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2016年1月9日土曜日

443 工場生活 1/9

エレイソン・コメンツ 第443回 (2016年1月9日)

(解説付き)

今日,人々は職場で独り苦しんで居るのでしょうか?
(こんにち,ひとびと は しょくば で ひとり くるしんで いる ので しょうか?)
Today's work-places crucify a man ?

何処でも出来る処で
a finger-rosary(仮訳:ロザリオ数珠)で
(神の御母〈聖母〉マリアへの)
ロザリオ祈祷を捧げなさい.(訳注1・1)
(どこ でも できる ところ で
a finger-rosary(ふぃんがー・ろざりー)〈かりやく:ろざりお じゅず〉で
〈かみ の おん はは《せいぼ》まりあ への〉
ろざりお きとう を ささげ なさい.)
(訳注1・2 )
With a finger-rosary pray wherever you can.

先週に続き,エレイソン・コメンツの読者から寄せられた素晴らしい手紙をご紹介します(せんしゅう に つづき,えれいそん・こめんつ の いち どくしゃ から よせられた すばらしい てがみ を ご しょうかい します).彼(読者)は正気とは思えない状況に就いて良識有る見方を為て居ます(かれ〈どくしゃ〉は しょうき とは おもえない じょうきょう に ついて りょうしき ある みかた を して います).読者の皆さんは彼の言う事にがっかり為るか,其れとも励まされるかも知れません(どくしゃ の みなさん は かれ の いうこと に がっかり する か,それとも はげまされる かも しれません).多くの読者は自分達が職場で日々直面して居る事を認識為べきです(おおく の どくしゃ は じぶん たち が しょくば で ひび ちょくめん して いる こと を にんしき すべき です).そうすれば,職場でカトリック教の信仰が何故,何の様に蝕まれて居るかが,もっとはっきり分かるかも知れません(そうすれば,しょくば で かとりっく きょう の しんこう が なぜ,どのように むしばまれて いるか が,もっと はっきり わかる かも しれません).以下は彼の手紙の内容です(いか は かれ の てがみ の ないよう です):-
Here is another good letter from a reader of these “Comments”. He takes a sane view of an insane scene. Readers may be discouraged by what he describes, or they may be encouraged by how he describes it. A number of readers must recognize what they are up against every day when they go to work, and they may see better here than they yet see why and how their place of work is eroding their Catholic faith. He writes: –

私は自動車製造工場で此れ迄二年余り働いてき来ました(わたくし は じどうしゃ せいぞう こうじょう で これまで にねん あまり はたらいて きました).給料は十分ですが,私の職場環境は世界全体の一種の縮図の様な物です(きゅうりょう は じゅうぶん ですが,わたくし の しょくば かんきょう は せかい ぜんたい の いっしゅ の しゅくず の ような もの です).其れが何の様な物か以下に説明します…(それ が どの よう な ものか いか に せつめい します…). 
I have worked in a factory building cars for over two years now and while it does pay well the environment is a sort of microcosm of the world at large. Let me explain...

1)両性の混同(りょうせい の こんどう) - 男性と女性は互いに身近な状態で共同作業をします(だんせい と じょせい は たがい に みぢか な じょうたい で きょうどう さぎょう を します).此の様な仕事環境は女性の女性らしさを完全に壊して終います(このような しごと かんきょう は じょせい の じょせい らしさ を かんぜん に こわして しまいます).勿論,女性の出来ない仕事も有りますが(もちろん,じょせい の できない しごと も ありますが),両性の平等と言う間違った考え方の為に(りょうせい の びょうどう と いう まちがった かんがえ かた の ため に),会社は女性が其処で働く事を認める必要が有ります(かいしゃ は じょせい が そこ で はたらく こと を みとめる ひつよう が あります).だが,十戒第六戒,第九戒(訳注4・1 )(訳注4・2)の違反に就いて私が聞いた話は実に憂慮す(為)べき(冪)物です(だが,じっかい〈じゅっかい〉だい ろっかい,だい きゅうかい の いはん に ついて わたくし が きいた はなし は じつに ゆうりょ すべき もの です).詳しく述べる必要も無いでしょう.実際に起きて居る事は誰もが予測した事です(くわしく のべる ひつよう も ない でしょう.じっさい に おきて いる こと は だれ も が よそく した こと です).女性は何故其の様な所(処)で働く事を望むのでしょうか?(じょせい は なぜ そのような ところ で はたらく こと を のぞむ ので しょうか?)
1) Mixing up of the sexes - men and women work together in close proximity. Such work completely destroys a woman's femininity. Of course, there are certain jobs which women cannot do, but because of this false sense of equality, the company needs to allow women to work there. The stories that I have heard about the transgressions against the 6th and 9th commandments are truly disturbing. I need not elaborate. But what else did anybody expect ? Why would a woman even want to work in such a place?

2)男性の心は道徳的判断ができなくなっている(だんせい の こころ は どうとく てきはんだん が できなく なって いる) - 勿論,私は一般論と為て話して居ます(もちろん,わたくし は いっぱん ろん として はなして います).だが,私が話した殆(ん)どの男性は倫理観(即ち善と悪)では無く(だが,わたくし が はなした ほとんど の だんせいは りんり かん〈すなわち ぜん と あく〉ではなく),如何為たら楽しく過ごせるかを基準に考えて居ます(どうしたら たのしく すごせるか を きじゅん に かんがえて います).私は何人かの同僚と話し(わたくし は なんにん か の どうりょう と はなし),彼等が分かる様な方法で道徳の問題を提起為ようと為ましたが(かれら が わかる よう な ほうほう で どうとく の もんだい を ていき しよう と しました が),彼等に取って,其れは右の耳柄左の耳へ抜けて終った様です(かれら に とって,それ は みぎ の みみ から ひだり の みみ へ ぬけて しまった ようです).男性は肉欲に関(わ)る事に没頭為ると,心に就いて考える事が出来なく為ります(だんせいは にくよく に かかわる こと に ぼっとう すると,こころ に ついて かんがえる ことができなくなります).もっと悪い事に,同僚達は自ら犯した罪を自慢する事を全く恥と考えて居ないのです(もっと わるい こと に,どうりょう たち は みずから おかした つみ を じまん する こと を まったく はじ と かんがえて いない のです).昔は男性達は恥の意識を持って居ました.今や,そんな物は無い様です(むかし は だんせい たち は はじ の いしき を もって いました.いまや,そんな もの は ない よう です)
2) Men's minds are incapable of making moral judgments - I generalize of course, but most of the men I have talked to do not think in terms of morality (i.e. good and evil) but in terms of what pleasures can keep them entertained. I have talked to several co-workers and have tried to bring up questions of morality in a way that they might understand, but it seems to go over their heads. When a man has steeped himself in the things of the flesh, he is incapable of thinking of the soul. Worse, some of these co-workers have absolutely no shame in boasting of their sins. Once upon a time men had shame. No longer, it would seem.

