2012年3月31日土曜日

246 重大な危機 3/31

エレイソン・コメンツ 第246回 (2012年3月31日)

聖ピオ十世会の司祭たちの中には,(訳注・カトリック)教会権威当局( “the Church authorities” )と教義上の合意なしでも( “without a doctrinal agreement” )なんらかの実務的な合意をまとめるべきだ( “…seek a practical agreement” )という誘惑に再びかられている方がいるようです.ここ数年間,聖ピオ十世会総長であるフェレイ司教( “Bishop Fellay as the Society’s Superior General” )はそうした考えを拒(こば)んできました.ところが,同司教は2月2日に米国のウィノナで( “in Winona” )説教された際,ローマ教皇庁(以下,「ローマ」)は聖ピオ十世会をありのまま受け容れる考えであり,「同会のあらゆる要求を…実務的なレベルで」満たす用意があると述べられました.これはローマも同じ考えに傾いているのではないかということです( “…it does look as though Rome is holding out the same temptation once more.” ).

しかし,ローマから届いた最新のニュースは次のようなものです.バチカンが聖ピオ十世会に思わせぶりな態度をとっているのでないとすれば( “…unless the Vatican is playing games with the SSPX,…” ),同当局は3月16日,昨年9月14日付けでバチカンが出した教理前文( “Doctrinal Preamble” )に対するフェレイ司教のことし1月の回答は「教皇庁と聖ピオ十世会との対立の根底に横たわる教理上の問題を乗り越えるには不十分である」と公表しました.その上で,バチカンは聖ピオ十世会に対し一カ月以内に「苦痛を伴う測り知れない結果」を避けるためその方針を修正するよう求めました( “…to correct itself and avoid “a rupture of painful and incalculable consequences.”” ).

だが,もしローマが突然方針を変更して聖ピオ十世会に公会議と新しいミサを受け入れるよう求めなくなったとしたらどうでしょうか? ローマが唐突に「よろしい.私たちは十分考えてみました.あなたたちが望むようにローマに戻ってきなさい.あなたたちが公会議を好きなだけ批判し,独自にトレントミサを祝う自由は与えます.とにかく戻りなさい! 」 と言ったらどうなるでしょうか?( “What if Rome were suddenly to say, “Alright. We have thought about it. Come back into the Church as you ask. We will give you freedom to criticize the Council as much as you like, and freedom to celebrate the Tridentine Mass exclusively. But do come in !”” ) それはローマによるきわめて狡猾(こうかつ)な企(たくら)みということでしょう.というのは,聖ピオ十世会が一貫性を捨ててありがた迷惑だという態度をとらないかぎり,そのようなローマの申し出を拒めるわけがないからです.(訳注・直訳=それはローマ側の非常に狡猾な企みかもしれません.なぜならどうして聖ピオ十世会がいかにも矛盾した全く恩知らずな団体であるかのように人目に映ることなくして,ローマのそのような申し出を拒絶することができるものでしょうか?) ( “It might be a very cunning move on the part of Rome, because how could the Society refuse such an offer without seeming inconsistent and downright ungrateful ?” ) だが,聖ピオ十世会としては自らの存続にかかわる苦痛を考えれば申し出を拒まざるをえないでしょう.( “Yet on pain of survival it would have to refuse.” )存続にかかわる苦痛とはずいぶんきつい言葉です( “On pain of survival ? Strong words.” ).だが,この問題についてルフェーブル大司教は次のように述べておられます.

1988年5月5日,ルフェーブル大司教は当時のラッツィンガー枢機卿( “then Cardinal Ratzinger” )との間でローマと聖ピオ十世会の実務的合意に関する議定書(草案)( “the protocol (provisional draft) of a practical Rome-Society agreement” )に署名しました.翌5月6日,同大司教は(仮)署名を取り消しました.そして6月13日つぎのように言われました.「5月5日の議定書を認めれば私たち(聖ピオ十世会)は間もなく死に絶えることになったでしょう.私たちは1年と続かなかったでしょう.いま現在,聖ピオ十世会は結束しています.だがその議定書を認めれば,私たちは彼ら(ローマ)と接触を持たざるをえなくなり,聖ピオ十世会で内部分裂が起きたでしょう.あらゆることが分裂の原因になったでしょう(強調は筆者が加えたもの).( “As of now the Society is united, but with that Protocol we would have had to make contacts with them, there would have been division within the Society, everything would have been a cause of division” (emphasis added).” ). (議定書を認めれば)私たちはローマと結びつくわけですから,新たな志願者たち( “new vocations” )が続々と遣(つか)わされ私たちの修道会に流れ込んだでしょう.だがそのような志願者たちはみな私たちがローマと対立することなど認めないでしょう――これも私たちの分裂につながるでしょう( ““New vocations might have flowed our way because we were united with Rome, but such vocations would have tolerated no disagreement with Rome – which means division.” ). 実際には,志願者たちは私たちのもとへ赴任(ふにん)するかどうか自ら選んで決めています.」(これは世界各地の聖ピオ十世会の神学校でいまだに行われている実態です.( “As it is, vocations sift themselves before they reach us” (which is still true in Society seminaries).” ))(訳注後記)

そのような分裂が起きるのは何故でしょうか? (相いれない志願者たち “Warring vocations” の存在は無数にある原因のひとつに過ぎないでしょう.) 明白な理由は,5月5日の議定書によると,実務的合意は神の宗教と人間の宗教との間に存在する際立った教義上の不一致の上に成り立っているのがはっきりしているからです( “Clearly, because the May 5 Protocol would have meant a practical agreement resting upon a radical doctrinal disagreement between the religion of God and the religion of man.” ).ルフェーブル大司教は「彼ら(ローマ)は私たちを公会議の方へ引き込もうとしています.ところが私たちは彼らとの間に注意深く距離を置き,聖ピオ十世会と(カトリック教の)伝統を守ろうとしています.」( “They are pulling us over to the Council...whereas on our side we are saving the Society and Tradition by carefully keeping our distance from them” )(強調は筆者)と述べています.ではルフェーブル大司教がそもそもローマとの実務的合意を求めたのは何故でしょうか? 大司教は次のように説明されています.「私たちは公式の教会( “the official Church” )内で伝統が保たれるよう誠実に努めました.だが,それは不可能だと分かりました.彼らは悪い方向以外には何ら変わっていません.」( “We made an honest effort to keep Tradition going within the official Church. It turned out to be impossible. They have not changed, except for the worse.” )

彼らは果たして1988年当時に比べ変わったでしょうか? 多くの人々は彼らがもっと悪い方向へ変わっただけだと考えるでしょう.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *


訳注:

新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第13,14章
THE HOLY GOSPEL OF JESUS CHRIST, ACCORDING TO ST. JOHN CHAPTERS XIII & XIV

第13章

最後の晩餐,洗足
『過ぎ越しの祭りの前に,イエズスは*¹この世から父のもとに移る時が来たのを知り,この世にいるご自分の人々を愛し,*²彼らに限りなく愛を示された
*³食事の時に,*⁴悪魔は早くもイスカリオトのシモンの子ユダの心に,イエズスをわたそうという考えを入れた.

父が自分の手に万物をゆだね,自分は神から出て神に帰ることを知っておられたイエズスは,食卓から立ち上がって上衣を脱ぎ,手ぬぐいをとって腰にまとい,それからたらいに水を入れ,*⁵弟子たちの足を洗い,まとった手ぬぐいでこれをふき始められた.

シモン・ペトロの番になると,「主よ,あなたが私の足をお洗いになるのですか」と聞いた.イエズスが,「私のすることを,あなたは今は知らぬが,後にわかるだろう」と答えられると,ペトロは,「いいえ,けっして私の足を洗わないでください」と言った.イエズスは,「もしあなたを洗わないなら,あなたは私と何のかかわりもなくなる」と答えられた.シモン・ペトロは,「主よ,では,足ばかりでなく手も頭も」と言った.

するとイエズスは,「すでに体を洗った者は、(*⁶足のほか)洗う必要がない,その人は全身清いからである.あなたたちも清い,だがみながそうではない」と言われた.イエズスは自分をわたす者がだれかを知っておられたから,全部が清くはないと言われたのである.

彼らの足を洗い,上衣をとってふたたび食卓につかれたとき,イエズスは言われた,「あなたたちには私のしたことがわかったか.あなたたちは私を先生または主と言う.それは正しい,そのとおりである.

*⁷私は主または先生であるのに,あなたたちの足を洗ったのであるから,あなたたちも互いに足を洗い合わねばならぬ.私のしたとおりするようにと私は模範を示した.

まことにまことに私は言う.奴隷は主人よりも偉大ではない.遣(つか)わされた人は遣わす人よりも偉大ではない.このことを知っていて行うなら,あなたたちは幸せである.

しかしこれは,あなたたちみなについて言ったのではない.私は自分がだれを選んだかを知っている.だが聖書に〈*⁸私のパンを食べる者が,私に向かってかかとをあげた〉とあることは実現されねばならぬ.
今から,*⁹そのことの起こる前に私はこう言う.そのことが起こるとき,私が何者であるかをあなたたちに信じさせるためである.まことにまことに私は言う.私の遣わす人々を受け入れる者は私を受け入れ,私を受け入れる者は私を遣わされたお方を受け入れる」.』

(注釈)

第2部イエズスの受難と死去(13章1節-19章42節)

最後の晩餐(ばんさん),洗足(せんぞく)(13・1-20)
*¹ あるユダヤ人は,過ぎ越し(脱出12・11以下)ということばを,紅海を渡った時のことに言い合わせて,「渡る」の意味に用いていた.
キリストは,罪の奴隷であるこの世から,約束の地なる父のもとに渡られるのである.

