2013年9月28日土曜日

324 ファティマの秘密 9/28

エレイソン・コメンツ 第324回 (2013年9月28日)

     1917年7月,神の御母( "the Mother of God",=聖母マリア)が修道女ルシアに啓示(けいじ)されたファティマ第3の秘密(ひみつ)の新しい復元(ふくげん)がこのほど公表(こうひょう)されました( "Yet another reconstruction has come to light of the third part of the Secret of Fatima, revealed by the Mother of God to Sister Lucy in July, 1917." ).神に祝福された聖母はそれを遅(おそ)くとも1960年までに公表するようお望みでした( "The Blessed Virgin wished it to be made public in 1960 at the latest, …" ).だが,ローマ教皇庁を支配する不誠実(ふせいじつ)な聖職者たちは,聖母は1960年以降(いこう)の公表をお認めになられたにすぎないと偽(いつわ)り( "… but the perfidious churchmen controlling Rome pretended that she had merely allowed it to be published from 1960 onwards, …" ),いらい今日(こんにち)までしまい込んだまま放置(ほうち)し続(つづ)けています( "…and it has been locked away ever since." ).復元の試(こころ)みは,秘密を実際(じっさい)に読(よ)むことができた数少(かずすく)ない聖職者たちによって明(あ)かされたその内容のいくつかの手がかり( "hints" )をもとにこれまで何度かなされてきました( "From hints of its contents revealed by the few churchmen that have been able to read it, several attempts have been made to reconstruct it." ).今回の復元の試みはかなり有力(ゆうりょく)です.以下にそのお話をします( "This latest attempt has much in its favour. Here is its story." ).

     オッタビアーニ(=オッタヴィアーニ)枢機卿(すうききょう)( "Cardinal Ottaviani" )(1890-1979年)は,諸教皇ピオ(=ピウス)12世,ヨハネ23世および1959年から1968年までカトリック信仰の主(しゅ)たる擁護者(ようごしゃ)だったパウロ6世の下(もと)で仕(つか)えた位(くらい)の高い聖職者(せいしょくしゃ)でした( "Cardinal Ottaviani (1890-1979) was a high churchman under Popes Pius XII, John XXIII and Paul VI, main protector of the Faith from 1959 to 1968." ).彼はこの秘密を読んだ後,その機密性(きみつせい)に縛(しば)られ( "Given to read the Secret, but bound by secrecy, …" ),その内容を明(あ)かさず明かす方法を見つけ出しました( "… he found a way to reveal it without revealing it." ).彼は資料(しりょう)を加(くわ)えて原文(げんぶん)を実物(じつぶつ)の2-3倍の長さに膨(ふく)らませ,それを "Neues Europa" (訳注:「新ヨーロッパ」というドイツの雑誌」)に公表することを認(みと)めました( "Adding material to make the original Secret two to three times as long, he allowed the elongated version to be published, notably in a German magazine called Neues Europa." ).だが,バチカン当局はそれが偽物(にせもの)だと簡単(かんたん)にはねつけることができました.いまでも,それは偽物だとみなされています.なぜなら,本物の秘密はわずか25行の手書き文(てがきぶん)であるということが知られていたからです( "But the Vatican authorities could easily dismiss it as a fake, as it is now regarded, because the original Secret was known to be only 25 hand-written lines. " ).

     しかし,オッタビアーニ枢機卿にはドン・ルイジ・ヴィッラ( "Don Luigi Villa" )(1918-2012年)という勇気(ゆうき)ある司祭(しさい)で,真の教会の擁護者(ようごしゃ)の友人(ゆうじん)がいました( "However, the Cardinal had a friend, Don Luigi Villa (1918-2012), a valiant priest and defender of the true Church, …" ).この人はとりわけフリーメースン組織( "Freemasonry" )に対する反対者(はんたいしゃ)でした( "… especially against Freemasonry." ).あるとき,同枢機卿はヴィッラ神父( "Fr. Villa" )に長くした文章(ぶんしょう)のどの部分(ぶぶん)が本物(ほんもの)の秘密かを打ち明(うちあ)けました( "At some point the Cardinal revealed to Fr. Villa exactly which parts of the longer version came from the original Secret, …" ).ついで,ヴィッラ神父(=ドン・ヴィッラ,"Don Villa" )は忠実(ちゅうじつ)な一般信徒の協力者であるフランコ・アデッサ博士( "Dr. Franco Adessa" )に同じ内容(ないよう)を伝えました( "… and Don Villa in turn told the same to his faithful lay collaborator, Dr. Franco Adessa, …" ).同博士は自(みずか)ら得(え)た同じ情報(じょうほう)を最近フランス語で発行(はっこう)された小冊子(しょうさっし)にまとめました( "… who has just put the same information into a booklet recently published in French." ).これによると,実物(じつぶつ)とおもわれる「第3の秘密」は次のようなものです:-- ( "Here then would be the original “Third Secret”:-- " ).

