2014年7月6日日曜日

364 ピィ枢機卿 II 7/5

エレイソン・コメンツ 第364回 (2014年7月5日)

     先週のピィ枢機卿の言葉の引用(せんしゅうの ぴぃすうききょうの ことばの いんよう)(EC 363参照)には以下の続き(いかの つづき)があります:-- ( "The quote last week from Cardinal Pie (cf. EC 362) continued directly as follows:-- " ).

     「やがて,炎の中で破壊される世界(ほのおの なかで はかい される せかい)を悪魔が乗っ取って(あくまが のっとって)しまったような,極限状態(きょくげん じょうたい),絶望的な状況下(ぜつぼうてきな じょうきょうか)で,すべての真のキリスト教徒(すべての まことの きりすと きょうと),すべての善人(ぜんにん),信仰と勇気を持ち続けるすべての人たち(しんこうと ゆうきを もちつづける すべての ひとたち)は果たして何が出来る(はたして なにが できる)でしょうか? ( " “In such an extremity, in such a desperate state of affairs, where evil has taken over a world soon to be consumed in flames, what are all the true Christians to do, all good men, all Saints, all men with any faith and courage ? " ) 彼ら(かれら)はかつてなかったほどの状況に立ち向かい(じょうきょうに たちむかい),熱心な祈り(ねっしんな いのり),積極的な行動(せっきょくてきな こうどう),恐れ知らずの奮闘(おそれしらずの ふんとう)をもって力を倍にして言う(ちからを ばいにして いう)でしょう,( "Grappling with a situation more clearly impossible than ever, with a redoubled energy by their ardent prayer, by their active works and by their fearless struggles they will say, …" )おお神よ,天に在す(座す)御父よ(おお かみよ,てんに まします おんちちよ),願わくは汝の御名の天に於けるが如く地上でとされ尊まれんことを(ねがわくは なんじの みなの てんに おけるが ごとく ちじょうで せいとされ とうとまれん ことを),汝の王国( "thy kingdom" )の天の御国に於けるが如く地上に来らんことを(なんじの おうこくの てんのみくにに おけるが ごとく ちじょうに きたらん ことを),汝の御旨の天に於けるが如く地上に行われんことを(なんじの みむねの てんに おけるが ごとく ちじょうに おこなわれん ことを).地上に天にある通り!(ちじょうに てんに ある とおり!)( "O God, O Father in Heaven, hallowed be thy name on earth as it is in Heaven, thy kingdom come on earth as it is in Heaven, thy will be done on earth as it is in Heaven. On earth as it is in Heaven ! " )(訳注後記1). そして,地が足元で崩れて行く間(ちが あしもとで くずれていく あいだ)も,彼ら(かれら)はその言葉をつぶやき続ける(そのことばを つぶやき つづける)でしょう.」( "And they will still be murmuring these words while the very earth is giving way beneath their feet." )


     「そして,昔々(むかし むかし)( " “And just as once upon a time, …" ),凄惨(せいさん)な軍事的大惨事の後(ぐんじてき だいさんじの あと)で( "… following upon an appalling military disaster …" ),あらゆる階級のローマ元老院と政府の役人が揃って敗れ去った執政官の前に現れ(あらゆる かいきゅうの ろーま げんろういんと せいふの やくにんが そろって やぶれさった しっせいかんの まえに あらわれ),ローマ共和国(ろーま きょうわこく)を諦める(あきらめる)ことなく戦いを終わらせた(たたかいを おわらせた)ことに祝意を述べたと同じように(しゅくいを のべたと おなじように)( "… the whole Roman Senate and State officials of all ranks could be seen going out to meet the defeated consul and to congratulate him on not having despaired of the Roman Republic; …" ),天国の元老院議員(てんごくの げんろういん ぎいん),諸天使の聖歌隊全員(しょてんしの せいかたい ぜんいん),神の祝福を受けたあらゆる階級の福者(かみの しゅくふくを うけた あらゆる かいきゅうの ふくしゃ)たちが見込みのない希望を抱き(みこみの ない きぼうを いだき)ながら最後まで戦う(さいごまで たたかう)度量の広い(=寛大・寛容な)信仰擁護者たち(訳注・=競技者たち)(どりょうの ひろい〈=かんだい・かんような〉しんこう ようごしゃ たち〈=きょうぎしゃ たち〉)( "the generous athletes of the Faith" )を迎え出る(むかえ でる)でしょう( "… so likewise the senate of Heaven, all the Choirs of angels, all ranks of the Blessed will come out to meet the generous athletes of the Faith who will have fought to the bitter end, hoping against hope itself." ).」

