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2013年11月17日日曜日

331 明日のリーダーたち 11/16

エレイソン・コメンツ 第331回 (2013年11月16日)

     超自然的(ちょうしぜん てき)なカトリック信徒たちといえども経済問題(けいざい もんだい)をくだらないことと蔑(さげす)むわけにはいきませんが,それには二つのきちんとした理由(りゆう)があります( "There are two good reasons why not even supernatural Catholics should scorn economic questions." ).まず個人的(こじんてき)には,彼らは家計(かけい)を立てるため経済分野(けいざい ぶんや)の常識(じょうしき)を持つ必要(ひつよう)があります( "Individually, to run their own household they need common sense in this domain, …" ).だが今日この常識はひどく軽視(けいし)されています( "… now heavily discounted. " ).社会的(しゃかいてき)には,彼らは自分たちの周(まわ)りで何が起きているかについて多少は把握(はあく)しておく必要があります( "And socially, they need some grasp of what is going on in the society around them, …" ).なぜなら,あらゆる霊魂(れいこん)が地獄(じごく)に堕(お)ちるようたくらんでいる反キリスト的新世界秩序( "the anti-Christian New World Order=NWO" )の意識的(いしきてき)もしくは無意識的(むいしき てき)な代理人(だいりにん)によって真実(しんじつ)がひどく捻じ曲(ねじま)げられているからです( "… because that truth is heavily distorted by the conscious or unconscious agents of the anti-Christian New World Order (NWO), which aims to make all souls finish in Hell. " ).

     エレイソン・コメンツの読者(どくしゃ)たちはカトリック信徒(しんと)たちに対(たい)し,米国人(べいこくじん)の評論家(ひょうろんか)ポール・クレイグ・ロバーツ博士(はかせ)( "Dr. Paul Craig Roberts" )の説く常識(じょうしき),真実(しんじつ)に耳を傾(かたむ)けるよう一度ならず再三(さいさん)勧(すす)めてきました( "More than once readers here have had recommended to them the common sense and truth of an American commentator, Dr Paul Craig Roberts." ).彼が最近(さいきん)の論文(ろんぶん)で述べているところによれば( "He has recently written an article arguing that,…" )米国政府の本当の危機はさんざん話題になった機能停止(きのう ていし)( "shutdown" )ではなく( "… the real crisis in the USA government is not its shutdown, being then much talked about, …" ),収入が少なすぎるのに支出が多すぎるため,予算(よさん)を均衡(きんこう)させる能力(のうりょく)を恒常的(こうじょうてき)に失(うしな)っていることにあるということです( "… but its constant underlying inability to balance its budget, because of too little income and too much expenditure." ).彼は過小収入(かしょう しゅうにゅう)の原因(げんいん)はなんとか自立(じりつ)できる社会保障(しゃかい ほしょう)の費用負担(ひよう ふたん)などではなく( "The too little income he attributes not to the expense of Social Security, which pays its way, …" ),米国が数十年にわたり製造業(せいぞうぎょう)を低賃金(てい ちんぎん)の外国(がいこく))に外注(がい ちゅう)してきたため( "… but to decades of out-shoring America’s manufacturing to foreign lands with cheap labour, …" ),米国の消費者(しょうひしゃ)が貧(まず)しくなり,その結果(けっか)税収入(ぜい しゅうにゅう)が極度(きょくど)に落ち込(おちこん)んだためだと述べています( "… which has so impoverished American consumers that tax revenues have severely dropped." ).彼はまた過剰支出(かじょう ししゅつ」の原因は,相次(あいつ)ぐ外国での戦争(せんそう)のため湯水(ゆみず)のように出て行った経費(けいひ)だと言っています( "Too much expenditure he attributes to the draining cost of one foreign war after another." ).したがって,彼は米国政府(べいこく せいふ)が危機(きき)を本当に解決(かいけつ)したければ失(うしな)われた仕事を自国に取り戻し(とりもどし),対外戦争(たいがい せんそう)を止(や)めなければならないと診断(しんだん)しています( "So he diagnoses that for the American government to solve its real crisis, the jobs must be brought home and the foreign wars stopped." ).だが,「そうした政策(せいさく)には強力(きょうりょく)に組織化(そしきか)された利害共有者(りがい きょうゆうしゃ)たち( "powerful organized interests" )が反対(はんたい)するため,議会(ぎかい)はそのいずれも実施(じっし)することはありません.」( "But “powerful organized interests oppose any such measures, and so Congress will do neither.” " )

     事実(じじつ),ロバーツ博士は「自分の意見(いけん)では,技術(ぎじゅつ)の馬鹿(ばか)げた使い方(つかい かた)が環境(かんきょう)を使い果(つかい は)たしているため,米国経済は今の形(かたち)では救(すく)いようがない」と付言(ふげん)しています( "In fact Dr Roberts adds that in his opinion the American economy cannot be salvaged in its present form because unwise use of technology is exhausting the environment. " ).その上,経済学者たちには「独自(どくじ)の発想(はっそう)を持つ能力(のうりょく)がなく」,さらに「選ばれた議員たちは自分の選挙運動(せんきょ うんどう)の費用(ひよう)を出してくれる私的利害共有者たち( "private interests" )に頼り切(たよりき)っている」ため,「現時点で最も起きそうな予測(よそく)は破たん(はたん)しかないようだ」と述べています( "Moreover economists being “incapable of original thought” and “elected representatives being dependent on the private interests that finance their election campaigns”, then “at this time collapse seems the most likely forecast.” " ).そして,彼はもし米国が進むべき進路(しんろ)を示すリーダーたちが現れれば,廃墟(はいきょ)のなかからなにかもっと賢明(けんめい)なものが生まれるだろう,と言います( "And there will only come something more intelligent from the ruins, he says, if there will be leaders to show the way. " ).

     ロバーツ博士はこのように暗(くら)い見通(みとお)しを描(えが)いていますが,彼の説(と)く常識と真実(じょうしき と しんじつ)は注目(ちゅうもく)に値(あたい)します( "The Doctor paints a dark picture, but its common sense and truth must be heeded." ).その常識とは,予算の大問題は収入の大幅増(おおはばぞう)もしくは経費(けいひ)の大幅削減(おおはば さくげん),あるいはその双方(そうほう)によって解決(かいけつ)すべきということです( "The common sense is that a major budget problem must be solved by a major increase in revenue or by a major cut in costs, or both." ).負債(ふさい)をさらに大きく増(ふ)やすことでは解決できません( "It cannot be solved by going into ever more colossal debt." ).博士が言う真実の一つは,常識を持たない経済学者(けいざい がくしゃ)たちの愚(おろ)かさです( "One truth he mentions is the foolishness of economists without common sense, …" ).たとえば,製造業(せいぞうぎょう)の仕事(しごと)は時代遅(じだい おく)れなので,外注(がいちゅう)に出してしかるべきといった彼らの言い分(いいぶん)です( "… for example their pretence that manufacturing jobs, being outmoded, might just as well be out-sourced." ).もう一つの真実は,米国を対外戦争に向かわせる「組織化された利害共有者(りがい きょうゆうしゃ)」と建前上(たてまえじょう)の民主的(みんしゅてき)な選挙(せんきょ)を支配(しはい)する「私的(してき)利害共有者たち」の存在(そんざい)です( "Another truth is the power of the “organized interests” that push for foreign wars, and of the “private interests” that control the supposedly democratic elections." ).

     だが,こうした利害共有者たちが米国経済を破たん(はたん)に追い込(おいこ)む動機(どうき)は一体(いったい)何(なん)でしょうか?( "But what motive can these interests have for wishing to drive the United States economy into collapse ? " ) NWOの代理人たちは,国家的同一性(こっかてき どういつせい)や誇(ほこ)り( "any national identity and pride" )を多少でも持つ米国やほかの西側諸国をぶち壊(こわ)し,NWOに吸収(きゅうしゅう)され易(やす)いようにするため懸命(けんめい)に働(はたら)いています( "Agents of the NWO are working hard to break down the United Sates and all Western nations with any national identity or pride, so that they will let themselves be the more easily absorbed into the NWO..経済学者たちは経済学派の中で愚か者扱い(おろかもの あつかい)され,選(えら)ばれた議員(ぎいん)たちは気前(きまえ)のいい報酬(ほうしゅう)を得(え)て自国を負債(ふさい)に陥(おとしい)れるようになります( "Economists will be made dumb in the Schools of Economics, and elected representatives will be handsomely paid to enmesh their countries in debt, …" ).なぜなら,聖書(せいしょ)には負債者(ふさいしゃ)は債権者の僕(しもべ)ないしは奴隷(どれい)になると書いてあります( "… because Scripture says that the debtor makes himself servant, or slave, of the creditor. " ).このようにして,西側の諸政府が抱(かか)える問題は意図的(いとてき)に解決不能(かいけつ ふのう)とされ,奴隷(どれい)にされた国民の気を第三(3)次世界大戦(せかい たいせん)でそらせようとする誘惑(ゆうわく)がしまいには抑(おさ)えがたいようになるでしょう( "Thus the problem of Western governments is being made deliberately so insoluble that the temptation to distract the enslaved peoples with World War III will eventually become irresistible. " ).そうした誘惑は最近シリア侵攻(しんこう)の一件でなんとか抑え込(おさえこ)まれたばかりではないですか?( "Was it not only just resisted in the recent push for the attack on Syria ? " )カトリック信徒のみなさん,ロバーツ博士がいま存在して欲しいと願う指導者(しどうしゃ)たちに,明日(あす)あなたたち自身(じしん)がならなければなりません( "Catholics, you are going to have to be tomorrow those leaders that Dr Roberts hopes for today." ).あなたたちだけが全体像(ぜんたいぞう)をつかんでいるのです.学(まな)び,そして祈(いの)ってください.( "Only you have the complete picture. Study and pray." )

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教



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2012年1月8日日曜日

234 目前の破壊 (1/7)

エレイソン・コメンツ 第234回 (2012年1月7日)

もし読者の中に先週の「エレイソン・コメンツ」が新年の始まりには少し暗い話題だと思われた方がおられましたら,お詫び(おわび)し,今週はもっと希望に満ちたことばで終わることをお約束いたします.だが,私の聞くところでは,多くの人々が差し迫った世界経済の災難がいかに深刻かに気づかず呑気(のんき)に過ごしているというのが実態です.悪いことに,彼らはカトリック教会の危機が破滅寸前の酷(ひど)さだ “the pre-apocalyptic gravity of the crisis in the Church” ということも理解していません.後者の問題について少し考えてみましょう.

聖ピオ十世会 “the Society of St Pius X” 所属の何人かの司祭たちでさえ,SSPX (訳注・=聖ピオ十世会の略号)は正常な信徒団 “a normal religious Congregation” だが今日のローマ教皇庁も過度に異常でもないとの考え方です.ルフェーブル大司教 “Archbishop Lefebvre” が第二バチカン公会議とバチカン内の「反キリスト者たち」 “the “antichrists” in the Vatican” について非常に手厳しい言い方をしておられたのは事実ですが,大司教の逝去(せいきょ)から20年が経ち事情は好転したというのです.今日私たちは,トレント(=トリエント)・ミサ(訳注・トレント公会議によって定められた様式のミサ聖祭)執行の解禁 “liberation of the Tridentine Mass” ,1988年の聖ピオ十世会所属の4人の司教たちの「破門」の「赦免」 ““remission” of the 1988 “excommunication” of the four SSPX bishops” が証明するように内心では伝統的なカトリック信仰を持つ教皇を戴(いただ)いている,と SSPX の一部司祭たちは考えています.ですから,教皇庁と SSPX がそれぞれもう少し柔軟(じゅうなん)性を持てば,両者は確実に何らかの取り決めにこぎつけることが可能で,それにより教皇庁は SSPX が決して失うことがなかったはずの社会的地位を同会に還元(かんげん)し, SSPX は教皇庁に戻り双方がともにキリストのために世界を再び征服する勝利の行進ができるというのです.2009年から2011年に両者間で行われた一連の教理上の論議 “The Doctrinal Discussions of 2009-2011” は疑問の余地がないほどの教理上の相違(そうい) “an absolute doctrinal divergence” を際立(きわだ)たせたかもしれませんが,そのことは単にその取り決めが純粋に実務的である必要があることを証明しているにすぎない (!) というのが彼らの考えです.

悲しいかな,そのような夢を抱いて安心しているような司祭たちはパッシェンディ “Pascendi” を読んでいないか,読んでだとしてもその内容を理解していないのです.教皇聖ピオ10世 “St Pius X” は1907年に発した偉大な回勅(かいちょく) “his great Encyclical Letter of 1907” の中でモダニズム( “Modernism” ,近代主義)がカトリック教会の存続を脅(おびや)かす大きな脅威(きょうい)だと警告しています.その理由として,モダニズムは自然であれ超自然であれ現実から霊魂を切り離してしまう道の終着点だからだと断じています.モダニズムは神のない夢の国 “its God-less dreamland” の中に心を閉じ込める究極的なセルフシーリング( “self-sealing” =自己封印)です.間違いはそれより先へ進むことはできません.セルフシーリングの一例を挙げます:--

パッシェンディはモダニスト神学者に触れた一項の終わりの部分で,モダニストがカトリック教会の権威により非難されることをいかに喜ぶかを説明しています.ちょうど庭園の散水ホースが水を出すためには水道の蛇口(じゃぐち)から離されてはならないように,カトリック教会はその教理の伝統の源(=カトリック教義)から切り離されてはならないのです.そこでカトリック教会はモダニズムと伝統との間の相互交錯(そうごこうさく,=作用) “an inter-play between Modernism and Tradition” によって前進する必要があります.それゆえモダニストたちは教会権威が伝統主義に立つ存在たることを必要とし,またその(伝統主義に立つ)教会権威が彼らをモダニストだと非難することで伝統主義に則(のっと)った行為を遂行する存在たることを必要とするのです.ですから,もし教皇がモダニストを非難しなければ彼らはどんどん自分たちの主義主張を推し進めるでしょうし,逆に教皇が彼らを非難するとしても彼らはいずれにせよ近代主義を推し進めます.なぜなら教皇はまさに彼らを非難することでカトリック教会の前進に貢献していることになるからです! 表(おもて)が出れば教皇の負け,裏(うら)が出ればモダニストたちの勝ちです “Heads he loses, tails they win.” .それがセルフシーリングの誤りです.これでは神は勝てません.

さて,偉大で善良な神はそのように考える人たちのためにひとつの驚くべきことを用意されます.かつて神は数名の霊魂を救うためノアの時代に人間の惨(みじ)めな社会システム全体を大洪水で洗い流してしまわれましたが,再び何名かの霊魂を救うため今度は現在の社会システムをきれいさっぱり吹き飛ばすかもしれません.その破壊は2012年に始まるかもしれませんし始まらないかもしれません.そして初めにお約束した慰(なぐさ)めとなることばですね ? --

「こういうことが起こりはじめたら,身を立てて頭をあげよ.あなたたちの救いは近づいたのだから….」(ルカ聖福音書・21章28節) “When these things begin to come to pass, look up, and lift your heads, because your redemption is at hand.” (Lk.XXI, 28). (訳注後記) 夜明け前が最も暗いということです “The hour is darkest, they say, just before dawn.” .

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *

第6パラグラフの訳注:
新約聖書・ルカによる聖福音書:第21章28節(太字部分)(第21章全体を掲載)
THE HOLY GOSPEL OF JESUS CHRIST, ACCORDING TO ST. LUKE XXI, 28 (CHAPTER XXI)

第21章(1-38節)

やもめの寄付
『イエズスは目をあげて,金持ちが献金箱に寄付を入れるのを見ておられたが,ある貧しいやもめが,*¹二レプタを入れるのを見て,「まことに私は言う.あの貧しいやもめはだれよりも多くのものを入れた.他の者はみな,あり余っているものの中から入れたが,あの女は乏しい中から,暮らしの費用を入れたからである」と言われた.』

エルサレムの滅亡、来臨の預言
『*²ある人々がみごとな石とささげ物で飾られた神殿について話したとき,イエズスは,「あなたたちのながめているこれらは,石の上に一つの石さえ残さずくずれ去る日が来るだろう」と言われた.

そこで彼らは,「先生,それはいつのことですか,それの起こる時どんなしるしがありますか」と尋ねた.イエズスは答えられた,「惑わされないように気をつけよ.多くの人が私の名を名のって来るだろう.そして,〈私だ〉また,〈時は来た〉と言うだろうが,それに従うな.戦争と争乱のうわさを聞いても恐れてはならぬ.それらのことはまず起こるにちがいないが,終わりはすぐではない」と言い,それからまた言われた,「民は民に,国は国に逆らって立ち,大地震が起こり,所々に疫病,ききん,恐ろしい現象があり,天に偉大なしるしが見られるだろう.だが,これらすべての起こる前に,あなたたちは人々に捕らえられ,迫害され,会堂と牢獄に引かれ,私の名のために,王と総督の前に訴えられる.

それは,あなたたちが証(あかし)を立てる機会となろう.だがあなたたちは答弁の準備をする必要はない.そのことをよく心に入れておけ.私自身がどんな敵も抵抗できず,反対もできないことばと知恵を授けるからである.またあなたたちは両親,兄弟,親族,友人たちからさえも裏切られ,何人かは殺されるだろう.あなたたちは私の名のためにすべての人から憎まれるが,しかし,あなたたちの髪の毛一本さえ失われはしない.自から耐え忍ぶことによって,自分の霊魂を救わねばならぬ.

*³エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たら,そのとき滅びの日の近づいたことを悟れ.そのときユダヤにいる人は山に逃げ,市中にいる人は市中を出,田舎にいる人は市中に入ってはならぬ.それは,書き記されているすべてのことの実現する報復の日だからである.その日不幸なのは、身ごもった女と乳を飲ます女である.地上に大苦難があり,お怒りがこの民に下るからである.

彼らは剣の刃のもとに倒れ,あるいは捕虜として諸国に引かれ,エルサレムは,*⁴異邦人の時が満たされるまで,異邦人に踏みにじられる.そして,日,月,星にしるしが現れ,地上では国々の民が悩み,海と大波のとどろきに恐怖する.人々はこの世に起こることを思い,恐怖と不安のうちに死ぬだろう,天の力が震い動くからである.そのとき人々は,*⁵人の子が勢力と大いなる栄光をおびて雲に乗り下るのを見るだろう.*⁶こういうことが起こりはじめたら,身を立てて頭をあげよ,あなたたちの救いは近づいたのだから…」.