     「全人類(ぜんじんるい)に対する重大(じゅうだい)な咎(とが)め(=懲罰)(訳注後記1)は今日でも明日でもなく,20世紀後半に下(くだ)されるだろう( " “A great chastisement will come down on the whole of mankind neither today, nor tomorrow, but in the second half of the 20th century." ).秩序(ちつじょ)は世界のどこにもなく,悪魔(あくま,"Satan" )が最高位(さいこうい)に立って物事の成り行き(なりゆき)を取り決(とりき)めている( "Nowhere in the world is there order, and Satan rules in the highest places, determining the course of events." ).悪魔はやがて教会の最高位にさえ昇(のぼ)りつめるだろう( "He will even manage to work his way up to the top of the Church." ).教会にとっても最大の試練(しれん)の時(とき)が訪(おとず)れるだろう( "For the Church too will come the time of its greatest trials." ).枢機卿(すうききょう)たちや司教(しきょう)たちは互(たが)いに反目(はんもく)するようになるだろう( "Cardinals will oppose cardinals, bishops will oppose bishops." ).悪魔は彼らの間(あいだ)をぬって進(すす)み,ローマには諸々(もろもろ)の変化(へんか)が起(お)きるだろう( "Satan will march in their midst, and in Rome there will be changes." ).腐敗(ふはい)したものは失墜(しっつい)し,失墜したものが再(ふたた)び立ち上(たちあ)がることはないだろう( "What is rotten will fall, what falls will not get up again." ).教会は暗黒化(あんこくか)し,世界は恐怖に打(う)ちのめされるだろう( "The Church will be darkened and the world overwhelmed in terror." ).大戦(たいせん)が20世紀後半に始(はじ)まるだろう( "A great war will be let loose in the second half of the 20th century." ).火(ひ)と煙(けむり)が天国から落ち( "Fire and smoke will fall from Heaven, …" ),七洋(しちよう,=七つの海,世界中の海・海洋〈かいよう〉)の水(みず)は蒸気(じょうき)となり( "… the oceans’ waters will be turned into steam, …" ),海原(うなばら,うなはら)の泡沫(ほうまつ,=泡〈あわ〉)は隆起(りゅうき)し(訳注・=高く盛〈も〉り上〈あ〉がり)( "… the foam of the sea will rise up, …" ),あらゆるものを圧倒(あっとう)し水浸(みずびた)しにするだろう( "… overwhelming and flooding everything." ).何百万(なんびゃくまん)もの人々が時間ごとに死に( "Millions and millions of men will die from one hour to the next, …" ),傍(かたわ)らで生き延(いきの)びた人々は死者(ししゃ)を羨(うらや)ましくおもうだろう( "… while those who survive will envy the dead." ).悪魔に従(したが)う狂人(きょうじん)や取り巻(とりま)きたちが犯(おか)した過(あやま)ちのため,死がいたるとことに溢(あふ)れるだろう( "Death will be everywhere because of the errors committed by the madmen and henchmen of Satan, …" ).そうなってはじめて悪魔が世界に君臨(くんりん)するだろう( "… who then and only then will reign over the world." ).最終的(さいしゅうてき)に,こうした出来事(できごと)を生き延(いきの)びた者は( "Finally while those who survive these events are still alive, …" )再(ふたた)び神(かみ)と神の栄光(かみのえいこう)を讃(たた)え( "… they will proclaim once more God and the glory of God, …" ),世界がこれほど邪悪(じゃあく)になる前に人々がしたと同じように神に仕(つか)えるようになるだろう( "… and they will serve him as men used to do when the world had not yet become so perverse.” " ).

     ファティマに関する専門家ニコラス・グルナー神父( "Fr Nicholas Gruner" )は,(ファティマの第3の)秘密に関(かん)する上述(じょうじゅつ)のバージョン(=説明)が(訳注・新約聖書の「ヨハネの黙示録〈もくしろく〉」に記〈しる〉されている)世界の終末(せかいのしゅうまつ)(訳注後記2)や(訳注・それに際して)取るべき行動(とるべきこうどう)についてなんら言及(げんきゅう)していないため( "lacking mention of the Apocalypse and of recommended action" ) 不完全(ふかんぜん)なものではないかと考えています( "Fr Nicholas Gruner, an expert on Fatima, thinks that this version of the Secret may be incomplete, lacking mention of the Apocalypse and of recommended action." ).世界大戦(せかいたいせん)が起(お)きないまま20世紀後半が過ぎ去(すぎさ)ったことで,このバージョンに異論(いろん)をはさむ人もいるかもしれません( "One may also object that the second half of the 20th century has come and gone with no World War." ).だが,狂人(きょうじん)たちが2000年よりかなり前から今日(こんにち)にいたるまで絶え間(たえま)なく中東(ちゅうとう)で戦争(せんそう)を引き起(ひきお)こしているではありませんか?( "But have not madmen been stirring up war in the Middle East, continuously, from well before 2000 down to today ? " ) それに,(ファティマの第3の秘密に関する)このフランス語小冊子に載(の)ったバージョン(説明)のすべての文言(もんごん)が "Neues Europa" に載ったバージョン(インターネット上でアクセス可能)にも出てくる点は注目(ちゅうもく)に値(あたい)します( "And it is worthy of note that every phrase in this version of the Secret does occur in the Neues Europa version (accessible on the Internet), …" ).いずれも,他の宗教的ソースから引き出したり模倣(もほう)したりした資料を取り入れたものです( "… amidst material drawn or imitated from other pious sources." ).

     いずれにしても,神が私たちすべてに真の御慈悲(おじひ,ごじひ)を賜(たまわ)らんことを( "In any case, may God truly have mercy upon us all, …" ).そして,私たちは絶(た)えず(=中止〈ちゅうし〉することなく)ロザリオを祈り続(いのりつづ)けましょう( "… and let us pray the Rosary without ceasing." ).

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教


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第4パラグラフの訳注1
"a great chastisement" について.

=神の大〈おお〉いなる怒〈いか〉りの懲罰〈ちょうばつ〉.
人間の罪に対する慈悲深く忍耐強い神の激(はげ)しい怒りの懲罰.

・無限・全能の神に対し,人間が限界のある無力な自分の身分を忘れて,傲慢(ごうまん)に我欲(がよく)を追求(ついきゅう)し,その欲深(よくふか)さが極(きわ)まって,

・他人の心身(たにん の しんしん)や大自然(だいしぜん)(大宇宙・空・海・陸・動植物・あらゆる鉱物)に対して悪事(傷つけたり,殺したりすること)を行うことにより,

・万物の創造主,善と正義の真の神に対して犯す罪が,

・慈悲深い神の忍耐を超えるほどに増大した時,

・悪人に対する神の怒りは,あらゆる天災→悪人の俗悪化(生存競争・我欲の追求)→悪人の霊魂の堕落(だらく)へと続く.罪深い悪人は,身体が死ぬと地獄に堕ちる.

