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2016年9月3日土曜日

477 マリアの栄光 9/3

エレイソン・コメンツ 第477回 (2016年9月3日) 

マリアがお求めになる栄光は,
 すべてがご自身の(真の神と人なる)御独り子のためです.
彼女はご自身のための栄光など一切お求めになりません.
All glory Mary seeks is for her Son.
For her own self she seeks no glory, none. 

(地上における真の神の民である私たちの(カトリック教=公教)国家(以下,「カトリック国家」のように記す.「"天地の普遍の摂理・真理たる公教" に基づく国家」の意味合いである.)(訳注後記・2・1)私たち真の神の民のカトリック教徒全国民の御母・天地の元后(=后〈きさき〉・女王)( "Our Lady" )なる聖マリア(訳注後記・2・2 )の被昇天祭(8月15日)( "Catholic Feasts of Our Lady's Assumption into Heaven (August 15) " )と生誕祭(9月8日)というカトリック教の二つの祝祭日の間の期間は,カトリック教徒たちの天の元后(てんの げんこう)(聖マリア)( "Our Lady" )に対する献身(=深い愛情・忠誠・信心・帰依)をめぐりプロテスタント(新教徒)が唱える大きな異議について考えてみる良い機会かもしれません.新教徒は聖マリアに向けられる注目,敬意,祈祷のあまりにも多くが私たちの主キリストから奪い去られている - 主のみが私たちの救世主( "our Redeemer" )であり,したがって私たちの献身,崇拝 "worship"(訳注・正確には「崇拝」ではなく「崇敬」"adoration", "veneration" の心を聖マリアに向ける.この用語は,神キリストに対してのみ用いられる「崇拝」"worship" と同義語ではない),祈祷のすべては私たちの主キリストだけに向けられるべきだ,との考えからカトリック教徒たちに異議を向けます.だが,以下の引用を読めば,それが私たちの主キリスト御自身の言葉だけに,そうした異議の多くを異なる視点から見ることができるでしょう。
Between the Catholic Feasts of Our Lady's Assumption into Heaven (August 15) and Our Lady's Birthday (September 8), it may be a good moment to reflect upon a major Protestant objection to the devotion of Catholics to Our Lady, namely, all attention, honour and prayer directed towards Our Lady is so much taken away from Our Lord – he alone is our Redeemer, so to him alone should all our devotion, worship and prayer be directed. The following quotation, coming as from Our Lord himself, puts many such objections in a different perspective :–

(以下引用)

人間の眼は太陽を直視できないが,月を見つめるのは少しも難しいことではない.人間の心眼は神の完全さを直視できないが,マリアの完全さを見ることができる.マリアは太陽との関係では月のようなものである.マリアは太陽の光によって輝き,彼女はその光をあなたたちにそそぐ.だが,マリアはその光を一種の霊的な霧で和らげ,それによって,あなたたちが自らの限られた性質を直視することに耐えられるようにする.何世紀もの間,私が兄弟,正確には私と同じくマリアの子供たちのようになりたいと願うあなたたちすべてのために,マリアをモデルとして際立たせたのは,その理由による.
The human eye cannot stare at the sun, whereas it has no difficulty in gazing upon the moon. The spiritual eye of the human soul cannot behold the perfection of God as it is in itself, but it can look upon the perfection of Mary. Mary is like the moon with regard to the sun. By its light she is lit up, and that light is what she reflects upon yourselves, but she softens that light in a kind of spiritual mist by which it becomes bearable to behold for your limited nature. That is why for centuries it is her that I have been putting forward as a model for all of you that I wish to have as brothers, precisely as children of Mary, like myself. 

マリアは万物の救世主の御母(=神の御母)the Motherである(訳注・古今東西の真の母の根源).子供たちが母を見つめるのはなんと素晴らしいことか! 私があなたたちに彼女を与えたのはそのためである.あなたたちが眺める対象としての優しい威厳者を持ち,その者があなたたちの注視を引き寄せるほど素晴らしく素敵でありながら,あなたたちの目を眩ますほど輝かないようにするためだ.あなたたちが反対できない特別の理由に基づき私が選び出した人々のためにだけ,私は神また人なり(God-Man),絶対知能,完全なる者の輝きの中に私自身を顕示した.だが,その光景に浴するという贈り物には,生身の人々がそれに打ちひしがれることなく,そのような私への知識を持ち続けることができるようにするための別の贈り物を添えなければならなかった. 
She is the Mother. How sweet it is for children to look upon their mother ! I gave her to you for that reason, so that you would have a gentle Majesty to behold, splendid enough to seize and to hold your gaze but not so brilliant as to dazzle your sight. Only to souls chosen out by me for special reasons which you cannot contest have I shown myself in all the brilliance of the God-Man, absolute Intelligence and Perfection. However, the gift of that vision had to be accompanied by another gift to make living souls capable of enduring such knowledge of me without being annihilated by it.

あなたたちは皆,マリアを見つめることができる.それは,マリアがあなたたちと同じような存在だからではない.彼女は決してそのようなものではない! 彼女の純粋無垢さが彼女を高めているからこそ,彼女の御独り子で彼女の神である私は彼女を尊敬の念をもって処遇するのである.マリアの完成はあまりにも偉大であるため,あらゆる楽園は変わらぬ不変の微笑(ほほえみ)と私たちの三位一体の永遠(=とこしえ)の輝きに浴する彼女の王座の前に跪(ひざまず)く.だが,マリアを神の創造された他のいかなる被造物よりも広め,染み込ませるこの輝きは,彼女がそれを通して星のように光り,神のすべての光を集め,それをあらゆる被造物の上にゆきわたる優しい照明のように広める穢(汚・けが)れのないみ身体を包むきわめて純粋なベールによって和らげられる. Whereas all of you can look upon Mary. Not because she is like you, far from it ! Her purity raises her so high that I, her Son and her God, treat her with veneration. Her perfection is so great that all Paradise bows before her throne which bathes in the unchanging smile and everlasting brilliance of Our Threeness. But this brilliance which permeates and imbues her more than it does any other creature of God is tempered by the purest veils of her stainless flesh through which she shines like a star, gathering together all of God's light and spreading it around like a gentle illumination upon all his creatures.

そして,マリアは永遠にあなたがたの真の御母 "Mother" となられる.そして,彼女は神の御母(訳注後記・6・1) の持つあらゆる形の優しさをそなえ,あなたたちのために弁解 "excuses" をし,取りなし "interceding",あなたたちを辛抱強く導き続ける.マリアの喜びは彼女が自分を愛する者に「私の御独り子を愛しなさい」と言えるとき高まる.私の喜びは,私を愛する者に「私の御母を愛しなさい」と言えるときに高まる.そして,私たち二人の最大の喜びは,私の足元にいる者が私を離れて私の御母へ向かうのと,私の御母の腕に抱かれたあなたたちの一人が私の御母を離れ私に向かうのを見るという二重の喜びを私たちが得たときである.なぜなら,御母は自分に夢中になった者たちを一人でも多く御独り子に与えることができるときに喜びに満ちるからだ.そして,御独り子は一人でも多くの者が御母を愛するのを見るときに嬉しいからだ.私たち二人の喜びについていえば,私たちのいずれも相手に打ち勝つことは求めない.互いの喜びが相手の喜びの中で完全だから. 
And then she is for ever your Mother. And she has all forms of the Mother's kindness, making excuses and interceding for you and patiently leading you on. Great is Mary's joy when she can say to a soul that loves her, “Love my Son.” Great is my own joy when I can say to a soul that loves me, “Love my Mother.” And greatest of all is our double joy when we see either a soul at my feet leaving me to go to my Mother, or one of you held in my Mother's arms leaving her to come to me. Because the Mother is jubilant when she can give to her Son more souls enamoured of her, and the Son is jubilant when he sees more souls loving his Mother. For when it comes to our glory neither of us seeks to overcome, the glory of each of us being complete in the glory of the other.

だから,私はあなたたちに「私の子供よ,マリアを愛しなさい.私はマリアをあなたたちに与える.彼女はあなたたちを愛し,優しい微笑そのもので,あなたたちの存在を照らし出すだろう」と伝える. That is why I say to you, “My child, love Mary. I give her to you. She loves you, and with nothing but the gentleness of her smile she will light up your existence.” 

 (引用終わり)  

もしカトリック信徒たちが,神の御母聖マリアの光が自分たちを通して光るようにするすべを知ったなら,真に敬虔な新教徒が望むように,無数の人々を彼女の御独り子と真の神へ引き寄せることになるでしょう.
If Catholics knew how to let her light shine through them, they would draw numberless souls towards her Son and towards God, as truly devout Protestants can only wish.       Kyrie eleison.

キリエ・エレイソン.

リチャード・ウィリアムソン司教



* * *



訳注・2・1 「カトリック」とは:

・「天地において普遍の,公〈おおやけ〉の,という意味である.天地の永遠不変の摂理=真理を意味し, ・人間の始めた「宗教」とは全く異なる.


訳注・2・2 「聖マリアの被昇天」について:

☆聖マリアは,真の神によって天に上げられ,天と地の女王(=后)の称号を与えられた( "Holy Queen" ,Reine,Reina,Rainha,…などの尊称).

・「人類史上,最初にして唯一の」という意味で「天の元后・全地の后の中の后」と呼ばれる.

・カトリック国において,聖マリアは,国民の母,また国民の女王であられる(上述のように,Our Lady, Notre Dame, … 等と尊称で呼ばれる). その他諸々のカトリック国における言語で,同様の尊称で呼ばれる.

・「聖霊なる真の神」と「神の被造物である人間マリア」の「御独り子なるイエズス・キリスト(=唯一の救世主 Christ・メシアー Messiah)」,すなわち『神の子であり人(=聖マリア)の子でもあられる救世主(・キリスト・メシアー)たるイエズス』と共に,

・聖マリアは,贖いの犠牲(生け贄〈あがないの いけにえ〉)となられた.(福音書やロザリオ・苦しみの玄義「主の奉献→シメオンの預言」参照)

☆「聖マリアの初子(イエズス)は多くの逆らいの印となり(イエズス(=キリスト・救世主)の至聖なる聖心〈みこころ〉),マリア自身も心を剣で貫かれるだろう(至聖なるマリアの汚〈けが〉れなき御心.」との預言を受けた.