*² はじめてヨハネはここで,イエズスの死を人類への愛の死としてとりあげる.最後の時のために隠しておいた秘密を打ち明けるように思える.

*³ この食事の時に定められた聖体も,無限の愛のしるしの一つである.

*⁴ 受難という事件には不可見の世界が働いている.人間の背後には,闇(やみ)の力なる悪魔が働いている(12・31,13・27,16・11,ヨハネの黙示録12・3,17,13・2,ルカ聖福音書22・3,コリント人への手紙〈第一〉2・8).

*⁵ イエズスのこの行いは奴隷の仕事であった.

*⁶ 後の書き入れと思われているこのことばは,主な写本にのっている.

*⁷ イエズスの弟子たちは,謙遜な奉仕をしなければならぬ.

*⁸ 詩篇41・10.ユダの裏切りの預言.

*⁹ ユダの裏切りとイエズスの死は,弟子たちの信仰を固めるにちがいない.
それは,イエズスの上知(じょうち)と聖書の真実とを語っているからである.

***

裏切り者を示す
『イエズスはこう話してから,心中憂いながら,「まことにまことに私は言う.あなたたちの一人が私をわたすだろう」と宣言された.弟子たちは,だれのことを言われるのかわからなかったので,互いに顔を見合わせていた.

*¹イエズスの愛しておられた弟子の一人がそのみ胸によりそって席についていた.シモン・ペトロはその人に合図して,「だれのことを言われるのか尋(たず)ねてくれ」と聞いた.彼がみ胸によりそったまま,「主よ,それはだれですか」と言うと,イエズスは「私がいま浸(ひた)す一口の*²食べ物を与える者がそれだ」と答えられた.そして一片を浸してシモン・イスカリオトの子ユダに与えられた.この一片を受けてのち悪魔はユダに入った.

イエズスは,「おまえのしようとしていることを早くせよ」と言われたが,席についていた者はだれ一人,なぜこう言われたかがわからなかった.ある人々は,ユダが財布を預かっていたから,「祭りにいるものを買え」と言われたか,あるいは貧しい人に何か施しをさせるためであろうと思った.ユダはその一片を受けてすぐ出ていった.時は夜だった.』

新しいおきて
『*³彼が出ていってからイエズスは言われた,「今や人の子は光栄を受けた.人の子によって神が光栄を受けたもうた.神が子によって光栄を受けたもうたのなら,また神はご自分によって子に光栄を与えられるだろう,直ちに光栄を与えられるだろう.

小さな子らよ,私はもうしばらくの閻あなたたちとともにいる.その後,あなたたちは私をたずね求めるだろう.先に私は,*⁴ユダヤ人に〈あなたたちは私の行く所に来られぬ〉と言ったが,今あなたたちにもそう言う.

私は*⁵新しいおきてを与える.あなたたちは互いに愛し合え.私があなたたちを愛したように,あなたたちも互いに愛し合え.互いに愛し合うなら,それによって人はみな,あなたたちが私の弟子であることを認めるだろう」.』

ペトロの否みの預言
『すると,シモン・ペトロが,「主よ,あなたはどこへおいでになるのですか」と聞いた.イエズスは,「私の行く所に,あなたは今はついてこられぬが,*⁶後に来るだろう」と答えられた.

ペトロが,「主よ,なぜ今ついていけないのですか.私はあなたのために命も捨てます」と言ったが,イエズスは「あなたは私のために命を捨てるというのか.まことにまことに私は言う.雄鶏(おんどり)が時を告げるまでにあなたは三度私を否むだろう」と言われた.』

(注釈)

第2部イエズスの受難と死去(13章1節-19章42節)

裏切り者を示す(13・21-30)
*¹ 使徒ヨハネのことである.

*² この食べ物は聖体のことではない.しかし,13・2,18と6・64,70との比較によって,聖体の制定とユダの裏切りとの問に何か関係のあることを示している(ルカ22・21).

新しいおきて(13・31-35)
*³ ユダはサタンに勧められて去った.今や受難の始まりである.
イエズスは,自分の勝利がすでに決定したように話される.

*⁴ イエズスの光栄は,その出発と関連する.
ユダヤ人にとって,もう別れは決定的であるが,弟子たちにとっては一時的な別れである.

*⁵ イエズスの愛をもとにした新しいおきて.
イエズスの死と復活とによって開かれる新時代のしるしでもある.

ペトロの否みの預言(13・36-38)
*⁶ ペトロの殉教(じゅんきょう)の暗示である.

* * *

第14章

弟子らを慰める
『「心を騒がせることはない.神を信じそして私をも信じよ
*¹私の父の家には住みかが多い,もしそうでなければあなたたちに知らせていただろう.私はあなたたちのために場所を準備しに行く.そして,*²行って場所を準備したら,あなたたちをともに連れていくために帰ってくる.私のいる所にあなたたちも来(こ)させたいからである.
私がどこに行くかはあなたたちがその道を知っている」と言われると,トマが,「主よ,私たちはあなたがどこに行かれるかを知りません.どうしてその道がわかりましょう」と言った.

するとイエズスは言われた,「*³私は道であり,真理であり,命である.私によらずにはだれ一人父のみもとには行けない.私を知れば私の父も知るだろう.だがあなたたちは父を知っている,すでに父を見たのだ」.

フィリッポは,「主よ,私たちに父をお見せください.それだけで十分です」と言った.
イエズスは言われた,「フィリッポ,私はこんなに長くあなたたちとともにいたのに,まだ私を知らないのか.私を見た人は父を見た.それなのに,どうして〈父をお見せください〉と言うのか.*⁴私が父におり,父が私にましますことをあなたは信じないのか.

私が話していることばは,自分で話しているのではなく,私にまします父がそのみ業(わざ)を行っておられる.
私を信じよ,私は父におり,父は私にまします.せめてそれを私の業によって信じよ.』

聖霊の約束
『まことにまことに私は言う.*⁵私を信じる者は,私のするようなことを行うであろう.そればかりか,もっと偉大なことを行うだろう,私は父のもとに行くからである.
あなたたちが私の名によって願い求めることはすべてかなえられ,父が子において光栄を受けたもうように私が計らう.あなたたちが私の名によって何かを願い求めるなら,私が計らおう.

あなたたちは*⁶私を愛するなら私のおきてを守るだろう.そして私は父に願おう.そうすれば,父はほかの弁護者をあなたたちに与え,永遠にともにいさせてくださる.それは真理の霊である.
世はそれを見もせず知りもしないので,それを受け入れない.
しかしあなたたちは霊を知っている.霊はあなたたちとともに住んで,あなたたちの中にいますからである.

私はあなたたちを孤児にしてはおかない,ふたたび帰ってくる.
*⁷もう少しすれば,世は私を見なくなる.
しかしあなたたちは私を見るだろう.それは私が生き,あなたたちも生きるからである.*⁸その日には,私が父におり,あなたたちが私におり,私があなたたちにいることを知るだろう.

私のおきてを保ちそれを守る者こそ私を愛する者である.私を愛する者は父にも愛され,私もその人を愛して自分を現す」.

*⁹イスカリオトでないユダが,「主よ,この世にではなくて私たちに,あなたがご自分を現されるのはなぜでしょうか」と聞くと,
イエズスは言われた,「私を愛する者は私のことばを守る.また父もその者を愛される.そして私たちはその人のところに行ってそこに住む.私を愛さない人は私のことばを守らぬ.
あなたたちが聞いているのは私のことばではなく,私を遣(つか)わされた父のみことばである.
私はあなたたちとともにいる間にそのことを話した.だが,弁護者すなわち父が私の名によって送りたもう聖霊は,すべてを教え,あなたたちの心に私の話したことをみな思い出させてくださるだろう.』

弟子たちに平和を残す
『私はあなたたちに平和を残し,私の平和を与える.私はこの世が与えるようにしてそれを与えるのではない.心配することはない,恐れることはない.

〈私は去ってまた帰ってくる〉と私が言ったのをあなたたちは聞いた.もし私を愛しているなら,私が父のもとに行くのを喜んでくれるはずである.*¹⁰父は私よりも偉大なお方だからである.

私はことが起こるとき信じるようにと,ことが起こる前にこうあなたたちに話しておいた.*¹¹この世のかしらが来るから,私はもう長くあなたたちと話し合わぬ.彼は私に対して何もできぬが,私が父を愛しており,父の命令のままに行っていることを,この世は知らねばならぬ.

立て,ここを出よう」.』

(注釈)

弟子らを慰める(14・1-11)
*¹ イエズスはその死をもって天の門を開きに行かれる.その後帰って弟子らを天国に導かれるであろう.

教会の希望は,このキリストの約束の上に立っている
(〈新約聖書〉ティモテオへの手紙〈第一〉4・16以下,コリント人への手紙〈第一〉4・5,11・26,16・22,黙示22・17,20,ヨハネの手紙〈第一〉2・28).

*³ イエズスは,御父のことを啓示する「」であり(1・18,12・45,114・9),御父が喜ばれる霊の宗教を教える「真理」であり(4・23以下),また,
永遠の命が,み子に宿る御父のことを知るところにあるという意味で,「」である(17・3).

*⁴ イエズスは父との同等を宣言された.
み子は御父におられ,御父はみ子においでになることを知るのは信仰である.

聖霊の約束(14・12-26)
*⁵ 奇跡をしるしとする救いの使命は,弟子たちに受け継(つ)がれる
弟子たちは,キリストが送る聖霊によって特能を受ける(7・39,16・7).