・善人は,たとえ身体が死んでも,その霊魂は天の神のみもとに上げられる.


・人間にとって,「天国」と「地獄」(てんごく と じごく)は,まだこの地上に生きている時からすでに始まっている.

・この地上では,悪事を成すことによって「他人を負かした」と思った途端に,もしその悪事を悔悛(かいしゅん)しないなら,その悪人の霊魂はその場で地獄に堕(お)ちる.

・あらゆる「加害者」に対してあらゆる「被害者」は,もし仕返しをせずに全能者(=神)の裁定(さいてい)に委(ゆだ)ねるなら,その場で天の神の御許(みもと)に迎(むか)えられる.

・神の正義は被害者を慰(なぐさ)め,その人の正義・苦しみは神がすべて引き継(ひきつ)がれる.

・神の正義(かみのせいぎ)は完全・永遠(かんぜん・えいえん)で,人間の目には分かりにくくても,神は必(かなら)ず一寸(いっすん)の狂(くる)いもなく完全に悪人に報復(ほうふく)される.

・神は「あらゆる善良なもの,正義,憐(あわ)れみ深さ」の姿を取って存在しておられる.

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第5パラグラフの訳注2
"the Apocalypse" について.

新約聖書「使徒聖ヨハネによる黙示録」
主イエズス・キリストが使徒聖ヨハネに啓示された,世界の終末と,王たるキリストによる最後の審判.



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2013年9月21日土曜日

323 恐るべき転落 III 9/21

エレイソン・コメンツ 第323 (2013年9月21日)

     ことし6月,私はエレイソン・コメンツの読者に聖ピオ十世会( "the Society of St Pius X" = SSPX" )の恐るべき転落(おそるべき てんらく)ぶりについて3本目の記事をお届けすると約束しました( "Last June readers of these “Comments” were promised a third article on the horrible fall of the Society of St Pius X, …" ).この状況(じょうきょう)で何をしたらいいのか,読者の皆さんに考えていただくためです( "… to consider what can be done." ).つい最近,"Avec l’Immaculée" (無原罪(むげんざい)の聖母〈=「無原罪の御宿り〈おんやどり〉」〉 と共に)(訳注後記1) というウェブサイトに一本の記事(きじ)が掲載(けいさい)されました( "Just recently there appeared on the website “Avec l’Immaculée” an article …" ).この記事は,諸々(もろもろ)のカトリック信徒(しんと)たちが SSPX のミサ聖祭に参列(さんれつ)し続(つづ)けるべきか否(いな)かをはじめとして、同じ問題に対する優れ(すぐ)た答えをいくつか含(ふく)んでいます( "… with some good answers to this question, starting with the question whether Catholics can go on attending SSPX Masses." ). 以下に記事を要約(ようやく),翻案(ほんあん)します:--( "I summarize and adapt:-- " ).

     1984年にローマ教皇庁(きょうこうちょう)から出た特免状(とくめんじょう)( "an Indult" )は,公式教会( "the official Church" )の枠組(わくぐ)みの範囲内(はんいない)で一定の条件が満(み)たされば,トレント公会議で定(さだ)められた形式に則(のっと)ったミサ聖祭(訳注後記2)を執り行(とりおこな)ってもよい(=祝〈いわ〉ってもよい)と認(みと)めました( "In 1984 an Indult from Rome allowed the Tridentine Mass to be celebrated, under certain conditions, within the framework of the official Church." ).当時,諸カトリック信徒はこのようなミサに列席してもいいかどうかと問われ,ルフェーブル大司教( "Archibishop Lefebvre" )はただちに「参列すべきでない」と応(こた)えました( "Asked whether Catholics could attend these Masses, Archbishop Lefebvre replied soon after that they should not attend,…" ).彼はその理由として,信徒たちが一定の条件のもとで主流派の枠組みに戻ることは,第二バチカン公会議とそれ以降の一連の変革(へんかく)を受け入れることと等(ひと)しいからだと述(の)べました( "… because their re-entering the mainstream framework under those conditions was tantamount to accepting Vatican II and the subsequent reforms." ).特免状で認められたミサ聖祭を司式(ししき)する司祭(しさい)たちは自由に話ができなくなるうえ( "The priests saying Indult Masses would not be able to speak freely, …" ),特免による新形式ミサ聖祭( "the New Mass with the Indult" )を暗(あん)に受け入れることで新しい公会議派(こうかいぎは)宗教に引き入(ひきい)れられ,信者たちを道連(みちづ)れにする恐れがあるでしょう( "… and by accepting implicitly the New Mass with the Indult, they would risk sliding into the new Conciliar religion and taking their people with them." ).