☆救世主(キリスト)イエズスの受難・(十字架上の)死・復活は,唯一度限りの真の神の救世の御業である.

・救世主(キリスト)は天に昇られ,天の御父なる真の神の右に座し,天地の王となって君臨され,終りの日に世を裁かれる.

・信仰によってこの事実を受け入れる者は誰でも救霊の恩寵を得る. 全知全能の神は,誰が救われ誰が救われないかあらかじめ御存じである. 神は,「救おうと思う者を救い,頑(かたく)なにしようと思う者を頑なにし(救霊から遠ざけられる)…(聖書より)=創造主たる真の神の権威により,神は何事も為す自由をお持ちである.」

↑したがって,人間は,常日頃から,真の創造主たる唯一の神を畏れ畏み(おそれ かしこみ),へりくだって(=謙遜に),全知全能の神の御目の御前で,自分の人生を全(まっとう)しなければ),最期には塵(ちり)(=土・地上)に帰って永遠に「原罪による死」のうちに滅亡する.

神の御母聖マリアの敬称: …
日本語: (天主〈=聖父と聖子と聖霊との真の三位一体の神〉の御独り子の御母・天地の元后(〈げんこう=女王〉),(私たちの天の御母・御母の御母・地の諸々の女王の女王)

英語: Our Lady(私たちの〈天と地の元后=后の后・元(はじめ)の女王・地上の諸々の母の母),

(仏〈蘭西〉語〈フランス語〉):Notre Dame,(上に同じ),「王たる救世主(キリスト)の御母なるお后(きさき)さまで,私たち一人ひとりの人間の御母」

(西班牙〈スペイン〉語)Nuestra Señora,(上に同じ)

(葡萄牙〈ポルトガル〉語)Nossa Senhora,(上に同じ)

(伊太利〈イタリア〉語)Nostra Signora-Madonna,(上に同じ)

Lady, Dame, Signora などは,お后(きさき)に対する敬称.「我々の」の語(複数形)が先につく.

・「元后」の意味…

①「元」最初の・元(はじめ)の.「后」(きさき).②諸々の女王の女王.

・最初の女エワと最初の男アダムは原罪を犯し,以来,全ての子孫 (=全人類)及び全被造物は「原罪」に伏す運命に定められた.

・聖マリアは,母の胎内に宿った時から,神の聖霊に満たされ(聖霊の恩寵に充ち満ちた所に罪の入り込む余地は全く無い),聖霊によって神の御独り子を懐胎されたので「無原罪の御宿りImmaculate Conception」と呼ばれる(この事は真の神がその預言者を通じて,旧約時代から数千年にもわたって御計画されて来たことの成就で ,カトリック教会の信仰箇条である.),古くからの真の神の預言通り,救世主(キリスト)をお生みになり,神の御母となられた.

・「真の信仰」無しには,人類は「真の永遠に生きる命」を失う.

・また,全被造物は創造主なる神により人類が原罪の呪いから救われ,「原罪の呪い」の支払う報酬たる「死」から解放され,「永遠に生きる命」を授かる時の到来を,忍耐強く待望している.

②信仰により,聖ヨアキム(父)と聖アンナ(母)より生れ,神の恩寵に充ち満ち溢れた聖マリアは,神に遣わされた「大天使ガブリエル」のお告げを信じ「仰せの如く我に成(為)れかし」とお答えになり,神の御意志を全くその身に受け入れた.

・聖マリアは,聖霊に満たされ,聖霊により神の御子を胎内に宿され,神の御母となられた.

・聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊の三位一体の唯一の神の,御独り子なる神の御母・唯一の救世主の御母となられた聖マリアは,神に天に上げられ,天地の元后(〈=女王〉諸々のうちの至高の后)の地位を受けられた.

・御子は救世主(キリスト・Messiah )であられ,イエズス・キリストと呼ばれ,真の神の救世の御業(受難・死・復活)を果たされ,天地の王となられた(=諸王の王).

・昔,あらゆる信仰による諸国とその元首は,真の神の御意志によって建てられ,各々の元首は信仰により真の神に服従した.(たとえば,ハンガリー建国当初の憲法・第一箇条には現実に,「この国の元首は聖母マリアである」と規定された.

・全地の唯一の真の支配者たる神の権威によって建てられた国々の最高権威者は,唯一の真の神の恩寵に満たされて神の御母となられた,唯一人の人間(諸々の人間の中の人間=古今東西の諸々の人間の中の人間で救世主をお生みになった),「天地の元后(=天地の女王)」なる「聖マリア」であった.

・真の信仰を持つ全ての人間にとって,唯一の真の神の御母なる聖マリアは,天地の女王であられ(=人類の中で唯一,御独り子なる神をお生みになったことで,三位一体の真の神の唯一の肉親となられた方).

・聖マリアが「無原罪の御宿り」であるのは,罪深い原罪のうちに滅ぶばかりの全世界の永遠の救世を望まれた全知全能の真の神が,超自然の奇蹟によって世に下された恩寵による.

・そして,この世(=地上・現世)で受難と十字上の死に至るまで,唯一の真の神の救世の御業に服従された御子イエズスは,真の命なる神の御力により御復活されて天に御昇天された.

・そして,キリスト(=救世主)イエズスは,天地の諸王の王となられ,御父なる真の神の右の座につき,天地を裁かれる.

・信仰の父祖「アブラハム」も,真の神の御母となられた「聖マリア」も,その保護者「聖 ヨゼフ」も,私達人類の「主」となられた神なる聖霊と人なる聖マリアの子であられる「イエズス」も,自分の目で見ることなく,心で信じた「信仰」によって霊魂の救済を真の神により獲得し,永遠の命に入った.

・私たち人間は,信仰の先祖となられた,諸々の「真の人間」たちの跡を辿って,彼らに倣い,人生を全うして永遠の命に入るように、と、天地の真の創造主なる唯一の神は,思召されている.

・救世主への信仰を持たず,元の人間「アダムとエワ」の「原罪」に伏したままの人間は,「アダムとエワの原罪」の果実である「死」への服従に甘んじる.現世での「生命」は肉体の滅亡と共に終わる. 「真の信仰」無しには,人間は肉体の生命しか持たないからである.

真の信仰によって「真の命」に対する畏敬の念を持たない,「アダムの原罪」に伏するすべての人間は,現世で命の母に定められている「女」を蔑視する. 「男」は生命を継ぐ「母」にはなれず,一代限りで終わる.

・真の神の御独り子・救世主なるイエズスに対する真の信仰を持つ「男」は,真の信仰に生きる「女」と一心同体となって現世を生きることで,命を次世代に引き継ぐ.

・原罪はエワからアダムに至り,アダムから全人類に至った.「アダム」に留まるすべての女はアダムの原罪に留まるすべての男の原罪による支配に伏することになる.

・原罪の下ある女が,悲惨な暴力の犠牲になるのは,原罪の下にある男の支配下にあるからである.

・たとえ原罪に留まる人間に支配されても,心の中で「信仰」「希望」「慈愛」に生きる人間は,真の神の御憐れみを受ける. 肉体の犠牲にもかかわらず,霊魂は救いを得て天の永遠の命に至る.

・このような真の神による天地の摂理に疎い国家や国家元首は,真実からほど遠く無知で未熟な存在である.どんなに額に汗して働いても,労働の実は実らず,天の永遠の命を得ることも無く,現世で身体が滅びればその霊魂も滅亡する.

・このような無知な国家元首に服する民も,その属する国家の元首と運命を共にすることになり,全地の支配者なる真の命なる神に祝福されず,その御加護も受けられない.

世界の実例をよく観察し,真実を悟る知恵を真の神に願い求め,現在の生き方を追求する事が救い・助かりの道である. 『わたしは道であり命である』唯一の救世主(Messiah)イエズス・キリストの御言葉.


訳注6・1 ・「真の御母」"Mother" について:

・=「地上のあらゆる母の中で最高位の母」という意味合い.

・元(はじめ)の女「エワ」は原罪を犯したが,

・聖マリアは信仰の恩寵により,真の神の御使いガブリエルの祝詞に謙遜(けんそん)に従い,真の神=救世主の母となられ,全ての真の信仰者の母となられた.

・マリアの御独り子なる主キリストと全ての真の信仰者とは,真の神の御母マリアにおいて,主キリストの兄弟姉妹であり,聖マリアは全ての真の信仰者の真の御母である.(聖ヨハネ福音参照)




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訳注の追補・修正等の作業を続けます

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本投稿記事・第477回エレイソン・コメンツ「マリアの栄光」(2016年9月03日付)/ELEISON COMMENTS CDLXXVII (September 03, 2016) : "MARY'S GLORY" は2016年9月13日午前06時00分に掲載されました.
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2015年1月24日土曜日

393 エブドマニア 1/24

解説付

エレイソン・コメンツ 第393回 (2015年1月24日)

今日,
物事は決して外見通りでは有りません.
(こんにち,ものごとは
けっして がいけん どおり では ありません)

( "Today things never are what they appear." )

神を信じない人々に取って,
巧みな嘘は優しく響くでしょう.
(かみを しんじない ひとびとに とって,
たくみな うそは やさしく ひびく でしょう).

( "To godless people skilful liars are dear. " )

1月7日に起きたシャルリー・エブド 社 襲撃事件で二人のイスラム教徒青年が此のフランス(仏蘭西)の風刺週刊誌パリ(巴里)本社で働く(…に勤務する)12名の漫画家,ジャーナリスト(新聞記者・雑誌記者)を殺害しました(いちがつ なのか に おきた しゃるりー・えぶど しゃ しゅうげき じけんで ふたりの いすらむ きょうと せいねんが この ふらんすの ふうし しゅうかんし ぱり ほんしゃで はたらく(…に きんむする)じゅうに めい の まんがか,じゃーなりすと〈しんぶん きしゃ・ざっし きしゃ〉を さつがい しました)( "The Charlie Hebdo  attack of January 7 in which two muslim gunmen killed a dozen cartoonists and journalists in the Paris office of a satirical French weekly, …" ).1月11日に開かれた大規模な市民抗議集会では,参加した欧州数か国の指導者達が写真でプレーアップされました(いちがつ じゅういち にちに ひらかれた だいきぼ な しみん こうぎ しゅうかい では さんか した おうしゅう すうかこくの しどうしゃ たちが しゃしんで ぷれーあっぷ されました).此の二つの出来事は神の敵達が僅かに残るキリスト(基督)教文明に対して仕掛けた戦いのもう一つのエピソードとして捉えるのが最も分かり易いでしょう(この ふたつの できごとは かみの てき たちが わずかに のこる きりすと きょう ぶんめいに たいして しかけた たたかいの もう ひとつの えぴそーど として とらえる のが もっとも わかりやすい でしょう)( "… and the enormous public protest of Jan. 11 against the attack in which leaders of several European nations were photo-opped as taking part, are best understood as one more episode in the war being waged by the enemies of God upon what little remains of Christian civilisation." ).此の事件を漫画家達,襲撃者,イスラム教に迎合するかいらい(傀儡)政治家や一部の国の人々,其の全ての背後に居る黒幕の順で考えて見ましょう(この じけんを まんがか たち,しゅうげき しゃ,いすらむ きょうに げいごう する かいらい せいじか や いちぶの くにの ひとびと,その すべての はいごに いる くろまく の じゅんで かんがえて みましょう)( "Let us consider in order the cartoonists, the gunmen, the puppet politicians and peoples pandering to Islam and the puppet-masters behind them all." ).