そして,たとえを話された,「いちじくの木やその他の木をごらん.木々が芽を出しはじめると,それを見てもう夏は近いと気づく.それと同じで,こういうことが起こるのを見たら神の国は近いのだと知れ.*⁷まことに私は言う.それらがみな実現するまで,今の代は過ぎ去らぬ.天地は過ぎ去るが,しかし私のことばは過ぎ去らぬ」.』

警戒と祈り
『「暴飲暴食や飲み物の酔い,生活の煩いに心の鈍らぬように,そして,その日が突然網(あみ)のようにあなたたちの上にかぶさらぬように気をつけよ.それは地上に住むすべての人の上を襲うであろう.来るべきすべてのことから逃れる力を保ち,人の子の前に安心して現れることのできるように,*⁸いつも警戒し,そして祈れ」.

イエズスは昼の間は神殿で教え,夜は出ていってオリーブ山で過ごされた.人々はみな教えを聞こうとして,朝早くから神殿のイエズスのもとに集まった.』

(注釈)

やもめの寄付(21・1-4)
*¹ レプタはアサリオンの四分の一にあたる.マテオ聖福音書18・24の注参照.

エルサレムの滅亡、来臨の預言(21・5-33)
*² 以下マテオ(24・1以下)を参照.世の終わりについて,ルカ(17・22-37)〈(注)末尾〈注釈 *⁸ の後〉に掲載.〉は先にも記したので,ここでは長く書かない.
彼は特にエルサレム滅亡のことをはっきりと話している.将来についての神の思召しは,マルコやマテオよりもはっきりと出ている.

*³ ティトゥス将軍の率いるローマ軍が,エルサレムを囲んだのは,七〇年であった.六七年から,エルサレムの信者はこの町を逃れて,ガラアドの山にあるペラの町に集まっていた.

*⁴「異邦人の時」とは,異邦人が不忠実なユダヤ人の代わりに立つ時のことである.パウロ(ローマ11・11-32)は,イスラエル国の大改心によって終わるまでのことだと言っている.エルサレムの滅亡と世の終わりとの問には,長い不明の期間がある.

*⁵〈旧約〉ダニエルの書7・13-14参照.

*⁶ この節には多くの解釈がある.キリストの来臨(らいりん)後,エルサレム滅亡後などいろいろ解釈する人がある.

*⁷ この節は6節以下のエルサレム滅亡の預言にあてはめてよいであろう.

警戒と祈り(21・34-38)
*⁸ 主の日は突如(とつじょ)として来るから,警戒していなければならないが,人間の警戒だけでは足りないから,祈りをもって,神の恩寵(おんちょう)を請(こ)わねばならない.


(注)ルカ聖福音書・第21章の注釈( *² )で引用されている新約聖書:
ルカによる聖福音書:第17章20-37節
THE HOLY GOSPEL OF JESUS CHRIST, ACCORDING TO ST. LUKE XVII, 20-37

神の国が来ること
『神の国はいつ来るのか,とファリサイ人から問いかけられたイエズスは,「神の国は目に立つように来るものではなく,*¹ここにある,あそこにある,と言えるものではない.神の国は実にあなたたちの中にある」と答えられた.

それから弟子たちに向かって言われた,「*²あなたたちは,人の子の日々のただ一日でも見たいと思う時が来るだろう.だが見られまい.そのとき人々は,〈人の子はここに.そら,あそこに〉と言うだろうが,そこに行ってはならぬ.追い求めてはならぬ.稲妻が天のこなたにひらめき出て,かなたの天まで光るように,その日その時,人の子もそのようであろう.ともあれ,彼はまず多くの苦しみを受け,この世から見捨てられねばならぬ.

ノアの日々に起こったように,人の子の日々にも同じことが起こるだろう.*³ノアが箱舟に入る日まで,人々は飲み食いし,男は女をめとり,女は男に嫁ぎしていたが,洪水が来てことごとく滅ぼしてしまった.
また,ロトの日々に起こったように,人々は食べ,飲み,買い,売り,植え,建てていたが,*⁴ロトがソドマから出た日に,天から火と硫黄が降ってみな滅ぼされてしまった.

人の子が現れる日もそれと同じである.その日,屋根の上にいる人は家の中に持ち物があっても取りに下りてはならぬ.同じように,畑にいる人も帰ってはならぬ.
*⁵ロトの妻を思い出せ.自分の命を救おうと思う者はそれを失い,命を失う者は生きて保つだろう.私は言う.その夜には,一つの寝床にいる二人があれば,一人は取られ一人は残される.ともに臼(うす)をひく二人の女があれば,一人は取られ一人は残される.(*⁶畑にいる二人の男のうち一人は取られ,一人は残される)」.
弟子たちが,「主よ,それはどこですか」と聞くと,イエズスは,「*⁷はげたかは,体のある所に集まる」と答えられた.』

(注釈)

神の国が来ること(17・20-37)
*¹ 神の国は,ファリサイ人が期待していたような政治的地上の国ではなく,イエズスに立てられて世の終わりまで滅びぬ教会である.

*² 弟子たちは,迫害の激しさのために,イエズスの審判をこいねがう日が来るであろう.しかしその望みは聞き入れられない.
教会が正義のために苦しみ迫害されるのは,神の思召しだからである.

*³ 創世6-8章参照.

*⁴創世19・1-9参照.

*⁵ ロトの妻は,ソドマから逃げ出したとき,家財の損失を惜しんで後ろをふり向いたので,塩の像にされた.
キリストに従う者は,いつか失われるものに執着してはならない.後ろをふり向くことは救いを危うくする(9・2).

*⁶ マテオ(24・40)による書き入れである.

*⁷ はげたかは体(死骸〈しがい〉)のある所に集まるが,審判の日,選ばれた者たちは,人の子(=神の御子イエズス・キリスト)のまわりに集まるであろう.


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2011年12月31日土曜日

233 新年 (12/31)

エレイソン・コメンツ 第233回 (2011年12月31日)

そしてまた空が地に落ちることなく1年が終ります.私はもう数十年もの間,たとえば最近では5年か7年ほど前にフランスのある小グループの人たちに空が落ちつつあると話してきました.彼らの中には聖ピオ十世会の司祭で1970年代後半と1980年代初期に私がエコン( “Econe” ,スイス)にある同会の神学院で教授をしていたとき神学生だった人がいました.その彼が,「司教閣下,あなたは25年前にそのことを言っておられませんでしたか?」と言いました.彼はそれを微笑(ほほえ)みながら言っていたので,おそらくいつかは私が正しかったということになるのではないかと考えたのかもしれません.

それでは果(は)たして2012年は空が落ちる年となるでしょうか? 世の多数の評論家たちは2012年は世界経済が崩壊(ほうかい)する年になるかもしれないと考えています.確かに借金は過去数十年と同じように増やし続けることはできません.例えば福祉給付金は多くの西欧民主主義国の予算にとり耐え難い負担なのですが,ほぼ当然のこととはいえ民主主義体制下の政治家は財政の健全性を回復するために必要な厳(きび)しい決定を行う能力を備えていません.なぜなら,再選を望む限り彼は福祉給付金に手をつけられないからです.よく言われる通り,民主主義が続くのは国民が国の現金は結局は自分たちのものだと気づいていない間だけです.

そこで2012年は西欧民主主義国が終局的に崩壊する年となるのでしょうか? そうなるかもしれませんし,そうならないかもしれません.今日多くの人々がなんらかの大災難が迫りつつあるという実感を持っています.その日が到来(とうらい)するのにまだあと30年かかるなどということは到底(とうてい)ありえない,と言う人もいます.だが,これまでそのことは何年も言い続けられてきました.もしかすると人々はリベラリズム(自由主義)にあまりにも深く酔いしれていて深まる一方の混乱の度合いに無関心となっているのでしょう.だが,神の御業(みわざ)はゆっくりでも仕業(しわざ)は完璧,という格言があります.言い換えれば,神が出される請求書はすべて支払われなければならず,計算する日がいつか必ず訪れるでしょう.そして,その支払い額はどう見ても単なる福祉給付金よりはるかに膨大(ぼうだい)なものとなるでしょう.

今年,来年,いつか,それともそんな年は決して来ないのでしょうか? その年は間違いなく来ます.それは神が良しとされる時に来るでしょう.( “It will come in God’s good time.” )その年がいつかはさほど重要ではありません.ハムレット(第5幕第2場)が言うように,「一羽の雀(すずめ)が地に落ちる時機のうちに神の摂理(せつり)( “a Providence”,=神の御心〈御意思,配慮,計らい,導き〉)が在(あ)る.神がその時機の到来を今とお計らいになれば,それは後(のち)に到来することはない.もしその時機が後に到来しないなら,今到来し得る.たとえ今到来しなくても,いつか神が良しと思召(おぼしめ)される時機に必ず到来する.(それがいつであろうと)必ず到来するその時機を常に覚悟し,警戒して弛(たゆ)まず人生を過ごすことに自分の存在のすべてがかかっている).」(訳注・意訳.原文… “As Hamlet says (Act V, 2), “There is a providence in the fall of a sparrow. If it be now, ‘tis not to come; if it be not to come, it will be now; if it be not now, yet it will come: the readiness is all.” ” )(訳注後記・1)どんなことにも神の摂理が存在します.どんなときにも唯一の神が常にそこに関わっておられるのであり,その神の思し召(おぼしめ)されるタイミングが最良なのです.「神の時は最良の時である,」 “Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit” と,ドイツのことわざは言っています.(訳注後記・2)

神が易々(やすやす)と私たちの多くに対し現在破滅(はめつ)へ向かっているカトリック教会と世界を食い止めるべく行動するよう求められることもないでしょう.私は世界の公的指導者たちの多くが内心ではひそかに何もすることができないと無力に感じているに違いないと思っています.また私は,がむしゃらに世界支配を目指(めざ)している世界の秘密の管理者たちでさえ,自分たちに勝算(しょうさん)があると常に確信しているわけではないと思います.「私だけが今のあなたがたを助けられます,」と神の御母( “the Mother of God” ,聖母)は仰(おお)せられます.

神が私たちにお求めになるのは神の恩寵(おんちょう)のうちに生きることと神を信頼することです.崩壊(ほうかい)の起きるのが2012年あるいはそれ以外のいつであっても,人間的な観点からはそれはきっと不愉快(ふゆかい)なものに映(うつ)るでしょう.だが神の観点からは神の懲罰(ちょうばつ,“chastisements” )は慈悲(じひ)行為 “acts of mercy” なのです.聖パウロは格言の書( “Proverbs” 〈旧約聖書〉,3章11–12節)を次のように引用しています.「わが子よ,神の懲(こ)らしめをあなどらず,神の懲らしめを受けて,悪意を抱くな.なぜなら,神は愛する者を懲らしめ,いちばん愛する子を苦しめたもうからである.」( “My son, reject not the correction of the Lord, and do not faint when thou art chastised by him. For whom the Lord loveth, he chastiseth.” )聖パウロはさらに次のように続けます(〈新約聖書〉,ヘブライ人への手紙12章7–8節).「あなたたちが試練を受けるのは懲らしめのためであって,神はあなたたちを子のように扱(あつか)われる.父から懲らしめられない子があろうか.誰にも与えられる懲らしめを受けなかったなら,あなたたちは私生児であって,真実の子ではない.」 ( Heb.XII, 7-8, “Persevere under discipline. God dealeth with you as with his sons. For what son is there whom the father doth not correct ? But if you be without chastisement, whereof all are made partakers, then are you bastards and not sons.” )

すべてはカトリック教に則(のっと)った覚悟(=警戒,準備)のいかんにかかっています,賢い乙女たちのした警戒のように(マテオ聖福音・25章13節)(訳注後記).( “The Catholic readiness is all, as of the wise virgins. (Mt, XXV, 13)” ) 

新年おめでとう.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *

第4パラグラフの第1の訳注:
英国の劇作家シェイクスピアの悲劇「ハムレット」(第5幕・第2場)

“There is a providence in the fall of a sparrow. If it be now, ‘tis not to come; if it be not to come, it will be now; if it be not now, yet it will come: the readiness is all.” について.

他の邦訳参照:
(河合祥一郎教授訳「新訳 ハムレット」〈角川文庫〉より引用)
「雀一羽落ちるのにも神の摂理がある.無常の風は,いずれ吹く.今吹くなら,あとでは吹かぬ.あとで吹かぬのなら,今吹く.今でなくとも,いずれは吹く.覚悟がすべてだ.」

* * *
第4パラグラフの第2の訳注:
「ハムレット」の悲劇について.

(悲劇「ハムレット」のあらすじ…「父王を毒殺された王子ハムレットは犯人である叔父と,共謀した母に復讐を遂げ,自らも毒刃に倒れる.「生きるべきか,死ぬべきか,それが問題だ.」四大悲劇のひとつであるシェイクスピアの不朽の名作.」〈洋書ペンギン・ブックス-ペンギン・シェイクスピア「ハムレット」の帯・裏面より引用〉)

(補足説明)

・「ハムレット」がなぜ悲劇かといえば,全能の神の愛と正義に全幅(ぜんぷく)の信頼を置くことができなかった人間の行末(ゆくすえ)の悲惨な結末を描いているからである.神の愛と正義は人間のそれらよりもはるかに偉大で完全であり,ハムレットはその神を信頼しすべての裁きを神に委ねるべきだった.それが真の気高い心の持ち方であるはずだった.すなわち,気高さとは神の摂理に信頼しきる心の潔(いさぎよ)さをいう.

・人間の霊魂の幸福のメイン・ステージは来世にあり,そこには完全な愛,光,正義,善しか存在し得ない,そこでの真の生活を目指して生きることが現世での真の人生目標であり,そのように生きるのが真の気高さである.人間はそう生きるべく創造主たる神に命じられている.
その道を踏み外(はず)せば,来世では罰が待ち受け,その罰がどのようなものかは,すでに現世において,自責の念から解放されない苦しみのようなものとも予想し得る.

・その観点においては,現世で遭遇した災難が必ず来世での不幸につながるのではない.人間の真価はその霊魂の良心の正しさにあり,それにより来世において神の祝福のもとで幸福に生きることにある.

・それに比べれば,現世は不正にまみれた者たちが支配する世界である.自分の欲に負け,弱肉強食のような生き方を通すなら,目先の物質と引き換えに,良心という名の自らの霊魂の生命をどんどん失っていくということを警戒すべきである.

・だが,現世で被った損害はすべて神が来世において完全に埋め合わせて下さり,現世において理不尽な不正を耐え忍んだ者には,最終的に神がそれを数倍にも報い返してくださるのである.
生命は本来,祝福に他ならないのであるから,そのように神に祝福された存在である人間は,自(おの)ずからこのような神の善に対する希望をも信じることができるはずである.

・立派な父王の王子だったハムレットはその父王を不正行為により失ったことで気も動転し逆上して,現世で苦難を雄々しく耐えて気高く生きるべきだ→だが復讐(ふくしゅう)により独りよがりの正義を果たして死んでしまえば気が済んで楽になる→しかしその結果,神の掟に背いた罪深い自分に下されるかもしれない漠然とした死後の裁きの恐怖を覚悟せねばならない→それを思うとつらくても我慢して現世に生き続ける方がましかもしれない→それでも被(こうむ)っている不正は耐え難く,報復せずにはいられない…と最期まで葛藤を繰り返しながら堕ちて行った.

・始めから現世とはあからさまに不正のまかる通る場所であり,不正に逐一取り合うことは愚かなことと覚悟を決めて,警戒を怠らずに一生を過ごすなら,このような結末は避け得る,と考えることも一つの教訓になる.

まとめ…「万物の創造主たる神は愛であり,その被造物たる人間は,神に愛されている.」

・全能の神は完全な善であられ,一寸たりとも不正を見逃して済まされることはない.

・神は公平・公正であり,万物を偏(かたよ)り見られることは全くない.

・「不正」とは完全な義であられる神の無限の生命において神が創造された被造物の存在を傷つけ,また滅ぼすことを意味する.

・目に見える被造物を傷つけることにより,人間は自らの行ったその「不正」行為により同時に自らの霊魂をも傷つけることになる.神の完全な生命の法則から自分を排除したのは他ならぬ自分自身なのであり,神ではない.

・こうして被造物たる不完全な人間による復讐は不正でしかないのであり,復讐・報復は万物の創造主たる神のみが行使し得る権限であってそれは人間には許されないことである.

・不正に手を染めることで自らの命を傷つければ,神の無限の生命との祝福に満ちた交わりの関係から自らを断ってしまうことになり,それは神が最もお望みにならない,ぜひとも避けたい事態なのである.だから神は人間が生き永らえるように,その掟(おきて.=神の十戒)によって人間に罪を犯すことを禁じられるのである.

・神は祝福をもって人間を創造されたのであり,人間にお与えになった生命がいかなる理由・方法によっても滅ぼされることを望まれない.復讐に手を染めた人間を罰して滅ぼすのは神ではない.その人間が自分の行った不正により罪の負い目を負い,自らを滅ぼしてしまうのである.

・人間は御父なる神から自分に注がれている愛と生命の祝福に全面的に信頼し,不正な仕打ちを受けたら,それに対する報復はすべて神に委(ゆだ)ね,自分の霊魂を滅ぼしかねない不正の誘惑から護(まも)って下さるよう神に祈願することで,自らの生命(霊魂=良心)を守るべきである.

・光であられる神のうちに一寸の闇(やみ)もないように,(たとえどのような理屈があろうと)少しでも不正に手を染めれば,完全な光,完全な義,完全な善であられる神の無限の生命から,人間は道を外れ,もはや完全な光のうちにはとどまれなくなる.