3)私は私自身の神である(わたくし は わたくし じしん の かみ で ある) - 誤った自由が男性の生活指針として称えられています(あやまった じゆう が だんせい の せいかつ ししん と して たたえ られて います).私は同僚の何人かと議論を為ましたが,私が其の都度知らされたのは,真理や倫理は純粋に主観的な事だと言う事です(わたくし は どうりょう の なんにん か と ぎろん を しました が,わたくし が その つど しらされた のは,しんり や りんり は じゅんすい に しゅかん てきな こと だ と いう こと です).自分が真実だと信じる事が素晴らしいので有り,自分の考え方を他人に押し付ける事等出来ないと言うのです(じぶん が しんじつ だ と しんじる こと が すばらしい ので あり,じぶん の かんがえ かた を たにん に おしつける こと など できない というのです).私は上司に,其の様な考え方は馬鹿げて居ると話しました(わたくし は じょうし に,その ような かんがえ かた は ばかげて いる と はなしました).一人以上の妻を持つのは結構な事だと言う者が居たら如何でしょうかと,彼に尋ねました(ひとり いじょう の つま を もつ のは けっこう な こと だ と いう もの が いたら どう でしょうか と,かれ に たずね ました).彼は考え方は人それぞれだと応えました(かれ はかんがえ かた は ひと それぞれ だ と こたえました).真理は主観的な物で無いと言う基本原則を否定する人が居るなら,其の人に話しても無駄でしょう(しんり は しゅかん てき な もの で ない と いう きほん げんそく を ひてい する ひと が いる なら,その ひと に はなしても むだ でしょう).突き詰めると,人はそれぞれ自分以外の何かに従う代わりに自分自身の現実を築きあげるのですから(つきつめる と,ひと は それぞれ じぶん いがい の なにか に したがう かわり に じぶん じしん の げんじつ を きずき あげる の です から),自分が自分自身の神になるということでしょう(じぶん が じぶん じしん の かみ に なる と いう こと で しょう)
3) I am my own god - False liberty is exalted as the guiding principle in men's lives. I have had a few discussions with some of my co-workers and what I get every single time is that truth and morality are purely a subjective affair. What you believe to be truth is fine for you, but you cannot impose your way of thinking on anyone else. I told a supervisor of mine that such thinking is nonsense. I said, what if someone thinks that having more than one wife is fine ? He said, belief is up to the individual. If a man denies such a basic principle as that truth is not subjective, then there is no point in talking to him. In essence, every individual becomes his own god because HE has constructed his own reality instead of submitting to something outside of him.

近代工場の環境は一種の無神状態を作り出します(きんだい こうじょう の かんきょう は いっしゅ の むしん じょうたい を つくり だし ます).私は工場労働者が輝かしい美徳の模範に為る事を期待為て居る訳では有りません(わたくし は こうじょう ろうどう しゃ が かがやかしい びとく の もはん に なる こと を きたい している わけ では ありません).だが,近代工場はチャールズ・ディケンズが彼の時代に就いて書いた事より益々悪く成って居ると言いたく為ります(だが,きんだい こうじょう は ちゃーるず・でぃけんず が かれ の じだい に ついて かいた こと より ますます わるく なって いる と いいたく なります).私の言いたい事は未だ沢山有ります(わたくし の いいたい こと は まだ たくさん あります).だが,要点は次の事です(だが,ようてん は つぎ のこと です).即ち,罪に因って壊われた生活や快楽を貪る生活で神の恩寵が如何働くでしょうか?(すなわち,つみ に よって こわれた せいかつ や かいらく を むさぼる せいかつ で かみ の おんちょう が どう はたらく で しょうか?)道徳の最も基本的な基準さえ分かろうと為ない者と如何心を通わせたら良いのでしょうか?(どうとく の もっとも きほん てき な きじゅん さえ わかろう と しない もの と どう こころ を かよわせ たら いい ので しょうか?) 控え目に言っても、此れは失望的な状況です(ひかえめ に いっても,これ は しつぼう てき な じょうきょう です).溝に嵌(ま)った(填〈ま〉った)私達の為に祈って下さい(みぞ に はまった わたくし たち の ため に いのって ください)
The environment of a modern factory breeds a sort of godlessness. I don't expect factory workers to be examples of stellar virtue but I would say that modern factories are exponentially worse than what Charles Dickens wrote about in his times. I can go on and on, but the point I am trying to make is this: how can grace operate in lives which are destroyed through sin and a life of seeking pleasure ? How does one reach out to men who cannot even grasp the most elementary norms of morality? It is frustrating to say the least. Please pray for us in the trenches.

(手紙の紹介終わり)(てがみ の しょうかい おわり)

女性は女性らしさと家庭から自らを解放する(じょせい は じょせい らしさ と かてい から みずから を かいほう する).男性は客観的な道徳と客観的な真理から自らを解放する(だんせい は きゃっかん てき な どうとく と きゃっかん てき な しんり から みずから を かいほう する).其の様な「信仰心の無い邪悪な世代」(新約聖書・使徒聖ルカによる聖福音書:第九章四十一節)(訳注7・1)に如何遣って手を差し伸べ,話し掛けたら良いのでしょうか?(そのような「しんこう しん の ないじゃあく な せだい」に どうやって て を さしのべ,はなし かけたら いい の で しょうか?)模範,愛徳,祈りに拠る(依る)しか方法は無いでしょう(もはん,あいとく,いのり に よる しか ほうほう は ない でしょう).私は手紙を下さった読者に,ロザリオ(数珠)を職場に持って行き(わたくし は てがみ を くださった どくしゃ に,ろざりお〈じゅず〉を しょくば に もって いき),目立たない様に仕事仲間の為に一連(=天使祝詞 "Ave, Maria" を十回)ずつ祈り(めだたない よう に しごと なかま の ため に いちれん〈=てんし しゅくし "あべまりあ" を じゅっかい〉ずつ いのり),自分の職場環境から自らを霊的(精神的)に守る為祈る様アドバイス為ました(じぶん の しょくば かんきょう から みずから を れいてき〈せいしんてき〉に まもる ため いのる よう あどばいす しました).但し,彼は此れを目立たない様に為る必要が有ります(ただし,かれ は これ を めだたないよう に する ひつよう が あります)
Woman freeing herself from femininity and family, man freeing himself from objective morality and objective truth – how indeed can one reach out to, or even talk with, such a “faithless and perverse generation” (Lk. IX, 41) ? By example, charity and prayer. I advised the writer to take a finger rosary to work to be able to pray discreetly decade after decade to pray for his fellow-workers and to protect himself spiritually from his work environment. But he will need to be discreet.