同社の漫画家達はイスラム教やイスラム教徒達だけで無く,世界唯一の真の宗教で有るキリスト(基督)教の三位一体,救世主,聖母迄も風刺の対象にしました(どうしゃの まんがか たちは いすらむ きょうや いすらむ きょうと たち だけで なく,せかい ゆいいつの まことの しゅうきょう である きりすと きょうの さんみ いったい,きゅうせい しゅ,せいぼ までも ふうしの たいしょうに しました)( "The cartoonists lampooned not only Islam and muslims but also, from the world’s one true religion, the Holy Trinity, our divine Saviour and the Blessed Virgin Mary." ).唯一の真の神は極めて忍耐強いのですが,嘲笑の対象にされるのは御許しになりません(使徒聖パウロのガラテア人への書簡:第6章7節)(ゆいいつの まことの かみは きわめて にんたい づよい のですが,ちょうしょうの たいしょうに される のは おゆるしに なりません)( "Now the one true God is extremely patient, but he is not mocked (Gal. VI, 7)" )(訳注・3・1 ).人間がテロ行為に苦しめられない権利を持つように,真の神は猥らで冒涜的な風刺画の対象として公衆の面前で繰り返し扱われるのを許さない権利を持っています(にんげんが てろ こういに くるしめられ ない けんりを もつ ように,まことの かみは みだらで ぼうとく てきな ふうしが の たいしょう として こうしゅうの めんぜんで くりかえし あつかわれる のを ゆるさない けんりを もって います)( "As men have a right not to suffer from terrorism, so the true God has a right not to endure the public repetition of obscene and blasphemous cartoons." ).テロを正当化出来る者は誰も居ません(てろを せいとうか できる ものは だれも いません)( "Then nobody justifies terrorism as such, …" ).だがフランス(仏蘭西)の教会や国家当局者達が節度を欠いた神に対する冒涜の検閲を拒み続けるとしたら(だが,ふらんすの きょうかいや こっか とうきょく しゃ たちが せつどを かいた かみに たいする ぼうとくの けんえつを こばみ つづける と したら)( "… but given that the French Church and State authorities refuse to censor obscene blasphemy, …" ),神がイスラム教徒達に名誉回復の為の報復を御許しになっても,果たして驚くべき事でしょうか?(かみが いすらむ きょうと たちに めいよ かいふく の ための ほうふくを おゆるしに なっても,はたして おどろく べき こと でしょう か?)( "… is it surprising if God allowed muslims to avenge his honour? " )

(シャルリー・エブド 社 を襲った)二人のイスラム教青年は宗教的な理由から行動したに違いありません(〈しゃるりー・えぶど しゃ を おそった〉ふたりの いすらむ せいねんは しゅうきょう てきな りゆう から こうどう したに ちがい ありません)( "The gunmen, two young muslims, must have been acting religiously, …" ).何故なら,若し政治的な動機からだとしたら,其の行動がイスラム教に敵対する世論を巻き起こすだろうと十分予見出来た筈だからです(なぜなら,もし せいじ てきな どうき から だ としたら,その こうどうが いすらむ きょうに てきたい する せろん〈よろん〉を まきおこす だろうと じゅうぶん よけん できた はず だから です)( "… because politically it was entirely foreseeable that their action would rouse opinion against Islam." ).だが,其れにしても,彼等が敢えて(敢て)襲撃事件を起こしたのは如何してでしょうか?(だが,それに しても,かれらが あえて しゅうげき じけんを おこした のは どうして でしょうか?)( "Still, how could they dare to attack? " )其の理由は,欧州全土でイスラム教徒達が高い出生率と移民により(に因り・に依り)数の上で益々強大に成って来ており(その りゆうは,おうしゅう ぜんどで いすらむ きょうと たちが たかい しゅっせい りつと いみんに より かずの うえで ますます きょうだいに なって きて おり)( "Because across Europe muslims are by their birthrate and immigration getting stronger in numbers all the time, …" ),十分力を付け次第,必要と有れば大量殺人により(に因り・に依り)欧州のキリスト(基督)教諸国をイスラム化すると公言しているからです(じゅうぶん ちから を つけ しだい,ひつよう とあれば たいりょう さつじんに より おうしゅうの きりすと きょう しょこくを いすらむ か すると こうげん している から です)( "… and they make no secret of the fact that, as soon as they are strong enough, by a bloodbath if necessary, they will islamize the once Christian nations of Europe." ).

では,此れ等諸国がほぼ(略・粗)無制限の移民受け入れ,信じ難い程の福祉を同化しない移民達に認める等の自殺的政策を採る様仕向けたのは一体誰でしょうか?(では,これら しょこくが ほぼ むせいげんの いみん うけいれ,しんじがたい ほどの ふくしを どうか しない いみん たちに みとめる などの じさつ てき せいさくを とる よう しむけた のは いったい だれ でしょうか?)( "So who persuaded these nations to adopt the suicidal policy of almost unrestricted immigration and unbelievable welfare benefits for the in fact unassimilable immigrants, and so on? " )賄賂を受け取ったり,酷く虐め(苛め)られたかいらい(傀儡)政治家以外の誰でしょうか?(わいろを うけ とったり,ひどく いじめ られた かいらい せいじか いがいの だれ でしょう か?)( "Who but our bribed or bullied puppet politicians? " )一年程前,ドイツ(独逸)のメルケル首相は相反する文化を調和させる「多層文化」( "multi-culti" )は上手く行かないと認め本音を吐露しました(いちねん ほど まえ,どいつの めるける しゅしょうは あいはん する ぶんかを ちょうわ させる「たそう ぶんか」は うまく いかないと みとめ ほんねを とろ し ました)( "In a moment of truth a year or so ago, the Chancellor of Germany, Angela Merkel, admitted that “multi-culti,” the mixing of contrary cultures, does not work. " ).だが,彼女は1週間程前,エブド 社 襲撃事件に触れ「イスラム教はドイツに属する」と公言したでは無いですか?(だが,かのじょは いっしゅうかん ほど まえ,えぶど しゃ しゅうげき じけんに ふれ「いすらむ きょうは どいつに ぞくする」と こうげん した では ない ですか?)( "But a week or so ago in connection with the Hebdo attack, did she not proclaim that “Islam belongs to Germany”? " ).彼女は屈服させられたのです(かのじょは くっぷく させられた のです)( "She had been brought to heel. " ).彼女は常にドイツの真の国益に反した行動をするので操り人形です(かのじょは つねに どいつの しんの こくえきに はんした こうどうを する ので あやつり にんぎょう です)( "She is a puppet because she is constantly acting against Germany’s true interests. " ).例えば,若しフランス(仏蘭西)に今程多くのイスラム教徒が居なかったなら,シャルリー・エブド 社 がわざわざ(態態・態々)イスラム教を嘲笑したでしょうか?(たとえば,もし ふらんすに いま ほど おおくの いすらむ きょうとが いなかった なら,しゃるりー・えぶど しゃ が わざわざ いすらむ きょうを ちょうしょう した でしょうか?)( "For instance, were there not so many muslims in France, would Charlie Hebdo ever have bothered to ridicule Islam? " )そして其の様な傀儡政治家達に票を投ずるのは誰でしょうか?(そして そのような かいらい せいじか たちに ひょうを とうずる のは だれ でしょうか?)( "And who votes for these puppet politicians? " ) 其れは考えを下品なメディア(新聞・テレビ・ラジオ等の情報媒体)に毒された操り人形の様な有権者達です(それは かんがえを げひんな めでぃあ〈しんぶん・てれび・らじお とうの じょうほう ばいたい〉に どく された あやつり にんぎょうの ような ゆうけんしゃ たち です)( "Puppet peoples, who allow their thinking to be enslaved by their vile media. " ).