・旧約聖書の参照(格言の書・第16章32節):
PROVERB XVI, 32

『忍耐ある人は英雄にまさり,怒りをおさえる人は町の征服者にまさる.』
“The patient man is better than the valiant: and he that ruleth his spirit than he that taketh cities. ”

・聖福音書の参照(ヨハネによる聖福音書:第4章 -5章15節):
THE HOLY GOSPEL OF JESUS CHRIST ACCORDING TO ST. JOHN, 4:1-5:15

(偽預言者)
『愛する者よ,無差別に霊を信じるな.霊が神から出ているかどうかを試せ.多くの偽預言者が世に出たからである.次のことによって神の霊を認めよ.すなわち,イエズスが肉体をとって下られたキリストであることを宣言する霊はみな神からである.またこのイエズスを宣言しない霊はみな神から出たものではなく,来るだろうと聞いている反キリストの霊である.それはもう世に来ている.

小さな子らよ,あなたたちは神から出たものであって,もはや彼らに打ち勝った.あなたたちにましますのは,この世にいる者より偉大なお方である.
彼らは世の者であるから世について語り,世は彼らの言うことを聞く.
しかし私たちは神からの者である.神を知る者は私たちのことばを聞き,神からでない者は聞かない.これによって真理の霊と誤謬(ごびゅう)の霊とが区別される.

愛する者よ,互いに愛せよ.愛は神よりのものである.愛する者は神から生まれ,神を知るが,愛のない者は神を知らない.神は愛だからである.
私たちに対する神の愛はここに現れた.すなわち,神はその御独り子を世に遣(つか)わされた.それは私たちをみ子によって生かすためである.
私たちが神を愛したのではなく,神が(先に)私たちを愛し,み子を私たちの罪のあがないのために遣わされた,ここに愛がある.
愛する者よ,神がこれほどに愛されたのなら,私たちもまた互いに愛さねばならない.だれも神を見た者はいないが,私たちが互いに愛するなら,神は私たちの中に住まわれ,その愛も私たちの中に完成される.
私たちが神にとどまり神が私たちにとどまられることは,神がご自分の霊に私たちをあずからせたもうたことによって分かる.私たちは御父がみ子を救世主として送られたことを見て,これを証明する.
イエズスが神のみ子であると宣言する者には,神がその中にとどまられ,彼は神にとどまる.

私たちは神の愛を知り,それを信じた.神は愛である.
愛をもつ者は神にとどまり,神は彼にとどまられる.
愛が私たちの内に完成されるのは,審判の日に私たちに信頼をもたせるためである.私たちは地上において,主と同じものだからである.

愛には恐れがない.完全な愛は恐れを取り除く.恐れは罰を予想する(恐れには罰が含まれている)からである.恐れる者は完全な愛をもつ者ではない.

私たちが愛するのは,神が先に私たちを愛したもうたからである.
「私は神を愛する」と言いながら兄弟を憎む者は,偽り者である.目で見ている兄弟を愛さない者には,見えない神を愛することができない.
神を愛する者は自分の兄弟も愛せよ.これは私たちが神から受けた掟である.』

第5章

(イエズス・キリストへの信仰) 
『イエズスがキリストであることを信じる者は,神から生まれた者である.生んだお方(神)を愛する人々は,また神から生まれた者(神の子ら)をも愛する.神を愛してその掟を行なえば,それによって私たちが神の子らを愛していることがわかる.
神への愛はその掟を守ることにあるが,その掟はむずかしいものではない.
神から生まれた者は,世に勝つ.世に勝つ勝利はすなわち私たちの信仰である.イエズスが神の子であると信じる者のほかにだれが世に勝てるであろうか.

水と血によって来られたのはイエズス・キリストである.ただ水だけではなく,水と血によってである.それを証明するのは霊である.霊は真理だからである.実に証明するものは三つある.(天においては御父とみことばと聖霊であり,この三つは一致する.地において証明するのは三つ),霊と水と血である.この三つは一致する.

私たちが人間の証明を受け入れるなら,神の証明はそれにまさっている.神の証明とはそのみ子についてのことである.神の子を信じる者は,自分の内に神の証明をもち,神を信じない者は神を偽り者とする.神がそのみ子についてされた証明を信じないからである.その証明とは神が私たちに永遠の命を与えられたこと,その命がみ子にあることである.み子をもつ者は命を有し,み子をもたぬ者は命をもたぬ.

私が以上のことを神の子の名を信じるあなたたちに書いたのは,あなたたちに永遠の命があることを知らせるためであった.
私たちは(神の)み旨に従って願うことを神が必ず聞き入れたもうと確信している.そして,神がすべての願いを聞き入れたもうことを知るなら,また願ったことが受け入れられることもわかる.』


* * *


最後のパラグラフの訳注:
新約聖書・マテオによる聖福音書:第25章13節(1-13節を掲載)
THE HOLY GOSPEL OF JESUS CHRIST ACCORDING TO ST. MATTHEW, 25:13 (1-13)

十人の乙女のたとえ(25・1-13)
『*¹天の国は,各自のともしびを持って,*²花婿(はなむこ)を迎えに出る十人の乙女(おとめ)にたとえてよい.そのうちの五人は愚(おろ)か者で,五人は賢(かしこ)い.愚か者はともしび(灯火)を持ったが油を持たず,賢いほうはともしびと一緒に器に入れた油も持っていた.
花婿が遅かったので,一同は居眠りをし,やがて眠りこんでしまった.夜半に,〈さあ,花婿だ.出迎えよ〉と声がかかった.
乙女たちはみな起きて,ともしびをつけたが,愚かな方は賢い方に,〈油を分けてください.火が消えかかっていますので〉と言った.賢い方は,〈私たちとあなたたちとのためには,おそらく足りません.商人のところへ行って買っていらっしゃい〉と答えた.
彼女たちの買いに行っている間に花婿が来たので,用意していた乙女たちは一緒に宴席(えんせき)に入り,そして戸は閉ざされた.やがてほかの乙女たちは帰ってきて,〈主よ,主よ,どうぞ開けてください〉と言ったけれど,〈まことに私は言う.私はおまえたちを知らぬ〉と答えられた.
*³警戒(けいかい)せよ,あなたたちはその日その時を知らない.』

(注釈)

*¹ 1-13節 花婿(はなむこ)はイエズス,乙女らは信者,ともしびは信仰,油は愛と善業,眠りはイエズス来臨までの期間,婚宴の席は天国である.
その席からは信仰をもっていても愛と善業を行わなかった者が遠ざけられる.

*² ある写本(ブルガタ〈ラテン語〉訳)には「花婿,花嫁」とある.のちの書き入れである.

*³ 花婿のキリストが遅くなることはあっても,信者の霊魂はこの世の生活の試練の夜において,いつも警戒し続けなければならぬ.あるいは,弱さのために居眠りすることがあっても,警戒のともしびをすぐともせるように準備していなくてはならぬ(ルカ聖福音12・35−38,13・25).


* * * * * *


旧約聖書・コヘレットの書:第1-5章,11-12章を追加掲載いたします.
ECCLESIASTES I-V, XI-XII.

This Book is called Ecclesiastes, or The Preacher, (in Hebrew, Coheleth,) because in it, Solomon, as an excellent preacher, setteth forth the vanity of the things of this world:
to withdraw the hearts and affections of men from such empty toys
.

第1章
CHAPTER I
The vanity of all temporal things.

『エルサレムの王,ダビドの子,*¹コヘレットのことば.
*²空(むな)しいことの空しさ,とコレヘットはいう,空しいことの空しさ,すべては空しい.この世の労苦から,人はどんな利益を受けるのだろう.

新しいものはない
一代が去り,また一代がくる.しかし,地は永遠に変わらない.日は昇り,日は沈み,そして,また元のところにかえっていく.風は南に吹き,また北に移り,めぐりにめぐり,その往来を続ける.川はみな海に流れ入るが,海は満ちることがない,川は一たん入ったところに,また立ちもどっていく.
*³すべてが物憂(ものう)い.目は飽(あ)きるほど物を見,耳は飽きるほど聞いた,という人はあるまい.すでに起こったことはまた起こるだろうし,すでに行われたことはまた行われるだろう,太陽の下に新しいものはない.これは新しいものだ,ごらん,といえる何かがあったとする.ところが,それも,先の代にすでにあったものだ.ただ,昔のことは記憶に残っていない,私たちののちの人々のすることも,それよりのちの人々の記憶に残らないだろう.

学問の空しさ
*⁴私,コヘレットはエルサレムでイスラエルの王だった.
私は天下に行われることをすべて,知恵で一心に探ろうと努力した.それは,神が人間に与えられたつらい仕事である.私はこの世で行われることをじっと見きわめたが,すべては空しいことで,風を追うに似ていた.

曲がったものをまっすぐにはできない,
足りぬものは数えられない.

私は心のなかでこう言った,「私は私より先にエルサレムに入った人よりも知恵を蓄(たくわ)え,知恵を積んだ.そして,多くの知恵と学問を身につけた.
私は一心に知識と学問,愚かなこと,ばからしいことを調べた.そして,これも風を追うようなものだと悟(さと)った.

なぜなら,知恵のあるところには苦悩も多く,
知識がふえると,苦痛も多くなると知ったからだ.』


(注釈)

*¹ コヘレットは集会の人,それは司会者だったかもしれないし,講演者だったかもしれない.また,集会の代表者だったかもしれない.
ダビドの子といえばソロモンのことだが,これはフィクションらしい.ソロモンは知恵者中の知恵者といわれた.

*² ヘブライ語では湯気のこと,あるいは吐息のことらしい.かげ,煙,水泡のように,この世の空しさを表す形容である.

新しいものはない(1・4-11)
*³「口で表現する以上に,すべては退屈だ,目は,飽きるほど物を見ず,耳は,飽きるほど聞いたことがない」とも訳する.

学問の空しさ(1・12-18)
*⁴ 栄華のきわみにあったソロモン(列王上10・4以下)は,すぐれた知恵をもっていたにもかかわらず,幸福を知らなかった.

* * *

第2章
CHAPTER II
The vanity of pleasures, riches, and worldly labours.

快楽の空しさ
『私は心のなかでこう言った,「さあ,快楽を味わうがよい,幸福を味わうがよい」,だが,これは空しいことだ.笑いについては、「愚かなことだ」と私は言った.快楽については,「それが何の役に立つのか」と言った.*¹私は心を知恵に向けながら,身体を酔いにまかせようとした.人間の幸福を知り,また,生きている間,この世で人間がどんなことをするかを知るために,愚かさを味わってみようと思った.
私は大事業に手をつけた,自分の住む大邸宅を造り,ぶどう畑を植えつけた.庭園と果樹園を作り,あらゆる種類の果樹を植えた,木の生い茂る森をうるおすために,大きな池をつくった.*²また下男下女を買った.私より先にエルサレムに住んだどんな人よりも,私は多くの雇い人,家畜群,牛,羊を持った.銀と金,また王たちと各州の財宝を集めた.歌い男と歌い女,そして,人間のもつあらゆる贅沢なものと,*³数多い姫君たちを手に入れた.

私は偉大な人間になり,私より先にエルサレムに住んだどんな人よりも偉大になった.しかも,私は自分の知恵を保った.私は目の望みをすべて満足させ,心にどんな快楽も拒絶しなかった.私の心は自分のするあらゆる苦労によって喜ばされていた.それが私の苦労の報いだった.
さて,自分がしたあらゆる事業と,それをするために忍んだあらゆる苦労をふりかえった.ところがどうだ.すべては空しいこと,風を追うようなことだった.この世には何一つ利益になるものはない.


知恵の空しさ
私は知恵と愚かさと無知に思いをめぐらした.*⁴王の後継者は何をするのだろう.すでにされていることを彼もするにすぎない.昼が夜にまさるように,知恵は愚かさにまさると私は知った.

知恵者は自分の前を見る,
愚か者は手探りで歩く.

それは事実だ,しかしその二人とも,同じ運命に会うのだということも知った.そして,心のなかで言った,「私も愚か者と同じ運命に至るのだ,とすると,私の知恵が何の役に立つのだろう」.また,自分にいい聞かせた,「それも空しいことだ」.
つまり,知恵者も愚か者も,人の記憶に長くは残らない.ある日二人とも忘れられてしまう.そして,知恵者も愚か者と同じように死んでしまう.だから,私は生きることがいやになった.この世で行われることがいやになった.すべては空しいことだ,風を追うに似ている.

私は自分がこの世でしたこと,後継者に残すそのことがいやだ.その後継者が知恵者か,愚か者かだれにわかろう.それにしても彼は私が生きている間に苦労と知恵で積み重ねたあらゆるものを支配するようになるのだ.ああ,それもばからしいことだ.私はこの世でしたすべての仕事について,がっかりしてしまった.

どんなに知恵と知識と才能をもって働いても,少しも苦労しなかっただれかにそれを残さなくてはならぬ.これも空しいことだ,非常に悪いことだ.この世でした自分の労苦と努力が,その人に何を残すのだろう.
その毎日は苦しみの連続で,その努力はつらく,夜の間もその心は休まらない.これもまた空しいことだ.*⁵

飲み食いして,自分の仕事を楽しみにする以外,よいことは人間にはない.それらが神の手からくるものだと私は知った.だれが神なしに飲み食いすることができよう.*⁶神は自分でよいと思われる人間に,知恵と知識と楽しみをお与えになる.そして,罪人には,神に喜ばれる人のために,拾い集める仕事をさせられる.これも空しいことだ,風を追うに似ている.』

(注釈)

快楽の空しさ(2・1-11)
*¹ コヘレットは知恵の範囲内で(幸福がこの世のどこにあるかを探ろうとする.しかし,その空しさを知るだけだ.

*²「自分の家で生まれた下男下女」と訳する人もある.
*³「数多い姫君」の原文はわかりにくい.「宝箱に宝箱を積み重ねて」という訳もある.また,「ぶどう酒の杯と器」という訳もある.

知恵の空しさ(2・12-26)
*⁴「王の後継者として,すでに定まっているのはだれだろう」という訳もある.

*⁵ エピキュリアン的な表現法であるが,これはコヘレットの考えではない.彼は行動の最終目的を快楽においてはいない.
コヘレットが目的にしているのは,常に「神」である.真の喜びは神から与えられる恵みである.

*⁶ 知恵者(ヨブ27・16,格言11・8,13・22)は,罪人が財宝を集めても,いつかそれは正しい人のものになると教えている.しかし,コヘレットは正しい人も死んで財宝をあとに残すという.

* * *

第3章
CHAPTER III
All human things are liable to perpetual changes.
We are to rest on God's providence, and cast away fruitless cares
.


すべてに時がある
『*¹この世には,すべてに時があり,それぞれ時期がある.

*²生まれる時,死ぬ時がある,
植える時,抜く時がある.
殺す時,治す時がある.
倒す時,建てる時がある.
泣く時,笑う時がある,
嘆く時,踊る時がある.
*³石を投げる時,拾う時がある,
抱擁(ほうよう)する時,抱擁をやめる時がある.
さがす時,失う時がある,
守る時,捨てる時がある.
裂く時,縫(ぬ)い合わせる時がある,
黙る時,話す時がある.
愛する時,憎む時がある,
戦う時,和睦する時がある.

将来はわからない
働く人の耐えしのぶ労苦が,その人にとって何の役に立とう.私は神が人間の子らに与えて,骨折らせる仕事をながめた.*⁴神のなさることはすべて時に適(かな)っている.
神は人の心に,時をすべて見渡せる力を与えられた.だが人間は神のなさることの始終を知ることはできない.

生きている間,*⁵楽しんで安楽に過ごすこと以外,人間にはよいことがないと私は知った.人間が食べ,飲み,仕事を楽しむことは神の恵みである.

神のなさることは,永遠に変わらないことを知った.神のなさることには,加えることも切りとることもない.神がそうなさるのは,人間に神を恐れさすためである.

今あることは,すでにあったことである,また将来あることは,いますでにあることである.神は追われる者を愛される.


社会の不秩序
私はまた,この世にある他のことに気づいた,正義の席に不正がついており,正しい人の席に罪人がいるのを見た.
私は心のなかで言った,「神は正しい人と罪人をさばかれる.どんなことにも時がありさばきがある」.

私はまた心でいった,「人間の子らとはそんなものだ,神はそれをありのままに見せ,本当に自分は獣(けもの)だと彼らに悟らせるのだ」.

*⁶人間の行末(ゆくすえ)と獣の行末とは同じものだ,人間も死に,獣も死ぬ.二つとも同じ息をしている,人間が獣にまさるというのも空しいことだ.二つとも同じところに行く.二つともちりから出でちりに帰る.

*⁷人間の子らの息が上に上がり,獣の息が地の下に下るのだと知っている者があろうか.そして私は,自分の仕事を楽しむこと以外人の幸福はないと知った.それが人の状態である.後に起こることを見る力を,人に与えるのはだれだろうか.』

(注釈)

すべてに時がある(3・1-8)

*¹ 人の行いの半ばはつらいことだけで,生命の初めから人は死におびえる.

*² ヘブライ語本は「生む時」.しかし,ヘブライ語では他動詞を自動詞の意味でつかうことがある.さらに,次の「死ぬ時」と対照させると,「生まれる時」の方がよいように思わる.

*³ 意味はわかりにくい,敵の畑に石を投げこんで,収穫をふいにさせる意味らしい(列王下3・19,25).石を拾うのは畑の石をとり除くことらしい.

将来はわからない(3・9-15) 

*⁴神はすべてをうまくはからわれる.
しかし,人間は時のなかで生きているから,神のみ業(わざ)のすべてを理解することができない.
とはいえ,人の心には神の計画を精神の目でながめようとする傾向がある.
しかしこの努力も空しい,神の計画は結局人間にはわからない.

*⁵神の目の下で正しい生活を営むこと.

社会の不秩序(3・16-4・3)

*⁶表面的にはその通りだが,コヘレットは唯物論者ではない.

*⁷「息」(ヘブライ語のルアフ)とは,神が生物をつくる時に入れられる生命の息吹きで(創世2・7,詩篇104・30),霊魂(ネフェシュ)とは違うもの.コヘレットは死の時,霊魂が黄泉(よみ)に下ると考える.
彼は霊魂の不滅を疑ってはいないが,人間と獣との命の息吹きについて疑問をもっている.

* * *

第4章
CHAPTER IV
Other instances of human miseries.

