2016年1月9日土曜日

443 工場生活 1/9

エレイソン・コメンツ 第443回 (2016年1月9日)

(解説付き)

今日,人々は職場で独り苦しんで居るのでしょうか?
(こんにち,ひとびと は しょくば で ひとり くるしんで いる ので しょうか?)
Today's work-places crucify a man ?

何処でも出来る処で
a finger-rosary(仮訳:ロザリオ数珠)で
(神の御母〈聖母〉マリアへの)
ロザリオ祈祷を捧げなさい.(訳注1・1)
(どこ でも できる ところ で
a finger-rosary(ふぃんがー・ろざりー)〈かりやく:ろざりお じゅず〉で
〈かみ の おん はは《せいぼ》まりあ への〉
ろざりお きとう を ささげ なさい.)
(訳注1・2 )
With a finger-rosary pray wherever you can.

先週に続き,エレイソン・コメンツの読者から寄せられた素晴らしい手紙をご紹介します(せんしゅう に つづき,えれいそん・こめんつ の いち どくしゃ から よせられた すばらしい てがみ を ご しょうかい します).彼(読者)は正気とは思えない状況に就いて良識有る見方を為て居ます(かれ〈どくしゃ〉は しょうき とは おもえない じょうきょう に ついて りょうしき ある みかた を して います).読者の皆さんは彼の言う事にがっかり為るか,其れとも励まされるかも知れません(どくしゃ の みなさん は かれ の いうこと に がっかり する か,それとも はげまされる かも しれません).多くの読者は自分達が職場で日々直面して居る事を認識為べきです(おおく の どくしゃ は じぶん たち が しょくば で ひび ちょくめん して いる こと を にんしき すべき です).そうすれば,職場でカトリック教の信仰が何故,何の様に蝕まれて居るかが,もっとはっきり分かるかも知れません(そうすれば,しょくば で かとりっく きょう の しんこう が なぜ,どのように むしばまれて いるか が,もっと はっきり わかる かも しれません).以下は彼の手紙の内容です(いか は かれ の てがみ の ないよう です):-
Here is another good letter from a reader of these “Comments”. He takes a sane view of an insane scene. Readers may be discouraged by what he describes, or they may be encouraged by how he describes it. A number of readers must recognize what they are up against every day when they go to work, and they may see better here than they yet see why and how their place of work is eroding their Catholic faith. He writes: –

私は自動車製造工場で此れ迄二年余り働いてき来ました(わたくし は じどうしゃ せいぞう こうじょう で これまで にねん あまり はたらいて きました).給料は十分ですが,私の職場環境は世界全体の一種の縮図の様な物です(きゅうりょう は じゅうぶん ですが,わたくし の しょくば かんきょう は せかい ぜんたい の いっしゅ の しゅくず の ような もの です).其れが何の様な物か以下に説明します…(それ が どの よう な ものか いか に せつめい します…). 
I have worked in a factory building cars for over two years now and while it does pay well the environment is a sort of microcosm of the world at large. Let me explain...