*⁶ イエズスは,神と同様に愛され服従されるお方である.その権威を示された.

*⁷ 世間は,一度亡くなられたイエズスを忘れ去ってしまうだろうが,しかし弟子たちは,復活したキリストを霊的に見て,信仰によってそれを見続ける(20・29).

*⁸ 「その日」はイエズスの復活に続く日々のことをいう.

*⁹ ヤコボの兄弟のユダ(ルカ聖福音書6・16,使徒1・13),タダイ(マテオ聖福音書10・3,マルコ聖福音書3・18)と同じ人.

弟子たちに平和を残す(14・27-31)
*¹⁰ 神として父と平等であるが,人間としてイエズスは父の下にある.

*¹¹ この世のかしらは悪魔である.悪魔はけっしてイエズスの命に手をかけることができない,もしイエズスが自(みずか)ら死を迎(むか)えなかったならば.

* * *

以下の聖書のみことばを,後から追加掲載いたします.
新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第19章25-27節.

* * *

2012年3月27日火曜日

245 転機-2- 3/24

エレイソン・コメンツ 第245回 (2012年3月24日)

聖ピオ十世会の司祭たちの中には,(訳注・カトリック)教会権威当局( “the Church authorities” )と教義上の合意なしでも( “without a doctrinal agreement” )なんらかの実務的な合意をまとめるべきだ( “…seek a practical agreement” )という誘惑に再びかられている方がいるようです.ここ数年間,聖ピオ十世会総長であるフェレイ司教( “Bishop Fellay as the Society’s Superior General” )はそうした考えを拒(こば)んできました.ところが,同司教は2月2日に米国のウィノナで( “in Winona” )説教された際,ローマ教皇庁(以下,「ローマ」)は聖ピオ十世会をありのまま受け容れる考えであり,「同会のあらゆる要求を…実務的なレベルで」満たす用意があると述べられました.これはローマも同じ考えに傾いているのではないかということです( “…it does look as though Rome is holding out the same temptation once more.” ).

しかし,ローマから届いた最新のニュースは次のようなものです.バチカンが聖ピオ十世会に思わせぶりな態度をとっているのでないとすれば( “…unless the Vatican is playing games with the SSPX,…” ),同当局は3月16日,昨年9月14日付けでバチカンが出した教理前文( “Doctrinal Preamble” )に対するフェレイ司教のことし1月の回答は「教皇庁と聖ピオ十世会との対立の根底に横たわる教理上の問題を乗り越えるには不十分である」と公表しました.その上で,バチカンは聖ピオ十世会に対し一カ月以内に「苦痛を伴う測り知れない結果」を避けるためその方針を修正するよう求めました( “…to correct itself and avoid “a rupture of painful and incalculable consequences.”” ).

だが,もしローマが突然方針を変更して聖ピオ十世会に公会議と新しいミサを受け入れるよう求めなくなったとしたらどうでしょうか? ローマが唐突に「よろしい.私たちは十分考えてみました.あなたたちが望むようにローマに戻ってきなさい.あなたたちが公会議を好きなだけ批判し,独自にトレントミサを祝う自由は与えます.とにかく戻りなさい! 」 と言ったらどうなるでしょうか?( “What if Rome were suddenly to say, “Alright. We have thought about it. Come back into the Church as you ask. We will give you freedom to criticize the Council as much as you like, and freedom to celebrate the Tridentine Mass exclusively. But do come in !”” ) それはローマによるきわめて狡猾(こうかつ)な企(たくら)みということでしょう.というのは,聖ピオ十世会が一貫性を捨ててありがた迷惑だという態度をとらないかぎり,そのようなローマの申し出を拒めるわけがないからです.(訳注・直訳=それはローマ側の非常に狡猾な企みかもしれません.なぜならどうして聖ピオ十世会がいかにも矛盾した全く恩知らずな団体であるかのように人目に映ることなくして,ローマのそのような申し出を拒絶することができるものでしょうか?) ( “It might be a very cunning move on the part of Rome, because how could the Society refuse such an offer without seeming inconsistent and downright ungrateful ?” ) だが,聖ピオ十世会としては自らの存続にかかわる苦痛を考えれば申し出を拒まざるをえないでしょう.( “Yet on pain of survival it would have to refuse.” )存続にかかわる苦痛とはずいぶんきつい言葉です( “On pain of survival ? Strong words.” ).だが,この問題についてルフェーブル大司教は次のように述べておられます.

1988年5月5日,ルフェーブル大司教は当時のラッツィンガー枢機卿( “then Cardinal Ratzinger” )との間でローマと聖ピオ十世会の実務的合意に関する議定書(草案)( “the protocol (provisional draft) of a practical Rome-Society agreement” )に署名しました.翌5月6日,同大司教は(仮)署名を取り消しました.そして6月13日つぎのように言われました.「5月5日の議定書を認めれば私たち(聖ピオ十世会)は間もなく死に絶えることになったでしょう.私たちは1年と続かなかったでしょう.いま現在,聖ピオ十世会は結束しています.だがその議定書を認めれば,私たちは彼ら(ローマ)と接触を持たざるをえなくなり,聖ピオ十世会で内部分裂が起きたでしょう.あらゆることが分裂の原因になったでしょう(強調は筆者が加えたもの).( “As of now the Society is united, but with that Protocol we would have had to make contacts with them, there would have been division within the Society, everything would have been a cause of division” (emphasis added).” ). (議定書を認めれば)私たちはローマと結びつくわけですから,新たな志願者たち( “new vocations” )が続々と遣(つか)わされ私たちの修道会に流れ込んだでしょう.だがそのような志願者たちはみな私たちがローマと対立することなど認めないでしょう――これも私たちの分裂につながるでしょう( ““New vocations might have flowed our way because we were united with Rome, but such vocations would have tolerated no disagreement with Rome – which means division.” ). 実際には,志願者たちは私たちのもとへ赴任(ふにん)するかどうか自ら選んで決めています.」(これは世界各地の聖ピオ十世会の神学校でいまだに行われている実態です.( “As it is, vocations sift themselves before they reach us” (which is still true in Society seminaries).” ))(訳注後記)

そのような分裂が起きるのは何故でしょうか? (相いれない志願者たち “Warring vocations” の存在は無数にある原因のひとつに過ぎないでしょう.) 明白な理由は,5月5日の議定書によると,実務的合意は神の宗教と人間の宗教との間に存在する際立った教義上の不一致の上に成り立っているのがはっきりしているからです( “Clearly, because the May 5 Protocol would have meant a practical agreement resting upon a radical doctrinal disagreement between the religion of God and the religion of man.” ).ルフェーブル大司教は「彼ら(ローマ)は私たちを公会議の方へ引き込もうとしています.ところが私たちは彼らとの間に注意深く距離を置き,聖ピオ十世会と(カトリック教の)伝統を守ろうとしています.」( “They are pulling us over to the Council...whereas on our side we are saving the Society and Tradition by carefully keeping our distance from them” )(強調は筆者)と述べています.ではルフェーブル大司教がそもそもローマとの実務的合意を求めたのは何故でしょうか? 大司教は次のように説明されています.「私たちは公式の教会( “the official Church” )内で伝統が保たれるよう誠実に努めました.だが,それは不可能だと分かりました.彼らは悪い方向以外には何ら変わっていません.」( “We made an honest effort to keep Tradition going within the official Church. It turned out to be impossible. They have not changed, except for the worse.” )

彼らは果たして1988年当時に比べ変わったでしょうか? 多くの人々は彼らがもっと悪い方向へ変わっただけだと考えるでしょう.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *


第4パラグラフ最後の訳注:
「実際には,志願者たちは私たちのもとへ赴任(ふにん)するかどうか自ら選んで決めています.」
( “As it is, vocations sift themselves before they reach us….” )について.

・「新たな志願者たち」 “new vocations” … 本来は「神の召命,神から呼ばれた人たち,神より召し出されてきた人たち」の意味があった.今でもあるべきはずである.
神がお選びになり神の僕(しもべ,=召使い)として召し出された人たちのこと.
(実例・旧約時代のイスラエルの父祖アブラハムや預言者モーゼ,新約時代の聖ペトロや聖パウロなど.)

・「神の御意思に無条件に従う」というよりも,その時々の社会や人間関係の状況次第で「人の恣意(しい)で」いくらでも変更され得るものとなれば,当然人間相互の争いも絶えなくなる.
目前の出来事を神への信仰〈信頼)の目で見ることにより,神の御旨に全て委ねるという信仰を実践する礎(いしずえ)となるべき「神の真理」がそこになくなってしまうからである.

・しかし,神の真理を犠牲にするなら,必ず最終的な崩壊を人間自身の身に招くことになる.

・神はただ一人キリストの御受難(十字架上の死)によって世界を救われた.
キリストは人間的には弱者だったが,神の御力により悪に打ち勝たれた.
また,神の恩寵は,人の弱さのうちに完全に現れる.

人の目に無力に映る「弱さ」を通して力強く働かれる神の恩寵を,たとえ人間的な知恵で理解することができなくても,信仰によって信じ,神の救いを待ち望み,神があえてお許しになっておられる現在の苦境を耐え忍ぶところに,真理が目に見える形をとって現れる.
それを示すのが「キリストの御受難(十字架上の死)と御復活」である.

誰でも真面目に生きていれば,初めのうちは見せかけのごまかし・偽りがきいても,最後には真理だけしか残らないということが分かる.
敵の数や規模がいかに無数で巨大に見えても,そこに真理がなければいつか必ず滅亡する.