社会の不秩序
『私はまた,この世で行われるしいたげのことを思った.しいたげられている人々は涙にくれ,慰めてくれる人もない.しいたげる人の手は彼らに暴力を加える.彼らを慰める人は一人もいない.そこで私はすでに死んでしまった人の方が,まだ生きている人より幸せだといった.そして,まだ生まれない人,この世の悪行を見ていない人の方がさきの二人よりも幸せだといった.

節度
私はあらゆる努力,あらゆる労苦が人間同士のねたみにすぎないのを知った.これも空しいことだ,風を追うに似ている.

愚か者は手を組んで,
*¹自分の肉を食う.
*²一握りの安楽は,
両手で苦労し,風を追うよりもましだ.

また,私はこの世に空しいことのあるのを見た.ある人がいる,たった一人で仲間もない,彼には兄弟も子もない.それなのに,彼は働き続け,その目は富に飽くことがない.「私はだれのために働き,何のために自分の喜びを犠牲にし続けているのか」ともいわない.これも空しいこと,みじめなことだ.

社会生活のとりえ
一人っ切りより,二人でいるほうがよい.働く場合も能率が上がる.どちらかが倒れれば,片方がそれを助け上げる,だが,一人っ切りで倒れたら不幸なことだ,助け上げてくれる人がいないのだから.*³また,二人いっしょに寝るとどちらも暖(あたた)かいが,一人っ切りで,どうして暖かくなろう.一人の場合は倒(たお)されても,二人でなら抵抗できるし,三本よりの綱は簡単には切れない.

*⁴人の意見を受けつけない年とった愚かな王よりも,貧しいが賢い若者の方がまさっている.たとえ,若者が牢(ろう)から出て王になったとしても,若者が貧しい身分に生まれたとしても.私はこの世のすべての人が,その王位を奪った若者の味方に立つのを見た.
*⁵彼は数知れない人々の先頭に立ったが,後にくる人々は彼を喜び迎えないだろう,これも空しいこと,風を追うようなことだ.

神に対する義務
神の家へいく時には足どりに用心せよ.素直な心で近づくがよい.あなたのいけにえは愚か者の供え物より値打があろう.愚か者が,自分で悪事をしているのだとは知らないにしても.』

(注釈)

社会の不秩序(3・16-4・3)
節度(4・4-8)
*¹ 働かないから今まで蓄えたものを食いこんでいく.

*² この世の悪は節度のない労働に心身を消耗することだ.どんな事をしても節度を守ること,これがコヘレットの考えである.

社会生活のとりえ(4・9-16)
*³ 今でもパレスチナでは,冬になると小さい宿で二人が一枚の毛布にくるまって寝ているのを見かける.

*⁴13-14節 ロボアム,あるいはエジプトのヨゼフのことではないかという人もある.しかし,これが歴史上の人物を暗示しているとは思えない.

*⁵ 民は王座についた若い君主を喜び迎える.しかし,その歓迎も永久的なものではない.
この世の声望の空しさを教えている.

神に対する義務(4・17-5・6)

* * *

第5章
CHAPTER V
Caution in words. Vows are to be paid. Riches are often pernicious:
the moderate use of them is the gift of God
.

神に対する義務
『*¹軽々しく口を開くな,神のみ前でものをいうときには,心であせるな.神は天にあり,あなたはこの世にいる.だからことばを少なくせよ.

*²夢はせわしない生活からくるものだ.
ことばが多いと愚かなことをいってしまう.

あなたが神に願を立てたら,急いでそれを実行するように.神は愚か者を喜ばれない.あなたは願を果たすように.願を立ててそれを実行しないよりは,願を立てない方がましだ.*³口の罪をゆるせば,あなた全体が罪人になるのだ,だからそれをゆるすな.

また,*⁴神の聖職者の前で,「あれは故意でしたことではない」というな.そんなことをしたら,神はあなたに怒り,あなたの手の仕事を滅ぼされる.

夢が多いと幻滅も多い.
ことばが多いと失う時間も多い.

だから神を恐れよ.

社会の不正
*⁵ある国で貧しい人がしいたげられ,権利と正義が無視されているのを見ても驚くな.一人の上役の上には,それも見張っているもう一人の上役がいる.またその上には,もっと高い役の人がある.*⁶それは公益のため,王への奉仕のためだといいわけするかも知れない.

*⁷銀の好きな人は銀をどんなに集めても飽きず,
富を好む人は富で得をすることがない.

それも空しいことだ.

財産がふえると,
寄食者もふえる.

その持ち主は財産を自分の目でながめるだけだ,それが何の得になろう.*⁸働く人は,食事が少なくても多くても,ぐっすり眠るが,満腹した金持ちは寝つかれない.

無駄な苦労
私はこの世に悲惨なことがあるのを見た.財産を守っているその持ち主が,自分の身に害を受けていることだ.
不幸な出来事があると,彼は富を失う,そのとき子どもが生まれる,しかも彼は無一文だ.母の胎内から出てきたときのままの裸にかえって,彼は去ってしまう.働いて得九ものを何一つもっていけない.出てきたときのままで去ってしまうというのもつらいことだ.
自分のもうけを風の中に散じてどんな利益があったろう.その一生はくらやみと,悲哀と,労苦と,病気と,憤(いきどお)りのうちに終わる.

よいこと
私が見たよいこととは,神に与えられた一生の間,この世でする仕事によって安楽に暮らし,食べて飲むことだ,それが彼の行く道である.
神は人間に富と財宝を与え,それを味わい,その分け前をとらせ,自分の仕事によって楽しむようにさせる,それは神の恵みである.
*⁸こういう人はもう,自分の生涯の日々のことをあまり考えなくなる.神が彼の心を喜びで満たされるからである.』

(注釈)

神に対する義務(4・17-5・6)
*¹ 神に喜ばれるのは長い祈りではなく,心の真実とうやまいである(マテオ6・7).

*² 悪夢はせわしない生活や,思いわずらいからくるものだ.

*³「口の罪」とは,祭司のつかっていたことばで,「不注意からの罪」をいう(レビ4・2,22,24,荒野15・22,29).

*⁴七十人訳では「神」とある.「天使」と訳する人もある.

社会の不正(5・7-11)
*⁵ 国家の役人には目下の割前をはねる人が多かった.

*⁶ 解釈はいろいろある.「園家の利益は国民みなのためのもの,王は一州の人々を家来にもっている」というのが原文である.「盛大な国の王はみなに利益を与える」の意味らしい.

*⁷ 当時の財宝には銀が多かったからであろう.

無駄な苦労(5・12-16)

よいこと(5・17-19)
*⁸ 彼の仕事は忙しくて,みじめなこの世のことを考える暇がない.それが,この世における最大の幸福である.