     フェレー司教( "Bishop Fellay" )は2012年に新しい形式のミサ聖祭は合法的(ごうほうてき)に公布(こうふ)されたものだと宣言(せんげん)しました.このことは新形式ミサ聖祭そのものが合法的だと述べたに等(ひと)しいことです( "In 2012 Bishop Fellay declared that the New Mass was legitimately promulgated, which is tantamount to saying that it is legitimate." ).同司教は第二バチカン公会議の反対者を抑(おさ)え( "He stifles critics of Vatican II, …" ),自分が SSPX をどういう方向(ほうこう)へ導(みちび)こうとしているのか司祭(しさい)たちや信徒(しんと)たちにはできるだけなにも知(し)らせないまま( "… and while still keeping priests and people as much in the dark as possible as to what he is really up to, …" ),2012年4月に自(みずか)らが出した親(しん)公会議派的宣言(こうかいぎはてき せんげん)の考え方(かんがえかた)に向(む)かって着実(ちゃくじつ)に突き進(つきすす)んでいます( "… he steadily pushes forward the ideas of his pro-Conciliar Declaration of April, 2012." ).したがって,ルフェーブル大司教が特免状(とくめんじょう)によるミサ聖祭への参列(さんれつ)を否定(ひてい)したように,いまは SSPX のミサ聖祭に参列することは原則(げんそく)として禁(きん)じるべきです( "Therefore just as the Archbishop ruled out attending Indult Masses, so now, as a general rule, attending SSPX Masses should be ruled out, …" ).なぜなら,SSPX のミサ聖祭が依然(いぜん)として伝統に則(のっと)って行(おこな)われているとしても,SSPX 自体が全体として新しい公会議派宗教を不可(ふか)としないような組織(そしき)にますます変質(へんしつ)してきているからです( "… because even if this particular Mass is still celebrated in accordance with Tradition, the SSPX is being remoulded in general as a framework within which the new Conciliar religion is less and less disapproved, …" )。したがって,SSPX のミサ聖祭に参列することで生(しょう)じる危険(きけん)はますます大きくなっています(… so that there is more and more of a danger in attending its Masses.).

     しかし,そうは言っても,SSPX の個々の司祭たちでも純粋な伝統派から事実上の公会議派まで多岐(たき)にわたり,それぞれ考えが違います( "However, particular SSPX priests vary from the genuinely Traditional to the virtually Conciliar. " ).前者のミサ聖祭に参列する方が後者のミサ聖祭に参列するより危険が少ないのは明らかです( "Obviously there is less danger in attending Masses of the former than of the latter, " ).だが,特定の司祭がもし SSPX 本部の押(お)しつける新しい方向を擁護(ようご)したり是認(ぜにん)したりする場合( "but if the priest concerned either defends and approves of the new direction being imposed by SSPX HQ, " ),もしくは彼が抵抗運動( "the Resistance" )になんらかの形で加わる者を咎(とが)めたり,秘跡(ひせき)を与える対象から外(はず)すような場合は( "… or if he persecutes and excludes from the sacraments anybody taking any part in the Resistance, …" ),いずれも彼の執り行う諸々(もろもろ)のミサ聖祭から遠(とお)ざかるべきというサインです( "… these are two signs that his Masses should be avoided, …" ).このことは,あまり遠くないところで抵抗派の司祭によるミサ聖祭が執り行(とりおこな)われる場合とりわけ当てはまります( "… especially if there is the Mass of a resisting priest not too far away." ).ただし,それも状況(じょうきょう)によるでしょう( "But circumstances do also come into play, …" ).たとえば,もし自分の子供がまだまっとうな SSPX の学校から退学させられるようでしたら,土地の SSPX ミサ聖祭に通(かよ)い続(つづ)けるのも正当化(せいとうか)されるでしょう( "… so that if, for instance, one’s children risk being thrown out of a still decent SSPX school, that may justify still attending the local SSPX Mass." ).樹木(じゅもく)の幹(みき)が腐(くさ)りかかっていても,枝(えだ)はまだ緑の葉(みどりのは)を持ち続(もちつづ)けるものです( "When the trunk of a tree is rotting, there can still be branches bearing green leaves." ).

     SSPX の根幹(こんかん)がひどく傷(いた)んでいて,人間に例(たと)えるなら回復(かいふく)の見込(みこ)みがないほどだという事実は変わりません( "The fact remains that the trunk of the SSPX is mortally stricken, without hope, humanly speaking, of recovery." ).私たちの主イエズス・キリストの十字架上の死から紀元70年のエルサレム破壊(はかい)まで存在(そんざい)したシナゴーグと同じように( "Like the Synagogue between the death of Our Lord on the Cross and the destruction of Jerusalem in 70 A.D, …" )SSPX は死を内蔵(ないぞう)しながらも,まだ死んではいません( "… it is carrying death within it, but it is not yet dead." ).当時,使徒(しと)たちはエルサレムで説教をし,善良(ぜんりょう)なユダヤ教徒たちはそれに参列しましたが,彼らは迫害(はくがい)され,しまいには追い出されてしまいました( "Apostles preached there, and good Jews still attended, but they were all persecuted and eventually thrown out." ).もし,カトリック信徒のひとりとして,SSPX の体(からだ)が頭(あたま)から尾(お)まで疑似(ぎじ)公会議派(こうかいぎは)メンタリティーという恐ろしいウィルスに侵(おか)されているのを見届(みとど)けたら( "If a Catholic can see today that throughout the body of the SSPX, from the head downwards, the deadly virus of a disguised Conciliar mentality is coursing, …" ),彼は沈(しず)みかかった救命(きゅうめい)ボートを信(しん)じて,それにしがみついているうちにボートが難破(なんぱ)する前に,できるだけ多くの信徒たちを救(すく)うため行動(こうどう)を起(お)こさなければなりません( "… he must take action to help rescue as many souls as possible before they make shipwreck in the faith with the sinking lifeboat." ).

