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2013年2月11日月曜日

291 四回目の裁判 2/9

エレイソン・コメンツ 第291回 (2013年2月9日)

1月16日,南ドイツのレーゲンスブルグ地方裁判所で開かれた私の「ホロコースト否定」に関する最新の公判について,一読者から質問が寄せられました.エレイソン・コメンツの読者の皆さんはご記憶のこととおもいますが,私が罪に問われたのは2008年11月1日,私がスウェーデンのテレビ局でスウェーデン人記者のインタビューに応じて話した内容が始まりでした.インタビューは聖ピオ十世会のドイツ神学校内にある聖具保管室(=香部屋〈こうべや〉)で行われ,私と同記者以外だれも同席者はいませんでした.ただ,インタビューはドイツ国内で行われました.私はインタビューで,第二次世界大戦中のヒトラー支配下で「600万人のユダヤ人」が死んだとは信じていないこと,「ガス室」で死んだユダヤ人は一人もいないと考えていることを話しましたが,このことも読者の皆さんはご記憶のことでしょう.

私はこの信念を「ホロコースト否定」を法律で罰するドイツで述べたことで,2010年レーゲンスブルグ地方裁判所で裁判にかけられて有罪判決を受け,1万ユーロの罰金の支払いを命じられました.私は控訴しました.2011年同裁判所は再び私に有罪判決を下しましたが,罰金は6500ユーロに減額されました.私が再び訴えた(上訴)ため,裁判はより上級の(=上級審・上級裁判所である),ニュルンベルグの州裁判所へ持ち込まれました.同裁判所は外圧の影響を受ける度合いが少ないと聞かされていました.三名の判事は手続き上の理由で検察側の訴追を却下する判決を下し,ババリア(=バイエルン)州政府に対し公判費用の支払いを命じました.だが,同裁判所は州政府が手続き上の誤りを修正し,訴訟をやり直すことは可能との判断を示しました.

ところで,いわゆる「ホロコースト」なるものが新世界秩序における世俗的な宗教(そこではアウシュビッツがカルワリオの丘に,ガス室が私たちの主イエズス・キリストの十字架にとって代わり,600万人が救世主の代役を果たしています) のために役立つことはないでしょう. 第二次世界大戦後のドイツ人は第三帝国が犯したとされる罪のため何度も胸をたたいて悲しみを表わさない限り自尊心を持てないと考えているのではないかと私には思えます. だから,彼らは「ホロコースト否定」を復讐心(ふくしゅうしん)に燃えて追及するのでしょう.そして1月16日,私はレーゲンスブルグの女性判事の前で三回目の訴追を受けました.

今回は二人のドイツ人弁護士が懸命に私を弁護してくれました.だが,彼らの努力は無駄におわり,私は再び有罪判決を受けました.ただし,女性判事は有罪に付される烙印(らくいん)( "the stigma" )を軽減してくれました.彼女は私が失職状態にあることに同情してか,罰金を1,600ユーロに減額しました.疑いなく,私が大幅に減額された罰金を支払えば,ババリア州政府は喜んで裁判を終わりにしたいところなのでしょう.聖ピオ十世会の心穏(おだ)やかで気高(けだか)い一人のかつてからの同僚(どうりょう)が私に代わって罰金の支払いを全額自分に肩代わりさせてほしいと心から申し出てくれました.だが,この裁判の争点は金銭以上のものなのです.偉大なる国家,真の宗教,神の世界秩序 ( "A great nation, the true religion and God’s World Order" ) などすべてがかかわっているのです.