1)両性の混同(りょうせい の こんどう) - 男性と女性は互いに身近な状態で共同作業をします(だんせい と じょせい は たがい に みぢか な じょうたい で きょうどう さぎょう を します).此の様な仕事環境は女性の女性らしさを完全に壊して終います(このような しごと かんきょう は じょせい の じょせい らしさ を かんぜん に こわして しまいます).勿論,女性の出来ない仕事も有りますが(もちろん,じょせい の できない しごと も ありますが),両性の平等と言う間違った考え方の為に(りょうせい の びょうどう と いう まちがった かんがえ かた の ため に),会社は女性が其処で働く事を認める必要が有ります(かいしゃ は じょせい が そこ で はたらく こと を みとめる ひつよう が あります).だが,十戒第六戒,第九戒(訳注4・1 )(訳注4・2)の違反に就いて私が聞いた話は実に憂慮す(為)べき(冪)物です(だが,じっかい〈じゅっかい〉だい ろっかい,だい きゅうかい の いはん に ついて わたくし が きいた はなし は じつに ゆうりょ すべき もの です).詳しく述べる必要も無いでしょう.実際に起きて居る事は誰もが予測した事です(くわしく のべる ひつよう も ない でしょう.じっさい に おきて いる こと は だれ も が よそく した こと です).女性は何故其の様な所(処)で働く事を望むのでしょうか?(じょせい は なぜ そのような ところ で はたらく こと を のぞむ ので しょうか?)
1) Mixing up of the sexes - men and women work together in close proximity. Such work completely destroys a woman's femininity. Of course, there are certain jobs which women cannot do, but because of this false sense of equality, the company needs to allow women to work there. The stories that I have heard about the transgressions against the 6th and 9th commandments are truly disturbing. I need not elaborate. But what else did anybody expect ? Why would a woman even want to work in such a place?

2)男性の心は道徳的判断ができなくなっている(だんせい の こころ は どうとく てきはんだん が できなく なって いる) - 勿論,私は一般論と為て話して居ます(もちろん,わたくし は いっぱん ろん として はなして います).だが,私が話した殆(ん)どの男性は倫理観(即ち善と悪)では無く(だが,わたくし が はなした ほとんど の だんせいは りんり かん〈すなわち ぜん と あく〉ではなく),如何為たら楽しく過ごせるかを基準に考えて居ます(どうしたら たのしく すごせるか を きじゅん に かんがえて います).私は何人かの同僚と話し(わたくし は なんにん か の どうりょう と はなし),彼等が分かる様な方法で道徳の問題を提起為ようと為ましたが(かれら が わかる よう な ほうほう で どうとく の もんだい を ていき しよう と しました が),彼等に取って,其れは右の耳柄左の耳へ抜けて終った様です(かれら に とって,それ は みぎ の みみ から ひだり の みみ へ ぬけて しまった ようです).男性は肉欲に関(わ)る事に没頭為ると,心に就いて考える事が出来なく為ります(だんせいは にくよく に かかわる こと に ぼっとう すると,こころ に ついて かんがえる ことができなくなります).もっと悪い事に,同僚達は自ら犯した罪を自慢する事を全く恥と考えて居ないのです(もっと わるい こと に,どうりょう たち は みずから おかした つみ を じまん する こと を まったく はじ と かんがえて いない のです).昔は男性達は恥の意識を持って居ました.今や,そんな物は無い様です(むかし は だんせい たち は はじ の いしき を もって いました.いまや,そんな もの は ない よう です)
2) Men's minds are incapable of making moral judgments - I generalize of course, but most of the men I have talked to do not think in terms of morality (i.e. good and evil) but in terms of what pleasures can keep them entertained. I have talked to several co-workers and have tried to bring up questions of morality in a way that they might understand, but it seems to go over their heads. When a man has steeped himself in the things of the flesh, he is incapable of thinking of the soul. Worse, some of these co-workers have absolutely no shame in boasting of their sins. Once upon a time men had shame. No longer, it would seem.

