エレイソン・コメンツ 第368回 (2014年8月2日)
ガザに住む(がざに すむ)ほとんど無防備のパレスチナ人(むぼうびの ぱれすちな じん)に向(む)けられた新たな恐るべき攻撃(あらたな おそるべき こうげき)は,真の神への真の崇拝(まことの かみへの まことの すうはい)にとっての一つの障害(ひとつの しょうがい)を多くの人々の心の中(おおくの ひとびとの こころの なか)にもたらしています( "The latest horrible onslaught let loose against the virtually defenceless Palestinians in Gaza raises in many people's minds an obstacle to the true worship of the true God, …" ).なぜなら,現代イスラエル人の多数(げんだい いすらえる じんの たすう)が旧約(きゅうやく)いらい,パレスチナ人の占拠する土地(せんきょする とち)すべてを必要(ひつよう)なら武力を用いてでも奪い取る権利(ぶりょくをもちいてでもうばいとるけんり)を神から与えられていると主張(かみから あたえられていると しゅちょう)しているのは広く知られ(ひろく しられ)ていることだからです( "… because it is well known that many of today's Israelis claim that they have from the Old Testament a God-given right to take all the land occupied by the Palestinians, by force if necessary." )(訳注後記1).道理(どうり)をわきまえた人(ひと)なら次の二つの疑問(つぎの ふたつの ぎもん)を投(な)げかけるでしょう( "A reasonable person might ask two questions: …" ):そのような蛮行(ばんこう)と,その残酷さを非難する国際世論(その ざんこくさを ひなんする こくさい よろん〈せろん〉)を歯牙にも掛けない態度(しが にも かけない たいど)を「正当化(せいとうか)」するのに一体(いったい)どのような神(かみ)を引っ張り出せる(ひっぱり だせる)のだろうか?" )( "… what kind of a God can even remotely be pulled in to 'justify' such barbarous cruelty, together with such utter contempt for any world opinion condemning that barbarity ? " )イスラエル人はいかなる種類(しゅるい)の「選民(せんみん)」なのだろうか?( "And what kind of a 'Chosen People' are these ? " ) この二つの疑問に対する答え(たいする こたえ)は,あらゆる人類の歴史(じんるいの れきし)にかかわっている私たちの主イエズス・キリスト(わたくしたちの しゅ いえずす・きりすと)にかかわりがあります( "The answer to both questions turns around Our Lord Jesus Christ, around whom of course all human history turns." ).(訳注1・「旧約」=真の神と古代イスラエル人〈まことの かみと こだい いすらえる じん〉〈始祖アブラハム・預言者モーセ〉〈しそ あぶらはむ・よげんしゃ もーせ〉が交わした旧い契約〈かわした ふるい けいやく〉)
旧約聖書はキリスト以前の人類(きりすと いぜんの じんるい)( "The Old Testament tells the story of mankind before Christ, …" ),とりわけ古代イスラエル人についての物語を語って(こだい いすらえる じんに ついての ものがたりを かたって)います( "… especially the story of the Israelites, …" ).彼らは人の姿をお取りになった神(ひとの すがたを おとりに なった かみ),イエズス・キリストの天からの御降誕(いえずす・きりすとの てん からの ごこうたん)に備え(そなえ)その揺りかごとしての役割を果たす(ゆりかごと しての やくわりを はたす)べく( "to act as the cradle" )神が人類の中から選び出した人々(かみが じんるいの なか から えらび だした ひとびと)です( "… the people that God chose out from the rest of the human race to act as the cradle for the coming down from Heaven of the Incarnate God, Jesus Christ." ).アダムの時代からおよそ千年後(あだむの じだい から およそ せんねんご),人類はひどく堕落(だらく)してしまったため神はすべてを押し流し(おし ながし)ノアの方舟(のあ の はこぶね)( "Noah's Ark" )で救われた8人(すくわれた はちにん)だけで再出発(さい しゅっぱつ)せざるをえませんでした( "About a thousand years after Adam, mankind had grown so corrupt that God had to wash it out and start again with the eight souls saved on Noah's Ark." ).それから更に千年後(さらに せんねんご),人類は再びひどく堕落(じんるいは ふたたび ひどく だらく)してしまい( "About another thousand years later, mankind is again so corrupt …" ),神は堕落した都市ウル(だらくした とし うる)( "the degenerate city of Ur" )からアブラハムを選び出し(あぶらはむを えらびだし)( "… that God has to pull Abraham out of the degenerate city Ur that God has to pull Abraham out of the degenerate city Ur …" ),その揺りかごの役を果たす(ゆりかごのやくをはたす)のにふさわしいほど清廉潔白(せいれん けっぱく)になるため,あらゆる周囲の人類の汚れを遠ざけ(しゅういの じんるいの けがれを とおざけ)て清廉潔白なままに留まり続けなければならない(せいれん けっぱくな ままに とどまり つづけなければ ならない)( "must stay clear" )人種の創設者(じんしゅの そうせつしゃ)とします( "… to be the founder of a race that must stay clear of all surrounding human contamination in order to be clean enough to act as that cradle." ).これが以来ユダヤ人の中に見て取れる(いらい ゆだや じんの なかに みて とれる)ようになった人種的排他性(じんしゅてき はいたせい)( "racial exclusivity" )の始(はじ)まりです( "Here is the origin of that racial exclusivity observable in Jews ever since." ).それは神で始(かみで はじ)まったものですが,人間で終わって(にんげんで おわって)しまいました( "It began with God, but it has finished with men." ).