では,彼等の黒幕は誰でしょうか?(では,かれらの くろまくは だれ でしょう か?)( "Then who are the puppet-masters? " )其れは神の敵達で(それは かみの てき たちで)( "They are enemies of God, …" ),神の存在しない自分達自身の新世界秩序,生きる人々が誰一人として地獄へ陥るのを免れない警察国家を打ち立てようと躍起になっている連中です(かみの そんざい しない じぶん たち じしんの しん せかい ちつじょ,いきる ひとびとが だれ ひとり として じごくへ おちいる のを まぬがれ ない けいさつ こっかを うちたて ようと やっきに なって いる れんちゅう です)( "… intent upon establishing their own godless New World Order, a police State designed to ensure that not one living soul escapes eternal Hell." ).私達は彼等をグローバリスト( "Globalists" )と呼びましょう(わたくし たちは かれらを ぐろーばりすと と よびましょう)( "Let us call them “Globalists.” " ).エブド 社 襲撃は,アメリカ(米国)での 9.11 同時多発テロ,英国での 7.7 爆弾事件と同じ様に彼等の仕業で(えぶど しゃ しゅうげき は,あめりか〈べいこく〉で の きゅう てん いち いち どうじ たはつ てろ,えいこく で の なな てん なな ばくだん じけんと おなじ ように かれらの しわざ で)( "Then was the Hebdo attack their work, one of their events like 9/11 in the USA and 7/7 in the UK, …" ),世論を冒涜者に取っての自由,内戦へ誘導する目的で仕組まれたのでは無いでしょうか?(よろん〈せろん〉を ぼうとく しゃ に とって の じゆう,ないせん へ ゆうどう する もくてき で しくまれた のでは ないでしょうか?)( "… engineered to move public opinion, this time towards freedom for blasphemers and civil war? " )其の可能性は大いに有ります(その かのう せいは おおいに あります)( "Most likely." ).今回の襲撃事件の実態は外見とは異なった物でした(こんかいの しゅうげき じけんの じったいは がいけん とは ことなった もの でした)( "The event was certainly not what it was made to seem." ).有名になった例が有ります(ゆうめいに なった れいが あります)( "Famous example: …" ).一人の殺し屋が地面に横たわった「一人のイスラム教徒警官」の頭を狙い撃ちするが,流血は無く,銃の反動も無く,「犠牲者」はほとんど(殆ど・殆んど)動かないという場面を示す3分間の動画です(ひとりの ころしや が じめんに よこたわった「ひとりの いすらむ きょうと けいかん」の あたまを ねらい うち するが,りゅうけつは なく,じゅうの はんどうも なく,「ぎせいしゃ」は ほとんど うごかない という ばめんを しめす さんぷんかんの どうが です)( "… the three-minute film clip showing a gunman shooting in the head point-blank a “muslim policeman” lying on the ground, with no blood, no recoil of the gun, and little movement of the “victim.” " ).この動画はhttp://youtu.be/gobYWXgzWgYに未だ残っているかも知れません(この どうがは http://youtu.be/gobYWXgzWgYに まだ のこって いる かも しれ ません)( "The clip may still be found, starting from here – http://youtu.be/gobYWXgzWgY. " ).

神はこうした気ちがい沙汰を御認めになるでしょうか?(かみは こうした きちがい ざたを おみとめに なる でしょうか?)( "And the Good Lord amidst all this madness? " )「神は滅ぼそうとする者を,先ず気を狂わせる」という古い諺があります(「かみは ほろぼそうと する ものを,まず きを くるわせる」という ふるい ことわざが あります)( " “Those whom he wishes to destroy, he first makes mad,” is the old saying." ).神が神の御母(聖母)のみを通してもたら(齎)そうとされる勝利の為に一日15玄義のロザリオの祈(15 Mysteries)を祈りましょう!(かみが かみの おんはは〈せいぼ〉のみを とおして もたらそうと される しょうりの ために いちにち じゅうご げんぎ の ろざりおの いのりを いのりましょう!)( "Pray 15 Mysteries a day for the triumph that he will engineer, through his Mother alone." )(訳注・7・1)哀れなグローバリスト達は不意を突かれるでしょう!(あわれな ぐろーばりすと たちは ふいを つかれる でしょう!)( "Are the poor Globalists ever going to be taken by surprise! " )

キリエ・エレイソン (主よ憐れみ給え).
(きりえ・えれいそん)〈しゅよ あわれみ たまえ〉
Kyrie eleison.

リチャード・ウィリアムソン司教


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清書版

エレイソン・コメンツ 第393回 (2015年1月24日)

今日,物事は決して外見通りではありません.
神を信じない人々にとって,巧みな嘘は優しく響くでしょう.
Today things never are what they appear.
To godless people skilful liars are dear.

1月7日に起きたシャルリー・エブド社 襲撃事件で二人のイスラム教徒青年がこのフランスの風刺週刊誌パリ本社で働く12名の漫画家,ジャーナリストを殺害しました.1月11日に開かれた大規模な市民抗議集会では,参加した欧州数か国の指導者たちが写真でプレーアップされました.この二つの出来事は神の敵たちがわずかに残るキリスト教文明に対して仕掛けた戦いのもうひとつのエピソードとしてとらえるのが最も分かり易いでしょう.この事件を漫画家たち,襲撃者,イスラム教に迎合するかいらい政治家や一部の国の人々,そのすべての背後にいる黒幕の順で考えてみましょう.
The Charlie Hebdo attack of January 7 in which two muslim gunmen killed a dozen cartoonists and journalists in the Paris office of a satirical French weekly, and the enormous public protest of Jan. 11 against the attack in which leaders of several European nations were photo-opped as taking part, are best understood as one more episode in the war being waged by the enemies of God upon what little remains of Christian civilisation. Let us consider in order the cartoonists, the gunmen, the puppet politicians and peoples pandering to Islam and the puppet-masters behind them all.

同社の漫画家たちはイスラム教やイスラム教徒たちだけでなく,世界唯一の真の宗教であるキリスト教の三位一体,救世主,聖母までも風刺の対象にしました.唯一の真の神はきわめて忍耐強いのですが,嘲笑の対象にされるのはお許しになりません(使徒聖パウロによるガラテア人への書簡:第6章7節参照)(訳注・3・1).人間がテロ行為に苦しめられない権利を持つように,真の神はみだらで冒涜的な風刺画の対象として公衆の面前で繰り返し扱われるのを許さない権利を持っています.テロを正当化できる者は誰もいません.だが,フランスの教会や国家当局者たちが節度を欠いた神に対する冒涜の検閲を拒み続けるとしたら,神がイスラム教徒たちに名誉回復のための報復をお許しになっても,はたして驚くべきことでしょうか?
The cartoonists lampooned not only Islam and muslims but also, from the world’s one true religion, the Holy Trinity, our divine Saviour and the Blessed Virgin Mary. Now the one true God is extremely patient, but he is not mocked (Gal. VI, 7). As men have a right not to suffer from terrorism, so the true God has a right not to endure the public repetition of obscene and blasphemous cartoons. Then nobody justifies terrorism as such, but given that the French Church and State authorities refuse to censor obscene blasphemy, is it surprising if God allowed muslims to avenge his honour?

シャルリー・エブド社 を襲った二人のイスラム教青年は宗教的な理由から行動したに違いありません.なぜなら,もし政治的な動機からだとしたら,その行動がイスラム教に敵対する世論を巻き起こすだろうと十分予見できたはずだからです.だが,それにしても,彼らがあえて襲撃事件を起こしたのはどうしてでしょうか? その理由は,欧州全土でイスラム教徒たちが高い出生率と移民により数の上で益々強大になってきており,十分力をつけ次第,必要とあれば大量殺人により欧州のキリスト教諸国をイスラム化すると公言しているからです.
The gunmen, two young muslims, must have been acting religiously, because politically it was entirely foreseeable that their action would rouse opinion against Islam. Still, how could they dare to attack? Because across Europe muslims are by their birthrate and immigration getting stronger in numbers all the time, and they make no secret of the fact that, as soon as they are strong enough, by a bloodbath if necessary, they will islamize the once Christian nations of Europe.

では,これら諸国がほぼ無制限の移民受け入れ,信じがたいほどの福祉を同化しない移民たちに認めるなどの自殺的政策を取るよう仕向けたのは一体誰でしょうか? わいろを受け取ったり,ひどくいじめられたかいらい政治家以外の誰でしょうか? 一年ほど前,ドイツのメルケル首相は相反する文化を調和させる「多層文化」("multi-culti")はうまく行かないと認め本音を吐露しました.だが,彼女は1週間ほど前,エブド社 襲撃事件に触れ「イスラム教はドイツに属する」と公言したではないですか.彼女は屈服させられたのです.彼女は常にドイツの真の国益に反した行動をするので操り人形です.例えば,もしフランスにいまほど多くのイスラム教徒がいなかったなら,シャルリー・エブド社 がわざわざイスラム教を嘲笑したでしょうか? そのようなかいらい政治家たちに票を投ずるのは誰でしょうか? それは考えを下品なメディアに毒された操り人形のような有権者たちです.
So who persuaded these nations to adopt the suicidal policy of almost unrestricted immigration and unbelievable welfare benefits for the in fact unassimilable immigrants, and so on? Who but our bribed or bullied puppet politicians? In a moment of truth a year or so ag o, the Chancellor of Germany, Angela Merkel, admitted that “multi-culti,” the mixing of contrary cultures, does not work. But a week or so ago in connection with the Hebdo attack, did she not proclaim that “Islam belongs to Germany”? She had been brought to heel. She is a puppet because she is constantly acting against Germany’s true interests. For instance, were there not so many muslims in France, would Charlie Hebdo ever have bothered to ridicule Islam? And who votes for these puppet politicians? Puppet peoples, who allow their thinking to be enslaved by their vile media.

では,彼らの黒幕は誰でしょうか? それは神の敵たちで,神の存在しない自分たち自身の新世界秩序,生きる人々が誰一人として地獄へ陥るのを免れない警察国家を打ち立てようと躍起になっている連中です.私たちは彼らをグローバリスト( "Globalists" )と呼びましょう.エブド社 襲撃は,アメリカでの 9.11 同時多発テロ,英国での 7.7 爆弾事件と同じように彼らの仕業で,世論を冒涜者にとっての自由,内戦へ誘導する目的で仕組まれたのではないでしょうか? その可能性は大いにあります.今回の襲撃事件の実態は外見とは異なったものでした.有名になった例があります.一人の殺し屋が地面に横たわった「一人のイスラム教徒警官」の頭を狙い撃ちするが,流血はなく,銃の反動もなく,「犠牲者」はほとんど動かないという場面を示す3分間の動画です.この動画はhttp://youtu.be/gobYWXgzWgYにまだ残っているかもしれません.
Then who are the puppet-masters? They are enemies of God, intent upon establishing their own godless New World Order, a police State designed to ensure that not one living soul escapes eternal Hell. Let us call them “Globalists.” Then was the Hebdo attack their work, one of their events like 9/11 in the USA and 7/7 in the UK, engineered to move public opinion, this time t owards freedom for blasphemers and civil war? Most likely. The event was certainly not what it was made to seem. Famous example: the three-minute film clip showing a gunman shooting in the head point-blank a “muslim policeman” lying on the ground, with no blood, no recoil of the gun, and little movement of the “victim.” The clip may still be found, starting from here – http://youtu.be/gobYWXgzWgY.

神はこうした気ちがい沙汰をお認めになるでしょうか?「神は滅ぼそうとする者を,先ず気を狂わせる」という古いことわざがあります.神が神の御母(聖母)のみを通してもたらそうとされる勝利のために一日15玄義のロザリオの祈( "15 Mysteries" )を祈りましょう!(訳注・7・1)哀れなグローバリストたちは不意をつかれるでしょう!
And the Good Lord amidst all this madness? Those whom he wishes to destroy, he first makes mad,” is the old saying. Pray 15 Mysteries a day for the triumph that he will engineer, through his Mother alone. Are the poor Globalists ever going to be taken by surprise!

