エレイソン・コメンツ 第292回 (2013年2月16日)
二か月前,ローマ教皇庁(訳注・以下,「ローマ」)エックレジア・デイ委員会( "Rome's Pontifical Commission Ecclesia Dei" )(訳注・ "Ecclesia Dei" とは「神の教会」の意.)の副委員長( "Vice-president" )が聖ピオ十世会( "the Society of St. Pius X" (以下,「SSPX」,「同会」 )総長( "Superior General" )と同会の全司祭宛(あ)てに数ページにおよぶ書簡(しょかん)を送りました.これはインターネット上でアクセスできます.教皇庁スポークスマンのロンバルディ神父( "Fr. Lombardi" )は同書簡(以下,単に「書簡」と記す.)を「私的な呼びかけ」( "personal appeal" )だと称(しょう)しました ( "Two months ago the Vice-president of Rome’s Pontifical Commission Ecclesia Dei addressed to the Superior General of the Society of St Pius X and to all its priests a letter of several pages, accessible on the Internet, which Fr. Lombardi as spokesman for the Holy See called a “personal appeal”. " ). 書簡は以来(いらい)様々なコメントを呼び起こしてきました.この書簡が SSPX をひざまずかせ,第二バチカン公会議革命に対する同会の40年にわたる抵抗に終止符を打とうとする教皇庁の最新の動きであることは明らかです( "The letter has been raising comments ever since. It is clearly the latest move in Rome’s campaign to bring the SSPX to heel, and put an end to its 40-year resistance to the Conciliar Revolution. " ). デ・ガラレータ司教( "Bishop de Galarreta" )が2011年10月に述べておられるように,たとえ SSPX がローマの申し出を断っても,ローマは SSPX に働きかけ続けるでしょう.私もその通りだと思います( "As Bishop de Galarreta said in October of 2011, even if the SSPX turns down Rome’s offers, still Rome will keep coming back. Sure enough. " ). だが,ここではディ・ノイア大司教( "Archbishop Di Noia" =訳注:教皇庁エックレジア・デイ委員会副委員長を指す )が「閣下および親愛なる SSPX 司祭兄弟会ご同輩の皆様」( "Your Excellency and dear Priestly Brothers of the SSPX" )に何を伝えようとしているかについて少し考えてみましょう ( "But let us see briefly what Archbishop Di Noia has to say to “Your Excellency and dear Priestly Brothers of the Society of St Pius X”: -- " ):--
彼は書簡の最初の部分で,SSPXの指導者たち,とりわけシュミットベルガー(シュミットベルゲル)神父 ( "Fr. Schmidberger" ),フリューガー(フリューゲル)神父 ( "Fr. Pfluger" ),フェレイ司教( "Bishop Fellay" )(書簡に述べられた順番どおり)を名指(なざ)し,ローマにきわめて批判的なインタビューをしたことで SSPX が本当にローマとの和解を望んでいるかどうかに疑問(ぎもん)を抱(いだ)かせたことを戒(いまし)めています( "He begins by admonishing Society leaders, notably Fr Schmidberger, Fr Pfluger and Bishop Fellay (in that order) for giving interviews so critical of Rome as to call in question whether the SSPX really wants reconciliation with Rome. " ).その上で, SSPX とローマとの間の教理上の違いがかつてなかったほど解決困難になっていると指摘し,結束(けっそく)に焦点(しょうてん)を絞(しぼ)った新(あら)たなアプローチを呼びかけています( "Moreover, doctrinal differences are as intractable as ever between the SSPX and Rome. So he calls for a new approach, focusing on unity instead. " ).
書簡は続けて次のように述べています.教会の結束は四つの悪徳により妨(さまた)げられ,これとは反対の謙遜(けんそん),温厚(おんこう),忍耐,慈愛(じあい)の四つの美徳により促進(そくしん)される ( "Church unity is hindered by four vices and promoted by the four opposing virtues of humility, mildness, patience and charity." ). 教会の分裂を図(はか)る者たちは神の敵である.愛こそが私たちの必要としているものだ.したがって,「辛辣(しんらつ)かつ非生産的な言葉」は捨て去るべきだ( "Dividers of the Church are enemies of God. All we need is love. Away then with “harsh and unproductive rhetoric”." ). SSPX 所属の聖職者たちは司祭たちを育成するという天賦(てんぷ)の能力を十分に果たせばよい.だが,彼らは公式の教導権( "Magisterium" )(訳注後記1)に従順で,論争でなくカトリック教信仰を説き,神学的な諸問題を未熟な一般信徒の前でなくローマの有能な当事者たちとの間で取り扱(あつか)うのでなくてはならない ( "Let the SSPX fulfil its charism of forming priests, but priests who will be docile to the official Magisterium, who will preach the Faith and not polemics, and who will treat theological problems not in front of untrained layfolk but with the competent authorities in Rome." ). (ローマ)教皇( "The Pope" )こそがそのような難しい諸問題に判断を下す最高判事である.結論を言えば,教皇ベネディクト16世は是非(ぜひ)とも和解をお望みである.敵意は癒(いや)されなければならない.私たちの主イエズス・キリストのお言葉どおり「彼らを一つにさせたまえ」である.(ディ・ノイア大司教の書簡の結び.)(訳注後記2)( "The Pope is the supreme judge of such difficult questions. In conclusion, Benedict XVI does want reconciliation. Bitterness must be healed. In Our Lord’s words, “Let them be one.” (End of the Archbishop’s letter.) " )
ちなみに,近代人・現代人,近代・現代主義者たち(=モダニストたち)の典型として,同大司教がいかに教理上の本質的な問題への言及(げんきゅう)を避けているかに注目してください.もっとも,彼の書簡の主たる関心事はほかにあります( "Notice in passing how, typically for modern man and for modernists, the Archbishop brackets out the essential question of doctrine, but this letter’s main interest lies elsewhere : …" ). ディ・ノイア大司教が SSPX 本部(以下, "SSPX HQ",または「同本部」)(訳注・"HQ" = "headquarter"(=本部)の略) と事前の示し合わせもせずに, SSPX の全司祭宛てに書簡を送ることなどありうるでしょうか ( "… how could the Archbishop have dared to address it to all SSPX priests without prior collusion with SSPX HQ ? " )? 彼にとっては,その書簡を SSPX の全司祭に宛てることこそが目的を果たすことだったのです ( "It served him by forwarding the letter to all SSPX priests ! " )! 一般に公開されていませんが,ローマと SSPX HQ の間の接触を示す事象(じしょう)が多々(たた)あり,今回の書簡はその中の一つです( "Here is one indication amongst many others that there are contacts between Rome and SSPX HQ that are kept from public view. " ). だが,ここでひとつ疑問が生じます. SSPX HQ がこの近代・現代主義者(=モダニスト)の大司教に同会の全司祭に対するそのような特権的かつ危険なアクセス("such privileged and dangerous access")を認めた動機は何でしょうか( "But the question then arises, what motive can SSPX HQ have had to give to the modernist Archbishop such privileged and dangerous access to all SSPX priests ? " )? 同本部はその所属の司祭全員が近代・現代主義者になることを望んでいるのでしょうか? 決してそんなことはありません! だが,同本部が「和解」へ向けてローマの手助けをしようと望んだことは十分考えられます( "Does it want them to become modernists also ? Surely not ! But it may well want to help Rome towards “reconciliation”." ).