キリエ・エレイソン.

リチャード・ウィリアムソン司教


* * *

訳注1・1

『何処でも出来る処で a finger-rosary (仮訳:ロザリオ数珠)で
(神の御母〈聖母〉マリアへの)ロザリオ祈祷を捧げなさい.』
について:

・「a finger-rosary(仮訳:ロザリオ数珠)」(ふぃんがー・ろざりー)〈かりやく:ろざりお じゅず〉
に就いて:

→片手の指だけで数える事が出来る小さなロザリオ数珠のこと.
(かたて の ゆび だけ で かぞえる こと が できる ちいさな ろざりお じゅず の こと)

・実物の具体例:

周囲に一つの十字架印とロザリオ祈祷一連分を数える事が出来る十個の突起(珠十個分)が付いた指輪を使用して,一人で「ロザリオ祈祷の黙祷」を為る事が出来る
(しゅうい に ひとつ の じゅうじか じるし(いん)と ろざりお きとう いちれん ぶんを かぞえる こと が できる じゅっこ の とっき(たま じゅっこ ぶん)が ついた ゆびわ を しよう して,ひとりで「ろざりお きとう の もくそう」を する こと が できる).

一つの十字架と一連分の数珠(珠十個)だけが付いた小型(ミニサイズ)のロザリオ数珠もある(ひとつ の じゅうじか と いちれん ぶん の じゅず〈たま じゅっこ〉だけ がついた こがた〈みに さいず〉の ろざりお じゅず も ある).

---

訳注1・2

「(神の御母〈聖母〉マリアへの)ロザリオ祈祷」に就いて:
(「(かみ の おん はは〈せいぼ〉まりあ の)ろざりお きとう」
について:)


・解説
「ロザリオ祈祷」の由来・方法についての解説:
(「ろざりお きとう」の ゆらい・ほうほう に ついて の せつめい:)

→参考文献:
(さんこうぶんけん:)

『聖母マリアへのロザリオ九日間の祈り』(ドン・ボスコ社)
(「せいぼ まりあ へ の ろざりお ここのか かん の いのり」〈どん・ぼすこ しゃ〉

*訳注の続き(訳注4・1)(訳注4・2)(訳注 7・1)を続けます.

* * *

(解説無し)

今日,人々は職場で独り苦しんでいるのでしょうか?
どこでもできるところでa finger-rosary(ロザリオの祈り)を捧げなさい.
Today's work-places crucify a man ?
With a finger-rosary pray wherever you can.

先週に続き,エレイソン・コメンツの一読者から寄せられた素晴らしい手紙をご紹介します.彼(読者)は正気とは思えない状況について良識ある見方をしています.読者の皆さんは彼の言う事にがっかりするか,それとも励まされるかもしれません.多くの読者は自分たちが職場で日々直面していることを認識すべきです.そうすれば,職場でカトリック教の信仰がなぜ,どのようにむしばまれているかが,もっとはっきり分かるかもしれません.以下は彼の手紙の内容です:-
Here is another good letter from a reader of these “Comments”. He takes a sane view of an insane scene. Readers may be discouraged by what he describes, or they may be encouraged by how he describes it. A number of readers must recognize what they are up against every day when they go to work, and they may see better here than they yet see why and how their place of work is eroding their Catholic faith. He writes: –

私は自動車製造工場でこれまで二年あまり働いてきました.給料は十分ですが,私の職場環境は世界全体の一種の縮図のようなものです.それがどのようなものか以下に説明します….
I have worked in a factory building cars for over two years now and while it does pay well the environment is a sort of microcosm of the world at large. Let me explain...

1)両性の混同 - 男性と女性は互いに身近な状態で共同作業をします.このような仕事環境は女性の女性らしさを完全に壊してしまいます.もちろん,女性のできない仕事もありますが,両性の平等という間違った考え方のために,会社は女性がそこで働くことを認める必要があります.だが,十戒第6戒,第9戒(訳注:第6戒:姦淫してはならない,第9戒:隣人の妻を欲してはならない)の違反について私が聞いた話は実に憂慮すべきものです.詳しく述べる必要もないでしょう.実際に起きていることは誰もが予測したことです.女性はなぜそのようなところで働くことを望むのでしょうか?
 1) Mixing up of the sexes - men and women work together in close proximity. Such work completely destroys a woman's femininity. Of course, there are certain jobs which women cannot do, but because of this false sense of equality, the company needs to allow women to work there. The stories that I have heard about the transgressions against the 6th and 9th commandments are truly disturbing. I need not elaborate. But what else did anybody expect ? Why would a woman even want to work in such a place? 

2)男性の心は道徳的判断ができなくなっている - もちろん,私は一般論として話しています.だが,私が話したほとんどの男性は倫理観(すなわち善と悪)ではなく,どうしたら楽しく過ごせるかを基準に考えています.私は何人かの同僚と話し,彼らが分かるような方法で道徳の問題を提起しようとしましたが,彼らにとって,それは右の耳から左の耳へ抜けてしまったようです.男性は肉欲にかかわること没頭すると,心について考えることができなくなります.もっと悪いことに,同僚たちは自ら犯した罪を自慢することをまったく恥と考えていないのです.昔は男性たちは恥の意識を持っていました.いまや,そんなものはないようです.
2) Men's minds are incapable of making moral judgments - I generalize of course, but most of the men I have talked to do not think in terms of morality (i.e. good and evil) but in terms of what pleasures can keep them entertained. I have talked to several co-workers and have tried to bring up questions of morality in a way that they might understand, but it seems to go over their heads. When a man has steeped himself in the things of the flesh, he is incapable of thinking of the soul. Worse, some of these co-workers have absolutely no shame in boasting of their sins. Once upon a time men had shame. No longer, it would seem.