キリエ・エレイソン.
Kyrie eleison.

リチャード・ウィリアムソン司教


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訳注
「エブド」"hebdo" はフランス語 "hebdomadaire" の略で,
英語で "weekly"(=毎週・週単位・週刊誌)の意.
原語はラテン語 "hebdomadalis".






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本投稿記事・第393回エレイソン・コメンツ「エブドマニア」 "HEBDOMANIA" ( 2015年1月24日付)は2015年8月23日15時23分に掲載されました.
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2014年8月9日土曜日

369 古代イスラエル人,現代イスラエル人? 8/9

エレイソン・コメンツ 第369回 (2014年8月9日)

     (神と古代イスラエル人〈=古代ユダヤ人〉との間で交わされた)旧約(〈かみと こだい いすらえるじん〈=こだい ゆだやじん〉との あいだで かわされた〉 きゅうやく)にあるように( "in the Old Testament" )全能の神(ぜんのうの かみ)がある特定の人々(とくていの ひとびと)を根絶やし(ねだやし)にするべく下された諸々の命令(くだされた もろもろの めいれい)は(例えば,旧約聖書・サミュエル前書:第15章を参照〈たとえば,きゅうやく せいしょ・さみゅえる ぜんしょ:だい じゅうご しょうを さんしょう〉)(訳注後記1),それら異教徒たち自身に向けられた正義と慈悲による行為(いきょうと たちに むけられた せいぎと じひに よる こうい)であり,人の姿をとられた(=人間と同じ肉体を身にまとわれた)神(ひとのすがたをとられた〈=にんげんと おなじ にくたいを みに まとわれた〉かみ( "the Incarnate God" )すなわち私たちの主イエズス・キリスト(わたくしたちの しゅ いえずす・きりすと)( "Our Lord Jesus Christ" )が数世紀(すう せいき)のちに(天より)御降誕されるのに備え(てんより ごこうたん されるのに そなえ)古代イスラエル人に揺りかごを用意させるための行為(こだい いすらえるじんに ゆりかごを ようい させる ための こうい)だったと認(みと)めましょう(エレイソン・コメンツ第368回を参照)( "Let us then grant (EC 368) that the orders of Almighty God to exterminate certain peoples in the Old Testament (e.g. I Sam. XV) were an act of justice and mercy towards the pagans themselves, and an act also designed to help the Israelites forward towards cradling the Incarnate God, Our Lord Jesus Christ, when he would come many centuries later." ).古代イスラエル人たちは,とりわけ祝福された童貞聖マリア(しゅくふく された どうてい まりあ)( “the Blessed Virgin Mary” )を通(つう)じて,この揺りかごを確(たし)かに用意しました( "This cradle the Israelites did provide, especially through the Blessed Virgin Mary, …" ).全人類はこの神の御母(=聖母)となられた聖マリアに限りない感謝の気持ちを持たねば(ぜんじんるいは この かみの おんはは〈=せいぼ〉と なられた せい まりあに かぎりない かんしゃの きもちを もたねば)なりません( "… to whom the entire human race owes a boundless debt of gratitude." ).私たちの誰もが確実に天国へたどり着ける(わたくしたちの だれもが かくじつに てんごくへ たどりつける)としたら( "If any of us does get to Heaven, …" ),それはただ偏に彼女聖母マリアのお取り成しを通して(ひとえに かのじょ せいぼ まりあの おとりなしを とおして)だけなのですから( "… it will be only through her intercession." ).

     では,そのようにして救いをもたらす諸々の古代ユダヤ人(すくいを もたらす もろもろの こだい ゆだや じん)(新約聖書・聖ヨハネによる聖福音書:第4章22節を参照)(訳注後記2)とパレスチナ人(ぱれすちな じん)を虐殺(ぱれすちなじんを ぎゃくさつ)もしくは道徳的,金銭的に虐殺を支えて(どうとくてき,きんせんてきに ぎゃくさつを ささえて)いる今日のユダヤ人多数(こんにちの ゆだやじん たすう)との間(あいだ)にどのような関連性(かんれんせい)があるのでしょうか?( "Then what connection can there be between those Jews through whom salvation comes (Jn. IV, 22) and the mass of Jews today, who are either massacring Palestine or supporting the massacre, morally or financially ? " ) 今日のユダヤ人の大多数(こんにちの ゆだやじんの だいたすう)はアシュケナージ・ユダヤ人(あしゅけなーじ・ゆだやじん)( “Ashkenazy Jews” )ですから,アブラハムの血を受け継いだ末裔(あぶらはむの ちを うけついだ まつえい)ではないのでしょう( "The majority of today's Jews being Ashkenazy Jews, they may well be no blood-descendants of Abraham, …" ).だが,それはさておき( "… but be that as it may, …" ),彼らがキリスト教以降のユダヤ教の聖典タルムード(きりすときょう いこうの ゆだやきょうの せいてん たるむーど)( “the Talmud” )を通(とお)して私たちの主イエズス・キリスト(わたくしたちの しゅ いえずす・きりすと)が仰せられる(おおせられる)「ファリザイ人とサドカイ人のパン種」(ふぁりざいじんと さどかいじんの ぱんだね)(新約聖書・聖マテオによる聖福音書:第16章11節を参照)(訳注後記3)( “ “the leaven of the Pharisees and Sadducees” (Mt. XVI, 11) ” )を受け入れたのは確か(うけいれた のは たしか)です( "… they have certainly absorbed through the Talmud, the holy book of post-Christian Judaism, what Our Lord called “the leaven of the Pharisees and Sadducees” (Mt. XVI, 11), …" )このパン種とは私たちの主イエズス・キリストを十字架にかけ(わたくしたちの しゅ いえずす・きりすとを じゅうじかに かけ),それ以来彼キリストの教会と戦って(いらい きょうかいと たたかって)きた不倶戴天の敵の精神を意味(ふぐたいてんの てきの せいしんを いみ)します( "… meaning the spirit of his bitter enemies who crucified him and have fought his Church ever since." ).神の「選民」(かみの せんみん)がどうして神の一貫した最悪の敵(かみの いっかん した さいあくの てき)になったのでしょうか?( "How can his Chosen People have turned into some of his consistently worst enemies ? " )(もし,この疑問を投げ〈ぎもんを なげ〉かけるだけで「反ユダヤ的」〈はん ゆだや てき〉だというなら( " (If the mere question seems “anti-semitic”, …" ),真実は良い〈しんじつはよい〉が「反ユダヤ主義」は悪い〈はん ゆだや しゅぎは わるい〉,したがって,いかなる真実も「反ユダヤ的」でありえないし,いかなる「反ユダヤ的」なものも真実でありえない,という言い方を思い起こす〈いいかたを おもいおこす〉といいでしょう( "… let it be recalled that truth is good while “anti-semitism” is bad, so nothing true can be “anti-semitic” and nothing “anti-semitic” can be true." ).私が以下に述べるのは真実〈いかに のべるのは しんじつ〉であり,いわゆる「反ユダヤ主義」とは全く関係ありません〈いわゆる「はん ゆだや しゅぎ」とは まったく かんけい ありません〉( "What follows is the truth, and has nothing whatsoever to do with so-called “anti-semitism”)." ).)

     まず第一(だいいち)に,もし選民が自らの神に背を向け(せんみんが みずからの かみに せを むけ)たとしたら( "Firstly, if the Chosen People turned against their God, …" ),問題は年代を経て起きたことのように思われる(もんだいは ねんだいを へて おきた ことの ように おもわれる)かもしれませんが( "… the problem may seem chronological …" ),実際(じっさい)はそうではありません( "… but it is not." ).旧約の期間を通し(きゅうやくの きかんを とおし)て神に敵対した古代ユダヤ人(かみに てきたい した こだい ゆだやじん)たちがいました( "Throughout the Old Testament there were Israelites who turned against God, …" ).たとえば,金の子牛( “the Golden Calf” )の崇拝者(きんの こうしの すうはいしゃ)たち( "… for instance the worshippers of the Golden Calf …" ),すなわちバビロンに追放されたユダヤ人(ばびろんに ついほう された ゆだやじん)たちです( "… or the Jews exiled to Babylon." ).神はしばしば「頑な(かたくな)」で( “stiff-necked” )反抗的な人々を罰し(はんこうてきな ひとびとを ばっし)なければなりませんでした( "God frequently had to punish his own “stiff-necked” and rebellious people." ).同(おな)じように,新約の時期から私たちの時代にいたるまで,生粋のユダヤ人である聖パウロ(きっすいの ゆだやじん である せい ぱうろ)のようにキリスト教に改宗した著名なユダヤ人はつねに存在(きりすと きょうに かいしゅう した ちょめいな ゆだやじんは つねに そんざい)しました(新約聖書・使徒聖パウロのローマ人への書簡:第9章1-5節; コリント後書〈使徒聖パウロのコリント人への第二の書簡〉:第11章21-22節; 使徒聖パウロのフィリピ人への書簡:第3章4-6節を参照)( "Likewise from the beginning of the New Testament down to our own day there have always been outstanding Jewish converts, like St Paul, who was as Jewish as could be (cf. Rom. IX, 1-5; II Cor. XI, 21-22; Phil. III, 4-6)." ).古代イスラエル人と現代イスラエル人の違い(こだい いすらえるじんと げんだい いすらえるじんの ちがい)は,いつの時代(じだい),どの人種(じんしゅ)にも神を愛する者(かみを あいする もの)と神に反旗を翻す者(かみに はんきを ひるがえす もの)がいた違いと同じ(ちがいと おなじ)ことです.真の「ユダヤ‐キリスト教徒」の 系列( “Judeo-Christian” )(まことの 「ゆだや‐きりすと きょうと」の けいれつ)はアベル “Abel” に始まり,たとえば,アブラハム “Abraham”,モーゼ “Moses”,ダビド “David”,神の御母(=聖母マリア) “the Mother of God” を経て(あべるに はじまり,たとえば,あぶらはむ,もーぜ,だびど,かみのおんはは〈=せいぼ まりあ〉を へて)カトリック教会に( “to the Catholic Church” )繋がって(かとりっく きょうかいに つながって)います( "The true “Judeo-Christian” line stretches from Abel through, for instance, Abraham, Moses, David and the Mother of God to the Catholic Church." ).偽り(いつわり)の「ユダヤ‐キリスト教徒」で真の「ユダヤ‐メーソン会員」の系列(いつわりの ゆだや‐きりすと きょうとで まことの「ゆだや‐めーそん かいいん」の けいれつ)( “Judeo-Masonic” )は咎められたカインに始まり,たとえば,神の預言者の殺害者アンナ “Anas”,カヤファ “Caiphas” を経て(とがめられた かいん に はじまり,たとえば,かみの よげんしゃの さつがいしゃ あんな,かやふぁを へて)近代のフリーメーソン組織( “to modern Freemasonry” )に繋がって(きんだいの ふりーめーそん そしきに つながって)います( "The false “Judeo-Christian” but true “Judeo-Masonic” line stretches from the accursed Cain through, for instance, the killers of God's prophets to Anas and Caiphas to modern Freemasonry, …" ).この組織(そしき)はユダヤ人が創り出した(ゆだやじんが つくり だした)もので,多くの会員は知らない(おおくの かいいんは しらない)でしょうが,いまだにカトリック教と戦う目的(かとりっくきょうと たたかう もくてき)でユダヤ人によって支配され(ゆだやじんに よって しはい され)ています( "… which was created by Jews and is still controlled by them for purposes of fighting the Catholic Church, even if many Masons are ignorant of the fact." ).