     「そして,あらゆる時代の選民(じだいの せんみん)たちがかたくなに追い求め(おい もとめ)てきたその不可能な理想(ふかのうな りそう)が現実(げんじつ)のものとなるでしょう( " “And then that impossible ideal that the elect of all ages had obstinately pursued will become a reality." ).彼(=神の御独り子イエズス・キリスト)の二度目にして最終の御来臨(かれ〈=かみの おんひとりご いえずす・きりすと〉の にどめ にして さいしゅうの ごらいりん)では,御独り子( "the Son" )はこの世(=地上・現世)の王国を御父たる神に引き渡し(このよ〈=ちじょう・げんせ〉の おうこくを おんちちたる かみに ひきわたし),悪魔の力は永遠に地獄のどん底まで突き落とされる(あくまの ちからは えいえんに じごくの どんぞこ まで つき おとされる)でしょう( "In his Second and final Coming the Son will hand over the Kingdom of this world to God his Father, the power of evil will have been cast out for ever into the depths of the abyss; …" ).信仰,愛,律法の順守(しんこう・あい・りっぽうの じゅんしゅ)によりイエズス・キリストを経て神へ同化,吸収(いえずす・きりすとを へて かみへ どうか,きゅうしゅう)されるのを拒み続け(こばみ つづけ)てきたものはすべて永遠の汚物排水溝(えいえんの おぶつ はいすいこう)に投げ捨て(なげすて)られるでしょう( "… whatever has refused to be assimilated and incorporated into God through Jesus Christ by faith, love and observance of the law will be flung into the sewer of everlasting filth." ).そして,神はその特質の一体性(とくしつの いったいせい)( "the oneness of his nature" )および三位の神的位格の交わり(=交流)(さんみの しんてき いかくの まじわり〈=こうりゅう〉)(訳注後記その2)( "the society of the three divine Persons" )のみならず( "not only in the oneness of his nature and in the society of the three divine Persons, " ),人間の姿をお取りになった神の御独り子の神秘的な御体の完全性(にんげんの すがたを おとりになった かみの おんひとりごの しんぴてきな おんからだの かんぜんせい)においても( "in the fullness of the Mystical Body of his Incarnate Son" )諸聖人の交わりの成就(しょせいじんの まじわりの じょうじゅ)においても( "in the fulfilment of the Communion of Saints" ),永遠に生き,君臨(えいえんに いき,くんりん)するでしょう!」 (訳注2・=「三位一体の神格」〈さんみ いったいの しんかくの こと〉 (訳注・聖霊によって〈人間と同じく〉肉の身体に宿られ〈にんげんとおなじく〉せいれいに よって にくの からだに やどられ〉) ( "And God will live and reign for ever and ever, not only in the oneness of his nature and in the society of the three divine Persons, but also in the fullness of the Mystical Body of his Incarnate Son and in the fulfilment of the Communion of Saints !” " )