ラテン人はかつて「真実は絶対的であり勝利する」と言いました.裏を返せば,諸々の偽(いつわ)りに根差(ねざ)す国家,宗教,世界秩序は脆弱(ぜいじゃく)で,究極的には崩れ落ちるということでしょう ( " “Truth is mighty and will prevail”, said the Latins. So any nation, religion or World Order resting on untruths is fragile and will crumble in the end." ). 私にとって真実とは,私の心が現実と合致(がっち)することです.国家の自尊心願望,宗教が感じるニーズ,無神の世界秩序の要求といったものと合致することではありません ( "Now truth lies in the matching of my mind to reality, and not to cravings for national self-respect, nor to felt needs of religion, nor to the demands of any godless World Order." ). 歴史的な真実は証拠を伴(ともな)うものです.その最たる例は,過去にさかのぼる物理的遺品でしょう.そうしたものは,人間の感情とは全く別箇(べっこ)のものだからです ( "And historical truth goes by evidence, the most reliable kind of which is the material relics of the past, because these are in principle quite independent of human emotions." ). 私たちの主イエズス・キリストは「このために我は生まれたり,このために我はこの世に来たり.我はこれをもって真実の証(あか)しとなす」と言われました(新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第18章37節)(訳注後記).このお言葉のなんと穏(おだ)やかなことでしょう ( " “For this was I born, and for this I came into the world; that I should give testimony to the truth,” says Our Lord (Jn. XVIII, 37). What tranquillity in the divine words ! " )!

私は同僚の申し出を鄭重(=丁重)にお断りしました.私は再び控訴しました.

キリエ・エレイソン.

リチャード・ウィリアムソン司教


* * *
訳注を追記いたします.
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2012年3月4日日曜日

242 朗報 (3/3)

エレイソン・コメンツ 第242回 (2012年3月3日)

読者全員でないにしても多くの方々が先週ドイツから届いた朗報をもう耳にされていることでしょう.先週の灰の水曜日( “Ash Wednesday”, 22日),ニュルンベルグの低地バイエルン控訴裁判所 (= -控訴審.“the Appeals Court of Lower Bavaria in Nuremberg” が「人種的扇動」のかどで昨年7月11日にレーゲンスブルグ地方裁判所が私に下した有罪判決を破棄(はき)しました “…quashed the Regensburg Regional Court’s condemnation of me on 11 July of last year for “racial incitement”.” .私は2008年11月,ドイツ国内で行われたスウェーデンのテレビ局によるインタビューで,特定の歴史的な出来事につき一般的な見解と異なる政治的に正しくない見解を述べたいう理由で糾弾(きゅうだん)されましたが,今回,当控訴裁判所は原判決破棄の判決を下した上でバイエルン州政府に対しこれまでの私の裁判費用を支払うよう命じました.同控訴裁判所の判事が採(と)りいれざるを得ない主張を展開して下さった私の弁護人エドガー・ヴァイラー教授 “my defence lawyer, Prof. Dr. Edgar Weiler” ,私を同教授に紹介して下さったシュミットベルガー(独語読み.仏語「シュミッドベルゲール」英語「シュミッドバーガー」)神父 “Fr. Schmidberger” (しゅみっとべるがー〈しゅみっどべるげーる・しゅみっどばーがー〉しんぷ) ,そして同教授を承認して下さったフェレー(仏語読み.英語は「フェレィ」)司教 “Bishop Fellay”(ふぇれー〈ふぇれぃ〉 しきょう) に全幅(ぜんぷく)の敬意を表します.

しかし,控訴審判事たち( “the Appeal judges”.3人)が手続き上の理由を根拠に “on procedural grounds” その判決を下(くだ)した限りでは,私はまだ無罪かつ潔白(けっぱく)というわけではありません.判事たちの下した結論は次の通りです : 「起訴状が被告人の行状(ぎょうじょう)を罰しないと述べ(今までのところ),被告人を刑に処(しょ)することが妥当と思われるような具体的状況を空白のまま保留している場合,その起訴状は当該事件の内的および外的事実を明記しておらず,上に列挙する被告人を公判に付すための当該行為の違法有責性を定義づける機能を果たしていない.(よって)本件請求を棄却する.」 (訳注後記)

したがって,理論的にはレーゲンスブルグ検察庁 “the Regensburg Prosecutor’s office” はその手続を修正した上で再度訴追手続(そついてつづき) “the prosecution” をやり直すことができます.だが実際には,当局はおそらくそうすることをためらうでしょう.というのは,控訴審判事たちは検察当局に対し,私の一連の発言を知るに至ったのが正確には誰なのか,彼らがどのような手段でその発言を知るに至ったのか,その発言がいかにドイツ国内の平和を乱すことになったのか,そして最後に私が自分の発言がドイツ国内で知られることにどのように同意したのかについて,それぞれ明確にするよう求めているからです.