どんな時も決して恐れることなく,ただ唯一のキリストによる真理のうちに堅くとどまり,地上最大級の悪や災害さえも用いて真理・善の最終的な勝利にまで導かれる全能の神を信頼し,その神から来る救いを待ち望み続けることが,人間が救われるただ一つの道である.

・神にすべてを委ねられたキリストにならい,このような「信仰による勝利の道」を最も完全に果たされた人が,神(=キリスト)の御母・聖マリアである.

・聖母マリアは,御子イエズス・キリストの十字架上の死に,十字架のふもとで最後まで立ち会われ,キリストによる贖(あがな)いの御業に共にあずかる者となった.
またこの時,聖母マリアはキリストにより「全キリスト信者の母」とされた.

・聖母マリアは,今日に至るまで,全人類のために神にとりなしておられる.
聖母マリアは,キリスト信者が最も模範とすべき鑑(かがみ)である.

・以下の聖書のみことばを,後から追加掲載いたします.
新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第14章,第19章25-27節.
(聖書は,次回「246回」の訳注に掲載いたしました.)

* * *

2012年3月25日日曜日

245 ニコラ・ブクス閣下 “MGR. NICOLA BUX” の公開書簡への公開返書 (3/22)

エレイソン・コメンツ 第245回  (2012年3月22日)
 
(2012年3月24日・複製許諾付掲載見込み)

ロンドン,2012年3月22日.

閣下,

閣下貴殿はフェレイ司教 “Bishop Fellay” および聖ピオ十世会のすべての司祭に宛てられた3月19日の公開書簡の中で,ローマ教皇庁(以下,「ローマ」)と聖ピオ十世会の間の長年の断絶を解くため教皇ベネディクト16世が聖ピオ十世会に寄せた誠実かつ心温まる和解の申し出を私たちが受け入れるよう呼びかけられました.呼びかけを受けた聖ピオ十世会所属の諸司祭のひとりとして,私は「偉大な聖職者」であったルフェーブル大司教( “…“great churchman”, Archbishop Lefebvre.” )なら出されただろうと思えるお返事についてあえて私見を述べさせていただきます.

貴殿は書簡の冒頭で「結束(けっそく)の名の下にあらゆる犠牲」を捧げるよう訴えておられます.しかしながら,真のカトリック信仰に基づかない真のカトリックの結束などあり得ません( “…there can be no true Catholic unity that is not grounded in the true Catholic Faith.” ).偉大なルフェーブル大司教は(訳注・カトリック)信仰の真の教理( “in the true doctrine of the Faith” )に基づく結束のためにあらゆる犠牲をいけにえとして神に捧げられました.残念なことに,2009年から2011年にかけて行われた教理に関する協議( “the Doctrinal Discussions of 2009-2011”.=教理上の論議 )は第二バチカン公会議体制下のローマと聖ピオ十世会との亀裂(きれつ)( “the doctrinal rift between the Rome of Vatican II and the SSPX” )がこれまでにも増して深いことを証明しただけでした.

貴殿はこの亀裂に言及され,それは単に「残された難問で深く掘り下げもしくは詳述すべき論点」( “…remaining perplexities, points to be deepened or detailed” )にすぎないと言われました.だが,3月16日にレヴェイダ枢機卿 “Cardinal Levada” はフェレイ司教が1月12日に明らかにした立場について「教理上の問題を克服するには不十分だ」と断定されました.フェレイ司教はかつてローマの聖職者たちの間でも互いに見解に隔(へだ)たりがあると指摘されました.その方たちが言われる結束がいかなるものであるにせよ,結束のために(訳注・カトリック)信仰を犠牲にするのは信仰のない結束というものでしょう.( “…but be their unity what it may, in any case Faith sacrificed for unity would be a faithless unity.” )

ご指摘の通り,むろん教会( “the Church”,=カトリック教会を指す)は神性(=神聖)と人性(=人間性)の双方( “both divine and human” )の性格を持つ機構です.むろん,その神性の要素が崩(くず)れることは決してあり得ませんから,その当然の成りゆきとして教会が最終的に崩れ落ちるということも決してあり得ず,陽は必ずまた昇(のぼ)るでしょう.貴殿は夜明けが近いと言われましたが,その点に異論を唱える者もいるのではないでしょうか.なぜなら,教理に関する協議で聖ピオ十世会が堅持(けんじ)した真のカトリック信仰( “true Faith” )は第二バチカン公会議体制下のローマから輝き出ているものではないからです( “…is not shining out from the Rome of Vatican II,” ).聖ピオ十世会は(訳注・第二バチカン公会議体制下の)ローマでは無事安全たり得ません.また,もし聖ピオ十世会が自ら公会議の闇( やみ,“the Councilar darkness” )を受け入れるなら光をもたらすことなどできません.

聖ピオ十世会を(訳注・ローマへ)呼び戻し再び「完全な教会の交わり」に迎え入れたいという教皇の願望( “…the Pope’s wish to welcome back the SSPX into “full ecclesial communion”,” )が誠実なものであることは,一連の好意的なジェスチャーが示すとおり疑う余地はありません.しかし,聖ピオ十世会と第二バチカン公会議の信奉者が「信仰を共に宣言」( “common profession of faith” )するのは,聖ピオ十世会が協議の席上で擁護(ようご)した信仰を見捨てない限り不可能です( “…but “a common profession of faith” between the SSPX and believers in Vatican II is not possible, unless the SSPX were to desert that Faith which it defended in the Discussions.” ).そして聖ピオ十世会がいかなる形であれそのように信仰を見捨てることなど「とんでもない!(訳注・〈決してあってはならないことだ,神が禁じられる,決してお許しにならない〉の意味を含む)」と叫ぶとき,聖ピオ十世会の声は封(ふう)じ込められるどころか世界の至るところに行きわたり “And when the SSPX cries “God forbid!” to any such desertion, far from its voice being stifled, it is heard all over the world, …” ),教会のためにカトリックの果実(かじつ, “Catholic fruits” )を結実(けつじつ)させています.ただ,いまのところその果実は規則というよりは例外にとどまっています( “…and it bears for the Church Catholic fruits which today are the exception rather than the rule.” ).

貴殿が言われる通り,確かに今が教会と世界が抱える苦渋(くじゅう)に満ちた諸問題( “…the agonizing problems of Church and world.” )を解決する「適切な時」であり,確かに「好機の到来」でしょう.だが,その問題解決とは(訳注・今日に至るまで)もう長年の期間にわたり天の御母 “the Heavenly Mother” (訳注後記)が(訳注・全カトリック信者に)呼びかけてこられ,(今もなお)叫び求めつつお望みになり続けておられることで,聖父 “the Holy Father” (訳注後記)によってのみもたらすことができるものです( “…depends upon the Holy Father alone.” )事実,私たちの主 “Our Lord” (訳注後記)がその御母(=聖母)のみ手にその解決を委(ゆだ)ねられたとき,聖母は(訳注・聖母のみ手を通す〈聖母による〉以外の)ほかの解決はどれもみな役立たないだろうと言われました.そこで,主は聖母を嘘(うそ)つきにすることなしに(訳注・聖母を通さない〈聖母によらない〉)ほかのどんな解決も役立つようにすることができなくなりました! (聖母を嘘つきにするなど)考えられないことです.

ここに言う問題解決とは長い間知れ渡っているものです.というのも,どうして天が世界を過去百年に起きたと同じような困窮(こんきゅう)状態に置きながら,預言者エリシャ( 訳注・バルバロ訳「エリゼオ」.英語原文= “prophet Elisha” )がらい病( “leprosy” )を患(わずら)うシリアの将軍ナーマン( “the Syrian General Naaman” )に施したと同じような治療(=救済策)を与えないまま放置することがあり得るでしょうか? 人間的な言い方をすれば,ヨルダン川で水浴びをする(“…bathing in the River Jordan seemed ridiculous,…”)など馬鹿げたことに思えたかもしれません( “…bathing in the River Jordan seemed ridiculous,…” ).だが,誰も無理だとは言いませんでした.そうするには,ただ多少の信仰と謙虚さを必要としただけでした( “It required merely some faith and humility.” ).異教徒の将軍は神の人( “the man of God”,預言者エリシャのこと. )にありったけの信仰と信頼を置き,天が彼に求めたことを行いました.むろん,将軍は立ちどころに完治しました( “The pagan General gathered together enough faith and trust in the man of God to do what Heaven asked for, and of course he was cured instantaneously.” ).(訳注後記)

聖父が天の御母のお約束にありったけの信仰と信頼を置くのに任せましょう! 世界経済が崩壊して廃墟(はいきょ)と化し,狂人どもが中東で第3次世界大戦を引き起こすことに成功する前に聖父がこの「適切な時(好機)」をとらえるのに任せましょう! 聖父がただ一つだけ,すなわち天の御母のお望みになられることだけを行うことで,教会と世界をお救いくださるよう,私たちは聖父にお任せ(委託)し,聖父に懇願(こんがん)し,聖父に切望(せつぼう)しましょう.それは不可能なことではありません.天の御母は聖父の行く手を邪魔するあらゆる障害(物)を聖父の仕方を通じて打開されるでしょう( “She would overcome all obstacles in his way.” ).天の御母がお求めになることを為(な)すことにより,私たちを想像を絶する――そして不必要な――苦痛から救うことができるのはただ一人聖父だけです.

