エレイソン・コメンツ 第207回 (2011年7月2日)
最近のギリシャの金融救済は,もしそれが実施されるとすれば,欧州連合のみならずおそらく世界の金融制度がその責任を負う日をもう一度先延ばしにすることになるでしょうが,その日は単に延期されるだけで取り消されるわけではありません.この問題は制度上の欠陥に起因するものです.もし民主制下の政治家たちが再選されたければ,自ら国民が望むようしむけた「ただ飯」の代金を支払うため借金しなければなりません.だが個々人,各家庭あるいは各国が借金に借金を重ねるという愚行はいつまでも長続きするわけはなく,いつかは完全に行き詰まって借金を停止せねばならない日が来ます.そうした国々の国民,政治家たちは今日に至るまでの長期間,間違った道を進んできました.なぜなら借金を重ねるという決定は通常ならば愚策か犯罪に等しいからです.
次のシェイクスピア作品の3行が語る根本的な知恵が忘れられているとしたら愚かなことです.その言葉はプロの「経済学者たち」の書いた多くの書物ほどの価値があります.借り手にも貸し手にもなるな/往々にして貸した金と友人の両方を失うことになるから/それに借金は金銭感覚を甘くする(借金は節約の刃を鈍らせる)(訳注・悲劇「ハムレット」より.原文 “Neither a borrower nor a lender be / For loan oft loses both itself and friend / And borrowing dulls the edge of husbandry.” ).言い換えれば,借金癖(ぐせ)は,「節約」あるいは自己資産の管理をしなくてもすむよう人を習慣づけてしまいます.例をあげれば,少なくとも最初は,借りた金はいとも簡単に手に入るため,たとえば,お金を稼ぐことや借金を最終的に返済することがどれほど大変なことかといった金銭感覚,現実感覚を麻痺(まひ)させます.貸すことについて,ポロニウス(ハムレット第一幕第三場)(訳注・原文 “Polonius (Hamlet, I, 3)” は,貸した金は往々にして返済されないだけでなく,もし私が返済能力のない友人に金を貸したなら,彼はきっとあまりに恐縮するか恥じ入って再び私に近づけなくなるだろう,と言っています.
だが,貸し手がすべて愚者という訳ではありません.彼らの多くは犯罪者です.なぜなら彼らは高利で金を貸すことによって個々人,家庭,国家を貧困と隷属状態に落とすことができると知っているからです ー 「借りる者は貸す者の僕(あるいは奴隷)」(格言の書22・7)(訳注後記)と聖書に書かれているとおりです.現在クレジットカードの中には20パーセントから30パーセントの金利支払を要求するものもありますが,カトリック教会は常に高利貸しを厳しく糾弾(きゅうだん)しています.高利貸し業者は人々,あるいは国民全体を貧困にし奴隷化させることによって社会構造を破壊する犯罪者です.
歴代の教皇は現代の高利貸しが様々な形態を取っている,と述べられています.狡猾(こうかつ)な金融業者は自らの金銭を使ってマスメディアやとりわけ政治家たちを征服し,それにより社会全体の支配を買い取って富の形成に没頭しており,社会は彼らへの隷属(れいぞく)を許しています.全世界がこの事実に対し今すぐに目を覚ますべき理由は(このような悪業を糾弾する)歴代教皇の発言にあります.そこで疑問が生じます.神はどうしてそのような事態が起こることをお許しになられるのでしょうか,そして神はどうして差し迫った金融危機か世界大戦あるいはその両方がもたらしかねない大きな苦難をお許しになるおつもりなのでしょうか? そのいずれも神の敵たちが望むままに全世界の権力を手に入れようと画策(かくさく)してきたことです.
その答えは以下のとおりです.すなわち,神がそのような権力を御自分の敵たちにお許しになったのは彼らの残酷で非人間的な行為が,神に背きマンモン(富)を主人として選んだ世界の背に負わせる懲罰(ちょうばつ)の鞭(むち)として役立つからです ー あなたは神とマンモンの両方に仕えることはできない,と私たちの主イエズス・キリストは仰せられます(マテオ聖福音6・24)(訳注後記).そして神は近い将来,はるかに大きな苦難をお許しになるでしょう.なぜなら「苦難のなかに学ぶことがある」(アイスキュロス)(訳注・ギリシア悲劇作家の言葉.原文 ““In suffering is learning” (Aeschylus)”. )からであり,事実,重い苦難だけが世界中のかなり多数の人々に物質主義とマンモン崇拝は自分たちの真の利益すなわち不滅の霊魂の救済にとって裏切り者の敵だと学ばせることができるからです.
神の御母(聖マリア)よ,哀れな罪人の私たちが神の御憐れみを受けられるよう(神の御許しを)執り成し給え!
キリエ・エレイソン.
英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教
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第3パラグラフの訳注:
旧約聖書・格言の書:第22章7節
『金持ちは貧しい人を支配し,借りた人は貸す人の奴隷である.』
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第5パラグラフの訳注:
新約聖書・マテオ聖福音書:第6章24節
『*人は二人の主人に仕えるわけにはいかぬ.一人を憎んでもう一人を愛するか,一人に従ってもう一人をうとんじるかである.神と**マンモンとにともに仕えることはできぬ.』
(注釈)
* 富を有して神に仕えることもできるが,富の奴隷になれば神に仕ええない.
** マンモンとはカルダイ語で富のこと.
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