確(たし)かにユダヤ人(ゆだや じん)はかつてイエズス・キリストのための選民(いえずす・きりすとの ための せんみん)でした( "The Jews were indeed once, for the sake of Jesus Christ, the Chosen People." ).それゆえ聖トマス・アキナス(せい とます・あきなす)( "St Thomas Aquinas" )は自著「神学大全」( "Summa Theologiae" )の中(じちょ「しんがく たいぜん」のなか)に見事な記事を書き残し(みごとな きじを かきのこし),古代イスラエル人(こだい いすらえる じん)たちがエルサレムに築いた聖堂の調度品(えるされむに きずいた せいどうの ちょうどひん)のいかに細部(さいぶ)までもがイエズス・キリストに向け(いえずす・きりすとに むけ)られていたかを示(しめ)しています(Ia IIae, 102, 4)( "Thus St Thomas Aquinas has a tremendous article in his Summa Theologiae where he shows how every single detail in the furnishing of the Israelites' exclusive Temple in Jerusalem pointed forward to Jesus Christ (Ia IIae, 102, 4)." ).だが,全能の神(ぜんのうの かみ)が一度(いちど)ならず古代イスラエル人たちに対し(こだい いすらえるじん たちに たいし)彼らに約束された土地(かれらに やくそく された とち)( "the Promised Land" )を奪取(だっしゅ)するため,そこを占拠する異教徒(せんきょ する いきょうと)たちを完全に根絶(かんぜんに こんぜつ)させる命令を与えた(めいれいを あたえた)ことに疑問の余地(ぎもんの よち)はありません( "However, to clear the Promised Land for the Israelites to take over, there is no question that Almighty God gave them more than once the command to exterminate utterly the pagans occupying the land, …" ).そして神はその命令を字義通り守(かみは その めいれいを じぎ どおり まも)らなかったとしてサウル王を厳しく罰し(さうる おうを きびしく ばっし)ました(I Sam XV)( "… and He punished King Saul severely for not observing this command to the letter (I Sam XV). " ).そのような命令を正当化した根拠(せいとうか した こんきょ)はなんだったのでしょうか?( "What could justify such a command ? " )
それはノアの時代(のあの じだい)に神が(8人を除く〈はちにんを のぞく〉)全人類を根絶(ぜんじんるいを こんぜつ)させたのを正当化した根拠と同じ(せいとうか した こんきょと おなじ)です( "It is the same as what justified God for exterminating all mankind (except eight souls) in Noah's time." ).第一の根拠は諸々の人間の犯した罪(だいいちの こんきょは もろもろの にんげんの おかした つみ)です( "Firstly men's sins." ).神はあらゆる人間を天へ向かうよう創造(にんげんを てんへ むかうよう そうぞう)されるのに諸人間(しょ にんげん)は地獄にふさわしい罪を選び(じごくに ふさわしい つみを えらび)ます( "God creates men for Heaven, they choose sin that deserves Hell." ).罪は何にも増して神に背く(逆らう,反する,=神を怒らせる)(つみは なに にも まして かみに そむく〈さからう,はんする,=かみを おこらせる〉)ものです( "For indeed sin offends God first of all. " ).神の意識と罪の意識(かみの いしきと つみの いしき)は,今日(こんにち)私たちの周り(わたくしたちの まわり)にある全て(すべて)のものと同(おな)じように,一体となって失われ(いったいと なって うしなわれ)ます( "The sense of God and the sense of sin get lost together, as all around us today." ).私たちの時代と同じ(わたくしたちの じだいと おなじ)ような神を信じない世代(かみを しんじない せだい)は神の正義(かみの せいぎ)などおそらく理解(りかい)できないでしょう( "A godless generation like ours cannot possibly understand the justice of God. " ).第二の根拠は神の御慈悲(だいにの こんきょは かみの ごじひ)です( "Secondly, God's mercy, …" ).