そして,もし聖父が,天の御母(=聖母)が呼び集めるであろう世界中のすべてのカトリック司教たちが一致結束する中でロシアを天の御母の汚れなき御心( “Immaculate Heart” )に奉献するにあたり,( “to consecrate Russia to her Immaculate Heart in union with all the bishops of the world, whom the Heavenly Mother would rally,” ),卑(いや)しき聖ピオ十世会による祈りや行動の支援をお望みであれば( “…if he wishes for any support in prayer or action with which the humble SSPX could help him,” )フェレイ司教をはじめ聖ピオ十世会の他の3名の司教の支援を真っ先に当てにできることは聖父ご自身がご存じでしょう.その末席(まつせき)に連(つら)なる

キリストにおける貴殿の献身的なしもべ,  

+リチャード・ウィリアムソン.



* * *


第6パラグラフの訳注:

天の御母 “the Heavenly Mother”
神(すなわちキリスト)とその信者の御母なる「聖母マリア」を指す.

聖父 “the Holy Father”
キリストは使徒ペトロに教会の首位権をお与えになった(新約聖書・ヨハネによる聖福音書:第21章17節参照).
その聖ペトロの正統な後継者たる「ローマ教皇(ローマの司教)」を指す(=Papa, Pope).

私たちの主 “Our Lord”
神の御子,救世主「イエズス・ キリスト」のこと.

* * *

第7パラグラフの訳注:
預言者エリゼオとシリアの将軍ナアマンについて(旧約聖書からの引用).
The prophet “Elisha (In English via Hebrew), Eliseus (via Greek and Latin)”

旧約聖書・列王の書下:第5章1-27節
THE FOURTH BOOK OF KINGS V, 1-27

Naaman the Syrian is cleansed of his leprosy. He professeth his belief in one God, promising to serve him. Giezi taketh gifts of Naaman, and is struck with leprosy.

第5章

ナアマンは治る
アラム王の軍隊の長ナアマンは,王の前に勢力もあり大いに尊敬もされていた.*¹主はこの人によってアラムを救われたからである.ところが,この人*²はらい病にかかっていた.さてアラム人は略奪に出て,イスラエルの地から一人の娘を奪い去った.この娘はナアマンの妻に仕えるようになった.ある日この娘はナアマン夫人に言った,「ご主人がもしサマリアにいる預言者にお会いになれたら,きっとらい病は治るでしょう」.

ナアマンはそのことを王に告げて,「イスラエルの地からきた娘がこう言いました」と知らせた.アラム王は,「では行くがよい,私もイスラエル王に手紙を書いてやる」と答えた.そこでナアマンは銀十タレントと黄金六千シェケルと,着替え十着を携えて出発した.また,イスラエル王には,「……あなたがこの手紙を受け取られたら,私が家来ナアマンをそちらに送ったのはらい病を治していただくためであるとご了承ください」という意味の手紙も持っていた.

イスラエル王はその手紙を読むと服を裂いて叫んだ,「らい病を治してくれるように人を送ったというが,私は人の生死をつかさどる神ではない.よく考えてみれば,彼は私を攻める言いがかりを見つけようとしているのだ」.

神の人エリゼオはイスラエル王が服を裂いたと聞き,王に使いを送って言った,「なぜ服を裂かれたのですか.その人を私のところにこさせればよろしい.イスラエルには預言者のあることを知らせられます」.

ナアマンは馬と車を従えてきてエリゼオの門前に止まった.
エリゼオは人を送ってナアマンに告げた,「ヨルダン川の水で七たび身を洗え.そうすればあなたの体はもとのようになり,病気は清められる」.

それを聞いてナアマンは腹を立てた.「私はこう思っていた,彼は私を出迎えてそばに立ち,患部に*³手をあてて主なる神にこいねがうだろう.そうして私の病気を治してくれるだろうと.ダマスコのアバナ川やパルパ川のほうが,イスラエルの川の水より効き目があるのだ.身を清めるためならその川で洗ったほうがましだ」と言って立ち去り,怒りに燃えて帰途についた.

けれども彼の家来たちが主人に近づいて言った,「あの預言者がむずかしいことをあなたに命じたら,きっとそのとおりにされたでしょう.〈身を洗えば清くなる〉と彼は言ったのですから,そんなやさしいことなら,なおさらやって見ればよろしいでしょう」.そう言われてナアマンはヨルダン川に下り,神の人に命じられたように,七たびその水に入って身を洗った.すると彼の体は子どもの体のように清くなった.

ナアマンは供の者を連れて神の人のところに引き返し,家に入り,エリゼオの前に立って言った,「この世にはイスラエルの神のほかには神はないと知りました.どうぞこのしもべの贈り物を受けてください」.エリゼオは,「私の仕(つか)える主の命に誓(ちか)って,あなたの贈り物を受け取れません」と言った.ナアマンは受け取ってくれと何度も頼んだが,エリゼオは聞かなかった.

そこでナアマンは言った,「あなたは何も受け取ってくださいませんけれども,このしもべに二頭のらばにつめるだけの土を少し譲(ゆず)ってください.これから私は,もう主のほかの神々には燔祭(はんさい)もいけにえもささげないつもりです.
ただ主におゆるし願いたいことがあります.主人が私の腕にもたれてリムモン神殿に参拝にいくとき,主人がひれ伏せば私もリムモン神(がみ)の前にひれ伏さぬわけにはいきません.主がこのことをおゆるしくださるようにお願いします」.エリゼオは「安心するがよい」と答えた.

ナアマンがかなりの道のりを進んだころ,神の人エリゼオのしもベゲハジはこう思った,「ご主人はアラム人ナアマンの贈り物を一つも受け取らなかった.主のお命(いのち)に誓って言う,私は彼を追いかけて何かもらってこよう」.

ゲハジはナアマンのあとを追った.ゲハジが追いかけてくるのを見たナアマンは,車を下りて彼を待ち,「すべては無事か」と尋(たず)ねた.ゲハジは,「無事です.ご主人が私をこうして送られたのは,エフライムの山地からちょうど今日,預言者たちの若い弟子二人がきたからです.もしよければ銀一タレントと服二着をやってくださいませんか」.ナアマンは「いやどうぞ二タレントを受け取ってください」と言った.無理にそう頼み銀二タレントと服二着を二つの袋に入れ,召使い二人にそれを持たせてゲハジに贈ることにした.

*⁴丘に着くとゲハジは彼らの手から袋を受け取り,家に納(おさ)めてから彼らを送り出した.二人は去った.そして主人の前に出ると,エリゼオは,「ゲハジ,どこに行ったのか」と聞いた.ゲハジは私はどこにも行きませんでした」と答えた.だがエリゼオは重ねて言った,「ある男がおまえを出迎えようと車を下りたとき,私の心は騒いだ.おまえは金を受け取ったろう,庭園,オリーブ畑,ぷどう畑,大小の家畜,男女のしもべなどを買えるだろう.だがおまえとその子孫には,いつまでもナアマンのらい病がふりかかるのだ」.こうしてゲハジはらい病にかかり,雪のように白くなったままエリゼオのもとを去った.

(注釈)

ナアマンは治る(5・1-27)

この出来事の年代は確実でないがベン・ハダド(8・7)(前八四六年ごろ)の晩年だとすると、このナアマンはサルマナサル三世の侵入を防ごうとしたカルカル(前八五三年),カルケミス(前八四九年),ハマト(前八四八年)の戦いに戦功を立てた人であろう.

*¹ まことの神なる主はアラム人も助けたもうたのであろう.

*² ヘブライ人は一般の皮膚病も,らい病と呼んでいた.

*³ 祝福の動作をいう(〈旧約〉脱出の書29・24,レビ7・30).ナアマンは魔法の手ぶりのことでも考えていたのだろう.

*⁴ ヘブライ語原文には「オフェル」とある.エルザレムにも同じ名の丘があった(歴代下27・3).


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2012年3月22日木曜日

244 アメリカのシェイクスピア? (3/17)

エレイソン・コメンツ 第244回 (2012年3月17日) 

近代映画に関わった人物をそれが誰であれ史上最大の詩人,劇作家(げきさっか)と比較するのは馬鹿げているとおもわれる方が多いでしょうが,アイルランドの生んだ偉人(いじん)でアメリカの映画監督だったジョン・フォード(1895-1973)( “…a great son of Ireland, the American film-director John Ford (1895-1973)” )をその経歴とウィリアム・シェイクスピア(1564-1616) “William Shakespeare (1564-1616)” の経歴の共通点を指摘することで追悼するには聖パトリック祭 “St. Patrick’s Day” (訳注・毎年3月17日)が相応(ふさわ)しい機会ではないでしょうか? 試してみましょう:--

まず初めに,二人とも大成功した大衆エンタテーナー “popular entertainers” でした.シェイクスピアが著作を始めたのは英文学の執筆でなく,舞台上演用の新しい劇作new plays to put on stageを常に必要としていたグローブ座the Globe Theatre companyのために脚本 “scripts” を書くことでした.1592年から20年足らずでロンドンから逃れるまでの間に彼はざっと35本ほどの脚本を書きました.作品は歴史,戯曲,コメディー,悲劇,ロマンス( “…history plays, comedies, tragedies, romances.” )と広範囲にわたり,そのすべてが人気を呼びました.これはシェイクスピアがグローブ座に深く関わり観客に密着していたからです.ジョン・フォードについて言えば,アメリカの映画愛好者の新作への飽くなき求めに応えるべく1917年から1970年までの間に常連の俳優を登用して140本以上の映画を監督しました.その作品はシェイクスピアと同じように,お笑いから深刻な内容のもの,上流社会の生活から裏社会の人間を描いたものまで ( “…comic and serious, high life and low life” )多様でした.彼の作品の多くも大当たりでした.シェイクスピアと同じようにフォードも大衆を熟知していた( “…Ford like Shakespeare knew his public” )からです.

