2011年2月7日月曜日

汚染

エレイソン・コメンツ 第186回 (2011年2月5日)

もしリベラリズム(自由主義)を広い意味で人間を神から解放することだと定義するなら(先週の「エレイソン・コメンツ」をご覧ください),フランス革命(1789年)から始まった19世紀のリベラル(自由主義的)・カトリシズムは概(おおむ)ね政治を神から解放することに成功したということになります.一方,20世紀初期のリベラル・モダニズム(自由主義的・現代主義)はカトリック教会を神から解放しようと試みましたが,それは聖ピオ十世会により抑え込まれたため不成功に終わりました.だが,その同じ試みは半世紀後,第二バチカン公会議で,リベラル主義者の多くが描き得る限りの夢すらはるかに超え成功したのです.以下にご紹介するのは,私が最近イタリアから受け取ったもう一つの証言で,リベラル(自由主義的)伝統主義が現在いかにしてカトリック教の伝統を神から解放しようとしているかを観察したものです(せめて私たちが悪魔の持つ忍耐力の半分だけでも持ち合わせていたらいいのだがと思うばかりです!):--

「教皇ベネディクト16世による2007年の自発教令(訳注・モトゥ・プロプリオ,
Motu Proprio of 2007” )でトリエント(トレント)・ミサ “the Tridentine Mass” が解禁されてから,大勢のカトリック教徒たちがカトリック伝統に近づきましたが,彼らの質は大きく変わりました.これは避けられなかったことですが,伝統の重要さを確信していなかったカトリック信徒や伝統についての考え方が主観的,すなわち,それが任意であって義務ではないと考えるカトリック教徒たちがカトリック伝統に向かったため数の上での増加をもたらしたのです.この点において,教皇ベネディクト16世の2005年12月22日のスピーチは,たとえ有益な事柄がいくつか述べられていたとしても,その及ぼす影響力は破滅的なものでした.(訳注・スピーチの邦題「教皇ベネディクト十六世の教皇庁に対する降誕祭のあいさつ」〈「カトリック中央協議会」(日本)ウェブサイトより〉)

当時の教皇への信任は近代の典礼,要理あるいは教義に関するいかなる批判的な考えをも二次的な(より重要でない)ものにしてしまいました.(近代的なものと伝統的なものとの)相違点を指摘したり,混同を明瞭にしたりする者はひどく不人気になりました.だが,第三回目のアッシジ合同祈祷集会の開催の発表(原文 “the announcement of Assisi III” )は,幅広く極めてふわふわしていた伝統派層に鋭い一撃を加え,その結果カトリック信徒たちは決心しなければならなくなったのです.互いの違いが明るみに出て,最初の分裂が現れました.

教皇ベネディクト16世は,伝統に結びついているかそれに近い立場の若いカトリック信徒たちの有望な潜在力を汚染し,分裂を創り出すことに成功してきました.この潜在力の多くは,たとえ他の若者たちが進み出てカトリック教に相応(ふさわ)しい振る舞いをするよう神に望みをかけて祈るとしても,今では台無しにされています.こうした状況で,はたしてどれだけ多くのカトリック信徒たちが心からカトリック教会の大義名分を受け入れることになるでしょうか? 私たちは,騒ぎが落ち着き,善意と新しい活力を備えた人たちが出現するのを待たなければならないでしょう.

カトリック伝統の証人となることは,これまで以上に,明瞭かつ確固たる発言を要します.躊躇(ちゅうちょ)や迷いは被害をもたらすだけです.その間,私たちは戦い続けましょう.どこであろうとも求められたら大きな声をあげましょう.そして公然と,教皇ベネディクト16世の公会議主義下の新教会(原文 “Benedict XVI’s Conciliar Newchurch” )によるあらゆる弊害を指摘しましょう.イタリアの世論はカトリック教会の本当の(真実な)諸問題について関心を持つには程遠い状態です.この国のカトリック信徒たちは何世紀ものあいだローマ教皇が仰せになることがキリストの福音であると信じるよう学んできているからです.彼らは現代の子供たちなのです.」(引用終わり)

間違いなく,ここで引用した証言は,主流派教会(原文 "the mainstream Church" )が1975年にエコン(訳注・原語“Econe.” ルフェーブル大司教の聖ピオ十世会の当初の拠点となった神学校のあるスイスの地名.)を排斥(はいせき)したこと,1988年に「破門」によって聖ピオ十世会をあからさまに糾弾(きゅうだん)したことが,いずれもカトリック伝統を汚染から救う手助けになったことを示唆(しさ)しています.主なる神は同じことが起こるよう,再度の分裂と排斥をお許しになる必要があるのでしょうか? 私たちはそうでないことを心から望んでいます!

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教