エレイソン・コメンツ 第238回 (2012年2月4日)
今日,不良金融は宗教的な意味合いをおびています.なぜなら,それは各自が自覚しているかどうかは別にして神の敵たちが全世界を隷属化(れいぞくか)させる上で重要な役割を果たしており,その中の最もずる賢いものたちは自分たちの究極の目的が(金欲のとりことされた)すべての霊魂を地獄に落とすことであることを十分承知しているに違いないからです.だが,彼らの金融機構(きんゆうきこう, “financial machinery” )の個々の機能に触れる前に,昨年10月29日付の「エレイソン・コメンツ」(訳注・第224回)で初めてご紹介した小額準備銀行の債務不履行性の全貌(ぜんぼう)( “the full delinquency of fractional reserve banking” )を理解する必要があります.
小額準備銀行とは,銀行が流通(りゅうつう)させている金(かね)のごく一部だけを準備金として保有し,顧客への預金払い戻しに備えていればいいことを意味します.この制度は中世後期に欧州で始まりました.銀行業者たちが預金として例えば金(きん)100オンスを預かり,所有者に同量の金の払い戻しが請求できるとことを証明する紙片(しへん)100枚を出しても,その後,例えば10人以上の顧客が一度に証書を持参して金の払い戻しを請求することはほとんどないと気づいたのがきっかけでした.そして,銀行が証書と引き換えにいつでも金を払い戻すと人々が信用する限り,その紙片はめでたく金銭としての役割を果たしうるようになり,人々の間で紙幣(しへい)として流通することになるわけです.
ところが,銀行家たちはやがて通常の営業では証書100通に備えるには金を10オンスだけ保有すれば十分,あるいは,100オンスの金を保有するなら証書を1,000通発行できると気づきました.この1,000通のうち900通は何の裏付けもないものです.それは銀行が何の裏付けもなしに造り出した「おかしなお金 “funny money” 」なのですが,10人の顧客のうちの一人以上が証書を現金化しようと望まない限り問題にならないと思われていたのです.
もし10人に一人以上が現金化しようとすれば,銀行はすべての証書と引き換えに払い戻す金がないわけです.そうなると銀行は払い戻しのため急きょどこかで金を借りてくるか,預金者はひどい信用詐欺(しんようさぎ, “a confidence trick” )に引っ掛かってしまったと思い知るかのいずれかでしょう.銀行に対する信用がひとたび消えてしまえば,誰もが自分のお金を即刻(そっこく)取り戻したいと望むでしょう ―銀行は少額準備金制度だけにより運営可能なのです― そして多数の顧客は無価値と化した紙切れを手にしたまま取り残されることになるでしょう.その銀行は当然倒産し,そんなものは完全に姿を消してもらいたいと誰もが望むことでしょう.
このように,少額準備金制度のあるところではどこでも銀行は本質的に脆弱(ぜいじゃく)であり,究極的には顧客に対して信用詐欺を働いているのです.外的には,銀行は多くの場合,必要な時に備えて中央銀行 “a central bank” から支援保証 “a guarantee of support” を取り付け自身を保護しているでしょう.その保証は保証人 “the guarantor” (中央銀行)の信用度分だけしか確実ではないわけですが,保証を与えている間すべての中央銀行に危険な権限 “a dangerous power” を与えます.これは不良金融のもう一つの側面ですが,これより複利システムの方 “that of compound interest” を優先して考えなければなりません.
金融制度では権力がかかっており,究極的にはすべての人間の霊魂の行方(ゆくえ)がかかっているのです( “Power is at stake, and ultimately souls”. ).こうした問題が宗教とは何の関係もないと,誰にも言えません.あの金の子牛 “the Golden Calf” のことを考えてみてください.(訳注後記)
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
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第6パラグラフの訳注:
「金の子牛」について
旧約聖書・脱出の書の参照:(後から掲載いたします)
Scriptural reference:
THE BOOK OF EXODUS of THE OLD TESTAMENT (THE HOLY BIBLE, DOUAY-RHEIMS VERSION).
第31章12節 ー 35章29節
XXXI (31) , 12 - XXXV (35) , 29.
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