エレイソン・コメンツ 第202回 (2011年5月28日)
結婚するかどうか確信が持てないある二人の男性が,先日どうしたら男性が男性たり得るかについてのマニュアルを書いてほしいと私に懇願(こんがん)してきました.それは二人の切実な苦悩の叫びでした:「いつ女性たちに優しくすべきで,いつ断固たる態度をとるべきなのか? どうにもわからないんです! 」 かつては,多くの男性たちにとってその疑問に対する答えは常識でした.だが,今日では権威が自由主義を煽(あお)る宣伝戦略によりひどく弱められてしまっているため,結婚生活で権威を行使することについての問題が,結婚より単なる同棲(どうせい)を選ぶ若者たちが多いことの一つの理由となっているのかもしれません.以下に述べることはマニュアルではありませんが,少なくとも二人のマスケット銃兵を正しい方向へ導くのに役立つかもしれません.
聖パウロは「さて私は(主イエズス・キリストの)父のみ前にひざまずこう ―― 父から天と地のすべての家族が起こったからである ――.」(エフェゾ3・14,15)と述べています(訳注後記).言い換えれば,神の創造物のあらゆる父権もしくは権威は神御自身の父権と権威を手本としておりそこから派生しています.ドストエフスキーは作品中の登場人物の一人に「もし神が存在しないとすれば,私に陸軍将校たるべき権利はない」と言わせています.したがって,もし人間が今日の世界全体で起きているように,神を自分たちの社会から追い出すなら,あらゆる権威が徹底的に弱体化されるというのは当然なことでしょう.個人においては,理性が感情を支配できないでしょうし,家庭では父親は家族を管理できず,国家においては民主主義が唯一の正当な政治形態に思えるようになるでしょう.
現在,家庭内部で日常生活を観察していて,男性は理性の行使において女性よりも優(まさ)り,女性は直観や感情において男性より優ることを否定できる者がはたしているでしょうか? これを疑うなら連続ホーム・コメディー番組(訳注後記)をどれでもいいから観(み)てみて下さい.現在は感情が生活の中で正当な位置を占めており,まるで奥さんのように,反撃されるのを覚悟の上で私たちはそれを蔑視(べっし)しています.だが,感情は行ったり来たりするもので不安定であり,行動の指針になりますが,あまり頼りにはなりません.これに対し,理性は何が客観的に真実で公正か(=正義に適(かな)うか)を見分けるなら,その客観的な真実や公正がどんな個人や個人の抱く諸々の感情をもすべて超越(ちょうえつ)するものだという事実により安定したものとなります.したがって,理性は感情に耳を傾けても構(かま)いませんが,それを支配しなくてはなりません.そういうわけで男性は,他の様々な資質を持つ女性がごく例外的にしか持ち合わせない男性としての自然な(=生来の)権威を持っているのです.男性が生来家族や家庭の長であり,女性が生まれながらに家族や家庭の心であるのはこのためです.
だが現代世界を支配するリベラリズム(自由主義)は客観的真実や公正・正義についての感覚をことごとく消滅させてしまいます.それにより,リベラリズムは理性からその対象を断ち切り,推論(すいろん)の対象を超えた独自の現実においてはその客観的な支えを奪(うば)ってしまいます.理性は男性の特権として存在しているので,リベラリズムは理性に左右されない本能( “feminine instincts” = 女性特有の本能 )を持つ女性に打撃を与える前に(理性を持つ)男性に打撃を与えます.同じように,リベラリズムは男性が自分より上位の存在,すなわち究極的には神聖な神の真理と神の正義 “divine Truth and Justice” に従うことで得る権威を低下させ,権威のあらゆる行使を恣意(しい)的なものにしてしまうのです.
そういうわけですから,若い男性諸君は,男女を問わず誰と交際するに当たっても,常に自ら真実で公正な人間たることを追求し常にそうあろうと心がけ,いま私たちの周りで公然とまかり通っている不誠実,不正義,また権威の恣意的な乱用の横行する今日の世の中で,いったい何が真実であり正義に適うことなのかを見分けるのに必要な助けを神に向かって願い求めることです.そうして自分の見極(みきわ)めたところに従って行動することです.そうすれば,あなたは権威を下から低下させるこの世の中で,上(天)からの男らしい権威を建て直すようになるでしょう.手短に言えば,「まず神の国と神の正義を求めよ.そうすれば,それらのもの(訳注・生活に必要なもの)も加えて与えられる.」(マテオ6・33)のです.(原文〈新約聖書・英語〉: “Seek ye first the kingdom of God, and His justice, and all these things shall be added unto you” (Mt. VI, 33).(訳注後記)
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
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(訳注)
① 第2パラグラフはじめの聖書の引用箇所について:
新約聖書・使徒聖パウロのエフェゾ人への手紙:第3章14,15節
・原文(英語) “St. Paul says : “I bow my knees to the Father of our Lord Jesus Christ of whom all paternity in heaven and earth is named” (Eph. III, 14,15) ”
・『さて私は(主イエズス・キリストの)父のみ前にひざまずこう ―― 父から天と地のすべての*¹家族が起こったからである ――.』
(注釈)
*¹ギリシア語の「パトリア」は,父性のことであるが,ここでは,父の権威下にある家族のことである.地上の人間の家族は,天の天使たちの階級に相対する.これらはみな神の子らである.