3)私は私自身の神である - 誤った自由が男性の生活指針として称えられています.私は同僚の何人かと議論をしましたが,私がその都度知らされたのは,真理や倫理は純粋に主観的なことだということです.自分が真実だと信じることが素晴らしいのであり,自分の考え方を他人に押し付けることなどできないというのです.私は上司に,そのような考え方はばかげていると話しました.一人以上の妻を持つのは結構なことだと言う者がいたらどうでしょうかと,彼に尋ねました.彼は考え方は人それぞれだと応えました.真理は主観的なものでないという基本原則を否定する人がいるなら,その人に話しても無駄でしょう.突き詰めると,人はそれぞれ自分以外の何かに従う代わりに自分自身の現実を築きあげるのですから,自分が自分自身の神になるということでしょう.
3) I am my own god - False liberty is exalted as the guiding principle in men's lives. I have had a few discussions with some of my co-workers and what I get every single time is that truth and morality are purely a subjective affair. What you believe to be truth is fine for you, but you cannot impose your way of thinking on anyone else. I told a supervisor of mine that such thinking is nonsense. I said, what if someone thinks that having more than one wife is fine ? He said, belief is up to the individual. If a man denies such a basic principle as that truth is not subjective, then there is no point in talking to him. In essence, every individual becomes his own god because HE has constructed his own reality instead of submitting to something outside of him.

近代工場の環境は一種の無神状態を作り出します.私は工場労働者が輝かしい美徳の模範になること期待しているわけではありません.だが,近代工場はチャールズ・ディケンズが彼の時代について書いたことより益々悪くなっていると言いたくなります.私の言いたいことはまだ沢山あります.だが,要点は次のことです.罪によって壊れた生活や快楽をむさぼる生活で神の恩寵がどう働くでしょうか? 道徳の最も基本的な基準さえ分かろうとしない者とどう心を通わせたらいいのでしょうか? 控えめに言っても,これは失望的な状況です.溝にはまった私たちのために祈ってください. 
The environment of a modern factory breeds a sort of godlessness. I don't expect factory workers to be examples of stellar virtue but I would say that modern factories are exponentially worse than what Charles Dickens wrote about in his times. I can go on and on, but the point I am trying to make is this: how can grace operate in lives which are destroyed through sin and a life of seeking pleasure ? How does one reach out to men who cannot even grasp the most elementary norms of morality? It is frustrating to say the least. Please pray for us in the trenches.

(手紙の紹介終わり)

女性は女性らしさと家庭から自らを解放する.男性は客観的な道徳と客観的な真理から自らを解放する.そのような「信仰心のない邪悪な世代」(新約聖書・使徒聖ルカによる聖福音書:第9章41節)にどうやって手を差し伸べ,話しかけたらいいのでしょうか? 模範,愛,祈りによるしか方法はないでしょう.私は手紙をくださった読者に,ロザリオを職場に持って行き,目立たないように仕事仲間のために1連(=天使祝詞 "Ave, Maria" を10回)ずつ祈り,自分の職場環境から自らを精神的に守るため祈るようアドバイスしました.ただし,彼はこれを目立たないようにする必要があります.
Woman freeing herself from femininity and family, man freeing himself from objective morality and objective truth – how indeed can one reach out to, or even talk with, such a “faithless and perverse generation” (Lk. IX, 41) ? By example, charity and prayer. I advised the writer to take a finger rosary to work to be able to pray discreetly decade after decade to pray for his fellow-workers and to protect himself spiritually from his work environment. But he will need to be discreet.

キリエ・エレイソン.

リチャード・ウィリアムソン司教



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本投稿記事・第443回エレイソン・コメンツ「工場生活」(2016年1月9日付)/ELEISON COMMENTS CDXLII (Jan. 9, 2016) : "FACTORY LIFE" は2016年1月20日05時00分に掲載されました.
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2011年6月29日水曜日

弁護士の選任

エレイソン・コメンツ 第206回 (2011年6月25日)

「エレイソン・コメンツ」ではふつう個人的な問題には触れないことにしています.だが,筆者のドイツでの控訴審(7月4日)を前にある誤った事実が流布(るふ)していることが分かり,不要な心配を取り除くため実情を明確にする必要が生じました.その誤った事実とは,ドイツ国の私に対する「人種的扇動(せんどう)」の告発で,私が近年のドイツ史上最も論議を呼ぶ出来事について実際に起きた事実,誤った事実に基づいて抗弁(こうべん)したいと願っている,というものです.

実のところ,私が2008年11月,スウェーデン人ジャーナリストたちを前に「人種的扇動」について行った発言によりドイツで告発されるかもしれないと知った瞬間から,私はもしドイツの法廷で同じ発言を繰り返せば直ちに刑務所行きになる危険を冒すことになると知っていました.それがドイツの法律,法廷の現状です.だが,私はできることなら刑務所行きは免(まぬか)れたいと願っています.

そのため,私は当初から私の発言がドイツの視聴者向けになされたものでないことは明白であり,従ってドイツの法律は私の場合に適用されないという論拠に基づいて抗弁するようとの忠告に留意してきました.この点まではユーチューブに出て有名になったビデオクリップ(録画ビデオの一部)の終了直前の映像を見れば明らかです.映像は私のスウェーデンでのインタビューの最後の数分間を再現したものです.その上,私は発言の直後に,カメラなしでしたが,私を取材したスウェーデン人記者の所に行きインタビューの最後の部分を使用する際には「個別に」扱うよう強く求めました.この点は,もし彼らスウェーデン人記者たちが法廷で証言することになれば認めざるを得ないことなのですが,ドイツまで出向くよう強制できないため,彼らは証言することを拒んでいます.

私が弁護士を4度変えたことについては,聖ピオ十世会総長は初め,同会の弁護士であるマキシミリアン・クラー氏( Maximilian Krah )に弁護を依頼したのですが,同氏は個人的理由で反カトリック政党「緑の党」の党員であるマティアス・ロスマン氏を本件に携(たずさ)わるよう選任しました.彼はこつこつと努める良心的な人でしたが,この件にあまり乗り気ではありませんでした.私は友人たちを通じ,この種のデリケート(=微妙)な案件の扱いに熱心で高い実績のある弁護士ヴォルフラム・ナーラト氏(ウォルフラム・ナーラス(英語))を見つけましたが,ロスマン氏は彼と一緒に弁護を引き受けるのを嫌いました.私はロスマン氏の駆け引きの手法についてナーラト氏の政治的見解についてほどよく知りませんでしたし,苦境に置かれた自分にとって最良の弁護士が望ましいと考え,ロスマン氏からナーラト氏に替えました.