3)私は私自身の神である(わたくし は わたくし じしん の かみ で ある) - 誤った自由が男性の生活指針として称えられています(あやまった じゆう が だんせい の せいかつ ししん と して たたえ られて います).私は同僚の何人かと議論を為ましたが,私が其の都度知らされたのは,真理や倫理は純粋に主観的な事だと言う事です(わたくし は どうりょう の なんにん か と ぎろん を しました が,わたくし が その つど しらされた のは,しんり や りんり は じゅんすい に しゅかん てきな こと だ と いう こと です).自分が真実だと信じる事が素晴らしいので有り,自分の考え方を他人に押し付ける事等出来ないと言うのです(じぶん が しんじつ だ と しんじる こと が すばらしい ので あり,じぶん の かんがえ かた を たにん に おしつける こと など できない というのです).私は上司に,其の様な考え方は馬鹿げて居ると話しました(わたくし は じょうし に,その ような かんがえ かた は ばかげて いる と はなしました).一人以上の妻を持つのは結構な事だと言う者が居たら如何でしょうかと,彼に尋ねました(ひとり いじょう の つま を もつ のは けっこう な こと だ と いう もの が いたら どう でしょうか と,かれ に たずね ました).彼は考え方は人それぞれだと応えました(かれ はかんがえ かた は ひと それぞれ だ と こたえました).真理は主観的な物で無いと言う基本原則を否定する人が居るなら,其の人に話しても無駄でしょう(しんり は しゅかん てき な もの で ない と いう きほん げんそく を ひてい する ひと が いる なら,その ひと に はなしても むだ でしょう).突き詰めると,人はそれぞれ自分以外の何かに従う代わりに自分自身の現実を築きあげるのですから(つきつめる と,ひと は それぞれ じぶん いがい の なにか に したがう かわり に じぶん じしん の げんじつ を きずき あげる の です から),自分が自分自身の神になるということでしょう(じぶん が じぶん じしん の かみ に なる と いう こと で しょう)
3) I am my own god - False liberty is exalted as the guiding principle in men's lives. I have had a few discussions with some of my co-workers and what I get every single time is that truth and morality are purely a subjective affair. What you believe to be truth is fine for you, but you cannot impose your way of thinking on anyone else. I told a supervisor of mine that such thinking is nonsense. I said, what if someone thinks that having more than one wife is fine ? He said, belief is up to the individual. If a man denies such a basic principle as that truth is not subjective, then there is no point in talking to him. In essence, every individual becomes his own god because HE has constructed his own reality instead of submitting to something outside of him.

近代工場の環境は一種の無神状態を作り出します(きんだい こうじょう の かんきょう は いっしゅ の むしん じょうたい を つくり だし ます).私は工場労働者が輝かしい美徳の模範に為る事を期待為て居る訳では有りません(わたくし は こうじょう ろうどう しゃ が かがやかしい びとく の もはん に なる こと を きたい している わけ では ありません).だが,近代工場はチャールズ・ディケンズが彼の時代に就いて書いた事より益々悪く成って居ると言いたく為ります(だが,きんだい こうじょう は ちゃーるず・でぃけんず が かれ の じだい に ついて かいた こと より ますます わるく なって いる と いいたく なります).私の言いたい事は未だ沢山有ります(わたくし の いいたい こと は まだ たくさん あります).だが,要点は次の事です(だが,ようてん は つぎ のこと です).即ち,罪に因って壊われた生活や快楽を貪る生活で神の恩寵が如何働くでしょうか?(すなわち,つみ に よって こわれた せいかつ や かいらく を むさぼる せいかつ で かみ の おんちょう が どう はたらく で しょうか?)道徳の最も基本的な基準さえ分かろうと為ない者と如何心を通わせたら良いのでしょうか?(どうとく の もっとも きほん てき な きじゅん さえ わかろう と しない もの と どう こころ を かよわせ たら いい ので しょうか?) 控え目に言っても、此れは失望的な状況です(ひかえめ に いっても,これ は しつぼう てき な じょうきょう です).溝に嵌(ま)った(填〈ま〉った)私達の為に祈って下さい(みぞ に はまった わたくし たち の ため に いのって ください)
The environment of a modern factory breeds a sort of godlessness. I don't expect factory workers to be examples of stellar virtue but I would say that modern factories are exponentially worse than what Charles Dickens wrote about in his times. I can go on and on, but the point I am trying to make is this: how can grace operate in lives which are destroyed through sin and a life of seeking pleasure ? How does one reach out to men who cannot even grasp the most elementary norms of morality? It is frustrating to say the least. Please pray for us in the trenches.