     ここまでは良い(よい)として,古代イスラエル人と現代イスラエル人の落差はとくに際立って(こだい いすらえるじんと げんだい いすらえるじんの らくさは とくに きわだって)いるのではないでしょうか?( "Well and good, but is not the contrast between Israelites and Israelis especially sharp ? " ) 確かにその通り(たしかに そのとおり)です.それはなぜかと言(い)えば,古い(ふるい)ことわざの通(とお)り「高ければ高いほど,ひどく落ちる(たかければ たかいほど, ひどく おちる)」( “The higher they are, the harder they fall” )ということでしょう( "Yes, because as the old saying goes, “The higher they are, the harder they fall.” " ).選民(せんみん)は神の特別の僕となることを拒み(かみの とくべつの しもべと なることを こばみ)( "Once the Chosen People refused to be the special servants of God, …" ),(神の御独り子〈かみのおんひとりご〉の)御託身(ごたくしん) “the Incarnation” いらいおおむねそうし続(つづ)けてきました( "… as they have largely done from the Incarnation onwards, …" ).それにより彼(かれ)らは悪魔の特別の僕となる運命(あくまの とくべつの しもべとなる うんめい)となったのです( "… they were bound to become the special servants of the Devil." ).彼らにとって,その中間の選択(ちゅうかんの せんたく)などありえませんでした( "For them there could be nothing in between." ).彼(かれ)らが神の僕となるのを拒んだ背景(かみの しもべと なるのを こばんだ はいけい)に何(なに)があったのでしょうか?( "And what was behind that refusal ? " )一言で言えば,自尊心(ひとことで いえば,じそんしん)( “pride” )です( "In one word, pride." ).彼らは神の特別の贈り物(かみの とくべつの おくりもの)を神の御光栄のために使わず(かみの ごこうえいの ために つかわず),その代わり(かわり)に( "Instead of using God's special gifts to them for his glory, …" )自分たちの光栄(じぶんたちの こうえい)のために(=自分たち自身の光栄となるよう〈じぶんたちじしんの こうえいと なるよう〉)転用(てんよう)しました( "… they bent them to their own glory." ).救世主がこの世に来られる前(きゅうせいしゅが このよに こられる まえ),彼らはやがて現(あらわ)れるのは精神的でなく物質的な救世主(せいしんてき でなく ぶっしつてきな きゅうせいしゅ)だと思い違い(おもいちがい)(=誤解・見当違い〈ごかい・けんとうちがい〉)をしました( "Before their Messiah came, they misconceived him as their material instead of spiritual saviour, …" ).そのため,彼らは救世主が現れると,その受け入れを拒み(うけいれを こばみ)ました( "… so that when he came they refused to recognize him, …" ).それ以来(いらい),彼らは神(かみ)が民族固有のモーゼの宗教(みんぞく こゆうの もーぜの しゅうきょう)をあらゆる民族に開かれた包括的なカトリック教に置き換えた(あらゆる みんぞくに ひらかれた ほうかつ てきな かとりっく きょうに おきかえた)として神と戦って(かみと たたかって)きました( "… and from then on they fought him for having replaced their racially exclusive Mosaic religion with the racially all-inclusive Catholic religion, open to all races." ).

     では,諸々のカトリック信徒たち(もろもろの かとりっく しんと たち)は,私たちの周り(わたくしたちの まわり)にいるかつての選民(せんみん)たちの圧倒的な物質的優性(=優位性)に対抗(あっとうてきな ぶつりてき ゆうせい〈ゆうい せい〉に たいこう)するには何ができるでしょうか?( "And what can Catholics do to resist the overwhelming material dominance of the once Chosen Ones all around us ? " ) 物質的にできることは皆無(かいむ)に等(ひと)しいでしょう( "Materially, next to nothing, …" ).だが,一人ひとりの霊魂(ひとり ひとりの れいこん)が心の中で誠意を込めて(こころの なかで せいいを こめて)神の王国の来るよう神の御心(=御旨)の為されるよう祈る(かみの おうこくの きたる よう かみの みこころ〈=みむね〉の なされるよう いのる)ならば( "… but a single soul praying spiritually and sincerely for God's kingdom to come and for his will to be done,…" ),物理的な山を動かしていただけるよう神を説得(ぶつりてきな やまを うごかして いただけるよう かみを せっとく)できるでしょう( "… can prevail on God to move material mountains, …" ).これは神にとって簡単(かみに とって かんたん)なこと( “child’s play” )です( "… child's play for God." ).神が彼らの物質的優性を許して(かみが かれらの ぶっしつてき ゆうせいを ゆるして)おられるのは,私たちを神のもとに戻す目的(わたくしたちを かみの もとに もどす もくてき)のためだけです( "He only allows that dominance in order to drive us back to him." ).

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教



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訳注を追補いたします.









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(注:本投稿記事〈第369回エレイソン・コメンツ〉は2014年9月07日23:30に公開されました.)

2014年5月3日土曜日

355 さらばSSPX 5/3

エレイソン・コメンツ 第355回 (2014年5月3日)

     今回(こんかい)はフランスからの悪いニュース(ふらんす からの わるい にゅーす)です.40年にわたる聖ピオ十世会(よんじゅうねんに わたる せいぴお じゅっせいかい) ( "St Pius X"="SSPX" ) のローマ教皇庁モダニスト(近現代主義者)(ろーま きょうこうちょうもだにすと〈きん げん だい しゅぎ しゃ〉たちとの信仰(しんこう)をめぐる争い(あらそい)が事実上終わり(じじつじょう おわり)ました( "Bad news from France : the 40-year fight for the Faith by the Society of St Pius X against the modernists in Rome is virtually over." ). ああ,諸々(もろもろ)の SSPX の小修道院(しょう しゅうどういん),学校(がっこう),神学校(しん がっこう)および関連(かんれん)女子修道院(じょし しゅうどういん),男子修道院(だんし しゅうどういん)はきちんとした(有効な)秘跡(ゆうこうな ひせき)やまっとうな(=まともな)教理(きょうり)を施(ほどこ)すため少(すく)なくともしばらく機能し続け(きのう しつづけ),(カトリック教会の)伝統(かとりっく きょうかいの でんとう)( "Tradition" )の体裁を保つ(ていさいを たもつ)でしょうが,完ぺきな(完全な)(かんぺきな〈かんぜんな〉)信仰を守るための本質的な争い(必要不可欠な戦い)(しんこうを まもるための たたかい〈ひつよう ふかけつな たたかい〉)( "the essential fight for the complete Faith" )は,やがて外部による検閲もしくは自己検閲(がいぶに よる けんえつ もしくは じこ けんえつ)を通して存在(とおして そんざい)しなくなるでしょう( "Oh, the Society's priories, schools, seminaries and associated convents and monasteries will continue to function, to provide for at least a while valid sacraments and decent doctrine, maintaining all the appearances of Tradition, but the essential fight for the complete Faith will be censored, or self-censored, out of existence." ).今後(こんご)は,ごく限られた司祭(かぎられた しさい)たちだけがルフェーブル大司教(るふぇーぶる だいしきょう)( "Archbishop Lefebvre" )のなされたことを理解(りかい)し,勇気(ゆうき)をもって( SSPX の)隊列を離れ(たいれつを はなれ),身を隠す(みを かくす)ことになりそうです( "It looks like being only a limited number of priests more that will have the understanding of Archbishop Lefebvre's work and the necessary courage to break ranks and take to the hills." ).

