2011年10月15日土曜日

無神論者の有神論?

エレイソン・コメンツ 第221回 (2011年10月8日)

ドイツの有名な作曲家ヨハネス・ブラームス “Johannes Brahms” (1833-1899) が遺(のこ)した興味をそそる言葉があります.それは宗教心などまったく持たない人間がそれでも客観的秩序の存在を認めていることを示すものです.そうした認識は現実観察に役立つものであり,ブラームスが彼の音楽に表現されている美しさを探り出すのを可能にしました.現代に生きる多くの人々にとっての危機は彼らが世の中には客観的なことなど全く存在しないと信じ切っていることです.彼らは自らの主観に閉じこもっており,そのことがまるで殺風景な牢屋(ろうや),自殺的(=自滅的・自暴自棄)な音楽を生み出しています.

ブラームスは1978年,当時著名なバイオリン演奏家で彼の友人だったヨーゼフ・ヨアヒム “Joseph Joachim” (1931-1907) のために「バイオリン協奏曲ニ長調」を作曲しました.彼の作品のなかでも最も素晴らしく広く愛されている曲のひとつです.ブラームスはヨアヒムがこの曲を演奏するのを聴き「なるほど,こういう演奏もあるのだ」と言いました.言い換えれば,ブラームスは協奏曲を作曲する間中,具体的にここはこういう風に演奏すべきだと心の耳で聴いていたのですが,他人がそれとは多少違った演奏をしたとしても理にかなったものだと認識したのです.

ブラームスが受け入れられない演奏スタイルが何通りかあったのは疑いのないところですが,演奏者が彼が作曲する際に目指した目標に違う方法で近づこうとしている限り,ブラームスは自分自身の演奏方法を主張する必要はないと感じていました.彼の考えでは,肝心なことは客観的な目標であり,そこへ向う主観的なアプローチではありませんでした.したがって,彼は自分の作曲でその目標に向う道筋をあらゆるタイプの演奏者に提供したのだから - 一定の許容範囲内であれば - 演奏者が好きなように演奏すればいいと考えていました.つまり,客観は主観に優(まさ)るということです.

突き詰めれば,このことは神が人間の上に存在することを意味します.だが,ブラームスはこのことを信じていませんでした.彼の友人で称賛者でもあるカトリック信者のチェコ人作曲家アントニン・ドヴォルザーク(1841-1904) “The Catholic Czech composer, Antonin Dvorak” はかつてブラームスについてつぎのように述べています.「何と偉大な人間だろう! とてつもなく偉大な魂だ! それなのに彼は何も信じていない! 何一つ信じていないのだ! 」 (訳注・原文: “What a great man ! Such a great soul ! And he believes in nothing ! He believes in nothing !” ) ブラームスは全くキリスト信者ではありませんでした - 彼は意図的に自作のドイツ・レクイエム “German Requiem” の中でイエズス・キリストに触れることを避けました.彼は自分が何かの信奉者であるとも認めませんでした - 彼は自分がそのレクイエムの中で聖書の文章を用いたのは宗教の告白などでなく感じを表現したかったからだと言っています.これは主観が客観より優位ということです.ブラームスが公言する不信心は彼の音楽の多くにおおらかさや喜びが欠けることにつながっていると言えるかもしれません.

だがブラームスの作品には秋を思わせる美しさと周到に作り出された秩序とがなんとあふれていることでしょうか! 例えば「バイオリン協奏曲」に見る職人技と自然美に触れると (訳注・原文: “This craftsmanship and reflection of the beauties of Nature…” ),どうすれば私を口先で否定しながら行動で称賛する人が出てくるだろうかと仰せられている私たちの主イエズス・キリストに思い当たります(マテオ聖福音:21・28-29).ほとんどの人々が彼キリストを口先で否定する今日,何らかの方法たとえば音楽や大自然を通じて,私たちの主が自ら創造した世界に植え付けた秩序を最低限でも重んじようとする人が何人いるでしょうか.そのような誠実さとは決してカトリック信仰だけが救いということからでなく,くすぶり続ける灯心(灯芯)を消してはならないということから生まれるでしょう(マテオ聖福音:12・20).

十分なカトリックの信仰心に恵まれたカトリック信徒の皆さん,自分たちの身の周りにいるそのような人たちを見分ける力を持ちましょう.そして,音楽であれほかのあらゆる分野であれ,神のもとから神の様々な敵たちにより引き離される群衆に対して思いやり (=深い同情,哀れみ,慈悲 )を持つようにしましょう(マルコ聖福音:8・2).

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


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引用された聖書の箇所を追記いたします.

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