2012年3月22日木曜日

244 アメリカのシェイクスピア? (3/17)

エレイソン・コメンツ 第244回 (2012年3月17日) 

近代映画に関わった人物をそれが誰であれ史上最大の詩人,劇作家(げきさっか)と比較するのは馬鹿げているとおもわれる方が多いでしょうが,アイルランドの生んだ偉人(いじん)でアメリカの映画監督だったジョン・フォード(1895-1973)( “…a great son of Ireland, the American film-director John Ford (1895-1973)” )をその経歴とウィリアム・シェイクスピア(1564-1616) “William Shakespeare (1564-1616)” の経歴の共通点を指摘することで追悼するには聖パトリック祭 “St. Patrick’s Day” (訳注・毎年3月17日)が相応(ふさわ)しい機会ではないでしょうか? 試してみましょう:--

まず初めに,二人とも大成功した大衆エンタテーナー “popular entertainers” でした.シェイクスピアが著作を始めたのは英文学の執筆でなく,舞台上演用の新しい劇作new plays to put on stageを常に必要としていたグローブ座the Globe Theatre companyのために脚本 “scripts” を書くことでした.1592年から20年足らずでロンドンから逃れるまでの間に彼はざっと35本ほどの脚本を書きました.作品は歴史,戯曲,コメディー,悲劇,ロマンス( “…history plays, comedies, tragedies, romances.” )と広範囲にわたり,そのすべてが人気を呼びました.これはシェイクスピアがグローブ座に深く関わり観客に密着していたからです.ジョン・フォードについて言えば,アメリカの映画愛好者の新作への飽くなき求めに応えるべく1917年から1970年までの間に常連の俳優を登用して140本以上の映画を監督しました.その作品はシェイクスピアと同じように,お笑いから深刻な内容のもの,上流社会の生活から裏社会の人間を描いたものまで ( “…comic and serious, high life and low life” )多様でした.彼の作品の多くも大当たりでした.シェイクスピアと同じようにフォードも大衆を熟知していた( “…Ford like Shakespeare knew his public” )からです.

二人が大成功したのはともに大衆娯楽の根底にある物語の語り手だったからです.二人とも観客の心をつかみ,次に何が起きるのだろうか? とハラハラドキドキさせました.語り手は絶大な影響力を持ちうるわけですから,二人ともそれぞれ自国民の性格形成に一役(ひとやく)果たしました “…both men helped to mould their nations’ character.” シェイクスピアの歴史劇は当時始まったばかりのチューダー王朝 “Tudor dynasty” の宣伝の役割を果たし,いらい中世時代the Middle Agesから抜け出したばかりの英国国民の自己感覚( “Englishmen’s view of themselves” )にたえず影響を与え続けました.同様にフォードも米国の歴史について鋭い感覚(“a keen sense of American history” )を持っていて(たとえば “The Last Hurrah” =邦訳「最後の歓呼」),「大西部」 ( “Wild West” )を題材に「西部劇( “Western” )」という神話を造り出し( “…creating the myth of the “Western” that fabricated America’s “Wild West”,” )いらいアメリカ人といえばカウボーイを連想させるほどアメリカ人の性格形成( “the American national character” )に一役買いました.

シェイクスピアもフォードもそれぞれの活動分野で熱心に修業を積(つ)みました.シェイクスピアはグローブ座の役員会のメンバーでしたし,フォードは数年間カメラマンとして修行した後監督になりました.シェイクスピアは詩人として比類のない言葉の細工師(さいくし.=職人,文章家)ですが,フォードの作詩技法 “poetry” は彼のカメラワークかもしれません.その後輩出した多くの映画監督はフォード作品を観てカメラの使い方を学びました.フォードは自ら描く絵の動き,すなわちムービー “movies” の細かな構成について独特の目を持っていました.もう一人の有名な映画監督だったオーソン・ウェルズ “Orson Wells” は最も感銘を受けた監督は誰かと問われ,「私は巨匠(きょしょう)が好きです.わたしが言う巨匠とはジョン・フォード,ジョン・フォード,ジョン・フォードです.( “I like the old masters, by which I mean John Ford, John Ford and John Ford” )」と答えています。別のある映画監督はフォードの作品を「簡潔さと力強さ」の点で中世のベートーベンに通ずるものがあると評しています!

最後にシェイクスピアもフォードもともにカトリック信者でした.シェイクスピアの作品の中で最も奥深いドラマは,楽しき英国が後戻りできない背教(はいきょう)に陥(おちい)った悲劇( “…the tragedy of Merrie England’s irreversible slide into apostasy” )についての彼のカトリック信者としての感覚――表向きには分からないように描(えが)かれていますが――から生まれているのは確かです.フォードはカトリック教のアイルランド( “Catholic Ireland” )に生まれ米国に移民として渡った両親の11人の子供の10番目でした.自分の祖先へ寄せるカトリック信仰 “…the Faith of his ancestors” が彼にひと昔前のアメリカの無邪気さ,良識( “…the relative innocence and decency of yesterday’s America” )を偲(しの)ばせたのは間違いないところです.かつてのアメリカには女性らしい女性( “womanly women” )とフォードの作品でジョン・ウェインが典型的に演じた厳格で男らしいヒーロー( “…manly and upright heroes as typified in Ford’s films by John Wayne.” ) がいました.近代映画のキングがシェイクスピアに匹敵するような劇作家とならんで偉人用の殿堂に入ることはないでしょう.だがジョン・フォードは殿堂入りする数少ない近代のキングの一人でした.

アイルランド,そしてアメリカに感謝. お二人とも聖パトリック祭おめでとう!

キリエ・エレイソン .

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


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第5パラグラフの訳注:
“Merrie England” について.

= 「楽しきイングランド」.
産業や都市が発達する以前の,特にエリザベス期の古き良きイングランドを指す.
昔からある呼称.
昔は多くの歌と踊りと喜びに囲まれて,シンプルに楽しく暮らしたものだ,と懐(なつ)かしむ.

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