     親愛なる読者(しんあいなる どくしゃ)の皆(みな)さん,この引用(いんよう)から,ピィ枢機卿(ぴぃすうききょう)は将来に暗いビジョンを抱き(しょうらいに くらい びじょんを いだき)ながらも,決(けっ)して敗北主義者(はいぼく しゅぎしゃ)でなかったことがお分(わ)かりになったのではないでしょうか( "Dear readers, it should be obvious by now that Cardinal Pie, for all the darkness of his vision of the future, was no defeatist." ).人類(じんるい)が人間的に見れば(にんげんてきに みれば)絶望的な状況(ぜつぼうてきな じょうきょう)に向(む)かっていることをはっきり見てとりながらも,彼は人類(じんるい)と神の見る視点(かみの みる してん)を同(おな)じようにはっきりと見分(みわ)けていました( " Even while seeing with an absolute clarity the humanly hopeless situation into which mankind was getting itself, with an equal clarity he distinguished the human from the divine point of view: …" ).神の視点とは,人類は19世紀(じゅうきゅう せいき)に全能の神に挑戦(ぜんのうの かみに ちょうせん)し,悪魔の人質(あくまの ひとじち)や恐ろしい地獄(おそろしい じごく)に散(ち)らばる餌(えさ)に成り果て(なりはて)るかもしれないが,それでも諸々の選民の霊魂(もろもろの せんみんの れいこん)が神を愛し神に仕える(かみを あいし かみに つかえる)ことを選び取る(えらび とる)という神の崇高な御意図(かみの すうこうな ごいと)が神の天の御国(かみの てんの みくに)のために達成(たっせい)されるだろうということです( "… a mass of men might in the 19th century have been defying Almighty God and turning themselves into pawns of Satan and fodder for his horrible Hell, nevertheless God's sublime purpose for the souls of the elect who would choose to love and serve him was at the same time being achieved for God's Heaven." ).まさしく「神を愛する人々(かみを あいする ひとびと)すなわちみ旨によって召し出された人々(みむね によって めしだされた ひとびと)のためには,神がすべてをその善に役立たせ(ぜんに やくだたせ)たもうことを私たちは知って(わたくしたちは しって)いる.」(聖パウロのローマ人への書簡:第8章28節)というわけです( "Truly, “to them that love God, all things work together unto good” (Rom. VIII, 28). " ).(訳注後記2)

     2014年の今日(にせん じゅうよねんの こんにち),私たちは悪魔が私たちの身の回り(あくまが わたくしたちの みの まわり)で蔓延る(はびこる)のをあまりにも世俗的な見方で考える(せぞくてきな みかたで かんがえる)ことによって神の御意図(かみの ごいと)( “God’s purpose” )を見失(みうしな)いがちです( "In 2014 we can easily lose sight of God's purpose by thinking in too human a way of the evil advancing all around us. " ).しかし,神の御意図は人類が文明を破壊(じんるいが ぶんめいを はかい)しようと望(のぞ)むとき,その文明を救う(ぶんめいを すくう)ことではありません( "But God's purpose is not to save civilisation if men wish to destroy it." ).神の御意図は御子イエズス・キリスト(おんこ いえずす・きりすと)を通(とお)して人々の霊魂を天の御国(=天国)へ導く(ひとびとの れいこんを てんの みくに〈=てんごく〉へみちびく)ことです( "His purpose is to bring souls to Heaven through his Son Jesus Christ, …).そして文明の崩壊(ぶんめいの ほうかい),あらゆる現世の野望(げんせの やぼう)や希望の失墜(きぼうの しっつい)は,人間の心(にんげんのこころ)をこの世で得られる報酬(このよで えられる ほうしゅう)をはるかに超(こ)えたところまで高(たか)めることになり,神の御意図実現に役立ち(かみの ごいと じつげんに やくだち)ます( "… and for this purpose the collapse of civilisation and of all earthly ambitions and hopes may well serve to force men's minds and hearts to rise above worldly considerations. ).神が私たちを創造(かみが わたくしたちを そうぞう)されたのは,現世の短い人生(げんせの みじかい じんせい)だけのためでも,この腐敗した世界(ふはいした せかい)のためでもありません( "God did not create us only for this short life, nor for this corrupt world." ).「私(わたくし)たちは永く続く都(ながく つづく みやこ)を今ここ(=地上・現世)で持たない(いま ここ〈=ちじょう・げんせ〉で もたない)が,やがて(=これから)来る都を探し求めて(きたる みやこを さがしもとめて)います」(訳注・「来る都(きたる みやこ)」=「天の御国(てんの みくに)=天国(てんごく)=霊魂の故郷(れいこんの こきょう・ふるさと)(使徒聖パウロのヘブライ人への書簡:第13章14節)( " “We have not here a lasting city, but we seek one that is to come” (Heb. XIII, 14)." ).(訳注後記3)

     キリエ・エレイソン.