SSPX HQ はディ・ノイア大司教の愛情あふれる呼びかけを伝えることで,SSPX 所属の司祭全員にその甘いメッセージを理解させ,しかも同本部自体が態度を軟化させたとの非難を誰からも受けずに済むのです( "By transmitting the Archbishop’s loving appeal, SSPX HQ gets the sweet message through to all SSPX priests without anybody being able to accuse HQ itself of going soft." ).それどころか,このローマ人の書簡はローマ人たちがいかに彼らに優しいかを分からせます( "On the contrary, the Roman letter makes them all see how nice the Romans are." ).同書簡が SSPX の指導者たちの厳しい言い方をやんわり咎(とが)めているのは確かですが,そのことは彼ら SSPX の指導者たちがカトリック信仰を固く守ろうとしていることを示すのに役立つだけのことです( "True, there is a gentle rebuke to the SSPX leaders for not being nice, but that will serve to show how these are standing firm in defence of the Faith ! " )! 何にもまして,書簡は SSPX の司祭たちの諸々の反応( "reactions" )を試(ため)す観測気球(かんそくききゅう)の役割を果たしたでしょう.司祭たちはいま何を考えているでしょうか( "Above all, the letter will have served as a trial balloon, to test the priests’ reactions. What are they thinking ? " )? ローマとメンツィンゲン( "Menzingen" =訳注: SSPX HQ の所在地)はどの時点で「和解」へ進むかを計算する必要があります.大多数の司祭たちを伴(ともな)って進むか,多くの司祭たちを置き去(ざ)りにして新世界秩序宗教( "the New World Order religion" )に対する組織的抵抗が続くことがないようにするにはどうすればいいか,といった計算です( "Both Rome and Menzingen need to calculate at what point to go ahead with a “reconciliation” such as will carry with it a large majority of the priests, and not alienate so many that organized resistance to the New World Order religion will continue. " ).
親愛なる SSPX の司祭のみなさん,生きたまま新秩序ローマに飲み込まれたくなければ,私は皆さんが反撃する( "react" )よう,そっとアドバイスします( "Dear SSPX priests, if you do not want to be swallowed alive by New Order Rome, I gently advise you to react. " ).あなたたちの上司たちに,自(みずか)らが良いと思う程度に慎重(しんちょう)に,だが曖昧(あいまい)でない言い方で( "but in no uncertain terms" ),ただ一事(いちじ)を除(のぞ)いて(=ただ一事以外に)望むことは外(ほか)に何一つないこと,すなわち公会議派ローマが公会議路線をはっきりと捨てるまでは,そことは無関係のままでいたいと望んでいることだけを知らせることです( "Let your Superiors know, as discretely as you like but in no uncertain terms, that you want nothing, but nothing, to do with Conciliar Rome, until it clearly abandons the Council. " ).
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
第3パラグラフの先の訳注:
教導権( "Magisterium" )についての簡単な概説
・ローマ・カトリック教会が真理を教える権威と権限を「教導権(きょうどうけん)」という.
特にカトリック教会の諸々の司教,また教皇によって行使される.
・英語で " Magisterium, the Office of Master (= teacher) ", また,"Magistère de l'Église catholique"(フランス語),"Magistero della Chiesa cattolica"(イタリア語)など.
19世紀半ばのラテン語 "Magister" に由来(ゆらい)する.
・この「教導権」は全宇宙を超えたものであり(何故なら,宇宙も神の創造された被造物の一つだからである),すなわち神とともに世の初めから存在する.
したがって,宇宙・地球に限定して存在するあらゆる人間社会は,宇宙を超越した存在たる真の神の下に服すべき存在である.
・したがって,このカトリック教会の「教導権」以外のあらゆる地上の「教え導く権威」はすべて,いかなる国・いかなる個人・団体のものであっても,超宇宙的存在たるこの絶対の真理を教える唯一のカトリック教会の「教導権」の下に服すべきものとされる.
・カトリック教会は唯一の真の神の御子イエズス・キリストによって建てられ,そのキリストの代理者・後継者は,キリストに後継を委託された使徒 "Apostol" 聖ペトロの後継者たるローマ教皇である.
・キリストは「王・大牧者」であり,カトリック教会の司教・教皇(=ローマの司教)は王たるキリストの「僕(しもべ)たる牧者」であり,全世界の「羊の群れ(カトリック教会の信者たち〈=キリストを信じる人たち,真理に従う人たち〉)」を養(やしな)う.
・世のすべては神の御子イエズス・キリストにあって創造され,キリストはその創造の初めから在られた.
・そして初めの人アダムとエワの堕落(だらく)により,すべての被造物が生来もつようになってしまった原罪の呪(のろ)いによって,神の生命の祝福から断絶させられてしまった世を救うため,キリストは救世主として世に下られ,生来恩寵に充ち満たされた無原罪のおとめマリアの御胎内に,聖霊によって宿られ,人間となってお生まれになり,世のあらゆる罪を担(にな)い,多くの苦しみを受け,十字架につけられて死に,復活されたことによって,「罪の支払う報酬」たる死に勝利され,世のあらゆる罪を贖(あがな)い,そうして世を救済し永遠の生命の祝福を回復して下さった王である.