二人が大成功したのはともに大衆娯楽の根底にある物語の語り手だったからです.二人とも観客の心をつかみ,次に何が起きるのだろうか? とハラハラドキドキさせました.語り手は絶大な影響力を持ちうるわけですから,二人ともそれぞれ自国民の性格形成に一役(ひとやく)果たしました “…both men helped to mould their nations’ character.” シェイクスピアの歴史劇は当時始まったばかりのチューダー王朝 “Tudor dynasty” の宣伝の役割を果たし,いらい中世時代the Middle Agesから抜け出したばかりの英国国民の自己感覚( “Englishmen’s view of themselves” )にたえず影響を与え続けました.同様にフォードも米国の歴史について鋭い感覚(“a keen sense of American history” )を持っていて(たとえば “The Last Hurrah” =邦訳「最後の歓呼」),「大西部」 ( “Wild West” )を題材に「西部劇( “Western” )」という神話を造り出し( “…creating the myth of the “Western” that fabricated America’s “Wild West”,” )いらいアメリカ人といえばカウボーイを連想させるほどアメリカ人の性格形成( “the American national character” )に一役買いました.

シェイクスピアもフォードもそれぞれの活動分野で熱心に修業を積(つ)みました.シェイクスピアはグローブ座の役員会のメンバーでしたし,フォードは数年間カメラマンとして修行した後監督になりました.シェイクスピアは詩人として比類のない言葉の細工師(さいくし.=職人,文章家)ですが,フォードの作詩技法 “poetry” は彼のカメラワークかもしれません.その後輩出した多くの映画監督はフォード作品を観てカメラの使い方を学びました.フォードは自ら描く絵の動き,すなわちムービー “movies” の細かな構成について独特の目を持っていました.もう一人の有名な映画監督だったオーソン・ウェルズ “Orson Wells” は最も感銘を受けた監督は誰かと問われ,「私は巨匠(きょしょう)が好きです.わたしが言う巨匠とはジョン・フォード,ジョン・フォード,ジョン・フォードです.( “I like the old masters, by which I mean John Ford, John Ford and John Ford” )」と答えています。別のある映画監督はフォードの作品を「簡潔さと力強さ」の点で中世のベートーベンに通ずるものがあると評しています!

最後にシェイクスピアもフォードもともにカトリック信者でした.シェイクスピアの作品の中で最も奥深いドラマは,楽しき英国が後戻りできない背教(はいきょう)に陥(おちい)った悲劇( “…the tragedy of Merrie England’s irreversible slide into apostasy” )についての彼のカトリック信者としての感覚――表向きには分からないように描(えが)かれていますが――から生まれているのは確かです.フォードはカトリック教のアイルランド( “Catholic Ireland” )に生まれ米国に移民として渡った両親の11人の子供の10番目でした.自分の祖先へ寄せるカトリック信仰 “…the Faith of his ancestors” が彼にひと昔前のアメリカの無邪気さ,良識( “…the relative innocence and decency of yesterday’s America” )を偲(しの)ばせたのは間違いないところです.かつてのアメリカには女性らしい女性( “womanly women” )とフォードの作品でジョン・ウェインが典型的に演じた厳格で男らしいヒーロー( “…manly and upright heroes as typified in Ford’s films by John Wayne.” ) がいました.近代映画のキングがシェイクスピアに匹敵するような劇作家とならんで偉人用の殿堂に入ることはないでしょう.だがジョン・フォードは殿堂入りする数少ない近代のキングの一人でした.

アイルランド,そしてアメリカに感謝. お二人とも聖パトリック祭おめでとう!

キリエ・エレイソン .

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *

第5パラグラフの訳注:
“Merrie England” について.

= 「楽しきイングランド」.
産業や都市が発達する以前の,特にエリザベス期の古き良きイングランドを指す.
昔からある呼称.
昔は多くの歌と踊りと喜びに囲まれて,シンプルに楽しく暮らしたものだ,と懐(なつ)かしむ.

* * *

2012年3月19日月曜日

243 転機 (3/10)

エレイソン・コメンツ 第243回 (2012年3月10日)

聖ピオ十世会総長(訳注・“the Society of St Pius X’s Superior General” =フェレー司教)は先月アメリカで説教された際にローマ教皇庁(以下, “ローマ” )と聖ピオ十世会の関係につき( “on Rome-SSPX relations” ),ローマが聖ピオ十世会をありのまま容認するなら両者間でなんらかの実務的な合意が可能かもしれないだろうと述べ,ルフェーブル大司教がそのような取り決めができるなら受け入れ得るとしばしば仰っておられたと言われました.だが,フェレー司教 “Bishop Fellay” はルフェーブル大司教がその趣旨の発言を最後にされたのは1987年だったと付け加えられました.この短い付言の持つ意味はきわめて重要で,とりわけ1988年のルフェーブル大司教による四名の司教叙階という歴史的なドラマ( “…the historic drama of the Episcopal Consecrations of 1988” )のことをあまり知らない若い世代のために,詳しく検討するに値します.

実際のところ,第二バチカン公会議(1962-1965) “the Second Vatican Council (1962-1965)” はドラマの中のドラマ “the drama of dramas” で,これがなければ聖ピオ十世会が存在することはけっしてなかったでしょう.この公会議で世界中のカトリック司教たちの大半が教会の「近代化」( “up-dating” )に関する諸文書に署名し,それによりカトリックの権威派がカトリック伝統派の真理から分かれたのです(訳注・原文 “…split their Catholic authority from the truth of Catholic Tradition” ).それから今日まで,カトリック信徒は権威と真理のいずれかを選ばなければならなくなりました(訳注・原文 “…Catholics had to choose between Authority and Truth” )今でも,カトリック信徒は権威を選べば真理を切望せざるを得ず,真理を選べば権威との結びつきにあこがれるといった状況です( 訳注・原文 “…if they choose Authority, they must long for Truth, and if they choose Truth, they still yearn for union with Authority”.). ルフェーブル大司教は真理を選ばれ( “Archbishop Lefebvre chose Truth…” ),1970年に真理擁護(ようご)のため聖ピオ十世会を創設されました.その後も自らの力の及ぶかぎりローマによる聖ピオ十世会承認を得ることで権威との決別の傷を癒(いや)そうとされました(訳注・原文 “…he did all in his power to heal its split with Authority by striving to obtain Rome’s approval for his Society.” ).ルフェーブル大司教は1987年までローマ教皇庁とのなんらかの実務的な合意達成を繰り返し望み,そのための努力をされたと,フェレイ司教が言われたのはそのためです.

ところが,ルフェーブル大司教は1987年には82歳になっていました.彼は聖ピオ十世会が自らの司教を持たないなら伝統を重んじるその立場は終わりを迎えるに違いないと予期されました.聖ピオ十世会にとってローマから少なくとも司教一人を派遣してもらうことが緊急課題になっていました.だが,ローマは言葉を濁(にご)し続けました.というのも,ローマ自体も司教のいない聖ピオ十世会はやがて消滅すると気づいていたからです.1988年5月,当時のラツィンガー枢機卿(すうききょう “then Cardinal Ratzinger” ,現ローマ教皇の本名+前身)は頑(かたく)なに動こうとしませんでした。このため,ルフェーブル大司教はネオ・モダニスト(新現代主義者)のローマ( “neo-modernist Rome” )にはカトリックの伝統を擁護し承認する意思がまったくない,とはっきり理解しました.大司教は外交で解決を探る時期は終わったと判断し,司教叙階(しきょうじょかい)に踏み切られたのです.この時から,同大司教の言葉によれば,教理を持つかそれとも何も持たないかのいずれかであり,ローマと聖ピオ十世会がなんらかの接触を持つとすれば,その絶対不可欠な前提として,彼の言葉によれば,ローマがカトリック伝統派の偉大な反リベラル諸文書,“the great anti-liberal documents of Catholic Tradition”,すなわち回勅 (かいちょく) パッシェンディ “Pascendi”,クアンタ・クーラ “Quanta Cura” などへの信仰を宣言することが必須だということになったのです.( “…Rome’s profession of Faith in the great anti-liberal documents of Catholic Tradition, e.g. Pascendi, Quanta Cura, etc”. )(訳注後記)

フェレー司教が2月2日の説教で暗に言われたように,ルフェーブル大司教が1991年に死を迎えるまでローマと聖ピオ十世会の間の実務的合意(訳注=実務協定.“practical agreement” )が可能もしくは望ましいと二度と口にすることがなかったのはこのためです.ルフェーブル大司教は生前,権威派から最小限度の真理を引き出そうとあらゆる努力をつくされました.( “Himself he had gone as far as he could to obtain from Authority the minimum requirements of Truth”.) 自分が1988年5月に行ったこと(四人の司教叙階)は行き過ぎだったかもしれないとまで示唆(しさ)されました.しかし,大司教は司教叙階以降,態度をぐらつかせたり妥協したりすることはなく,聖ピオ十世会に同じ立場を堅持(けんじ)するよう促(うなが)されました.