     そのようなカトリック信徒は,自(みずか)らの信念(しんねん)を持つ手助け(てだすけ)に,手に入(はい)るあらゆるものを読(よ)むといいでしょう.SSPX の3名の司教がフェレー司教と2012年4月にやり取りした書簡(しょかん)から始(はじ)めるといいでしょう( "Let him, to forge his own convictions, read all he can lay his hands on, starting with the exchange of letters between the three bishops and Bishop Fellay in April of 2012." ).そのようなカトリック信徒は司祭たちや同じ教区内の信徒たちと話し合い( "Let him talk to priests and fellow-parishioners, to co-ordinate, …" ),たとえば,そうしてあげないと行動(こうどう)を起こさない司祭たちのための数々(かずかず)の隠れ家(かくれが)( "refuges" )を随所(ずいしょ)に用意(ようい)するため連携(れんけい)し合(あ)うといいでしょう( "… for instance, the putting together of refuges for priests who might not otherwise take action." ).少なくとも当面(とうめん)のあいだ,できることは限(かぎ)られるでしょうが,やるべきことはたくさんあります.神はこれら少数の(側の)味方(みかた)です( "There is much to be done, however few there are, at least for the moment, to do it. God is with these few." ).(訳注後記3)

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教


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訳注を追って掲載いたします.
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2013年9月14日土曜日

322 速やかな公会議化 9/14

エレイソン・コメンツ 第322 (2013年9月14日)

     聖ピオ十世会( "the Society of St Pius X" = SSPX )の3名の司教たちが6月27日に連名(れんめい)で発表した宣言(せんげん,"the June 27 Declaration of three Society of St Pius X bishops".以下,「宣言」または「宣言文」と記(しる)す.)は見せかけほどカトリック教の伝統(でんとう)に忠実(ちゅうじつ)ではないと論(ろん)じる良い記事が英国の新しいカトリック教月刊誌,The Recusant (訳注:反抗者〈はんこうしゃ〉)の8月号に掲載(けいさい)されています.これは「(訳注・カトリック教の)伝統の魂(たましい)のためにゲリラ戦を進める SSPX の非公式ニュースレター」を自称(じしょう)する刊行物(かんこうぶつ)です( "A good article arguing that the June 27 Declaration of three Society of St Pius X bishops is not as faithful to Catholic Tradition as it may seem to be, appeared in the August issue of England’s new Catholic monthly magazine, The Recusant, self-described as “An unofficial SSPX newsletter fighting a guerrilla war for the soul of Tradition.”." )記事を簡単に紹介するだけでは,その中身の濃(こ)い7ページの真意を伝えることはできませんが( "A brief survey can hardly do justice to the article’s seven dense pages, …" ),その考え方の主要点(しゅようてん)は読者のみなさんお知らせするに値(あたい)します.要点は次のとおりです ―― ( "… but the main line of thought deserves to be known. Here it is – " )

     6月27日の宣言は一見(いっけん)したところカトリック教の伝統に沿(そ)ったように映(うつ)ります( "At first sight the June 27 Declaration seems to be Traditional,…" ).が,第二バチカン公会議 〈A〉 で出した諸文書と同じく抜け穴(ぬけあな)や致命的(ちめいてき)な欠陥(けっかん)( "a loophole, a fatal flaw" )があり( "… but, as with the documents of Vatican II 〈A〉, there is usually a loophole, a fatal flaw, …" ),それ以外の部分も含(ふく)めて文書自体を取り消すべきものです( "… which allows the rest of the document to be undone." ).記事をパラグラフごとに少し詳(くわ)しく読んでみましょう:-- ( "Let us take a closer look, paragraph by paragraph:-- " )

(訳注:以下,宣言文についての論評〈ろんぴょう〉記事)

     第項 (訳注・6月27日の宣言は)ルフェーブル大司教( "Archbishop Lefebvre" )への「子供が親に示すような感謝」の気持ちを表しているが,大司教の言葉の中からは害(がい)もなく響(ひび)きの柔(やわ)らかなものだけしか引用(いんよう)していない.大司教が1988年に(4名の司教たちを)聖別(せいべつ)したときの説教( "1988 Consecrations sermon" )や彼がローマ(教皇庁)の「反キリスト派」たちに抵抗する目的で( "… to resist the “antichrists” in Rome" )司教たちを聖別した理由の核心(かくしん)には全く触(ふ)れていない( "…none of his hard-hitting reasons for creating bishops" )
( " #1 “Filial gratitude” is expressed towards Archbishop Lefebvre, but only harmless and soft-sounding quotes of his are included in the Declaration, with nothing from his 1988 Consecrations sermon, and none of his hard-hitting reasons for creating bishops to resist the “antichrists” in Rome." )

     第項 (宣言は)カトリック教会を荒廃(こうはい)させた諸々の誤(あやま)りの「原因(げんいん)」( " “cause” " )が公会議の諸文書にあることは認めているが,そのことは,原因と結果が同一たりえないのだから,その諸々の誤りの存在そのものを認めたことにならない.最大の誤りは公会議諸文書の文面そのもの,すなわち,宗教の自由( "religious liberty" )にある
( " #3 It is admitted that the “cause” of the errors devastating the Catholic Church is in the Conciliar documents, but that is not to admit that the errors are there, since cause and effect cannot be identical. Yet most serious errors are themselves in the Council’s texts, e.g. religious liberty." )

     第項 (宣言は)第二バチカン公会議が教会の教え方,もしくは教える側の権威(けんい)を変更(へんこう)し無効(むこう)にしたと認めている.だが,主要な問題は権威でなく教理(きょうり)である ―― 第8項を参照.
( " #4 It is recognized that Vatican II changed and vitiated the Church’s manner of teaching, or teaching authority, but the main problem is not authority, but doctrine – see #8." )

     第項 (宣言は)相対的(そうたいてき)に柔(やわ)らかい言葉で公会議派教会の「キリストの統治(とうち)」( "the “reign of Christ” " )に対する「無関心ぶり」( "non-preoccupation" )に注意を喚起(かんき)している.だが,公会議派教会が実際にしていることは,ルフェーブル大司教や真のカトリック教徒の戦旗(せんき),すなわち王たるキリストの王位(=王としての身分)は(訳注・全宇宙〈ぜんうちゅう〉に隈無〈くまな〉く及(およ)ぶもので),地上のあらゆる国家・人間社会をも超越(ちょうえつ)したもの( "the Social Kingship of Christ the King" )という真の教理を否定,反論すること( "denies and contradicts" )である.(訳注後記1)
( " #5 Only relatively soft language is used to evoke the Conciliar Church’s “non-preoccupation” with the “reign of Christ”. In fact the Conciliar Church denies and contradicts the full and true doctrine of the Social Kingship of Christ the King, battle-flag of the Archbishop and true Catholics today." )