・復活されたキリストへの信仰により,人の罪は,罪を犯したことのないキリストの尊い御血の犠牲により贖われ,罪の呪いから解放され,キリストと同じように,死後に新しい生命に復活することができる.
・すべての被造物は王たるキリストのもとに再び神の祝福に与(あずか)ることができるようになり,王キリストに従い,王キリストとともに世を支配し,キリストとともに永遠の神のもとに従い生きる.
・新しい世(神の都エルサレム)はキリストによる真の平和が永遠に支配する.
これがカトリック教の真理の教えの概説(がいせつ)である.
・上述のような理由から,神たるキリストの地上における代理者である教皇とカトリック教会は不可謬(ふかびゅう)・無謬(=「決して誤(あやま)ることがない,まちがうことがない」という意味)とされる ( "the infallible Sacred Magisterium", "the infallibility of the Catholic Church and the decrees of Popes" ).
(注・「謬(びゅう)」=あやまり,まちがい.地上のカトリック教会における個々の人間的なあやまりではなく,真理たる神のなさることにあやまりはあり得ない,という絶対真理のことを指している.
人間と異なり,神は全知全能で「無」から「有」を生み出すことさえお出来になる方だからである.)
・地上であらゆる国家・個人がそれぞれに限定された教えを説く「通常の」諸権威
"magisterium" に対して,カトリック教会とその諸司教,教皇が絶対の真理の教えを説く不
可謬の「教導権」"the infallible Sacred Magisterium" は「唯一異例・特別の」権威として,他
の諸々の「通常の」諸権威から分けられる.
* * *
新約聖書・マテオによる聖福音書・第28章全章,特に16-20節を参照.
THE HOLY GOSPEL OF JESUS CHRIST, ACCORDING TO ST. MATTHEW XXVIII, 1-20 (16-20)
EVANGELIUM SECUNDUN MATTÆUM XXVIII, 1-20 (16-20)
第28章
復活(28・1-15)
『1 さて,安息日を終えて,週の始めの日の夜明けごろ,マグダラのマリアと*他のマリアは墓を訪れた.
"AND in the end of the sabbath, when it began to dawn towards the first day of the week, came Mary Magdalen and the other Mary, to see the sepulchre.
2 すると大地震が起こり,*主の天使が天から下って石をわきに転ばし,その上に座った.
And behold there was a great earthquake. For an angel of the Lord descended from heaven, and coming, rolled back the stone, and sat upon it.
3 その姿は稲妻(いなずま)のように輝(かがや)き,その服は雪のように白かった.
And his countenance was as lightning, and his raiment as snow.
4 番兵たちは恐れおののいて死人のようになった.
And for fear of him, the guards were struck with terror, and became as dead men.
5 そのとき天使は婦人たちに向かって言われた,「恐れるな.私はあなたたちが,十字架につけられたイエズスをさがしているのを知っている.
And the angel answering, said to the women: Fear not you; for I know that you seek Jesus who was crucified.
6 だがもうここにはましまさぬ.おことばどおり復活された.イエズスが納められたその場所を見に来るがよい.
He is not here, for he is risen, as he said. Come, and see the place where the Lord was laid.
7 それからすぐ弟子たちに知らせに行き,〈イエズスは死者の中からよみがえられた.みなに先立ってガリラヤに行かれるからそこで会える〉と言え.これが私の告げることのすべてだ」.
And going quickly, tell ye his disciples that he is risen: and behold he will go before you into Galilee; there you shall see him. Lo, I have foretold it to you.
8 婦人たちは恐れと同時に非常な喜びを感じ,すぐ墓を去って弟子たちに知らせに走った.
And they went out quickly from the sepulchre with fear and great joy, running to tell his disciples.
9 するとイエズスは彼女たちと出会い,「*あなたたちにあいさつする」と言われた.女たちは進み出て,足を抱いてひれ伏した.
And behold Jesus met them, saying: All hail. But they came up and took hold of his feet, and adored him.
10 *イエズスは言われた,「恐れることはない.兄弟たちにガリラヤに行けと知らせに行け.向こうで私に会えるだろう」.
Then Jesus said to them: Fear not. Go, tell my brethren that they go into Galilee, there they shall see me.
11 婦人たちが去ると,数人の番兵が町に行って,起こったことをすべて司祭長たちに告げた.
Who when they were departed, behold some of the guards came into the city, and told the chief priests all things that had been done.
12 司祭長たちは長老と集まって協議し,兵卒たちに多くの金を与えて言い含めた,
And they being assembled together with the ancients, taking counsel, gave a great sum of money to the soldiers,
13 〈*あの男の弟子たちが夜中に来て,われわれの眠っている間に屍(しかばね)を盗んでいった〉と言え.
Saying: Say you, His disciples came by night, and stole him away when we were asleep.
14 これがもし総督の耳に入っても,われわれがなだめておまえたちには迷惑をかけぬ」.
And if the governor shall hear this, we will persuade him, and secure you.
15 兵卒たちは金をもらって,言い含められたとおりにしたので,この話はユダヤ人の間に言い広められ今日に至っている.
So they taking the money, did as they were taught: and this word was spread abroad among the Jews even unto this day.
使徒らの派遣 (28・16-20)
16 *ガリラヤに行った十一人の弟子は,イエズスが命令された山に登り,
And the eleven disciples went into Galilee, unto the mountain where Jesus had appointed them.
17 イエズスに会ってひれ伏した.けれども中には疑う者もあった.
And seeing them they adored: but some doubted.
18 イエズスは彼らに近づいて言われた,「私には天と地のいっさいの権威が与えられている.
And Jesus coming, spoke to them, saying: All power is given to me in heaven and in earth.
19 行け,諸国(しょこく)の民に教え,聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊(せいれい)の名によって洗礼(せんれい)を授(さず)け,
Going therefore, teach ye all nations; baptizing them in the name of the Father, and of the Son, and of the Holy Ghost.
20 *私が命じたことをすべて守るように教えよ.私は世の終わりまで常におまえたちとともにいる」.』
Teaching them to observe all things whatsoever I have commanded you: and behold I am with you all days, even to the consummation of the world."