* * *

~~~

第11章
CHAPTER XI
Exhortation to works of mercy, while we have time, to diligence in good,
and to the remembrance of death and judgement
.

賢明と節制
『*¹パンを水の上に投げよ.しばらくすると,またそれを見つけるだろう.
財産の一部を七人か八人に分けよ.あなたはこの世にどんな不幸が起こるかを知らないのだ.

雲が雨に満ちると大地に注がれる.木が南か北かに倒れると,倒れたところに横たわる.

風に気をつけている人は種がまけない.
雲を見ている人は刈り入れをしない.

あなたは母の胎内で,骨の中にどうして生命の息吹が入るかを知るまい.同様に,すべてをつかさどる神のみ業を知ることはできない.

*²朝から種をまき,
夕方も手を休めるな.

なぜならあなたは,これか,あれか,そのどちらが実るかを知らないからだ,二つともよいかもしれない.

この世の生活法
*³光は快く,目で太陽を見ることは楽しい.
人は長年生きて,すべてを楽しむがよい.だが,暗い日も数多くあることを思い出せ.起こることはみな,空しいものである.

若者よ,若さを楽しめ.
若い日々に,心で幸福を味わえ.
心の望むまま,
目の望むままに従え.

だがそれらすべてについて,あなたは神のさばきを受けることを忘れるな.

心から悲しみを遠ざけよ.
体から苦痛を取り除け.

だが,若さも,髪の黒い年も,空しいものだ.』

(注釈)

賢明と節制(10・16-11・6)
*¹「施し」についての話らしく思われるが,4節を見るとそうではないらしい.作者が教えるのは,賢明と大胆の両立である.

「パン」を「魚のえさ」の意味にとる人もある.また「海運業」の意味にとる人もある.しかし,最初にいった解釈の方が正しいように思われる.パンを水に投げるのは無駄な仕事を表す.

だがこの世には運不運があるにしろ,ことをしようとする時には,勇気と大胆がいることを教える.

*² 朝まいた種か,夕べまいた種か,そのどちらが実るかを人は知らない.

この世の生活法(11・7-10)
*³ 7-10節 これから話すのは長寿についてである.知恵ある人はいつも,「徳の報いは長寿だ」といっている.
だがコへレットはれに賛成しない.老いることは幸せなことではなく死への恐怖であり,若さへの哀惜であり,ただ,死を待つことだという.

* * *

第12章
CHAPTER XII
The Creator is to be remembered in the days of our youth:
all worldly things are vain: we should fear God and keep his commandments
.

老いること
『若い内に創造主を記憶するがよい,悪い日がくる前に,
そして,年をとって,「おもしろくない毎日だ」という前に.*¹また,太陽と光,月と星が暗み,雨降ってのちまた雲が広がる前に.

*²そのときになると、家の番人はふるえ,
力持ちは、かがみこみ,
窓に太陽がかげって,
臼(うす)ひき女は仕事を休む.
その時、二つの扉は道を閉ざし,
粉つき場の声は静まり,
小鳥はさえずりをやめ,
歌声はやむ.
*³その時彼らは坂道を恐れ,
道を歩けば息が切れる.
はたんきょうは花をつけ,
いなごは飽きるほど食べ,
風鳥草は実をつける.

だが,人は永遠の家へと歩をすすめ,泣き女は近づく.

そのとき銀の糸は切れ,
黄金のともしびは割れ,
水がめは泉で砕(くだ)け,
滑車(かっしゃ)は井戸で壊(こわ)れる.

*⁴そのとき,塵(ちり)はもとの土(つち)にもどり,生命はそれを下された神にかえる.

「空しいことの空しさ,すべては空しいとコヘレットは言った.

作者について
コヘレットは知恵者で人々に知識を授けた.彼は多くの格言を調べ,比較し,整理し,味わいのあることばを書き残し,真理のことばをよく記そうと努めた.

*⁵知恵者のことばは刺し針のようだ,固く打ちつけた杭のようだ.牧者がそれを利用するのは,羊の群れを導くためである.

また,わが子よ,本をつくる仕事というのはきりがないことだと教えたい.それに,勉強しすぎると体は疲れる.

結局のところ,こうだ.

思い合わせて見るに,神を恐れ,そのおきてを守ることだ.これは,人間すべての義務なのだから.
神はすべての行為をさばき,隠されたことの善悪をすべて見ておられる
.』

(注釈)

老いること(12・1-8)
*¹ 暗い光,雨が降る,これは老年の象徴である.

*² 3節,4節は老年の比喩(ひゆ)として解釈されている.「番人」は腕のこと,「力持ち」は腰やひざ,「臼ひき女」は歯,「扉」はくちびるなどである.
しかし,これは,正しい解釈ではなさそうだ.比喩として解釈する理由がないからである.むしろ,文字通りとった方がよい.

老年になるとどんなに強い番人も中風のようにふるえ,どんな力持ちも腰がかがむようになる.老人になると社会活動ができなくなり,家の門が閉じる.耳が遠くなると物音も歌声も聞こえなくなる.

*³ 老人は死の世界へと急ぐが,自然界はそれとかかわりなく,楽しい世界をくりひろげる.

*⁴この本は,始めたことばで今閉じられようとしている(8節).
コヘレットは,人間のみじめさを思い知らせたが,同時に,この世が人間にふさわしくないこと,人間はかくも偉大なものであると教えた.
利己的でない宗教,礼拝である祈り,神の前に自分の空しさを知ること,それを作者は教えた.

作者について(12・9-14)
*⁵ 原文では,特にこの節の後半(「牧者が…」など)がわかりにくい.この訳では,刺し針や杭をつかうのは羊の群れの善のためだ.
知恵者のことばは,人間への愛から出たものである.


* * * * * *


旧約聖書・詩篇:第139篇(すべてを知るもの〈=神〉)を追加掲載いたします.
PSALM 138 "Domine, probasti"
-God's special providence over his servants.-


第139篇(138)

『歌の指揮者に.ダビドの詩.
*¹主よ,あなたは私をさぐり,
私を知りたもう.

私が座るのも,立つのも知られるあなたは,
遠くから私を見通され,

私が歩むのも,伏すのも見られる.
私の道はすべてあなたに近い.

私の舌にことばが上らずとも,
主よ,あなたはそのすべてを知られ,

後ろから,前から,私を包み,
私の上に御手を置かれた.

あなたの知識は私には驚異で,
あまりに高く,およびもつかない.

主の霊を遠く離れられようか.
み顔からどこに逃げられようか.

天にかけ上っても,主はそこにおられ,
黄泉(よみ)を床にしても,主はおられる.

私が暁の翼を駆(か)って,
海のはてに住もうとも,

御手は私に置かれ,
御右は私をとらえる.

「やみよ私をおおえ,
私を囲む光が夜となれ」と言っても,

やみさえも,あなたには暗くなく,
夜は昼のように輝く.

あなたは私の腎をつくり,
母の胎内に織りこまれた.

恐るべき驚異のあなたを,
私はたたえる.
そのみ業は不思議で,
あなたは私の魂を知りつくされる.

私の骨はあなたに隠されていない,
私がひそかにつくられ,地の深みでぬいとりされたとき.

あなたの御目はすでに私の行いを見,
それらはあなたの*²書の中にあって,
日々が記され,集められた,
一日さえもまだなかったのに.

神よ,あなたの思いは私には計りがたく,
その総計は数えきれない.

それを数えれば砂よりも多く,
終わるときもまたあなたに出会う.

ああ,主よ,悪人を殺し,
血を好む者を私から遠ざけたまえ.

彼らは敵意をもって背き,
むなしく主に手をのばそうとする.

私は主を憎む者を憎み,
主の敵をきらっているではないか.

私は彼らをまったく憎む,
彼らは私の敵でもある.

主よ,私を探り,心を知り,
私を試し,秘密を見ぬき,

悪の道に走っていないかを見て,
私をもとの道に導きたまえ.』

(注釈)

すべてを知るもの(詩篇・第139篇)
◎〈詩篇139の注釈〉*¹〈旧約〉ヨブの書7・17-20をこの歌と比較すると興味がある.
→
『(〈苦難に遭遇したヨブの嘆き〉…この苦しみよりも死を望む…)
**¹あなた(=神)がそれほど値打を買われ,
それにみ心を配られる人間とは何者か.

あなたは朝ごとに彼を訪れ,
絶えまなく彼を試される.

いつまであなたは私から目を反(そ)らされないのか.
せめて,私がつばを飲み込むしばしの間許したまえ.

私が罪を犯したにしても,
人の番人であるあなたに何をしたのだろう.
**²なぜ,私をあなたの標的とし,
これほどの重荷を負わされたのか.』

〈ヨブ書の注釈〉**¹詩篇8のことばを皮肉にくり返しているようだ.詩篇139の作者にとって,神が人を見守ってくださることが神への信頼の理由となっていた.ところが,ヨブは自分を看視される神から,自分が敵視されていると感じる.彼は手探りして厳しい神ではなくあわれみの神をさがし求めている.
**¹詩篇8→
創造主の偉大さ(詩篇・第8篇)

『歌の指揮者に.***¹ガトに合わせる,ダビドの詩.

われらの主,神よ,地に満ち満ちるみ名のその偉大さ.
天上にある威光を,

***²子どもと乳のみ児の口がうたう.
あなたは刃向かう者を***³砦(とりで)に迎え撃ち,
敵と謀叛者を鎮められる.

御指(おんゆび)でつくられた天と,
あなたの配られた月と星を眺めるにつけ,

私は思う,あなたがみ心にとめられるこの人間とは何者か.
あなたが心を配られるこの人の子とは何者か
.

あなたは人を***⁴神よりもやや劣るものとし,
光栄と威厳をきせ,

御手の業をつかさどらせ,
万物をその足の下におかれた,

羊も牛もみな,
野の獣も,

空の鳥,海の魚,
海のみちを走るものも***⁵.

神よ,私の主よ,み名は全地に広まる,その偉大さ.』

(注釈**¹〈詩篇8〉の注釈)
創造主の偉大さ(詩篇・第8篇)
***¹「ジッティト」ともある.竪琴のことか,それともペリシテ人がうたっていた曲のことか.

***² マテオ21・16でイエズスはこの一節を引用する.

***³ これは空のこと,その上に神の住居がある.

***⁴「神」,神の王宮を形づくるもの(天使)のこと(詩篇29・1以下).ギリシア語訳とブルガタでは「天使」となっている.

***⁵ 弱い,だが神に形どってつくられた人間,霊界と物質界の境界に立つ人間が自然界をつかさどる.

* * *

〈ヨブ書の注釈〉**²他の訳では「なぜ,私はあなたの重荷となったのか」.

* * *

◎〈詩篇139篇の注釈〉*² 黙示20・12以下参照.
→
『****¹私はまた,白い厳(おごそ)かな座とそこに座したもうお方(=神)を見た.天も地もそのみ前からあとを残さぬほど遠くに逃れた.
私はまた,****²小さい者も偉大な者もすべての死者が玉座の前に立つのを見た.
あまたの書が開かれ,またもう一つの書が開かれた.それは命の書であり,死者はこれらの書の内容に従い,おのおのの行いによってさばかれた.
そして海はそこにいた死者たちを返し,死も黄泉もそこにいた死者たちを出した.彼らはその行いに従ってさばかれた.
****³すると死と黄泉は火の池に投げこまれた,****⁴火の池は第二の死である.命の書に記されなかった者はみな火の池に投げこまれた.』

(注釈)

最後の審判(ヨハネの黙示録20・11-15)
****¹ 地上の悲劇の最後の場面.「白」は神の正義と慈悲が勝つしるしである.

****² 小さな者も大きな者もみな一人残らず.

****³ 大審判の後には,死もなくなるであろう(〈新約〉コリント人への手紙〈第一〉15・26).

****⁴ 悪の象徴(〈旧約〉ヨブの書7・12)である池は,エジプトから逃れるヘブライ人の目の前で閉じた紅海のように,新しいイスラエル人である聖人たちの前に永遠に閉ざされるであろう.


* * * * * *


使徒聖パウロのローマ人への手紙:第12章,13章1-7節を追加掲載いたします.
THE EPISTLE OF ST. PAUL THE APOSTLE TO THE ROMANS XII; XIII, 1-7.

第12章
CHAPTER XII
Lessons of Christian virtues.

『それでは兄弟たちよ,あなたたちの体を生きた清い神に嘉(よみ)せられるいけにえとしてささげるように,私は神のあわれみによってあなたたちに勧める.*¹それは道理にかなった崇敬である.この世にならわず,かえって神のみ旨は何か,神のみ前に,善いこと,嘉せられること,完全なことは何かをわきまえ知るために,考え方を改めて自分を変えよ.

私は受けた恩寵(おんちょう)によって,あなたたちおのおのに実際以上に自分を評価するなと言いたい.神がおのおのに与えられた信仰のはかりに従ってよろしく評価せよ.
*²一つの体にはいくつもの肢体があるが,すべての肢体は同じ働きをしていない.それと同じように,私たちは数多いがキリストにおける一つの体であって,おのおのは互いに肢体である.
*³そして私たちは与えられた恩寵によって異なる賜(たまもの)をもっている.預言の賜であれば信仰の程度に応じてそれを行い,*⁴奉仕であれば奉仕をし,教師であれば教え,勧めるもの者は勧め,分配者は寛大に与え,上に立つ者は熱心につかさどり,あわれむ人は喜びをもって行え.

*⁵愛には偽りのないようにせよ.悪を憎み善に親しめ.兄弟愛をもって愛し合い,互いにきそって尊敬し合え.
勤(つと)めのことはゆるがせにせず,熱い心をもって主の奴隷となれ.希望の喜びをもち,患難(かんなん)に耐え,祈りに倦(う)まず,聖徒の必要を補(おぎな)い,旅人への愛はねんごろであるように努めよ.

*⁶あなたたちを虐(しいた)げる人を祝福せよ.祝福してのろうな.*⁷喜ぶ人とともに喜び,泣く人とともに泣け.互いに心を一つにせよ.高ぶったことを望まず,低いことに甘んじ,自分を知者だと思うな.
*⁸だれに対しても悪に悪を返すな.すべての人の前で善いことを行おうと努めよ.できればすべての人と平和を保て.愛する者よ,自分で復讐(ふくしゅう)するな,かえって神の怒りにゆずれ.「*⁹主は言われる.仇(あだ)は私がとる,報いるのは私である」と記されている.むしろ「敵が飢えているなら食べさせ,渇(かわ)いているなら飲ませよ.こうしてあなたは*¹⁰彼の頭の上に燃える炭火を積む」.悪に勝たれるままにせず,善をもって悪に勝て.』

(注釈)

まことの宗教(12・1-2)
*¹ 身体は主のためのものだからである(コリント人への手紙〈第一〉6・13).

みなのための善(12・3-8)
*² 4-5節 キリストの神秘体の教理(コリント〈第一〉12・12,27).

*³ 6-8節 これらは特能のすべてではない(コリント〈第一〉12・8-10,28-30,エフェゾ人への手紙4・11)

*⁴7-8節 「奉仕」の役と「上に立つ者」は,意味がはっきりしないが,教会に階級が定まる以前,信者の一団体を指導する任務のあった人のことらしい.

兄弟愛(12・9-21)
*⁵ 愛は特能にまさるものであって,愛がなければ,特能さえも無価値である(コリント〈第一〉13・1以下).

*⁶ マテオ5・44参照.

*⁷ コリント〈第一〉12・25-27参照.

*⁸ この節以下は,キリスト者以外の人々との交わりについて.

*⁹〈旧約〉第二法の書32・35参照.

*¹⁰〈旧約〉格言の書25・21.セム人の言い方である.悪に対して善で報いるのを見て,悪人の良心は呵責(かしゃく)を感じ,たぶん改心するであろう.


* * * * * *

第13章
CHAPTER XIII, 1-7.
Lessons of obedience to superiors.

すべての人は上の権威者に服従せよ.*¹なぜなら,神から出ない権威はなく,存在する権威者は神によって立てられたからである.それゆえ*²権威に背(そむ)く者は神の定めに背く.背く者は神のさばきを招(まね)く.

上に立つ者は善い行いのためではなく,悪い行いのために恐れねばならぬ.あなたは権威を恐れないことを望むか.それなら善を行え.そうすれば彼から賞(ほ)められる.彼はあなたを善に導くために神に仕える者である.

もしあなたが悪を行うなら恐れよ.彼はいたずらに剣を帯(お)びているのではないからである.彼は神に仕える者であって,悪をする者に怒りをもって報いる.

ただ怒りを恐れるためだけではなく,良心のためにも服従しなければならぬ.そのためにあなたたちは貢(みつ)ぎを納(おさ)めている.彼らはその役目に絶えず従事する神の奉仕者だからである.

*³すべての人に与えねばならぬものを与えよ.貢ぎを払うべき人には貢ぎを,税を払うべき人には税を,恐れるべき人には恐れを,尊(とうと)ぶべき人には尊敬を与えよ.

(注釈)

権威者への服従(13・1-7)
*¹ 権威者に服従することの神学上の理由.教会法の基礎はこれである.

*² 権威者の命令が神法に背いていない場合のこと.

*³ 社会も神の定めたことであるから,その理由のために,社会を重んじなければならない.


* * *

2011年7月14日木曜日

借金してはなりません!

エレイソン・コメンツ 第207回 (2011年7月2日)

最近のギリシャの金融救済は,もしそれが実施されるとすれば,欧州連合のみならずおそらく世界の金融制度がその責任を負う日をもう一度先延ばしにすることになるでしょうが,その日は単に延期されるだけで取り消されるわけではありません.この問題は制度上の欠陥に起因するものです.もし民主制下の政治家たちが再選されたければ,自ら国民が望むようしむけた「ただ飯」の代金を支払うため借金しなければなりません.だが個々人,各家庭あるいは各国が借金に借金を重ねるという愚行はいつまでも長続きするわけはなく,いつかは完全に行き詰まって借金を停止せねばならない日が来ます.そうした国々の国民,政治家たちは今日に至るまでの長期間,間違った道を進んできました.なぜなら借金を重ねるという決定は通常ならば愚策か犯罪に等しいからです.

次のシェイクスピア作品の3行が語る根本的な知恵が忘れられているとしたら愚かなことです.その言葉はプロの「経済学者たち」の書いた多くの書物ほどの価値があります.借り手にも貸し手にもなるな/往々にして貸した金と友人の両方を失うことになるから/それに借金は金銭感覚を甘くする(借金は節約の刃を鈍らせる)(訳注・悲劇「ハムレット」より.原文 “Neither a borrower nor a lender be / For loan oft loses both itself and friend / And borrowing dulls the edge of husbandry.” ).言い換えれば,借金癖(ぐせ)は,「節約」あるいは自己資産の管理をしなくてもすむよう人を習慣づけてしまいます.例をあげれば,少なくとも最初は,借りた金はいとも簡単に手に入るため,たとえば,お金を稼ぐことや借金を最終的に返済することがどれほど大変なことかといった金銭感覚,現実感覚を麻痺(まひ)させます.貸すことについて,ポロニウス(ハムレット第一幕第三場)(訳注・原文 “Polonius (Hamlet, I, 3)” は,貸した金は往々にして返済されないだけでなく,もし私が返済能力のない友人に金を貸したなら,彼はきっとあまりに恐縮するか恥じ入って再び私に近づけなくなるだろう,と言っています.

だが,貸し手がすべて愚者という訳ではありません.彼らの多くは犯罪者です.なぜなら彼らは高利で金を貸すことによって個々人,家庭,国家を貧困と隷属状態に落とすことができると知っているからです ー 「借りる者は貸す者の僕(あるいは奴隷)」(格言の書22・7)(訳注後記)と聖書に書かれているとおりです.現在クレジットカードの中には20パーセントから30パーセントの金利支払を要求するものもありますが,カトリック教会は常に高利貸しを厳しく糾弾(きゅうだん)しています.高利貸し業者は人々,あるいは国民全体を貧困にし奴隷化させることによって社会構造を破壊する犯罪者です.

歴代の教皇は現代の高利貸しが様々な形態を取っている,と述べられています.狡猾(こうかつ)な金融業者は自らの金銭を使ってマスメディアやとりわけ政治家たちを征服し,それにより社会全体の支配を買い取って富の形成に没頭しており,社会は彼らへの隷属(れいぞく)を許しています.全世界がこの事実に対し今すぐに目を覚ますべき理由は(このような悪業を糾弾する)歴代教皇の発言にあります.そこで疑問が生じます.神はどうしてそのような事態が起こることをお許しになられるのでしょうか,そして神はどうして差し迫った金融危機か世界大戦あるいはその両方がもたらしかねない大きな苦難をお許しになるおつもりなのでしょうか? そのいずれも神の敵たちが望むままに全世界の権力を手に入れようと画策(かくさく)してきたことです.

その答えは以下のとおりです.すなわち,神がそのような権力を御自分の敵たちにお許しになったのは彼らの残酷で非人間的な行為が,神に背きマンモン(富)を主人として選んだ世界の背に負わせる懲罰(ちょうばつ)の鞭(むち)として役立つからです ー あなたは神とマンモンの両方に仕えることはできない,と私たちの主イエズス・キリストは仰せられます(マテオ聖福音6・24)(訳注後記).そして神は近い将来,はるかに大きな苦難をお許しになるでしょう.なぜなら「苦難のなかに学ぶことがある」(アイスキュロス)(訳注・ギリシア悲劇作家の言葉.原文 ““In suffering is learning” (Aeschylus)”. )からであり,事実,重い苦難だけが世界中のかなり多数の人々に物質主義とマンモン崇拝は自分たちの真の利益すなわち不滅の霊魂の救済にとって裏切り者の敵だと学ばせることができるからです.