(手紙の紹介終わり)(てがみ の しょうかい おわり)

女性は女性らしさと家庭から自らを解放する(じょせい は じょせい らしさ と かてい から みずから を かいほう する).男性は客観的な道徳と客観的な真理から自らを解放する(だんせい は きゃっかん てき な どうとく と きゃっかん てき な しんり から みずから を かいほう する).其の様な「信仰心の無い邪悪な世代」(新約聖書・使徒聖ルカによる聖福音書:第九章四十一節)(訳注7・1)に如何遣って手を差し伸べ,話し掛けたら良いのでしょうか?(そのような「しんこう しん の ないじゃあく な せだい」に どうやって て を さしのべ,はなし かけたら いい の で しょうか?)模範,愛徳,祈りに拠る(依る)しか方法は無いでしょう(もはん,あいとく,いのり に よる しか ほうほう は ない でしょう).私は手紙を下さった読者に,ロザリオ(数珠)を職場に持って行き(わたくし は てがみ を くださった どくしゃ に,ろざりお〈じゅず〉を しょくば に もって いき),目立たない様に仕事仲間の為に一連(=天使祝詞 "Ave, Maria" を十回)ずつ祈り(めだたない よう に しごと なかま の ため に いちれん〈=てんし しゅくし "あべまりあ" を じゅっかい〉ずつ いのり),自分の職場環境から自らを霊的(精神的)に守る為祈る様アドバイス為ました(じぶん の しょくば かんきょう から みずから を れいてき〈せいしんてき〉に まもる ため いのる よう あどばいす しました).但し,彼は此れを目立たない様に為る必要が有ります(ただし,かれ は これ を めだたないよう に する ひつよう が あります)
Woman freeing herself from femininity and family, man freeing himself from objective morality and objective truth – how indeed can one reach out to, or even talk with, such a “faithless and perverse generation” (Lk. IX, 41) ? By example, charity and prayer. I advised the writer to take a finger rosary to work to be able to pray discreetly decade after decade to pray for his fellow-workers and to protect himself spiritually from his work environment. But he will need to be discreet.

キリエ・エレイソン.

リチャード・ウィリアムソン司教


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訳注1・1

『何処でも出来る処で a finger-rosary (仮訳:ロザリオ数珠)で
(神の御母〈聖母〉マリアへの)ロザリオ祈祷を捧げなさい.』
について:

・「a finger-rosary(仮訳:ロザリオ数珠)」(ふぃんがー・ろざりー)〈かりやく:ろざりお じゅず〉
に就いて:

→片手の指だけで数える事が出来る小さなロザリオ数珠のこと.
(かたて の ゆび だけ で かぞえる こと が できる ちいさな ろざりお じゅず の こと)

・実物の具体例:

周囲に一つの十字架印とロザリオ祈祷一連分を数える事が出来る十個の突起(珠十個分)が付いた指輪を使用して,一人で「ロザリオ祈祷の黙祷」を為る事が出来る
(しゅうい に ひとつ の じゅうじか じるし(いん)と ろざりお きとう いちれん ぶんを かぞえる こと が できる じゅっこ の とっき(たま じゅっこ ぶん)が ついた ゆびわ を しよう して,ひとりで「ろざりお きとう の もくそう」を する こと が できる).

一つの十字架と一連分の数珠(珠十個)だけが付いた小型(ミニサイズ)のロザリオ数珠もある(ひとつ の じゅうじか と いちれん ぶん の じゅず〈たま じゅっこ〉だけ がついた こがた〈みに さいず〉の ろざりお じゅず も ある).

---

訳注1・2

「(神の御母〈聖母〉マリアへの)ロザリオ祈祷」に就いて:
(「(かみ の おん はは〈せいぼ〉まりあ の)ろざりお きとう」
について:)


・解説
「ロザリオ祈祷」の由来・方法についての解説:
(「ろざりお きとう」の ゆらい・ほうほう に ついて の せつめい:)

→参考文献:
(さんこうぶんけん:)

『聖母マリアへのロザリオ九日間の祈り』(ドン・ボスコ社)
(「せいぼ まりあ へ の ろざりお ここのか かん の いのり」〈どん・ぼすこ しゃ〉

*訳注の続き(訳注4・1)(訳注4・2)(訳注 7・1)を続けます.