(注釈)
第4部
イエズスの光栄 (28・1‐20)
復活(28・1-15)
1 ヤコボのマリア (マルコ16・1、ルカ24・10). このマリアは,葬(ほうむ)りの時にマグダラのマリアとともにいた.そして,27・56 にあるヤコボとヨゼフの母である.
2 天使が石を転ばしたとき,イエズスはもう復活していた.
9 ヨハネ20・14 の時の出現と同じらしい.
* 26・49 の注参照.
10 ルカやヨハネと異なり,マテオはユダヤでのイエズスの出現を記していない.マテオは出現を全部記(しる)す意図(いと)はなかった.
13 愚かな策略である.番兵がもし眠っていたならば,弟子たちがイエズスの屍(しかばね)を盗(ぬす)んだとどうしてわかったか.もし眠っていなかったとすれば,なぜむざむざ盗ませたか.
使徒らの派遣 (28・16-20)
16 使徒らはすぐガリラヤに行かず,一週間以上エルサレムにとどまって,そこで復活したイエズスの出現を見た (ヨハネ20・26).
20 キリスト紀元以後の歴史家が,すでに実現したと認めている尊い約束である.キリスト教会において生き,行い,勝利を得るのは,キリスト・イエズスである.
* * *
第3パラグラフの後の訳注:
「私たちの主イエズス・キリストのお言葉どおり「彼らを一つにさせたまえ」である.(ディ・ノイア大司教の書簡の結び.)」から
「彼らを一つにさせたまえ」(神の御子・救世主イエズス・キリスト御自身のみことば)についての聖福音書からの引用.
新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第17章21節
THE HOLY GOSPEL OF JESUS CHRIST, ACCORDING TO ST. JOHN XVII, 21 (英語)
EVANGELIUM SECUNDUM IOANNEM XVII, 21 (ラテン語)
『…父よ,あなたが私の中にましまし,私があなたの中にあるように,みなが一つになりますように.彼らも私たちにおいて一つになりますように.それは,あなたが私を遣(つか)わされたことを世に信じさせるためであります.…』
"… That they all may be one, as thou, Father, in me, and I in thee; that they also may be one in us; that the world may believe that thou hast sent me."
"… ut omnes unum sint, sicut tu Pater in me, et ego in te, ut et ipsi in nobis unum sint: ut credat mundus, quia tu me misisti."
* * *
ヨハネによる聖福音書:第17章全章を追記いたします.
* * *
2013年2月23日土曜日
2013年2月11日月曜日
291 四回目の裁判 2/9
エレイソン・コメンツ 第291回 (2013年2月9日)
1月16日,南ドイツのレーゲンスブルグ地方裁判所で開かれた私の「ホロコースト否定」に関する最新の公判について,一読者から質問が寄せられました.エレイソン・コメンツの読者の皆さんはご記憶のこととおもいますが,私が罪に問われたのは2008年11月1日,私がスウェーデンのテレビ局でスウェーデン人記者のインタビューに応じて話した内容が始まりでした.インタビューは聖ピオ十世会のドイツ神学校内にある聖具保管室(=香部屋〈こうべや〉)で行われ,私と同記者以外だれも同席者はいませんでした.ただ,インタビューはドイツ国内で行われました.私はインタビューで,第二次世界大戦中のヒトラー支配下で「600万人のユダヤ人」が死んだとは信じていないこと,「ガス室」で死んだユダヤ人は一人もいないと考えていることを話しましたが,このことも読者の皆さんはご記憶のことでしょう.
私はこの信念を「ホロコースト否定」を法律で罰するドイツで述べたことで,2010年レーゲンスブルグ地方裁判所で裁判にかけられて有罪判決を受け,1万ユーロの罰金の支払いを命じられました.私は控訴しました.2011年同裁判所は再び私に有罪判決を下しましたが,罰金は6500ユーロに減額されました.私が再び訴えた(上訴)ため,裁判はより上級の(=上級審・上級裁判所である),ニュルンベルグの州裁判所へ持ち込まれました.同裁判所は外圧の影響を受ける度合いが少ないと聞かされていました.三名の判事は手続き上の理由で検察側の訴追を却下する判決を下し,ババリア(=バイエルン)州政府に対し公判費用の支払いを命じました.だが,同裁判所は州政府が手続き上の誤りを修正し,訴訟をやり直すことは可能との判断を示しました.
ところで,いわゆる「ホロコースト」なるものが新世界秩序における世俗的な宗教(そこではアウシュビッツがカルワリオの丘に,ガス室が私たちの主イエズス・キリストの十字架にとって代わり,600万人が救世主の代役を果たしています) のために役立つことはないでしょう. 第二次世界大戦後のドイツ人は第三帝国が犯したとされる罪のため何度も胸をたたいて悲しみを表わさない限り自尊心を持てないと考えているのではないかと私には思えます. だから,彼らは「ホロコースト否定」を復讐心(ふくしゅうしん)に燃えて追及するのでしょう.そして1月16日,私はレーゲンスブルグの女性判事の前で三回目の訴追を受けました.
今回は二人のドイツ人弁護士が懸命に私を弁護してくれました.だが,彼らの努力は無駄におわり,私は再び有罪判決を受けました.ただし,女性判事は有罪に付される烙印(らくいん)( "the stigma" )を軽減してくれました.彼女は私が失職状態にあることに同情してか,罰金を1,600ユーロに減額しました.疑いなく,私が大幅に減額された罰金を支払えば,ババリア州政府は喜んで裁判を終わりにしたいところなのでしょう.聖ピオ十世会の心穏(おだ)やかで気高(けだか)い一人のかつてからの同僚(どうりょう)が私に代わって罰金の支払いを全額自分に肩代わりさせてほしいと心から申し出てくれました.だが,この裁判の争点は金銭以上のものなのです.偉大なる国家,真の宗教,神の世界秩序 ( "A great nation, the true religion and God’s World Order" ) などすべてがかかわっているのです.