神の御母(聖マリア)よ,哀れな罪人の私たちが神の御憐れみを受けられるよう(神の御許しを)執り成し給え!

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *

第3パラグラフの訳注:

旧約聖書・格言の書:第22章7節
『金持ちは貧しい人を支配し,借りた人は貸す人の奴隷である.』

* * *

第5パラグラフの訳注:

新約聖書・マテオ聖福音書:第6章24節
『*人は二人の主人に仕えるわけにはいかぬ.一人を憎んでもう一人を愛するか,一人に従ってもう一人をうとんじるかである.神と**マンモンとにともに仕えることはできぬ.』

(注釈)
* 富を有して神に仕えることもできるが,富の奴隷になれば神に仕ええない.
** マンモンとはカルダイ語で富のこと.

* * *

2011年4月4日月曜日

なぜ苦難があるのか?

エレイソン・コメンツ 第192回 (2011年3月19日)

最近,日本の東海岸沖合でプレート移動による激しい地殻変動が,内陸部で観測史上最大の地震を,沿岸部で壊滅的な津波を引き起こしました.この天災は多くの人の心に古くからある疑問を投げかけたに違いありません.もし神が存在し,その神が全能かつ限りなき善意の持ち主であるなら,人間がこれほどの大きな苦難を被(こうむ)ることをどうしてお許しになるのだろうか? 人々が自ら苦難に直面していない平時なら,この疑問に対し昔からある答えを理解するのは理屈の上ではそう難しいことではありません!--

まず第一に,苦難は往々にして罪に対する罰です.神は確かに存在し,罪は神の怒りを招きます.罪が霊魂を地獄に落とすものである一方で神は霊魂を天国に向けるよう創造されました.もし地上での苦難が罪にブレーキをかけ霊魂が天国を選ぶ助けになるなら,そのために必要とあらば地殻変動プレートを支配される神は不本意ながらもそれを用いて罪を罰することがおできになるのです.では日本の人々が他国の人々に比べ殊(こと)のほか罪深かったのでしょうか? 私たちの主イエズス・キリスト御自身は私たちに対してこう言われます.すなわち,そのような問いかけをするのではなく,むしろ私たちが自らを振り返って犯した数々の罪のことを思い巡(めぐ)らし,その償いを果しなさい,さもなければ「あなたたちもみな同様に滅びるだろう」(ルカ13章4節)と.西洋式(欧米流)物質主義とそれがもたらす快適さが本当の人生といえるかどうか疑問に思っている日本人が現在誰一人いないとしてもさほど驚くことではないのではないでしょうか?(訳注後記)

第二に,人間の苦難は警告(けいこく)となり得るのであり,人々に悪から目を背け自惚(うぬぼ)れを避けるよう仕向けます.たった今,神の存在を認めない罪深き西洋諸国全体が自身の物質主義と繁栄に疑問を投げかけるべきです(訳注後記).過去数年間にわたり世界各地で着実に高まりつつある地震その他の自然災害の発生率により,主なる神は確かに私たち人間すべての注意を喚起(かんき)しておられるのです.おそらく神が,1973年に日本の秋田で神の御母を通し警告されたように世界中で私たち人間に「火の雨」を降らせるという罰を下さずに済むようにと望まれているからです(訳注後記).だが,たった今現実に苦難を受けている日本の人々の方が,遠く隔(へだ)たった西洋諸国の人々に比べ被った災害からより多くの利益を得ている公算が大きい(可能性が高い)と言えるのではないでしょうか? これら諸国のいずれの国にとっても実のところ,差し迫った神の懲罰の前触(まえぶ)れ(予兆)を予(あらかじ)め味わっているというだけで運がいいということなのかもしれません.

第三に,神は人間の苦難を用いて神の僕たちの善徳を浮き彫り(うきぼり)にされるのかもしれません.ちょうどヨブ(訳注・旧約聖書に登場する善人の名)やキリスト教の昔からのあらゆる殉教者たちの場合がその例にあたります.今日の日本において超自然的な神への信仰( “supernatural faith” )を持つ人は少ないかもしれませんが,今回の事態においてもし日本の人々が漠然(ばくぜん)とでも強力な神の御手(の業(わざ),力)を感じさせる何らかの偉大な存在の下に自らを低くし慎(つつし)むなら,(神の支配される)自然の賜物に与(あずか)るようになり,少なくとも自然レベルで自らの身をもって神に栄光をもたらすことになるでしょう(訳注後記).

最後に,旧約聖書のヨブの書第36章に記されてあるとおり,ヨブがなぜ苦難に襲われたかについてヨブ自身や彼の家族や友人たちが思いついた説明にどうしても満足しないヨブに対して,ついに神御自身が答えられます.神の御言葉を分かりやすいように言い換えてみます:「ヨブよ,私(神)が地に基(もとい)をおいた時,あなたはどこにいたのか? あなたが地殻変動プレートを造ったのか? あなたは誰が平時には海の水をその境界内に留(とど)め,乾いた土地に押し寄せぬようにしていると思っているのか? この度,海水が日本の東北地方沿岸に打ち寄せるままにした私自身に然(しか)るべき理由がなかったと,あなたには本気で思えるのか?」ヨブの書の第38章と39章を読んでみて下さい.ヨブはようやく屈服し神に服従したのです.ヨブは神の答えに満足し,神の上智(知恵・叡智)と善意に疑問を差し挟(はさ)んだ自らの過(あやま)ちを認めました(ヨブ42,1-7)(訳注後記).

世界中の私たち一人ひとりが神に対しこれまでに犯した自らの罪の償いをしましょう.一人ひとりが日本で起きたこの大震災を自らへの警告と受け止め自分自身を戒(いまし)めましょう.やがて私たち自身にふりかかる様々な試練のなかで,(神の御前に正しく慎ましく生活することにより)神に栄光をもたらすことができるよう望みをかけましょう.そして,とりわけ,神のみが唯一の神(永遠の全知全能の存在なる方)であることを認めましょう!(訳注後記)

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *


(訳注)のリスト:

(1)第2パラグラフの訳注:新約聖書・ルカ聖福音書:第13章4節

(2)第3パラグラフの2番目の訳注:「秋田の聖母」について.

(3)第5パラグラフの2番目の訳注:旧約聖書・ヨブの書:第42章1-7節

(4)第5パラグラフの初めの訳注:旧約聖書・ヨブの書:第38,39章→38章-40章を部分的に抜粋して記載します(後から全部を別の場所に記載します).

(5)第2,第3,第4パラグラフについての訳注:聖書の引用
・「西洋式物質主義の快適さが本当の人生と言えるか?」について.
・「罪深き西洋諸国全体の物質主義と繁栄に疑問を投げかけるべき」について.
・「超自然的な神への信仰」( “supernatural faith” )について.

(6)第4,6パラグラフについての訳注:
・「神に栄光をもたらす」…原文 “give Him glory”, “to give glory to God.” の意味について.

(注・引用した聖書の(注釈)の一部については後から追加します)

* * *

(1)第2パラグラフの訳注:
新約聖書・ルカ聖福音書:第13章4節(太字部分)(1-5節を記載)

『そのとき,ピラトがあるガリラヤ人たちの血を彼らのいけにえに混ぜたという知らせを告げに来た人々があった.
イエズスは答えられた,「ガリラヤ人がそんな目に会ったからといって,彼らが他のガリラヤ人以上に大きな罪人だったと思うか.私は言う.そうではない.あなたたちも悔い改めないなら,みな同じように滅びるだろう.
また,*¹シロアムの塔が倒れて押しつぶされた十八人が,エルサレムのほかの人々よりも大きな負い目をもっていたと思うか.私は言う.そうではない.*²悔い改めないなら,あなたたちもみな同じように滅びる」.』

(注釈)

(悔い改め)
*¹ユダヤ人は,災(わざわ)いは罪の罰であると考えていた.しかしそうではない.義人(正しい人)も災いにあうことがある.

²このことばはエルサレム滅亡のとき実現した.

* * *

(2)第3パラグラフの訳注:
「秋田の聖母」 “Our Lady of Akita” について.

日本よりも海外でよく知られており,「日本の聖母マリア」として大変有名である.巡礼者も毎年世界各地から多くの人が訪れている.

(出来事の簡単な説明)
日本の秋田県で1973年から1982年まで続いた聖母マリア御出現の奇跡.
・1973年夏,秋田県秋田市にあるカトリックの女子在俗修道会「聖体奉仕会」所属の修道女シスター・アグネス笹川の左掌に十字架の形の傷が現れ激しく痛み出血した(「聖痕」と呼ばれる奇跡的な現象).
・また修道院の聖堂の木彫りの聖母像の目から涙が流れ出,その右掌からも血が流れた.
・そして聖母御出現当時,神の御旨により全く耳が聞えなくされていたシスターの耳に聖母の非常に美しいみ声が聞えた.
・聖母は3回シスターに出現され,世界人類の罪に対する神の悲しみと怒り,来たるべき神の人類への重い罰,悪魔の誘惑によるカトリック教会の堕落,多くの失われる霊魂に対する聖母の悲しみなどについて警告された.
・また世界を破滅から救うことが出来るのはキリストの残された印(御聖体)と聖母のロザリオの祈りのみであることを訴えられ,人々の改心のため,またカトリック教会の聖職者(司教・司祭)たちのために償いと犠牲の業とロザリオの祈りを熱心にすることの必要性を告げられた.
・他に,香しい芳香が感じられるなどの奇跡も数回起きている.
・シスター笹川の耳は聖母の出現から数年後(1982年)神の奇跡により癒(いや)され完全に聞えるようになった.
・聖母像の目から涙が流れ出た回数は数年間に101回に及び,この間に延べ約500人の人が訪れその涙を目撃している.
・秋田に訪れて聖母に祈りを捧げた多くの人が聖母の取り次ぎにより病気の治癒や改心に導かれるなどの人生の奇跡的な転換を体験している.

(参考文献)
・「秋田の聖母マリア」安田貞治神父・著 聖体奉仕会・発行(1987年)
・「日本の奇跡『 聖母マリア像の涙』- 秋田のメッセージ」安田貞治神父・著 エンデルレ書店・発行(2001年)
・ロザリオの祈りはダイノスコプス・エレイソン・コメンツ用語集に記載されています.

* * *

(3)第5パラグラフの訳注:
旧約聖書・ヨブの書:第42章1-7節

『そのときヨブは主(神)に答えて言った,
「あなたにはすべてができると,私は知っています.あなたは企(くわだ)てたことを実行されます.
思慮のない言葉で,あなたの企てをかき乱したのは私です.
私は自分で分からぬこと,自分の知らぬ不思議について,向こうみずにも語りました.
(聞きたまえ,私に言わせたまえ.私は尋(たず)ねます.教えたまえ).
*私は耳で聞いてあなたを知っていました.だが今,私はこの目であなたを見ました.
そのために私は自分の愚かさにあきれ,ちりと灰の上で悔やみます.」 』

(注釈)

*神の出現のことをいっているのではない.ただ,神の実在について新しい知識を受けた.ヨブは神の神秘を知りその全能を礼拝する.正義についてヨブがした質問に神からの返事はなかった.しかし,神がなさったことを人間に神自身が説明する義務のないこと,神の知恵は苦しみと死という事実にも,人間の考え及ばぬ意味を持たせうることをヨブは悟った.

(注記)

エレイソン・コメンツ第180回の「第2パラグラフの訳注」と「『正しい人の苦しみ』について」をご参照ください.

* * *

(4)第5パラグラフの初めの訳注:

旧約聖書・ヨブの書:第38,39章
→38章-40章を部分的に抜粋して記載します(後から全部を別の場所に記載します).

『そのとき,主は,嵐の中からヨブに話しかけられた,
「思慮のないことばで,私のはかりごとをかきまぜるのはだれか.
おまえは勇士のように腰に帯せよ,私が尋(たず)ねるから教えてくれ.

私が地に基(もとい)をおいたとき,おまえはどこにいたのか.
知っているなら言え.
だれがその尺度を決めたか知っているのか.だれがそこに綱を引いたのか.
その土台は何の上に立ち,だれが隅石をおいたのか.
朝の星がともに歌い,神の子らが喜びおどっていたそのとき.
だれが海に戸を閉ざしたのか.
それが胎からあふれ出たときのことだ.
私がその上に雲をまとわせ,黒雲を産衣(うぶぎ)としたときのことだ.

私はそれに境を定め,扉とかんぬきをおいて,
〈これを越えてはならぬ〉と言った.
〈ここでおまえの波の高ぶりはとどまる〉と.・・・
おまえは海の源にいき,淵の底をまわったことがあるのか.
死の門を示し,影(黄泉)の国の門を見たことがあるのか.
また,地の広さを幾分でも知っているのか.
言え,知っているのなら.
光はどちらの方に住み,やみのところはどこにあるのか.
おまえはそれらを迎えにいき,おのおのの家に連れもどせるのか.・・・

おまえは雪の倉にも入り,
雹(ひょう)の蓄(たくわ)えどころを見たことがあるのか.
それは苦悩のときのために,戦いといくさの日のために蓄えてある.
稲妻はどの方角にひらめき,地に火花を散らすのか.
にわか雨に堀を開き,雷鳴に道を明けるのはだれか.
無人の地にも,人住まぬ荒野にも雨を降らし,
すたれた寂しいところに水を与え,荒れ地に草を生えさせる.・・・

おまえにスバルの鎖が結べるのか.あるいはオリオンの綱が解けるのか.・・・
天の法則を知り,地へのその影響を定めるのはおまえか.
声を雲にあげ,水の集まりを従えることができるのか.
稲妻が〈はい,ここにいます〉とやってきて出かけるのは,
おまえが命令を下すからなのか.・・・

雌じしのためにえさを狩り,子じしの飢えを満たすのはおまえか.
かれらが穴にうずくまり,茂みに待ち伏せしているときに,
からすの子が神に向って鳴き,えさもなくさまようとき,
からすに食べ物を与えるのはだれか.・・・

・・・そのとき,ヨブは主に答えて言った,
「私は軽率なことを申しました.あなたに何の口答えができましょう.
私は口に手をあてます.一度話しましたが,もうくり返しません.
二度話しましたが,もう続けられません」.

だが主は,ヨブに言われた,
「勇士のように腰に帯をせよ,私が問えばおまえが教えよ.
おまえは本当に私の権利を踏みにじりたいのか.
自分を正しいとしたいがために私を非とするのか.
おまえは神のような腕を持ち,神のような声でとどろきわたれるのか.
では,威厳と偉大さをもってみずから語り,華麗と光栄を身につけよ.
怒りといきどおりを吐き出し,
おまえの見る高慢な者どもを卑しめ,高慢な者どもをかがませ,
悪人をそのところで踏みつぶし,
彼らをともに土の中にうずめ,その隠れ家に顔を閉じこめよ.
そうすれば私もおまえをほめよう.その右の手は勝利を得たのだから.・・・ 』

* * *

(5)第2,3,4パラグラフについての訳注:
・「西洋式物質主義の快適さが本当の人生と言えるか?」について.
・「罪深き西洋諸国全体の物質主義と繁栄に疑問を投げかけるべき」について.
・「超自然的な神への信仰」( “supernatural faith” )について.

(理解の手助けのための聖書の引用)

① 旧約聖書・脱出の書:第20章3-6節

(神の十戒)
『*¹私(真の神)以外のどんなものも,神とするな. *²刻んだ像をつくってはならぬ,高く天にあるもの,低く地にあるもの,*³地の下にあるもの,水の中にあるもの,どんな像をもつくってはならぬ.*⁴その像の前にひれ伏してはならぬ.それを礼拝してはならぬ.
おまえの神なる主,私は,私を憎む者に対しては,父の罪を三代,四代の子にまでおよぼして罰する,*⁵ねたみ深い神である.しかし,私を愛して,おきてを守る者には,千代までも,慈しみを示す神である.』

(注釈)

*¹イスラエル(=真の神を信仰する者)の唯神論が,強く主張される.
神と人間との間に,仲介のような神々は存在しない.

*²まことの神の像をつくることも禁止する.

*³ヘブライ人の宇宙論によれば,地は,大洋の上に浮かんでいるように考えていた.

*⁴偶像崇拝の禁じられる理由である.中近東諸国の昔の儀式の本を見ると,神の像を神自身と考え,崇敬の対象としていた(バビロン,アッシリア,ヒッタイトの文明ではそうであった.エジプトもそうである.)

*⁵真理そのものである神は,いつわりのものを耐え忍ぶことができない.
「父の罪を三代,四代の子にまでおよぼして」人間を,個人としてより,家族あるいは民族の一員として考える中近東の国々の考え方による.

(解説)

・人間の内心の正しい良心よりも外見の美や強さを優先して称賛したり(目の欲),持ち物の多少や衣食住の贅沢さで人間の価値を量(はか)ろうとすること(肉の欲,生活の奢(おご)り,富の誇り,過度の身なりの洒落,物質欲,美食など)は,神が禁じる「偶像(アイドル)崇拝」と同意義のものである.人を「まことの信仰」と「神への愛」から遠ざけるすべてのものが「偶像崇拝」に当たる.
・節度が必要なのは,欲を追求し過ぎて慢心すると正しい良心を喪失し,そこからあらゆる人間の不幸が始まるからである.
・悪魔は人間の五感に訴えるあらゆる美しさや強さ(権力)を悪用して人間を誘惑するのであり,真の神への信仰を持たない人間は,たやすくそのような神の宿らない虚しい力(しばしば悪徳を宿していることが多い)を称賛するのであって,人間はそれにかまけて「神(正義と愛)への信仰に立つこと」や「正しい良心の声に従うべきこと」を忘れてしまいがちである.欲を張り過ぎる人間は,気づかぬうちに自分で自分の身を滅ぼし永遠の破滅へと追いやることになり,気づいた時には後の祭りとなってしまう.

* * *

② 新約聖書・(使徒)ヨハネの第一の手紙

第1章 

『*¹初めからあったこと,私たちの聞いたこと,目で見たこと,ながめて手で触れたこと,すなわち命のみことば(=キリスト)について - そうだ,*²この命は現れた,私たちはそれを見て証明する.御父のみもとにあって今私たちに現われた永遠の命(=キリスト)をあなたたちに告げる - ,あなたたちを私たちに一致させるために,私たちは見たこと聞いたことを告げる.私たちのこの一致は,御父とみ子イエズス・キリストのものである.*³私たちの喜びを全うするために私はこれらのことを書き送る.』

(注釈)

*¹みことばすなわちキリスト(ヨハネ聖福音書1・14以下,15・27,ヨハネ(第一手紙)5・20).

*²十二使徒の証明の対象は,福音書に書かれている歴史上のキリストである.

*³「あなたたち」と書く写本もある.

(神は光である)
『私たちがキリストから聞いてあなたたちに告げる便りはこうである.
*¹神は光であって,少しの闇(やみ)もない.
*²私たちが闇の中を歩いているのにキリストと一致していると言うなら,それは偽(いつわ)りで,真理を行っていない.
*³主が光のうちにましますように,私たちも光のうちを歩んでいるなら,私たちは互いに一致し,み子イエズスの血は私たちの罪をすべて清める.』

(注釈)

*¹無限の真と善と美と聖を光という.闇(やみ)は無知と罪.

*²ヨハネ聖福音書3・20参照

*³原文は「彼」で神のこと.


(罪を避けよ)
『*¹罪がないというなら,それは自分を偽っているのであって,真理は私たちの中にはない.自分の罪を告白するなら,真実な正しい神は,私たちの罪をゆるし,すべての不義を清めてくださる. *²罪を犯さなかったと言うなら,それは神を偽り者とするのであって,みことば(=命)は私たちの中にはない.』

(注釈)

*¹自分に罪がないと考えるのは,真理に導かれていない証拠である.

*²神は聖書を通じて,人間はすべて悪人だと言われた.

* * *

第2章

(罪を避けよ)
『小さな子らよ,私がこれらのことを書くのは,あなたたちに罪を犯させないためである.だが罪を犯す人があるなら,私たちは*¹御父のみ前に一人の弁護者をもっている.それは義人のイエズス・キリストである.
*²キリストは私たちの罪のためのとりなしをされるいけにえである.いや,ただ私たちの罪のためではなく,全世界の罪のためである.』

(注釈)

*¹ローマ8・34,ヘブライ7・25,ヨハネ14・16,使徒3・14参照. *²使徒4・10,ローマ3・25参照.

(おきてへの忠実)
『私たちが掟(おきて)を守るなら,それによってキリストを知っていることがわかる.
「*¹私は主を知っている」といいながら掟を守らぬ人は偽(いつわ)り者であって,真理は彼の中にはない.みことばを守る者はその人のうちに神の愛が全(まっと)うされ,それによって私たちは主の中にいることがわかる。 *²また主の中にいると言う者は,自分も主が歩まれたように歩まねばならぬ.
愛する者よ,私があなたたちに書くのは*³新しい掟ではなく,あなたたちが初めから受けていた古い掟であって,その古い掟はあなたたちが聞いたみことばである.しかし私が書き送るのは*⁴新しい掟である.それは,キリストにとっても,またあなたたちにとってもそうである.闇(やみ)は過ぎ去り,まことの光がすでに輝いているからである.