しかし,聖ピオ十世会総長が部下からナーラト氏の「弱点」を聞かされ,私に再度ほかの弁護士を探すよう命じました.総長にしてみれば,聖ピオ十世会と「極右派人物」の関係が公(おおやけ)になるのは同会にとって不利益になりかねないとの善意からの配慮でした.総長は新しいミサ典礼様式によるカトリック教(訳注・原文 “Novus Ordo Catholic”.第二バチカン公会議に則った典礼様式. )の保守派の長老ノルベルト・ヴィンゲルテル博士(ノーバート・ウィンガーター(英語))なら良いだろうと認めました.だが,現在流布している誤った事実はヴィンゲルテル博士から出てきた可能性があるようです.私にはどうしてそうなったのか分かりませんが,ヴィンゲルテル博士は私が法廷に出廷しドイツ史の中の例の出来事について真実,誤りを明らかにしたいと望んでいるとの誤った印象を持ったようです.幸い聖ピオ十世会総長はさらに別の弁護士の選任を認めてくれました.この弁護士は私が望む弁護のやり方について誤解していません.

親愛なる読者のみなさん,もしあなた方が(この裁判で)神の利益が危機に瀕(ひん)しているとお考えになるなら(誰しもがそう思うわけではないでしょうが),今から7月4日までのあいだどうか私の最新の弁護士のために神にお祈りください.彼は本件の解決に向けて懸命に取り組んでいますが,諸々のすさまじい反カトリック利権とその強力な奉仕者(=味方)たち,とりわけマスコミからの猛烈な重圧にさらされるかもしれません.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *


神の御意思(お許し)のもと試練の最中(さなか)に置かれている
ウィリアムソン司教さまの心の平和を願い,
また,この度の裁判で司教さまの弁護を引き受けて下さった方の上に
神の御加護を願って,
「聖母マリアへのロザリオ・9日間〈ノベナ〉の祈り」とその意向(聖書の個所)を
追記します.

祈りの内容

・ロザリオの元后(聖母マリア)への54日間のロザリオ・ノベナの祈り
The Holy Rosary Novena Prayer to Our Lady
(Miraculous 54 days Holy Rosary Novena Prayer to the Queen of the Holy Rosary)

構成

①「願い」をこめて,ノベナ〈9日間の祈り〉を3回くりかえして(計27日間)祈る.

②その後「感謝」をこめて,再びノベナを3回くりかえして(計27日間)祈る.

両方合わせて54日間,ロザリオ15連(3玄義〈喜び・苦しみ・栄え〉各5連)を毎日一連ずつ祈る.)

* この祈りについての詳しい解説も付けて記載します.

参照文献

「聖母マリアへのロザリオ9日間の祈り」
チャールズ・V・ラッキー(著)/ 聖母の騎士社(発行)

* * *

祈りの意向:

 新約聖書・マテオによる聖福音書:第8章13節
The Gospel according to Saint Matthew 8, 13.
And Jesus said to the centurion:
Go, and as thou hast believed, so be it done to thee”.

 同・ヨハネによる聖福音書:第14章27節
The Gospel according to Saint John 14, 27.
Peace I leave with you, my peace I give unto you:
not as the world giveth, do I give unto you.
Let not your heart be troubled, nor let it be afraid”.
(By Jesus Christ)

 同・聖パウロによるコロサイ人への手紙:第2章1-10節
The Epistle of Saint Paul to the Colossians 2, 1-10.
As therefore you have received Jesus Christ the Lord, walk ye in him;
Rooted and built up in him, and confirmed in the faith, as also you have learned, abounding in him in thanksgiving.“

 同:第3章12-17節
ibid., 3, 12-17.
“Put ye on therefore, as the elect of God, holy, and beloved,
the bowels of mercy, benignity, humility, modesty, patience:
Bearing with one another, and forgiving one another, if any have a complaint against another:
even as the Lord hath forgiven you, so do you also.
But above all these things have charity, which is the bond of perfection:
And let the peace of Christ rejoice in your hearts, wherein also you are called in one body:
and be ye thankful.
Let the word of Christ dwell in you abundantly, in all wisdom
:
teaching and admonishing one another in psalms, hymns, and spiritual canticles,
singing in grace in your hearts to God.
All whatsoever you do in word or in work, do all in the name of the Lord Jesus Christ,
giving thanks to God and the Father by him”.

* * *

✾ 神に向かう真剣な祈りは奇跡を生みだします.✾

あなたたちの中に苦しんでいる人がいるなら,その人は祈れ
喜んでいる人がいるなら,その人は賛美を歌え.
病気の人がいるなら,その人は教会の長老たちを呼べ.
*¹彼らは主のみ名によって*²油をぬってから祈りをとなえる.
*³そして信仰による祈りは病気の人を救う.
主は彼を立たせ,もし罪を犯しているなら,それをゆるされるであろう.

互いに罪を告白し,治されるために互いに祈れ.
*⁴義人の熱心な祈りがあれば効果がある
*⁵エリア(旧約の大預言者)は私たちと同じ人間であったが,雨が降らないように祈ったので,三年六か月の間地上に雨が降らなかった.そしてまた祈ったので,天は雨を与え地にはその実がみのった.

兄弟たちよ,あなたたちの中に真理から迷った者がいて,ある人がそれを連れもどしたとしよう.
一人の人を迷いの道から連れもどす人は,自分の霊魂を死から救い,多くの罪を消すことを知れ
.』

(新約聖書・ヤコボの手紙:第5章13-20節)

(注釈)

油をぬること(5・13-20)
*¹ キリストの命令と権威によって.

*² 終油の秘跡(マルコ聖福音6・13).

ヤコボはイエズスがどんなに病人をいたわられたかを知っている(マテオ聖福音8・5-13,ルカ聖福音7・1-10,ヨハネ聖福音4・43-54).

*⁴ 〈旧約〉創世の書22・23,詩篇144・18-19,格言の書15・29.ブルガタ(ラテン語)では「絶えざる祈り」.

*⁵ 〈旧約〉サムエル(上)17-18章,シラ48・1-3参照.


* * *

祈りの意向(聖書からの引用箇所)

①新約聖書・マテオによる聖福音書:第8章13節(太字下線部分)
The Gospel according to Saint Matthew 8, 13.

『イエズスがカファルナウムに入られると,一人の百夫長が来て,「主よ,私の下男が家で寝ています.中風でたいへん苦しんでいます」と言った.イエズスは「私が行って治そう」と言われた.
百夫長は,「主よ,私はあなたを私の屋根の下に迎える値打のない人間です.あなたがただ一言おっしゃってくだされば私の下男は治ります
私自身も権威の下についていますが,私の下にも兵卒がいます.そして,こちらの者に〈行け〉と言えば行き,あちらの者に〈来い〉と言えば来ます.また下男に〈これをしろ〉と言えばそうします」と答えた.
これを聞いて感心されたイエズスは,ついてきた人々に向かって,
「まことに私は言う.イスラエルのだれにも,私はこれほどの信仰を見たことがない
私は言う.多くの人が東西から来て,アブラハム,イサク,ヤコブとともに天の国の宴席に入るが,国の子らは外のやみに投げ出され,そこで泣いて歯ぎしりするだろう」と言われ,百夫長に向かって,「行け.あなたが信じたとおりになるように」と言われた.下男はそのとき病気が治った.』

(注釈)

百夫長の下男(8・5-13)
*¹ 永遠の生命は,よく宴会(えんかい)にたとえられる.