その当時に比べ現在の状況は変わったでしょうか? ローマが不変のカトリック信仰( “the profession of the Faith of all time” )へ立ち帰ったでしょうか? フェレー司教は同じ2月の説教で,ローマは9月14日に明らかにした厳しい立場をやわらげ,今ではありのままの聖ピオ十世会を容認する用意があると公言していると私たちに知らせてくださいましたが,それを聞くと答えはイエスという気もします.だが, 「アッシジ III」(第三回アッシジ諸宗教合同祈祷集会)や前教皇ヨハネ・パウロ2世の新しい(形式による)列福を思い起こすと,聖ピオ十世会に向けてローマの聖職者たちが新たに創出してきたローマの博愛(慈善)じみた好意的な態度の裏にはおそらく,両者間の接触が再構築されしばらく持続するとしても,その幸福感はやがて薄(うす)らぎ,ぼやけてしまい,聖ピオ十世会の新しい教会に対する頑(かたく)なな抵抗はやがて消えてしまうだろうという計算があるのではないかと疑いたくなります.悲しい哉(かな).
( “But one need only recall Assisi III and the Newbeatification of John-Paul II to suspect that behind the Roman churchmen’s new-found benevolence towards the SSPX lies in all likelihood a reliance on the euphoria of re-established and prolonged mutual contact to dilute, wash out and eventually dissolve the SSPX’s so far obstinate resistance to their Newchurch. Alas”. )

「われらの救いは主の御名のうちにあり.」
“Our help is in the name of the Lord.” (訳注後記)

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


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第3パラグラフの訳注:
回勅(かいちょく) “Encyclical” について

①回勅「パッシェンディ」 原語(ラテン語)+英タイトル
PASCENDI DOMINICI GREGIS
("Feeding the Lord's Flock") - 「主の(羊の)群れを牧(ぼく)せよ」
ENCYCLICAL OF POPE (SAINT) PIUS X - 教皇(聖)ピオ10世の回勅
ON THE DOCTRINES OF THE MODERNISTS - 近代主義者の思想信条について.
promulgated on September 8, 1907 - 1907年9月8日に発表された.

・近現代主義者(現代の新現代主義者 “neo-modernist” も含む)の思想信条を糾弾(きゅうだん)する.

・ヨハネによる聖福音書・第21章17節参照(太字部分).(15-19節掲載)
The Holy Gospel of Jesus Christ, according to St. John XXI, 17. (XXI, 15-19)
『…食事の後,イエズスはシモン・ペテロに,
「ヨハネの子シモン,あなたはこの人たちよりも私を愛しているか」と言われた.ペトロは,「主よ,そうです.あなたのご存じのとおり,わたしはあなたを愛しています」と答えると,イエズスは,「私の小羊を牧せよ」と言われた.

また,ふたたび彼に,「ヨハネの子シモン,私を愛しているか」と言われた.「主よ,そうです.あなたもご存じのとおり,私はあなたを愛しています」とペトロが答えると,「私の羊を牧せよ」と言われた.

三たび「私を愛しているか」と言われたのを聞いてペトロは悲しみ,「主よ,あなたはすべてをご存じです.私があなたを愛していることはあなたがご存じです」と答えた.イエズスは彼に「私の羊を牧せよ」と言われた.
それから,「まことにまことに私は言う.あなたは若いとき自ら帯をしめ望む所に行ったが,しかし年をとれば手を伸ばして他の人から帯をしめてもらい,自分の望まぬ所に連れていかれるだろう」と言われた.*²これは,ペトロがどんな死に方をして神に光栄を帰するかを示すために言われたことである.

こう話してのち,ペトロに「私について来なさい」と言われた.』

(注釈)

*¹ 17節 教会の首位権がペトロに与えられた.イエズスはそのすべての群れをペトロに任せた.小羊は信者の群れを意味し,羊は司教,司祭を意味する.
(補足説明) ペトロは神の子キリストの教会の初代教皇となった.

*² 19節 ペトロは十字架にかけられ,ローマにおいて殉教した.
(補足説明) ある宗教が真実のものかどうかは,真理・愛・正義を証明できるほどの真の信仰をもった殉教者がそこから出現しているかどうかで分かる.指導者自らが人の救霊のために殉教し,他の人を生かすため自分自身を犠牲として献げるところに,真理・愛・正義の姿が目に見える形を取って証明される.
これは,永遠の存在たる真の神への信仰とそれに対して注がれる神からの恩寵なくしては,無知で臆病な人間の力だけでは不可能な行いである.

真理(信仰・希望・愛)は永遠に不滅なので,真理に生きるためにこの世(現世)で自分のすべてを犠牲としてささげる人は,来世で「真理すなわち永遠の命」に生きる.

真理たる神は,不信仰な罪深い人間を愛してくださり,永遠の命を与えようと御自分を(御子キリストにおいて)贖(あがな)いの犠牲として差し出された.愛たる神は我欲を追求する人間中心主義の現代主義(モダニズム)によって人が心身ともに堕落し滅びていくのを深く悲しまれ,人の改心(回心)を待たれる.

神は全能であるから,神への信仰はすべてを可能にする.神は必ず助けて下さるから,いかなる時も絶望にはあたらない.

→ヨハネによる聖福音書:第12章24-33節参照.

(受難に向かわれる直前のキリストのみことば)
『…もし一粒の麦が地に落ちて死なぬなら,ただ一つのまま残る.しかし死ねば多くの実を結ぶ.*¹自分の命を愛する人はそれを失い,この世でその命を憎む人は永遠の命のためにそれを保つ

私に仕えたい人があればついてくるがよい.私がいるところには,私に仕える人もまたいる.もし私に仕えるなら,父はその人を尊(とうと)ばれる.

*²今しも私の霊は騒いでいる.私は何と言おうか,父よ,この時から私を救いたまえと言おうか.だが私がこの時を迎えたのは,そのためなのである.*³父よ,み名の光栄を現したまえ」.

そのとき天から,「私はすでに光栄を現したが,またさらに光栄を現すであろう」と言う声がした.そこにいてこれを聞いた人々は「雷が鳴ったのだ」と言い,他の人々は「天使が話しかけたのだ」と言った.

イエズスは「*⁴あの声が聞こえたのは私のためではなく,あなたたちのためである.今この世の審判が行われ,今*⁵この世のかしら(注・=悪魔)が追い出される.

*⁶私は地上から上げられて,すべての人を私のもとに引き寄せる」と言われたのは,ご自分がどんな死に方をするかを示されるためであった.』

(注釈)

*¹ 25節 この世の命を保とうとも,キリストを否む者は永遠の命を失うであろう.信仰のためにこの世の命を捨てる者は,永遠の命を得る

*² 27節 イエズスは近い死を思って恐れる.しかし父のみ旨に自分の身をゆだねられる

*³ 28節 イエズスは,御父の光栄を現すために,身を死にささげられた.イエズスの死は,御父がいかにこの世を愛されたかの証拠である

*⁴ 30節 この声は,イエズスの死に対する神の印であった.

*⁵ 31節 サタン(悪魔)(14・30,16・11,コリント人への手紙〈第二〉4・4,エフェゾ人への手紙2・2,6・12)はこの世を支配している(ヨハネの手紙〈第一〉5・19).
イエズスの死は人間をサタンの支配下から救った

*⁶ 32節 十字架の死の暗示であると同時に,復活の日の暗示でもある.この二つの出来事は,同じ奥義の二つの現れにすぎない.

* * *

②回勅「クアンター・クーラー」 原語(ラテン語)+英タイトル
QUANTA CURA” - 「どれほど大きな配慮」(と……〈この後の文に続く〉)
(注・文頭2語がタイトルとなっている.)
("The Syllabus of Errors") - 「誤謬(ごびゅう=間違い・過〈あやま〉ち)の要旨(ようし)」
ENCYCLICAL OF POPE PIUS IX - 教皇ピオ9世の回勅
CONDEMNING CURRENT ERRORS - 現在の様々な誤謬を糾弾する.
promulgated on December 8, 1864 - 1864年12月8日に発表された.

(補足説明)

誤謬として糾弾の対象となった主な思想信条:
・良心・信仰の自由は各人の人格権として法的に宣言されるべき.
・この人格権はすべて正当に構成された社会で強く主張され,あらゆる市民に内在するものである.
・その権利は絶対的な自由の下に置かれ,教会権威や民間機関からの一切の制約を受けない.
・かかる権利の下で,あらゆる市民はあらゆる考えを(他の一切の権威からの制約を受けることなく),口承(口コミ)・マスコミ報道・出版物またその他あらゆる手段により,広く公(おおや)けにしまた明白に宣言・発表することができる.
・国民(=国政に参加する権利を持つ人の集団すなわち民主主義政府)の意思が最高権威であり,いかなる法・人間・神(宗教)の意思よりも優先する.
・政治秩序の下で成立する既成事実・状況に権力が置かれる(民衆政府の意思決定・行動に正当性を置き権威〈権力〉を持たせる).
・両親は,民法が許可する場合を除き,子供の教育に関わる権利を一切持たない.
・カトリック教徒は,教会法を国家が批准(ひじゅん)しない限り,教会の教えに従う道義的義務がない.
・国家は,教会や宗教的修道会の財産を没収する権利を有する.
など….

(解説)
これらの提案は,以下の目的でなされた:
・当時の欧州諸国において反教権(=聖職者の権威に反対する)政府の樹立を目指すため.
・数年以内に教育を世俗化するため,競合する独自の公立学校を開始せずにカトリックの学校をそのまま引き継(つ)いだり,相続人の財産と競合(きょうごう)する(宗教的)修道会を抑圧するため.

(補足説明)
一人の人間はほんの小さな存在で,その命はあまりに短い.たとえ世界で偉大な人間になったとしても(いまだかつてキリストによらずに真に偉大になった人間は世に一人も出現していない),時代から時代へ後継者をつなげていったとしても,それぞれの人間の意思は神の関与なしにはあまりにも移ろいやすい.
人間に宇宙法則・自然の摂理たる神を変えることはできない.人間はどんなに努力しても万物の支配者とはなれない.