神の御慈悲(かみの ごじひ)は神の御正義(かみの ごせいぎ)と切り離(きり はな)せません( "… which goes hand in hand with His justice, …" ).現代(げんだい)では神の御慈悲は御正義と同じように誤解(おなじ ように ごかい)されています( "… and is today equally misunderstood." ).だが,地獄の現実を考え(じごくの げんじつを かんがえ)るなら( "But given the reality of Hell, …" ),神が人間を突き離し(かみが にんげんを つき はなし),人間が死ぬ前(にんげんが しぬまえ)に悔い改め(くい あらため)るか,さもなくば少(すく)なくともさらに深く地獄に落ち(ふかく じごくに おち)なくてすむよう罪を犯(つみを おか)さないようにさせるのは神の御慈悲(かみの ごじひ)ではないでしょうか?( "… is it not a mercy of God if he cuts men off so that they can repent before they die, or at least be stopped from sinning so as not to deserve to go any deeper in Hell? " )
古代イスラエル人の異教徒の敵(いきょうとの てき)について,神がアブラハムとイエズス・キリストの関係(あぶらはむと いえずす・きりすとの かんけい)をもたらされたのは御慈悲(ごじひ)からでしょう( "That is how it will have been with the pagan enemies of the Israelites between Abraham and Jesus Christ. " ).旧約聖書を読む(きゅうやくせいしょを よむ)と,古代イスラエル人がいかに頻繁(ひんぱん)に真の神を見捨て(まことの かみを みすて)て自分(じぶん)たちの周(まわ)りの異教徒(いきょうと)たちの悪魔を崇拝(あくまを すうはい)する気持ち(きもち)になったかが分(わ)かります( "To read the Old Testament is to see how often the Israelites were tempted to abandon the true God and to worship devils by the pagans all around them." ).アルスの教区司祭(=アルスの主任司祭)(あるすの きょうく しさい・しゅにん しさい)( "the Curé of Ars" )がかつて述(の)べたように「司祭(しさい)をいなくすると25年(にじゅう ごねん)もすれば人間は諸々の獣を崇拝(にんげんは もろもろの けだものを すうはい)するようになります」( "As the Curé of Ars once said, 'Get rid of the priest, and within 25 years men will be worshipping beasts'." ).救世主(きゅうせいしゅ)のために( "for the Messiah" )揺(ゆ)りかごを提供(ていきょう)するのに確かに成功(たしかに せいこう)したのは古代イスラエル人の永遠の功績(こだい いすらえるじんの えいえんの こうせき)です( "It is to the eternal credit of the Israelites that they did succeed in providing the cradle for the Messiah, …" ).たとえば,聖ヨアキムと聖アンナ(せい よあきむと せい あんな)( "St Joachim and St Anne" ),とりわけ彼らの子(かれらの こ)すなわち神の御祝福を受けた童貞マリア(かみの おんしゅくふくを うけた どうてい まりあ),(キリストの)十二(12)使徒(きりすとの じゅうに しと)と救世主のカトリック教会( "their Messiah's Catholic Church" )(きゅうせいしゅの かとりっく きょうかい)を打ち立てる助け(うちたてる たすけ)をした他の善良なイスラエル人(たの ぜんりょうな いすらえる じん)たちです( "… for instance St Joachim and St Anne, especially their child, the Blessed Virgin Mary, the twelve Apostles and all other good Israelites who helped to launch their Messiah's Catholic Church." ).現代のイスラエル人(げんだいの いすらえる じん)については来週(らいしゅう)のエレイソン・コメンツ(えれいそん・こめんつ)をお読(よ)みください( "For today's Israelis see next week." ).
リチャード・ウィリアムソン司教
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(注:本投稿記事〈第368回エレイソン・コメンツ〉は2014年9月02日23:58に公開されました.)
(追加の注記〈2014年9月30日付〉:)
第368回エレイソン・コメンツ「神のお仕置き?」には,
通常付している,コメンツ本文末尾の
祈願「キリエ・エレイソン」は付してありません.