2011年4月21日木曜日

これから何処へ?

エレイソン・コメンツ 第194回 (2011年4月2日)

ローマ教皇庁と聖ピオ十世会との間で過去一年半にわたり行われた教理上の論議は,ローマを改宗(宗旨替え)させることも聖ピオ十世会を裏切らせることもできなかったように思われますが,もしその通りだとすると,今後私たちはこれから何処(どこ)へ向かうのだろうか? という疑問が生じます.第二バチカン公会議の危機が証明したことがあるとすれば,それは疑いなくカトリック信徒たちがひとつの疑問について単に指導者に盲目的に従うのでなく自分自身で考えてみる必要があるということです - 世界中の数百万人のカトリック信徒たちは相変わらず徐々に背教に導かれ続けているのではないだろうか?と.だからこそ,一人の戦うフランス人信徒( “a fighting Gaul” )が聖ピオ十世会の司教たちに対し三つの質問を投げかけたのです.いずれも深刻な問いかけで,きちんと答えて然(しか)るべきものです.(彼の質問は要約かつ編集されたものです):--

質問: あなたのご意見では,25年前に前教皇ヨハネ・パウロ二世がアッシジで開催した多宗教間の宗派を超えた出会いの行事を厳粛に祝う記念式典としての,第三回アッシジ諸宗教合同祈祷集会(以下,「アッシジ III」)に関する最近の発表は,現教皇ベネディクト十六世により引き継がれている世界宗教一致運動の進路として私たちがすでに知っているものに何か新しいことをつけ加えるものでしょうか?
答え: そのこと(アッシジ III 開催の発表)は,ローマのカトリック教会指導部が,あらゆる種類の誤った宗教にカトリック教会の公式承認を与えるという破滅的な進路に固執していることを示す証拠が新たにまた一つ加わったということです.かつてルフェーブル大司教は,「ローマがカトリックの信仰を喪失していないと私たちが言えるとは思いません」と仰(おっしゃ)いました.

質問: あなたのご意見では,この発表が,聖ピオ十世会とローマ教皇庁との間で行われた教理上の論議が時宜(じぎ)を得たものだったと証明するものでしょうか,それとも反証するものなのでしょうか?
答え: 発表は疑いなく教理上の論議の終結のタイミングが良かったことを証明するものです.デ・ガラレタ司教がいみじくも言われたように,その論議が進行中の間は確かに付随的な利点がありました(7月10日付のエレイソン・コメンツ第156回をご参照ください).だが,論議が行われたこと自体が不利益をもたらしました.すなわち,実際には全く相いれない二つの教義上の立場の間で見せかけの和解が生まれるのではないかとの誤った希望もしくは本当の不安を人々の心に生み出したのです.アッシジ III の発表はそうした希望や不安を少なくとも当分の間終らせるのに役立ちました.ただし,夢想家たちは相変わらず自分の夢に固執しています!

質問: ちょうど第一回アッシジ諸宗教合同祈祷集会(以下「アッシジ I」)が1988年のルフェーブル大司教による四人の司教叙階の主要な誘因となったように,アッシジ III の発表も聖ピオ十世会がさらに多くの司教を叙階するのを後押しすることになるでしょうか?
答え: 聖ピオ十世会の総長が二か月前アメリカ合衆国でその問いに答えています.総長はその際,もしルフェーブル大司教を司教叙階に駆り立てた1988年当時の状況が再現するなら,新たな司教が増えることになるだろうと述べました.ここで問題となるのは,アッシジ III を取り巻く状況がアッシジ I の時の状況の繰り返しだろうか?ということです.この点については意見が様々あるとしか答えようがありません.多くの真面目なカトリック信徒たちは状況がずっと悪化していると考えていますが,これは必ずしも聖ピオ十世会にとってこのように重要な決定事項に関し同会の総長として責任をもつフェレイ司教の意見ではありません.

では私たちの最初の問いに戻ります.聖ピオ十世会は今後何処へ行くべきでしょうか? 答えは明瞭です.聖ピオ十世会は,これまで通り同会の創立者(=ルフェーブル大司教)が定めた道に従って歩み続けていくべきです.すなわち,ローマ教皇庁における(少なくとも客観的に見ての)背教者に断固として抵抗し,それなしには解決できないカトリック教会や世界の様々な問題に対するルフェーブル大司教の診断をできる限り広範囲の人々に知らせることです.ルフェーブル大司教の解決策は単純明快です.すなわち,神のより大いなる栄光のため,そして可能なかぎりの多くの霊魂を救済するため,第二バチカン公会議以前のカトリック教理といつの世にも変わることのない倫理・道徳に則(のっと)ったカトリック教的生活をひたすら守り続けていくことです.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教