ラテン人はかつて「真実は絶対的であり勝利する」と言いました.裏を返せば,諸々の偽(いつわ)りに根差(ねざ)す国家,宗教,世界秩序は脆弱(ぜいじゃく)で,究極的には崩れ落ちるということでしょう ( " “Truth is mighty and will prevail”, said the Latins. So any nation, religion or World Order resting on untruths is fragile and will crumble in the end." ). 私にとって真実とは,私の心が現実と合致(がっち)することです.国家の自尊心願望,宗教が感じるニーズ,無神の世界秩序の要求といったものと合致することではありません ( "Now truth lies in the matching of my mind to reality, and not to cravings for national self-respect, nor to felt needs of religion, nor to the demands of any godless World Order." ). 歴史的な真実は証拠を伴(ともな)うものです.その最たる例は,過去にさかのぼる物理的遺品でしょう.そうしたものは,人間の感情とは全く別箇(べっこ)のものだからです ( "And historical truth goes by evidence, the most reliable kind of which is the material relics of the past, because these are in principle quite independent of human emotions." ). 私たちの主イエズス・キリストは「このために我は生まれたり,このために我はこの世に来たり.我はこれをもって真実の証(あか)しとなす」と言われました(新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第18章37節)(訳注後記).このお言葉のなんと穏(おだ)やかなことでしょう ( " “For this was I born, and for this I came into the world; that I should give testimony to the truth,” says Our Lord (Jn. XVIII, 37). What tranquillity in the divine words ! " )!
私は同僚の申し出を鄭重(=丁重)にお断りしました.私は再び控訴しました.
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
訳注を追記いたします.
* * *
1月16日,南ドイツのレーゲンスブルグ地方裁判所で開かれた私の「ホロコースト否定」に関する最新の公判について,一読者から質問が寄せられました.エレイソン・コメンツの読者の皆さんはご記憶のこととおもいますが,私が罪に問われたのは2008年11月1日,私がスウェーデンのテレビ局でスウェーデン人記者のインタビューに応じて話した内容が始まりでした.インタビューは聖ピオ十世会のドイツ神学校内にある聖具保管室(=香部屋〈こうべや〉)で行われ,私と同記者以外だれも同席者はいませんでした.ただ,インタビューはドイツ国内で行われました.私はインタビューで,第二次世界大戦中のヒトラー支配下で「600万人のユダヤ人」が死んだとは信じていないこと,「ガス室」で死んだユダヤ人は一人もいないと考えていることを話しましたが,このことも読者の皆さんはご記憶のことでしょう.
私はこの信念を「ホロコースト否定」を法律で罰するドイツで述べたことで,2010年レーゲンスブルグ地方裁判所で裁判にかけられて有罪判決を受け,1万ユーロの罰金の支払いを命じられました.私は控訴しました.2011年同裁判所は再び私に有罪判決を下しましたが,罰金は6500ユーロに減額されました.私が再び訴えた(上訴)ため,裁判はより上級の(=上級審・上級裁判所である),ニュルンベルグの州裁判所へ持ち込まれました.同裁判所は外圧の影響を受ける度合いが少ないと聞かされていました.三名の判事は手続き上の理由で検察側の訴追を却下する判決を下し,ババリア(=バイエルン)州政府に対し公判費用の支払いを命じました.だが,同裁判所は州政府が手続き上の誤りを修正し,訴訟をやり直すことは可能との判断を示しました.
ところで,いわゆる「ホロコースト」なるものが新世界秩序における世俗的な宗教(そこではアウシュビッツがカルワリオの丘に,ガス室が私たちの主イエズス・キリストの十字架にとって代わり,600万人が救世主の代役を果たしています) のために役立つことはないでしょう. 第二次世界大戦後のドイツ人は第三帝国が犯したとされる罪のため何度も胸をたたいて悲しみを表わさない限り自尊心を持てないと考えているのではないかと私には思えます. だから,彼らは「ホロコースト否定」を復讐心(ふくしゅうしん)に燃えて追及するのでしょう.そして1月16日,私はレーゲンスブルグの女性判事の前で三回目の訴追を受けました.
今回は二人のドイツ人弁護士が懸命に私を弁護してくれました.だが,彼らの努力は無駄におわり,私は再び有罪判決を受けました.ただし,女性判事は有罪に付される烙印(らくいん)( "the stigma" )を軽減してくれました.彼女は私が失職状態にあることに同情してか,罰金を1,600ユーロに減額しました.疑いなく,私が大幅に減額された罰金を支払えば,ババリア州政府は喜んで裁判を終わりにしたいところなのでしょう.聖ピオ十世会の心穏(おだ)やかで気高(けだか)い一人のかつてからの同僚(どうりょう)が私に代わって罰金の支払いを全額自分に肩代わりさせてほしいと心から申し出てくれました.だが,この裁判の争点は金銭以上のものなのです.偉大なる国家,真の宗教,神の世界秩序 ( "A great nation, the true religion and God’s World Order" ) などすべてがかかわっているのです.
ラテン人はかつて「真実は絶対的であり勝利する」と言いました.裏を返せば,諸々の偽(いつわ)りに根差(ねざ)す国家,宗教,世界秩序は脆弱(ぜいじゃく)で,究極的には崩れ落ちるということでしょう ( " “Truth is mighty and will prevail”, said the Latins. So any nation, religion or World Order resting on untruths is fragile and will crumble in the end." ). 私にとって真実とは,私の心が現実と合致(がっち)することです.国家の自尊心願望,宗教が感じるニーズ,無神の世界秩序の要求といったものと合致することではありません ( "Now truth lies in the matching of my mind to reality, and not to cravings for national self-respect, nor to felt needs of religion, nor to the demands of any godless World Order." ). 歴史的な真実は証拠を伴(ともな)うものです.その最たる例は,過去にさかのぼる物理的遺品でしょう.そうしたものは,人間の感情とは全く別箇(べっこ)のものだからです ( "And historical truth goes by evidence, the most reliable kind of which is the material relics of the past, because these are in principle quite independent of human emotions." ). 私たちの主イエズス・キリストは「このために我は生まれたり,このために我はこの世に来たり.我はこれをもって真実の証(あか)しとなす」と言われました(新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第18章37節)(訳注後記).このお言葉のなんと穏(おだ)やかなことでしょう ( " “For this was I born, and for this I came into the world; that I should give testimony to the truth,” says Our Lord (Jn. XVIII, 37). What tranquillity in the divine words ! " )!
私は同僚の申し出を鄭重(=丁重)にお断りしました.私は再び控訴しました.
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
訳注を追記いたします.