     枢機卿は邪悪な(地上の)世界を見ても希望を失わなかった.
     (すうききょうは じゃあくな 〈ちじょうの〉せかいを みても きぼうを うしなわなかった.)
     ( "The Cardinal lost no hope from an evil world." )

     彼は信仰を得て天の御国の勝利が広がるのを見た.
     (かれは しんこうを えて てんの みくにの しょうりが ひろがるのを みた.)
     ( "With faith he saw the triumph of Heaven unfurled." )

     リチャード・ウィリアムソン司教



* * *



第2パラグラフの訳注その1:

「おお神よ,天に在す(座す)御父よ(おおかみよ,てんに まします おんちちよ), 願わくは汝の御名の天に於けるが如く地上で聖と尊まれんことを (ねがわくは なんじの みなの てんに おけるが ごとく ちじょうで せいと とうとまれん ことを), 汝の王国( "thy kingdom" )の天の御国に於けるが如く地上に来らんことを (なんじの おうこくの てんの みくにに おけるが ごとく ちじょうに きたらん ことを), 汝の御旨の天に於けるが如く地上に行われんことを (なんじの みむねの てんに おけるが ごとく ちじょうに おこなわれん ことを). 地上に天にある通り!(ちじょうに てんに ある とおり!)」
( "O God, O Father in Heaven, hallowed be thy name on earth as it is in Heaven, thy kingdom come on earth as it is in Heaven, thy will be done on earth as it is in Heaven. On earth as it is in Heaven ! " )
について…


⇒ “PATER NOSTER” /「主祷文(しゅとうぶん)」

SIGNUM CRUCIS / 十字架の印〈じゅうじかのしるし〉/ THE SIGN OF THE CROSS / SIGNE DE LA CROIX

IN NÓMINE PATRIS, ET FÍLII, ✠ ET SPIRITUS SANCTI. AMEN.

『聖父と聖子と✠聖霊との御名によりて.アーメン.
(ちちと こと ✠せいれいとの みなによりて.あーめん.)』

“IN THE NAME OF THE FATHER, AND OF THE SON, ✠ AND OF THE HOLY GHOST. AMEN."

“AU NOM DU PÈRE, ET DU FILS, ✠ ET DU SAINT-ESPRIT. AINSI SOIT-IL."



(於ミサ聖祭〈みさせいさいに おいて〉…

V/. ORÉMUS : Præcéptis salutáribus móniti, et divína institutióne formáti, audémus dícere :

祭主司祭 /. 祈願.救いに益ある戒めに勧められ,神の制定に教えられ,われらは,敢て祈り奉る.
〈さいしゅしさい /. きがん.すくいに えきある いましめに すすめられ,かみの せいていに おしえられ,われらは,あえて いのり たてまつる.〉

V/. LET US PRAY. Taught by the precepts of salvation, and following the Divine commandment, we make bold to say :

V/. PRIONS: Avertis par le précepte du Sauveur, et instruits par la leçon divine, nous osons dire:



PATER NOSTER, QUI ES IN CÆLIS :

天に在す,われらの父よ,願わくは
(てんに まします われらの ちちよ,ねがわくは)

OUR FATHER, WHO ART IN HEAVEN,

NOTRE PÈRE, QUI ÊTES AUX CIEUX,




SANCTIFICÉTUR NOMEN TUUM : ADVÉNIAT REGNUM TUUM :

御名の聖とされんことを,御国の来らんことを,
(みなの せいと されんことを,みくにの きたらん ことを,)

HALLOWED BE THY NAME. THY KINGDOM COME.

QUE VOTRE NOM SOIT SANCTIFIÉ, QUE VOTRE RÈGNE ARRIVE ;




FIAT VOLÚNTAS TUA, SICUT IN CÆLO, ET IN TERRA.

御旨が天に於いて行われるように,地上でも行われんことを
(みむねが てんに おいて おこなわれる ように,ちじょうでも おこなわれん ことを.)

THY WILL BE DONE ON EARTH, AS IT IS IN HEAVEN.

QUE VOTRE VOLONTÉ SOIT FAITE SUR LA TERRE COMME AU CIEL.




PANEM NOSTRUM QUOTIDIÁNUM DA NOBIS HÓDIE :

今日も,われらに,日々のパンを与え給え,
(こんにちも,われらに,ひびの ぱんを,あたえ たまえ.)

▴GIVE US THIS DAY OUR DAILY BREAD.

DONNEZ-NOUS AUJOURD’HUI NOTRE PAIN QUOTIDIEN ;




ET DIMÍTTE NOBIS DÉBITA NOSTRA, SICUT ET NOS DIMÍTTIMUS DEBITÓRIBUS NOSTRIS.