*² 「国の子」とはユダヤ人である.彼らは天の国に対して,異邦人よりも権利をもっていた.しかしキリストを信じないから永遠の宴席から追い出され,百夫長のように信仰あつい異邦人がそれに代わるであろう.

* * *

②新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第14章27節(太字下線部分)
The Gospel according to Saint John 14, 27.

(十字架につけられる前日,最後の晩餐(ばんさん)・洗足(弟子たちの足を洗う)・ユダの裏切り・ペトロの否みの預言の後で,イエズスが弟子たちに話された
みことばの初めの部分)

第14章・全章(1-31節)

弟子らを慰める
『心を騒がせることはない.神を信じそして私(イエズス)をも信じよ.*¹ 私の父の家には住みかが多い,もしそうでなければあなたたちに知らせていただろう.私はあなたたちのために場所を準備しに行く.そして,行って場所を準備したら,あなたたちをともに連れていくために帰ってくる.私のいる所にあなたたちも来させたいからである
私がどこに行くかは,あなたたちがその道を知っている」と言われると,トマが,「主よ,私たちはあなたがどこに行かれるかを知りません.どうしてその道がわかりましょう」と言った.

するとイエズスは言われた,
「*³ 私は道であり,真理であり,命である.私によらずにはだれ一人父のみもとには行けない.私を知れば私の父も知るだろう
だがあなたたちは父を知っている,すでに父を見たのだ」.フィリッポは,「主よ,私たちに父をお見せください.それだけで十分です」と言った.

イエズスは言われた,
「フィリッポ,私はこんなに長くあなたたちとともにいたのに,まだ私を知らないのか.私を見た人は父を見た.それなのに,どうして〈父をお見せください〉と言うのか.*⁴私が父におり,父が私にましますことをあなたは信じないのか.

私が話していることばは,自分で話しているのではなく,私にまします父がそのみ業を行っておられる.
私を信じよ,私は父におり,父は私にまします.せめてそれを私の業によって信じよ
.』

聖霊の約束
『まことにまことに私は言う.
*⁵私を信じる者は,私のするようなことを行うであろう.そればかりか,もっと偉大なことを行うだろう,私は父のもとに行くからである.

あなたたちが私の名によって願い求めることはすべてかなえられ,父が子において光栄を受けたもうように私が計らう.あなたたちが私の名によって何かを願い求めるなら,私が計らおう.

あなたたちは *⁶私を愛するなら私のおきてを守るだろう.そして私は父に願おう.そうすれば,父はほかの弁護者をあなたたちに与え,永遠にともにいさせてくださる.それは真理の霊である

世はそれを見もせず知りもしないので,それを受け入れない.
しかしあなたたちは霊を知っている.霊はあなたたちとともに住んで,あなたたちの中にいますからである.
私はあなたたちを孤児にしてはおかない,ふたたび帰ってくる.
*⁷もう少しすれば,世は私を見なくなる.しかしあなたたちは私を見るだろう.それは私が生き,あなたたちも生きるからである.
*⁸その日には,私が父におり,あなたたちが私におり,私があなたたちにいることを知るだろう.
私のおきてを保ちそれを守る者こそ私を愛する者である.私を愛する者は父にも愛され,私もその人を愛して自分を現す
」.

*⁹イスカリオトでないユダが,「主よ,この世にではなくて私たちに,あなたがご自分を現されるのはなぜでしょうか」と聞くと,イエズスは言われた,
私を愛する者は私のことばを守る.また父もその者を愛される.
そして私たちはその人のところに行ってそこに住む.私を愛さない人は私のことばを守らぬ.
あなたたちが聞いているのは私のことばではなく,私を遣わされた父のみことばである

私はあなたたちとともにいる間にそのことを話した.
だが,弁護者すなわち父が私の名によって送りたもう聖霊は,すべてを教え,あなたたちの心に私の話したことをみな思い出させてくださるだろう.』

弟子たちに平和を残す
私はあなたたちに平和を残し,私の平和を与える.私はこの世が与えるようにしてそれを与えるのではない.心配することはない,恐れることはない
〈私は去ってまた帰ってくる〉と私が言ったのをあなたたちは聞いた.もし私を愛しているなら,私が父のもとに行くのを喜んでくれるはずである.*¹⁰父は私よりも偉大なお方だからである.私はことが起こるとき信じるようにと,ことが起こる前にこうあなたたちに話しておいた.

*¹¹この世のかしらが来るから,私はもう長くあなたたちと話し合わぬ.
彼は私に対して何もできぬが,私が父を愛しており,父の命令のままに行っていることを,この世は知らねばならぬ.立て,ここを出よう」.』

(第14章の注釈)

弟子らを慰める(14・1-11)
イエズスはその死をもって天の門を開きに行かれる.その後帰って弟子らを天国に導かれるであろう

教会の希望は,このキリストの約束の上に立っている(〈新約〉ティモテオ手紙(第一)4・16以下,コリント手紙(第一)4・5,11・26,16・22,黙示22・17,20,ヨハネ聖福音12・28).

イエズスは,
御父のことを啓示する「道」
であり(11・18,12・45,14・9),
御父が喜ばれる霊の宗教を教える「真理」であり(4・23以下),また,
永遠の命が,み子に宿る御父のことを知るところにあるという意味で,「命」である(17・3).

*⁴イエズスは父との同等を宣言された.み子は御父におられ,御父はみ子においでになることを知るのは信仰である

聖霊の約束(14・12-26)
*⁵ 奇跡をしるしとする救いの使命は,弟子たちに受け継がれる.弟子たちは,キリストが送る聖霊によって特能を受ける(7・39,16・7).

*⁶ イエズスは,神と同様に愛され服従されるお方である.その権威を示された

*⁷ 世間は,一度亡くなられたイエズスを忘れ去ってしまうだろうが,しかし弟子たちは,復活したキリストを霊的に見て,信仰によってそれを見続ける(20・29).

*⁸「その日」はイエズスの復活に続く日々のことをいう.