* * *
2013年2月5日火曜日
290 テレサの祈り 2/2
エレイソン・コメンツ 第290回 (2013年2月2日)
今日(こんにち),私たちの周(まわ)りでどれほど多くの霊魂から神が失われていることでしょうか.その状況は常軌(じょうき)を逸(いつ)しています( "It is extraordinary how far God is lost to the great number of souls around us today." ).私たち一人一人が,「生き,動き,存在している」のは,神の中においてなのです(新約聖書・使徒行録:第17章28節)(訳注後記1)( "It is in him that every one of us “lives and moves and has his being” (Acts, XVII, 28)." ).神なしには,私たちは誰も自力(じりき)で指一本持ち上げることも,考え一つ心に抱(いだ)くことも,あるいはいかなる自然的な善行(ぜんぎょう)の一つをも行い得ません.まして超自然(ちょうしぜん)的な(=奇跡〈きせき〉的な)善行を行うなど到底不可能です( "Without him we cannot lift a finger, think a thought or do any naturally good action, let alone any supernaturally good action." ).私達が神に頼らず自力でできるのは,せいぜい罪を犯すことくらいです( "All that we can do by ourselves, without him, is to sin, …" ).たとえその罪深(つみぶか)い行いが行為として( "as action" )神から発(はっ)するものである場合でも,その(訳注・行為の持つ)罪深さ(訳注・の部分)( "its sinfulness" )のみが私たち自身から発するものなのです( "… and even then the sinful action as action comes from God, only its sinfulness comes from ourselves, …" ).なぜなら,その罪深さ自体はなんらポジティブなものでなく欠陥(けっかん)のあるものだからです( "… because the sinfulness is in itself something not positive but defective." ).
それでも私たちの周りでは多くの霊魂が神をあたかも存在しないかのように扱(あつか)い,さもなければ,たとえ神の存在を認めるとしても,神などさして重要でないと考えています( "Yet the mass of souls around us treat God as though he does not exist, or, if he does exist, as though he is of no importance. " ).これはまさに信じがたい状況です.そして,その状況は日増しに悪化しています.このような状況が続いていいはずがありません( "It is a truly incredible state of affairs. It is getting worse day by day. It cannot last." ).現在の状況はまさしくノアの時代の人類の状態に例(たと)えることができます( "It can only be compared with the state of mankind in the time of Noah." ).当時,人間の堕落(だらく)は創世の書・第6章11-12節(旧約聖書)(訳注後記2)に記されているようにひどかったため,神が多くの人間を救うには彼らの持つ最も貴重(きちょう)な資質(ししつ),すなわち自由意志の行使を取り上げてしまわない限り ―― 誰かが人に何かを無理矢理(むりやり)させようとしたとき,ほとんどの人がどう反発するか考えてみてください! ―― 彼ら人間に対し全世界にあまねく行(ゆ)きわたる(訳注・地上のみならず宇宙規模で世界中を隈〈くま〉なく巻き込む)懲罰(ちょうばつ)(訳注・=大規模な天災地変〈てんさいちへん〉)を加えその(訳注・=災害の)中で(訳注・世界全地の人間が自分たちの堕落を自分たち自身で)後悔する時間を与えるしか方法が他に一つも残されていなかったのです( "Men’s corruption at that time was such (Gen. VI, 11-12) that unless God took away from them the use of their most precious endowment, their free-will – just see how most men react when one tries to force them to do something ! – then the only way they left for him to save any significant number of them was to inflict a universal chastisement in which they would nevertheless have time to repent." ). 神がお選びになったその唯一(ゆいいつ)の方法がノアの時代の大洪水(だいこうずい)でした.これは多くの地理的(ちりてき)証拠(しょうこ)が証明する歴史的な出来事でした( "That was the Flood, a historical event proved by a mass of geological evidence." ).
今日でも,ノアの時代と同じように,世界中あまねく懲罰を与えることが,多くの霊魂が永遠に地獄へ落ちる恐怖から救われるために人類が神の御前に残した唯一の方法であるに違いありません( "Similarly today, a worldwide chastisement is surely, before God, the only way that mankind has left for him to save still any large number of souls from the horror of their damning themselves for eternity. " ).ノアの時と同じように,神の御慈悲(ごじひ,=御憐〈おんあわ〉れみ)は多くの霊魂が望めば自(みずか)らを救うのに必要な時間と知恵をお与えくださるでしょう( "As in Noah’s time, the mercy of God makes it virtually certain that the huge number of souls will be given the time and knowledge necessary to save themselves if they wish. " ).そして,その後で,救われた多くの霊魂(悲しいかな,大多数ではありません)は自分が今日の堕落の道をたどることで地獄に落ちることがなかったのは懲罰を与えられたお蔭(かげ)だと認めるでしょう( "And afterwards many of the large number that will be saved (alas, not the majority) will recognize that only that chastisement saved them from drifting with today’s corruption all the way down to Hell. " ).
それでもなお,私たちは威厳(いげん)ある神の正当な怒りの爆発に触れるのではないかとの不安を容易(ようい)に断ち切れ(たちきれ)ません( "Still, it will be easy to be frightened by the explosion of the just anger of a majestic God." ).はるか遠く隔(へだ)たった地にいた古代イスラエル人(=古代ユダヤ民族)たちはシナイ山上で神の御力が示されたことに恐れおののきました(旧約聖書・脱出の書〈出エジプト〉:第20章18節)( "From miles and miles away the Israelites were terrified by a demonstration of his power on the top of Mount Sinai (Exod. XX, 18)." )(訳注後記3).私たちの時代にあっては,アビラの聖テレサのあの有名な祈りを思い起こすといいでしょう(皆さんが覚えやすいよう,韻〈いん〉を含んだ形の英訳を以下にお示しします.):-- ( "In our own times it will be well to recall the famous prayer of St Theresa of Avila (given here with a rhyming translation into English to facilitate memorisation):-- " )
何事(なにごと)にも心乱(こころみだ)されず
何事も恐(おそ)るまじ
なべては過ぎ去り
神のみ変わり賜(たま)わず
忍耐はすべてを得(う)べし
神を所有し奉(たてまつ)らば
何事をも欠(か)かず
神のみにて足(た)れり
(邦訳・訳注後記4)
Nada te turbe,
Nada te espante,
Todo se pasa,
Dios no se muda.
La paciencia
Todo lo alcanza.
Quien a Dios tiene
Nada le falta.
