2011年4月24日日曜日

神学院長の書簡集

エレイソン・コメンツ 第197回 (2011年4月23日)

「エレイソン・コメンツ」 の読者の中には,以前ここで取り上げた (3月5日付のエレイソン・コメンツ第190回) 「神学院長からの書簡集」 “Letters from the Rector” のことをご存じない方がおられるかもしれません.書簡は聖ピオ十世会の司祭たちが訓練を受けるアメリカの聖トマス・アクィナス神学院 ( “St. Thomas Aquinas Seminary” ) が発行する月報として1983年から2003年までの間に書かれたものです.4冊のペーパーバックにまとめられ,インターネットの truerestorationpress.com/4volsletters を通じて入手できます.18年前にカトリック教に改宗したあるスコットランド人女性が最近それらの書簡集を読みました.彼女の感想の一部を以下にご紹介します:--

「この書簡集を読んで私はびっくり仰天しました … 私は元ニューエイジ (哲学) 信奉者の 「気が変なヒッピー」 で,ニューエイジ・デビル ( “New Age Devil” ) からカトリック教会に逃れたのですが,そこで教会の聖域にまさにデビル (=悪魔) がいることを発見しただけでした … 公会議主義下の教会 ( “the Conciliar Church” ) の枢機卿,司教,司祭たちはカトリシズム (カトリック教義) を説くにあたって婉曲(えんきょく)で当たり障(さわ)りのないことをいうだけではありません.そこにはカトリック教会のあらゆる伝統や信仰をずたずたに引き裂いてこき下ろすことに積極的かつ悪意ある喜びを感じているように見える人たちが多数います.」 (訳注後記)

それに反して, 「この書簡集はいずれの書簡も驚くほど素晴らしくカトリック的なものばかりです … 書簡集では公会議を批判することなしにカトリック教会の危機を解決しようと試みている保守派とエクレジア・デイ ( “the Conservative and Ecclesia Dei” ) のカトリック信徒たちの愚行について説明しています.そうしたカトリック信徒たちは,例えばカトリック教会の典礼や宗規などについての公会議による改革の外観を熟慮しながらも,その本質すなわち信教の自由とエキュメニズム (世界教会主義) に関する公会議の諸文書が実証しているようなカトリック教理についての考え方の根本的な内部変化を無視しているのではないでしょうか ?

多元主義 “Pluralism” および人間の尊厳についての自由主義的観点に触れた神学院長の書簡集は驚くほど見事にこの変化の特質を説明しています.書簡集が繰り返し例証しているように,私たちは現代ローマ教皇庁 ( “modern Rome” ) の考え方におけるこの急進的な変化を理解しない限り,現代世界やそこに置かれたカトリック教会の状況を理解することはできないでしょう.そして,もしエクレジア・デイの人々が,公会議に対し過激な批判をするのは有効な教皇が存在しないと言うに等しいと反論するのであれば,書簡集は聖ピオ十世会のとる立場が持つ知恵,すなわち左派リベラル(自由主義)派,右派「教皇空位主義者」 “Sedevacantists” のいずれにも針路(しんろ)を取らない知恵を十分に実証する議論を提供しています.(訳注後記)

現代世界への対応についてどうかと言えば,公会議下の教会の人々は役に立つことはほとんど語りません.彼らは自分たちの革命的な夢想にあまりにも深く没頭しているため,それがもたらす悲惨な結果に取り組めずにいます.彼らには神学院長からの書簡集が触れているピンク・フロイド,ユナボマー,オリバー・ストーン,チルドレン・イン・ザ・フォレスト ( “Pink Floyd, the Unabomber, Oliver Stone or the Children in the Forest” ) などの問題について書簡を書くなどできないでしょう.なぜなら主流派教会は今日の物質本位の世界に深い不満を抱く代わりに,常にそれに同調しているように思えるからです.書簡集はもっぱら歴史的記録として読まれるべきでしょうが,その真の価値は後の時代になるまで明らかにならないかもしれません.恐らくそれはマリアの無原罪の御心の勝利 ( “the Triumph of the Immaculate Heart of Mary” ) でカトリック教会の第6の時代 ( “the 6th Age of the Church” ) が始まるときだけでしょう.」(訳注後記)

そして女性にとって決め手となるのが次の彼女の感想です: 「さらに言えば,私がこんなことを言い出すとは思いもしませんでしたが,スラックス(ズボン)について触れた書簡を読んだとき私は自分の 「洋服ダンスの中身」 を考え直さなければと思いました.」 女性がズボンをはくのをやめるとき,カトリック教会は本当に復活するのです!

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


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第2パラグラフの訳注:
「ニューエイジ」について

または「ニューサイエンス」という.西洋的価値観を排し,超自然を信じ,宗教・医学・環境などの分野を全体論的視野に立って見直そうとする1980年代後半の哲学運動.
→ “New Age Therapies” = ニューエイジ志向の(精神)療法.

(ジーニアス大和英インデックス参照)

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第4パラグラフはじめの訳注:
多元主義」の意味と「自由主義」「現代民主主義」との関係について

元来,世界の起源を唯一のものに還元する一元論に対して世界の複数性を認める哲学上の立場を意味していたが,現在では「複合民族社会論」や「政治的多元論」などの基本的な枠組みとして定着している.

とりわけ「政治的多元論」は政治世界を説明するとき「国家対個人」の図式に代えて「国家対集団」の図式を提示した.多元主義は複数の集団による競争によって全体社会の利益の調整をはかることを目的とする.それは国家と個人の間に中間団体を設定することで政府機能の肥大化を防止する自由主義の理念に合致するものであった.アメリカの政治学者ダールは民主化の指標として競争の自由と公開性の原則をあげ,それらの原理に基づく政治体制を「ポリアーキー」と名づけた.その意味で多元主義は現代民主主義の生命線と考えられるのである.

しかし,現代社会では利益集団間の競争が巨大団体の独占によって形骸化し,その巨大利益集団と政府の癒着体制(コーポラティズム)と密室政治が問題化されるようになっているのが実情である.

(ブリタニカ国際大百科事典参照)

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第5パラグラフ最後の訳注:
「カトリック教会の第6の時代」について

聖アウグスティヌスによる時代区分(「六つの時代」 “The Six Ages” - この世のはじめ〈アダムとエバ〉から終わりまでを霊的な六つの節目の時代に分けている)に由来するらしい.

(参考資料: “DE CATECHIZANDIS RUDIBUS, CAP. XXII”, “Catechizing of the Uninstructed”, S. Aurelius AUGUSTINUS )

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