人間は現世で他人を支配することを目指そうとするのではなく,永遠に真の支配者たる神に従うことによって,神の真実性・永遠性にあずかり,それらを自分のものとすることで神と共有し,また同じ信仰を持った人間と共に分かち合うことを目指すべきである.

「現世がすべてで死後の世界はない」と思うのは,あまりに浅はかな考えである.
人間は神を知ることなしに,決して真実を知ることはできない.

だから,人間の我欲の満足の追求を中心に置いている現代主義(モダニズム)は危険であり,人間を心身ともに滅ぼしてしまう致命的な思想である.

* * *

最後の訳注:
「われらの救いは主の御名のうちにあり.」について:

旧約聖書・詩篇:第124篇8節からの引用(太字部分).(第124篇全文掲載)
BOOK OF PSALMS: PSALM 123 Nisi quia Dominus : 8 (123:1-8)
The church giveth glory to God for her deliverance from the hands of her enemies.

イスラエルを救うもの
第124篇(123)*¹上京の歌.ダビドの作.
主がわれらの味方でなかったら,
――*²イスラエルはこう言うべきだ――

主が味方でなかったら,
人々がわれらに背(そむ)いて立ったとき,

生きながら噛み裂いた(かみさいた)ろう.
彼らがわれらに向かって怒りを燃やしたとき,

そのとき,水はわれらを押し流し,
小川はわれらをのみ,

あわ立つ水に,
飲(の)まれたろう.

その歯のえじきにわれらを与えなかった主は
祝されよ.

われらの魂は小鳥のように逃れた,狩人(かりゅうど)の網(あみ)から.
網は破れ,われらは逃れた.

われらの助けは,
天地をつくられた主のみ名
.』

(注釈)

イスラエルを救うもの
*¹ イスラエルの民はさまざまな危険から救い出された.それは神の恵みだった.

*² 神が救いを下さなかったら,イスラエルはどうなったろうか.

* * *

2012年3月4日日曜日

242 朗報 (3/3)

エレイソン・コメンツ 第242回 (2012年3月3日)

読者全員でないにしても多くの方々が先週ドイツから届いた朗報をもう耳にされていることでしょう.先週の灰の水曜日( “Ash Wednesday”, 22日),ニュルンベルグの低地バイエルン控訴裁判所 (= -控訴審.“the Appeals Court of Lower Bavaria in Nuremberg” が「人種的扇動」のかどで昨年7月11日にレーゲンスブルグ地方裁判所が私に下した有罪判決を破棄(はき)しました “…quashed the Regensburg Regional Court’s condemnation of me on 11 July of last year for “racial incitement”.” .私は2008年11月,ドイツ国内で行われたスウェーデンのテレビ局によるインタビューで,特定の歴史的な出来事につき一般的な見解と異なる政治的に正しくない見解を述べたいう理由で糾弾(きゅうだん)されましたが,今回,当控訴裁判所は原判決破棄の判決を下した上でバイエルン州政府に対しこれまでの私の裁判費用を支払うよう命じました.同控訴裁判所の判事が採(と)りいれざるを得ない主張を展開して下さった私の弁護人エドガー・ヴァイラー教授 “my defence lawyer, Prof. Dr. Edgar Weiler” ,私を同教授に紹介して下さったシュミットベルガー(独語読み.仏語「シュミッドベルゲール」英語「シュミッドバーガー」)神父 “Fr. Schmidberger” (しゅみっとべるがー〈しゅみっどべるげーる・しゅみっどばーがー〉しんぷ) ,そして同教授を承認して下さったフェレー(仏語読み.英語は「フェレィ」)司教 “Bishop Fellay”(ふぇれー〈ふぇれぃ〉 しきょう) に全幅(ぜんぷく)の敬意を表します.

しかし,控訴審判事たち( “the Appeal judges”.3人)が手続き上の理由を根拠に “on procedural grounds” その判決を下(くだ)した限りでは,私はまだ無罪かつ潔白(けっぱく)というわけではありません.判事たちの下した結論は次の通りです : 「起訴状が被告人の行状(ぎょうじょう)を罰しないと述べ(今までのところ),被告人を刑に処(しょ)することが妥当と思われるような具体的状況を空白のまま保留している場合,その起訴状は当該事件の内的および外的事実を明記しておらず,上に列挙する被告人を公判に付すための当該行為の違法有責性を定義づける機能を果たしていない.(よって)本件請求を棄却する.」 (訳注後記)

したがって,理論的にはレーゲンスブルグ検察庁 “the Regensburg Prosecutor’s office” はその手続を修正した上で再度訴追手続(そついてつづき) “the prosecution” をやり直すことができます.だが実際には,当局はおそらくそうすることをためらうでしょう.というのは,控訴審判事たちは検察当局に対し,私の一連の発言を知るに至ったのが正確には誰なのか,彼らがどのような手段でその発言を知るに至ったのか,その発言がいかにドイツ国内の平和を乱すことになったのか,そして最後に私が自分の発言がドイツ国内で知られることにどのように同意したのかについて,それぞれ明確にするよう求めているからです.

現在検察当局にとって,この1カ月間,全世界のメディアが行った(主として教皇ベネディクト16世に無理やりカトリック教伝統派 “Catholic Tradition” から距離を置くようにさせる目的の)もろもろの論評(ろんぴょう)が,ドイツはもとより,世界中に打撃を与えたことを示すのは容易かもしれませんが,ドイツ国内の平和が乱されたことを証明するのはそう簡単なことではないでしょう.それに私自身がインタビュー(ユーチューブでアクセス可能)の終わりの部分で自分の発言がドイツ国内で公表されることを望まないとはっきり述べている以上,検察当局にとって私がそれを望んだと証明するのはきわめて難しいでしょう.したがって,検察側が私に対する訴追を続けるかどうかは神の御手のうちに置かれています.

ところで,親愛なる読者のみなさま,私がドイツでの裁判により過度に大きな苦痛を受けたとは思わないでください.私は裁判進行中の3年間,聖ピオ十世会内に居(い)ながらにして(訳注・聖ピオ十世会の所属にとどまり続けたままで)同会から追放されたこと( “three-year exile within the SSPX” )をあまりの悲劇(訳注・悲惨. “too tragically” )と受け止めましたが,それ以上の苦痛は感じませんでした.その追放もどちらかと言えば心地よいものでした.そして,(訳注・今日まで数回にわたって続いた)この裁判もすくなくとも当面は終わったわけです.私のためにこの3年のあいだ祈ってくださったみなさまに感謝します.私は祈ってくださった読者の多くの方々を知っています.その一人ひとりに感謝しています.私はみなさまのお気持ちに応(こた)えようとこの1月にミサ聖祭のノベナ(訳注・9日間のミサ聖祭)を神に捧げました( “I celebrated in January a novena of Masses for your intentions.” ).なぜならこれから先,裁判よりはるかに大きないくつもの試練が私たちすべてを待ちかまえているに違いないからです.

キリエ・エレイソン.

英国ロンドンにて.
リチャード・ウィリアムソン司教


* * *

第2パラグラフの訳注:
「手続き上の理由を根拠に…」 “on procedural grounds” の意味について:

(1)
控訴審(裁判所)の下した結論の英語原文:
“…conclusion : “If an indictment describes behaviour of the accused not punishable (as yet), and leaves open what concrete circumstances supposedly render him liable to punishment, then by not listing the inner and outer facts of the case the indictment is failing in its function, laid out above, of defining the action for which the accused is being put on trial. Case dismissed.”” .

(2)
「内的事実」 “the inner fact” =「主観的(構成要件的)事実」(法律用語〈刑法〉).
当該行為時において行為者〈=被告人〉に「故意」または「過失」があったかどうか→「有責性」の有無〈=行為が違法とされた場合その責任を被告人に問えるかどうか〉を裁判所が判断する材料となる「(行為当時に行為者が持っていた)主観的認識」を指す.

(3)
「外的事実」 “the outer fact” =「客観的(構成要件的)事実」.
当該行為が刑法で定められた「犯罪(の)構成要件」に該当するものかどうか→問題とされている行為に法律上の「違法性」が認められるかどうかを裁判所が判断する材料となる「客観的事実」を指す.

(4)
(参考説明)(ふつうの言葉で説明します)

I.「犯罪」の意味(日本の場合):

→「ある国の国民が刑罰(つまり害悪)を使ってまで守ろうとする法的利益(法益)を侵害する行為(有害な行為)」

→大きく①「国家的・社会的法益に対する罪」,②「個人的法益に対する罪」に分けられる.

→有害な行為は「作為(積極的な行動)」による場合と「不作為(怠慢)」による場合の双方を含む.

→法律(刑法)上の定義:犯罪とは①「(刑法に定められた,犯罪)構成要件に該当する」→②「違法」→③「有責」な「行為」.

II. 国家権力(公権力)による刑事司法と基本的人権について:

日本のような自由主義国においては,人権保障の観点から,犯罪防止としての刑罰は,できるだけ,他のより害悪の少ない手段(たとえば,①社会政策,②倫理,③道徳など)にとってかえられるべきで,公権力による人権侵害の度合いを最小限にとどめる努力が払われなければならない.(重い刑罰は,刑事訴訟手続上の冤罪〈えんざい〉事件など,無実の人を罪に陥(おとしい)れてしまうような重大な人権侵害の危険が常にある).

* * *