エレイソン・コメンツ 第116回
…そして仮にローマと聖ピオ十世会の間でいかような論議が行われるとしても, 双方の間で非教理的「実務的な協定」を結ぶという結論に達するように見えたとすれば, その場合には, 救われたいと思うカトリック教徒は全員, その「協定」を綿密に, 特にその細則に至るまで検討し, ローマに承認された聖ピオ十世会における指導者あるいは指導者たち, および彼らの後継者たちを, 将来誰が任命することになるのかを確かめなければならないでしょう.
彼はいずれの当事者も満足させる肩書きを与えられるでしょう. 「総長」か, あるいは「属人区 (訳注・カトリック教会の一組織オプス・デイ (Opus Dei) を意味する)」か, はたまた「死刑執行大臣殿」(身分の高い貴族の階級および称号を持つある登場人物のこと)(訳注・英国の喜歌劇「ミカド(Mikado)」の中の登場人物のことと思われる) か. いずれにせよ名前は重要ではありません. 誰がその決定者だったのか, またその決定者を誰が任命するのか?が極めて重要なのです。教皇によって任命されるのか, 聖職者省によってなのか, またはその他のローマの高官によるのか, あるいは聖ピオ十世会の中から現行のように引き続いて, 12年毎に40人ほどの有力な司祭の中から選挙されて(次回選挙は2018年に行われる), ローマから独立して任命されるのでしょうか?しかし, もしローマが聖ピオ十世会の指導者を任命する支配権を得られなかったら, その「協定」は何をローマに与えるのでしょうか?
カトリック教会の歴史には神の友と敵の間の数々の闘争の例が散見されます. 普通はそれぞれカトリック教会と国家の間で, 教会の司教の任命支配権を争ったのですが, 今ではそれは存在しません!なぜなら、カトリック教会の利口な友または敵なら誰でもよく知っているとおり, 司教たちが教会の未来の鍵を握っているからです. ルフェーブル大司教が今日の民主主義のくだらなさを無視してよく言っておられたように, カトリック教徒を形成するのは司教たちであって, カトリック教徒が司教たちを形成するのではないからです.
この闘争の典型例は1801年のナポレオンによる政教条約です. この条約によって新興のフリーメーソン的国家は, フランス国内のカトリック教会における司教の選出に関してかなり大きな支配力の獲得を確かなものにしました. 相変わらずカトリック色の強すぎるフランス革命以前の司教たちはすべて即座に解雇され, カトリック教会は確実に「第二バチカン公会議」に向かって進んでいきました. 同じように, 1905年にフリーメーソンが, フランス国家とカトリック教会との同盟から縁を切った時 ― 単に同盟と絶縁するだけでなく, それを非難した方がよかったでしょうが ― 英雄的な教皇ピオ10世はそれにより利を得ました. 望んでもいなかった, 国家から独立した新たな任命権を得て, 自ら, わずかですが9人の司教を任命しました. だが, 司教の力強いカトリシズムはフリーメーソンにとって脅威だったため, ピオ10世が亡くなった途端に彼らは, ただフランスの司教任命の支配権を取り戻したいというだけのために, 急いでカトリック教会とフランス国家との間の一定の再同盟を結ぶための再交渉に戻りました. こうして, 第二バチカン公会議が軌道に戻されたのです.
このパターンは1988年に繰り返されました. この時, 英雄的な信仰と勇気を持ったルフェーブル大司教ただ一人が, 公会議主義のローマの露骨な不支持に左右されずに4人の司教を叙階することによって聖ピオ十世会を救ったのです. 今回は, 同じ公会議主義者のキツネたちが聖ピオ十世会の4人の「醜いアヒルの子」とその潜在的な独自の後継者に対する支配権を取り戻すために「大盤振るまい」をするかもしれません. アヒルの子は飢えたキツネにとってはおいしい餌です!ローマがそのカトリックの精神から外れている限り, カトリックの独立を維持していくだろうシュミットバーガー神父とフェレー司教, またそのすべての後継者たちに神の祝福がありますように!
キリエ・エレイソン(主よ憐れみたまえ).
英国ロンドンより
リチャード・ウィリアムソン司教