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(解説無し)

今日,人々は職場で独り苦しんでいるのでしょうか?
どこでもできるところでa finger-rosary(ロザリオの祈り)を捧げなさい.
Today's work-places crucify a man ?
With a finger-rosary pray wherever you can.

先週に続き,エレイソン・コメンツの一読者から寄せられた素晴らしい手紙をご紹介します.彼(読者)は正気とは思えない状況について良識ある見方をしています.読者の皆さんは彼の言う事にがっかりするか,それとも励まされるかもしれません.多くの読者は自分たちが職場で日々直面していることを認識すべきです.そうすれば,職場でカトリック教の信仰がなぜ,どのようにむしばまれているかが,もっとはっきり分かるかもしれません.以下は彼の手紙の内容です:-
Here is another good letter from a reader of these “Comments”. He takes a sane view of an insane scene. Readers may be discouraged by what he describes, or they may be encouraged by how he describes it. A number of readers must recognize what they are up against every day when they go to work, and they may see better here than they yet see why and how their place of work is eroding their Catholic faith. He writes: –

私は自動車製造工場でこれまで二年あまり働いてきました.給料は十分ですが,私の職場環境は世界全体の一種の縮図のようなものです.それがどのようなものか以下に説明します….
I have worked in a factory building cars for over two years now and while it does pay well the environment is a sort of microcosm of the world at large. Let me explain...

1)両性の混同 - 男性と女性は互いに身近な状態で共同作業をします.このような仕事環境は女性の女性らしさを完全に壊してしまいます.もちろん,女性のできない仕事もありますが,両性の平等という間違った考え方のために,会社は女性がそこで働くことを認める必要があります.だが,十戒第6戒,第9戒(訳注:第6戒:姦淫してはならない,第9戒:隣人の妻を欲してはならない)の違反について私が聞いた話は実に憂慮すべきものです.詳しく述べる必要もないでしょう.実際に起きていることは誰もが予測したことです.女性はなぜそのようなところで働くことを望むのでしょうか?
 1) Mixing up of the sexes - men and women work together in close proximity. Such work completely destroys a woman's femininity. Of course, there are certain jobs which women cannot do, but because of this false sense of equality, the company needs to allow women to work there. The stories that I have heard about the transgressions against the 6th and 9th commandments are truly disturbing. I need not elaborate. But what else did anybody expect ? Why would a woman even want to work in such a place? 

2)男性の心は道徳的判断ができなくなっている - もちろん,私は一般論として話しています.だが,私が話したほとんどの男性は倫理観(すなわち善と悪)ではなく,どうしたら楽しく過ごせるかを基準に考えています.私は何人かの同僚と話し,彼らが分かるような方法で道徳の問題を提起しようとしましたが,彼らにとって,それは右の耳から左の耳へ抜けてしまったようです.男性は肉欲にかかわること没頭すると,心について考えることができなくなります.もっと悪いことに,同僚たちは自ら犯した罪を自慢することをまったく恥と考えていないのです.昔は男性たちは恥の意識を持っていました.いまや,そんなものはないようです.
2) Men's minds are incapable of making moral judgments - I generalize of course, but most of the men I have talked to do not think in terms of morality (i.e. good and evil) but in terms of what pleasures can keep them entertained. I have talked to several co-workers and have tried to bring up questions of morality in a way that they might understand, but it seems to go over their heads. When a man has steeped himself in the things of the flesh, he is incapable of thinking of the soul. Worse, some of these co-workers have absolutely no shame in boasting of their sins. Once upon a time men had shame. No longer, it would seem.