「私は光にいる」と言いながら,兄弟を憎む者はまだ闇の中にいる. *⁵兄弟を愛する人は光にとどまる者であって,彼はつまずく恐れがない.兄弟を憎む人は闇の中にいて闇を歩み,闇に目を暗(くら)まされて自分がどこに行くかも知らない.』

(注釈)

*¹善業を伴わない信仰は,救霊に役立たない(ティト1・16,コリント(第一)8・1-3,ティモテオ(第二)3・5).

*²ローマ6・11,13-14,ペトロ(第一)2・21参照.

*³イエズスは隣人愛を「新しいおきて」といった(ヨハネ13・34).

*⁴しかし利己的な人間の中にあって,キリスト教の愛のおきては常に新しくふさわしいものである.

*⁵隣人愛の実行は,恩寵の光に生き自分の宗教をよく理解する人々のしるしである.

(世の危険)
(「世」とは「地上」すなわち神の正義や善を見下す罪深い人たちの社会を指す)

『小さな子らよ,私があなたたちに書き送るのは,主のみ名によってあなたたちが罪をゆるされたからである.父たちよ,私があなたたちに書き送るのは,あなたたちが初めからましますお方を知ったからである.若者よ,私があなたたちに書き送るのは,あなたたちが悪者に勝ったからである.子らよ,私があなたたちに書き送ったのは,あなたたちが御父を知ったからである.(父たちよ,私があなたたちに書き送ったのは,あなたたちが初めからましますお方を知ったからである.)若者よ,私があなたたちに書き送ったのは,あなたたちが強い者であり,(神の)みことばをその中に保ち,そして悪者(悪魔)に勝ったからである.

世と世にあるものを愛するな.
世を愛するなら御父の愛はその人の中にはない.
世にあるもの,すなわち肉の欲,目の欲,生活のおごり(富の誇り)などはすべて御父(真の神)から出るのではなく世から出る.
世と世の欲は過ぎ去るが,神のみ旨を行う者は永遠にとどまる
.』

(反キリスト)
『小さな子らよ,*¹最後の時である.あなたたちは反キリストが来ると聞いていたが,今や多くの*²反キリストが現れた.これによって私たちは最後の時が来たことを知る.彼らは私たちの間から出たけれども,*³私たちに属する者ではなかった.私たちに属する者であったなら私たちとともに残ったであろう.しかし彼らが出ていったのは,みな私たちに属していない人々であることを示すためであった.

あなたたちは,*⁴聖なるお方の注油を受けて,みな知識をもっている.私(使徒ヨハネ)があなたたちに書き送ったのは,あなたたちが真理を知らないからではなく,真理を知り,真理からはどんな偽りも出ないことを知っているからである.
*⁵偽り者はだれか.イエズスがキリスト(救世主たる神の子)であることを否定する者ではないか.御父(真の神)とみ子(=主キリスト)を否(いな)む者,それこそ反キリストである.み子を否む者は御父をもたず,*⁶み子を宣言する者は父を持っている.あなたたちは,初めから聞いたことにとどまれ.初めから聞いたことにとどまるなら,あなたたちは御父とみ子の中にとどまる. *⁷そして主(=神のみ子キリスト)自身が私たちに約束されたことは,すなわち永遠の命である.

私はあなたたちを惑わす人々についてこう書いた. *⁸あなたたちには主から受けた注油が残るのであるから,だれにも教えを受ける必要がない.その注油はあなたたちにすべてを教えるもので,偽りのない真実のものである.それが教えるとおりあなたたちは主にとどまれ. *⁹だから小さな子らよ,主にとどまれ.そうすれば,み子の現れの時,信頼を失わず,その来臨の時,主から離れる恥を味わわないであろう.主が正しいと知っているなら,正義を行う者はみな主から生まれるのだと知るであろう.』

(注釈)

*¹イエズスの誕生から審判までの期間(ガラツィア4・4,エフェゾ1・10,ミカヤ(旧約)4・1).

*²異端者と棄教者.

*³公に教会を離れる前に,異端者は信仰と恩寵の上でもはや教会に属していない者である. *⁴洗礼または堅振(信)の秘跡の暗示がある.

*⁵イエズスが神の子であり,救世主であることは,キリスト教の基礎的な信仰告白であって,これを否定するのは御父を否定するのと同じである.

*⁶ヨハネ聖福音書1・18,5・23,10・30参照.

*⁷ヨハネ聖福音書5・24,6・40,17・2参照.

*⁸信仰の教えを受けたからには,異端の教えに従うなと注意する.

*⁹テサロニケ(第二)1・9,マテオ聖福音書24・3,コリント(第一)15・23参照.

* * *

第3章

(神の子ら)
『考えよ,神の子と称されるほど,御父から,計りがたい愛を受けたことを.私たちは神の子である.
この世が私たちを認めないのは,御父を認めないからである.愛する者たちよ,私たちはいま神の子である.後にどうなるかはまだ示されていないが,それが示されるとき(キリストが現れる時),私たちは神に似た者になることを知っている.私たちは,神をそのまま見るであろうから. 主が清いお方であるように、主にたいするこの希望をもつ者は清くなる.罪を犯す者はそれによって法に背(そむ)く.罪は法に背くこと(神への敵対行為)である.あなたたちの知っているとおり,イエズスが現れたのは,罪を除くためであり,イエズス自身には罪はない.主(=神イエズス)にとどまるものは罪を犯さない.罪を犯す者はまだ主を見ず,主を知らないのである.

小さな子らよ,人に惑(まど)わされるな.主が正義のお方であるように,正義を行う者は,義人である.
罪を犯す者は悪魔に属する.悪魔は初めから罪を犯しているからである.
神の子が現れたのは,悪魔の業を破るためである.神から生まれた者は罪を犯さない.神の種(成聖の恩寵)がその人のうちにとどまり,その人は神から生まれた者であるから罪を犯すことができないのである. これによって,神の子と悪魔の子を区別することができる. 正義を行わぬ人は,兄弟を愛さぬ人と同様に神からの者ではない.あなたたちが初めから聞いた便りは,愛し合うことである.
悪魔に属していたから自分の兄弟を殺したカインには倣(なら)うな.なぜ殺したかと言うと,自分の行いが悪くて,兄弟の行いが正しかったからである.

兄弟たちよ,世があなたたちを憎んでも驚くな. 私たちが死から命に移ったのは,兄弟を愛するからであって,愛さない人は死の中にとどまっていることを私たちは知っている.
兄弟を憎む者は人殺しであって,人殺しはその中に永遠の命をとどめていないことをあなたたちは知っている.

主が私たちのために命をささげられたことによって,私たちは愛を知った.私たちもまた,兄弟のために命をささげねばならぬ.
世の宝を持ちながら兄弟の乏(とぼ)しさを見てあわれみの心を閉じる人の中に,どうして神の愛が住もうか?

子らよ,ことばと口先だけではなく,行いと真実をもって愛そう.それによって私たちは,自分が真理についていることを知り,神のみ前に安んじられる.
自分の心にとがめを感じるにしても,神は私たちの心よりも大きく,すべてのことを知りたもう.愛する者よ,もし心にとがめるところがなければ,私たちは神に信頼をもつことができる.また神の掟を守って,神に嘉(よみ)されることを行っているからこそ,私たちは求めることをすべて神から受ける.
その掟とは,神の子イエズス・キリストのみ名を信じ,神が掟を定められたように互いに愛すること,これである.その掟を守る人は神にとどまり,神も彼にとどまられる.私たちは神主が中にとどまりたもうことを,与えられた霊によって知る.』

第4章

(偽預言者)
『愛する者よ,無差別に霊を信じるな.霊が神から出ているかどうかを試せ.多くの偽預言者が世に出たからである.次のことによって神の霊を認めよ.すなわち,イエズスが肉体をとって下られたキリストであることを宣言する霊はみな神からである.またこのイエズスを宣言しない霊はみな神から出たものではなく,来るだろうと聞いている反キリストの霊である.それはもう世に来ている.

小さな子らよ,あなたたちは神から出たものであって,もはや彼らに打ち勝った.あなたたちにましますのは,この世にいる者より偉大なお方である.
彼らは世の者であるから世について語り,世は彼らの言うことを聞く.
しかし私たちは神からの者である.神を知る者は私たちのことばを聞き,神からでない者は聞かない.これによって真理の霊と誤謬(ごびゅう)の霊とが区別される.

愛する者よ,互いに愛せよ.愛は神よりのものである.愛する者は神から生まれ,神を知るが,愛のない者は神を知らない.神は愛だからである.
私たちに対する神の愛はここに現れた.すなわち,神はその御独り子を世に遣(つか)わされた.それは私たちをみ子によって生かすためである.
私たちが神を愛したのではなく,神が(先に)私たちを愛し,み子を私たちの罪のあがないのために遣わされた,ここに愛がある.
愛する者よ,神がこれほどに愛されたのなら,私たちもまた互いに愛さねばならない.だれも神を見た者はいないが,私たちが互いに愛するなら,神は私たちの中に住まわれ,その愛も私たちの中に完成される
.
私たちが神にとどまり神が私たちにとどまられることは,神がご自分の霊に私たちをあずからせたもうたことによって分かる.私たちは御父がみ子を救世主として送られたことを見て,これを証明する.
イエズスが神のみ子であると宣言する者には,神がその中にとどまられ,彼は神にとどまる.

私たちは神の愛を知り,それを信じた.神は愛である.
愛をもつ者は神にとどまり,神は彼にとどまられる.愛が私たちの内に完成されるのは,審判の日に私たちに信頼をもたせるためである.私たちは地上において,主と同じものだからである.

愛には恐れがない.完全な愛は恐れを取り除く.恐れは罰を予想する(恐れには罰が含まれている)からである.恐れる者は完全な愛をもつ者ではない.

私たちが愛するのは,神が先に私たちを愛したもうたからである.
「私は神を愛する」と言いながら兄弟を憎む者は,偽り者である.目で見ている兄弟を愛さない者には,見えない神を愛することができない.
神を愛する者は自分の兄弟も愛せよ.これは私たちが神から受けた掟である
.』

第5章

(イエズス・キリストへの信仰) 
『イエズスがキリストであることを信じる者は,神から生まれた者である.生んだお方(神)を愛する人々は,また神から生まれた者(神の子ら)をも愛する.神を愛してその掟を行なえば,それによって私たちが神の子らを愛していることがわかる.
神への愛はその掟を守ることにあるが,その掟はむずかしいものではない.
神から生まれた者は,世に勝つ.世に勝つ勝利はすなわち私たちの信仰である.イエズスが神の子であると信じる者のほかにだれが世に勝てるであろうか.

水と血によって来られたのはイエズス・キリストである.ただ水だけではなく,水と血によってである.それを証明するのは霊である.霊は真理だからである.実に証明するものは三つある.(天においては御父とみことばと聖霊であり,この三つは一致する.地において証明するのは三つ),霊と水と血である.この三つは一致する.

私たちが人間の証明を受け入れるなら,神の証明はそれにまさっている.神の証明とはそのみ子についてのことである.神の子を信じる者は,自分の内に神の証明をもち,神を信じない者は神を偽り者とする.神がそのみ子についてされた証明を信じないからである.その証明とは神が私たちに永遠の命を与えられたこと,その命がみ子にあることである.み子をもつ者は命を有し,み子をもたぬ者は命をもたぬ.

私が以上のことを神の子の名を信じるあなたたちに書いたのは,あなたたちに永遠の命があることを知らせるためであった.
私たちは(神の)み旨に従って願うことを神が必ず聞き入れたもうと確信している.そして,神がすべての願いを聞き入れたもうことを知るなら,また願ったことが受け入れられることもわかる.』

(罪の種類)
『自分の兄弟が死に至らぬ罪を犯しているのを見たなら,彼のために祈れ.そうすれば命が帰るだろう.
これは死に至らぬ罪を犯す人々のために言ったことである.死に至る罪がある.私はこれについて祈れとは言わぬ.すべての不義は罪である.しかし死に至らぬ罪がある.』

(悪魔に対して)
『神から生まれた人はすべて罪を犯さないと私たちは知っている.神から生まれたお方(キリスト)がその人を守られるから,悪者はその人に触れることができない.私たちが神から出た者であり,世がすべて悪者の配下にあることも私たちは知っている.また神のみ子がすでに来られ,真実のお方(神)を知るための知恵を私たちに授けられたことも知っている.
私たちはそのみ子イエズス・キリストによって真実のお方のうちにいる.それは真実の神であって,永遠の命である.小さな子らよ,偶像を警戒せよ.』

* * *

(6)第4,6パラグラフについての訳注:
・「神に栄光をもたらす」…原文 “give Him glory”, “to give glory to God.” の意味について.

「神に栄光を帰す」とも言われる.
〈神は万物の創造主であり,人間はその被造物である.〉
人間が神に服従し,神の正義と愛徳に適(かな)う生活をすることによって,天上の神の栄光を地上で示すことになるという意味.

① 神を愛し,
(天地の創造主,全能の父なる神に服従すること)

② 隣人を自分と同じように愛する
(隣人愛の実践)

2011年3月7日月曜日

難局を乗り切るための助言

エレイソン・コメンツ 第189回 (2011年2月26日)

先週の「エレイソン・コメンツ」で,あるワシントンのインサイダーがいかに現代世界が幻想の上に運営されているかを自慢していることについてキャサリン・オースティン・フィッツ “Catherine Austin Fitts” を引用して触れました.彼女自身,ワシントンのインサイダーで,ジョージ・ブッシュ(前大統領の父,米国第41代大統領)政権の住宅省次官補を務めていました.彼女は自分の実体験に基づいた話をしています.同じインタビューで彼女は他にもいくつかの興味深い発言をしています.とりわけ,今後の経済的見通しを心配し,自分の財産や生活の質を維持したいと望む平均的な米国民に対して彼女が与えうる助言について語っています.その内容は以下の通りです(「2月2日付『私たちは金融クーデターの犠牲者』www. 321 gold 」をご覧ください).(訳注・原文 - www.321gold.com, Feb 2, “We are victims of a Financial Coup d’Etat” ):--

「肝心なのはあなた自身の時間と注意です.中央集権に利害関係を持つ人々や組織に耳を傾けたり関わったりするのを止めるべきです.まずテレビを消すことから始めましょう.そして,あなたの預金,購入,献金の対象を信頼できる人々や企業に移しなさい.

諸経費を減らしましょう.自分の時間を使ってできるだけ多くの能力を伸ばし,より多くのことを自分自身で出来るようにしたり,周囲の人々と交換できるよう心がけるべきです.投資は貴金属を含む有形物を対象にしましょう.いわゆる「slow burn」(遅い昇進)を悩み自分を見失わないようにすることです.最後に,霊的な戦いをするために必要な知力,能力を高めましょう.金融腐敗はずっと奥が深く非常に浸食力の強い道徳的,文化的問題の兆候です.あなたの人生をあなたの愛する人や物事に役立つよう構築することです.

あなた自身の健康を守りなさい.食べ物,飲み水の供給は徐々に管理され汚染されています.地場産(じばさん)の新鮮な食品と飲料水を確保する対策を講ずることがあなたの健康にとって不可欠です.またあなたの体内の老廃物を取り除き免疫システムを強化するための方法について自分に出来ることから学んでいくことも大事です.環境汚染や電磁気汚染の増大は体力維持のための努力を必要としており,その度合いは十年前には考えられなかったほどです.」

困難が近づいていると感じている人にとって,とても役立つ助言となる一文をもう一つご紹介します.キャサリン・オースティン・フィッツと同じ考え方に立つラリー・ラボード “Larry Laborde” が書いた「英雄の出現を待つ」“Waiting for a Hero”(同じウェブサイトの1月17日付け)をご覧ください:--

「偉大な合衆国の平均的な市民は現段階で何をすべきでしょうか? 疾病(しっぺい)のような地方債 “municipal bonds” への投資を避けることです.それはまず最初に債務不履行(さいむふりこう)に陥(おちい)るでしょう.長期合衆国国債 “long term US bonds” も避けましょう.短期手形 “Short term US notes” (期間6か月以下)は現在のところ恐らくOKでしょうが,いつでも売れるようにしておくことです.あらゆる経費を切り詰め現金を残しましょう.身分相応以下の生活をすべきです.現金を蓄(たくわ)え,その現金は貴金属でヘッジしなさい(訳注後記).手持ちの現金は地元の信用組合か地元の株主保有の銀行に預けなさい.その金融機関の格付けをチェックして,あなたの地域で最も安全な機関に預金しているかどうか確認しましょう.クレジットカードは破り捨て使用するのは止めましょう.買い物の支払いは現金で済ませましょう.緊急時用に二か月分の現金を手元に置いておきましょう.貴金属に投資する場合は,全体の50パーセントを金に,残り50パーセントは銀にしましょう.なるべく天然の貴金属に投資しましょう.小口投資家にとって良い投資になるのは普通に毎日消費する保存可能な必需品を6か月分だけ購入するというやり方です.そういうものなら多分6か月で5から10パーセントくらいは値上がりするでしょう(利益率としては悪くありません).菜園を造るか地元の農家を支援しましょう(あるいはその両方をするのもよいことです).」

手短に言います.目を覚ましなさい! 読者のみなさん,目覚めるために,まずテレビを消すことから始めなさい.身分不相応な生活をせずに,資力を下回る範囲内で上手に豊かに暮らせるよう工夫(くふう)しなさい.現金を貯蓄し,地元で預金しかつ貴金属に投資しなさい.競争社会を少なくとも精神的に脱却し,心だけでもバーチャルな(=虚構の)世界から現実の生活へ戻しなさい.クレジットカードの使用は止めなさい.多少の食糧を買いだめしておきましょう.だがあなたがどんなものを飲食しているかいつも注意を払ってください.世界支配を求めて食品や飲み水を汚染している人類の諸々の敵に対し目を覚まして用心しなさい.それは,人類に対して仕掛(しか)けられている基本的に霊的な戦いの一環なのです(訳注後記).カトリック信徒のみなさん,あなたの信仰を臨戦体制下に置きましょう!

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *

第6パラグラフの訳注:

「ヘッジ」 “hedge” について.

ある特定通貨の為替取引に関する将来の為替変動リスクを避けるために,これと反対の取引行為を行ない,為替リスクを相殺しようとするもの.たとえば,直物市場でドルを購入した場合に,先物市場で円を買い予約していれば,将来の為替変動リスクは相殺されることになる.(「ブリタニカ国際大百科事典」参照)

* * *

最後のパラグラフの訳注:

・「人類の諸々の敵」“the enemies of mankind”
…「悪魔」や「悪霊」による,悪い欲から生じたあらゆる悪行を指す.

・「人類に対し仕掛けられている基本的に霊的な戦い」
“a war on mankind which is fundamentally spiritual”
…「霊の世界における,①諸々の悪の霊〈悪魔〉と,②真の神への信仰に基づく正しい良心(=神の霊(聖霊),真理の霊,正義の霊)との戦い」という意味合いがある.)


新約聖書〈バルバロ神父訳〉からの引用:

・新約聖書・使徒聖パウロによるエフェゾ人への手紙:第6章10-20節

『兄弟たちよ,主において力を受け,その力によって自分を強めよ.悪魔の企(くわだ)てに刃向かうために,神の武具をすべてつけよ.
私たちが戦うのは,*¹血肉ではなく,*²権勢と能力,この世のやみの支配者,天界の悪霊だからである.
*³神の武具をすべてつけよ.悪の日に抵抗し,すべてを果たしたのちなお立つためである.
では真理を帯にし,正義を胸当てにして立て.平和の福音への熱を足にはき,信仰の盾を取れ.それによって悪者の火矢をすべて消すことができるであろう.
さらに*⁴救いのかぶとと,神のみことばである聖霊の剣をも取れ
.
*⁵すべての祈りと願いをもって心のうちでいつも祈れ.絶えず目を覚まして,忍耐強くすべての聖徒のために祈れ.
*⁶また私のためにも祈れ,福音の奥義を恐れなく告げようとして話すとき,適当なことばが下されますように.私は福音の使者として鎖につながれている.私が語らねばならぬことを恐れなく語れるように祈れ.』

(注釈)

*¹「血肉」は人間の力のこと.

*²「権勢と能力」は悪霊のこと.

*³
①旧約聖書・イザヤ書:11章5節参照.
『…腰のひもは正義,腹の帯は忠実,…』(メシア〈キリスト〉の特徴の一つとしてしるされている.)
②同52章7節参照.
『喜びを告げる者,平和を知らせる者,よい便りを運び,救いを告げ,「神が支配する」と,シオンに言う者の足は,山の上でなんと美しいことか.』
③旧約聖書・知恵の書:5章18節参照.
『…神は正義を胸当てにし,正しいさばきをかぶととし,…』

*⁴イザヤ書59章17節参照.
『…彼(神)は正義を胸にあて,救いのかぶとを頭にかぶり,服のように仇討ちをまとい,がいとうのように,熱心で身を包まれた.…』(神はその民のために直接干渉される.)

*⁵新約聖書・使徒聖パウロによるコロサイ人への手紙:4章2-4節参照.