われらが人を赦すように,われらの負いめを赦し給え.
(われらが ひとを ゆるす ように,われらの おいめを ゆるしたまえ.)

AND FORGIVE US OUR TRESPASSES, AS WE FORGIVE THOSE WHO TRESPASS AGAINST US.

ET PARDONNEZ-NOUS NOS OFFENSES, COMME NOUS PARDONNONS À CEUX QUI NOUS ONT OFFENSÉS ;




ET NE NOS INDÚCAS IN TENTATIÓNEM. R/. SED LÍBERA NOS A MALO.

われらを試みに引き給わぬよう. 助祭 /. われらを悪より救い給え.
(われらを こころみに ひきたまわぬよう. じょさい/.われらを あくより すくいたまえ.)

AND LEAD US NOT INTO TEMPTATION. R/. BUT DELIVER US FROM EVIL.

ET NE NOUS LAISSEZ PAS SUCCOMBER À LA TENTATION, R/. MAIS DÉLIVREZ-NOUS DU MAL.



AMEN.
アーメン. (あーめん)』



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第5パラグラフの訳注その3:

「神を愛する人々 (すなわちみ旨によって召し出された人々) のためには,神がすべてをその善に役立たせたもうことを私たちは知っている.」(使徒聖パウロのローマ人への書簡:第8章28節)というわけです.」
"Truly, “to them that love God, all things work together unto good” (Rom. VIII, 28). "
について:


使徒聖パウロのローマ人への書簡 第8章28節
(しと せいぱうろの ろーまじん への しょかん  だい はっしょう にじゅうはちせつ)

EPISTLE OF ST. PAUL THE APOSTLE TO THE ROMANS VIII, 28

ÉPÎTRE DE SAINT PAUL AUX ROMAINS VIII, 28

EPISTOLA AD ROMANOS VIII, 28

God predestined us to be conformed to the image of His Son
Prædestinavit nos Deus conformes fieri imagini Filii sui



『神を愛する人々すなわちみ旨によって召し出された人々のためには,神がすべてをその善に役立たせたもうことを私たちは知っている.』
(かみを あいする ひとびと すなわち みむねに よって めしだされた ひとびとの ためには,かみが すべてを その ぜんに やくだたせたもう ことを わたしたちは しっている.)

"And we know that to them that love God, all things work together unto good, to such as, according to his purpose, are called to be saints."

"Or nous savons que tout coopère au bien pour ceux qui aiment Dieu, pour ceux qui, selon son décret, sont appelés à être saints."

"Scimus autem quoniam diligentibus Deum omnia cooperantur in bonum, iis, qui secundum propositum vocati sunt sancti."



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第6パラグラフの訳注その4

「私たちは永く続く都を今ここ(=地上・現世)で持たないが,やがて(=これから)来る都を探し求めています」(使徒聖パウロのヘブライ人への書簡:第13章14節)
"“We have not here a lasting city, but we seek one that is to come” (Heb. XIII, 14)."
について:


使徒聖パウロのヘブライ人への書簡 第13章14節
(しと せいぱうろの へぶらいじん への しょかん 
だい じゅうさん しょう じゅうよんせつ)

THE EPISTLE OF ST. PAUL THE APOSTLE TO THE HEBREWS XIII, 14

ÉPÎTRE DE SAINT PAUL L'APOSTOLAT AUX HÉBREUX XIII, 14

EPISTOLA BEATI PAULI APOSTOLI AD HEBRÆOS XIII, 14


私たちはここに不変の都をもたず,*未来の都を探している.』
(わたしたちは ここに ふへんの みやこを もたず,みらいの みやこを さがしている.)

"For we have not here a lasting city, but we seek one that is to come."

"Car nous n'avons point ici de cité permanente, mais nous cherchons la cité future."

"Non enim habemus hic manentem civitatem, sed futuram inquirimus."


(注釈)
*天のエルサレム.

(訳注・天のエルサレムは,天の御国の永遠の都)
〈てんの えるされむは てんの みくにの えいえんの みやこ〉




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(注:本投稿記事〈エレイソン・コメンツ第364回〉は2014年8月25日10:07に公開されました.)