*⁹ ヤコボの兄弟のユダ(ルカ聖福音6・16,使徒1・13),タダイ(マテオ聖福音10・3,マルコ聖福音3・18)と同じ人.

弟子たちに平和を残す(14・27-31)
*¹⁰ 神として父と平等であるが,人間としてイエズスは父の下にある.

*¹¹ この世のかしらは悪魔である.悪魔はけっしてイエズスの命に手をかけることができない,もしイエズスが自ら死を迎えなかったならば.

* * *

③新約聖書・聖パウロによるコロサイ人への手紙:第2章1-10節(6-7節に太字下線)
The Epistle of Saint Paul to the Colossians 2, 1-10.

④同:第3章12-17節(太字下線部分)
ibid., 3, 12-17.

(2章はじめから最後(4章終わり)まで記載)


第2章

パウロの使命
あなたたちと,ラオディキアにいる人々と,*¹直接私を見たことのない他の人々にも,私がどれほどの戦いをしているかを知ってもらいたい.それは彼らの心が慰められ,愛において結ばれ,完全な知識のすべての富に満たされるためであり,*²神の奥義であるキリストを深く知るためである.知恵と知識のすべての宝はキリストに隠されている

偽の教え
*³私がこう言うのは,うまい話であなたたちをだます者がだれもいないようにするためである.私は体ではあなたたちと離れているが,霊においてともにいて,*⁴あなたたちの秩序あることと,キリストへの信仰の強さを喜んで見ている.
あなたたちは自分が受けたとおりのキリスト,主イエズスにおいて歩まねばならない
主に根ざし,主の上に建ち,また,自分に教えられたとおりの信仰を固め,あふれるばかりに感謝せよ

キリストの救い
キリストの上に基づかず,人の言い伝えと*⁵世の要素に基づく*⁵むなしい惑わしにすぎない哲学によって,あなたたちを餌食にしようとする人々を警戒せよ.
キリストにおいては,神性の満ち満ちたものがすべて体の形をとって宿っている
あなたたちは*⁶権勢と能力のかしらであるキリストにおいて満たされた
また,あなたたちは肉の体を脱することによって,キリストにおいて,人の手によらぬ割礼を受けた.それは*⁷キリストの割礼である.
あなたたちは,*⁸洗礼の時キリストとともに葬られ,洗礼の時キリストを死者の中からよみがえらせた神の力への信仰によってまたキリストとともによみがえった
罪のために,また肉の割礼がないために死んでいたのに,神はあなたたちのすべての罪をゆるし,キリスとともに生かされた.
私たちを責め,私たちに反していた*⁹戒めの書を神は消し,それを取り去って十字架につけ,*¹⁰権勢と能力をはいで公にさらしものにし,キリストの勝利の捕虜として引き連れられた.

偽りの神秘主義
だから,*¹¹飲み物,食べ物,祝い,初日,安息日について,だれからも非難されるな.これらはいつか来るはずのものの影にすぎず,その本体はキリストである.謙遜を装い,*¹²天使たちを崇拝する者に自分の報いを奪われるな.彼らは自分たちの見る幻に迷い,肉の考えに従ってむなしくおごる.*¹³体全体は神における成長を実現するために,かしらから節々と筋を通じて,栄養と統一を受けるのであるが,彼らはそのかしらについていない.
あなたたちがキリストとともに*¹⁴世の要素に死んだのなら,なぜまだ世にいるかのように*¹⁴戒めに身をゆだねるのか.「食べるな,味わうな,触れるな」.それらのことはみな,使うに従ってなくなるものであって,人間の教え命じる事柄である.それらは自発的な崇敬と謙遜と体に対する厳しさを表す知恵あるもののように見えるが,実は肉の欲に対しては何の役にも立たない.

(第2章の注釈)

パウロの使命(1・24-2・3)
*¹ パウロはラオディキアとコロサイにまだ行かなかった.

*² 「キリストにおいて神の」「キリストの父なる神の」「父なる神およびキリストの」とある古写本もある.

偽の教え(2・4-7)
*³ 8節以下に話す事柄をここで準備する.

*⁴ 聞く人を喜ばせることば.後で苦言を呈さねばならないので.

キリストの救い(2・8-15)
*⁵ ガラツィア4・8,5・1参照.

*⁵ ユダヤ人の偽教師のギリシア哲学を借りた教え.

*⁶ 権天使,能天使.

*⁷ 洗礼のこと.

*⁸ 洗礼の時に水に浸すのは,罪に死ぬことのかたどりである.

*⁹ 神は人間への死の判決をみ子(キリスト)によって取り消された.

*¹⁰ 悪霊のこと(〈新約〉エフェゾ手紙6・12).

偽りの神秘主義(2・16-23)
*¹¹ ユダヤ教からのキリスト信者が問題にしていたモーゼの規定のこと.これはキリストによって廃せられた.

*¹² ユダヤの偽教師の教えを暗示する.

*¹³ 神秘体のかしらキリストのこと.

*¹⁴ 宗教的な教えの初歩であるモーゼの律法のこと.

*¹⁴ 律法の戒め.

* * *

第3章

あなたたちがキリストとともによみがえったのなら,上のことを求めよ.キリストはそこで,神の右に座したもう.
地上のことではなく上のことを慕え.あなたたちは死んだ者であって,その命はキリストとともに神の中に隠されているからである.私たちの命であるキリストが現れる時,あなたたちも光栄のうちにキリストとともに現れるであろう.

肉の肢体を抑えよ.淫行,汚れ,情欲,邪欲,偶像崇拝である肉欲,これらが神の怒りを呼ぶ.その中に暮らしていたときには,あなたたちもそのように行っていた.
しかし今はすべてこれらのこと,怒り,憤り,悪意,そしり,みだらな話を口から捨てよ.互いにうそを言うな.
あなたたちは古い人間とその行いを脱ぎ,新しい人間をまとった.
この新しい人間は,自分を造ったお方の姿に従い,ますます新しくなって深い知識に進む.
そこにはギリシア人とユダヤ人,割礼と無割礼,蛮人とシツィア人,奴隷と自由民の区別はもうなく,キリストがすべてであり,すべてのうちにまします

ゆえに神に選ばれた者であるあなたたちは,聖なる者,愛される者として,深い慈悲,情け,謙遜,柔和,寛容をまとえ.互いに忍び,他人に不平があってもゆるし合え.主がゆるされたように,あなたたちもそうせよ

だが何よりもまず愛をまとえ.愛は完徳のかなめである
心をキリストの平和につかさどらせよ.あなたたちを一つの体に集めたお召しの声がそれである.そして感謝をもて

キリストのみことばをあなたたちの中に豊かに住まわせ,すべての知恵によって教え合い,戒め合い,心の底から,恩寵によって詩の歌と賛美の歌と霊の歌をもって神を寿(ことほ)げ.
あなたたちがことばと行いをもってすることはすべて,キリストによって,父なる神に感謝しつつ,主イエズスのみ名によって行え

妻たちよ,主にふさわしいように自分の夫に従え.夫たちよ,妻を愛せよ,苦々しくあしらうな.
子どもたちよ,すべて両親に従え.それは主に喜ばれることである.
父たちよ,子どもを怒らせるな.彼らを落胆させないためである.