     悪いニュース(わるい にゅーす)とは,ローマのモダニスト(ろーまの もだにすと)たちが SSPX に対し「寛容な承認」(かんような しょうにん)( "a recognition of tolerance" )を与(あた)えようとしていることです( "The news is that the modernists in Rome are offering to the Society a « recognition of tolerance » …" ).この承認には SSPX 内部(ないぶ)で2012年の春と初夏(はると しょか)にローマとの取引き(ろーまとの とりひき)をめぐり大反対が起きた時(だいはんたいが おきたとき)に持ち上がった(もちあがった)正式合意もしくは署名文書(せいしき ごうい もしくは しょめい ぶんしょ)などいっさい必要(ひつよう)ないというのです( "… without the need for any formal agreement or signed document such as raised within the SSPX so much opposition to a deal with Rome in the spring and early summer of 2012." ). SSPX 第2補佐官(だいに ほさかん)( "Second Assistant" )のアラン・ネリー神父(あらん・ねりー しんぷ)( "Fr. Alain Nély" )はこのことを3か月前(さんかげつ まえ),ある男子修道院と女子修道院の院長(だんし しゅうどういんと じょし しゅうどういん)たちに熱意(ねつい)をこめて伝(つた)えています( "Here is the essence of how the Society's Second Assistant, Fr. Alain Nély, expressed it, with enthusiasm, to Superiors of a monastery and convent three months ago : …" ).その核心部分(かくしん ぶぶん)は次(つぎ)のようなものです.「 SSPX にとっての解決案(かいけつ あん)は私(わたし)たちがローマから一方的に承認される(ろーま から いっぽうてきに しょうにん される)ということです …… 私たちはいかなる文書(ぶんしょ)にも署名(しょめい)するよう求(もと)められません …… これから事態がどう展開(じたいが どう てんかい)するか …… 成り行きを見守り(なりゆきを みまもり)ましょう.」( "… « The solution for the SSPX will be its unilateral recognition by Rome...we will not be asked to sign anything...to see how things evolve...we shall see. »" ) ネリー神父の明かした内容(あかした ないよう)が広(ひろ)まるのを避(さ)けるため, SSPX 総長(そうちょう)は二人の修道院長宛て(あて)に,いかなる種類(しゅるい)の「合意」(ごうい)が成立する見通し(せいりつする みとおし)もないのだから,あなたたちはネリー神父の発言を誤解(はつげんを ごかい)している,と伝える手紙を送り(つたえる てがみを おくり)ました( "To prevent such a revelation from spreading, the Society's Superior General wrote to the two Superiors concerned that they had misunderstood Fr. Nély's remarks because there was no kind of « agreement » in view." ).むろん「合意」などないのでしょう.そこにあるのは,署名なしの「承認」提案(ていあん)があったという狡(ずる)さだけです( "Of course not. Therein lies the cunning of the proposed « recognition » without signature." ).提案はSSPXの司祭(しさい)たちに何の変化(なんの へんか)もなかったかのように装い(よそおい),これまでとまったく同(おな)じように職務を続ける(しょくむを つづける)ことを認(みと)めています( "It will allow numbers of SSPX priests to pretend that nothing will have changed so that they can continue their ministry just as before." ).したがって、フェレー司教自身(ふぇれー しきょう じしん)が最近ツァイツコーフェン(つぁいつ こーふぇん)( "Zaitzkofen" )(訳注:ドイツ・バイエルン州の都市〈どいつ・ばいえるん しゅうの とし〉)の神学校生徒(しんがっこう せいと)たちに「合意文書に署名するといった問題(ごうい ぶんしょに しょめいする といった もんだい)などいっさいありません,等等〈とうとう〉」等(など)と述(の)べたと伝(つたえています( "Thus, as reported, Bishop Fellay himself recently told SSPX seminarians in Zaitzkofen : « There is no question of signing any agreement, etc., etc. » " ).しかし,彼は10分後に「だが,もしローマが私たちに寛容な承認を提案するというのであれば話(はなし)はまったく別(べつ)です.それはとても結構(けっこう)なことです」と付け加えた(つけ くわえた)そうです( "However, ten minutes later, « But if Rome proposes a recognition of tolerance for us, that's a different matter, that would be very good. » " ).

     そういうことであれば,多数(たすう)の SSPX 司祭(しさい)たちは近(ちか)いうち素直(すなお)に彼らの公式な指導者(こうしきな しどうしゃ)たちに従(したが)ってローマの愛すべきモダニストたちの胸のなかに飛びこむこ(ろーまの あいすべき もだにすとたちの むねの なかに とびこむ)とになる可能性大(かのう せい だい)です( "And so there is every likelihood, sooner rather than later, that the large number of SSPX priests will docilely follow their official leaders into the embrace of the loving modernists in Rome, …" ).彼らは時が経つ(ときが たつ)につれローマに固く抱き(かたく だき)しめられ,その結果(けっか),公的教会を滅ぼし(こうてき きょうかいを ほろぼし)数百万人の霊魂を地獄への道に突き落とした恐ろしいモダニズム(すうひゃく まんにんの れいこんを じごくへの みちに つきおとした おそろしい もだにずむ)と戦い続ける意欲を失う(たたかい つづける いよくを うしなう)ことになるでしょう( "… an embrace that will become over time as tight as necessary to stifle any remaining effort to fight against that deadly modernism which is killing off the official Church and putting millions of souls on the path to Hell." ).人によっては,これまでのことを振り返り(ふりかえり),フェレー司教(ふぇれー しきょう)は少(すく)なくとも過去15年間(かこ じゅうご ねんかん),そういう事態(じたい)をもたらすためローマ教皇庁の人々(ろーま きょうこう ちょうの ひとびと)と組(く)んで巧妙に動いて(こうみょうに うごいて)きたと勘(かん)ぐりたくなるでしょう( "In retrospect one may guess that Bishop Fellay has worked skilfully with the Romans towards this embrace for at least the last 15 years." ).デガラレタ司教(でがられた しきょう)( "Bishop de Galarreta" )は問題の本質を見抜いて(もんだいの ほんしつを みぬいて)きましたが,自らの命運(みずからの めいうん)をフェレー司教に委(ゆだ)ねました( "Bishop de Galarreta has seen what is at stake, but has thrown in his lot with Bishop Fellay." ).ティシエ司教(てぃしえ しきょう)( "Bishop Tissier" )もルフェーブル大司教のなされたことに対(たい)するこの恐ろしい脅威(おそろしい きょうい)をはっきり理解(りかい)していても( "Bishop Tissier also sees clearly the deadly threat to the Archbishop's work, …" ),従順と結束(じゅうじゅんと けっそく)という通常のルール(つうじょうの るーる)より信仰を大切に(しんこうを たいせつに)するという大司教の教え(だいしきょうの おしえ)に従う必要性(したがう ひつようせい)までは理解(りかい)できずにいます( "… but he cannot see the need to follow the Archbishop's example of putting the Faith before all normal rules of obedience and unity." ).

     親愛なる友人の皆さん(しんあいなる ゆうじんの みなさん),そういうわけですから,もし私たちが信仰の豊かさ(しんこうの ゆたかさ)を守り続けることを望み(まもり つづける ことを のぞみ),ほかの人々(ひとびと)も同じようにすることを望む(おなじ ように することを のぞむ)のであれば,私たちは身を隠さなければ(みを かくさな ければ)なりません( "And so, dear friends, if we wish to keep the fullness of the Faith and help others to do so, we must take to the hills." ).何も恐れる(なにも おそれる)ことはありません.毅然(きぜん)としてください( "Have no fear. Keep a cool head." ).失望(しつぼう)したり落胆(らくたん)したりする必要(ひつよう)などありません( "There is no need to lose heart, or despair." ).神(かみ)が変(か)わることはありません( "God does not change, …" ).ですから神のための戦い(たたかい)はこれまで以上(いじょう)に輝(かが)かしいものになります( "… and the fight for his cause becomes more glorious than ever." ).司祭の皆さん(しさいの みなさん),注意を怠らず(ちゅういを おこたらず),とりわけ SSPX 内(ない)に何の変化(なんの へんか)もないなどと思い違い(おもい ちがい)をしないようにしてください( "Priests, keep watch, and above all do not deceive yourselves that nothing in the Society is changing." ).一般信徒の皆さん(いっぱんしんとの みなさん),同(おな)じく注意を怠らず,祈(いの)ってください.神はあなた方の祈りに見合う指導者や司祭たち(いのりに みあう しどうしゃや しさいたち)を与(あた)えてくださいます( "Layfolk, keep watch also, and pray, and God will give you the leaders and priests of your prayers." ).神に信頼し,そして祝福された神の御母(=聖母)に信頼しましょう( "In God we trust, and in his Blessed Mother." ).

     キリエ・エレイソン.

     カトリック教徒(かとりっく きょうと)たちよ,ローマ(教皇庁)が
           承認を願う叫びを
     果たそうとするのを見届けたら,身を隠しなさい!
         
     (かとりっく きょうとたちよ,ろーま きょうこう ちょうが
     しょうにんを ねがう さけびを
     はたそうと するのを みとどけたら,みを かくしなさい)

   ( "Catholics, when you see how Rome fulfils
     A cry for recognition, take to the hills ! " )

     リチャード・ウィリアムソン司教



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2013年12月24日火曜日

335  リユ神父 II 12/14

エレイソン・コメンツ 第335回 (2013年12月14日)

     10月6日パリで行われたリユ神父( "Fr Olivier Rioult" )のインタビュー(エレイソン・コメンツ第333回を参照)から,もう一つ別の問題について引用(いんよう)させていただきます( "Let me quote Fr Olivier Rioult from his October 6 interview in Paris (cf. EC 333) on another question, …" ).いまカトリック教抵抗運動(ていこう うんどう)の内部(ないぶ)でしきりに論争(ろんそう)の対象(たいしょう)となっている問題(もんだい) - すなわち組織(そしき)に関(かん)する問題です( "… much disputed within today's Catholic Resistance – the question of organization." ).リユ神父はインタビューで(以下〈いか〉の二つの質問〈しつもん〉について)どう考えるか問(と)われています.すなわち,世界的な組織(せかいてきな そしき)を新(あら)たに作(つく)るのが可能(かのう)と考(かんが)えるか( "… whether he thought it was possible to set up a new worldwide organization, …" ),それとも長年(ながねん)のあいだ教皇空位論者(きょうこう くうい ろんじゃ)たちを結(むす)びつけてきたような一種(いっしゅ)のゆるい自由(じゆう)な組織(そしき)の方が良いと考えるか( "… or would he rather opt for some kind of free association such as has grouped together sedevacantists for a number of years ? " ),を問われています( "Fr Rioult was asked whether he thought it was possible to set up a new worldwide organization, or would he rather opt for some kind of free association such as has grouped together sedevacantists for a number of years ? " ).以下は質問に対する彼の答えです.今回は彼自身かれ じしん)の言葉をそのまま引用します:-- ( "Here is his answer, this time in his very own words:-- " )

(引用はじまり)

