エレイソン・コメンツ 第156回 (2010年7月10日)
カトリック信徒の多くは現在行われているローマ教皇庁(訳注・日本社会一般には「ローマ法王庁」.)と聖ピオ十世会(略称 “SSPX” )の協議(訳注・「教理上の論議」のことを指す.)について不安をお持ちのようですが,次の話をお聞きになればいくらか気持ちが落ち着くのではないでしょうか.私が2か月前に聞いたことですが,デ・ガラレタ司教(訳注・“Bishop Alfonso de Galarreta”. 聖ピオ十世会の4人の司教のうちの一人.「教理上の論議」に関わる聖ピオ十世会側の代表団の一人.)は,いくつかの理由を挙げてこの両者間の協議を所期の目的(それ以上先は別)に達するまで継続すべきだと説明したそうです.その中で,司教は協議継続は若干の危険を伴うが,いくつかの利点もあると述べています.
両者の間では昨年10月の予備的会合の後,今年になって1月,3月,5月に正式な協議が行われました.協議は毎回,事前準備,討論(討議),事後処理の3つで構成されます.事前準備では,聖ピオ十世会の代表4名が当該問題にかかわるカトリック教義の宣言文をまとめ,第二バチカン公会議提唱の反対教義がもたらす諸問題と合わせて,ローマ教皇庁を代表する4名の神学者に提出します.討議では,ローマ教皇庁代表がこれに答え,その後に続く口頭(口述)による言葉のやり取りが記録されます.事後処理としては,記録された討議内容の要旨を聖ピオ十世会側が文書にします.これまで話し合われた問題は典礼と信教の自由に関することだけです.ただし,デ・ガラレタ司教は,さらに必要な話し合いを続け,来年2011年の春までに協議を終えたい意向のようです.
司教はこれらの協議を,協議開催としての単なる事実とその内容とに分けて評価しています.内容について司教は,聖ピオ十世会代表団が協議席上での口頭でのやり取りに失望していると述べています.この点について,代表団の一人は私に次のように語ってくれました.「口頭でのやり取りでは理論的正確さが欠けています.交わることのない二つの異なる考え方から生まれるのは,対話というよりむしろ独白です.ただし,ローマ教皇庁代表は私たちにとてもよくしてくれます.だから,会合は酢を飲まされるようなものではなく,まるでマヨネーズをご馳走されているようなものです.私たちは自分たちの考えをそのとおりに口頭で述べます.私たちはまさしく明鏡止水(めいきょうしすい)の心境です.」 だが,デ・ガラレタ司教は実に,会合の前後に出される協議に関する文書が,カトリック真理と第二バチカン公会議の誤りとの間に一線を画(かく)し,その誤りがこれまでどのように変わってきたかを,当初から最近の誤りに至るまで追跡するのに役立つ貴重な記録になるとし,「教皇ヨハネ・パウロ2世いらい,その差はより微妙なものになってきている」と,述べています.
協議が行われていることの単なる事実については,司教はいくつかの利点を挙げています.第一に,ローマ教皇庁の人たちが聖ピオ十世会の代表団と知り合いになることは良いことだし,その逆もまた然りであるということ - すなわち,そのような接触が悪魔の好む煙幕,鏡を取り除くのに役立つという点です.司教はそうした接触が大きな危険をもたらすとは考えていません.というのも,ローマ教皇庁の代表者はひねくれ者ではありませんし,自分たちがどこから来てどこへ行きたいと願っているかを明らかにわきまえていると見ているからです.第二の利点は,ローマ教皇庁が最高レベルで真剣に聖ピオ十世会の示す教義教理を検討するということの単なる事実だけで,善意を持ちながらも,かかる事実無しにはカトリック伝統に近づけないでいる多くの主流派司祭たちの間に,聖ピオ十世会への信頼感を与えることになる点です.そして第三点目は,ローマ教皇庁の最高幹部たちの中に,古い議論から時折解放され,聖ピオ十世会によって新たに前向きな姿勢に変わる人たちが現れるという点です.言いかえれば,カトリック真理がもう一度根を下ろし始めたということではないでしょうか.
親愛なる読者の皆様,私たちは辛抱し,忍耐強く神の摂理(=神の御心・御意思)に限りなく信頼しましょう - 結局のところ,神の摂理とは神がお創りになられた神御自身の教会のことなのです!私たち一人ひとりのうちにカトリック真理への愛がとどまり続けるよう神の御母(=聖母)に祈りましょう.私たちの霊魂を救い,カトリックの権威を回復できるのはまさにただカトリック真理だけなのですから.
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教