3)私は私自身の神である - 誤った自由が男性の生活指針として称えられています.私は同僚の何人かと議論をしましたが,私がその都度知らされたのは,真理や倫理は純粋に主観的なことだということです.自分が真実だと信じることが素晴らしいのであり,自分の考え方を他人に押し付けることなどできないというのです.私は上司に,そのような考え方はばかげていると話しました.一人以上の妻を持つのは結構なことだと言う者がいたらどうでしょうかと,彼に尋ねました.彼は考え方は人それぞれだと応えました.真理は主観的なものでないという基本原則を否定する人がいるなら,その人に話しても無駄でしょう.突き詰めると,人はそれぞれ自分以外の何かに従う代わりに自分自身の現実を築きあげるのですから,自分が自分自身の神になるということでしょう.
3) I am my own god - False liberty is exalted as the guiding principle in men's lives. I have had a few discussions with some of my co-workers and what I get every single time is that truth and morality are purely a subjective affair. What you believe to be truth is fine for you, but you cannot impose your way of thinking on anyone else. I told a supervisor of mine that such thinking is nonsense. I said, what if someone thinks that having more than one wife is fine ? He said, belief is up to the individual. If a man denies such a basic principle as that truth is not subjective, then there is no point in talking to him. In essence, every individual becomes his own god because HE has constructed his own reality instead of submitting to something outside of him.

近代工場の環境は一種の無神状態を作り出します.私は工場労働者が輝かしい美徳の模範になること期待しているわけではありません.だが,近代工場はチャールズ・ディケンズが彼の時代について書いたことより益々悪くなっていると言いたくなります.私の言いたいことはまだ沢山あります.だが,要点は次のことです.罪によって壊れた生活や快楽をむさぼる生活で神の恩寵がどう働くでしょうか? 道徳の最も基本的な基準さえ分かろうとしない者とどう心を通わせたらいいのでしょうか? 控えめに言っても,これは失望的な状況です.溝にはまった私たちのために祈ってください. 
The environment of a modern factory breeds a sort of godlessness. I don't expect factory workers to be examples of stellar virtue but I would say that modern factories are exponentially worse than what Charles Dickens wrote about in his times. I can go on and on, but the point I am trying to make is this: how can grace operate in lives which are destroyed through sin and a life of seeking pleasure ? How does one reach out to men who cannot even grasp the most elementary norms of morality? It is frustrating to say the least. Please pray for us in the trenches.

(手紙の紹介終わり)

女性は女性らしさと家庭から自らを解放する.男性は客観的な道徳と客観的な真理から自らを解放する.そのような「信仰心のない邪悪な世代」(新約聖書・使徒聖ルカによる聖福音書:第9章41節)にどうやって手を差し伸べ,話しかけたらいいのでしょうか? 模範,愛,祈りによるしか方法はないでしょう.私は手紙をくださった読者に,ロザリオを職場に持って行き,目立たないように仕事仲間のために1連(=天使祝詞 "Ave, Maria" を10回)ずつ祈り,自分の職場環境から自らを精神的に守るため祈るようアドバイスしました.ただし,彼はこれを目立たないようにする必要があります.
Woman freeing herself from femininity and family, man freeing himself from objective morality and objective truth – how indeed can one reach out to, or even talk with, such a “faithless and perverse generation” (Lk. IX, 41) ? By example, charity and prayer. I advised the writer to take a finger rosary to work to be able to pray discreetly decade after decade to pray for his fellow-workers and to protect himself spiritually from his work environment. But he will need to be discreet.

キリエ・エレイソン.

リチャード・ウィリアムソン司教



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本投稿記事・第443回エレイソン・コメンツ「工場生活」(2016年1月9日付)/ELEISON COMMENTS CDXLII (Jan. 9, 2016) : "FACTORY LIFE" は2016年1月20日05時00分に掲載されました.
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