Solo Dios basta.
(スペイン語 〈原語〉)
Let nothing fret you,
Nothing upset you.
Everything falters,
God never alters.
Patience withal
Will obtain all.
Who to God will cling
Can lack for no thing.
God alone is enough.
(英訳)
イエズスの聖心(みこころ)よ,私の持てる全ての信頼をあなたの上に置きます.あなたを信頼します.私の信頼不足をお助け下さい!( "Sacred Heart of Jesus, all the trust I can lay my hands on, I put in you. Help my lack of trust ! " )(訳注後記5)
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
(注)
「アビラ」 "Ávila" について:
・スペイン( España 〈エスパーニャ〉)中部 Castilla y León (カスティーリャ・イ・レオン)自治州, Ávila 県の県都. Madrid (マドリード)郊外(西 87km )の標高(ひょうこう) 1132km に位置する.
・12 世紀につくられた約 2500m に及ぶ多角形の城壁(じょうへき)で囲まれる旧市街(きゅうしがい)は, 12-16 世紀の大聖堂,この地で生まれた聖女 Teresa を記念する聖テレサ修道院など,古い宮殿や荘重(そうちょう)な建物が多く, 1985 年世界遺産の文化遺産に登録.
(「ブリタニカ国際大百科事典」参照)
「アビラの聖テレサ」 "Santa Teresa de Ávila" について:
・=「イエズスの聖テレサ」
"Santa Teresa de Jesús" (スペイン語)
"Sancta Teresiæ a Iesu", "Sancta Teresiæ, virginis" (ラテン語)
(「童貞,聖女テレジア」,「イエズスの聖テレジア」 〈 ローマ・ミサ典書・祝日 10 月 15 日〉 より )
"Saint Theresa of Jesus", "Saint Theresa of Ávila" (英語)
・スペイン(当時は「カスティーリャ王国」)・アビラ出身の修道女( 1515-1582 年 ).
・「女子跣足(せんぞく)カルメル会(修道会)」 創立者.
Fundadora de "La Orden de los Carmelitas Descalzos" (1562). (スペイン語)
Founder of "The Order of the Discalced Friars of the Order of the Blessed Virgin Mary of Mount Carmel" ( "The Discalced Carmelites", "The Barefoot Carmelites" ). (英語).
・16世紀,当時のカルメル修道会を改革し,会則をより厳格(げんかく)なものにした.
・カトリック教会の 「聖人」 ( 1622 年列聖).
・「教会博士」 (カトリック教会史上,女性で初めて「教会博士」の称号を授かる)
* * *
①訳注その1(第1パラグラフ):
新約聖書:使徒行録:第17章28節(27節後半から28節前半を掲載〈けいさい〉します.)
THE ACTS OF THE APOSTLES, XVII, 27-28
『というのは,神は私たちから遠く離れてまします方ではありません.私たちは神の中に生き,動き,存在するものです.』
"27- That they should seek God, if happily they may feel after him or find him, although he be not far from every one of us: 28- For in him we live, and move, and are; …"
(第17章全章を追記いたします.)
* * *
残りの訳注(「その2」から「その5」まで)を追記いたします.
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今日(こんにち),私たちの周(まわ)りでどれほど多くの霊魂から神が失われていることでしょうか.その状況は常軌(じょうき)を逸(いつ)しています( "It is extraordinary how far God is lost to the great number of souls around us today." ).私たち一人一人が,「生き,動き,存在している」のは,神の中においてなのです(新約聖書・使徒行録:第17章28節)(訳注後記1)( "It is in him that every one of us “lives and moves and has his being” (Acts, XVII, 28)." ).神なしには,私たちは誰も自力(じりき)で指一本持ち上げることも,考え一つ心に抱(いだ)くことも,あるいはいかなる自然的な善行(ぜんぎょう)の一つをも行い得ません.まして超自然(ちょうしぜん)的な(=奇跡〈きせき〉的な)善行を行うなど到底不可能です( "Without him we cannot lift a finger, think a thought or do any naturally good action, let alone any supernaturally good action." ).私達が神に頼らず自力でできるのは,せいぜい罪を犯すことくらいです( "All that we can do by ourselves, without him, is to sin, …" ).たとえその罪深(つみぶか)い行いが行為として( "as action" )神から発(はっ)するものである場合でも,その(訳注・行為の持つ)罪深さ(訳注・の部分)( "its sinfulness" )のみが私たち自身から発するものなのです( "… and even then the sinful action as action comes from God, only its sinfulness comes from ourselves, …" ).なぜなら,その罪深さ自体はなんらポジティブなものでなく欠陥(けっかん)のあるものだからです( "… because the sinfulness is in itself something not positive but defective." ).
それでも私たちの周りでは多くの霊魂が神をあたかも存在しないかのように扱(あつか)い,さもなければ,たとえ神の存在を認めるとしても,神などさして重要でないと考えています( "Yet the mass of souls around us treat God as though he does not exist, or, if he does exist, as though he is of no importance. " ).これはまさに信じがたい状況です.そして,その状況は日増しに悪化しています.このような状況が続いていいはずがありません( "It is a truly incredible state of affairs. It is getting worse day by day. It cannot last." ).現在の状況はまさしくノアの時代の人類の状態に例(たと)えることができます( "It can only be compared with the state of mankind in the time of Noah." ).当時,人間の堕落(だらく)は創世の書・第6章11-12節(旧約聖書)(訳注後記2)に記されているようにひどかったため,神が多くの人間を救うには彼らの持つ最も貴重(きちょう)な資質(ししつ),すなわち自由意志の行使を取り上げてしまわない限り ―― 誰かが人に何かを無理矢理(むりやり)させようとしたとき,ほとんどの人がどう反発するか考えてみてください! ―― 彼ら人間に対し全世界にあまねく行(ゆ)きわたる(訳注・地上のみならず宇宙規模で世界中を隈〈くま〉なく巻き込む)懲罰(ちょうばつ)(訳注・=大規模な天災地変〈てんさいちへん〉)を加えその(訳注・=災害の)中で(訳注・世界全地の人間が自分たちの堕落を自分たち自身で)後悔する時間を与えるしか方法が他に一つも残されていなかったのです( "Men’s corruption at that time was such (Gen. VI, 11-12) that unless God took away from them the use of their most precious endowment, their free-will – just see how most men react when one tries to force them to do something ! – then the only way they left for him to save any significant number of them was to inflict a universal chastisement in which they would nevertheless have time to repent." ). 神がお選びになったその唯一(ゆいいつ)の方法がノアの時代の大洪水(だいこうずい)でした.これは多くの地理的(ちりてき)証拠(しょうこ)が証明する歴史的な出来事でした( "That was the Flood, a historical event proved by a mass of geological evidence." ).