(「パトリア」 “πατριά (patria)” )
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② 第3パラグラフの「連続ホーム・コメディー番組」について:
原語 “sitcom” = “situation comedy” 「シットコム」
・ラジオやテレビでおよそ30分間程度放送される連続(シリーズもの)コメディ番組(コメディ・シリーズ)のこと.スタジオに集めた観衆の前で(実際の観衆の笑い声などの反応が入る),またはあらかじめ準備された拍手喝采などの録音を使用して,上演・録音(録画)され放送される.登場人物同士の口論や,もめ事がすぐに決着して収まるのが特徴(Britannica Concise Encyclopedia 参照).
・登場人物と場面設定とのからみのおもしろさで笑わせる(リーダーズ英和辞典より).
・同じ登場人物で毎回違った場面やエピソードを扱う(ジーニアス英和大辞典より).
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③ 第5パラグラフ最後の聖書の引用箇所について:
マテオによる聖福音書:第6章33節
・原文(英語): “Seek ye first the kingdom of God, and His justice, and all these things shall be added unto you” (Mt. VI, 33).
・新約聖書・マテオによる聖福音書:第6章19-34節を記載(該当箇所-太字部分).
『自分のためにこの世に宝を積むな.ここではしみと*¹虫が食い,盗人が穴をあけて盗み出す.
むしろ自分のために天に宝を積め.そこではしみも虫もつかず,盗人が穴をあけて盗み出すこともない.
あなたの宝のあるところには,あなたの心もある.
*²体の明かりは目である.目がよければ全身が明るい.目が悪ければ全身がやみの中にいる.
あなたの内の光がやみ(闇)ならそのやみはどんなに暗かろう.
*³人は二人の主人に仕えるわけにはいかぬ.一人を憎んでもう一人を愛するか,一人に従ってもう一人をうとんずるかである.神と*⁴マンモンとにともに仕えることはできぬ.
だから私は言う,命のために何を食べようか,*⁵何を飲もうか,また体のために何を着ようかなどと心配するな.命は食べ物にまさり,体は衣服にまさるものである.
空の鳥を見よ.まきも,刈りも,倉に納めもせぬに,天の父はそれを養われる.あなたたちは鳥よりもはるかに優れたものではないか.
あなたたちがどんなに心配しても,*⁶寿命をただの一尺さえ長くはできぬ.
なぜ衣服のために心を煩わすのか.野のゆりがどうして育つかを見よ.苦労もせず紡(つむ)ぎもせぬ.
私は言う,ソロモンの栄華の極(きわ)みにおいてさえ,このゆりの一つほどの装(よそお)いもなかった.
*⁷今日は野にあり明日はかまどに投げ入れられる草をさえ,神はこのように装わせられる.ましてあなたたちによくしてくださらぬわけがあろうか.
信仰うすい人々よ.何を食べ,何を飲み,何を着ようかと心配するな.
それらはみな異邦人が切に望むことである.
天の父はあなたたちにそれらがみな必要なことを知っておられる.
だから,まず神の国とその正義を求めよ.そうすれば,それらのものも加えて与えられる.
明日のために心配するな.明日は明日が自分で心配する.一日の苦労は一日で足りる.』
(注釈)
天の宝(6・19-21)
*¹ 〈虫〉はどんな虫か不明であるが,確かに「虫」であって,普通に訳される,「さび」ではない.
清い目と心(6・22-23)
*² 22-23節 明かりが全身を照らすのと同じく,内なる目は人間のすべての行為を照らす.内なる目が欲望に暗(くら)まされているならば,人間の道徳生活は闇(やみ)である.
二人の主人,思い煩い,摂理(せつり)(6・24-34)
*³ 富を有して神に仕えることもできるが,富の奴隷になれば神に仕ええない.
*⁴ マンモンとはカルダイ語で富のこと.
*⁵ このことばは権威ある写本の中でものっているのもいないのもある.
*⁶ 「身のたけ」という訳もある.
*⁷ 30-34節 イエズスは将来への予備と働きを禁ずるのではない.ただ摂理への信頼を裏切らせるほどの思い煩いを禁ずる.
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