2012年1月23日月曜日

236 精神病 (1/21)

エレイソン・コメンツ 第236回 (2012年1月21日)
 
私の長年の文通相手から最近,たとえ2009~2011年に開催された教理上の論議でローマ教皇庁と聖ピオ十世会の教理上の相違が決定的なことが判明したとしても,なぜ両者がなんらかの合意に達すべきかの理由についてさまざまな主張を述べた手紙を受け取りました.ここでは,彼の論点の一つについて詳論したいと思います.というのは彼の論点が聖ピオ十世会の現在直面している問題の全容解明につながるからです.

彼は手紙で,もし聖ピオ十世会がすぐにローマ教皇庁との関係を「正常化」しなければ,結果として同会はカトリック教会に所属することの意義を失う危険を冒すことになる,と書いています.なぜなら聖ピオ十世会に所属する一般信徒たちや司祭たちでさえ自分たちの現在置かれている異常な状況に満足し,それに順応しており,それは聖ピオ十世会が「必要とするすべて,とりわけ司教たちを所有している」からだ,というのです.このような順応は分離主義の考え方,理論的でないにせよ実質的に教皇空位主義の方向につながるものだと,知人は書いています.彼に対し私は,自分の意見では分離主義的な精神構造を身につける危険よりはるかに大きなリスクはむしろ「今日のローマ教皇庁の人々に近づきすぎることによる彼らの霊的および精神的な病気」にかかる危険だ,と答えました.あきれた答えでしょうか? ここで説明させてください.

「精神病」 “Mental Sickness” とは最近もう一人別の友人が長時間語り合ったローマの聖職者たち “Roman churchmen” に当てはめた表現です.その友人によれば,ローマの聖職者たちは知的かつ誠実な人たちで,カトリック伝統に関する議論をぶつければそれを理解する能力は十分に持ち備えています.だが友人は「彼らは精神的に病んでいます.ただ,彼らは権威(けんい)を持っているだけです.」と結論を下しています.友人は「精神的に病んでいる」という表現を使うことで決(けっ)してローマの聖職者たちを個人的に侮辱(ぶじょく)するつもりはなかったのです.友人が言ったことは単なる個人的な侮辱よりはるかに深刻でした.彼は,聖職者たちとの長い会話で確信したところに従(したが)って,彼らの心の客観的な状態についてコメントしたのです.彼らの心はもはや真理に則(のっと)って動いていないのです.

ローマの聖職者たちと接触した3人目の友人も同じこと違う言葉で言い表しました.私は彼に,「事の本質に触れ,心と真実の根本的な問題について彼らと心を開いて話し合うことはできなかったのですか? 」と尋(たず)ねました.彼の返事は,「いいえ,できませんでした.彼らがおそらく言いたかったことは彼らが権威だということ,彼らがカトリック教会だということ,そしてもし私達がカトリック信徒になりたいなら,その方法を教えるのは彼らだということです」と,いうものでした.そのような心は真実ではなく権威に則って動いているのです.ところで,ミルクは素晴(すば)らしいものですが,ある自動車の持ち主が自分の車の燃料(ねんりょう)タンクをミルクで満(み)たすといとも穏(おだ)やかに言い張っている姿を想像してみてください! 大きな問題は現代世界のほぼ全体が真実についてのあらゆる感覚と愛を失(うしな)っていることです.ずいぶん長い間カトリック教会はこの真実の喪失(そうしつ)に抵抗したのですが,第二バチカン公会議でその最後の抵抗さえも崩(くず)れ去ったのです.

なぜなら実に現代世界は魅力的で影響力が大きく,ローマもまた然(しか)りだからです! あるイタリア人の友人がバチカンの執務室(しつむしつ)の魅力についてどう感じたかをご紹介します.「ローマの豪華(ごうか)な建造物(けんぞうぶつ)に足を踏み入れることは大胆な冒険のようなものです.なぜなら,そこであなたが呼吸する空気がたまらないほど魅力に溢(あふ)れたものだからです.バチカン内の神聖な大会堂の魅力は,魅力的な当局者たち(全員が魅力的なわけではありません)からではなく,むしろ2000年もの期間に及ぶカトリック教会史からにじみ出た諸会堂の発(はっ)する雰囲気(ふんいき)から生み出されているものです.その魅力は天からのものでしょうか? それとも地獄からのものでしょうか? いずれにしても,バチカンの雰囲気だけで訪問者は心をわくわくさせられ(=魅惑・魅了させされ)意志を従順にさせられてしまうのです.」

それでもバチカンの魅力は,人の心に入り込みそれを無力にし、そしてその流れに従うようにさせてしまう現代世界の圧力全体のほんの一部にすぎません.親愛なる我が友人よ,私はローマの背教者 “a Roman apostate” となるよりはむしろ分離主義者たる教皇空位主義者 “a schismatic sedevacantist” となる方を選ぶでしょう.だが神の恩寵(おんちょう)により,そのいずれにもなりません!

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


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