     「私は今後(こんご)数か月(すうかげつ)のあいだに,抵抗運動内(ていこう うんどう ない)のほかのカトリック信徒との友情(ゆうじょう)をベースにした幅広い組織(はばひろい そしき)を設立(せつりつ)するかもしれません( "In the months to come I may be setting up a broad kind of association based on friendship with other Catholics in the Resistance, …" ).その際,彼らが教皇空位論者(きょうこう くうい しゅぎ しゃ)であるかどうかは問(とい)ません( "… whether or not they are sedevacantists, …" ).私にとって,教皇空位論は一つの意見(いけん)にしかすぎません ( "… sedevacantism being for me an opinion." ).ただし,いまのところ,そのような組織を立ち上げるには機が熟(き が じゅく)していません( "But the situation is not ripe here and now for such an association." ).いずれにせよ,カトリック教徒なら誰でも私たちの仲間(なかま)です( "In any case whatever is Catholic is ours." ).カトリック教徒として振る舞い(ふるまい),教会内に君臨(くんりん)する近代主義(きんだいしゅぎ)に抵抗(ていこう)する人たちであれば,私たちは誰とでも共(とも)に行動(こうどう)します( "So any Catholics ready to operate as Catholics and to resist the modernism reigning supreme within the Church, we will work with." ).したがって,私の答えは同じ共通(きょうつう)の善(ぜん):すなわちカトリック教会の信仰(しんこう)と礼拝(れいはい),(訳注・全人類に普遍〈ふへん〉の唯一のカトリック教会の)信仰の擁護(ようご)を分かち合う(わかちあう)幅広い(はばひろい)組織(そしき)であればイエス "yes" です ( "Therefore yes, to a broad kind of association sharing the same common good: the Faith and worship of the Catholic Church, the defence of the Faith." ).この共通の善を持つなら私たちの周(まわ)りのあらゆるグループ同士(どうし)のあいだに友情(ゆうじょう)を作り出だせます( "Having this same common good can create friendship amongst all our groups." ).」

     「私たちが終末の時(しゅうまつの とき)に近(ちか)づけば近づくほど,より多くのカトリック教徒は原理原則(げんり げんそく)でなく実践的(じっせん てき)に無政府主義者(むせいふ しゅぎしゃ)にならざるをえないだろうと私は考えます( " "I think that the closer we come to the end times, the more Catholics will have to be anarchists, not in principle but in practice." ).私が言いたいのは,カトリック教徒はあらゆる権力者(けんりょくしゃ)に逆(さか)らわざるをえないだろうということです( "By which I mean, they will have to be against all the powers that be, …" ).なぜなら,権力者は自然の秩序に反して行動するため,中和させ,弱らせ,倒さなければならないからです( "… because these will all have been neutralized, undermined or subverted, operating contrary to the natural order." ).だがら,カトリック教徒は教会(きょうかい),国家(こっか)を問(と)わずあらゆる権力者に抵抗(ていこう)せざるをえないでしょう( "Hence, in practice, Catholics will have to stand up to them all, in Church or State... " ).そうしなければ,カトリック教徒はフリーメーソンの影響(えいきょう)( "Masonic influence" )で歪(ゆが)められ,結局は現世の君主(げんせのくんしゅ)(=この世の君〈きみ〉"the Prince of this world" )に仕(つか)えることになるからです( "… because they will all be twisted out of shape, under Masonic influence... serving in any case the Prince of this world." )(訳注後記1).そういうわけで,私はより世界的な組織を作るのは極めて難しいと考えます( "So I think it will be very difficult to create any more worldwide structures." ).フランス人のドミニコ会司祭ロジェ・カルメル神父( "Fr Roger Calmel" )は物事(ものごと)について明確な考え(めいか くな かんがえ)を持った人物(もった じんぶつ)でした( "The French Dominican priest, Fr Roger Calmel, had a clear view of things." ).彼は1970年にすでに,組織内(そしきない)で自然(しぜん)に指導者の地位(しどうしゃの ちい)につく人たちは自らの職務(みずからの しょくむ)がその組織内で輝(かがや)くようにし( "As far back as 1970 he said that the natural leaders in any given place will have to make their ministry shine out in that one place, …" ),他(た)の組織の指導者たちと友情以上(ゆうじょう いじょう)の絆(きずな)で結(むす)びつきあわなければならないと述(の)べています( "… being tied by bonds of no more than friendship to the leaders in any other place." ) .」

     「彼は1970年,フランスの定期刊行物(ていき かんこうぶつ)「Itineraires (イティネレール)〈旅程〈りょてい〉〉」誌(し) "Itineraires"(149号)で次のように書いています( " "In 1970, in the French periodical "Itineraires" (#149), he wrote: …" ).『信仰を守る戦いは,きっちりとした世界的な組織(せかいてきな そしき)に入ることを拒(こば)む小(ちい)さなグループでなされなければならない( " "The fight for the Faith will have to be fought by little groups refusing to enter into any structured or universal organizations." ).そのようなさまざまなグループ,たとえば小さな学校(がっこう)( "a small school" ),粗末(そまつ)な女子修道会(じょし しゅうどうかい)( "a humble convent" ),祈祷集会(きとう しゅうかい)( "a prayer group" ),キリスト教徒(きょうと)の家族たちの集会(しゅうかい)( "a gathering of Christian families" ),巡礼(じゅんれい)の準備(じゅんび)・手配(てはい)をする集会でも( "… or the organizing of a pilgrimage, …" ),その権威(けんい)が本物(ほんもの)であり,誰(だれ)からも受け入れ(うけいれ)られていれば十分(じゅうぶん)である( "… the authority is real and accepted by everybody... " )( "Within these various groups, such as a small school, a humble convent, a prayer group, a gathering of Christian families or the organizing of a pilgrimage, the authority is real and accepted by everybody... " )….必要(ひつよう)なことは,個々(ここ)のカトリック教徒が自らの恩寵(おんちょう)の限界(げんかい)まで到達(とうたつ)し( "each Catholic to reach as far as his grace" ),権威者(けんいしゃ)が自(みずか)ら確実(かくじつ)に率(ひき)いる小さな領域(ちいさな りょういき)に身を置き(みを おき)( "… and authority will carry him in the little sphere which is certainly his to lead" ),自分を強要(きょうよう)するような大きな行政組織(ぎょうせい そしき)を上に持たず(うえに もたず),自らの職務(みずからの しょくむ)を果たす(はたす)ことである( "and which he will take charge of without having over him any grand administrative structures to make him do so" )( "All that is needed is for each Catholic to reach as far as his grace and authority will carry him in the little sphere which is certainly his to lead, and which he will take charge of without having over him any grand administrative structures to make him do so'. " " ).』」

(引用終わり)

     もし,カルメル神父が1970年当時(とうじ)の状況(じょうきょう)に照(て)らして上記(じょうき)のことを書(か)いたとすれば,彼はあまりにも先(さき)を見通(みとお)していたと言う人(いう ひと)がいるかもしれません( "If Fr. Calmel wrote that in 1970 for the circumstances of 1970, one might say either that he was seeing too far ahead, …" ).あるいは,人はルフェーブル大司教( "Archbishop Lefebvre" )が SSPX ( = "the Society of St Pius X" = 聖ピオ10世会)を創設(そうせつ)することにより,1970年にはまだ他にできることがあったことを実証(じっしょう)したと言うかもしれません( "… or that Archbishop Lefebvre proved by organizing the Society of St Pius X what could still be done in 1970. " ).だが,私はカルメル神父が長い目(ながい め)で見て正(ただ)しかったと考えます( "But I do think that Fr. Calmel was right in the long run." ). SSPX に昨年(さくねん)起(お)きたことを見て,人は同会が砂に埋もれる(すなに うもれる)宿命(しゅくめい)にあったと言うかもしれません( "One might say, watching what happened to the Society last year, that it was bound to run into the sand." ).ルフェーブル大司教は教皇聖ピオ10世と同じように,驚くばかりの(カトリック教)延命工作(えんめい こうさく)をなされました( "Archbishop Lefebvre, like Pope St Pius X, conducted a marvelous rearguard action, …" ).同教皇より70年遅れて誕生したルフェーブル大司教がなされたことは,その分だけ少ないということなどなかったと人々は注目しています( "… but one notes how much less the Archbishop could achieve, coming70 years later than the Pope, …" ).私たちは大司教から40年遅れての誕生です( "… and now we are 40 years on from the Archbishop." ).破滅(はめつ)に向かう世界にあって,カルメル神父の預言の実現(よげんの じつげん)をいつまでも遅(おく)らせることはできません( "In a world marching to its ruin the realization of Fr. Calmel’s prophecy could not be indefinitely delayed. " ). 親愛なる読者の皆さん,私たちが私たちの主 "Our Lord" と共にとどまることを望(のぞ)むなら,気を引き締めて(きを ひきしめて)奮い立つ(ふるいたつ)以外(いがい)に選択(せんたく)はありません( "Dear readers, if we wish to stay with Our Lord, we have no choice but to gird our loins." ).私はカルメル神父もリユ神父も共に正しいと考えます( "In my opinion, Fr Calmel and Fr Rioult are right." ).神の御母(かみの おんはは),キリストを信じる私たちすべての最大の御助け(さいだいの おんたすけ)となられる方よ( "Help of Christians" ),お助け下さい!( "Mother of God, Help of Christians, help !" )(訳注)

     キリエ・エレイソン.

     リチャード・ウィリアムソン司教



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第3パラグラフの訳注1
「この世の君〈きみ〉」 "the Prince of this world" について:

・サタン=悪魔〈あくま〉のこと.
・神(万物の創造主〈ばんぶつの そうぞうしゅ〉)に反逆〈はんぎゃく〉したサタン〈悪魔〉(被造物〈ひぞうぶつ〉)は,天から地(=現世)に落とされた.
・現世は堕落〈だらく〉した悪魔の支配下にある.
・悪魔は,唯一の真の創造主たる神の被造物たる全人類のうち,神を認めない人間の上に,現世における君主として君臨(くんりん)し,その支配(しはい)を及(およ)ぼしている.
・地上の人間が作り出したものはすべて,この世の君たるサタン(悪魔)の支配下にある.
・悪魔の代名詞は,「権力」「能力」「美」( Power )であり,これらにより悪魔は人間を惑(まど)わす.

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第6パラグラフの訳注

「聖マリアの連禱(祷)(れんとう)」 "Litaniæ Laurentanæ Beatæ Mariæ Virginis" からの引用:

「キリスト信者の助け」
"Auxílium christianórum" (Latinæ)
"Help of Christians" (English)
"Secours des chrétiens" (Français)

→ 聖マリアの称号の一つ

聖マリアは
・主(キリスト)の御降誕ミサ聖祭(クリスマス= Christmas = Christ+mass )で
・最もお側(傍)近くに留まられ(もっとも おそば ちかくに とどまられ)
・キリストを信じる私たちの最大の御助け(さいだいの おんたすけ)となられる方( "Help of Christians" )


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