     第項 第3項で触れたように,(宣言は)公会議文書の宗教的自由に関する教えがキリストの消滅(しょうめつ,"the dissoving of Christ" )につながると認めているが,文書の文面自体が消滅,すなわち人間を神に代行(だいこう)させることを意図(いと)したものである.第二バチカン公会議は人間の弱さや放心状態( "human weakness or absent-mindedness" )が生み出した産物(さんぶつ)ではなく,悪魔の陰謀(いんぼう)の産物である.
( "#6 As in #3, it is admitted that the Council text’s teaching on religious liberty leads to the dissolving of Christ, but the text is that dissolving, or putting of man in the place of God. Vatican II is the fruit not just of human weakness or absent-mindedness, but of a diabolical conspiracy." )

     第項 同じように、世界教会主義や異教間対話(いきょうかん たいわ)( "ecumenism and interreligous dialogue" )はただ「唯一(ゆいいつ)真実の教会についての真実を黙殺(もくさつ)する」( " “silencing the truth about the one true Church” " )だけでなく,それを否定し反論する( "are denying and contradicting it" )のが目的である.また,それは「布教精神(ふきょう せいしん)の抹殺(まっさつ)」( "killing the missionary spirit" )でなく,布教団(ふきょうだん)とそれと共に世界中の数百万の人々の霊魂そのものの抹殺を目的としている。
( " #7 Similarly ecumenism and interreligious dialogue are not just “silencing the truth about the one true Church”, they are denying and contradicting it. Nor are they just “killing the missionary spirit”, they are killing the missions, and with them millions of souls, all over the world." )

     第項 他方,(宣言は)公会議の同僚性(どうりょう せい)および民主的精神( "the Council's collegiality and democratic spirit." )による教会内の権威破壊(けんい はかい)が教会の諸制度の破滅をもたらしているとしている.だが,本質的な問題は(第項が婉曲〈えんきょく〉に述べているように)信仰の喪失(そうしつ)である.権威は二次的な問題にすぎない.
( " #8 On the other hand the ruin of the Church’s institutions is blamed on the destruction of authority within the Church by the Council’s collegiality and democratic spirit. But the essential problem (as the paragraph’s opening sentence does weakly say) is the loss of faith. Authority is secondary. " )

     第項 (宣言は)新形式ミサ聖祭典礼( " the Novus Ordo rite of Mass" )の実際の間違いや深刻(しんこく)な不作為(ふさくい)に触(ふ)れているが,それが神への崇拝(すうはい)を偽(いつわ)ることで人々の霊魂の世界的大虐殺(だいぎゃくさつ)を引き起こしていることに全く触れていない.新形式ミサ聖祭は1969年から今日に至(いた)るまでの教会破滅(きょうかい はめつ)をもたらした主エンジン( "the main engine" )である.
( " #9 While pointing to real faults and serious omissions in the Novus Ordo rite of Mass, no mention is made of the worldwide carnage of souls wrought by its falsifying of their worship of God. The Novus Ordo Mass has been the main engine of the Church’s destruction from 1969 until today." )

     第10項 結論として,(宣言は)おずおずした慇懃(いんぎん)な言葉を使いローマが伝統に立ちもどることを「執拗(しつよう)に要請(ようせい)」( " “ask with insistence” " )している.だが,当然のことながら, SSPX の改装(かいそう)( "re-branding" )に伴(ともな)い,新協会( "the Newsociety" =訳注: SSPX を指す )はもはや戦士や戦闘的(せんとうてき)な話を望んでいない( "the Newsociety wants no more fighters or fighting talk" ).
( " #10 In conclusion, timid and deferential language is used to “ask with insistence” that Rome return to Tradition. But of course, in accordance with the SSPX’s “re-branding”, the Newsociety wants no more fighters or fighting talk." )

     第11項 (宣言によれば)3名の司教たちはローマがカトリック教伝統に戻(もど)るかどうかにかかわらず「神意(しんい)に従(したが)うつもり」だという.それは,教理を無視する取引を終局的に受け入れること以外の何を意味するだろうか?
( " #11 The three bishops “mean…to follow Providence”, whether Rome returns to Tradition or not. What can that mean other than the eventual acceptance of a deal that will by-pass doctrine ? " )

     第12項 宣言は敬虔(けいけん)ぶって,ルフェーブル大司教の優しい言葉を再度引用して文書を締(し)めくくっている.
( " #12 The Declaration concludes piously, with another dovelike quote from the Archbishop." )

(訳注・宣言文についての論評記事終わり)

     そして,the Recusant 誌は同宣言が昨年4月15日と7月14日に出された二つの宣言から明らかに後退(こうたい)しているという悲しいながら多分(たぶん)にありそうな結論に達しています.前の二つの宣言は SSPX を公会議化させることに前向きなステップを一回目,二回目と段階を追って明快に踏(ふ)んだものでした( "which were two clear steps forward in the consiliarising of the SSPX" ).天の神よ,どうぞ SSPX をお助け下さい!( "And the Recusant arrives at the sad but all too probable conclusion that the Declaration is only an apparent step backwards from the Declarations of April 15 and July 14 of last year, which were two clear steps forward in the conciliarising of the SSPX. Heaven help it ! " )

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教



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(訳注1・ "the Social Kingship of Christ the King" についての補足説明)

・ピオ十一世教皇は1925年の聖年の記念として,1925年12月11日付回勅(かいちょく)をもって,キリストの普遍的王制の祝日を定め,1926年から祝うことになった.