現在検察当局にとって,この1カ月間,全世界のメディアが行った(主として教皇ベネディクト16世に無理やりカトリック教伝統派 “Catholic Tradition” から距離を置くようにさせる目的の)もろもろの論評(ろんぴょう)が,ドイツはもとより,世界中に打撃を与えたことを示すのは容易かもしれませんが,ドイツ国内の平和が乱されたことを証明するのはそう簡単なことではないでしょう.それに私自身がインタビュー(ユーチューブでアクセス可能)の終わりの部分で自分の発言がドイツ国内で公表されることを望まないとはっきり述べている以上,検察当局にとって私がそれを望んだと証明するのはきわめて難しいでしょう.したがって,検察側が私に対する訴追を続けるかどうかは神の御手のうちに置かれています.

ところで,親愛なる読者のみなさま,私がドイツでの裁判により過度に大きな苦痛を受けたとは思わないでください.私は裁判進行中の3年間,聖ピオ十世会内に居(い)ながらにして(訳注・聖ピオ十世会の所属にとどまり続けたままで)同会から追放されたこと( “three-year exile within the SSPX” )をあまりの悲劇(訳注・悲惨. “too tragically” )と受け止めましたが,それ以上の苦痛は感じませんでした.その追放もどちらかと言えば心地よいものでした.そして,(訳注・今日まで数回にわたって続いた)この裁判もすくなくとも当面は終わったわけです.私のためにこの3年のあいだ祈ってくださったみなさまに感謝します.私は祈ってくださった読者の多くの方々を知っています.その一人ひとりに感謝しています.私はみなさまのお気持ちに応(こた)えようとこの1月にミサ聖祭のノベナ(訳注・9日間のミサ聖祭)を神に捧げました( “I celebrated in January a novena of Masses for your intentions.” ).なぜならこれから先,裁判よりはるかに大きないくつもの試練が私たちすべてを待ちかまえているに違いないからです.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *

第2パラグラフの訳注:
「手続き上の理由を根拠に…」 “on procedural grounds” の意味について:

(1)
控訴審(裁判所)の下した結論の英語原文:
“…conclusion : “If an indictment describes behaviour of the accused not punishable (as yet), and leaves open what concrete circumstances supposedly render him liable to punishment, then by not listing the inner and outer facts of the case the indictment is failing in its function, laid out above, of defining the action for which the accused is being put on trial. Case dismissed.”” .

(2)
「内的事実」 “the inner fact” =「主観的(構成要件的)事実」(法律用語〈刑法〉).
当該行為時において行為者〈=被告人〉に「故意」または「過失」があったかどうか→「有責性」の有無〈=行為が違法とされた場合その責任を被告人に問えるかどうか〉を裁判所が判断する材料となる「(行為当時に行為者が持っていた)主観的認識」を指す.

(3)
「外的事実」 “the outer fact” =「客観的(構成要件的)事実」.
当該行為が刑法で定められた「犯罪(の)構成要件」に該当するものかどうか→問題とされている行為に法律上の「違法性」が認められるかどうかを裁判所が判断する材料となる「客観的事実」を指す.

(4)
(参考説明)(ふつうの言葉で説明します)

I.「犯罪」の意味(日本の場合):

→「ある国の国民が刑罰(つまり害悪)を使ってまで守ろうとする法的利益(法益)を侵害する行為(有害な行為)」

→大きく①「国家的・社会的法益に対する罪」,②「個人的法益に対する罪」に分けられる.

→有害な行為は「作為(積極的な行動)」による場合と「不作為(怠慢)」による場合の双方を含む.

→法律(刑法)上の定義:犯罪とは①「(刑法に定められた,犯罪)構成要件に該当する」→②「違法」→③「有責」な「行為」.

II. 国家権力(公権力)による刑事司法と基本的人権について:

日本のような自由主義国においては,人権保障の観点から,犯罪防止としての刑罰は,できるだけ,他のより害悪の少ない手段(たとえば,①社会政策,②倫理,③道徳など)にとってかえられるべきで,公権力による人権侵害の度合いを最小限にとどめる努力が払われなければならない.(重い刑罰は,刑事訴訟手続上の冤罪〈えんざい〉事件など,無実の人を罪に陥(おとしい)れてしまうような重大な人権侵害の危険が常にある).

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