

(1) もはや現代社会の大半の人々は,主イエズス・キリストとそのカトリック教会への信仰を通じて得られる霊魂の救済のお陰で,後々(来世で)神とともに天国で送る真に良い生活へと導かれ得ることなど信じなくなっています.彼らはこの世で良い人生を与えてくれるのは人間だと信じており(訳注:(意訳)現世での人生をより良く快適に過ごしたいがため(神の正義〈倫理・道徳など〉よりも)人間の持てるあらゆる能力や可能性の方に全幅(ぜんぷく)の信頼を置き),したがって政治が実質的に彼らにとっての宗教となり,彼らの国々の政府が神の摂理( “God's Providence” )にとって代わっています.こうなると,人々にとって自分たちの政府や自らの生き方・生活様式が主イエズス・キリストの極めて現実的・実際的な敵どもにより事実上支配されてしまっているのだなどいうことはますます信じ難くなってくるのです. - たとえば,どうして私たちの政府が9・11事件の真相について私たちに嘘をつくことなどあり得ましょうか?そんなことはあり得ない,というわけです.だが,そうした現代の国々の政府への信頼は悲惨な真実の受け入れを不能にします.そして,たとえそのような風潮がどんなに蔓延(まんえん)しても,カトリック信徒たち自体が(革命児に転ずることなしに)素早くそこに紛れ込みその風潮を甘んじて受け入れるなら,結局のところ,現世でカトリック信仰を守るための「信仰の現実の戦い(実戦)に備えた訓練を受けていない」ということになります.さらには,この世での夢の国を受け入れることで,天上にある真の神の真の天国に至るのがますます難しくなることでしょう.

(2) 学校の児童や神学生たちに対し私たちの主イエズス・キリストには宿敵(訳注:原語 “bitter enemies” =不倶戴天〈ふぐたいてん〉の敵.諸悪の勢力.)がいると教えるのは難しいでしょう.それらの敵の(キリストへ向ける)敵対・抵抗は組織化され巧みに変装しているからです.だが,若者たちはその敵対・抵抗に「間違いなく出会う」ことになります.したがって、若いカトリック信徒たちをこれからの人生に向け,あるいは聖職者にすべく指導する教師がその変装の化けの皮を剥(は)ぎ取り敵の正体を暴(あば)いてやらなければ,彼らは遮眼革(しゃがんかく)(訳注:原語 “blinkers.” 馬の両目につける. )を着けられ片手を背中に縛られたような状態で戦いに臨(のぞ)むことになります.そして主イエズス・キリストの敵どもは,わずかに残るキリスト教の秩序を壊そうと個人主義的な自由主義を強力に推(お)し進めています.ですから,若者たちはとりわけ「防御すべき社会秩序の主要点」と人間の社会的性格につき,母なるカトリック教会の教えることを正しく十分に学び取る必要があります.

(3) 悲しいことに,19世紀の偉大な教皇ピオ9世が言われているとおり,本当に恐れるべきは教会外部の主イエズス・キリストの宿敵どもよりもむしろ教会内部のリベラル(自由主義的)なカトリック信徒たちの方です.後者は,誰でも私たちの主イエズス・キリストに敵対して「策謀をめぐらしている可能性がある」などといった考えかたを冷笑するでしょう.薄笑いをうかべながら,どのみち「みなさま善人ばかりじゃあありませんの?」(と舌足らずな口調で女々しく言うのでしょう.)(訳注:原文 "Ithn't evewybody nithe ? " ("Isn't everybody nice ? ", said with an effeminate lisp.) )違います,彼らは決して善人ではありません!

フェイヒィ神父よ,どうか私たちのためにお祈りください!

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教