・典礼暦年(てんれいれきねん)の終りに,公教会(カトリック教会)は,天の諸聖人の祝日を行い,煉獄(れんごく)の霊魂のために祈る.あたかもこのころに定められている王たるキリストの祝日は,キリストの神秘体(しんぴたい)という大なる真理を黙想させるのである.
(キリストの神秘体という大なる真理=天の教会〈至福〉+地上の教会〈戦い〉+煉獄の教会〈清め〉)

・「主(しゅ)・王の王(おう の おう)」(ピオ十一世の言葉)なるキリストは,天地万物をさばき,すべてを一つに結(むす)ぶために,光栄(こうえい)をおびて再臨(さいりん)し給うであろう.

(「毎日のローマ・ミサ典書」から,『10月最後の主日・一級大祝日・王たるイエズス・キリスト』より抜粋〈ばっすい〉」



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2013年9月7日土曜日

321 抵抗運動は組織化すべきか? 9/7

エレイソン・コメンツ 第321回 (2013年9月7日)

     現在の「抵抗運動(ていこう うんどう)」( "Registance" )を組織化(そしきか)すべきか,するとすれば何をすればいいのかをめぐる議論(ぎろん)が続いています(私たちはここで「抵抗運動」とは何を指すのか定義(ていぎ)しましょう.それは,聖ピオ十世会( "the Society of St. Pius X" = SSPX )の元メンバーもしくは信奉者(しんぽうしゃ)たちで,最近の同会の歴然(れきぜん)とした方向転換(ほうこうてんかん)に憤慨(ふんがい)し,その変貌(へんぼう)に抵抗するためなんらかの行動を取らなければならないと考えている人たちのことです)( "The debate continues as to whether and how today’s “Resistance” should be organized (let us here define “Resistance” as former members or followers of the Society of St Pius X so upset with its recently manifest change of direction as to take action of some kind to resist that change). " ).おおまかに言えば,その中の(相対的〈そうたいてき〉に)若い人たちは行動を調整(ちょうせい)し,より効果的にするため組織化が望ましいと考えています( "Broadly speaking, the (relative) youngsters want an organisation to co-ordinate action and make it more effective, …" ).一方,老練(ろうれん)な同僚(どうりょう)たちは現在の混乱状況下(こんらん じょうきょう か)では組織化は無理だし,望ましいことでないとさえ考える傾向(けいこう)があります( "… while the oldsters tend to think that any structured organisation is no longer possible or even desirable in today’s chaotic circumstances." ).

     まず最初にすべきことは,この混乱状況は一体なんなのかを見極(みきわ)めることです( "To begin with, one must take the measure of the chaos. " ).それは本質的に牧者(ぼくしゃ)が慌(あわ)てふためいてしまったため羊(ひつじ)たちが散(ち)りじりになってしまったことから生(しょう)じています(旧約聖書・ザカリアの書:第13章7節,新約聖書・マテオ聖福音書:第26章31節)( "It comes essentially from the shepherd being struck and the sheep scattered (Zech. XIII, 7; Mt. XXVI, 31). " ).信じるかどうかは別にして,あるいは好(す)きか嫌(きら)いかは別にして,全世界にとって誰が牧者かといえば,それはカトリック教ローマ教皇です( "Whether it believes it or not, whether it likes it or not, for the whole world that shepherd is the Catholic Pope." ).教皇の気が狂(くる)えば,世界中の誰にも秩序(ちつじょ)の回復(かいふく)などできないことは私たちが見てきている通りです( "As we observe today, if he goes crazy then nobody in the whole wide world can restore order. " ).何故でしょう.それは,人の姿で地上に生まれて来られた神(訳注1後記)が自(みずか)らの教会を地上の塩,世界の光(=地の塩・世の光)としてお創(つく)りになられ(新約聖書・マテオ聖福音書:第5章13-14節),その教会をたとえ第二バチカン公会議によってであろうが取り消せない王国(おうこく)として描(えが)かれたからです( "This is because the Incarnate God made his Church the salt of the earth and the light of the world (Mt. V, 13-14), and he designed that Church as a monarchy, a design which not even Vatican II could undo. " ).したがって,誰(だれ)も教皇に取って代わることはできません.もし,いまペトロの座( "the See of Peter" .訳注:=〈ローマ〉教皇座)を占(し)めておられる方(訳注・現教皇フランシスコのこと)が最近述べられたように,教皇が「神を求める同性愛者の人たちをどうして私が咎(とが)められるでしょうか?」などといった発言(はつげん)をした場合,「混乱(こんらん)が再(ふたた)び起こり」,神の御介入(かいにゅう)を祈る以外に,それについてほとんどなすすべがありません( "Therefore nobody can take the Pope’s place, and if he says things like, “Who am I to condemn a God-seeking homosexual?”, as the present occupant of the See of Peter said recently, then “chaos is come again”, and there is very little that one can do about it, besides praying for God to intervene. " ).(訳注2後記)
(訳注1)人の姿で地上に生まれて来られた神=神の御独り子イエズス・キリストのこと.
(訳注2)カトリック教理によれば,神の御子イエズス・キリストにより,ローマ教皇は,人を罪(つみ)に定(さだ)め,また人の罪を赦(ゆる)す権威(けんい)を神から授(さず)かっているはずである.〈悔悛(=赦し)の秘跡…すべてのカトリック司祭は,犯(おか)した罪を告白(こくはく)し懺悔(ざんげ)した人の罪を神に代わって赦す権威を神から授かっている.〉