『警戒し,感謝しながら絶えず祈れ.特に私たちのためにも祈れ.神がキリストの奥義を告げるために,私たちに宣教の門を開かれるように.私はそのために鎖につながれている.私が話さねばならぬことばでキリストを宣言できるように祈れ.』

*⁶パウロは釈放されることを望まない.キリストのために鎖につけられることは光栄である.ただ使徒としての使命を果たす力をこい求める.

* * *

・新約聖書・ヘブライ人への手紙:第4章12,13節

『実に神のみことばは,生きているもの,行うものであり,両刃の剣(もろはのつるぎ)よりも鋭いものであって,魂と霊,関節と骨髄を切り分けて通り,心の思考と考えとを分けるほどのものである.
被造物のうち一つとして神のみ前に隠れられるものはないのであって,私たちがいつかさばきを受けねばならぬ神のみ前に,すべては明らかであり開かれている.』

2011年2月20日日曜日

信じ難い不遜

エレイソン・コメンツ 第188回 (2011年2月19日)

運命の予言者は自分の評判を取ろうとはしませんが,もし彼らが神の使者だとしたら,真実を告げなければなりません.現在,そのような使者は政治や経済に関わりを持つべきではないと考える人々もいます.だがもし,政治が宗教にとって代わり,人間を神の場に置くことで必然的に誤った宗教と化してしまっていると仮定すればどうでしょうか?そして経済(あるいは金融)がまさに多くの人々を飢えさせようとしているのだと仮定したならどうでしょうか?神の使者たちが,アリストテレスとともに,もし人々が基本的な生活必需品に事欠く状態でどうやって道徳に適(かな)った人生を送れるのか,と尋(たず)ねることは許されないことでしょうか?有徳な人生など彼ら神の使者と無関係なことでしょうか?

そういうわけで,ここで権威ある米ウォール・ストリート・ジャーナル紙の一記者の書いた注目すべき一節を引用したとしても私は間違っていないと思います.その記者は,ホワイト・ハウスの前主席報道官に批判的な記事を書いたことで,2006年夏,時のブッシュ大統領の上級顧問役から厳しく非難されたことについて語っています.記者は当時,その上級顧問役が自分に何を言おうとしているのか良く理解できなかったが,後になって,それがブッシュ大統領体制の核心に触れることだと分かった,と述べています.記者が引用した顧問役自身の言葉をここにご紹介します:--

その顧問は記者にこう言ったそうです.新聞記者のような人々は,「私たちが言う現実に基づいた社会の中にいるのです.その社会とは,つまりあなたのように,いかなる解決策も目に見える現実についての思慮分別ある学習から現れてくると信じる人たちのことですよ.」 顧問は,記者は昨日まで通じた現実の尊重という原則を忘れるべきだと言い,次のように付言したそうです.「世界はもはやそのような考え方では動いていないのです.私たちは今や一つの帝国であり,私たちが行動することで私たち固有の現実を創り出しているのです- あなたのなさるように思慮深く - そして私たちは再び行動し,別の新しい現実を創り出すのです.それをあなたたちも学習できるし,そうやって物事が解決していくのです.私たちは歴史の役者を演じているのです…そしてあなたは,あなた方はみな,私たちが演じる役をただ学習するだけにすぎないのですよ.」(キャサリン・フィッツの「2月2日付『私たちは金融クーデターの犠牲者』www. 321 gold をご覧ください.)(訳注・原文 “See www.321 gold, Feb 2, "We are Victims of a Financial Coup d'Etat", by Catherine Fitts”.)

現代世界がいかに幻想の上に動かされているかを道徳的に説いているこの話をしているのは私ではありません.話しているのは,ワシントンのインサイダー中のインサイダーです.彼はいかに現代世界が幻想の上に運営されているかを肯定的に誇っているのです.彼の言葉は,当時の政府のでっち上げ,例えば,9・11事件やサダム・フセインの「大量破壊兵器」などとまさに一致するのではないでしょうか.(それらのでっち上げは)政策を正当化するために「創り出した」ものであり,そうしなければ正当化は不可能だったのではないでしょうか?現実や現実を重んじる人々をこれほどまで軽んじるその傲慢(ごうまん)さは息を飲むばかりです.

古典ギリシャ人たちは顕現(けんげん)された神についての知識が何もない異教徒でしたが,神の世界の道徳的な骨組みたる現実が,彼らが見た通り,神々により統治されているとを明確に理解していました.どんな人間でも,たとえ英雄であろうと,そのような神の骨組みをこのブッシュの顧問のように否定する者はみな「傲慢」の罪を犯し,人間相応の身分を超えて頭を高くもたげていることになり,神々によりその罪に応じて粉々(こなごな)に粉砕(ふんさい)されるでしょう.

カトリック信徒のみなさん,もし神の恩寵が人間性を見捨てているとお考えなら,今日ますます必要とされている自然の様々な教訓について古代の異教徒たちから学び直すのが最良です.アイスキュロス作悲劇「ペルシャ人」に登場するクセルクセス( “Xerxes in Aeschylus' Persae” ),ソフォクレス作悲劇「アンティゴネ」に登場するクレオン( “Creon in Sophocles' Antigone” ),エウリピデス作悲劇「バッカスの信女」に登場するペンテウス( “Pentheus in Euripides' Bacchae” )に学びなさい(訳注後記).聖なるロザリオの祈りを確実に唱えるだけでなく,ほら,古典名作も読み,芋(いも)も植えて(=畑を耕〈たがや〉して),負債も支払うんですよ!

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *

(最後のパラグラフの訳注・「ギリシャ悲劇」について)

「クセルクセス」
・=クセルクセス一世.アケメネス朝ペルシア帝国の王(在位前486年-前465年).ダレイオス一世の子.前480年父の遺志を継いでギリシア遠征(ペルシア戦争)を行ったが,サラミスの海戦に敗れた.治世後半から側近の権力闘争が激化.謀殺された.

* * *

「クレオン」
・テーバイの王ライオスの妃イオカステの兄弟.オイディプスが追放された後、テーバイ王となる.
・(テーバイ)
〈=テーベ,“Thebae”.〉古代ギリシャの重要都市.現シベ.テーベ伝説上のオイディプス王の首都で,古代ギリシャ悲劇の舞台として知られる.
・(解説)
悲劇「アンティゴネ」の作者ソフォクレスは,神の法(自然法)と人間の法ではどちらがより重要かを,多神教を信仰するアテネ市民(=ギリシャ人)に問うた.ソフォクレスは神の法を選んだ.彼はギリシャ国中にまん延しつつあった道徳の破壊が国家没落の原因となり得ることを認識していたことからギリシャ国民の傲慢(=ギリシャ語でhubris )さを警告した.「アンティゴネ」では最終的にテーベ王となったクレオンの傲慢が露呈(ろてい)している.この悲劇の前編「オイディプス王」(前430年頃)では,オイディプス王の傲慢が詳述されている.

* * *

「ペンテウス」
・ギリシャ神話の人物.カドモスの娘アガウェがスパルトイの一人エキオンと結婚して生んだ子で,老齢のカドモスから譲位され,二代目のテーベ王になったが,ディオニュソス(=バッカス.ギリシャ神話の酒神,豊穣神)の信仰がテーベに広がるのを妨げようとして,従兄弟にあたるこの神を怒らせ,神罰によって八つ裂きにされて死んだ.このとき,彼の母や伯母たちが,信女たちの先頭に立って彼を害したという.

(ブリタニカ国際大百科事典,百科事典マイペディア他参照)

2010年9月5日日曜日

まん延する現実

エレイソン・コメンツ 第164回 (2010年9月4日)

「しかし司教閣下,あなたはどうして,三週間前あなたのご友人が自分の住む都市であなたにお見せしたような大都市の抱えるあらゆる社会問題に対する唯一の真の解決策は主なる神お一人のみだと言い切ることがおできになるのでしょうか(EC163)?神は政治や社会の諸問題とどういう関係があるのでしょうか?神は宗教や霊魂や精神の世界といった事柄だけに関わると私はいつも考えてきました!」

ああ,私の親愛なる友よ,神とはどなたでしょうか?神はただ私たち一人ひとりの霊魂を創造され,その霊魂を私たちの両親から生まれてくる身体と合体させるだけでなく,人類が存在し将来も存在し続けるため人類創造の業をたゆまず続けておられるのです.そういうわけで,神は私たちが自分自身に対する以上に私たち人類の一人ひとりと近しい関係にあられるのです.だからカトリック教会( “the Church” )は,私たちが隣人に対しておかすいかなる罪も,まず神に対する罪であると教えるのです.なぜなら神は,私たちが私たち自身の中にいるよりもずっと深くかつ親密に,私たちの中におられるからです.したがって,隣人を傷つける者は誰でも隣人以上に神を深く傷つけているのであり,また神に逆らうことのない者は誰でも隣人を傷つけることはしません.だとすれば,聖ピオ十世会の教区,学校で(EC163)神と神の十戒を第一に置くことを学んでいる教区民や子供たちは,大都市のあらゆる問題を,彼らの根源である隣人と隣人との間で解決することを学んでいることにならないでしょうか?

私の友人が住む大都市の社会問題を振り返ってみましょう.都心から離れた郊外の住民は大半が白人で,彼らは見かけだけの豪邸で収入にそぐわない身分不相応な暮らしをしています.彼らは金持ちのように見えたいと願っており,金持ちになるのを夢見ています.彼らは,物質主義とマンモンつまり富を崇拝しているのではないでしょうか?それとは逆に,聖ピオ十世会の教区では何を教えているでしょうか?「あなたは神とマンモンを同時に崇拝することはできません.どちらか一方だけです」(新約聖書・マテオによる福音書:第6章24節「人は二人の主人に仕えるわけにはいかぬ.一人を憎んでもう一人を愛するか,一人に従ってもう一人をうとんずるかである.神とマンモンとにともに仕えることはできぬ.」(注釈・マンモンとはカルダイ語で富のこと)).都心に近い場所では住民の多くが非白人で,彼らはほとんど自分たちの住居をなおざりにしたままで,都市計画者たちは明らかにお手上げの状態です.だが,住居を維持管理することで良い生活や霊魂の善良さを量ろうとするのは物質主義のある種の類似形態ということにならないでしょうか?俗にことわざで,きれい好きは敬神に近い,といいますが,聖ピオ十世会の教区民は何を学んでいるでしょうか? ― 「まず神の国とその正義を求めよ,そうすれば,それらのもの(訳注・飲食物や衣服等生活用品のこと)も加えて与えられる」(マテオ聖福音書:第6章33節).言い換えれば,まず敬神を求めなさい,そうすれば清潔は後からついてくる,ということです.

最後に,都心では産業の血流は失われつつあります.何故でしょうか?産業を金融に従属させ,より大きな利益を追求する中で米国の産業を外注に委ねてしまったのは資本主義そのものではないでしょうか?人間より金銭を優先させたことが,悪化一途の失業,都心部の過疎化,金融業者への全権委譲を引き起こしてしまったのではないでしょうか?彼ら金融業者はその権力を用いて,かつての誇り高き合衆国を彼らの世界警察国家の単なる屈辱的な一部分へと加速的に変容させているのです.

このような事がどうやって起きるのでしょうか?それは,白人たちが神に背を向け,(私の友人が暗にほのめかしたように) 彼らに委ねられた,世界を神の下に導くという神授の使命を放棄し(訳注後記),富を至高の現実として崇拝していることによって起きるのです.願わくば,私が訪れた都市の郊外にある聖ピオ十世会のささやかな教区と学校とによって,神の至上性,私たちの主イエズス・キリストの至上性がいつまでも行きわたらんことを!

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *

(最後のパラグラフの訳注)

「(白人たちに委ねられた)世界を神の下に導くという神授の使命」について

マテオ聖福音書・第28章18-20節
『(イエズスの御復活後)ガリラヤに行った十一人の弟子は,イエズスがご命令になった山に登り,イエズスに出会ってひれ伏した.しかし中には疑う人もあった.イエズスは,かれらに近づいて,おおせられた.
「私には,天と地との一切の権力が与えられている.だからあなたたちは諸国に弟子をつくりにいき(=諸国の民に教え),聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊とのみ名によって洗礼をさずけ,*私があなたたちに命じたことをすべて守るように教えよ.私は,世の終わりまで,常にあなたたちとともにいる」.』
(*注釈・キリスト紀元以後の歴史家が,すでに実現したと認めている尊い約束である.キリスト教会において生き,行い,勝利を得るのは,キリスト・イエズスである.)

マルコ聖福音書・第16章15-20節
『そして(イエズスは),「あなたたちは,全世界に行って,すべての人々に福音をのべ伝えよ.信じて洗礼をうける人は救われ,信じない人は亡(滅)ぼされる.信じる人々は,私の名によって悪魔をおい出し,新しいことばを話し,へびを握り,毒をのんでも害をうけず,病人に手をおいてなおすなどのしるしを見せるだろう」とお話しになった.
そう話しおえて,主イエズスは天にあげられ,神の右におすわりになった.弟子たちは,いたるところに福音をのべつたえに出発した.*主はかれらとともにはたらかれ,みことばを,それにともなう奇跡をもって,確認された.
(*注釈・使徒らが宣教する教えの真実性の証明は,彼らの学問や雄弁にあるのではなく,イエズスからの超自然的確認すなわち奇跡にある.)

「福音」についての福音書の一個所:
ヨハネ聖福音書・第3章1-21節
『さて,ファリザイ人の中に,ニコデモというユダヤ人の貴人がいた.この人は,ある夜イエズスのところにきて,「ラビ,私たちは,あなたこそ,天主からおいでになった先生だと知っています.天主がともにおいでにならないかぎり,あなたのなさっているような奇跡のできる人はないからです」といった.
イエズスが,「まことにまことに,私はいう.人は,上から(新たに)生まれないと,天主の国を見ることができない」とお答えになった.ニコデモは,「すでに年とっている人が,どうして生まれることができましょう.もう一度,母の胎内にはいって生まれることができるのですか?」といった.イエズスは,「まことにまことに,私はいう.水と霊とによって(=超自然の生活に生まれるために受ける必要がある「洗礼」を指す)生まれない人は,天の一国(=神の国)には,はいれない.肉から生まれた人は肉で,霊から生まれた人は霊である.上から生まれなければならないといってもおどろいてはいけない.*¹風は自分の思いのままに吹いているが,あなたはその声をきいても風がどこから来てどこへ行くかを知るまい.霊から生まれた人もそれと同じである」とおおせられた.そこでニコデモが,「どうしてそんなことができるのですか?」ときくと,イエズスはお答えになった.「あなたは,イスラエルの教師でありながら,そんなことを知らないのか.まことにまことに,私はいう.私たちは知っていることを話し,見たことを証明しているのに,あなたたちは私たちの証明をうけいれない.私が,地上のことを話してあなたたちが信じなかったのなら,天のことを話して信じるだろうか.
天から下った人(=天にまします人の子)のほか,天に昇ったものはない,それが人の子(=キリスト)である.*²モイゼが荒れ野で蛇を上げたように,人の子もあげられなければならない.それは,信じるすべての人が,かれによって永遠の命をえるためである.
天主はおん独子(キリスト)をお与えになるほど,この世を愛された.それは,かれを信じる人々がみな亡びることなく,永遠の命をうけるためである.天主がみ子を世におくられたのは,世をさばくためではなくて,それによって世を救うためである.み子を信じる人は裁かれないが,信じない人は,天主の*³おん独り子の名を信じなかったがために,すでに裁かれている.その審判というのは,次のようなことである.光(=天主なるキリスト)は世に来たが,人々は,その悪いおこないのために,光よりも闇を好んだ.悪をおこなう人は,光を憎み,そのおこないがあらわれることをおそれて光の方に来ないが,*⁴真理をおこなう人は,天主によってそのことがおこなわれていることをあらわすために,光のほうに来る」.』

(注釈)
*¹霊的な事柄は,風のように,人間の目で見ることのできないものである.しかし風が確かに存在していると同様に,天主の現される奥義も確かに存在する.

*²荒野の書21・4-9.ヘブライ人はモイゼがたてさせた青銅のへびを見て救われた〈上げられたへびを仰いだ者は死ななかった.〉同様に,十字架に上げられるイエズスによって,人に救いがもたらされた.

*³セム風の言い方で,「名」とはその人のことである.

*⁴光を捨てるのは,真理の要求を生活に生かそうとしないからである.真理を行う人は,恐れなく光に近寄る.

* * *
(イエズス・キリストの福音によって証された神の正義と神の愛は,イエズスの弟子(使徒)たちによりまず当時のユダヤ・パレスチナ地方を支配していたローマ帝国から入って全西洋世界へと宣べ伝えられた.そこから東洋世界やアフリカ大陸等の諸国の民への宣教は,西洋人(白人)たちに委ねられた神授の使命であったはずである.)

2010年8月30日月曜日

まん延する非現実性

エレイソン・コメンツ 第163回 (2010年8月28日)

先週、私は2008年以来初めて私的目的でアメリカを訪れました.私は,問題なく出入国できましたが,友人の誘いで最近のアメリカ経済の低迷により荒廃した主要都市のひとつを2時間かけて周るツアーに出かけたとき,圧倒されるような難問をいくつか目の当たりにしました:--

私たちは車でその都市に向う途中,郊外の小ぎれいな住宅街を通過しました.以下は友人の話です.「いかにも値の張りそうな高級住宅に見えるでしょう?でも実際は,どれも安普請の家ばかりです.似たり寄ったりの家ばかりで,実際の価値をはるかに上回る価格で売り出されたものです.こうした住宅は,クリントン大統領時代(1992年-2000年)の物質主義,膨張したクレジット,過度の浪費の上に築かれた偽の楽園で給料ぎりぎりの生活をしながらも夢を見ていた人たちが,どこからともなく調達したお金で購入したものです.彼らは失職すると,いま実際多くの人がそうなっていますが,買った家の価格の半分でも取り戻せれば幸運なほうです.こうした人たちは実際に役立つ能力も商売も持ち合わせていません.彼らの住む世界は口先滑らかな無意味なたわごとしか存在しない世界なのです・・・」

「彼らの多くは,私たちが今到着したこの場所,すなわち都心に近い住宅地から逃げ出した白人たちです.ご覧の通り,板で打ち付けられたり,放棄されたり,荒廃した家々の間に取り壊された家の後にできた空き地があり,あたかも繁栄を錯覚させるようです.しかし,失われた雇用は回復しませんから,繁栄に復帰する現実的な基盤は何もないのです.ご覧になっている小ぎれいな家並みは,財政破綻した市が住宅計画に従って連邦政府から借り入れた資金で修繕あるいは再築したものです.それがなされる理由は,小ぎれいにしておけばあまり手入れの必要がないからですが,それでもこうした家はじきに再び老朽化するでしょう.政府助成の中には,対象となる人々にとり害あって益なしというものがあります.人々を支援するかのように思われて実は助成に依存しなければ生きていけない状況に彼らを追い込むからです・・・」

「いよいよ私たちは下町に入ってきました.ご覧の通り立派な高層ビルがいくつも並んでいますが,人通りはほとんど途絶えています.これらの高層ビル街は,この都市がかつて巨大な産業中心地だった1920年代に建てられたものです.第二次世界大戦後,アメリカ合衆国は産業界での優位な地位を失い始めました.私が見るところ,レーガン大統領時代(1980年-1988年)の頃,一般市民がクレジットカードを使えるようになったことによる誤った景気刺激策が始まりました.1990年代には,この都市で非白人の市長が選出され,彼は景気回復に全力で取り組みました.この立派なビル街のいくつかのビルは彼の業績で建てられたものです.しかし彼は落選してしまいました.その理由は彼が有権者たちとは異質だったからです・・・」

「経済は危機一髪の状態ですが,人々は一年もすれば万事がうまく解決し良くなると思っています.彼らは,政府がもっと多くの紙幣を印刷するかデジタル化しさえすればうまく行くと考えています.国の事態がいかに深刻で重大な局面に陥っているかを理解している人々は5パーセントかそれ以下で,自国の破綻の局面で宗教が何らかの役割を果たすと考える人々は1パーセント以下です.人々は問題の根本的あるいは現実的な解決方法ではなく,ただ応急処置としてのバンドエイドを探し求めるだけです.白人は大きな後ろめたさを感じており,そのことを認めないまま没落しています.巨大な問題が存在しており,誰もが気づきかつ承知しているのに誰一人そのことを語ろうとしません・・・」

それでも,この都市から50マイルの範囲内では聖ピオ十世会の教区と学校とが,その荒廃から立ち直る一つの解決策を具現するように力強く育っています.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教