奴隷たちよ,すべてにおいてこの世の主人に服従せよ.
人の気に入ろうとして目の前だけで仕えず,主を恐れる純朴な心をもって仕えよ
ことをするときいつも,人のためではなく,主のためにするように真心から行え
あなたたちは報いとして主から遺産を受けることを知っている.
実にあなたたちは主キリストの奴隷である.
不正を行う者は,その不正の報いを受けるであろう.(神は)人を区別されることがない.

(第3章の注釈)

キリストによる新生活(3・1-17)
*¹ 洗礼によってキリストとともに死んだ.

*² 「あなたたちの命…」とある古写本もある.

*³ 「貧欲」と訳すのもある.

*⁴ 9-10節 ローマ6・6,エフェゾ4・22,24参照.

*⁴ 神にかたどって創られた人間(〈旧約〉創世の書1・26以下)は,神のみ旨以外のところに善悪を求めて滅びに至った
彼らは罪の奴隷となり,死ぬべき「古い人」となった.
「新しい人」,神の姿であるキリストによって,つくり直される.
こうして新しい人は,本来の正しい人間にもどり,真の倫理的認識をもつことができる


*⁵ シツィア人は当時もっとも未開の人であった.

*⁶ キリストの教会では,民族,宗教,文化,社会階級の差が廃される.キリストにおいて全人類の一致が実現する(ガラツィア3・27-28).

*⁷ すべての徳は愛に根ざす

*⁸ キリストの体またはキリストの神秘体

家庭の人たちに(3・18-4・1)
*⁹ この節以下にキリストの愛という見地に立って生きる自然倫理が説かれる(エフェゾ5・22).
*¹⁰ 奴隷について(コリント手紙(第一)7・20-24,エフェゾ手紙5・6以下,ティモテオ手紙(第一)6・1-2,フィレモン手紙).

*¹¹ 労働の超自然的意向.

*¹² 翻訳写本にだけあることば.

* * *

第4章

家庭の人たちに
*¹主人たちよ,あなたたちも天に一人の主があることを知って,正義と公平をもって奴隷たちを扱え.

使徒のために祈る
警戒し,感謝しながら絶えず祈れ.特に私たちのためにも祈れ.
神がキリストの奥義を告げるために,私たちに宣教の門を開かれるように.私はそのために鎖につながれている.
私が話さねばならぬことばでキリストを宣言できるように祈れ

今の時をよく利用し,*²外の人に対して賢明にふるまえ.ことばはいつも愛想よく,*³塩で味つけられているようにせよ.そうすればあなたたちには,一人一人にどう答えねばならぬかが分かるだろう.

ティキコを遣わす
主において愛する兄弟であり,忠実な奉仕者であり,私とともに奴隷である*⁴ティキコが,私のことをすべてあなたたちに知らせるであろう.私がこの人をあなたたちの下に送るのは,私たちのことを知らせ,またあなたたちの心を慰めるためである.あなたたちの同郷人である忠実な愛する兄弟*⁵オネジモも彼とともに送る.二人はこちらのことをつぶさに知らせるであろう.

あいさつ
捕らわれの私の仲間である*⁶アリスタルコと,バルナバの従兄弟(いとこ)の*⁷マルコが,あなたたちにあいさつを送る.
このマルコについてあなたたちはすでに指図を受けているのであるから,彼があなたたちの所に来るときには喜び迎えよ.
*⁸ユストといわれるイエズスからもよろしく.彼らは割礼者であるが,私とともに神の国のために働いた.
私の慰めとなっているのはこの三人だけである

あなたたちの同郷人で,キリスト・イエズスの奴隷である*⁹エパフラからもよろしく.
彼は祈りのうちに絶えずあなたたちのために戦い,あなたたちが完全になって,神のすべてのみ旨を果たすことを願っている.
彼があなたたちと*¹⁰ラオディキアと*¹⁰ヒエラポリスにいる人々とのためにひどく苦労していることを,私は保証する.

愛する医者の*¹¹ルカからよろしく.また*¹²デマからも.
ラオディキアの兄弟たちと*¹³ニンファとその家にある教会によろしく伝えよ.

この手紙をあなたたちの間で読んだなら,ラオディキアの教会にも読ませよ.あなたたちはまた*¹⁴ラオディキアに送った手紙を読め.また,*¹⁵アルキポに「主から受けた奉仕の役をよく果たすように注意せよ」と言え.

私パウロが自筆であいさつを送る.私の鎖(くさり)を思い出せ
恩寵があなたたちとともにあるように.

(第4章の注釈)

家庭の人たちに(3・18-4・1)
社会道徳の超自然的原理.これがなければ社会の正義はない

使徒のために祈る(4・2-6)
*² キリスト信者でない人々(〈新約〉テサロニケ手紙(第一)4・12).

*³ 聖書では超自然を味わわせる知恵のことを塩という.

ティキコを遣わす(4・7-9)
*⁴ 〈新約〉使徒行録20・4,エフェゾ手紙6・21参照.

*⁵ フィレモンの手紙に出る奴隷のオネジモ.

あいさつ(4・10-18)
*⁶ アリスタルコはテサロニケのマケドニア人(使徒19・29,27・2,フィレモン手紙24節).
捕らわれているパウロを助けていた人.

*⁷ 使徒15・37,39. 第二福音史家マルコ(=聖マルコによる聖福音書の著者).

*⁸ 詳しくはわからないが,ギリシア・ローマ時代にユダヤ人の間によくあったあだ名(使徒1・23,18・7).

*⁹ 1・7参照.

*¹⁰ 二つともコロサイに近い町.

*¹¹ 福音史家のルカ(聖ルカによる聖福音書の著者).

*¹² フィレモン24節,ティモテオ手紙(第二)4・10参照.

*¹³ ニンフォドロの略称,男性の名.

*¹⁴ 今はこの手紙はない.ある聖書学者はエフェゾ人への手紙のことだという.

*¹⁵ フィレモン手紙2節参照.

* * *