     それでも,ルフェーブル大司教( "Archbishop Lefebvre" )は可能な限り手を尽(つ)くし,神の御慈悲(ごじひ)により正気(しょうき)と秩序(ちつじょ)の島(しま)( "an island of sanity and order" ),すなわち SSPX を創設(そうせつ)されました( "Notwithstanding, Archbishop Lefebvre did all he could, and by the mercy of God he created an island of sanity and order, the SSPX." ).だが,当然のことながら,大司教の後継者(こうけいしゃ)たちは歴代(れきだい)の公会議派教皇たちから圧力(あつりょく)を受けくじけてしまいました( "But, naturally, under pressure from one Conciliar Pope after another, his successors have given way." ).「カトリック教徒でありながら教皇に従わないなど,どうしてできましょうか?」と,彼らは問います.そんなことをすれば,無秩序,混乱を招(まね)くだけだというわけです( "They ask, “How can we be Catholic and disobey the Pope?” – confusion and chaos." ).だが,ルフェーブル大司教は公会議に対する抵抗(ていこう)を組織化することに成功したため,彼のとった行動を理解する人たちの多くは彼を裏切(うらぎ)った者たちに対する抵抗を組織化したいと望んでいます( "However the Archbishop was so successful in organizing resistance to the Council that a number of those who understand what he was doing wish to organize the resistance to those betraying him." ).だが,この抵抗の組織化ははたして可能(かのう)でしょうか? この点がまさに問題です( "But can it be organized ? That is the question." ).

     私が知る賢明(けんめい)な同僚の一人は,1970年代,1980年代に SSPX が全世界に拡大(かくだい)した当時,ルフェーブル大司教のそばで懸命(けんめい)かつ効果的(こうかてき)に運動に携(たずさ)わった充分(じゅうぶん)に老練(ろうれん)な会員ですが( "A wise colleague, old enough to have campaigned hard and effectively at the Archbishop’s side in the worldwide expansion of the SSPX in the 1970’s and 1980’s, …," ),彼は世界各地で公会議への抵抗をうまく推(お)し進(すす)めた多数の司祭たちのことを振り返(ふりかえ)り,彼らは互(たが)いに自立(じりつ)し大司教に頼(たよ)ることなしに行動(こうどう)したと述懐(じゅっかい)しています( "… remembers from those early days a number of priests resisting the Council successfully all over the world, which they did independently of one another and of the Archbishop." ).司祭たちが大司教に耳を傾(かたむ)けたのは彼がカトリック教の理(り)にかなったことを話したからで,それだからこそ彼らの多くは大司教の道徳的権威を認めたというのです( "They listened to him because he talked good Catholic sense, which is why many of them recognized his moral authority, …" ).だが,司祭たちの誰も厳密(げんみつ)な意味では大司教に服従(ふくじゅう)しませんでしたし,大司教も彼らに対し服従を求めませんでした( "… but none of them obeyed him in the strict sense, and he demanded of none of them that obedience." ).教皇なしには,カトリック教会内の組織化された服従など不可能でしたし,それは今でも変わっていません( "Without the Pope, structured Catholic obedience was, and remains, impossible." ).私の同僚は続けて,大司教の SSPX は30年かおそらく40年のあいだ自由主義教会および世界( "liberal Church and world" )に抵抗したにすぎないが,いまの状況(じょうきょう)は彼のいた当時よりむしろ悪くなっていると指摘(してき)しています( "My colleague goes on to point out that even the Archbishop’s Society resisted liberal Church and world for only 30, maybe 40, years, and the situation is rather worse now than it was in his day." ).同僚は,本国(ほんごく)( "the homeland" )が敵軍(てきぐん)に占領(せんりょう)されているときは防衛軍(ぼうえいぐん)を組織するのは不可能(ふかのう)で,残(のこ)された手段(しゅだん)はゲリラ戦( "guerrilla warefare" )だけだ,と結論(けつろん)づけています( "When the homeland is occupied by an enemy army, my colleague concludes, it is impossible to organize an army of defence, all that remains is guerrilla warfare." ).

     私自身の意見では,同僚の次の言葉が混乱状況の増大(ぞうだい)ぶりを正確(せいかく)に言い表(いいあらわ)しています:( "In my opinion he accurately portrays the increase of the chaos when he writes: " )「神の時(とき)と聖母マリアの汚(けが)れなきみ心(みこころ)の時( "The hour of God and of the immaculate Heart" )の到来(とうらい)(かつて聖母が仰〈おお〉せられた通り)は,あらゆるものが失(うしな)われたと思われる時までは決(けっ)して果(は)たされないでしょう,失われるもののうち必ずやちっぽけな SSPX もそこに含(ふく)まれるでしょう.( " “The hour of God and of the immaculate Heart will come (as she has said) only when everything seems lost, which must include the little SSPX." ).フェレー司教の大きな錯覚(さっかく)は偉大(いだい)な SSPX が教会を救(すく)うだろうと考えたことです( "Bishop Fellay’s chief illusion was to have thought that the great SSPX would save the Church, …" ).悪魔はこれに《トロイの木馬(もくば)のように,(救えるとすれば)内部(ないぶ)から(“from within, like a Trojan horse”)》と付け加(つけくわ)えました( "… to which the Devil added, “from within, like a Trojan horse”. " ).私たちが実際になすべきことは,創造主(そうぞうしゅ)たる神がなされたように,残(のこ)された信心深(しんじんぶか)い者たち( "the faithful remnant" )のためにノアの箱舟(はこぶね)を造(つく)ることです.そして,洪水(こうずい)が来るまでそれを造り続(つくりつづ)けることです( "All that we in fact needed to do was construct Noah’s Ark for the faithful remnant in accordance with the Founder’s plan, and to go on constructing it until the Flood. " ).勘違(かんちが)いした指導者は洪水が来ないうちに箱舟の扉(とびら)を開(あ)けてしまい,箱舟は水浸(みずびた)しになってしまいました( "A deluded leader opened the Ark’s door ahead of time, and the Ark was flooded. " ).神は私たちすべてに御慈悲(ごじひ)を賜(たまわ)ります.その指導者はノアでなく,タイタニック号の船長(せんちょう)でした.」( "God have mercy upon us all. The leader was not Noah, but the Captain of the Titanic.” " )

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教



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