今日でも,ノアの時代と同じように,世界中あまねく懲罰を与えることが,多くの霊魂が永遠に地獄へ落ちる恐怖から救われるために人類が神の御前に残した唯一の方法であるに違いありません( "Similarly today, a worldwide chastisement is surely, before God, the only way that mankind has left for him to save still any large number of souls from the horror of their damning themselves for eternity. " ).ノアの時と同じように,神の御慈悲(ごじひ,=御憐〈おんあわ〉れみ)は多くの霊魂が望めば自(みずか)らを救うのに必要な時間と知恵をお与えくださるでしょう( "As in Noah’s time, the mercy of God makes it virtually certain that the huge number of souls will be given the time and knowledge necessary to save themselves if they wish. " ).そして,その後で,救われた多くの霊魂(悲しいかな,大多数ではありません)は自分が今日の堕落の道をたどることで地獄に落ちることがなかったのは懲罰を与えられたお蔭(かげ)だと認めるでしょう( "And afterwards many of the large number that will be saved (alas, not the majority) will recognize that only that chastisement saved them from drifting with today’s corruption all the way down to Hell. " ).
それでもなお,私たちは威厳(いげん)ある神の正当な怒りの爆発に触れるのではないかとの不安を容易(ようい)に断ち切れ(たちきれ)ません( "Still, it will be easy to be frightened by the explosion of the just anger of a majestic God." ).はるか遠く隔(へだ)たった地にいた古代イスラエル人(=古代ユダヤ民族)たちはシナイ山上で神の御力が示されたことに恐れおののきました(旧約聖書・脱出の書〈出エジプト〉:第20章18節)( "From miles and miles away the Israelites were terrified by a demonstration of his power on the top of Mount Sinai (Exod. XX, 18)." )(訳注後記3).私たちの時代にあっては,アビラの聖テレサのあの有名な祈りを思い起こすといいでしょう(皆さんが覚えやすいよう,韻〈いん〉を含んだ形の英訳を以下にお示しします.):-- ( "In our own times it will be well to recall the famous prayer of St Theresa of Avila (given here with a rhyming translation into English to facilitate memorisation):-- " )
何事(なにごと)にも心乱(こころみだ)されず
何事も恐(おそ)るまじ
なべては過ぎ去り
神のみ変わり賜(たま)わず
忍耐はすべてを得(う)べし
神を所有し奉(たてまつ)らば
何事をも欠(か)かず
神のみにて足(た)れり
(邦訳・訳注後記4)
Nada te turbe,
Nada te espante,
Todo se pasa,
Dios no se muda.
La paciencia
Todo lo alcanza.
Quien a Dios tiene
Nada le falta.
Solo Dios basta.
(スペイン語 〈原語〉)
Let nothing fret you,
Nothing upset you.
Everything falters,
God never alters.
Patience withal
Will obtain all.
Who to God will cling
Can lack for no thing.
God alone is enough.
(英訳)
イエズスの聖心(みこころ)よ,私の持てる全ての信頼をあなたの上に置きます.あなたを信頼します.私の信頼不足をお助け下さい!( "Sacred Heart of Jesus, all the trust I can lay my hands on, I put in you. Help my lack of trust ! " )(訳注後記5)
キリエ・エレイソン.
リチャード・ウィリアムソン司教
* * *
(注)
「アビラ」 "Ávila" について:
・スペイン( España 〈エスパーニャ〉)中部 Castilla y León (カスティーリャ・イ・レオン)自治州, Ávila 県の県都. Madrid (マドリード)郊外(西 87km )の標高(ひょうこう) 1132km に位置する.
・12 世紀につくられた約 2500m に及ぶ多角形の城壁(じょうへき)で囲まれる旧市街(きゅうしがい)は, 12-16 世紀の大聖堂,この地で生まれた聖女 Teresa を記念する聖テレサ修道院など,古い宮殿や荘重(そうちょう)な建物が多く, 1985 年世界遺産の文化遺産に登録.
(「ブリタニカ国際大百科事典」参照)
「アビラの聖テレサ」 "Santa Teresa de Ávila" について:
・=「イエズスの聖テレサ」
"Santa Teresa de Jesús" (スペイン語)
"Sancta Teresiæ a Iesu", "Sancta Teresiæ, virginis" (ラテン語)
(「童貞,聖女テレジア」,「イエズスの聖テレジア」 〈 ローマ・ミサ典書・祝日 10 月 15 日〉 より )
"Saint Theresa of Jesus", "Saint Theresa of Ávila" (英語)
・スペイン(当時は「カスティーリャ王国」)・アビラ出身の修道女( 1515-1582 年 ).
・「女子跣足(せんぞく)カルメル会(修道会)」 創立者.
Fundadora de "La Orden de los Carmelitas Descalzos" (1562). (スペイン語)
Founder of "The Order of the Discalced Friars of the Order of the Blessed Virgin Mary of Mount Carmel" ( "The Discalced Carmelites", "The Barefoot Carmelites" ). (英語).
・16世紀,当時のカルメル修道会を改革し,会則をより厳格(げんかく)なものにした.
・カトリック教会の 「聖人」 ( 1622 年列聖).
・「教会博士」 (カトリック教会史上,女性で初めて「教会博士」の称号を授かる)
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①訳注その1(第1パラグラフ):
新約聖書:使徒行録:第17章28節(27節後半から28節前半を掲載〈けいさい〉します.)
THE ACTS OF THE APOSTLES, XVII, 27-28
『というのは,神は私たちから遠く離れてまします方ではありません.私たちは神の中に生き,動き,存在するものです.』
"27- That they should seek God, if happily they may feel after him or find him, although he be not far from every one of us: 28- For in him we live, and move, and are; …"
(第17章全章を追記いたします.)
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残りの訳注(「その2」から「その5」まで)を追記いたします.
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